保坂和志『途方に暮れて、人生論』のことなど(2006.9)



★9月10日(日):もうひとつの記憶のかたち──『途方に暮れて、人生論』ほか(1)

 先週、小島信夫の『残光』を読み、今週、保坂和志の『途方に暮れて、人生論』を読んだ。『残光』が出たのが5月、『途方』が4月で、買ったきり しばらく放置したままになっていた。
 この春先から初夏にかけて、買ったまま放置している本はかなりたまっていて、それに3月末頃までに読み切れずこれまた放置している本がたくさん あって、ずっと気になっていた。あまり関係ないと思うが、夏も終わりを迎えたのでそろそろ本箱の衣替えのための棚卸をしなければいけない。まずは 読みやすそうなものからと思って『残光』と『途方』の二冊を手にしたら、どちらも読みはじめるとすぐツボにはまり、いったんツボにはまると最後ま で止まらなくなった。
 最後まで止まらなくなったものの、いざ最後まで読み終わってみると、なにが書かれていたか記憶がたちまち曖昧になる。読中、読後の感触が朦朧と してくる。もう少し時間が経つと、きれいさっぱり忘れてしまうだろうと思う。きれいさっぱり忘れてしまう、とはいくらなんでも誇張がすぎるが、た とえば『残光』についていうならば、何年経ってもそこに書かれていた素材のいくつかは覚えているだろうけれども、それが全体の流れのなかでどのよ うに綴られ、他の素材とどのように織り合わせられていたかを思い出すことはほぼ完璧に不可能だろう(ちょうど、一度や二度聴いただけでは長い交響 曲を記憶できないように)と、これは確信をもっていえる。
 『途方に暮れて、人生論』の方は逆に、保坂和志の文体というか文章のどこか奇妙で独特なつながり方、息遣い、感触のようなものは結構鮮明に覚え ているような気がするけれども、それを再現することはまず無理で、そこで扱われていた議論の素材や組み立てを復元することはほぼ完璧に不可能だろ うと、これも確信をもっていえそうな気がするが、これもまたかなり誇張した表現になっている。

     ※
 『途方に暮れて、人生論』に「私が老人を尊敬する理由」という短い文章が収められていて、それは次のような話題からはじまる。──小島信夫が 『文藝春秋』のグラビア・ページ「日本の顔」に載ることになった。小島信夫から保坂和志に「一緒にそのページに写ってくれないか」と電話がかかっ てきた。「あ、保坂さん。ちょっとお願いがあるんですけどねえ、『文藝春秋』に毎月、年寄りの写真を撮って載せるページがあるでしょ。」功なり名 を遂げた人なら誰もが載りたいと思っているであろう「日本の顔」をただ「年寄りの写真」と言えてしまう老人力!
 いや、私(保坂)は「老人力」の笑い話を書きたいわけではない。もっとまじめに「老い」について書こうとしているのだ。──そこから先、エッセ イは保坂式の迂回路をくねくねとたどって、次のような決め言葉で結ばれる(わけではなくて、本当はもう少し話題がつづく)。
《人間、年をとると、おせっかいで口うるさくなって、保守的で穏当なことしか若い人に言わなくなるものだが、人間にはそれぞれの壮年期に、時にア ナーキーとも言える固有のパワーがあった。私自身には子どもがいないけれど、姪と甥はいる。あの子たちも、おじいちゃん・おばあちゃんのことを今 の姿からしか判断していないだろう。しかし、
「おじいちゃん・おばあちゃんは、たいした人だったんだよ。あんたたちなんか、全然負けているよ。」
 と教えてやりたい。……いや、そんなことより、老人に垣間見られる断片から壮年期のパワーを再現する方法というか推察力を作り出すことが、小説 家としての私の仕事なのではないかと思う。》(95-96頁)
 以下、「古老」は「裏返しのヒーロー」にすぎず、「おばあちゃんの知恵」もまた技能の有無や優劣で人を判断する社会の中の価値観にすぎない。人 間は部分=技能の集積ではない。パワーは個々の技能のことではない。もっと「反社会的(アナーキー)」なものだ。人はみなそれぞれの中にあるパ ワーをなんとか飼い慣らし、それを効率優先の社会の中での社会性に変形していく。老人とはそういう力の社会から退いた人のことだ。社会が老人に対 してなすべきことは、「老人として、どういう役割があるか」を考えることではなく、その人が最盛期に持っていたパワーに対して敬意を持つことだ。 そういう敬意さえあれば老人は安心して老人力を揮っていられる……と議論はつづく。

 『途方』に収録された26篇の「人生論」のなかで、それほど「重要」なものとは思えないこのエッセイを取り上げたのにはわけがある。それは一つ には、ここで話題になっている「日本の顔」の写真のことが『残光』でもリアルタイムで綴られていて、先週、今週とつづけて読んだ二冊の本をつなぐ のにちょうどいい蝶番になると思ったからだ。でも、これはあまり本質的な理由ではない。
 むしろ(実はこれは上の抜き書きをしながら考えついたことなのだが)、「私が老人を尊敬する理由」という一文は『途方に暮れて、人生論』の全体 を要約、ではなくて「縮約」しているのではないかと思ったからだ。
 それはなにも「効率優先の社会」という、このエッセイ集の表面と裏面を流れる「テーマ」にかかわるキーワードがそこに出てくるからだけではな い。また、老人がかつて持っていた「固有のパワー」と、エッセイ集の中間あたりに出てくる「土地」や「自然」、そして最後の方で話題になっている 「文化、教養」の力とがどこかで響きあっている(ように思える)からだけでもない。あるいは、エッセイ集の最初の方に出てくる「生まれる時代を間 違った」女性の生き方もしくは「生きにくさ」が(時空を超えた?)「老人力」によって救われる(ように思える)からだけでもない。
 それらのすべてを合わせたよりもっとずっと大切なことは、ここで保坂和志が「老人に垣間見られる断片から壮年期のパワーを再現する方法というか 推察力を作り出すことが、小説家としての私の仕事なのではないかと思う」と書いているところだ。これはたぶん通りすがりについ筆がすべって書かれ たものではないかと思う。ここだけではなくて、保坂和志のエッセイには、随所にこれと似た一見無責任な決め言葉が出てくるので心底信用できない。 無責任というのは、それらが一見文章の流れの中で、その場の思いつきとして書かれたとしか思えないからそういうのだ。
 しかし、すでに書かれた文章は書かれてしまった時点で作者の手元を離れ独り立ちして、自らの帰属先の責任を追及する。生身の保坂和志をではなく て、小説家・保坂和志の責任を。その出自はたとえ一見いかがわしく無責任なものであったとしても、それがすでに書かれ世に出たという当の事実が 遡って小説家の責任を構成する。作品が生まれ出る時間そのものを仮構する。
 こうして「老人に垣間見られる断片から壮年期のパワーを再現する方法というか推察力を作り出すこと」こそ小説家、つまり小説を通じた思考者とし ての保坂和志のこれまでの仕事の実質であり、現にそうであり、これからもそうありつづけるのだということになる。「老人」とか「断片」とか「壮年 期のパワー」とか「再現」とか、そこで使われた語彙の意義をちゃんと確定しておく必要はあるにしても、これは保坂和志による保坂和志論の言葉に なっている。

     ※
 上に書いたことは、それこそ文章の流れの中でその場の思いつきとして書いたもので、自分自身でも心底信用できない。第一、何が言いたいのかよく 判らない。それでも懲りずに思いついたことをさらに書き連ねておくと、「老人に垣間見られる断片から壮年期のパワーを再現する」というのは、『残 光』という小説作品に対する批評の言葉にもなっている。
 『残光』を書いている小島信夫は眼がよく見えず、活字を読むことに難渋する。だから、『残光』という作品の中で自分が書いていることさえよく覚 えていない。「これから、時々、その名が出てくるかもしれない、山崎勉さんという人は、英文学者で、たいへん魅力的な声をしている。」第一章の冒 頭はそのように始まる。ところが第二章に入ると、こんな文章が出てくる。
《この人は前にいったかもしれないが、山崎勉さんという人で、本を読むとき、ぼくはこの通り眼が見えにくく、この原稿を書くにも手さぐりでやって いる始末で、本を読んでも部分を辿ることしかできず書いた原稿は書くには書けても、読むことはむずかしいので、山崎さんにいっしょに読んでもらっ ているし、いろいろと意見をうかがっている。(これからも、しばしば登場するが、宜しく頼みます)いま書いている原稿にしても、相談をしている。 山崎さんは、「新潮」連載のこんど本になった保坂さんの『小説の自由』を、最初からずっといっしょに読んでもらっている人で、彼は前にも述べたと 思うが、雑誌が出ると、わざわざ買いに出かけている。》(89頁)

 山崎勉という人は「たいへん魅力的な声をしている」。そうか、『残光』は眼がよく見えない(光がほとんど残っていない)世界を描いていたのか。 保坂和志の『残響』とは別のかたちの(つまり空間的乖離や物質的形象、表情や身体的所作を介したそれではないかたちでの?)記憶のつながり(記憶 の「唱和」とか「ポリフォニー的つながり」といってもいい)をテーマにしていたのか。ここで唐突にそう思いついた。もちろん、ここでいう「記憶」 の語義をしっかりと確定しておかないといけないが。
 そういえば、『残光』の末尾、施設に入所している認知症の妻を訪ねたときの夫婦の会話で、二人の記憶は果たしてつながったのか。妻はそのとき、 眼を開けていたのか閉じていたのか。
《十月に訪ねたときは、横臥していた。眠っていて、目をさまさなかった。くりかえし、「ノブオさんだよ、ノブオさんが、やってきたんだよ。アナタ はアイコさんだね。アイコさん、ノブオさんが来たんだよ。コジマ・ノブオさんですよ」
 と何度も話しかけていると、眼を開いて、穏やかに微笑〔えみ〕を浮かべて、
「お久しぶり」
 といった。眼はあけていなかった。》(240頁)

★9月11日(月):もうひとつの記憶のかたち──『残光』ほか(2)

 『残光』の後半、第二章から第三章にかけて、小島信夫自身による小島作品の引用につぐ引用が延々とつづく。何十年も前に原稿を編集者に渡したき り一度も読み返したことがなかった作品、そういう意味では初めて読んだも同様の作品からの作者自身による引用。それがなんとも面白いのである。本 書の最大の読み所になっている。
 読み所といえば、これは作品の最初から出てくるのだが、間接話法で引用される他人の発言の中に筆者(小島)の発言が引用され、その筆者の発言の 中にまた別の人の発言が引用される、たとえばそういったかたちで入れ子式に引用が重なっていって、いったい誰が誰に向かって何を語っているのか、 そもそも主語はいったい誰なんだ! と読んでいて混乱する個所がしばしばある。
 また、認知症の妻との散歩とか保坂和志とのトークのこととか、その他諸々の話題が頻繁に途切れてはまたつながり、過去のことと現在のことが自在 につながる語法が、生身の小島信夫と小説家・小島信夫との境、人称と時制の区分等々を曖昧にし、いったい誰がこの小説を書いているんだ! としば しば困惑させられる。
 それらの混乱や困惑はすべて、これは誰のつくった作品だったか今となってはわからない一篇の音楽作品のようなものだと思って読めば、いやそんな 趣向をこらさずとも、ただそれだけで充分に面白く、いま私は小説以外のなにものでもない異様な文章を読んでいるのだというずっしりとした実感に充 たされるのだが、それらにも増して、後半の引用につぐ引用は面白い。
 その面白さはもちろん、そこに抜書きされた作品の「断片」そのもの、文章そのものの面白さによるところが大きい。そこに何が書かれているかでは なくてどのように書かれているか(それを文体というなら文体なのだろう)、内田樹/ラカン流の「子どもの問い」、つまりそれを書くことによって作 者(小島信夫)はほんとうは何が言いたかったのか、そこに書かれていること以上のことやそこに秘められた作者の欲望とは何か、といったことが問題 なのではなくて、ただそれが書かれているときの純粋な運動のようなものがそこに立ち上がっているから(かつての小島信夫の「固有のパワー」のよう なものが垣間見られるからといってもいい)面白いのだ。
 あるいは、それを読んでいるときにだけ立ち上がる純粋文章とでもいおうか。保坂和志は小島信夫とのトークの前日、『寓話』と『菅野満子の手紙』 をあらためて読んできたのだが、これらの作品がどう終わっていたか、最初はどういうふうに始まったか、途中はどんなことが書いてあったか、「全く ワスレテしまっている!」(108頁)。そういうかたちで、つまり完璧な忘却という(記憶のもうひとつの)かたちをとってしか記憶できない文章。 ただそれが現前しているときにしか立ち上がらない、帰属すべき(責任)主体をもたない記憶。

     ※
 『残光』の第三章に、『各務原・名古屋・国立』からの引用と思われる(たしかに本文にそう書いてあるし該当頁数まで表示してあるが、実地に確認 しないとどうも信用できない)老作家と若い人との会話が出てくる。長いが、まるごと孫引きしておく。

《「脳のことは、まだよく分っていないのですよ。たいていの「学者よりは、まだぼくの方がいいところをついていますよ。もっとも何だって、普通の 専門家というものは、バカですけどね」
「それは、たしかに〈専門バカ〉というからね」
 老作家はこういう会話のやりとりがしたいのではなくて、何かタメになることをきき出したいというのが主要な目的である。その目的というのは、ア イコさんの記憶のことである。この若い人には『季節の記憶』という小説があり、さっきあげた『小説修行』のなかでは記憶というものは、その人の頭 の中にあるというよりも、ぼくはそのまわりの世界にある。あるいは響き合って残っている。その人が死んでも、その人の頭の中にある記憶に当るもの は残り、ぼくはそうした記憶の中で渡り歩いている。その人の頭の中にあった記憶は、たとえばその人の住んでいた家の窓とかタタミとか家具に残って いるというか、それらにひびきあっている。たとえば『嵐が丘』の作者の育った牧師館を見た人は、いかにも作者やその姉妹、兄貴などがそこにいたと いうことが、「なるほど、なるほど」といったぐあいに分る。
 だから無名作家のまま死んでしまうことを残念に思い「おれの人生は何であったか」なんてくやしがることはない。生前有名であったりそうでなかっ たりしたって、それはあとに残る。つまり、その人が生まれてくる前から世界はあり、死んでからも世界はありつづける。こんなことは当り前のことだ と、いう人はあるかもしれないが、このぼくがつい最近になって、そうだと思ったのだ。》(230-231頁)

 この最後に出てくる「ぼく」とは、老作家のことか若い人のことか。そもそも引用文の最初の「ぼく」を受ける述語が拡散している。つくづく不思議 な文章だ。それを見たとおり(それを見たときの体感のようなものを含めて)正確に夢を記録した夢日記があるとしたら、それはたぶんこのような文章 で綴られていることだろう。
 夢を「見る」という以上、そこには夢の中の視覚を成り立たせる光がたちこめていたはずだ。その光がかすかに残っているうちに、あるいは忘却の深 い淵にしずんでいくその刹那、弱々しい(あるいはかつての「固有のパワー」を最後の最後にいまひとたび発現させた)残光の一刷毛でもってさっと記 された文章。「残響」として残る記憶ではなくて、「残光」なくしては立ち上がらない忘却。

     ※
 『途方に暮れて、人生論』に「家に記憶はあるか?」という文章が収められている。以下に、その一節を抜書きしておく。
《昔の人は「この家には苦しんで死んでいった先祖の霊が住みついている」とか「この庭には一種、霊気が漂う」なんて言い方をしたわけだけど、“先 祖の霊”だとか“霊気”だとか、そんなものはない。それらは“賢者の石”と同じ発想であって、形のあるものがイメージされている。(略)
 しかしカエルの記憶には形がない。「形がない」というのは、言葉として簡単に指し示せる形がないということであると同時に、空間的にも「ここ」 と簡単に指し示せる形がないということでもある。
 私たちは名詞に対しては素早く反応ができて、イメージも明確に持てるけれども、物の様態や変化となると格段に反応が曖昧になる。同じように、空 間の中にある特定の“物”に対しては言葉で指し示すことが得意だけれど、“空間全体”となるといきなり曖昧で情緒的な言葉になってしまう。しかし 空間の中の“物”が客観的な存在であるのと同じく、“空間全体”も客観的な存在だ。
 反復という行為それ自体の中にある“何か”というのを“空間全体”と考えて、“霊”を空間の中にある特定の“物”という風に考えてみると、だい ぶ整理されて考えが前に進むのではないか。“空間全体”を見なければわからないところの“何か”をうまく指し示すことができなかったから、それを 便宜的に“霊”と呼んだのではないか? ということだ。》(140-141頁)

 文中に出てくる「カエルの記憶」というのはこういうことだ。カエルは産卵のときに必ず自分が産まれた水場に戻る。その場所までカエルを導いてく れるものは、嗅覚とか皮膚感覚とかではなくて、記憶によるのだということを実験によって確かめた人がいる。そこで保坂和志は考えた。来た道を逆に 辿りなおすカエルの記憶が、人間が知っている記憶の形態と同じであるはずがない。
 また、後半に出てくる「反復」という言葉については、その直前で次のように書かれている。
《野村萬斎は四歳ぐらいから狂言の所作を徹底して身につけていったわけだけれど、狂言という芸術表現の中身が守られるのは具体的な動きや発声で あって理論ではない。反復によって身体に染み込んだ動きや声が、狂言においてはそのまま内容なのだ。
 人間は反復によって“何か”を理解するようにできている。ただ反復によってしか理解できないことがあり、それが一人だけでなく複数の人間に共有 され、さらに時代をまたがって共有されたりもするのであれば、反復という行為それ自体の中に“何か”があると考えるべきで、その“何か”を人間化 して言うと“記憶”という言葉になるはずだ。旧家とはそういう“場”だ。その家に代々暮らした人たちが同じタイプの考え方や物の見方をしているな ら、それはただそこに暮らしている個人が考えているのではなくて、家によってそう考えるように仕向けられていると言えるのではないか。》(140 頁)

 記憶の容器としての小説。それは身体や旧家といった目に見える容れ物よりは、むしろ音楽に近い。『途方に暮れて、人生論』の最後に、主として音 楽家の発言や文章をコレクションした「数々の言葉」が収められている。それらはいずれも刺激に満ちていて、かつ美しい。さまざまな(残響型の?) 記憶のかたちがそこに語られている。

     ※
 保坂和志は『羽生──21世紀の将棋』(朝日出版社:1997)の中で、次のように書いていた。そこにもまた(残響型の?)記憶のかたちが表現 されている。
《人は将棋を指しているのではなくて将棋に指されている。一局の将棋とは、その将棋がある時点から固有に持った運動や法則の実現として存在するも のであって、将棋の工夫とはそういった運動や法則を素直に実現させるものでなければならないし、そのような指し方に近い指し方のできたものが勝つ はずだ(結論の出ないゲームとはそういう風にできている。運動・法則というのが、人間にとって一番捉えがたいものなのだから)。
 将棋とは個人の欲望や執念の産物でもなければ、個人の人生の比喩でもない。将棋というゲームの奥行き、広がりは、個人の人生よりもはるかに大き い。もし将棋が個人の欲望や人生の比喩程度のものであったら、とっくに必勝法が作られていただろう。
 したがって、将棋は棋風という個人のスタイルを持つのではなくて、スタイルを乗り越えて、持てるものすべてを投入して、将棋の法則を見つけ出そ うとする必要がある。》(13-14頁)

★9月12日(火):もうひとつの記憶のかたち──残光と残響(3)

 何を書いているのか(誰が考えているのか)自分でもよく判らないままに書き(考え)つづけていると、ずいぶん居心地の悪い思いがつのってくる。 でも、始めてしまったものは今さら後にひけない。もう少しつづけてみる。

 昨日、最後に『羽生』から引用した文章の中で、保坂和志は「将棋というゲームの奥行き、広がりは、個人の人生よりもはるかに大きい」と書いてい た。実をいうと、この一文を引用したいがために前後をまとめて抜き書きした。それにしてもなぜあのときこの一文が頭の中に浮かび、そしてそのとき 何を考えていたのか。たった一日経っただけなのに、そんな大切なことをもう忘れてしまっている。それほど微妙な問題を考えていたのだといえばきこ えはいいが、そういうことではない。
 もしかすると「将棋」を「小説」に置き換えて、「人は小説を書いて(読んで)いるのではなく小説に書かれて(読まれて)いる」と読み替えたり、 「一篇の小説とは、その小説がある時点から固有に持った運動や法則の実現として存在するものであって、小説の工夫とはそういった運動や法則を素直 に実現させるものでなければならない」と解読してみたかったのかもしれない。
 そうだとすると、まず保坂和志が「家に記憶はあるか?」の中で定義している「反復によって複数の人間に共有される“何か”=“空間全体”」とそ れを人間化した「“記憶”=“霊”」というアイデアに触発されて「記憶の容器としての小説」という言葉が頭に浮かんだ。そして「将棋というゲーム の奥行き、広がり」が「空間全体」の一例として頭をよぎった。だいたいそういった「理路」を経て思考が進んでいったのではないかと思う。
 小島信夫が『残光』の中で引用している『各務原・名古屋・国立』の一節の中で、というよりそこで間接話法のかたちで言及されている『小説修行』 の中で、若い人(保坂和志)が老作家(小島信夫)に「記憶というものは、その人の頭の中にあるというよりも、そのまわりの世界にある」と語ってい るのは、これと同じタイプの記憶のかたち(存在様式)だ。
 それを私は「残響型」記憶と名づけて、もうひとつの記憶のかたちである「残光型」記憶と区別して考えてみようとした。一昨日からつづくこの文章 の中で、私が書きたかったのはだいたいそういうことだったはずだ。「はずだ」というのは無責任な言い方だが、あらためてこの二日間をふりかえって みての率直な実感がそう言わせる。

     ※
 ここから先の話題は、『残光』とも『途方に暮れて、人生論』ともいっさい関係がない(最初から関係なかったのかもしれないが)。
 「残響型/残光型」を「聴覚型/視覚型」や「音楽型/映画型」などに置き換えてしまうと話は簡単なようだけれども、ことはそれほど単純ではな い。いや「残光型=視覚型/残響型=聴覚型」であれ「残響型=視覚型/残光型=聴覚型」であれ、話は充分に複雑で深くなるとは思うが、ここではも う少し込み入った(その実、底の浅い?)ことを考えてみる。

 宇宙開闢のときに轟きわたったビッグバンの鳴動(「光あれ」の言葉?)が、いまなお残響となって宇宙の全時空のうちに反復反響している。ビッグ バン以後に生じたすべてのことが「記憶」として、そこに織り込まれていく(響きあっていく)。こうした「残響型」の記憶のとらえかたは、たとえば 「その人が生まれてくる前から世界はあり、死んでからも世界はありつづける」といった世界観と親和的である。
 宇宙開闢の例をもちだすと「黒体放射の残光」などといわれるのがふつうだが、私の語感としてはそれはむしろ「残響」で、「残光」の方は、たとえ ば夜光物質(長残光性蛍光体)が発する光の比喩で考えている。
 漆黒の闇の中で自ら残光を放つ物質。反射光ではなく、自ら発する光でもって自らを現象させる物質。暗闇の中の焚き火の光の場合とは違って、そこ には発光を促す刺激やエネルギー源の供給がない。しかし、蛍の飛行の跡を示す残光とも違って、それは視覚的錯覚や幻像ではない。物理学の知識が乏 しいので、無茶苦茶なことを書いているかもしれない。
 夢を「見る」というとき、その夢の視覚をなりたたせているのはいま述べた意味での「残光」なのではないか。それは何事かを想起しているとき、そ のイメージをなりたたせているものと同類なのではないか。残響型の記憶が「空間全体」の知覚にかかわるものだとすれば、残光型の記憶は「個物」の 想起にかかわるものなのではないか。
 時空のなかにすでに織り込まれたものではなくて、そのつど初めて個物の中から(刻々と宇宙が開闢するようにして?)たちあらわれる「記憶」。そ れは言語行為が創造する「記憶」と同類なのではないか。ボルヘスの次の文章の中にでてくる「記憶」とはそういう種類のものだったのではないか。

《たとえば、ある人が自分の敵を愛したとする。その時、キリストの不死性が立ち現れてくる。つまり、その瞬間、その人はキリストになるのである。 われわれがダンテ、あるいはシェイクスピアの詩を読みかえしたとする、その時われわれはなんらかの形でそれらの詩を書いた瞬間のシェイクスピア、 あるいはダンテになるのである。ひと言でいえば、不死性というのは、他人の記憶のなか、あるいはわれわれの残した作品のなかに存続しつづけるので ある。(略)重要なのは不死性である。その不死性は作品のなかで、人が他者のなかに残した思い出のなかで、達成されるものである。(略)音楽や言 語に関しても、それと同じことが言える。言語活動というのは創造的行為であり、一種の不死性になるものである。わたしはスペイン語を使っている が、そのわたしのうちには無数のスペイン語を用いた人々が生きている。(略)われわれはこれからも不死でありつづけるだろう。肉体の死を迎えた後 もわれわれの記憶は残り、われわれの記憶を越えてわれわれの行為、行動、態度といった歴史のもっとも輝かしい部分は残ることだろう。われわれはそ れを知ることができないが、おそらくはそのほうがいいのだ。》(『ボルヘス、オラル』)

     ※
 何を書いているのか(誰が考えているのか)自分でもよく判らないままに書き(考え)つづけていくのは、やっぱり居心地が悪い。
 今回、残光型の記憶(もうそんな勝手な言葉は使わなくてもいいと思うが)についてあれこれ妄言をくりだすことで、最終的には映画が観客にもたら す体験(あるいは「映画的記憶」)へと話をつないでいくつもりだった。でも、そこにたどりつく前に居心地の悪さが高じて、これ以上書きつづける意 欲がうせてしまった。続きは他日(明日のことかもしれない)を期す。

★9月15日(土):もうひとつの記憶のかたち──四人称の記憶(4)

 どうしても、この話題(「残光型記憶の存在様式=もうひとつの記憶のかたち」をめぐる)から離れられない。以下に前回書き残したことの箇条書き や論証説明抜きの覚書を連ねて、一応の「決着」をつけておく。

◎残響型記憶は肯定的世界観につながる。たとえば「生きていることは歓びなのだと思う。生きていることのなかに歓びや苦しみがあるということでは なくて、まずは生きていることそれ自体が歓びなのだ」(保坂和志『世界を肯定する哲学』)のような。

◎この「生きていることそれ自体」を直接体験することは、実は難しい。言葉でそれとして言い表わそうとすると、それこそ人は途方に暮れる。
 「生きていることそれ自体」は直接体験以外のなにものでもない(人間のような言葉や意識をもたない動物は「生きていることそれ自体」を直接生き ているように見える)。だから、「『生きていることそれ自体』を直接体験すること」は「直接体験を直接体験すること」という、まるで意味をなさな い営為を意味することになる。
 意味をなさないことを意味するのも言葉のはたらきである。だから、「『生きていることそれ自体』を直接体験すること」は「『生きていることそれ 自体』を過不足なく言葉で表現すること」、あるいは「ある言語表現が『生きていることそれ自体』であるような、そのような言語表現を享受するこ と」、あるいは「ある言語表現が直接体験そのものであるような、そのような言語表現を創造すること」に限りなく近づいていく。(このあたりの「論 証」はたんなる言葉遊びにかぎりなく近づいていくようで、とても居心地が悪い。)
 古東哲明さんが、プラトンやハイデガーの哲学書などというものはない、彼らの著作はプラトン哲学やハイデガー哲学について何も書いていない、そ こに書かれているのは読者をある場所へはこぶための指標のようなものだ、といった趣旨のことを書いていた(『現代思想としてのギリシア哲学』『ハ イデガー=存在神秘の哲学』)。その「ある場所」というのは、「生きていることそれ自体」を直接生きる場所のことなのではないか。しかし、それは 言葉や意識をなくした人間が動物のように生きている場所というわけではない。それは、実はいまここにすでにある。(ほんとうは、それは「いまここ にすでにある」などと言葉で表現することはできない。)

◎上に述べた「『生きていることそれ自体』を直接体験すること」を「他者の『生きていることそれ自体』を直接体験すること」と理解すれば、少しは 意味が通りそうだ。しかし、定義によって、「他者の『生きていることそれ自体』」を直接体験する主体は当の「他者」以外にはありえないのだから、 この言い換えもまた意味をなさない。
 仮に、「他者の『生きていることそれ自体』」を直接体験する「私」がいるとして、端的にいってそのような「私」は「他者」そのものである。ある いはこの問題を、「伝達も共有も交換も不可能である情欲を、交換可能なものとして思考するためにはどうしたらいいか」というかたちで問うことがで きるかもしれない。兼子正勝によると、これはピエール・クロソウスキーが『生きた貨幣』で追求しているただひとつの問題である。

◎話が錯綜してきた。残響型記憶は「伝達も共有も交換も不可能である記憶を、交換可能なものとして思考する」肯定的世界観につながる。その「つな がり」をもたらすものは、たぶん言葉ではない。それは屋外もしくは「言葉の外」にある。
 残響型記憶が世界の肯定につながるとすれば、残光型記憶は世界の否定もしくは切断につながる。世界の(不断の)創造といっていいかもしれない。 そのつど一回性をもって、この世界で初めてのものとして何度も繰り返し「いまここ」に立ち上がってくる記憶? それ(「いまここ」)は室内もしく は「言葉の内」にある? 言葉の意味が読まれるたび、そのつど立ち上がるように? たとえば、言葉を知らない者は夢を見ないなどということがいえ るとすれば(夢を夢として語れないといえばあたりまえの話だが)、夢見る身体は言葉の内にある? 残響型記憶は忘却のかたちをとりえないが、残光 型記憶の実質は忘却である?

 ──ここから先があいかわらず朦朧としている。まだまだ生煮えなのだ。先に進むため、春先に読みかじったきり自分の中で「整理」をつけていな かった『〈心〉はからだの外にある』(河野哲也)を残響型記憶に、『生きていることの科学』(郡司ペギオ-幸夫)を残光型記憶に、それぞれ関係づ けて読みなおすことができる。なんとなくそんな気がするが、これだけはやってみなければわからない。