「ガーデンシティ・コモンズ・限界集落」(2006.02-2007.10)
☆2006
★2月8日(水):「ガーデン・シティ」をめぐる二つの誤解
先日、少人数の会合でこれからの住まいや都市のあり方について「対談」する機会があった。1時間ほどのことなので、そんな大それた話にはならな
かった。そもそも私は住宅や都市の政策に関してずぶの素人なので、もっぱら相手(その道のプロ)の話によりかかりながら思いつきを述べる程度のこ
と。それでも一応、人前で話をするための最低限の「準備」はしておいた。以下、用意したメモをもとに、その時頭に浮かんでいたことをいくつか順不
同に復元しておく。実際にしゃべった話題もあるし、時間配分を気にして発言をひかえたところもある。
◎「ガーデン・シティ」をめぐる二つの誤解
もう20年も昔のことになるが、よちよち歩きだった長男を連れて英国へ視察に出かけたことがある。視察のテーマは何かというと、自然環境と「結
婚」した都市の原点を見るというもの。つまり「都市と農村の結婚」と称されるエベネザー・ハワードの田園都市(ガーデン・シティズ)の原風景を探
る。まわりくどい言い方だが、当時の(そして現在に至る)私の英語力でできることは限られていたので、ナショナル・トラスト本部に出向いて1、2
分の会話を交わし会員登録をした以外は、純粋に視覚的な体験をすることに徹した。具体的には、ロンドンやエジンバラの公園を親子で散策し、スト
アーヘッドなど英国式(風景)庭園と呼ばれるものをいくつか見てまわっただけのことである。
この時の経験は今でも懐かしい。その後、訳あって阪神間という「近代ブルジョアジィの古都」と称される地域にそくして都市のあり方を考えたとき
にも、あの視覚体験と視察の前後に読みあさった書物の記憶が鮮明に蘇った。(その時書いた文章の一部は「生活美学都市について」
[http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/ESSAY/TETUGAKU/11.html]と題してホームページ
に掲載しているのでよかったら見てください。)
前置きが長くなった。ハワードの「田園都市」のアイデアが日本に移入された際、二つの大きな誤解が生じている。第一に、田園都市(人口3万2千
人を限度とした小さな都市でありながらも、そこで働き生活する職住近接の完結した都市機能をもったもの)を「田園郊外」(ガーデン・サバーブ)と
取り違えたこと。第二に、‘GARDEN CITIES’を‘GARDEN CITY’と取り違えたこと。以下、昔書いた文章を転用する。
ハワードのガーデン・シティが日本ではガーデン・サバーブの形態で導入されたことに関して、東秀紀氏は『漱石の倫敦、ハワードのロンドン』(中
公新書)で次のように述べている。
《東京の急速な人口増大に対して、郊外に良好な住宅地をつくることは理解できても、職場を分散させて、自立的な新都市群──社会都市[ハワードが
独自の意味で使用した言葉:引用者註]を形成する必要性は、当時の日本人には認識されなかったのである。
急速な近代化を目指していた日本人にとって、すでに社会は成熟期を迎え、生産から生活への人々の価値観の転換の中から現われてきた英国近代都市
計画の理念は理解の範囲を越えていた。そのため「田園都市」は、ときには地方振興に、ときには郊外住宅地に誤解され、その語感のもつムードだけが
一般に流布していったのである。》
この文章のうちに、実はガーデン・シティをめぐるいま一つの誤解が浮き彫りにされている。それは、ハワードの著書のタイトルが‘GARDEN
CITIES’であって‘GARDEN
CITY’ではなかったこと、東氏の言葉でいえば、自立的な都市「群」としてガーデン・シティの思想がとらえられるべきであったことである。
日本型の田園都市(ガーデン・サバーブ)は、大屋霊城がいうように「離れ島」にすぎなかった。島と島があたかも葡萄状に連鎖して一つの広がり
(「人間サイズ」の広がりといってもいいだろう)をもった生活圏を形成していくための基盤、すなわち社会の成熟が、ハワードの思想が紹介された頃
の日本ではまだ達成されていなかったのである。
ハワードが思い描き、ロンドンの郊外レッチワースで実践した‘GARDEN CITIES
’とは、単に一つの郊外都市を建設することではなかった。
《最終的には、ロンドンを周囲を含む大都市圏としてとらえ、都市の周囲の田園をグリーンベルトとして保存し、その外側に都心から職場と人口を移転
させたレッチワースのような田園都市を衛星状にいくつも建設して、これらを含む大ロンドン圏(エベネザー・ハワードの言葉を借りれば「社会都
市」)を、かつてのロンドンがそうであったような、町と村の集合体──「田園都市」群にしようとしたのである。》
★2月9日(木):医・職・住
◎医・職・住
阪神・淡路大震災の直後、政府におかれた復興委員会でのこと。委員長の下河辺淳氏が、当面の課題を「医・職・住」と規定した。被災された方には
高齢者が多かった。医療や保健、福祉といった広い意味での公的なケアサービスの迅速な供給が不可欠である。生活を再建するためには、まず心身の健
康を回復し、地域社会での人間関係を取り戻さなければならない。そして同時に職の確保。失業された方もいたし、事業が再開できない人もたくさんお
られた。将来への不安を解消するためにも、働く場と機会を確保しなければならない。そして何よりも急がれることは、生活の本拠(住まい)の確保。
一日でも早く、応急仮設住宅での暮らしから抜け出すこと。だから「医・職・住」。これらの課題に三位一体で取り組まなければならない。
この言葉はとてもよくできている。復旧・復興期の緊急課題であるにとどまらず、平時の地域政策の根幹をなすものを言い表している。まず「住」が
地域社会の基礎的なインフラであることは見やすい。住宅や住居ではなく「住まい」と呼ぶことで、言葉のニュアンスとしてもよく伝わる。いわば「コ
モンズ」としての住まい。次に「職」。雇用こそが地域政策の基本だ。私的な会話の中である経済学者がそう指摘していた。この場合の「職」は、職業
や賃労働というよりは就業とか仕事と呼ぶ方がいい。共同社会の中で役割を果たすことといってもいい。ただし金銭もしくは物的な対価つき。コミュニ
ティビジネスとか社会起業とか社会責任ビジネスとか。もちろん「医」も地域に根ざしているが、これは思っているより深い。
「医」(いやす)の語源をたどると「巫」という語に至るらしい[http://pub.ne.jp/onion
/?daily_id=20060119]。藪医者の語源説の一つに「野巫医(やぶい)」がある。巫医とは祈り(加持祈祷の類)をもって病を癒す
シャーマン(メディスンマン)のことである。それはともかく、このことを踏まえて「医宗同源」を唱える人がいる。ただし、ここで宗教というのは既
存の宗教教団のことではない。スピリチュアルな心性も含めた環境や他者とのつながりの意識のことでなければならない。宗教すなわち
religionの語義は結合すること、再会すること。
余談だが、かつて都市論がブームをよんだことがある。いつだって都市論はブームなのかもしれないが、私が覚えているのは1970年代の後半。い
くつか印象に残っている議論の中でいまの文脈に関係するのは、都市には神殿が必要であるというものだ。神殿はアゴラのような広場であってもいい
が、いずれにせよ聖なるものの場所が都市の共同性のために必要だという議論。たぶん上田篤氏あたりの主張だったと記憶している。いずれにせよ都市
と宗教はつながる。
さて、医が宗教に関係するとすれば、それは医療・保健・福祉の公的サービスにとどまらず、市民相互の扶助やボランタリーなネットワーク(人的結
合)をもいうものである。さらに広義の教育や芸術文化、体育(修業といってもいい)なども含まれる。いずれもこれらのことを抜きにして今後の地域
社会のあり方を考えることはできない。ある会合で教育の荒廃の問題を質問された講師の言葉が忘れられない。彼は言下に「教育の問題は地域社会の問
題です」と答えた。その講師とは筑紫哲也氏である。
こうして「医・職・住」がこれからの地域政策の三位一体の課題であることが示された(と思う)。ネットを検索すると、日本政策投資銀行の藻谷浩
介氏が「まち(あるいは商業)は花、根は住宅、葉は職場(事業所)、茎は病院や学校、一体となってこそ花は咲く」と持論を展開されている。まさに
「医・職・住」のまちづくりである。
地域政策とは、地域社会すなわち「人が住まう生活の場としての都市」のあり方をよくしていくためのものである。大震災直後につくられた保健医療
福祉分野の復興計画の冒頭に、「大きなまちのなかにたくさんの小さなムラをつくる」といった趣旨の理念が書かれていたのを覚えている。小さなムラ
すなわち「コミュニティ」もしくはコンパクトなまちが葡萄のように連なってよりおおきなまちをかたちづくる。これこそ「ガーデン・シティ」ならぬ
「ガーデン・シティズ」である。
★2月10日(金):核家族と郊外化
◎核家族と郊外化
これからの住まいや都市のあり方をめぐる「対談」に際して、いくつかの本を読み返した。なかでも三浦展著『ファスト風土化する日本──郊外化と
その病理』は、何度読んでも新鮮で切れ味の鋭い論考だった。「第二次大戦は傑出した都市と夢のモデルを創造した。核家族と郊外だ」。これは本書
(202頁)で紹介されているニューアーバニズムの騎手の一人、都市計画家ピーター・カルソープ(『次代のアメリカ大都市圏』)の言葉。考えてみ
れば、現在の都市問題、社会問題の根っこのところにこれら二つの「アメリカンドリーム」の残骸がある。
郊外には、物はあるが「リアルな生活」はない。そこにあるのは「地域固有の歴史や風土、生活と無縁の無色透明の消費社会」(=消費と娯楽のパラ
ダイス)であり、「記憶喪失のファスト風土」だけである(206頁)。
「重要なのは、街に「働く」という行為を戻すことだ」と著者は言う。「街の中に仕事があるということは、多様な人間を街の中で見るということで
あり、その人間同士の関係の仕方、コミュニケーションの仕方を知らず知らずのうちに肌で感じるということである。異なる者同士が、仕事を通じてか
かわり合い、言葉を交わし、利害を調整し、仕事を進める。それこそがコミュニティがあるということなのだ。別に芝生の公園があることが公共空間な
のではない」(210頁)。
「学校も街の中にあった方がよい。郊外の住宅地の、用途地域指定された区域に高い金網で囲われた学校なんて、まるで牢獄だ。隣が八百屋と銭湯だ
というくらいのほうがいいのだ。そうすれば毎日が総合的学習、体験学習である」(212頁)。
その他、退職住民によるNPO・シニア会社の設立とフリーター対策を組み合わせたオールドニュータウン問題への処方箋「社会問題解決団地」の政
策提案など、改めて感動する。
「核家族」に由来する問題群への処方箋は、街に仕事と学校を取り戻すこと。「郊外化」に由来する問題群への処方箋は、人間的魅力を備えた都市、
つまり「歩く」ことを前提にした都市をつくること。
★2月11日(土):コモンズとしての都市・その他
◎コモンズとしての都市
宇沢弘文著『社会的共通資本』[http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/NIKKI/31.html]から。
社会的共通資本(ソーシャル・コモン・キャピタル)としての都市とは、「ある限定された地域に、数多くの人々が居住し、そこで働き、生計を立て
るために必要な所得を得る場であるとともに、多くの人々がお互いに密接な関係をもつことによって、文化の創造、維持をはかってゆく場」(95頁)
である。
「人間的な魅力を備えた都市はまずなによりも歩くということを前提としてつくられなければならない」(121頁)。以下、ジェイン・ジェイコブ
ズの都市再生四原則にもとづく街路のあり方が概観される。「公共交通機関を基本的な交通手段として都市を設計するとき、一つの都市の大きさについ
て自らある限界が存在する」(同)。──サスティナブル・コミュニティ、コンパクトシティ、スマート・グロウスといった言葉が思い浮かぶ。ある人
が「スマート」を「美しい」と訳していた。
◎子どもが増える田園都市
養老孟司『無思想の発見』から。
「日本の場合、ある程度大家族でないと、じつは子育ては危険である。(略)だから共同体がまだ生きている田舎、つまり沖永良部島がもっとも人間
の再生産率が高く、都市つまり東京都目黒区がいちばん低い。/最近、福島県伊達町の諏訪野[http://www.fukushima-
jyukyo.or.jp/suwamain.html]に行った。ここは共同体の再生を考慮に入れて、都市づくりを行っている。コモンと呼ばれ
る「小さな広場」を数軒の家が囲む形になっており、町全体は西欧の田園都市に近い、樹木を多く取り入れた設計になっている。そこでは「子どもが増
えている」のである。外で遊んでいる子どもを、だれか大人が見ているからである。」(30頁)
★6月8日(木):「「街育」のすすめ」
三浦展編著の『脱ファスト風土宣言──商店街を救え!』を継続的に読んでいる。私の神戸の居宅の近所で「ガーデンシティ舞多聞」というプロジェ
クトが進んでいる。面白そうなので、「老後の住まい」の候補に資料を取り寄せてみた。この事業にかかわっている神戸芸術工科大学の齋木崇人氏が
「真の田園都市を目指して──神戸・舞多聞みついけプロジェクト」という文章を寄稿されている。「歴史的経験に裏づけられたコミュニティの空間デ
ザイン」や「経済の仕組みを取り込んだ地域コミュニティのマネージメント」といった魅力的な議論が展開されている(でも、もっともっと具体的な話
が聞きたいと不満が残る)。
今回書いておきたいのはこのことではなくて、編著者の三浦氏が執筆した序章「「街育[まちいく]」のすすめ──ファスト風土以外の環境に住むこ
とは、われわれの基本的な権利だ」。その冒頭に次の文章が出てくる。ファスト風土のどこか問題か、という問いに対する八つの答えのうちの第一、
「世界の均質化による地域固有の文化の喪失」を説明した節の出だしの文章。
《本来風土というものは、その土地土地の自然に制約されている。自然が農林漁業のあり方を規定し、それがその土地で生産される手工業製品を規定す
る。したがって、それはその土地の産業、職業を規定し、そこからさらに生活や文化を規定する。こうしてできた生活や文化は、それ自体が文化風土・
精神風土を形成し、その土地に生まれた人間を、他の土地に生まれ育った人間とは異なる人間として育てていく。だからこそ、その土地土地で異なる多
様な風土を持った日本には、異なる地域文化があり、多様な人間性を生み出してきたといえるであろう。》(15頁)
なんでもない平凡なことが書かれている。そんなことはよく判っていると、つい読み飛ばしてしまいそうになる。ここに書かれていること、「自然⇒
農林漁業⇒手工業製品⇒産業・職業⇒生活・文化」⇒「文化風土・精神風土⇒人間性」の(二段階の、もしくは「産業・職業」の前にもう一つの切れ目
を入れて三段階の)推移は、とても深いものだ。人間を、というよりこの私自身を考える際、あるいは地域政策というときの「地域」の概念を定義する
際に、最低限押さえておかなければならないことが指摘されている。吉本隆明が「マルクス紀行」(『カール・マルクス』)で論じたマルクス思想の旅
程、すなわち「自然哲学」「宗教・法・国家」「市民社会(経済学)」の三つ組ともかかわってくる。だからどうした、と問われても困るが、とにかく
私は三浦氏のこのフレーズを読んで、とても深いと思ったのだ。
★6月9日(金):三浦語録
三浦展氏の「「街育」のすすめ」(『脱ファスト風土宣言』序章)から、ぐっときたフレーズをもう少し拾っておく。ほとんど各頁から一つ、だらし
ない抜き書きになる。この人の「思想」は、どこか深いところへ届いている。
・「…流動性と匿名性は都市だけの特徴ではない。道路網の整備によって、日本中のどんな田舎でも流動的で匿名的な空間になったのだ。」(19頁)
・「…ファスト風土では悪所が偏在化する。」(20頁)
・「ファスト風土化」(大規模量販店の進出による郊外農村部の急激な変容)は人々の人間観や倫理観にまで影響を与える。「それを具体的にいえば、
「人間も大量生産される物であるという感覚」である。」(21頁)
・大型ショッピングセンターに陳列された物(商品)には顔が見えない。そこでは「人だけでなく、物自体もまた匿名」である(22頁)。
・「…東京の魅力というのは、物の豊かさだけではない。いろいろな人がいて、多様な生き方があり、本当のプロがいる。そこでいろいろな人と出会
い、より広い視野を持ったり、個人の多様な可能性を感じたり、自分でもその可能性を試そうという気持ちになったりするという点が東京のような都市
の魅力であり、存在価値であると私は考える。」(23頁)
・「ファスト風土は、閉じた空間である。」(24頁)
・「ショッピングモールが一見都市に似て、都市と違うのは、この没社会性[他者との出会いと会話の欠如]にある。」(24頁)
・「…非効率で無駄の多いコミュニケーションこそが人間社会の基本ではないのか。」(26頁)
・「現代においては、個人が自らのアイデンティティを確立しようとするとき、地域社会に規定されたいとは誰も思わない。他方、地域社会自体が弱体
化しているので、個人のアイデンティティを規定する力を持っていない。/では、どうなるのか? そのとき若者は、一気に国家にすがる可能性がある
と私は考える。」(27頁)
・「ファスト風土以外の(以前の)風土や街が、選択肢として存在し続けなければならない」(28頁)。
・「…社会を具現化したものが街なのだ。」(29頁)
・「…街がなくなるということは、そうした連関[物をつくる人がいて、運ぶ人がいて、売る人がいて、買う人がいる…]が見えなくなるということで
ある。それは社会がなくなるということなのである!/それは、ひいては、そこで育つ子どもが社会の存在に気づく機会が失われるということであり、
最終的には、子どもの社会化が阻害されるということであろう。」(30頁)
・「街育[まちいく]」とは、「「悪所」も内包した本来の街」をつくるということである(30頁)。
・「子どもが社会を学ぶ場所という観点に立てば、逆に街に何が必要かもよく見えてくる。」(31頁)
☆2007
★10月16日(火):限界集落
いわゆる「限界集落」の問題を考える会合に参加して、事例発表や参加者の発言を聞いて考えたこと。
◎まず、そこに住む「人」とその「生活」がある。健康、教育、消費(利便)、文化といった基本的な生活欲求が満たされなければいけない。資産管
理、しごと、収入などの経済基盤が欠かせない。これらの要素がないと、人の生活は成り立たない。健康で文化的な最低限の生活は、憲法が保障してい
る。
次に、人々の暮らしを取り巻く「土地」、つまり「自然」や「環境」がある。「空間」といってもいいが、それは「時間」を内蔵した空間、あるいは
「履歴」をもった空間である。
多自然居住といわれる地域には、国土保全機能をはじめ、そこに住む人にとってのものだけではない社会的価値がある。これらのうち、荒廃するに任
せておけない部分については、社会全体で守っていかなければいけない。
この二つのもの(人=生活と土地=空間)は、農山村部では、実は一つになる。農業であれ林業であれ、人々の「なりわい」はその土地から離れて営
むことはできない。人々がそこで暮らし続けることが、その空間を維持することにつながる。
この二つのものを媒介するのが「集落」である。生活の共同性となりわいの共同性を担う集落。それは、本来は目に見えないソフト技術の集蔵体であ
る。
◎人と土地と集落。限界集落を考えるとは、この三つの要素を同時に考えることである。それは、農山村部、多自然居住地域の問題を、いわば限界事例
において考えることである。
人と土地と集落は、多自然居住地域の「経済体制」の三要素である。あと一つ加えるとすれば、集落内ではまかなえないサービス、たとえば医療を典
型とする専門的サービスに対する「アクセス」。具体的には、道路の整備や訪問サービスなど。
この四つの要素を同時に考えることが、限界集落、ひいては多自然居住地域の問題を考えることである。たとえば、第四の要素を抜きにすることは、
いわば自給自足の経済体制を考えることである。
限界集落の「経済体制」の特徴は、外部化に制約があることである。
これが人口密集の都市部であれば、「集落」という要素は限りなく希薄化する。営利企業が参入できるからである。基本的な生活欲求の充足から経済
基盤、冠婚葬祭、地域行事にいたるまで、都市では、外部委託できないものはほとんどない。
同時に、都市では土地(自然、環境、履歴をもった空間)も希薄化する。集落とともに抽象化される。
貨幣と市場が集落という媒介にとってかわり、工場とオフィスと店舗が土地にとってかわる。
集落では、外部へのアクセスの場面をのぞき、現金は本来必要がない。
◎限界集落をめぐる政策的対応を考える際、上記の四つの要素をトータルに考えないといけない。
これまでの対応は、四つの要素をそれぞれ単体としてとらえてきた。たとえば福祉政策、農村政策、農業・林業政策、道路政策として。
それは、都市の経済体制を前提にしたアプローチだった。全体を部分の総和と見る線形思考。つまり社会邸分業を前提にした政策論。
だとすると、限界集落は、多自然居住地域の問題に対する限界事例であるだけではない。都市と工業を核とする近代社会、いや現代社会がかかえる問
題に対する限界事例でもある。
新しい「経済体制」をつくりだすこと。かつて「都市と農村の結婚」ということがいわれた。それと似た、集落経済と都市経済の二つの体制の結合。
NPOと営利企業の、両方の要素を兼ね備えながら、そのいずれでもないもの、社会企業と呼ばれる主体による循環経済。その「土地」の富が、抽象的
な外部へとかすめとられない経済体制。「資本」の地域内循環。
かつての「自然経済」の仕組みを復活することはもはやできないし、そうすることに意味はない。できることはまず保存すること、そしてそこから伝
統知(ソフトな技術)を抽出して、現代に生かすこと。