「宗教・経済・科学・芸術」(2006.05-06)
★5月23日(火):宗教・経済・科学・芸術
中沢新一さんの『芸術人類学』を断続的に読んでいる。3月に出た本だから、もうかれこれ二月あまり、ためつすがめつ眺めている。同じみすず書房
から翌月刊行された『レヴィ=ストロース『神話論理』の森へ』に、『芸術人類学』にも納められた「『神話論理』前夜」が収録されている。だから、
これらの本は星座状に関連しているわけだ。いうまでもなく、これもみすず書房から『森へ』と同日に出た『神話論理Ⅰ 生のものと火を通したもの』
がその中心に鎮座している。これら三冊の書物を、あたかも三本の鰹節を少しずつ削ってブレンドするようにして同時進行的に読み進めていると、途方
もなく濃密なガスに覆われて、巨大な星雲のなかに閉じこめられたような気分になっていく。
『芸術人類学』「はじめに」の冒頭の文章を抜き書きしておく。「芸術人類学」の基礎をなす「対称性人類学」について書かれたくだりだ。
《心の働きのおおもとの部分に、論理的矛盾を飲み込みながら全体的な作動をおこなう「対称性」と呼ばれる知性の働きを据えることによって、宗教か
ら経済、科学から芸術にいたるまでの広大な領域でおこっている心の活動を、一貫した視点から再編成しなおしてみることを、この新しいサイエンスは
めざしている。しかも私たちのめざしているのは実践的なサイエンスの構築である。新しい認識が新しい生き方の創出に結びついていけるような、現実
の中でも効力を発揮できる実践的なサイエンスこそが、私たちの求めるものである。》
「新しい認識が新しい生き方の創出に結びついていけるような、現実の中でも効力を発揮できる実践的なサイエンス」という言葉に強く惹かれて、こ
の文章をチェックしておいたのだが、いま読み返すと、むしろ「宗教から経済、科学から芸術にいたるまでの広大な領域でおこっている心の活動」とさ
りげなく書かれた部分が興味深い。とりわけ「心の活動」のうちに「経済」を、それも「宗教」と組み合わせて書き込んでいること。また「宗教:経
済=科学:芸術」とパラレルに読めるように書いてあること。「科学」と「サイエンス」の使い分けも含めて、このあたりは中沢・対称性人類学の根幹
にかかわることだろうと思う。「はじめに」の最後にでてくる文章も興味深いので、ついでに抜き書きしておく。
《国家出現以来もたらされた意識変革がつくりだしてきた人類の心に、根本的な変化を生み出さす「複論理(バイロジック)」ないしは「対称性」を取
り戻す必要があります。しかも、それを「具体的」に、社会の内部にセットできなければなりません。/そのためには、芸術には芸術家個人の幻想を越
えた巨視的なヴィジョンが必要です。経済には贈与論的思考の復活がもとめられます。あらゆる宗教は「宗教をこえた宗教」への飛躍を模索しなければ
なりません。そして宗教を越え出た場所で、人類が出会うことになるのは、かつて人間と動物は兄弟であったと語る、あの神話の思考のよみがえりの現
象です。しかし、そういう大きな理念の実現は、私たちの小さな日常的実践だけが可能にしていくものです。今日のエコロジー思想の実践は、未来に生
まれるべきそのような思考の「先触れ」であったことを、未来の子供たちは知ることになるでしょう。》
ここには「科学」という語が出てこないが、それは「神話」のうちに包含されていると見ていい。「かつて人間と動物は兄弟であったと語る、あの神
話の思考のよみがえり」とか「未来に生まれるべき思考」といった言い方のうちに表現されている。
★5月24日(水):宗教・経済・科学・芸術(続)
最近、柄谷行人『世界共和国へ──資本=ネーション=国家を超えて』(岩波新書)と網野善彦『日本中世に何が起きたか──都市と宗教と「資本主
義」』(洋泉社MC新書)の「回し読み」をやっている。この二つの書物を微に入り細に入り比較検証してみると、なかなか面白い。柄谷本の高次に抽
象的な議論を網野本の猥雑なまでの具象性でもって解毒する、といったところ。吉本隆明の『カール・マルクス』と『最後の親鸞』をこの二冊と組み合
わせて、バイロジカルな(?)回し読みをするともっと面白い。が、今日のところはそこまで話題を拡げられない。なにせ、まだ部分的に読み囓ってい
るだけで、いずれも最後まで読破していないのだから。
網野氏が「境界に生きる人々」と題した講演の中で、次のように語っている。
《かつて、私が、「無縁」と表現したことについて、中沢新一さんが、これは「資本主義」ではないかといったことがありますが、そう言われれば、商
業、金融、技術、そして貨幣も「無縁」ということになるので、確かにこれはやがて資本主義として展開していく諸活動、諸要素であります。このこと
は逆に今まで資本主義の発達として経済学の分野からだけとらえられていた社会の動きを、もう一度、このように自然と人間の関係、宗教の問題の中
で、根源に遡ってとらえ返してみる必要のあることを教えている、と私は考えます。》(『日本中世に何が起きたか』44-45頁)
ここに出てくる四つ組の言葉、つまり「商業、金融、技術、そして貨幣」が、昨日とりあげた「経済・宗教・芸術・科学」と、いま並べ替えた順番で
対応しているように私は思った。この順番は仮のもので、今後、思索の深まり(?)とともに修正されていくかもしれないけれど。
気になっていることというのは、この対応の上に、柄谷氏がいう交換の交換様式、つまり「互酬(贈与と返礼)・再分配(略奪と再分配)・商品交換
(貨幣と商品)・X」がどう関係していくかということだ。精確に書いておくと、どう関係づけたら面白いだろうかということだ。たぶんそれは、中沢
新一風に言えば、高次元でバイロジカルにからみあっているのだと思う。そもそもそんな対応を考えること自体がおかしい、と言われればそれまでだけ
れど。
★5月25日(木):宗教・経済・科学・芸術(続々)
『日本中世に何が起きたか』に、網野善彦・廣末保の対談「市の思想」が収録されている。そこで、廣末氏が「市というものは宗教的問題もあるし、
交易の問題もあるし、芸能の問題もある」と語っている。
《近世になると、歴史のことはよくわかりませんけれども、商業的な場所というのはそれなりに自立してきます。それと同時に芸能とか、また売春的な
要素を持っているもの、これは非常に未分化ですけれども、そういうものが悪所になってくる。市が分化していく過程を近世の中で見ていくと、悪所的
なものと商業的なもの、それから宗教的なものと制度的なものに分けられていきますね。その中でぼくは、市の持っている超越性という性格が一番近世
的な形で残っているのは悪所じゃないかという気がしているんです。
その超越性の中には宗教的な要素と、それから天皇のように領主を超越した、ある意味で観念的な、普遍的なレベルのものともつながりがあります
が、一方で交易という問題、商業とか交換とかいうものの持っている超越性というか、つまり村落的なものを超えて交換する場所では、交易そのものが
人間の観念を変えてしまうということがある。》(83-84頁)
ここにも「宗教・経済・科学・芸術」が登場する。ただし「科学」は、たぶん「歴史」をめぐる学のうちに包含されている(科学<歴史<物語<神
話?)。ちなみに、ここに出てくる「芸能」について、網野氏は次のように語っている。
《中世の段階では、実際、商人も芸能民に入るんですね。商人だけでなく、呪術者、宗教人も手工業者もいまのような狭い意味ではなくて、ひっくるめ
て全部「芸能」という言葉でくくっている。博打なんかも芸能民なんですね。勝負師の世界というのは、近世ではそれなりに分化して独立した世界にな
るんでしょうけれども、中世では未分化なんですね。それが「芸能」という言葉で全部ひっくくられていることに一つの意味があるような気がするんで
す。》(91頁)
宗教と芸能と交易。市場(市庭)という「無縁の原理」がはたらく境界的な場の問題系をかたちづくるこれら三つ組は、スティーヴン・ミズンが『心
の先史時代』で述べた、ネアンデルタール人の「特化型の思考様式」を構成する三つの知能、すなわち博物的知能・技術的知能・言語知能を思わせる。
《現代人類の心への進化の決定的な一歩は、スイス・アーミー・ナイフのような構成の心から認知的流動性をもった心への切り替わり、特化した心から
一般化した心への切り替わりだった。これにより、人間は複雑な道具を考え出したり芸術を創造したり、宗教的なイデオロギーを抱いたりすることがで
きるようになった。(中略)一○万年前から三万年前にかけての特化型から一般型への心の切り替わりは、進化が選んだ驚くべき「一八○度転回」だっ
た。そこにいたる六○○万年間の進化では、心の専門化がどんどん進んでいた。博物的知能、技術的知能、ついで言語知能が、現生の類人猿と人類との
共通祖先[コモン・アンセスター]の心にすでに存在していた社会的知能に加えられていった。しかしさらに驚くべきことに、特化型の思考様式から一
般型の思考様式へのこの新たな切り替わりは、現代人類の心への進化の途上でだけ起こった「一八○度転回」ではない。もし心の進化を、たかだか六
○○万年のこの先史の中だけでなく六五○○万年にわたる霊長類の進化の中に位置づければ、専門化と一般化の思考様式の間を行ったり来たりする動き
が見てとれる。》(松浦俊輔他訳)
さらに引用を加えると、吉本隆明が「マルクス紀行」でマルクス思想の三つの旅程を論じている。すなわち「<自然>哲学の道」「宗教
から法、国家へと流れくだる道」「市民社会の構造を解明するカギとしての経済学」。この文章が収録された『カール・マルクス』の文庫解説で、中沢
新一はこれら三つ組をボロメオの輪のように結びつきマルクス思想の統一核をなす三位一体になぞらえ、それぞれをラカンの現実界・想像界・象徴界に
対応させている。
《マルクスはいわば精神の底に、このような[人間の精神に内在する非幻想的な活動領域として理解されたエピクロス的な]霊魂の活動領域への通路が
開かれていることを主張する古代の自然哲学者の所説のうちに、もっとも徹底した唯物論の萌芽を見いだしていたのである。つまり、自然哲学へののめ
り込みをとおして、若いマルクスは人間の幻想を突き破ったところに出現する、絶対的なリアル(現実的なもの)を、まず「自然」として発見したの
だった。/そこからマルクスは「三位一体」の第二の環をなす、人間の幻想領域[宗教・国家・法]の研究に踏み込んでいくことになる。(略)
幻想は「リアルなもの」を否定しようとする。しかし、その否定力そのものの根源は、非幻想的でリアルな「自然」の内部にひそんでいることにな
る。このように、「自然」と「幻想」はたがいに否定しあうようにしながら、ひとつに結びあっている。「三位一体」におけるこの環の部分は、だから
簡単にほぐれてしまわないようにできている。そう考えてみれば、自然哲学から宗教・国家・法という幻想領域の研究に進んでいったマルクスの歩みに
は、深い理由があったわけである。
しかし、個人の抱く幻想性は、共同生活の中でたわめられ、平準化されなければならない。人間はことばを語って、コミュニケーションをする。この
言語習得の過程をつうじて、「幻想的・想像的なもの」は「象徴的」なものにつくりかえられ、共同生活を可能にしていく条件が整えられる。私たちは
言葉をしゃべるようになり、共同性を身につけるようになってから、それ以前の自分の心を支配していた幻想性を思い返して、幻想性がことばのような
「象徴的なもの」の効果として発生するように考えがちだが、ほんとうのところは、人の心にあってはまず幻想性の基体ができあがったのちに、それを
否定的につくりかえるようにして、「象徴的なもの」とそれが生みだす心の秩序ができてくるのである。ここでも、「幻想的なもの」と「象徴的なも
の」は、たがいに否定しあいながら、ひとつに結びあっている。(略)
「経済的カテゴリー」はほかの「象徴的なもの」の諸様式、たとえば言語や記号によるコミュニケーションと多くの共通性をもつとはいえ、価値の増
殖をおこなっていくという、きわだった特色をもっている。資本と呼ばれるものが、その価値増殖を実現している。『資本論』に結実したマルクスの研
究は、この価値増殖の過程で、労働に内在している「自然」過程が、決定的な働きをおこなっていることをあきらかにしている。/つまり「経済的カテ
ゴリー」と「自然」とは、ここでもひとつに結びあっているのである。》(中沢新一「マルクスの「三位一体」」)
無縁の場にかかわる三つ組の問題系のうち「宗教」(あるいは霊性)は「自然=リアルなもの」に、「芸能」は「宗教・国家・法=幻想的・想像的な
もの」に、「交易」は「経済的カテゴリー=象徴的なもの」にそれぞれ対応している。それでは、「科学」は?
★6月13日(火):ファスト風土は現代の無縁の空間である
三浦展編著の『脱ファスト風土宣言』を読みながら、「ファスト風土」は現代の「無縁」(網野善彦)の空間ではないかということを考えている。そ
れは、柄谷行人の『世界共和国へ』を読んでいて、官僚制組織こそが、いいかえれば「個人として責任をとらない『システム』」(石牟礼道子)こそが
「無縁」から発生する組織の一つの完成形態なのではないかと考えたことと呼応している。
『宣言』に納められた「日本の商店街は世界のお手本」で、服部圭郎氏が、9.11の背景にはイスラム都市のファスト風土化現象があると書いてい
る。どういうことかというと、同時テロの主犯の一人モハメッド・アタは「カイロ大学で建築を、ハンブルグ工科大学で都市計画を学び、西洋の悪い影
響がシリアの古都アレッポの美しい都市景観と風土を破壊していることに対しての怒りをつねづね述べていたそうだ。グローバル経済、そして自動車、
高層ビルによって、イスラムの魂が失われていることに強く憤っていたのである。」(38頁)
「グローバル経済・自動車・高層ビル」の三題噺で、現代文明の本質をさくさくと捌くことができそうだ。たとえば、高層ビルが林立するマンハッタ
ンはゲットー(ユダヤ人居住区)の風景の現代版だと、出典は忘れたが、どこかで読んだ記憶がある。自動車は高速移動(高速体験は異界=他界への通
路をひらく)、匿名空間(人を変える空間)のメタファー。株やダイヤなどのポータブルな資産を持ち運び、ホテルの高層階で暮らす裕福なユダヤ人。
そんなステレオタイプなミスター・グローバルエコノミーの人物像が頭に浮かぶ。
ファスト風土は現代の「無縁」である。官僚は「無縁の原理」の体現者である。これだけだと何も言ったことにならないし、あまりに漠然かつ粗雑で
ある。『宣言』での三浦展との対談で、オギュスタン・ベルクさんが「人工的な都市の都市性の欠乏をどういうふうに分析していくか」が「以前から私
が抱いているテーマ」だと語っている。ここでいわれる「都市性」について、「本物の街の特徴とは、出会いが可能であるということ」「都市性とは社
会のエッセンスなんです」と語っている。これをヒントに、ステレオタイプな仮説を提示する。仮説というほどの実質はないが。
かつて都市は匿名の空間、人を共同体のしがらみから自由にする無縁の場であった。しかし、人がそこで暮らす空間としての都市は、やがて村落とは
違うもう一つの共同体を生みだし、無縁の場がもつエネルギーは「悪所」へと封じ込められていった。その囲い込まれた無縁の空間は、「官僚」(忘八
者?)が娑婆の倫理を超えた作法で管理するようになった。そして現代の高度資本主義の時代になると、かつての「悪所」が都市という共同体の制約を
超えてグローバルに、ユビキタスに跳梁するようになった。この都市を囲い込む空間(郊外)を、新たな「官僚」が管理する。
あまり面白くはないが、この線でしばらく考えてみよう。いま「無縁の場がもつエネルギー」と書いた、そのエネルギー(悪の力?)はどこから来る
のか。神仏といってしまえば簡単だが、では「神仏」とは何か。それら、もしくは「それ」はどこにいるのか。あるいは、そもそもこれが「共同体」で
すと、モノのように認識することができるのか。村の寄り合いのように、だらだらと飲み食いしながらあーでもないこーでもないとお喋りするプロセス
のうちにしかないのではないか。等々。
いずれにせよ、物事や事象、観念や概念にはつねに二重性がある。中沢新一さんの言い方をかりるならば、かつて「公」ということばが「権力として
の公(おおやけ)」と「アジールとしての公」の二つの異なる意味をもっていたように、「トーラス」と「メビウスの帯」で表象される二つの論理が高
次元で連結されている(「公共性とねじれ」,『芸術人類学』)。そういったあたりをじっくりと考えていこう。
★6月14日(水):悪という力
昨日書いたこととの関連で、網野善彦著『日本中世に何が起きたか』(1997年)をとりあげる。巻末の「あとがきにかえて 宗教と経済活動の関
係」で網野氏は、かつて『無縁・公界・楽』(1978年)の「まえがき」に書いたことを述懐されている。高校教師をしていたとき、生徒から「な
ぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか。ほかの時代ではなく、どうしてこの時代にこのような現象がおこったのか」と問
われ、一言の説明もなしえず頭を下げざるをえなかった、と。
高校生の質問を受けてから三十年。「本書[『日本中世に何が起きたか』]はそれ以後の模索の中で、どうやら見えてきたように思われるこの問題の
私なりの「解決」への展望の中でまとめたものである」(236頁)。では、その「解決への展望」とは何か。それは「悪」、すなわち「人のたやすく
制御することのできぬ得体の知れない力」(242頁)にかかわってくる。網野氏の文章をそのまま書き写す。
《十三世紀から十四世紀にかけての時期は、銭貨の本格的浸透に伴う人間関係のあり方の大きな変化、それ以前の神仏の権威の低下という、自然と社会
の関係の転換に伴い、この「悪」をめぐって、政治的・思想的にきびしい緊張関係が生まれた。政治的には「悪党」・「海賊」を徹底的に禁圧し、商
業・金融を抑圧しようとする「農本主義」的政治路線と、むしろ商人、金融業者と積極的に結びついて流通路を支配し、悪党・海賊もそのために動員す
ることを辞さない「重商主義」的路線との間の鋭い対立がつづくが、思想的には、まさしくこの「悪」の問題と正面から向かいあった思想家たちが、鎌
倉仏教の祖師となっていったということができるのではないか、と私は考えてみたいのである。
その中には、「悪人」を積極的に肯定し、自らもその中に身を置いた親鸞、一遍、日蓮などの動きと、それをやむをえぬあり方として承認し、それな
りの位置づけを与えようとした律宗、禅宗などの動きとの違いはあったが、いずれも「悪」についての思索と対処を通してそれぞれの宗派を形成して
いったと見てよいのではなかろうか。
もとよりこれに対して、『天狗草紙』や『野守鏡』のような烈しい批判に代表される圧迫があったことはいうまでもないが、十四世紀から十五世紀に
かけて、禅宗・律宗は幕府と結びついてその立場を確立し、十五、六世紀には真宗、時宗、法華宗もその教線を拡大し、とくに真宗、日蓮宗は教団とし
て大きな力を持つにいたったことは周知の通りである。
そしてこれが、多くの先学の研究に学びながら到達した最初にのべた高校生の質問に対する現在の私の解答ということになる。日本列島の人類社会
は、日本国が出現してからの歩みの中で、それまで経験したことのない大きな転換期にさしかかりつつあり、そこに生じた「悪」をはじめとするきわめ
て深刻な問題に、思想家たちは真向から否応なしに取り組まざるをえなかったのである。「すぐれた宗教家」がこのときに輩出した理由はここに求める
ことができよう。》(243-244頁)
さて、この「解答」に高校生は納得するだろうか。「日本列島の人類社会」に最初に訪れた「自然と社会の関係」をめぐる大きな転換期の意義を、身
体感覚に根ざしたかたちで理解すること(「思い出す」こと)ができるだろうか。日本国出現(七世紀末)以前の「原始」といわれた社会のうちに淵源
をもつ商品・貨幣・資本、すなわち人の力を超えた「聖なる世界」(神仏)と結びついた資本主義。それが14世紀前後──坂部恵の「精神史的転換
期」の第二期、「個(体)の思考」の時期(日欧ともに14-15世紀)と重なる──で大きく変質する。「現代の人類社会」を生きる高校生なら、た
ぶん解るはずだ。
★6月16日(金):職人技と抽象力
中世の職人歌合に、学者と芸者が並べて描かれているのを宗教学を学ぶ甥に見せて、網野善彦がこう語った。「ほうら、学者も芸者みたいに、正確に
ものごとを認識したり、表現したりできないとだめなんだぞ。芸者は正確に芸ができなくっちゃあいけない。天皇だってそうだ。天皇は儀式をおこなう
職人だというのが、長い間の日本人の認識だったんだよ。その職人技を手放してしまうと、いったい天皇にはなにが残るのだろう。職人技の基礎のない
学者は、いずれ政治家かジャーナリストになっていくしかないだろう。それと同じように、よい和歌を詠み、宮中の儀式を正しくおこなえる職人として
の技量が、天皇にも必要だったわけさ。君も学問を志すならば、まず何かの職人にならなくちゃあいけない。そうでないと、なにも生み出せない」。
宗教学を学ぶ甥というのは中沢新一のことで、この話は『芸術人類学』に収められた「友愛の歴史学のために」に出てくる(347頁)。ちなみに、
中沢新一は、職人技(たとえば、歴史学者にとっての古文書解読の技術)と並んで学者の創造力にとって必要なものは「抽象力」であると語っている。
《「人民」という概念が、戦後の新しい日本の歴史学を開いていきました。しかしそれがほんとうの意味での「民衆史」となるためには、網野さんによ
る「非農業」という新しい構造層の発見が必要でした。それを発見するには、たんなる実証的な研究を超えた、ある種の抽象力がなければなりません。
「非農業」という概念は、たんに職人についての実証的研究を積み重ねていけば、自然にあらわれてくるようなものではないのだということを、私は強
調したいのです。あらゆる創造的な学問は、新しい概念の発見が生み出してくるものです。そういうことはめったにはおこりませんが、網野善彦の学問
には、それがおきたのです。》(『芸術人類学』345頁)
「職人技」ときけば、前田英樹の『倫理という力』にでてきた宮大工やトンカツ屋のおやじを想起する。「抽象力」に関しては、柄谷公人のたとえば
『世界共和国へ』の次の記述が連想される。「貨幣は国家を超えて通用するような力をもつ。では、その力は何によるでしょうか。/経済人類学や経済
史の知見によって、これを説明することはできません。それを考えるのにも「抽象力」が必要です。」(72頁)