「仏教思想について」(2006.1-2007.3)



☆2006

★1月7日(土)

 昨年の暮れ、梅原猛著『美と宗教の発見』にいたく感銘を受けた。この本を手にとったきっかけは、そこに歌論・能楽論をめぐる文章が収められてい たからだが、読み進めていくうち、「美」より「宗教」の方により強く惹かれるようになっていった。具体的には、国語教育に関連して述べられた、 「かつて日本人の教養の中で、大きな位置を占めていた仏教の教養はどうなったのだろうか。たとえば、雄大な思想を比類なく雄渾な文体にもった見事 な空海の文章、一言一句が無常な人生の前にたつ緊張感にふるえるかのような源信の文章、あるいは、内面の深い罪のうめきを、執拗に追いかけるよう な親鸞の文章、そして、無類の宗教的情熱を、断定的な命題に託した日蓮の文章、それらの文章は、日本のもっともすぐれた人間が達することの出来 た、もっとも深い精神の表現だ」というくだり。
 石川忠司著『現代小説のレッスン』に、阿部和重をめぐる「ペラい日本語」論が出てくる。これを読んで、加藤典洋著『僕が批評家になったわけ』を 想起した。そこにこう書いてあった。──あるとき、本居宣長や荻生徂徠を読んでいてとても気持がよかった。その譬えとか、物の言い方が実に過不足 がないという気がしたからだ。日本のことばは明治になった後、まだ平静を取り戻していない。ということはまだ平熱を回復していない。日本のことば は完成していない、云々。
 これらのことが綯い交ぜになって、今年は、歌論・連歌論・能楽論・俳諧論の類とともに、日本の仏教思想にかかわる古典を繙いてみたいという思い が高じていった。日本語による哲学制作や思想の語り方について、なにか手がかりが得られそうな気がする。それも歌論と並行させることで、思考や表 現について深い認識に達することができるかもしれない。
 でも、何を読むか。空海でもいい。これまでほとんど関心のなかった浄土宗に関係するものでもいいし、禅でもいい。法然、親鸞、道元、日蓮、蓮如 といったビッグネームが綺羅星のごとく明滅して、何から手をつけていけばいいのか、皆目見当がつかない。だいいち、この気持ちがいつまで続くか知 れたものではない。などと、年末年始にかけてあれこれ逡巡していた。今日、久しぶりに近所の図書館に出かけて、寺内大吉著『法然讃歌──生きるた めの念仏』(中公新書)を借り、本屋で、紀野一義著『名僧列伝(一) 明恵・道元・夢想・一休・沢庵』(講談社学術文庫)を買った。まずは入門書 代わりに、名僧の生涯と思索をめぐる文章をいくつか読んで、どのあたりに自分の関心が傾くか、見定めることにしよう。

 しばし『法然讃歌』と『名僧列伝』、それから読みかけの桑子敏雄著『西行の風景』を拾い読みした。

★1月27日(金):『名僧列伝(一)』

 紀野一義著『名僧列伝(一) 明恵・道元・夢想・一休・沢庵』読了。この本はひどい。明恵や夢庭や一休のどこがいったい「名僧」なのか、いくら 読んでもまるで理解できないのだ。第一、著者はたとえば夢窓や一休を嫌っている。
 夢窓についてはこう書いてある。「乱世にあって、みごとに自派の教団の基礎を確立していったその力量と見通しのよさには驚嘆するほかない。…し かし、ついて行きたくなるような人であるかと問われたら、わたしは「否」と答えるほかはない。…夢窓国師は卓抜した禅僧ではあったが、庶民の師で はなかったし、もちろん、友などでは絶対なかった。…だからといって夢窓国師をけなすことはできない。国師は国師のようにしか生きられなかったの である。それが国師の弱さ、ひいては、人間のすべての弱さなのである。人は、その生まれついたようにしか、所詮生きられないものなのである。これ も今日風にいえば、人の生き方はその人のDNAの促すままに決まってしまうのであろう。」(152-153頁)これだとまるで片田舎のお寺で、足 の痺れをこらえた法事の参集者相手に得々と語る中身のないお説教のようではないか。
 一休についてはこう書いてある。一休禅師が雀の子を可愛がり、その死にあたって一山の僧侶に命じて葬式を出させたのは、雀の子の中にかつて父子 の縁を切ったドラ息子の姿を見ていたのであろう。ふだんは立派な高僧が、こと子供のことになると見るもあわれな妄執に振り回される。そういう例を たくさんみてきた。哀れと思い、腹立たしくもあった。「しかし、それが偽らざる人間の本然の姿なのであろう。どうしようもない人間の本音なのであ る。わたしはこの事実に感動した。しかし、わたしはこんな一休禅師が好きではない。どこか屈折しているし、陰湿なところがある。しかし、あの剛毅 果断な禅師でさえこうであったとすると、坊さまは子どもを持つべきではないなとしみじみ思う。」(184頁)思わずつっこみを入れたくなるボケの あとでしみじみ述懐されても困る。
 これでは、好きでもない「名僧」の話をよく人に話してきかせられるよな、と呆れるしかないではないか。それでも道元のことは尊敬しているらし い。『正法眼蔵』弁道巻で述べられた「さとりの深化の過程」をめぐって次のように書いている。
《これをやさしくいうと、ある人がさとると、まわりにいる者がみんな浄化されて次々にさとる。これらのさとった人のはたらきに助けられて、その坐 禅人はさらに仏としての修業を積むようになり、遂にはまわりの自然界まで仏のはたらきをあらわすようになる。しかも本人はそのことを知らない。/ こんな生きかたができたらどんなにすばらしいだろうか。自然までが変わってしまうような人間の生きかたを、こんなに明確に説明してくれたのは道元 禅師だけである。日本の生んだ思想家の中で道元がピカ一だとわたしが思うのは、人間が生きてゆく上に一番大切なことを、この人が憎たらしいほど ぴったりとくる表現でわれわれに教えてくれるからである。体の中にどすーんとくる言いかたで説明してくれるからである。道元禅師に教えられるとい うのではない。道元禅師を動かしている大いなるものの力に直接教えられているという感じである。こんな思想家はめったにあるものではない。》 (103-104頁)
 これも結局は「思想家」として道元のすごさであって、「名僧」の話ではない。全編この調子なのだ。随所に挿入された禅問答の数々も、私にはその 意味も意義もさっぱり判らなかった。いくどずっこけ、いくど絶句したことか。だったら読むのをやめたらよかったのに。自分でもそう思った。この本 を少し読むたび、その「口直し」もしくは「毒消し」に『梅原猛、日本仏教をゆく』(朝日新聞社)を同量ずつ服用したくらいである。それでも最後ま で読めたのは、基本的に著者に対する最後の信頼が失われなかったからだ。
 この人はウソは書いていない。DNA云々の勇み足はいくつもあるし、面白くもない私事や凡庸な私見がとつぜん挿入されて叙述が中断することも 再々だが、それらはまあご愛敬ですましてもいい。自分に判らぬこと、理解できないことは書かない。名僧の「名僧」たる所以は、実地に接した人にし か判らぬ。文字で伝わるのはその残り香でしかない。そのような潔い断念が本書を救っている。それどころか、著者の私事・私見を濾過して得られる 「名僧」の残像は、こういうかたちでしか伝えられないかもしれないのである。(副読本の場合だと、そこに梅原猛の思想が力強くたちこめてはいて も、「名僧」の残像は数々のエピソードのうちに雲散霧消している。)
 著者は巻末の「原本あとがき」に、「この巻に収めた明恵・夢想・道元・一休・沢庵の五人の禅者の歩かれたところ、止住されたところはすべて実地 に歩いて見た。その地に行ってはじめてこれらの禅者たちの生きざまが鮮明に知られるようになった」と書いている。
《紀州の明恵上人ゆかりの地をくまなく歩いた時の感激と驚き、出羽三山に沢庵禅師の配所を訪ねた時に鮮烈に浮かび上ってきた沢庵書翰の数々のこ と、夢窓国師の造られたという庭をひとつひとつ探して歩いた時に、骨に応えてきた感銘の数々、それらは必ずしも皆、この書の中に書きとどめてある わけではない。それらはすべて、行間に姿なき文字として書きとどめてある。願わくはその微意を汲んで頂きたいと思うものである。》(264頁)
 これは真実の言葉ではないかと思う。「行間に姿なき文字として書きとどめてある」ものは著者の個人的な感銘の数々ではなく、名僧の「名僧」たる ゆえんであろう。しかし「本人はそのことを知らない」。『名僧列伝』は四巻まである。続けて第二巻を繙くかと問われれば、たぶん読まない。

★1月28日(土):『日本仏教史』

 仏教熱が高じてめらめらと白い火が熾っている。仏教そのものというより、日本仏教思想史への強烈な関心が沸騰しはじめた。歌論書はどうなる。心 敬はどうする。内なる声が警告を発するが、この際無視する。『名僧列伝』では欲求不満が残ったので、運命の本というと大袈裟だが、この飢えを癒し てくれる書物との偶然の出会いを求めて数日におよぶ書店めぐりを敢行し、ようやく一冊の本にたどりついた。末木文美士著『日本仏教史──思想史と してのアプローチ』(新潮文庫)。
 まだ読みもしないであれこれ書くのもどうかと思うが、この本には今の私が求めているすべてがある。根拠のない決めつけだが、長年の経験から、こ ういう時の直感はたいがいあたると確信している。買ったのは先週の火曜日だが、諸般の事情からぜんぜん手がつけられない。「序章にかえて」だけ読 んだ。そこに出てきた次の文章が目をひく。
《…一概にはいえないが、どうも仏教には定着しにくい一面があるような気がする。思想の次元でいえば、例えば、「空」という発想にはどうにも落ち 着きの悪さがある。「空」は「有」として安定することへの絶えざる否定であるから、定着することをはじめから拒否している。その否定のエネルギー が、インドや中国という巨大な伝統をもつ文明においてさえ、一時期強烈な衝撃となるが、それがヴェーダーンタなり儒教なりの伝統思想のなかに吸収 されることによって、はじめて安定した構造をもち得るのではないだろうか。まあ、これはいささか勝手な大風呂敷だが、日本の場合だって、それほど 「日本」と「仏教」とは自明の調和関係にはないことは確かだ。》(13頁)
 定着しにくいということは、伝統になりにくいということである。それは「日本の思想」についてもいえることだ。定着しにくいもの同士が「日本仏 教」としてくっついている。(いや、かつてくっつき定着したことがある。現在はどうか。それは知らない。)しかも「日本仏教史」である。定着しに くいものの歴史を語るとは、なんと難儀なことだろう。「序章にかえて」の冒頭で、著者は「日本では自国の過去の思想を思想史として定着させること ができなかった」(9頁)と書き、丸山真男の『日本の思想』からの文章を引用している。

★1月29日(日):『いきなりはじめる浄土真宗』

 『物質と記憶』の独り読書会は今日はお休み。このところにわかに私生活が多忙をきわめるようになり、ろくすっぽ活字を読む時間がとれない。久し ぶりの休日も、お持ち帰りの仕事が気になって、思うように時間を使えない。あと一月ほど、この状態が続く。せっかく「毎日更新」を継続しているこ のブログも、いつまで持つかわからない。せめて百日まではがんばってみたい。千日行ならぬ百日行。それも危うい。

 昨日とりあげた『日本仏教史』の文庫解説を橋本治が書いている。「原因があってこその結果である」という考え方こそ仏教の根本だ。解説の最後に 出てくる言葉だが、これは本当のことか。内田樹・釈徹宗両氏のネット上の往復書簡をまとめた『インターネット持仏堂1 いきなりはじめる浄土真 宗』(本願寺出版社)を眺めていると、釈氏の次の言葉が目を引いた。
《仏教は因果律に基づいています。いかに仏教にバリエーション多しといえども、これだけははずすわけにはいかないっ、というほどの「仏教における 基本的立脚点」です。因果律とは、「あらゆる現象や存在には、原因がある。原因があれば必ず結果がある」という原則です。この法則に例外はない、 ということで仏教は成り立っています。因果律の立場もいろいろあるんですが、仏教の因果律は〈縁起〉という相互依存性を強調するところに特徴があ ります。》(14頁)
 これは、内田樹の問いかけ──「縁」とは「自由」の(反対概念ではなくて)「対概念」である、縁という宿命的なものに媒介されてはじめて人間は 自由が何であるかを覚知するのだし、自由な人間しか縁を覚知することができない、こういう考え方について釈先生はどうお考えになりますか(11 頁)──に応えたものだ。「縁は自由の対概念。この言葉だけでも、これからすごい話が展開されそうな予感がヒシヒシと伝わってきます。でも、なん か、もう、意外な出だしですねぇ」と釈氏のコメントあり。ほんとうに「すごい話」が展開されそうでワクワクする。

★1月30日(月):『はじめたばかりの浄土真宗』

 昨年どういうわけか読み損ねた本のなかで、『インターネット持仏堂』は最上級で気になっていたものだ。昨日、近所の図書館で二冊そろったのを見 つけ、後ろめたい思いを殺して借りてきた。なぜ後ろめたかったかというと、内田樹が『いきなりはじめる浄土真宗』のあとがきの最後にこう書いてい たからだ。「話が弾んで、一冊では収まりきらず上下二冊分冊となってしまった。ご散財かけますけれど、この続きもどうかよろしくお買い上げ下さ い。」
 ヴァーチャル堂宇「インターネット持仏堂」[http://www.tatsuru.com/jibutsu/html/]はいまでもネットに 残っている。「インターネット持仏堂の逆襲・教えて!釈住職」[http://www.tatsuru.com/jibutsu/]というものも ある。本になればネットから削除するのはよくあることだが、内田樹がそんなケチな了見で、天下の往来で所場を張っているわけではない。だからタダ で読みたければネットを検索すればいい。でも商品になったものは買って読まないといけない。ポータブルで「カジュアルな仏教書」(内田樹)を持ち 歩いて手軽に読みたいなら、「散財」を惜しんではいけない。それがルールというものだ。図書館は重宝だけど、やっぱり現在出回っている本を貸し出 ししてはいけない。第一、借りたものには気が入らない。投資をしないと身につかない。
 で、『インターネット持仏堂2 はじめたばかりの浄土真宗』をぱらぱらと眺めている。これはちょっと凄いことになっている。要点を箇条書きにし てみても何も始まらない。始まるかもしれないが、それだとお勉強モードになってしまう。つまみ食い的に「これは」と思う箇所を抜き書きして済ます ことなどできない。できなくはないが、それは気の抜けた言葉の死骸にかぎりなく近い。たとえば、内田樹の次の言葉。「おのれがすでにおのれ以外の 何かによって基礎づけられ、それに遅れて到来したという自己意識のあり方。/それを私はこの書簡の中で「宗教性」と呼びました。/真に知性的であ ろうとすれば、人間は宗教的にならざるを得ない。」(『はじめたばかりの浄土真宗』160頁)これだけ抜き出しても、たぶん何も伝わらない。
 この本の読み所は中身よりもむしろ言葉遣いにある。ネットで培われ、鍛えられてきた文体。それはまだ形成途上のものだと思うが、思想を語るまっ たく新しい語り口(『いきなりはじめる浄土真宗』「その1」のレヴィナスの注釈に出てくる「対話的エクリチュール」という語が近いか)がそこには ある。内田樹の文体については、いまさら指摘するまでもないと思う。面白いのは浄土真宗本願寺派如来堂住職の釈徹宗の言葉。なんだよくあるメール 文じゃないかと言ってはいけない。
《えー、ところで、真宗は追善供養や慰霊や祈祷をしない、ということになっております。ええっ、そんなこといっても真宗でも葬儀・法要はやってい るじゃないか、というツッコミ、ごもっともです(汗)。それは、死者のために供養したり、慰霊したりしているのではなく、仏の徳を讃える儀礼であ り、その儀礼を機会に仏教の話を聞く「縁」を持つために行っている、と考えるのです。》(『はじめたばかりの浄土真宗』94頁)
 この往復書簡が縁になって、内田樹・釈徹宗の「合同講義というか、漫才形式の哲学=宗教学講義」 [http://blog.tatsuru.com/archives/001248.php]が去年の9月から始まっているらしい。その講義録 は「インターネット持仏堂3」として「本願寺出版社から出版される(かもしれない)」とのこと。

★2月13日(月):『仏教vs.倫理』

 末木文美士著『仏教vs.倫理』(ちくま新書)を買った。先月、同じ著者の『日本仏教史──思想史としてのアプローチ』(新潮文庫)を「発見」 した。さっそく買い求め、日々の日課のようにして読んでいるが、乾いた砂に水が染み入るようには知識が頭に吸収されない。なんとか頭に入った事柄 は、今度は熱砂に撒かれた水のように、あっという間に蒸発してしまう。毎年この時期は、読書不毛の時をすごす。後になってふりかえってみると、こ の時期に悪戦苦闘した経験はどこか深いところに沈澱していて、必ず何かのかたちで生きてくる。長年の経験でそういう巡り合わせのようなものに気づ いてから、焦らずくさらずじっと我慢ができるようになった。
 『仏教vs.倫理』は、今とは別の時であったなら、たぶん購入することもなかったと思う。たまたま偶然『日本仏教史』を読んでいたから、同じ著 者による新書がタイミングよく刊行された、その偶然を奇しき縁と感じて手にし、なにかしら得難い読書体験の到来を予感して買い求めた。こういう縁 に導かれて繙いた書物には、必ず何かが潜んでいる。不足している栄養素がたくさん蓄えられた食材を、そうとは知らずに躰が求めるようなものだ。と りあえず全体の5分の1ほどの分量を読んでみたが、『日本仏教史』と同様、ぐいぐい引き込まれるほどの興奮はない。それでも、なんとか読み終え て、来る日のための蓄えとしておきたい。これまでのところでは、本覚思想について書かれた箇所が印象に残っている。
《このように、本覚思想によれば、この世界はすべてそのままでよく、何ひとつ改める必要はないことになる。こうした考え方は、天台の本覚思想に もっとも典型的に見られるが、それに限らず、中世の仏教に広く見られるところであり、それをも含めて広義の本覚思想ということができる。本覚思想 は中世の日本文化に大きな影響を与えた。無常を無常のままでよしとする発想は、『徒然草』などにも見えるし、自然の草木がそのまま仏の世界である という思想は、中世の芸能や芸術、茶道・華道などにも生きている。》(28頁)

☆2007

★3月17日(日):立川武蔵『仏とは何か』

 立川武蔵著『仏とは何か』(講談社選書メチエ)を読んだ。
 講義録「ブッディスト・セオロジー」の第三巻。第一巻「聖なるもの 俗なるもの」と第二巻「マンダラという世界」は、昨年三月、四月と続けて刊行された際に買い求め、全五巻が出揃ってからまとめて読もうと思って、摘み読み もせずに大事にとっておいた。
 同じ選書メチエから出た、中沢新一さんの講義録「カイエ・ソバージュ」全五巻は破格の面白さだったけれど、なにしろ半年ごとの刊行だったものだ から、欲求不満が募った。こんどはどうやら毎月出るようだから、少し辛抱すれば、一気読みができる。そう思っているうち、一年がすぎた。
 今後の予定を見ると、第四巻「空の実践」が八月、第五巻「ヨーガと浄土」が来年の四月となっている。それまで待てない。長編小説を佳境に入った ところから読み始めるみたいで、ちょっとためらいはあったけれど、思い立ったが吉日、とにかく読んでみた。

 宗教とは「聖なるもの」と「俗なるもの」との区別を意識した合目的的行為である。すべての宗教行為は世界認識(世界観)、目的(目標)、手段 (実践)の三要素を含んでいる。
 本書では、マンダラという仏や菩薩の住む世界の中に示されている、仏教における行為の目的・目標が、「ホーマ」(バラモン教のヴェーダ祭式=護 摩)や「プージャー」(ヒンドゥー教の儀礼=供養)などの宗教儀礼、仏塔(涅槃のシンボル、世界=宇宙、ブッダの身体、立体マンダラの四つの意味 をもつ)や仏像といった宗教シンボル、そしてバクティ(帰依)等々の宗教行為をめぐる詳細な叙述を通じて、具体的に考察される。
 また、宗教には時代の状況に対処して進む自覚的な方法があり、それをセオロジカル(神学的)と呼ぶならば、仏教にもそういった自覚的な歩みがあ る。原始仏教から、密教(世界の内なる仏=大日如来)や親鸞の浄土教(世界の外なる仏=阿弥陀仏)まで、ゴータマ・ブッダの悟りと思想を根底に据 えながら、仏教は、一つの生きものように「神学的」な歩みをおこなった。
 本書では、初期における偉大なる師としてのブッダから、ジャータカ物語(ブッダの本生物語=過去生物語)を経て、「ペルソナ」(人格)をそなえ た神的存在として人と交わる、大乗仏教における仏たち(阿弥陀と大日)に至るまで、仏のイメージの変容と、それをもたらした仏教思想の変革の過程 を、仏教美術の変遷や経典の読解を通じて、これもまた具体的に語られる。

 仏教の思想と実践をめぐる「セオロジー」の部分、とりわけ「ペルソナ」としての仏をめぐる議論に多大な関心と期待を寄せながら本書を読み始めた ものだから、最初のうちは、時に煩瑣とも思われる事実の列挙に味気ない思いを拭えなかった。
 しかし、宗教という、個人的、集団的、いずれの相においても生々しい人間的営みについて考えるとき、数千年、もしくは数万年に及ぶ人々の思いと 行いがかたちづくってきた具体的な歴史への敬意と洞察を抜きにして、空理空論の世界に遊ぶことなど無意味だろう。
 本書を読み進めていくうち、とりわけ第七章「ジャータカ物語と仏の三身」から第八章「大乗の仏たち──阿弥陀と大日」、そして、本書を総括しつ つ第四巻の主題(空の思想)へとつないでいく第一○章「浄土とマンダラ」へと頁を繰っていくうちに、具体的な相における比較と変遷を、繰り返しを 厭わず淡々と綴っていく著者の語り口に、すっかり魅了されていった。

     ※
 記録しておきたいことはたくさんあるが、ここでは、三身仏の思想、もしくは「ブッダの三つの位態」(219頁)をめぐる思想に関して、キリスト 教の三位一体説(神の三つの位格)と比較しながら述べられた箇所を、抜き書きしておこう。

《三身の思想は、初期大乗仏教の時期、四世紀に確立されたと考えられます。三身とは、法身〔ほっしん〕、報身〔ほうじん〕、化身〔けしん〕という ブッダの三種の身体(身)をいいます。この三つの身体を有する仏は、それぞれ法身仏、報身仏、化身仏と呼ばれます。第一の法身仏とは、法そのもの を姿としている仏という意味です。法そのものにはすがた、かたち、さらには色や香りもありません。したがって、法身仏つまり「法を身体としている 仏」とはいいますが、われわれの目に見えるような肉体を持ったブッダのことではありません。
 第二の身体、つまり報身仏とは、サンスクリットでは「サンボ-ガ・カーヤ」です。「サンボ-ガ」とは、享受のことであり、「カーヤ」とは身体で す。「サンボ-ガ・カーヤ」とは「〔自らの修行の結果を〕享受するための身体」という意味です。修行をして、その修行の結果として悟りに至り、そ して衆生を救うのですが、その衆生を救う行為が、それまでの修行の結果を享受することと解釈されているのです。ブッダつまり覚者となった存在が衆 生のために働いているすがたが、「修行の結果をわが身に受けるための身体(報身)」と考えられました。そのような身体を有する仏が報身仏(サンボ -ガ・カーヤ・ブッダ)です。誰かの恩に報いるというように読めますが、そういう意味ではなく、報いを楽しむための身体というような意味になりま す。「受用身〔じゅようしん〕」ともいわれますが、こちらの方が的確な意味を表しているかもしれません。この報身仏は、歴史的な肉体を持った仏で はありません。ただ、この仏には、すがた(イメージ)と働きがあります。
 第三の化身仏とは、歴史の中で肉体を持ったシャーキャ・ムニ(シャカ族の聖者)です。彼は歴史の中で実際に肉体を持つことのできた存在です。つ まり受肉したすがたを採ったブッダです。今日のチベット仏教における活仏という考えは、肉体を持ちながら法そのものを体現したという意味から生ま れており、一方で化身という言葉も用います。たとえば、ダライラマが観音の化身であるというのは、肉体を持っているというところにポイントがある のです。
 いささか乱暴ないいかたですが、この法身仏、報身仏、化身仏は、キリスト教における父と子と精霊に相当します。天が法身に当たり、子が化身に当 たり、報身が精霊に当たると一応はいうことができましょう。(略)

 このような仏のイメージの典型を浄土教において見ることができます。つまり、法蔵菩薩(比丘)が修行の結果、阿弥陀仏となったという神話が『阿 弥陀経』や『無量寿経』という浄土教の経典に語られているのです。この神話はシャカ族の王子シッダールタが出家の後、悟りを開いたという歴史的事 実を踏まえています。しかし、その阿弥陀仏にはシャカ族の王子であったという歴史的要素はすでにありません。阿弥陀仏とは、聖性の度合いをより一 層強めた存在に昇るために、あるいは乗せるために、シャーキャ・ムニの生涯における歴史的な個差を切り捨てた、すなわち、数学的にいえば微分をし た姿であると考えられます。(略)
 ……三~四世紀以降、大乗仏教は、ゴータマ・ブッダのイメージを変化させ、阿弥陀仏(無量光、無量寿)などの多くのブッダの像を生みました。浄 土教においては、一般にこの阿弥陀仏は報身と考えられております。報身は歴史的な存在ではありませんし、肉体を持ってはいませんが、イメージを持 ち、働きを持つブッダと考えられているゆえに、仏のすがたの変容を考える際大きな役割を果たします。》(142-145頁)

 後段の浄土教について書かれた箇所に関連して、「『阿弥陀経』や『無量寿経』に描かれている浄土の様子は、すこぶる視覚的なものである」 (171頁)云々と、「神の図像化」もしくは「「聖なるもの」のヴィジュアル化」を論じた箇所も面白い。
 また、浄土(世界の外への遠心的方向=「脱自的方向」)とマンダラ(世界の内への求心的方向=「保身的方向」)を、空の思想における自己否定と その後のよみがえりに関係づけている、本書末尾の議論も面白い。このことは、宗教実践を主題とするシリーズ第四巻以降で述べられるという。刊行が 待ち遠しいが、それまでに、第一巻、第二巻をちゃんと読んでおかねば。