イメージ論的世界
【1】序─像と喩、原型イマージュ・その他
この連載(三世界論)でたびたび言及した「哥とクオリア/ペルソナと哥」──というより、この連載自体がその再編集・再考版(使い回しとも言
う)であり、時に“完全・完結版”であり、またその“スピンオフ”でもあった論考群──において、ひところ吉本隆明の『言語にとって美とは何か』
を集中的に読み込んだことがありました。
吉本の文章には、その用語法や概念規定、文脈や文法的脈絡がうまく掴めない曖昧(詩的?)なところが多々あって、後の、たとえば『母型論』ほど
には(日本語としての)破格・破調は見られないものの、『言語にとって美とはなにか』も相当厄介で難儀な文章で綴られていました。なかでも──こ
れは文章の問題ではなく、むしろ概念の問題ですが──言語と像、喩と像の関係にかかわる箇所で躓いたことを、今でもありありと覚えています。
《言語が意味や音のほかに像をもつというかんがえを、言語学者はみとめないかもしれない。しかし〈言語〉というコトバを本質的な意味でつかうと
き、わたしたちは言語学をふり切ってもこの考えにつくほうがよい。言語学と言語の芸術論とが別れなければならないのは、おそらくこの点からであ
り、言語における像という概念に根拠をあたえさえすれば、この別れはできるのだ。
言語における像が、言語の指示表出の強さに対応するらしいことは、わたしがいままで無造作にのべてきたところからも、推定できるはずだ。
しかし言語の像が〈意味〉とちがうことは、あたかも事物の〈概念〉と、事物の〈象徴〉とがちがうのとおなじようなものだ。
言語は発生したはじめに、視覚が反映したものにたいして反射的に発した音声という性格をはやくからすててしまった。わたしたちの考えてきたとこ
ろでは、音声が自己表出を手にいれたためだ。これによって言語は、指示表出と自己表出とのないまぜられた網目になったといいうる。
もしも言語が像を喚び起したり、像を表象したりできるものとすれば、意識の指示表出と自己表出との‘ふしぎな’縫目に、その根拠をもとめるほか
はない。》(『言語にとって美とは何か』第Ⅱ章「言語の属性」3「文字・像」)
吉本が、その“手作り”の表現でもって言わんとすること(要は、言語には像をもつものともたないものがあって、前者が芸術言語論の、後者が言語
学の対象である)の意義は朧気に判るような気がするし、また、それなりの手応えもあるのですが、「意識の指示表出と自己表出との‘ふしぎな’縫
目」などと、“詩的”な言葉遣いをされると困惑します。
さらに、価値(自己表出)としての言語の表現は、すべて意味(指示表出)と像との深淵の両端をつなぐ球面のうえに存在している、とか、価値とし
ての言語の喩は「像的な喩」と「意味的な喩」の両端をふまえた球面のうえにあらわれてくる、などといった後続する議論に接すると、それこそ掴みど
ころのない球面に置き去りにされたような不安に駆られます。
《おそらく、喩は言語の表現にとって現在のところいちばん高度な撰択で、言語がその自己表出のはんいをどこまでもおしあげようとするところにあら
われる。〈価値〉としての言語のゆくてを見きわめたい欲求が、予見にまでたかめられるものとすれば、わたしたちは自己表出としての言語がこの方向
にどこまでもすすむにちがいないといえるだけだ。そして、たえず〈社会〉とたたかいながら死んだり、変化したり、しなければならない指示表出と交
錯するところに価値があらわれ、ここに喩と価値とのふしぎなななめにおかれた位相と関係があらわれている。》(『言語にとって美とは何か』第Ⅲ章
「韻律・撰択・転換・喩」2「詩的表現」)
喩と価値とのふしぎなななめにおかれた位相と関係?──ところで、私が『言語にとって美とはなにか』に取り組んだのは、「和歌のメカニスム」と
いうタイトルのもと、井筒俊彦の言語哲学的意味論[*1]と井筒豊子の和歌論三部作[*2]との“合わせ技”で、吉本のライフ・ワークとも言うべ
き「芸術言語論」を一瞥するためでした。
たとえば、井筒俊彦の次のような文章を読むと、吉本の議論がより高次元もしくはより深い層において、メタフィジカルに叙述されているように思え
ます。
「絶対無分節者の存在エネルギーは、言語アラヤ識(「文化的無意識」)の次元で第一次的に分節されていろいろな意味分節体となり、その中のあるも
のは「元型」として強力に自己を主張する。そして「元型」は次の段階で形象化して「元型」イマージュとなる。それらの「元型」イマージュは諸他の
「想像的」イマージュとともに、一種独特の深層意識的イマージュ空間を現出する。」(『意識と本質』(岩波文庫)247-248頁)
というわけで、3年前の7月、「韻律的世界」の第一回を投稿してから始まった「三世界論」の掉尾は、「修辞学的世界」に引き続き、「哥とクオリ
ア/ペルソナと哥」の“成果”を吟味すること──具体的には、「言語と喩と像」をめぐる吉本隆明の芸言語術論と、「元型」イマージュや「想像的」
イマージュ等々をめぐる井筒俊彦の哲学的意味論について再考すること──から始まります[*3・4]。
[*1]司馬遼太郎の『十六の話』文庫版に附録として収録された対談「二十世紀末の闇と光」で、井筒俊彦は──「ところで多元的な言語世界のなか
に日本語があって、日本語もわりあいおもしろいなと、最近お思いになっているとうかがいました。」と尋ねられて──次のように語っている。
「実におもしろい。最近ばっかりじゃないんです。私は、元来は新古今が好きで、古今、新古今の思想的構造の意味論的研究を専門にやろうと思ったこ
とさえあるくらいですから、日本語はすごく好きなんです。ただ、ほかにやることがあまりに多いものだから(笑)、ついほかのことをやってきただけ
で、究極的には私はやっぱり日本に帰るだろうと思いますね。」(『十六の話』(中公文庫)437-438頁)
古今、新古今の思想的構造をめぐる言語哲学的な意味論的研究──この実現されなかった井筒俊彦の和歌論を「類推」させる仕事として、若松英輔氏
は『井筒俊彦 叡知の哲学』において、佐竹昭広の「『見ゆ』の世界」(『萬葉集抜書』)や白川静の万葉論、風巻景次郎の『中世の文学伝統』と並ん
で、井筒自身による新古今の「眺め」論(『意識と本質』)と井筒豊子の和歌論三部作を挙げている。
[*2]井筒豊子の和歌論三部作は、次の論考から成る。
◎「言語フィールドとしての和歌」(岩波書店『文学』52巻1号、1984年1月、『井筒俊彦の学問遍路―同行二人半』に収録)
◎「意識フィールドとしての和歌」(岩波書店『文学』52巻12号、1984年12月、『井筒俊彦の学問遍路―同行二人半』に収録)
◎「自然曼荼羅──認識フィールドとしての和歌」(『岩波講座東洋思想16 日本思想2』1989年3月)
以下は、若松前掲書からの抜き書き。
「井筒の妻豊子が書いた「言語フィールドとしての和歌」、「意識フィールドとしての和歌」、「自然曼荼羅」の三つの論考は、日本古典文学における
言語哲学的意味論という、実現されなかった夫俊彦の仕事の展開を類推させる論拠となっている。
一読するだけで、二人の間に「哲学的意味論」をめぐる深い意見交換があったことが分かる。また、術語の理解と文体の接近からも、豊子が夫のもっ
とも良き読者だったことが伝わってくる。」(『井筒俊彦 叡知の哲学』254頁)
[*3]「哥とクオリア/ペルソナと哥」第40章1節から。
……私の直感が指し示すところに従うならば、貫之歌論の世界と定家歌論の世界の感触の違いや相互に包摂しあう関係性は、永井均(+西田幾多郎)
と大森荘蔵(+ウィトゲンシュタイン)のそれぞれの哲学世界がもたらす感触の違いや相互の関係性と類比的なのではないか。また、この永井(=貫
之)と大森(=定家)からなる平行線に直交するもう一対の平行線を引くことができるのではないか。それは坂部恵(+木村敏)のラインと井筒俊彦
(+小林秀雄)のラインからなるもので、この平行線が「広義の」定家歌論の世界をかたちづくる連歌(心敬)、能楽(世阿弥)、佗茶(利休)、俳諧
(芭蕉)の美的世界を解明するてがかりとなる。そして、坂部恵と井筒俊彦が共有する折口信夫と、折口信夫から「派生」する吉本隆明とがその補助線
となる。さらに、坂部恵から九鬼周造と和辻哲郎が、井筒俊彦から西脇順三郎と萩原朔太郎がそれぞれ「導出」され、子規以後の「やまとうた」の精神
史を彩っていく。……
井筒俊彦は西脇順三郎の弟子であり(井筒は慶應義塾大学における「言語学概論」の講義を西脇から受け継いだ)、しばしば折口信夫の講座に出て
は、その『古代研究』のエッセンスを西脇に伝えたという。
安藤礼二氏は「言語と呪術──折口信夫と井筒俊彦」(『折口信夫』「詩語論」に所収)において、次のように述べている。「西脇順三郎と折口信夫
の学と表現が最も創造的に交差した地点に、井筒俊彦の学と表現の起源を位置づけることが可能なのである。」
[*4]井筒俊彦の哲学的意味論と吉本隆明の芸術言語論との構造的同一性を指摘した安藤氏の文章を、『言語と呪術』(井筒俊彦英文著作翻訳コレク
ション)解説「井筒俊彦の隠された起源」から引く。
《神の聖なる言葉、すなわち超現実の言語、あるいは、直接性の言語が発生してくる場所に、西脇は前人未踏の詩的世界を作り上げ、折口は共同社会の
発生と文学の発生が重なり合う「古代」を幻視した。そこに井筒俊彦による「哲学的意味論」にして詩的意味論の一つの起源が確実に存在している。
そしてもう一人、井筒が『言語と呪術』をまとめる上で理論的な柱としたオグデンとリチャーズの『意味の意味』からの大きな刺激を受け、独自の言
語論を練り上げていった人物がいる。吉本隆明である。吉本がまとめ上げた全二巻からなる『言語にとって美とはなにか』(一九六五年)、特にその理
論篇である第Ⅰ巻の冒頭で展開される、きわめて詩的であると同時にきわめて理論的な考察は、ある意味で、『言語と呪術』と瓜二つである。そこで吉
本は、やはり言語がもつ二つの側面、自己表出性と指示表出性を厳密に区別する。その区別は、西脇=ポーランによる言語の感性的機能と知性的機能と
いう区別と完全に等しい。オグデンとリチャーズとともに、吉本が第Ⅰ巻の冒頭で参照するカッシーラー、ランガー、そしてマリノフスキーは、そのす
べてが井筒の『言語と呪術』でも参照されている。また第Ⅱ巻全体を通して、詩から物語、さらには劇へと至る、吉本による言語芸術の発生史において
理論的な支柱となっているのは、一貫して折口信夫の営為なのである。折口信夫と西脇順三郎、井筒俊彦と吉本隆明。近代の列島に生まれた日本人の手
になる独創的な言語理論は、ほぼすべて同一の系譜の上に成り立ち、またそれ故、同一の構造をもつものだった。》(『言語と呪術』250頁)
【2】普遍像/究極イメージ/夢のイメージ─パライメージをめぐって
言語と像、喩と像の関係を吉本隆明がどのように捉えていたか、あるいは捉えようとしていたか──『言語にとって美とはなにか』を読むだけではよ
く判らなかったことが、その後、『マス・イメージ論』(1984年)や『ハイ・イメージ論』(1989~1994年)などのイメージ論──吉本が
ある講演(「普遍映像論」)で使った表現で言えば「像論」や「普遍像論」あるいは「普遍像学」──に接して、腑に落ちるところがありました。
といっても、それらイメージ論関連の書物は、これははたして真正の日本語なのかと毒つきたくなるほどの難物で、とても手に負えない、何を言いた
いのかほとんど理解できない文章で記されていました。ですから、腑に落ちたのはテキストによってではなく、それらが発表されたのと同じ時期のいく
つかの講演の音源やその記録に接してのことでした。
その具体的な発言を、いくつか抜き書きしておきます。(どの講演も、ほぼ日刊イトイ新聞の「吉本隆明の183講演」に音源があります。)
1.「イメージ論」(1986年、『吉本隆明〈未収録〉講演集5 イメージ論・都市論』所収)
「前に僕は文学の理論的な考察として『言語にとって美とはなにか』という仕事をしたんですが、それは文学というものを言葉の芸術として扱った場合
に、どういう問題が出てきて、どういうことが云えるかをやったわけです。…少しその考え方を変えて、文学を言葉の芸術と扱わないようにして、文学
も音楽も絵画も、その他デザインでも何でも、映像から画像に至るさまざまな分野の芸術の表現の中のひとつとして文学の表現を扱うという扱い方をし
たらどうなるだろうかということが、どうしてもやってみたかったわけです。…
そうすると、一種のイメージとして、言語の芸術あるいは言語の表現として文学を考えるのではなくて、イメージの表現として文学を考えるという考
え方がもしできるならば、文学もほかの映像諸分野も画像の諸分野も同じ論理構成というか、同じ考え方で相対的に扱うことができるんじゃないかとい
うモチーフがあって、それを何とかやってみようということがひとつあったのです。」
……ここで述べられているのは、吉本が当時とりくんでいた『ハイ・イメージ論』のモチーフのひとつです。他のもうひとつのモチーフは、「究極イ
メージというものを一種の念頭において、そこを基盤にして、イメージの理論として文学も一緒にはめ込んだまま全般的に芸術分野を扱えないか」とい
うものでした。「究極イメージ」とは、地面に平行な水平視線と、これに直行する真上からの垂直視線(死に瀕した人の体験の中にしばしば記録される
高次の映像体験)の交点を同時行使したときに出現するイメージのことで、「パライメージ」の議論につながっていくものです。……(「哥とクオリア
/ペルソナと哥」第36章2節)
2.「普遍映像論」(1988年、『吉本隆明〈未収録〉講演集5 イメージ論・都市論』所収)
「ふつうのイメージ、視覚像、あるいはふつうの映像に対して、もうひとつそれを上から見ているところの映像、これをパライメージと名づけるとする
と、パライメージを同時に喚起することができるかどうかが、たぶんイメージ論としていえば現在いちばん高度なイメージの理論的・抽象的な原理にな
ると思います。」
「…それも死の体験と関連しますが、自分の肉体的な存在感が全部、視覚になってしまう、あるいはイメージになってしまうという体験が、パラの位置
[有機化学の「オルト・メタ・パラ」から。パラは「向かい合う位置」を指す──引用者註]のイメージをつくる場合に非常に重要な役割を持ちます。
だいたいにおいてパラ位置からのイメージと、普通の場面でのイメージとが同時に行使された場合を考えれば、たぶんそこのところで現在考えられる最
も高次な映像を理解することができるのです。」
「…自分の肉体的な存在がなくて、全部視覚に化してしまっている、あるいはイメージ自体に化してしまっているという場面で見られうるものが夢のイ
メージだといえます。夢のイメージはだいたいにおいてそうなのであって、自分の存在感、つまり肉体などは全然なくて、自分はただのイメージ、また
は視線に化してしまっているのだけれども、そこで出てくるのが夢のイメージだということができます。」
「文学作品の中で表現されるイメージという場合には、パラ位置のイメージだけは自分の存在感ととくっついたかたち、つまり存在感、あるいは主体の
ところからパラ位置イメージだけが出てくる。……/そこの構造がうまく理解できると、たぶん文学作品も一種のイメージ論として、映像とか絵画とか
と同列に扱うことができることになると思われます。」
3.「言葉以前のこと」(1992年、『詩人・評論家・作家のための言語論』所収)
「臨死体験のような瀕死の状態で起こる聴覚と視覚の一種の連結は、後ろ向きに胎内へ入っていくことと同じだから起こるのではないか…。
…耳が聞こえる状態さえあれば、眼がみえるということが長時間ではないがありうるのではないか。…これがうそだとわかっても、ぼくにとってはどち
らでもいいのです。それは錯覚だと科学や医学が確定してくれれば、それでもいいわけです。いまのところの解釈だと、聴覚で視覚のイメージがつくれ
るのではないか、また臨死体験はありうるのではないかとおもっているわけです。」
……直立二足歩行と言語の使用とがヒトを人たらしめる決定的な要素であり、また、新宮一成氏が『夢分析』のなかで書いていたように、「言葉を話
すようになる」ことは夢の言葉でいえば「空を飛ぶ」ことであり、かつ、空は言語の場であり、言葉の世界とは死者の世界にほかならないのだとした
ら、死に臨んだ者が体験する上方からのイメージは、直立歩行や「聴覚音⇒言語的概念⇒視覚像」といった言語獲得のプロセスを反復的に表現するもの
であり、かつ、死者たちの世界(言語世界)がまなざすものである、などといったことがいえるでしょう。
そして、そのような垂直的な夢のイメージ(パライメージ)のうちに主体の存在感がはりついているとき──あたかも、貫之詠の「影見れば波の底な
るひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき」で、水底に空を映した「海」を漕ぎわたるわれの(指示表出的な)水平視線と、水底に映った「空」を漕ぎ
わたるわれの(自己表出的な)垂直視線とが重ね合わされ、このうち、後者の視線のうちに「われ」の存在感(寂寥感)が付着しているように──、そ
れは言語における通常の像や、韻律⇒撰択⇒転換⇒喩とはせのぼる表現の段階を超えた、より高次の言語表現となるわけです。……(「哥とクオリア/
ペルソナと哥」第36章4節)
私は、パライメージの概念──それは、三浦雅士氏が『孤独の発明
または言語の政治学』や『スタジオジブリの想像力 地平線とは何か』において、捕食者・被捕食者間の(あるいは対面授乳や対面性交における)「他人の身に
なる」能力とともに、言語の誕生につながる条件として挙げた、直立二足歩行に起因する「俯瞰する眼」の獲得(地平線の発明)につながる──をめ
ぐって、吉本自身が示した「臨死体験」に加え、能役者(シテ=死者)による「離見の見」を──古東哲明氏が『〈在る〉ことの不思議』で論じた他界
観を参照しながら──もうひとつ別のモデルとして呈示しました。
……パライメージをめぐる二つの見方(臨死者モデルと能役者モデル)に共通する事態を、もし一言で表現するなら、私は「虚と実」の対語を選びた
いと思います。「ウラの世界」と「オモテの世界」、「彼岸」と「此岸」、「非現実(心眼位相のあの世)」と「現実(肉眼位相のこの世)」、あるい
は、「夢のイメージ(存在感と結びつかないイメージ、パラ位置からの「四人称」的なイメージ)」と「普通の場面でのイメージ」、等々、ヴァリエー
ションはいくつもあるでしょうが、いずれにせよ、それらの対立項が複素的に「熔接」されるとき、そこに、普遍イメージ論のもとでみられた言語芸術
(文学)における、現時点で最も高次の表現、すなわち(喩的表現を超えた)パライメージが塑型されている、というわけです。
二つのモデルのうちでは、「能役者モデル」の方が、見所すなわち観客と役者との入れ子型の精神の交流と、また、演者(死者)から観客(生者)へ
の視座の装填が組み入れられている点で、パライメージの概念がもつダイナミックで劇的な構造の力と可能性をうまくとらえているように思いました。
吉本隆明は『真贋』(2007年)で、小説家は自分を劇化することが大切だと語っています。「読者に「ああ、これは俺にしかわからないよ」と感
じさせるためには、自己が自己を劇化するという客観性を持つ必要があると思います。言い換えれば、自己を違うものに仕立てられるかどうかというこ
とです。」
ここで言われる「自己劇化」が、より高次の段階にある「自己表出」であるとすれば、「能役者モデル」あるいは「離見の見」のもとでとらえられた
パライメージの表現を介して、言語芸術(文学)はさらなる高みへとはせのぼっていくのだと言うことができるでしょう。私は、それを「虚なるもの」
の世界と名づけておきたいと思います。……(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第36章5節)
この「虚なるもの」の世界、すなわち喩と像の彼岸における、より高次のパライメージのことを、私は「象(しょう)」の名で呼んでいます。
【3】像/喩/象─パライメージをめぐって(承前)
韻律(場面)・撰択・転換・喩と、言語表現における美の階梯をはせのぼり、その尖点において、「指示表出と自己表出とのふしぎな縫目」を介して
喚び起こされる「像」──この像と喩が錯綜する尖点の彼岸(「虚なるもの」の世界)に立ち現われるのが、というより、その彼岸から俯瞰される究極
のイメージが「パライメージ」でした。
それは、もはや言語がつくりだすものではなくて、むしろ逆に、(カンブリア紀の視覚革命に淵源し、人類の直立二足歩行に起因する原初的・根源的
な)イメージそのものが言語を生み出し、そのイメージの表現として言語芸術が包摂されることになる、そうした普遍性をもったイメージにほかなりま
せん。「世界はあらかじめ夢見られている」というわけです。
そして私は、そのような高次のイメージを「象」と名づけ、「像」や「喩」との対比のもとでその特質について考察しました(「哥とクオリア/ペル
ソナと哥」第37章1節)。以下に、その“成果”の一端を(生硬なものですがそのまま)ペーストしておきます。
Ⅰ 像
生起のプロセスを経て、潜在空間が諸事物に分岐し、喩のメカニズムが稼働する場(現実界)が設営される。
喩のメカニズムは、言語発生以前のこの段階では、森羅万象の存在者の運動全般をつかさどるロゴスのごときもの(推論)である。
また、そこに生起する事物とは、太古のクオリアの宇宙(潜在空間)の残骸であり、物質・精神にあいわたる像すなわちイマージュである。
像と像は、空間的(同時的)あるいは時間的に連合し、喩的関係をきりむすび(想像界)、やがて感覚や感情(思ひ)の論理、神話の論理などと称さ
れる喩的体系が生成する。
(像と像が時間的に喩的関係をきりむすぶことの実例は、たとえばプルーストの「プチット・マドレーヌ体験」やパスカルのフィギュール論における聖
餐、吉本隆明の「喩としての聖書」を想えばよい。あるいは、神の三つのペルソナの一体性に関するひとつの解釈としての「X(父)⇒A(子)・
B(聖霊)」を。)
Ⅱ 喩
言語がいかにして像をうみだすかではなく、像がいかにして言語の発生(象徴界)をもたらすか。
精確には、諸像の空間的・時間的な関係を塑型するはたらきであり、かつ、その稼働を介して自らのあり様を示す喩のメカニズムがいかにして言語内
事象(論理、文法、喩法)となりゆくのか。
個体発生が系統発生を反復的に表現するように、(広義の)喩のメカニズムを通じて言語が発生し進化するプロセスが、たとえば「韻律(場面)⇒撰
択⇒転換⇒(狭義の)喩」といった言語表現の階梯のうちに、入れ子式に繰り返されているのかもしれない。
(それは、「個体化とは、一番最初にあったものが、生成の過程であたかも一番最後に現象するごとく語るしかない事態に見られるものだ」(山内志朗
著『天使の記号学』)と言われる「事態」、つまり因果律によって秩序づけられた象徴界の成立と同義だろう。)
Ⅲ 象
象徴界から現実界への移りゆきのさなか、「バルドゥ(中有)的」とでも形容すべき中間領域がひらかれる。言語(虚体)によって設営される「虚な
るもの」の世界。
そこでは、井筒豊子がいう「ながめ」(水平方向の視野)と「みわたし」(垂直方向の視野)の二つの視野が相互照応的に重層する。
虚と実、ウラとオモテ、彼岸と此岸、等々が複素的に熔接され、見るものと見られるものが入れ子型の関係を切りむすぶ。
そこから生起するのが、「いま・ここ」に立ち現われる「象(しょう)」である。「鳥と花とは互いに透明であり、互いに浸透し合い、融け合い」
(井筒俊彦『意識と本質』)云々と言われる、その「鳥」と「花」が象である。
虚なるものの世界に無数の象が立ち騒ぎ、「自然曼荼羅」の景観が生起する。夢のイメージとパライメージ(主体の存在感と結びついた)が熔接され
るところに。
──前後の文脈・論脈の説明を省略しているので、わかりにくいところが多々あるかと思います[*]。私自身は、これに加えて第四の類型のイメー
ジを想定していて、それには「肖」の語を当てたいと考えているのですが、このことに触れる前に、井筒俊彦のイマージュ論を一瞥しておかなければな
りません。
[*]最低限の註釈を加える。「生起のプロセス」と「喩のメカニズム」について。まず「生起」は後期ハイデガーの「エアアイグニス」もしくは華厳
教学にいう「性起(しょうき)」に通じる概念を指す。
中沢新一氏は『吉本隆明の経済学』において、『言語にとって美とはなにか』の議論を踏まえ、「潜在空間から現実世界へと向かおうとする言語の現
象性の本質」にかかわる「垂直的な過程」を「生起(エアアイグニス)」と捉え、この生起を通じて潜在空間から立ちあがってきた「意味の胚」(Aと
Bの双葉で表現される)を組織する働き、すなわち、たがいに似ている事物を「同じもの」としてまとめる能力のことを「喩」と呼んだ。
そして、生起と喩からなる「潜在空間(X)⇒現実界(AとB)」に関して、次のように語っている。
《現実界で分離されている諸事物[AとB]を結びつけるのは「因果性」である。この因果性を表現するのが、象徴界の記号連鎖である。ところが生起
の過程がつくりあげている想像界では、AとBはともに潜在空間Xではつながりあっていて、そのために喩のメカニズムはAとBを「同じもの」と見な
したのである。人間が想像界をとおして見た世界は現実界そのものではない。そこには歪みがある。その歪みを他の人間の認識との共同性によってより
現実界に近い像に「焼き戻す」ために、共同的な言語の場である象徴界が人間にはなくてはならないものとなる。
こうして想像界ではAとBとXがつくりなす「三位一体」の構造が、たえず心の動きに影響を与えることになる。事物A[原文では「a」]について
の認識には、潜在空間Xの力が及ぼされ、それはいわば地下の通底路を通じて、喩が「同じもの」と認めた事物Bの認識にも入り込んでいく。さらには
Bの認識がAについての認識にも還流してくる。こうして、Aについての認識は喩のメカニズムを介して膨らんでいき、増殖していくようになる。この
ときの意味の増殖を可能にしているのは、潜在空間からもたらされる(贈与される)力にほかならない。》(『吉本隆明の経済学』)
【4】像/喩/象(余録)─和歌三態の説
少し寄り道をします。
私は、古今集(905年)から新古今集(1205年)までの八代集を典型とする王朝和歌のスーパースター、貫之・俊成・定家の三歌匠の歌の世界
の特質を、それぞれ像・喩・象(虚象)の概念を使って表現したことがあります(和歌三態の説、「哥とクオリア/ペルソナと哥」第38~42章)。
以下に、その“縮約版”を再録します。
1.像─貫之の歌の世界
貫之における像。それは、古今集仮名序にいうところの「見るもの聞くもの」(花鳥風月)に「つけて」(託けて、あるいは憑けて)言いいだされた
当のもの、いいかえると「〈物〉という鏡」(尼ヶ崎彬『花鳥の使』)に映った鏡像、または「水に映るもの」(大岡信『紀貫之』)であり、さらに屏
風絵というスクリーンのうえに文字によって重ね描かれた「イメージそのもの」にほかならない。たとえば次の和歌。
さくら花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける
大岡信氏(『紀貫之』)の評言に、「ひたすら「像」を結ぶことを拒もうとしているかにみえる。風も水も空も波も、すべてが具体的であるよりは抽
象的であり、いわば意識の流れの一瞬ごとの仮象にすぎないという印象である。…この歌を想い起そうとしても語の正確な位置が定めがたい」云々とあ
る。
それは、「さくら花散りぬる」とまで出て、あとの「風」「水」「空」「波」が順不同に浮かびあがり、「風のなごり」だったのか、「空のなごり」
だったのか、「波なき空」だったか、「水なき空」だったかが定まらない、という経験を指しているのだが、そのような「順不同」の曖昧な関係性のう
ちに、「桜」「風」「水」「空」「波」の語が喚起する輪郭の定まらない、しかしそれ自体としては鮮烈な物質的感触をともなうイメージが、大岡氏の
意識の流れのうちに浮かびあがっていたことは確かだろう。
貫之における「像」は、物のあるがままの「かたち」に通じている。
江藤淳との対談(「「本居宣長」をめぐつて」)で、小林秀雄はベルクソンの「イマージュ」について、『物質と記憶』の序文に言及しながら次のよ
うに語っている。
「ところで、この「イマージュ」という言葉を「映像」と現代語に訳しても、どうもしっくりしないのだな。宣長も使っている「かたち」という古い言
葉の方が、余程しっくりとするのだな。
「古事記伝」になると、訳はもっと正確になります。性質情状と書いて、「アルカタチ」とかなを振ってある。「‘物’」に「性質情状[アルカタ
チ]」です。これが「イマージュ」の正訳です。…ベルグソンは、「イマージュ」という言葉で、主観的でもなければ、客観的でもない純粋直接な知覚
経験を考えていたのです。」
2.喩─俊成の歌の世界
俊成における喩。私が準拠しているのは、俊成にとって和歌はイメージではない、作者は言葉のもつ含み(非顕在的な価値体験の型)を複
合させることによって「姿」をつくるのだ、とする『花鳥の使』での尼ヶ崎彬氏の説(「文法的世界」15節参照)なのだが、ここでは、渡部泰明氏の
議論を引く。
俊成の「歌はたゞよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にもあはれにも聞ゆることのあるなるべし。もとより詠歌といひて、声につきてよくも
あしくも聞ゆるものなり」(古来風躰抄)という言葉をめぐって、渡部氏は「歌合の〈声〉──読み上げ、詠じもしたる」(阿部泰郎・錦仁編『聖なる
声 和歌にひそむ力』所収)において次のように述べている。
「…俊成のいう「声」は、現在性と歴史性とをつなぐ役割を果たしているのである。今どれほど評判を得ていても、それが今だけのものであれば、空し
い。逆にどれほど長く継続していても、今の人々の中に存在していなくては価値は乏しい。今集団の中で共有されているものが、由来古く続けられてき
たものであることによって、得難いものとして尊重される。俊成が「姿」という歌の文体で追求したものは、そのようなものであり、それをわかりやす
く示すのが「声」であった。」
夕されば野べの秋風身にしみて鶉なくなりふかくさの里
大岡信氏は『詩の日本語』で、「しみる」という感覚が、触覚の次元から精神的に深められてゆくのが中世詩歌の大きな特徴であり、その自覚的なあ
らわれが「夕されば」の歌だったのではないかと指摘している。
いわく、表層の肌ではなく身体の内奥に「しみる」感覚や、「身にしみて」の語の新しい意味合いに託されたものは、「広がり」においてではなく、
「深み」において歌の本質を見るという、俊成がみずから体現し、代表していた中世的価値転倒の意識であった。そしてそれは、つまり「深み」におい
てとらえられるものは、「幽玄」という理念にほかならなかった。
大岡氏はまた、俊成の時代にはまだ純触覚的だった「身にしむ」が、定家の時代に至ると内触覚的な認識にまで達すると述べている。それは、純粋言
語の世界に根ざす定家歌論において決定的に失われるもの、すわなち身体──精確には、(前景としての)身体と(後景としての)心との結合体である
「身」──が、像(イマージュ)をめぐる貫之と喩(フィギュール)をめぐる俊成の歌の世界が共によってたつ基盤であることを示唆している。
以下は、岡田暁生著『音楽の聴き方──聴く型と趣味を語る言葉』からの孫引き。
「音楽をあくまで音楽そのものとして捉え」た批評家ハンスリックは、たとえば「雪片の降り来るさまや鳥の羽ばたきや日の出のさま」を、「これら
の諸現象に力学的な意味で似たところのある聴覚印象」をもたらすことによって「音楽的に画く」ことができることを認めた。「音の高さや強さや早さ
やリズムを通じて耳に一つの「形[フィグール]」が与えられる。種々異なった種類の感覚の間を互に接触することのできる類推によってこの「形」の
印象が一定の視覚的な知覚をうるのである。」(『音楽美論』)
これを受けた岡田氏の言葉。
「ハンスリックはこれらの記述において、まさに彼が躍起になって否定しようとしていたこと(=音楽は何かを表現する)を、極めて雄弁に肯定してい
るように思える。つまり運動感覚を通して音楽は、ありとあらゆるものを極めて生々しく喚起するとも言えるのだ。」
ここでいわれる「運動感覚」こそ、「身」という舞台で発せられる「声」とそこで演じられる「舞」の形と姿と型の、それもとりわけ(視覚的なバイ
アスのかかった「イマージュ」の語にではなく)「フィギュール」という語におきかえられる「姿」の実質なのではないか。私はそう考えている。
3.象または虚象─定家の歌の世界
貫之の「像(イマージュ)=形」、俊成の「喩(フィギュール)=姿」に対応させて、定家の世界を表現する概念の組み合わせを示すとすれば、それ
は「象(パライメージ)=体(フィールド)」になるのではないか。そして、これを定家特有の「虚なるもの」としての言語世界に限定して表現すると
すれば、「イマジナル」×「象(パライメージ)=体」=「虚象(パンタスマ)=虚体」となるのではないか。
「イマジナル
imaginal」とはアンリ・コルバンが、「何もないところに幻想的な形象を生み出していく根拠のない想像力」と区別される「創造的想像力」の意味を込
めて造語した概念で、「虚なるもの」すなわち存在論的根拠をもつ内的実在(たとえば「元型」イマージュ群が織りなす領域)を指し示す。「虚象(パ
ンタスマ phantasma)」は、イマジナル・フィールド(M領域)を本来の住処とする「象」である(井筒俊彦『意識と本質』参照)。
駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ
私はこの歌を、次のような情景(言語空間のあり様)を描写した作品であると受けとめていた。
……白一色に塗りこめられた冬の原野。そこでは、「花」や「紅葉」や「うら」や「とまや」といった事物(現実の事物ではなく、和歌の世界におい
て伝統的にかたちづくられてきた「歌語の体系」から切り取られ配列された語がかたちづくるイメージ)が不在である。それだけではない。ここには
「動き」もまた不在である。
降りしきる雪に難渋する馬上の人。物陰に移動して馬をとめ、袖に降り積もった雪を払い、雪の小止みになるのを憂い顔で待つ。そうした時間の流れ
にそった心身の動静やしぐさの一切がここには“ない”。天から舞い落ちる「雪」もまた「歌語」一種であってみれば、そもそも「降りしきる雪」とい
う事物の運動そのものが“ない”。あるのはただ、白一色に塗りこめられた「佐野のわたり」の冬の情景だけである。
いや、歌枕の「佐野」は言うに及ばず、「わたり」や「冬」や「夕暮」もまた“ない”。秋の夕暮よりも、もっと何もない冬の夕暮の「かげ
(景)」。その「かげ(イメージ)」さえも、ここには“ない”。なにしろ「かげもなし」なのだから。
しかし、「何もない」と「かげもなし」とでは違う。ここには、少なくとも「見わたされる」対象(客体)との緊張関係をもって対立する「見わた
す」主体、すなわち「美的世界でのみ生きることを選択した歌人(美的実存)」(淺沼圭司『映ろひと戯れ──定家を読む』)の気配が、その存在の痕
跡が、「香、匂い、おもかげ、かげ、そして夢」(同)のごときものが立ち現われている。この希薄な存在感をもった「かげ(面影)」としての主体
は、「無色のもののなかに色を見る一種の(内触覚的で)透視的な(心の)眼」(大岡信『詩の日本語』)をもって、この作品の全幅を覆い、たちこめ
ているのである。
そして、この「かげ」の気配をいわば透明なスクリーンとして、その見えない平面のうえで、馬上の人という歌中の登場人物(もしくは異なる言語空
間、異なる和歌や物語からコラージュ=引用=本歌取りされた人物)や、馬をとめる、袖に積もった雪をうちはらうといった「動き」をともなったパン
タスマ群が、質料ゼロの雪片のように幾層にも重ね描かれてゆく。あたかも「有り得ない」回想シーンがオーバーラップするように……。
このような解釈は、一首の要となる「かげもなし」の「かげ」という語を広く視覚映像一般ととらえ、上の句を「駒とめて袖うちはらふ」人やその動
きをはじめ一切の映像が、ここ(佐野のわたり)には“ない”と読むことではじめて成立する。(実はこの読み方は間違っていて、「かげ」とは降りし
きる雪をさける「ものかげ」であると解するのが正しい。)
以下は、『新々百人一首』における丸谷才一の文章である。
《第五句「雪の夕ぐれ」が一首の眼目だといふことは断るまでもない話で、本歌の雨を雪に変へたのが本歌どりの藝の極致だとか、みんながあまり「雪
の夕ぐれ」を真似るので「制の詞」、つまり使つてはいけないことに決めたとか、室町のころの歌学書ではいろいろうるさいところだ。しかしわたしと
しては、そんなことよりも、この yukino-yu^gure の頭韻に注目したいし、yu^gure
のゆるやかな音調が茫漠たる空間のひろがりを暗示してゐる、それを第四句、第五句の四つの o
音がいつそう強めてゐる、と考へたい。制の詞となるくらゐ人々を魅惑したのは、かういふ音楽的な効果のゆゑであつた。が、しかしこの雪は唐突に出て来るの
ではない。まづ第四句のワタリのなかに含まれてゐるワタが、もちろん意識下においてではあるが綿を連想させ、その綿のイメージが、視野いつぱいに
ひろがる白い色彩のための準備をしてゐる。いや、もつと前までさかのぼることもできよう。すでに第三句にナシがあつて、これがまことに秘めやかに
ではあるが梨の花の白さを提示し、その方向でわれわれの無意識を刺戟してゐる。》(『新々百人一首』)
ここには、文学的推論の「藝の極致」を見ることができる。
言語的無意識の層における非イメージ的、非意味的な音の遊動。言語意識の潜在層における音とパンタスマの連動、連想と意味的な含みの造型。言語
的意識の顕在層における音とパンタスマと意味の相互引用的で修辞的な連結。これら三つの層にまたがる音韻のはたらき、その効果としてのパンタスマ
群。(神は「音なひ」によって「音づれ」る、音こそ、霊なるもの=パンタスマの「訪れ」であった。)
アンドレ・バザンが「映画言語の進化」(『映画とは何か(上)』)に、「音声は映画の「旧約聖書」を破壊しにやってきたのではなく、それを完成
しにやってきた」と書いている。屏風歌の世界から詠歌や連歌を経て能の詞章の世界へといたる、(サイレント映画からトーキーへの移行にも匹敵す
る)“技術”的変化を通じて、和歌は「完成」されていった。
【5】マラルメとリルケ、芭蕉と王朝歌人─井筒俊彦のイマージュ論(1)
井筒俊彦の『意識と本質──精神的東洋を索めて』において、二つのリアリティ──ユニークな個物の独自性を保持する異次元のリアリティ=「フ
ウィーヤ」=「レアリテート」と、抽象的概念ではなく濃密な存在度をもったリアリティ=「マーヒーヤ」=「ヴィルクリッヒカイト」──を、存在の
深層において体現する二人の詩人が登場します。マラルメとリルケ。井筒俊彦はそこに芭蕉と王朝歌人をからませて論じているのです。
以下、『意識と本質』のなかでもっともスリリングな(と私には思われる)論述の概要を記します(「哥とクオリア
/ペルソナと哥」第52章2節)。
◎マラルメは、「マーヒーヤをそのイデア的純粋性においてのみ直観しようとする詩人」であった。「この形而上的錬金術をなしとげる詩人(コトバの
芸術家)マラルメの言語は、もはや日常の、人々が伝達[コミュニカシオン]に使用する言語(langage)ではなくて、事物を経験的存在の次元
で殺害して永遠の現実性の次元に移し、そこでその物の「本質」を実在的に呼び出す「絶対言語」(le Verbe)なのである。」
◎一方、「即物的直視」を事とする詩人リルケは、「マーヒーヤ」を概念的虚構として退け、表層的意識(「……の意識」)ではなく意識の深部に存在
者の実在的リアリティを、すなわち「フウィーヤ」を探ろうとした。「コトバの意味分節の力の及ばぬ「意識のピラミッド」の深層領域に開示されるも
ののフウィーヤを、詩人はあらためて言語化しなければならない。言いかえれば、フウィーヤを非分節的に分節し出さなければならない。(略)深層体
験を表層言語によって表現するというこの悩みは、表層言語を内的に変質させることによってしか解消されない。ここに異様な実存的緊張に充ちた詩的
言語、一種の高次言語が誕生する。」
◎もう一人の「即物的直視」の詩人芭蕉は、フウィーヤ追求の情熱のはげしさにおいて、いささかもリルケに劣らなかった。ただ一方で、「松の事は松
に習へ、竹の事は竹に習へ」(服部土芳「赤冊子」)と教えた芭蕉は、事物の普遍的本質(マーヒーヤ)の実在を信じる人であった。芭蕉はそれを、連
歌的伝統の術語を使って「本情」と呼んだ。「花は花、月は月という『古今』的本質のように、事物の感覚的表層にあらわに見える普遍者」ではなく、
事物の「存在深層」に隠れひそむ本情。「しかし、この永遠不変の「本質」が、芭蕉的実存体験においては、突然、瞬間的に、生々しい感覚性に変成し
て現われるのだ。」
◎普遍的本質を普遍的実在のままではなく、個物の個的実在性として直観すること。すなわち、「不変不動のマーヒーヤの形而上的実在性を認めなが
ら、それをそのまま存在の深層次元に探ろうとするかわりに、それが感性的表層に生起してフウィーヤに変成する、まさにその瞬間にそれを捉え、そう
することによって存在の真相をマーヒーヤ、フウィーヤの力動的な転換点に直観しようとする芭蕉」にとって、俳句とは、本質の「次元転換」の瞬間
を、すなわち、「人と‘もの’との、ただ一回かぎりの、緊迫した実存的邂逅の場[フィールド]」のなかで、マーヒーヤ(本情)がフウィーヤ(生々
しい感覚性)に転換・転成・変貌する瞬間を間髪を容れず詩的言語に結晶する「瞬間のポエジー」にほかならなかった。「物の見えたる光、いまだ心に
消えざる中[うち]にいひとむべし」(「赤冊子」)。
◎本居宣長が「概念的普遍者を遠ざけて、ひたすら感動の深さのみによって「物の心」を追求しよう」としたのは、リルケのそれと類型的には同種の本
質を探究しようとするものだった。ただ、そこには例外があった。ここでいう例外とは、フウィーヤでなくマーヒーヤを言語化するもうひとつの高次言
語、詩的言語のことだ。
《宣長の関心のあった詩的言語といえば、勿論、和歌の言語である。和歌のコトバ、それも一種の高次言語には違いないけれど、それはマーヒーヤの顕
在的認知に基くコトバである。少くとも『古今集』において古典的完成に達したものを和歌の典型的形態として考えるなら。『古今』的和歌の世界は、
一切の事物、事象が、それぞれその普遍的「本質」において定着された世界だ。春は春、花は花、恋は恋、というふうに自然界のあらゆる事物、事象か
ら人事百般まで、存在界がくまなく普遍「本質」的に規定され、その上でそれらのものの間に「本質」的聯関の網目構造が立てられる。もし現実の経験
で、何かが自らの普遍的「本質」に背くような形で生起したり、またはそれの本来的に所属する「本質」聯関から外れたりすれば、その意外性自体が一
つ詩的価値を帯びるほどの強力な規定性で、それはある。》(『意識と本質』(岩波文庫)53-54頁)
マラルメとリルケ、芭蕉と王朝歌人をめぐる井筒俊彦の議論は、実に興味深く、長い射程をもった洞察をふくむものだと思います。
マラルメとリルケは、井筒俊彦によって、主体客体の「認識的二極分裂以前の根源的存在次元」と定義される「存在深層」において、「マーヒーヤ」
もしくは「フウィーヤ」を探究し、そして、それぞれの言語(絶対言語もしくは高次言語=詩的言語)をもって、それぞれの「本質」を(実在的喚起も
しくは非分節的分節のかたちで)表現した。
これに対して、芭蕉と王朝歌人は、ともに「マーヒーヤ」を(存在深層において形而上的に実在するものであるか(芭蕉の場合)、存在表層において
感覚的に顕現したものであるか(王朝歌人の場合)は別として)探究し、これを、もうひとつの「高次言語」において(深層のマーヒーヤから表層のフ
ウィーヤへの次元転換の瞬間を結晶させるポエジーとして(芭蕉)、あるいはマーヒーヤの顕在的認知に基くコトバによって(王朝歌人))表現した。
ただ、王朝歌人には前期、後期ともいうべき区別があって、普遍的「本質」世界の抽象性を(否定するのではなく)いわば「解毒」するために、それぞ
れに特有の詩的意識の構えをもってのぞんだ。
以下、先に引用した箇所につづく、井筒俊彦の文章を引きます。
《あまりに明確な輪郭線で区切られた「本質」的事物の、ぎっしり隙間なく充満するこういうマンダラ的存在風景に飽き足らぬ詩人たちは、王朝文化の
雅びの生活感情的基底であった「ながめ暮す心」を、普遍的「本質」消去の手段として、一つの特殊な詩的意識のあり方にまで次第に昇華させた。平安
朝における「眺め」とは、折口信夫によれば、春の長雨期の男女間のもの忌につながる淡い性欲的気分でのもの思いだという。たしかに例の『伊勢物
語』の「起きもせず寝もせで夜をあかしては春の物とてながめ暮らしつ」や、『古今集』小野小町の「花の色はうつりにけりないたづらに我身よにふる
ながめせしまに」などの「眺め」には「性的にぼんやりしている」気分という意味が揺曳していることはいなめない。だが、『新古今』的幽玄追求の雰
囲気のさなかで完全に展開しきった形においては、「眺め」の意識とは、むしろ事物の「本質」的規定性を朦朧化して、そこに現成する茫漠たる情趣空
間のなかに存在の深みを感得しようとする意識主体的態度ではなかったろうか。「本質」の実在を否定するわけではない。「本質」はいつでもそこにあ
る。現に、目前にある具体的、感覚的事物を、それとして認知したとたんに、普遍的「本質」は見えてしまう。ただ、このような「本質」を対象とする
「……の意識」の対象志向性の尖端をできるだけぼかし、そうすることによって「本質」の本来的機能である存在規定性を極度に弱めようとするのだ。
「ながめれば我が心さへはてもなく、行くへも知らぬ月の影かな」「帰る雁過ぎぬる空に雲消えていかに詠めん春の行くかた」(式子内親王)。月は
照り、雲は流れ、飛ぶ雁が視界をかすめる。だが、この詩人の意識はそれらの事物に鋭く焦点を合わせていない。それらは遠い彼方に、限りなく遠いと
ころにながめられている。この「眺め」の焦点をぼかした視線の先で、事物はその「本質」的限定を越える。そこに詩的情緒の纏綿があり、存在深層の
問題がある。「眺め」は一種独特な存在体験、世界にたいする意識の一種独特な関わりである。古典的日本文化の一つの顕著な特徴をなすこの「眺め」
意識と、それの内包する形而上学的可能性については、まだ言うべきことが多々あるが、詳しく論じていては本論の主題から逸脱してしまう。ここでは
ただ、「眺め」意識が事物のマーヒーヤを否定するものでないことだけを再確認するにとどめておこう。マーヒーヤの実在を肯定するからこそ、それを
あえておぼめかそうとする態度が出てくるのだ。》(同54-55頁)
一種独特な存在体験としての「眺め」を通じて、存在の深みにおいて開示されるもの、それが、像・喩・象、そして肖を含む最広義のイメージにほか
なりません。(それにしても井筒俊彦の濃密に凝縮された文章は、それ自体が高次詩的言語の一つのあり方を示している。)
【6】元型イマージュと想像的イマージュ─井筒俊彦のイマージュ論(2)
前回の井筒俊彦の議論を、私なりのイメージ論に引き寄せて図示してみました。
actus 【像】
┃ ┃
【肖】┃ 【像】 王朝歌人┃ 芭 蕉
imago ━━━━╋━━━━ res 【肖】━━━━╋━━━━【喩】
【象】┃ 【喩】 マラルメ┃ リルケ
┃ ┃
virtus 【象】
左図は、「像/喩/象/肖」という──まだきちんと紹介していない類型を含む、広義の──四つのイメージを、かの“伝導体”類似の座標のうちに
落とし込んだもの。この座標軸を左方向に45度回転して得られるのが右図で、そこに、井筒俊彦が比較対照しながら論じた西洋詩人・俳人・歌人をそ
れぞれ(強引に)位置づけてみました。
ところで、いまはまだ井筒俊彦のイマージュ論を取りあげるべき局面であって、ここは私のイメージ論を論じる場ではなかった。
井筒俊彦が『意識と本質』で展開したイマージュ論は、次のような、「本稿の主題」が明かされる重要な文章とともに開始されます。
《意識の機構における心象[イマージュ]の重要性は、心理学によってつとに確立された事実であって、ここに縷説を必要としない。イマージュ形成こ
そ、人間意識の、他の何物によっても説明できない、最も本源的な機能であると言われている。(略)イマージュ形成のプロセスを離れて人間意識はあ
り得ない。いわゆる意識の流れとは、要するに起滅する無数のイマージュの断続的連鎖である。この機能は我々が眠っている間も強力に働き続けて、夢
と呼ばれるイマージュを生んでいる。
しかもイマージュ産出機能は、意識のある特定の領域に限定された働きではない。簡単に言えば、深層意識だけがイマージュの場所なのではなくて、
表層意識もまたそれなりにイマージュの場所である。ただ、意識表層と意識深層とでは、イマージュの性格も、その働きも根本的に違うだけだ。それが
どう違うかというところから、本稿の主題に入る。
本稿の主題は、さきに説明したところに従って、「本質」実在論の第二の型、すなわち元型的「本質」論の立場。元型的「本質」論とは、ある種の人
間の意識深層に生起する「元型[アーキタイプ]」イマージュの形象性のうちに、事物の「本質」の象徴的顕現を見ようとする立場である。》(『意識
と本質』(岩波文庫)182頁)
井筒はこのように述べたあと、シャーマニズムにおける「想像的(imaginal)イマージュ」体験や易経における「象」、元型としての「八
卦」等々に言及したうえで、イマージュの生成と生長の場所をめぐる意識の構造モデル「C領域(無意識)/B領域(言語アラヤ識)/M領域(中間地
帯)/A領域(表層意識)」の議論へと進んでいきます。以下、その要点を記します(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第71章4節参照)。
1.「元型」【C領域→B領域】
・「元型または範型」(archetype)は事物事態の存在根源的「本質」である。(それはゲーテの「根源現象」(Urphaenomen)に
結び付く。)
・ユングによれば「元型」は具体的形をもたず、未決定・未限定・不可視・不可触。集団的無意識または文化的無意識の深みにひそむ、一定の方向性を
もった深層意識的潜在エネルギーである。
「絶対無分節者の存在エネルギーは、言語アラヤ識(「文化的無意識」)の次元で第一次的に分節されていろいろな意味分節体となり、その中のあるも
のは「元型」として強力に自己を主張する。そして「元型」は次の段階で形象化して「元型」イマージュとなる。それらの「元型」イマージュは諸多の
「想像的」イマージュとともに、一種独特の深層意識的イマージュ空間[M領域]を現出する。」(247-248頁)
2.「元型」イマージュ【B領域→M領域】
・「元型」は言語アラヤ識(B領域)から生起し、人間の深層意識(「想像的」イマージュの空間:M領域)において「元型」イマージュ(例:易経の
「象」)として事物事態の「本質」を開示=形象化=呈示する。
・「元型」イマージュは経験的現実の世界に直結する表層意識(A領域)まで上がっていかず、M領域で止まってしまう。このM領域こそ「元型」イ
マージュの本当の住処である。
「言語アラヤ識(深層意識のB領域)で形成される意味分節体に、即物的なものと非即物的(脱即物的)なものとの二種の別がある…。経験的事実性の
裏打ちのある即物的意味分節体の大多数は、即物的イマージュを生み、そのままM領域を素通りして表層意識に現われ、そこで事物を「本質」的に認知
させる
これに反して、経験的事実性を欠く純粋に非即物的な意味分節体の方は、非即物的イマージュとなって意識のM領域に出現し、一種独特の「想像的
[イマジナル]」空間をそこに作る。非即物的イマージュが、さらに進んで表層意識面まで出てくる場合もあるが、…M領域こそこの種のイマージュ本
来の住処[すみか]である。また逆に、即物的イマージュがM領域に入って、そこで「想像的」イマージュに変質する場合もある。」(244頁)
3.「元型」イマージュと「想像的」イマージュとのアマルガム【M領域】
・「元型」イマージュは二つの顕著な特徴もつ。すなわち、①説話的自己展開性あるいは「神話形成的」発展性、②一定の法則性をもって結合し、整然
たる秩序体をなすという構造化の傾向。
「先ず、第一の説話的自己展開性について、意識のM領域に現成した「元型」イマージュは、通常、著しい展開性を示す。「元型」イマージュだけでは
ない、すべての「想像的」イマージュの、それは、本性的傾向だ。本性的に安定していて、ともすれば凝固しがちな普通の、表層意識的イマージュとは
反対に、「想像的」イマージュは、機会さえあればすぐ説話的に展開しようとする。展開してお伽噺となり、伝説となり、神話となる。「元型」イマー
ジュを中心として、そのまわりに他の「想像的」イマージュが結集し、自然にそこに物語が形成されていく。多くの場合、それは「聖なる」物語、象徴
的物語。まさしく神話学者のいわゆる mythopoesis
だ。易の第一卦、「乾為天」の竜のイマージュは、この種の「聖なる」物語の形成プロセスを萌芽的な形で──従って、最も原初的かつ最も簡略な形で──我々
に呈示する。」(248-249頁)
「ここで、「元型」イマージュの第二の特徴というのは、それの構造性のことである。無論、第一の特徴である物語性にしても、ある意味では構造的と
言えないこともないけれど、それは物語という形の本性上、浮動的であって安定性を欠く。物語として進展する「元型」イマージュは常に動いており、
それをめぐる[「想像的」]イマージュ群の相互関係も、それにつれて不断に変化する。
ところが「元型」イマージュは、このように動き、変化して物語り進展するかわりに、全部が安定した一挙展開的構造体として現成するという、まっ
たく別の側面がある。「元型」イマージュの構造性と、本論で私はそれを呼ぶ。意識のM領域を満たすすべての「元型」イマージュと、それに伴う副次
的イマージュが、整然たる秩序にずらっと並んで、一つの全体構造をなし、全体構造として機能する。真言密教のマンダラやカッバーラーの「セフィー
ロート」構造体などのことを私は考えているのだ。」(251-252頁)
4.「想像的」イマージュ【A領域→M領域】
・「想像的(imaginal)」イマージュとは、たとえば神憑りしトランス状態にあるシャマンの意識の深層から屡々湧出してくる異次元のイマー
ジュである。
・日常的意識から離れつつ「自己神化」の過程にあるシャマンの目に眺められた事物は、経験的世界(A領域)の事実性を離れて、異次元のイマージュ
空間(M領域)に移される。そして純然たるシャマンの意識において、すべてのものが始めから「想像的」イマージュとなる。空海の金胎両部マンダラ
はそうした「想像的」イマージュ空間(M領域)の構造的呈示である。
【7】シャーマンが視る/聴くコトバ─井筒俊彦のイマージュ論(3)
私は、井筒俊彦はシャーマンのような人だと思っている。
シャーマンなのだから、何を語るかではなく、何を視て、何を聴いて、何をいかなる声や文字、面差しや身振り、道具立てで伝導するかが肝心なの
だ。
そして、井筒俊彦の「イマージュ」とは、そのような「コトバ」、すなわち声であり文字であり、面差しや身振りであり、そしてコトバが喚起する
“もの”の姿である。
そのようなシャーマン・井筒俊彦の“コトバ”を、話し言葉と書き言葉の両面から味わいたい。
※
今道友信との対談「東西の哲学」のなかで、井筒俊彦は、ペルシアの神秘哲学者スフラワルディーの天使論をめぐって、次のように語っています。
(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第71章1節参照)
《…年とると、さっきお話ししたように東洋、西洋のバランス、四十年も保ってきたバランスが崩れて、東洋向きになってしまった。もう西洋のほうは
あまり関心がなくて東洋ばかりおもしろくなってきたということも一つですけれども、それと同時に、研究するよりも自分で何かつくりたいといいます
かね、クリエーティヴにやってみたい気がする。比較して研究してみてもしょうがないんで、そこから新しいものを自分のために生み出さなきゃだめだ
というような傾向になってきているんです。そのためにあのころ[英文でイスラーム思想研究を執筆していた頃(1960年代)──引用者註]とはい
ま[『意識と本質』執筆の頃]の立場がちょっとちがっているんです。あのころはやっぱり客観的に研究してみたい、そういう意味でね。いまではそう
いう比較を自分自身の意識内部で実践することによって、そこの二つの文化の接触というか、インターペネトレーション[華厳経に言う理事無碍・事事
無碍の「無碍」の英語訳(interpenetration)]のところから自分にとって何が出てくるか、それを探求してみたいと思っているんで
す。それに気がついたのは、やはりスフラワルディーを読んでいた時なんです。スフラワルディーの天使論、あれは非常におもしろかった。研究じゃな
くて創造的思惟の自由な展開の一つの生きた実例として。ぼくはあんまり形象的な人間、イマージュ的な人間じゃないんですけれどもね、あれには非常
に打たれたんです。どういうのかというと、プラトーン的なイデアを彼は完全に天使として形象化しているんですね。彼はプラトーンのイデアとちゃん
と明言していますから、プラトーンのイデアを意識していたことは明らかなんです。ところが、それがゾロアスター教的な雰囲気の中では、天使の形象
になっちゃうんですね、全部ズラッと。詳しくいってもしょうがないんですけれども、タテの天使[ゾロアスター的な天使形象]の系列とヨコの天使の
系列がありましてね、ヨコの系列の天使というのはプラトーン的イデアなんです。だからプラトーンのイデアというものを彼が考えると、とたんに天使
のイマージュになってしまう。そしてそれが彼の哲学を根本的に規定する思惟の原動力になる。そういうことが非常におもしろいと思ったんです。つま
りプラトーンのイデアが客観的にどういうものであるにせよ、それがやはり文化伝統というか、哲学伝統というか、思想伝統の力だと思うんです。そう
いうふうに変わってくるもんだと思うんです。(略)近ごろ密教がはやってきたでしょう。そうすると曼陀羅なんか、あれは仏様であって天使じゃない
けれども、やはり整然たる数百の仏陀、仏様の姿が出てくるんですね。それはもう実によく似ているんです。まんなかにあるのは大日如来でしょう。つ
まりマハーヴァイローチャナ…、偉大なる光の仏陀ですね。「光の光」ですね、スフラワルディーがいう。スフラワルディーの方だと、その形而上的光
線から四方八方に存在的な光が発出してきて、それが出るとたちまち天使という形でイマージュ化されてくる。それがアンリ・コルバンのいっている
mundus imaginalis 的な意識のあり方ですね。》(『井筒俊彦全集 第五巻 存在顕現の形而上学』28-30頁)
今道友信が「私はプラトーンのイデアをそういうふうに形象化してしまうことは、理性の段階をイマジネーションの段階に落すようで、…思索の堕
落…のように思われてならない」と応答したのを踏まえて。
《…彼[スフラワルディー]のいっていることをよく読んでみると、本当の形象体験なんですよ。なまなましい体験ですね、ヴィジョンとしては。いま
思索の堕落ということをおっしゃいましたけれど、ぼくは理念の形象化、理念の受肉というものを堕落とは考えたくないんです。ギリシャ哲学の専門家
が研究上の成果としてイデアを天使にしてしまったらそれこそこっけいなことでしょうが、創造的思索の原点として天使化するというのなら、それでい
いんじゃないかと思います。そうでなければ研究になってしまうんじゃないでしょうか。どんな形にせよイデアを天使として形象化したからこそスフラ
ワルディーの光の哲学が生まれたんだと思います。根源的ヴィジョンがなくては創造的思索はできないというのがぼくの信念なんです……。》(同
31-32頁)
《…スフラワルディー的なやり方が非常におもしろいと思ったのは、プラトーンのイデア論というものを理性化された形で、理性の把握した形でそのま
ま受け入れないで、本当に自分の実存の渦巻きのなかに投げ込んで、そこで何が出てくるかまず見ようとする。そうするとイマジネーションといって
も、ゾロアスター的イマジネーションですから、天使にならざるをえないんです。光の天使ですね。その光の天使たちの構造を眺めているうちに、そこ
からこんどは酔いがさめてくると、目覚めた意識において新しい理性的な思惟活動が出てくる。結局ペルシャの思想は根源的ヴィジョンから創造的思索
への展開の結果、それの続きといいますか、まったく理性的ですけれども、それがみんなそういう根源的ヴィジョンから出ているんです。だから一ぺん
ヴィジョン化するということは、哲学的にとてもおもしろいんじゃないかと思うんですね。》(同32-33頁)
※
井筒俊彦は「意味分節理論と空海──真言密教の言語哲学的可能性を探る」において、「存在はコトバである」という根源命題を提示しています
(『意味の深みへ──東洋哲学の水位』)269頁)。以下に引くのは、空海の『声字実相義』とイスラームの文字神秘主義について述べられた文章で
す。(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第76章4節参照)
1.真言密教の言語哲学─『声字実相義』
《無限にひろがった宇宙空間、虚空、を貫いて、色もなく音もない風が吹き渡る。天籟。この天の風が、しかし、ひとたび地上の深い森に吹きつける
と、木々はたちまちざわめき立ち、いたるところに「声」が起こる。
この太古の森のなかには、幹の太さ百抱えもある大木があり、その幹や枝には形を異にする無数の穴があって、そこに風が当ると、すべての穴がそれ
ぞれ違う音を出す。岩を噛[か]む激流の音、浅瀬のせせらぎ、空にとどろく雷鳴、飛ぶ矢の音、泣きわめく声、怒りの声、悲しみの声、喜びの声。穴
の大きさと形によって、発する音は様々だが、それらすべての音が、みな、それ自体ではまったく音のない天の風によって呼び起こされたものである、
という。
『荘子』全篇のなかでも、その文学性の高さにおいて屈指の一節、これを読んで、空海の著作中のいくつかの個所を憶い出すのは、私だけではないだ
ろう。》(『意味の深みへ』(岩波文庫)290頁)
井筒はここで『声字実相義』の「内外の風気、わずかに発すれば、必ず響くを名づけて声というなり」を挙げ、つづけて「五大にみな響あり、十界に
言語を具す」を引いている。
《地・水・火・風・空の五大、五つの根源的存在構成要素は、普通は純粋に物質世界を作りなす物質的原資と考えられているのであるが、それが、実
は、それぞれ独自の響を発し、声を出しているのだ、という。すなわち、空海によれば、すべてが大日如来のコトバなのであって、仏の世界から地獄の
どん底まで、十界、あらゆる存在世界はコトバを語っている、ということになる。》(同290-291頁)
2.ファズル・ッ・ラーの文字神秘主義的世界像
《ファズル・ッ・ラーによれば、力動的に働いてやまぬ四元素が触れ合い、ぶつかり合うとき、その衝撃で響を発する。響は、すなわち、四元素の
「声」であるという。四元素が、動いても互いにぶつかり合わなければ、「声」は発出しない。と、いうことは、ただ「声」が実際に我々の耳には聞こ
えないということにすぎないのであって、実は元素間に衝突が起こらなくとも、「声」はいつでも現に起こっている。この万物の響、万物の「声」こ
そ、ほかならぬ神のコトバなのである、と。(略)この「声」の究極的源泉を、空海のように大日如来と呼んでも、ファズル・ッ・ラーのように神
[アッラー]と呼んでも、もうここまで来れば、まったく同じことだ。とにかく、ファズル・ッ・ラーにとっては、‘いわゆる’物質は、実はすべて神
の声であり、神のコトバなのである。》(同295-296頁)
この不可視、不可触の、人間にとっては無にひとしい神(宇宙的存在エネルギー)は、その──①無記無相のコトバ→②無意味の根源アルファベット
→③有意味的な文字結合(万物の「声」=「名」=「字」)へと段階的に進む──「自己顕現の位層」において、その本体であるコトバ性を露呈する
(同297頁)。
《神が、わずかに、自己顕現的に動くとき、そこにコトバが現われる。但し、コトバとはいっても、神の自己顕現のこの初段階では、我々が知っている
ような普通のコトバではない。一種の根源言語、つまりまだなんの限定も受けていない、まったく無記的なコトバ、無相のコトバ。それが、次の第二段
で、はじめてアラビア文字、三十二個のアルファベットに分岐する。(アラビア語本来のアルファベットは二十八文字だが、ペルシャ語に入ると四文字
加わって、三十二文字となるのである。)もっとも、そのアラビア文字も、この段階では、まだ純粋に神的事態であり、神の内部に現われる根源文字な
のであって、人間はこれを目で見ることはできないし、その字音は人間の耳には聞えない。人間の耳に聞えないままに、このアルファベットは全宇宙に
遍満し、あらゆる存在者の存在の第一現類として機能する。
ところで、この宇宙的根源アルファベットは、それ自体では、まだなんの意味も表わさない、つまり、無意味である。無意味であるということは、具
体的存在性のレベルには達していないということだ。有意味的なもののみが存在であり得るのだから。コトバが有意味的であるためには、なんらかの
‘もの’の名でなくてはならない。「声発[おこ]って虚[むな]しからず、必ず物の名を表わすを号して字というなり」という空海の言葉が憶い合わ
される。
そのようなことが起こるのは、根源的アルファベットの段階ではなくて、次の段階、すなわち、アルファベットの組合せの段階である。(略)…この
段階で、文字はいろいろに組み合わされ、結合して語(あるいは名)となり、それによって意味が現われ、意味は、それぞれ己れに応じた‘もの’の姿
を、存在的に喚起する…。(略)根源アルファベットの段階では、未分の流動的存在エネルギーであったものが、文字結合の段階では、その流れのとこ
ろどころに特にエネルギーの集中する個所が出来て、仮の結節を作る。その結節の一つ一つが‘もの’として現象する、というのだ。
こうしてファズル・ッ・ラーの文字神秘主義的世界像においては、すべては文字であり、文字の組合せである。この広い世界、隅から隅まで、どこを
見ても、人はただアラビア文字アルファベットの様々な組合せを見る。それ以外には何もない。存在世界は一つの巨大な神的エクリチュールの拡がりな
のである。》(同297-299頁)
【8】イメージの四分類(備忘録)
吉本隆明の普遍イメージ論と井筒俊彦のイマージュ論を概観しながら、私自身のイメージの分類学が、徐々にかたちづくられていきました。以下に、
その“現況”を示しておきたいと思います(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第58章5節、第71章4節参照)。
初登場の語彙や概念の背後には、それなりの資料蒐集と実地の調査と思索の積み重ねがあるし、あったはずなのですが、それらを逐一整理・体系化
し、また記憶の奥底からサルベージするだけの気力と余裕がないので、立ち入った説明は(思い切って?)割愛し、個人的備忘録として記録するにとど
めます[*]。
Ⅰ 像
・A領域(表層意識)に現象する狭義の「像」
・「オリジナル」(実物)に対する「コピー」(写し)の関係にある像
・「インデックス」としての像
Ⅱ 喩
・M領域(A領域とB領域の中間地帯)に稼働する広義の「像」
・「喩」的関係にある広義の「象」(形象化された反復もしくは模倣)
・「イコン」すなわち「オリジナル」が受肉した「コピー」
Ⅲ 象
・B領域(言語アラヤ識)に生起する最広義の「像」
・「体」(生きたるもの)のはたらきとして立ち上がる狭義の「象」
・「シンボル」すなわち「コピー」なき「オリジナル」としての原型もしくは母型=元型
Ⅳ 肖
・C領域(無意識)に棲息する最狭義の「象」
・「オリジナル」なき「コピー」もしくは「オリジナル」が自動転写された「コピー」
・「マスク」(ペルソナ)としての肖
──私自身の“思考の癖”あるいは“発想の型”として、ここまでくるとどうしても第五の類型というか形態を考案したくなります。
候補としては、たとえば「かげ」「面影」「顔」、西洋語では「アケイロポイエートス」(聖骸布のような人の手によらない聖像)や「ホモイオーシ
ス」(「神の像」=エイコーンに対する「神の肖」)などが考えられますが、いずれも「肖」──もしくは、前節の図において(ラテン語で統一するた
め無理を承知で)用いた‘imago’──が濃厚に含むペルソナ的成分と重複します。
現時点で最もしっくりくる有力候補は、ベンヤミン由来の「アウラ」です。以下は、「哥とクオリア/ペルソナと哥」第59章2節からの切抜。
……ベンヤミンは、「…夢の中では[私と私に見えている事物とのあいだに]等式が存在する。私が目にしている事物は、私がそれを見ているのと同
じように、私を見ているのだ。」というヴァレリーの文章を引き、このような「夢における知覚」を「アウラ的知覚」と名づけた(「ボードレールにお
けるいくつかのモティーフについて」)。
夢(映画)のなかでは、事物を見つめる観客としての「私」と、この「私」を見つめ返す事物──「観客=共視者」としての「私」=「他者」もしく
は集団的なエス──とのあいだに「等式」が存在し、そこには「アウラ的知覚」が成り立っている。
《無意志的記憶[メモワール・アンヴォロンテール]から浮かび上がるイメージの特徴がアウラをもっていることであるとすれば、写真は〈アウラの凋
落〉という現象に決定的に関与している。銀板写真において、非人間的、いわば殺人的な点と感じられざるをえなかったのは、器械を(しかも長いあい
だ)見つめることであった。なぜなら器械は人間の像を写し取り、しかもその人にまなざしを送り返すことがないからである。だがまなざしには、自分
が見つめるものから見つめ返されたいという期待が内在するのである。この期待(それは、言葉の普通の意味でのまなざしに同様、思考の領域での注意
力という志向的まなざしにも付随していることがある)がみたされるとき、まなざしには充実したアウラの経験が与えられる。「知覚能力とは注意力」
であるとノヴァーリスは断じている。彼がそのように述べている知覚能力とは、アウラを知覚する能力にほかならない。したがってアウラの経験は、人
間社会によく見られる反応形式が、無生物ないし自然と人間との関係に転移されることに基づいている。見つめられている者、あるいは見つめられてい
ると思っている者は、まなざしを打ちひらく。ある現象のアウラを経験するとは、この現象にまなざしを打ちひらく能力を付与することである。》
(「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」、『ベンヤミン・コレクション1』470頁)……
[*]本文では割愛した話題──森田團著『ベンヤミン──媒質の哲学』の「根源的産出」をめぐる議論に触発されて書いたもの(「哥とクオリア/ペ
ルソナと哥」第70章2節参照)。以下、一切の説明抜きでペーストしておく。(「身分け」(身体的分節化)は市川浩オリジナルの概念。これを拡張
して丸山圭三郎が「言分け」(言語的分節化)の概念を提唱した。)
M(a,b)⇒AmB
※M:根源的媒質(絶対的媒介)
m:媒介
⇒:根源的産出(根源的媒質が消去され、A・Bの二項が自立する出来事)
A:自然、感覚、直観、対象、個別、…
B:人間・精神・歴史、思考、悟性、概念、普遍、…
【第一層】
・「身分け」以前の「太古」の世界
・「原ミメーシス」を可能にしつつその彼岸に位置する起源の出来事
=イメージ経験の根底にある「非感性(=原感性)的類似性」の世界
【第二層】
・「身分け」後かつ「言分け」前の「模倣する身体」(反響的動作)の世界
・「原ミメーシス」のはたらきによるイメージ(やオノマトペ)の産出(根源的産出1)
=イメージを文字と見立て、意味との一回的な出会いを読む「魔術的な読み」の世界
【第三層】
・「言分け」後の記号としての言語(アルファベット)の世界
・「模倣する身体」によるイメージから言語への変転(根源的産出2)
=意味が堅固につなぎとめられた文字を読む「世俗的な読み」の世界
【第四層】
・「言分け」後かつ「身分け」前の「意味」の世界
・第一層から第二層への変転(根源的産出1)を鏡像反転的に反復して導出される世界
=「未来への想起」としての読むことのうちに「名」が贈与として与えらえれる瞬間
──本文との関係において、私は、「肖」と「象」のあいだに【第一層】を、「象」と「喩」の間に【第二層】を、「喩」と「像」の間に【第三層】
を、そして「像」と「肖」の間に【第四層】をそれぞれ位置づけている。
【9】ウィトゲンシュタインとゲーテ──イメージのもう一つの系譜
最後に、吉本隆明と井筒俊彦に準拠したこれまでの考察から離れて、イメージをめぐるもう一つ別の相貌(=イメージ)というか系譜を一瞥して、こ
の稿を閉じることにします。
古田徹也氏は『はじめてのウィトゲンシュタイン』で、前期ウィトゲンシュタインにおける像(=世界のあり方を写し取った模型)と後期ウィトゲン
シュタインにおける像(=物事の特定の見方)の違いをめぐって、次のように述べています。
《ここで、後期ウィトゲンシュタインの用法に倣って、物事に対する特定の見方や活動の仕方を大雑把に表すこうした物言いを──というより、こうし
た物言いをするときに人が抱いているイメージを──特に「像」という言葉で言い表すことにしよう。ヒトはときに、「人間の行動には自然法則が書き
込まれている」とか「人間の行動は石の落下運動や天体の運行のようなものだ」といった記号列に触発されて、あるイメージのもとに人間の行動を見よ
うとする。そういう場合の「イメージ」を、後期ウィトゲンシュタインはしばしば「像(Bild)」と呼ぶのである。
普通、「イメージ(imagr,Vorstellung)」という言葉は、写実的なものであれ抽象的なものであれ、人が現に思い浮かべる視覚的
な絵や映像、写真のようなものを指すだろう。しかし、たとえば「人間の行動は石の落下運動のようなものだ」と言い、石の落下の‘イメージ’で人間
の行動を捉えるというときの「イメージ」とは、そうした絵や映像それ自体のことを指すわけではない。(略)
同様に、たとえば時間というものを川の流れになぞらえて、川の流れのイメージで時間を捉えるとき、我々は〈流れる〉〈過ぎ去る〉〈後戻りしな
い〉といった特徴を「時間」という概念に適用するが、その際に我々は、川が流れる映像や川の絵を実際に思い浮かべているとは限らない。むしろ、そ
うでない場合の方が遥かに多いだろう。つまり、あるイメージで物事を捉えているときに、何か絵や映像のようなものが実際に念頭に浮かんでいるかど
うかは、〈あるイメージで物事を捉える〉ということにとっては本質的でない、ということである。我々はしばしば、ある物事の諸特徴を別の物事に重
ね合わせるかたちで…物事を大まかに捉えようとする。この種の‘把握’の仕方にとって、視覚的なイメージそのものは肝心ではないのである。
こうした違い、すなわち、(1)人がときに実際に頭に思い浮かべるイメージそれ自体(=心的な絵、映像、写真の類い)と、(2)何かのイメージ
で物事を捉えるということ(=何かになぞらえて物事を把握するということ)とをはっきり区別するために、後者の(2)の方の意味で言われる「イ
メージ」を、本書ではこれから特に「像」という言葉で表していく。そして、あるイメージで物事を捉えることを、ある‘像のもとで’物事を捉える、
とも表現していく。》(『はじめてのウィトゲンシュタイン』第二章「世界を見渡す方法──後期」第三節)
古田氏によると、このような意味での「像」は、ゲーテ形態学の議論につながっていきます。
《…ゲーテが「原型」と呼んだものは、ウィトゲンシュタイン流に言えば「像」にほかならない、ということになる。葉を[個別の事象を関連づける]
連結項にして植物の各器官──子葉、幼根、花弁、萼など──の間に類似性を見出すというのは、‘葉のイメージで’植物の各器官を捉えるというこ
と、つまり、‘葉の像のもとで’植物の各器官を捉える、ということだ。そして、本章第三節でも確認した通り、〈葉のイメージで捉える〉といって
も、その際に我々は具体的な形や色をした個別の葉をイメージしている必要はない。その意味で、ここで言う〈葉のイメージ〉ないし〈葉の像〉とは、
現実に存在するどの個別の葉とも異なる抽象的なものだとも言える。しかし、繰り返すなら、そのような曖昧なイメージないし像に過ぎないものを、
ゲーテは原型(根源、本質)として位置づけているのである。》(同第二章第七節)
私の理解するところでは、ゲーテの原型にも通じる、この第二の意味における「イメージ」は、言語(コトバ)のはたらきによって生み出されるもの
にほかなりません。そしてそれこそ、吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』で悪戦苦闘していた「像」の問題にほかならないのであって、パライ
メージとは、実はその“極相”としての言語的パースペクティヴそのものであった、というわけです。
※
さて、「イメージ論的世界」を閉じると同時に、長く連載してきた「三世界論」(精確には、三×三世界論)が終結する運びとなりました。
当初の“構想”とは大きく異なり、(いや、そもそも当初の“構想”と言えるほどの明確な見通しなど立っていなかった)、また、どの項目も中途で
投げ出すかたちになって、何事かを成し終えた充足感はなく、ただ“遣り残した感”だけがとぐろを巻いています。
とはいえ、まったく無駄だったかと言うと、なにがしか未来につながる“手応え”のようなものは感じているので、いまはこのあたりで筆を置き、何
かが発酵してくるのを気長に待つことにします。