旅の記憶(2023.08)
昔の日記を整理していて今でも記憶に残っている旅の記録を“発見”した。旅先の空間や時間が今も「記憶に残っている」
というよりも、逆にからだや心とは別の自分が今でも「そこに残って旅をしている」と書く方が適切な気がする。この軽井沢への旅は2008年4月の
こと。旅のタイトルは“雨色の記憶のなかのリルケ”。(「吟行」ならぬ「読行」の旅?)
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【1】中軽井沢の「星のや」で二泊してきた。
旅の道連れは新潮文庫の『マルテの手記』。宿につき温泉をはしごしてから旧軽井沢で買っておいたワインと生ハムとパンをかじりライブラリで借り
たヨーヨー・マを聴きながら第一部を読み終えて寝た。
二日目は一日中雨だった。傘をさして温泉と食事にでかけライブラリで珈琲を飲み朝刊とターシャ・テューダーの庭の写真集を二冊読み川辺で遊ぶセ
キレイを眺めながら歩いて帰り、それからテレビと時計がない部屋でライブラリから借りてきた村治佳織を流しながら長田弘の詩集を読んで少し午睡し
てまた食事と温泉に出かけ、地ビールを飲みながらマルテを少し読んで寝た。
最後の朝は快晴だった。近くにある野鳥の森を歩きミソサザイとミソサザイをねらっていた写真家とであい軽井沢高原協会と内村鑑三記念堂(石の教
会)を駆け足で見学して、帰りの列車でマルテを第二部の半分まで読んだ。
いい旅の記憶はもって帰ることができない。記憶は水面をうつ雨の気配と鳥たちの声とともにいまでもあの場所にある。
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二日目の夜、ノートの切れ端に長田弘さんの『人生の特別な一瞬』から抜き書きしておいた詩文が二つ。
「雨は、雨だけがもつ不思議な力をもっている。風景に魔法をかけるちからを、雨はもっているのだ。
どんなによく知る風景ですら、雨が降ってくると、周りがぜんぶ雨色に染まって、その雨色のなかに、何もかもが遠のいていって、まったく知らない
風景になってゆく。
旅の雨はむしろ幸運かもしれない。」(「雨色の時間」から)
「先へ先へと急ぐ物語の本や、次へ次へとみちびく情報の本ではなく、時間を静かにつかえるときでなければ読めないような本を手にする。そうして、
ゆっくりと、言葉の色合いや明るさや重さを読んでゆく。
読書のスピードはレント(緩徐調)がのぞましい。読書はすこしも急がないような読書がいい。そう言ったのは、哲学者のニーチェだった。
よく読むこと。感じやすい指と目をもって、ゆっくりと、深く、うしろと前に気をくばりながら、よく読むこと。」(「旅の書斎」から)
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旅から帰って二日経った。いまでもリルケをゆっくりと、うしろと前に気をくばりながら読んでいる。
【2】旅の道連れに携えた『マルテの手記』(大山定一訳)を読みながら、なにも孤独な詩人の魂の苦悩と呻吟だとか二十世紀初頭のパリの貧民の悲惨
な生活だとかに思いをはせていたわけではなかった。
これはまったくの偶然だが、小旅行の前後に同じ新潮文庫から出たばかりのリチャード・ブローティガン『芝生の復讐』(藤本和子訳)を読んでい
て、この自伝的要素の濃い二つの作品が響き合ったのだ。
文庫カバーの言葉を借用すると、かたや65の「断片的感想、備忘ノート、散文詩の一節、過去の追憶、目にした風物の描写、日記、手紙などを一冊
にまとめあげた手記体の小説」と、かたや「囁きながら流れてゆく清冽な小川のような62の物語」とが、時と場所を隔て、そして翻訳の文体の違いを
超えて、(晩年のリルケの詩境に即して言えば「世界内面空間」もしくは「純粋空間」のうちで、あるいは辻邦生が『薔薇の沈黙──リルケ論の試み』
で使った語彙では「薔薇空間」において)とても気持ちよく響き合ったのだ。
リルケとブローティガン。孤独と憂愁の独白、追憶を経て、なにかしら建築的なもの、意志的なものへと向かう『マルテの手記』。ユーモアと「メラ
ンコリア」(藤本和子)を漂わせながら、どこかしら死後の世界の静謐と充足を思わせる『芝生の復讐』。
たとえば『芝生の復讐』の「朝がきて、女たちは服を着る」に、「そして、ふたりはリルケの詩について長いこと話しあったが、彼女があまり詳しく
知っているので、驚かされた。」とあるのをみつけて、少し興奮させられる。
そんな表面的なことだけではなくて、なにより、それぞれの書物の随所にちりばめられた少年時代の記憶を綴った文章が素晴らしいものだった。もち
ろん語り口はまったく違うし、印象も異なる。小説の中での追憶なのだから、それらは虚構の記憶なのかもしれない。
ジョルジュ・バタイユは、「文学とは、ついにふたたび見いだされた少年時のことではなかろうか」と書いた(『文学と悪』)。この言葉を思い出す
たび、ベンヤミンの「一九○○年頃のベルリンの幼年時代」を想起したものだが、これからはベンヤミンとともにリルケとブローディガンの名が浮かぶ
ことになるだろう。
「彼はまず幼年時代のことを思い出した。静かに落着いて考えれば考えるほど、それは仕残された不完全なものに見えるのだ。幼年時代の追憶にはすべ
て曖昧なおぼろげなものがくっついていた。しかもそれが遠く過ぎ去った過去であるために、かえってこれから訪れる未来の世界のように思われたりす
るのだ。もう一度自分の幼年時代を現実に引寄せてみたいという悲しい願いに、なぜ「放蕩息子」がふるさとの土を再び踏んだかの理由があるだろう。
彼がそのままふるさとにとどまったかどうかは知らない。僕たちはただ、彼が一度ふるさとへ立ち帰ったのを知っているのだ。」(『マルテの手記』)
「詩はほんとうは経験なのだ。…人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そう
してやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。」(『マルテの手記』)