「雨色の記憶のなかのリルケ」(2008.4-7)



☆2008

★4月29日(火):雨色の記憶のなかのリルケ

 中軽井沢の星のやというところで二泊してきた。
 旅の道連れは新潮文庫の『マルテの手記』。宿につき温泉をはしごしてから旧軽井沢で買っておいたワインと生ハムとパンをかじりライブラリで借り たヨーヨー・マを聴きながら第一部を読み終えて寝た。
 二日目は一日中雨だった。傘をさして温泉と食事にでかけライブラリで珈琲を飲み朝刊とターシャ・テューダーの庭の写真集を二冊読み川辺で遊ぶセ キレイを眺めながら歩いて帰り、それからテレビと時計がない部屋でライブラリから借りてきた村治佳織を流しながら長田弘の詩集を読んで少し午睡し てまた食事と温泉に出かけ、地ビールを飲みながらマルテを少し読んで寝た。
 最後の朝は快晴だった。近くにある野鳥の森を歩きミソサザイとミソサザイをねらっていた写真家とであい軽井沢高原協会と内村鑑三記念堂(石の教 会)を駆け足で見物して、帰りの列車でマルテを第二部の半分まで読んだ。
 いい旅の記憶はもって帰ることができない。記憶は水面をうつ雨の気配と鳥たちの声とともにいまでもあの場所にある。

     ※
 二日目の夜、ノートの切れ端に長田弘さんの『人生の特別な一瞬』から抜き書きしておいた詩文が二つ。

 雨は、雨だけがもつ不思議な力をもっている。風景に魔法をかけるちからを、雨はもっているのだ。
 どんなによく知る風景ですら、雨が降ってくると、周りがぜんぶ雨色に染まって、その雨色のなかに、何もかもが遠のいていって、まったく知らない 風景になってゆく。
 旅の雨はむしろ幸運かもしれない。(「雨色の時間」から)

 先へ先へと急ぐ物語の本や、次へ次へとみちびく情報の本ではなく、時間を静かにつかえるときでなければ読めないような本を手にする。そうして、 ゆっくりと、言葉の色合いや明るさや重さを読んでゆく。
 読書のスピードはレント(緩徐調)がのぞましい。読書はすこしも急がないような読書がいい。そう言ったのは、哲学者のニーチェだった。
 よく読むこと。感じやすい指と目をもって、ゆっくりと、深く、うしろと前に気をくばりながら、よく読むこと。(「旅の書斎」から)

 旅から帰って二日目になる。いまでもリルケをゆっくりと、うしろと前に気をくばりながら読んでいる。

★5月6日(火):リルケとブローティガン

 軽井沢への旅の道連れに携えたリルケの『マルテの手記』(大山定一訳)を読みながら、なにも孤独な詩人の魂の苦悩と呻吟だとか二十世紀初頭のパ リの貧民の悲惨な生活だとかに思いをはせていたわけではなかった。
 これはまったくの偶然なのだが、小旅行の前後に同じ新潮文庫から出たばかりのリチャード・ブローティガン『芝生の復讐』(藤本和子訳)を読んで いて、この自伝的要素の濃い二つの作品が響き合ったのだ。
 文庫カバーの言葉を借用すると、かたや65の「断片的感想、備忘ノート、散文詩の一節、過去の追憶、目にした風物の描写、日記、手紙などを一冊 にまとめあげた手記体の小説」と、かたや「囁きながら流れてゆく清冽な小川のような62の物語」とが、時と場所を隔て、そして翻訳の文体の違いを 超えて、(晩年のリルケの詩境に即して言えば、「世界内面空間」もしくは「純粋空間」のうちで、あるいは、辻邦生が『薔薇の沈黙──リルケ論の試 み』で使った語彙では「薔薇空間」において)とても気持ちよく響き合ったのだ。
 リルケとブローティガン。孤独と憂愁の独白、追憶を経て、なにかしら建築的なもの、意志的なものへと向かう『マルテの手記』。ユーモアと「メラ ンコリア」(藤本和子)を漂わせながら、どこかしら死後の世界の静謐と充足を思わせる『芝生の復讐』。
 たとえば『芝生の復讐』の「朝がきて、女たちは服を着る」に、「そして、ふたりはリルケの詩について長いこと話しあったが、彼女があまり詳しく 知っているので、驚かされた。」とあるのをみつけて、ちょっと興奮させられる。そんな表面的なことだけではなくて、なにより、それぞれの書物の随 所にちりばめられた少年時代の記憶を綴った文章が素晴らしいものだった。もちろん語り口はまったく違うし、印象も異なる。小説の中での追憶なのだ から、それらは虚構の記憶なのかもしれない。
 ジョルジュ・バタイユは、「文学とは、ついにふたたび見いだされた少年時のことではなかろうか」と書いた(『文学と悪』)。この言葉を思い出す たび、ベンヤミンの「一九○○年頃のベルリンの幼年時代」を想起したものだが、これからはベンヤミンとともにリルケとブローディガンの名が浮かぶ ことになるだろう。

《この時になって、彼[放蕩息子]の心には大きな変化が起った。彼ははるかな神に近づこうとする日々の苦しい仕事に、ほとんど神を忘れてしまった らしい。そしていつかやがて神の手から授けられるのは、ただ「一人の人間の魂をわずかに我慢してくれる神の忍耐」だけだと思った。人々が何か重大 なもののように考える運命の偶然など、彼はもうきれいに忘れてしまっていた。喜びも悲しみも、すべて付随的な甘味や苦味を失ってしまい、まるで純 粋な、栄養的な成分だけになったのだ。彼の存在の根からは堅固な越冬性の植物が生え、豊かな歓喜を枝いっぱいにみなぎらしていると言ってよかっ た。彼は自分の内部生命をつちかうものを取り入れるのに一所懸命だった。彼は何一つ見のがさぬように気をつけた。すべてのものの中に彼の愛があ り、すべてのものの中に彼の愛が少しずつ成長することを、彼はもはや疑わなかったのだ。彼の激しい内部的な覚醒は、かつてなし得なかったままのび のびになっているいちばん大切なものを、ぜひ今から取返そうと決意した。彼はまず幼年時代のことを思い出した。静かに落着いて考えれば考えるほ ど、それは仕残された不完全なものに見えるのだ。幼年時代の追憶にはすべて曖昧なおぼろげなものがくっついていた。しかもそれが遠く過ぎ去った過 去であるために、かえってこれから訪れる未来の世界のように思われたりするのだ。もう一度自分の幼年時代を現実に引寄せてみたいという悲しい願い に、なぜ「放蕩息子」がふるさとの土を再び踏んだかの理由があるだろう。彼がそのままふるさとにとどまったかどうかは知らない。僕たちはただ、彼 が一度ふるさとへ立ち帰ったのを知っているのだ。》(『マルテの手記』319-320頁)

★5月8日(木):『マルテの手記』からの抜き書き

 前回書いたこととも関連する文章を、『マルテの手記』から二つ抜き書きしておく。

《僕はものを見ることを学び始めたのだから、まず何か自分の仕事にかからねばならぬと思った。僕は二十八歳だ。それだのに、僕の二十八年はほとん どからっぽなのだ。振返ってみると、僕はカラパチオについて論文を書いたがおよそひどいものだった。「結婚」という戯曲を試みたが、間違った観念 を曖昧な手段で証明しようとしたにすぎなかった。僕は詩も幾つか書いた。しかし年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつでも 根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうし てやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。詩がもし感情だったら、年少にしてすでにあり 余るほど持っていなければならぬ。詩はほんとうは経験なのだ。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければなら ぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ。まだ知らぬ国々 の道。思いがけぬ邂逅。遠くから近づいて来るのが見える別離。──まだその意味がつかめずに残されている少年の日の思い出。喜びをわざわざもたら してくれたのに、それがよくわからぬため、むごく心を悲しませてしまった両親のこと(ほかの子供だったら、きっと夢中にそれを喜んだに違いないの だ)。さまざまの深い重大な変化をもって不思議な発作を見せる少年時代の病気。静かなしんとした部屋で過した一日。海べりの朝。海そのものの姿。 あすこの海、ここの海。空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の夜々。それらに詩人は思いをめぐらすことができなければならぬ。い や、ただすべてを思い出すだけなら、実はまだなんでもないのだ。一夜一夜が、少しも前の夜に似ぬ夜ごとの閨の営み。産婦の叫び。白衣の中にぐった りと眠りに落ちて、ひたすら肉体の回復を待つ産後の女。詩人はそれを思い出に持たねばならぬ。死んでいく人々の枕もとに付いていなければならぬ し、明け放した窓が風にかたことと鳴る部屋で死人のお通夜もしなければならぬ。しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向なんの足しにもならぬの だ。追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。そして、再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。思い出だけな らなんの足しにもなりはせぬ。追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができな くなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れて来るのだ。》(『マルテの手記』 26-28頁)

 ここでマルテ(リルケ)は、「詩はほんとうは経験なのだ。…人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜 と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。」と書いている。
 リルケの墓には、次の三行詩が刻まれている。『リルケ』(清水書院)の著者星野慎一氏によると、この墓碑銘はリルケによる「俳句」である。(リ ルケは生前、「ハイカイ」と題した三行詩を三篇書いている。)

 Rose,oh reiner Widerspruch,Lust,
 Niemandes Schlaf zu seine unter soviel
 Lidern.

 薔薇よ、おお純粋な矛盾、
 誰の眠りでもない眠りを あまたの瞼の陰にやどす
 歓びよ。

《僕は旅行者でないことをうれしく感じた。もうすぐ寒くなるだろう。彼等の空想の贅沢な偏見にゆがめられた「かよわい、眠たげなベニス」は、くた びれた眠そうな異国の旅行者といっしょに消えてしまうのだ。そしてある朝、全く別な、現実の、いきいきした、今にもはじけそうな、元気のよい、夢 からさめたベニスが、姿を見せるに違いない。海底に沈んだ森の上に建設したという、「無」から生れたベニス。意志によって建てられ、強制によって 築かれたベニス。あくまで実在に堅く縛りつけられたベニス。きびしく鍛えられ、不要なものを一切切り捨てられたベニスの肉体には、夜ふけの眠らぬ 兵器廠が溌剌と血液を通わせるのだ。そのような肉体が持つ、精悍な、突進しか知らぬ精神には、地中海沿岸の馥郁たる空気の匂いなどから空想される ものとはおよそ比較を絶した凛冽さがあった。資源の貧しさにもかかわらず、塩やガラスとの交換で、あらゆる国々の財宝をかきよせた不逞な都市ベニ スだ。ただ表面の美しい装飾としか見えぬものの中にさえ、それがかぼそく美しくあればあるほど、強い隠れた力を忍ばせているベニス。ベニスは全世 界の重石[おもし]、しかも静かな美しい重石だった。》(『マルテの手記』301-302頁)

 ここに描かれた「ベニス」は、リルケの詩そのものではないか。ベニスの町は「世界のどこにも見当たらぬ凛冽峻厳な意志の実例である」と、マルテ (リルケ)は書いている。

★5月9日(金):「心の歌」としての歌曲、「〈生〉の履歴」としての音楽

 前回抜き書きしたリルケの二つ目の文章は、その後、マルテと同郷のデンマークの女性が、伯爵夫人に請われてイタリア語で、ついでドイツ語で歌う シーンへとつづく。
 そこで、吉田秀和著『永遠の故郷──夜』(集英社)に、詩をめぐる美しい文章があったのを思い出した。それは「春深き」という、フーゴー・ヴォ ルフの「メーリケ歌曲集」から二つの歌(「春の中で」と「少年と蜜蜂」)を取り上げた文章の冒頭にでてくる。

《詩だって、すべての芸術作品がそうであるように「全体」があってはじめて完結する表現体としてあるのに違いないが、私の経験では、詩の場合はそ の中の一行が特に読むものの中の何かについての想いを強烈に、鮮明に呼び覚ますか、呼び起こすかするものだ。そうでなければ詩ではないとさえ言い たくなる。だから、詩では詩想の凝縮、凝集への働きが必要不可欠になる。
 そう考えれば、詩人はその一行のために全体を書いた──あるいは、ある詩篇の全体はその一行に到達するための過程としてあるということにな る。》(112頁)

 ここに書かれたことは、『永遠の故郷──夜』に収められた12の作品そのものについても言えることで、いま、心に残る「一行」を、「四つの最後 の歌」という、これはリヒャルト・シュトラウスの同名の作品をあつかった文章の中から(一つではなく、二つ)拾い上げてみる。

《音楽は現在に響きながら、過去を身近に呼び戻したり、時には未来を予感させ呼び出す働きをする。それが音楽のリアルな生態なのだ。と同時に、こ の巨匠最晩年の創作では、書いている音楽家は現在生きている人間であるだけでなく、過去の自分でもあるのだ。創作は幾層にもわたる意識と共に行わ れる。》(41頁)

《では、改めて、こう問いただしてみよう。なぜ死への憧れを歌う音楽がかくも美しくありうるのか? 美しくなければならないのか?
 なぜならば、これが音楽だからである。死を目前にしても、音楽を創る人たちとは、死に至るまで、物狂わしいまでに美に憑かれた存在なのである。 そうして、美は目標ではなく、副産物にほかならないのである。彼らは生き、働き、そうして死んだ。そのあとに「美」が残った。
 画家を見るがいい。彼らはなにも何かを飾り立てて、美しく見える絵を描こうとして、仕事をしているのではない。この人たちの心の底深くには、以 前から燃える火があり、彼らはそれに追い立てられるようにして、何かを把え、色と形とで見えるものにしようと力の限りをつくしているにすぎない。 美はその過程の中で生れてきたあるものでしかない。》(「四つの最後の歌」50頁)

 本書全体にとっての「一行」と思われる文章が、あとがきに刻まれている。

《言葉によりそって音楽を書く時、その音楽は詩のもつ論理性、構築性を無視できない。いや、詩とはそうやって構築されたものだから、音楽家たち は、音によって、言葉によりそった構築物を構築した。そうすると、彼らの「心」がそこに乗り馮[うつ]って来たのである。
 歌曲について書く時、私はその構築物を仔細に眺めることを通じて、歌曲の心に到達する道を選ぶことが多い。歌曲をきくのは、これまた私の心。私 は歌の中に心を感じ、心を見、心を聴く。だが、それを書くのは言葉である。作曲から受容までの間の音と言葉のよりそい具合、からみ合い、それが私 の関心を呼び、それについて感じ、考えることを、私は楽しむ。ある時は、それがなかなかうまくいかず、私は歌曲の中の心の在り方の迷路の中でさま よい歩く。私はそういう仕事(?)、そういう生き方(?)が好きである。》(151頁)

 こうして、「歌曲とは心の歌にほかならない」という究極の「一行」へとつづいてゆく。
 そういえば、ハイネ=シューマンは「心の歌」「心理の微妙の歌」だが、メーリケ=ヴォルフのは「肉と心の愛の呻きだったり叫びだったり、声にな らない声だったりする」(90頁)とか、ピアノの伴奏を「言葉のない心の歌」(151頁)と表現している文章もあった。

     ※
 茂木健一郎著『すべては音楽から生まれる──脳とシューベルト』(PHP新書)から、究極の「一行」を拾い上げてみる。

《あらゆる言葉は、意味はわからなくても音楽として聴くことができる…。(略)そもそも私は、言葉というものを意味においてとらえていない。言葉 は意味ではなく、リズムや音といった、感覚的なものに負う部分も多い。意味だけを求めると、本質からは遠くなってしまう。(略)さらに告白してし まうと、ここ数年、私は文章を書く時、意味の伝達に主眼を置いていない。(略)最近では、他人の文章を読む時も、音楽のように読んでいる自分がい る。視覚から入ってきた文字という情報の無意識の層に沈潜するリズムやハーモニーに耳を傾ける、という感覚だ。(略)私の人生は、既に音楽の領域 に足を踏み入れてしまったのかもしれない。(略)生きるということは、時々刻々のすべてが音楽であって、自分の〈生〉の履歴は余さず音楽として感 じることができるのではないか。世界はおしなべて音楽なのではないか。》(122-124頁)

 「心の歌」としての歌曲にせよ、「〈生〉の履歴」としての音楽にせよ、それらはいずれにせよ中世歌論における「哥」に通じている。

★7月15日(火):哥と共感覚・素材集3
  ※再掲(「哥の勉強・哥と共感覚」)

 共感覚と直接的に関係しないのかもしれないが、(ドゥルーズ/ガタリの「動物になること」との関連で)、リルケの「開かれた世界」もしくは「世 界内部空間 Weltinnenraum」という概念が興味深い。
 辻邦生著『薔薇の沈黙』によると、「世界内部空間」は(天使的な)純粋意欲に対応して存在するものである(93頁)。それは「存在と非存在を貫 く存在形式」(94頁)である。「生と死、内と外を貫く空間」(129頁)であり、「過去も未来もない持続」(146頁)である。
 また、「純粋意欲」は、ニーチェの「力への意志」とほとんど同質の「生への意欲」といっていいものである(162頁)。
 以下、同著から、いくつかの文章とそこで引用されたリルケの詩と書簡を抜き書きする。
 なお、ネットでは、多代田いわみ氏の「リルケの「世界内部空間(Weltinnenraum)」について―<死者の声>の理念を中心に―」 [http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=354]が参考 になった。

◆辻邦生『薔薇の沈黙──リルケ論の試み』(筑摩書房)

 …この〈内〉は無となり、〈外〉を映すものとしてのみ存在しているので、ここでは〈内〉はそっくり〈外〉として存在しはじめている。前章末尾に 掲げた詩[「薔薇の内部」]「何処にこの内部に対する/外部があるのだろう?」は、このことを言っている。強いて言えば内部に対する外部は、内部 にしかない。〈外〉は〈内〉に包まれ、〈内〉は無化し〈外〉と一つになる。〈内〉から〈外〉へという溢出(「あまたの薔薇は/みちあふれ/内部の 世界から/外部へとあふれ出ている」)は実は〈内〉から〈外〉へではなく、〈“外”〉“から”〈内〉へ溢れ出ているということになる。
 この「〈外〉から」の〈外〉は、無化された〈内〉に映っている〈外〉である。したがってこの〈外〉からの働き(匂い、色、形体付与などの働き) が溢れるとは、〈外〉がある匂い、色調、形体に変貌してゆくことに他ならない。あたかも匂いが薔薇から溢れ、夏らしい世界へと変ってゆくようにで ある(「そして外部はますますみちて 圏を閉じ/ついに夏ぜんたいが 一つの部屋に/夢のなかの一つの部屋になるのだ」)。
 後期の詩『転向』のなかでリルケが「もはや眼の仕事はなされた/いまや、心の仕事をするがいい」と歌ったのは、見る存在としての〈内〉が無と なって〈外〉と一体化した瞬間を直覚したからだろう。見る主観と見られる対象という対立関係は、この新しい場、新しい空間では消える。そこには 「心の仕事」──つまり〈見る〉ではなく〈感じる〉が開始される。と同時に、主観・客体の二元論のかわりに、〈感じる〉ことによって一元的に現象 する世界が、そこに存在しはじめる。(70-71頁)

 青空を見るとき、われわれは単に青空がそこにあると思うにすぎない。……だが、〈見る〉を超えた感受にとっては「青空」は何か“それ”によって 心をときめかせるものとなる。……すくなくとも、それはただ空が青いという現象的事実ではなく、その青さによってたえず無限の物想いを語りつづけ る存在となる。それは時にゴッホの画面に深く沈むオーベールの麦畑の上の青空のように、無限の悲しみを語りつづける。またセザンヌの『大水浴』の 遠い青空のように地上の悦楽の極点にある至福を象徴する。
 ここでは〈見る〉は「青空という物」の外にあるのではないし、その現象的事実に従属しているのでもない。逆に、そこに「青空」という新しい現実 を生みだし、われわれはその中に入り、無限の内容を生き始めるのだ。「青空」はもはや現象的事実ではなく、感受力は現象する青空の単一性を超え、 そこに無限に開かれる青空の映像を映してゆくことになる。それは喜びから悲しみまであらゆる調音を響かせるが、その根底には存在の歓喜が横たわっ ている。なぜなら〈見る〉を超えた感受力は、何よりも、存在に内在する生命力と交換するからだ。(163-164頁)

 それ[純粋な生命力]は〈見る〉を超えることによって〈対象[もの]〉としての世界でない世界(〈開かれた世界・世界内部空間〉)の現前を可能 にする。自己はここでは全存在と一体化し、全存在という形で(もはや自己意識はなく)純粋な活動体となる。つまり自己の内面は純粋に透明化するこ とによって、外面世界と完全に一体化する。〈見る〉によって主客が分裂せざるを得なかったわれわれは、ここではじめてこの愛と自己透明化によっ て、外界全体に浸透する。そしてそこには自己性が存在しない結果、内面と外面の合一が実現するのである。
 また死が自己の有限を外界に投射したものである以上、自己性を超出した純粋活動体にとっては死は存在しない。活動力が死を超えて働きつづけるか らである。「“死を”みるのはわれわれだけだ」[「第八の悲歌」]と言うのは、われわれだけが自己の獲得を目ざして活動するからだ。「動物は自由 な存在として/けっして没落に追いつかれ」ないとは、逆に、人間以外の生きものたちはひたすらそれを持ち合わせないからである。(174-175 頁)

 それ[世界内部空間]を全身で生きるとは、彼自身が自己性を克服し、内と外の合一化を体験し、生と死のめくるめく合体を通して、突然、自在な永 遠的存在に変貌することなのだ。それ“について”語る人ではなく、それ“から”すべてを語り出す人になる。もはや〈世界内部空間〉についても〈天 使〉についても話す必要はなくなる。彼自身が〈世界内部空間〉から語り、〈天使〉的存在として語るからである。一九二二年一月の詩的奇蹟ともいう べき突然の詩作の嵐は、まさしくこうした存在になり得たリルケが、神話を憑依的に語る巫女さながらに、存在のあらゆる形姿を言語化したプロセスと いうことができるだろう。
 そこには、〈固有の死〉〈愛する女〉を通って〈天使〉の出現に至る登高のひたむきな姿勢から、〈世界内部空間〉の内側から発する多様な声へと変 容するリルケが見てとれる。たとえば、人間は〈天使〉に対してただ恐れる存在ではなく、人間の役割をはっきり明示する存在に変る。いまやリルケは 「地上にあること」を全肯定する詩人として立つ。(176頁)

 それ[世界内部空間]は薔薇に抱かれた世界であり、世界は薔薇に変貌している。〈見る〉を超えて現われる世界、心の愛でひしと抱かれた世界と は、薔薇の本質である〈歓喜・陶酔〉を充満させた空間にほかならない。晩年のリルケはミュゾットの館でこの成熟を経験し、力に満ちた日々を取り戻 した。薔薇は夏の光の下で沈黙し、ただ充実した内面の活動に宇宙的生命を象徴化する。沈黙とは、この宇宙的な理法のすべてに通暁し、生命という至 福の業[わざ]をまさしくこの〈薔薇〉という形で言うことなのだ。

  ぼくはお前を見つめる、薔薇よ、半開きの書物よ、
  細々と幸福を書き綴った
  多くの頁。ぼくはとても
  読みきれそうにない、魔法の書物よ(『薔薇』Ⅱ)

〈薔薇空間〉となったリルケは甘美な陶酔の持続となって、時間を超え、生と死を超える。おそらくいまわれわれにとってなすべきことは、〈見る〉こ との果てに出現した〈対象[もの]としての世界〉を、いかにして〈薔薇空間〉へ変容するか、ということだろう。不毛と無感動と貨幣万能の現代世界 のなかで、はたして至福に向かってのそんな転回が可能かどうか、われわれがある決意の時に立たされていることは事実だろう。(177-178頁)

     ※

  「薔薇の内部」(『新詩集』別巻)

何処にこの内部に対する
外部があるのだろう? どんな痛みのうえに
このような麻布があてられるのか?
この憂いなく
ひらいた薔薇の
内湖[うちうみ]に映っているのは
どの空なのだろう? 見よ
どんなに薔薇が咲きこぼれ
ほぐれているかを ふるえる手さえ
それを散りこぼすことができないかのよう
薔薇にはほとんど自分が
支えきれないのだ その多くの花は
みちあふれ
内部の世界から
外部へとあふれでている
そして外部はますますみちて 圏を閉じ
ついに夏ぜんたいが 一つの部屋に
夢のなかの一つの部屋になるのだ。(富士川英郎訳)

     ※

  「第八の悲歌」から(『ドゥイノの悲歌』)

すべての眼で生きものたちは
開かれた世界を見ている。われわれ人間だけが
いわば反対の方向をさしている。そして罠として、生きものたちを、
かれらの自由な出口を、十重二十重[とえはたえ]にかこんでいる。
その出口のそとに“ある”ものをわれらは
動物のおももちから知るばかりでだ、おさない子供をさえも
わたしたちはこちら向きにさせて
形態の世界を見るように強いる。動物の眼に
あれほど深くたたえられた開かれた世界を見せようともしない、死から自由のその世界を。
“死を”みるのはわれわれだけだ。動物は自由な存在として
けっして没落に追いつかれることがなく
おのれの前には神をのぞんでいる。あゆむとき、
それは永遠のなかへとあゆむ、湧き出る泉がそうであるように。
“われわれ”はかつて一度も、一日も、
ひらきゆく花々を限りなくひろく迎え取る
純粋な空間に向きあったことはない。われわれが向きあっているのは
いつも世界だ、(辻邦生訳)

     ※

  リルケの手紙(ハイデッガーによる引用)

 この悲歌の中で提起しようとした開かれた世界の概念についてですが、動物は(われわれ人間がいつもそうしているようには)世界を各瞬間瞬間に自 己と対立させることをしないので、動物の意識の段階は開かれた世界を現実の世界の中へ組み込んでしまうのだというふうに理解していただかねばなり ません。動物は世界の“中に”存在しているのです。われわれはわれわれの意識のとった独自の方向と意識の高まりのために、世界を“前に”して立っ ているのです。(…)開かれた世界といっても、空、大気、空間などを考えているのではありません。それらにしても観察者、判断者にとっては、「対 象」となるものであり、従って、「不透明」かつ閉じられたものになってしまいます。動物や花などは、推測しますに、自らについて弁明することなし に一切で“あり”、自らの前に、自らの上に、あの言い現わし難く開かれた自由というものを持っているのです。この自由は、われわれの場合にはおそ らく、人間どうし、たとえば恋人どうしが相手のなかに、自分自身の拡がりを見るところのあの愛の最初の瞬間とか、神への献身とかの中にのみ、(極 度に瞬間的な)その等価物を有するものなのです。[ハイデッガー『乏しき時代の詩人』、手塚富雄・高橋英夫訳]