「坂部恵をめぐるキレハシ」(2007.01-2011.08)



☆2007

★1月22日(月):仮面考

 岩波から刊行中の『坂部恵集』第3巻「共存・あわいのポエジー」。ここには『仮面の解釈学』に収められた論考のほとんど(他に『「ふれる」こと の哲学──人称的世界とその根底』のほとんどと『モデルニテ・バロック』の一部の論考)が収録されている。
 『仮面の解釈学』はつごう二冊所持している。二つにわかれた「書庫」(現在では三つになった)のいずこに収納したものか、いくら探しても見つけ られず、とうとう二冊目を買って読み始めたらすぐにみつかった。二冊も揃えているのに、この書物はどうしても読み通せない。あまりに眩い光を放 ち、うかうか読み進めると眼がつぶれる。新しい装丁と編集のもとで、今度こそ読み通せるかもしれない。
 とりあえず、あとがきと月報と単行本未収録の講演録「仮面の解釈学──時と影のたわむれ」に目を通した。もう眩暈の予感が漂っている。(たまら なくなって、既刊の著作集第2巻「思想史の余白に」、第1巻「生成するカント像」をつづけて買ってしまった。いずれもあとがきと月報を眺めただけ だが、もう来月刊行される第4巻が待ち遠しい。)

     ※
 私事を一つ。かつて、かれこれ7年ほど昔のこと、「仮面考」という論考に向けた下ごしらえと素材蒐集に夢中になったことがある。その顛末(とい うか残骸)は、「音=声を通して」「顔=貌に面して」「身=実を割いて」の3回にわけてホームページに残している。以下は、その中間的な総括か ら。

《仮面(的なもの)の第一の機能。──器の虚ろ(空洞、あるいは細川俊夫の「母胎空間」)に音が懐胎し増幅し、通い響きあい、そして穴を通して外 へと発する。無人称のものの声(根源語[Ursprache]、あるいは祈りの言葉)として?
 声は再び穴(あるいは我=割れ目)を通して侵入し、膜(鼓膜、皮膚、界面)を震わせ身に浸透する。人称をもったものの名=汝として?
 仮面(的なもの)の第二の機能。──変換作用そのものの媒介と境界の造形。仮面は自らを痕跡として可視化する。たとえば顔は虚ろな器=穴を原器 とし、膜=界面をもって形象化される。それは細胞膜のように、異なる浸透圧によって物質と魂を変換する?
 顔には無数の穴がある。(無数の隙間があいたスクリーンを通って、電子は自らに干渉する、歴史の痕跡をいっさい止めずに。)また、顔は身を積分 する。身は自らに折れ曲がった管=壺=椀=盤である。(マイクロ・チューブル[微小管]における量子干渉によって産出されるもの。)
 仮面(的なもの)の第三の機能。──自らに折り返した穴(虚ろ)は、器の表面を二層化する。そして虚ろによって型取られた(象られた)もの、す なわち虚中の実として産出されるもの。脳、内臓、胎児、言語、イメージ、観念、概念、自我、自己、霊的物質、魂、意識、等々。
 生殖する身、食らわれる身、死にゆく身、腐敗する身、乱舞する身、変貌する身、仮面を被る身、浮遊する身、等々。》

《情報の変換器としての仮面の機能をめぐる、新たな考察のためのメモランダム。──生殖による情報の(再)物質化と、受肉による物質の更新(新 生、創造)の違いについて。
 生体を死体へと脱魂する鎮魂儀礼としての能。死体(自動機械、人形)に生命的な力(獣性、霊性)を憑衣させ生体へと変貌させる芸能としての歌舞 伎。──これらは、いずれも「第二の管」(内部世界をもった管)のレベルでの出来事だ。すなわち、内部世界(有限空間=知覚[実在]世界?)と外 部世界(超空間=無限空間=想起[仮想]世界?)との媒介=変換、あるいは生殖による(再)物質化と死による物質の崩壊。
 ここでの変換は、第一のレベルの管(笛)のメカニズム(声の発生)を介して遂行される。水平的変換、あるいは三次元的「厚み」での出来事。物質 から生命へ、あるいは生命から物質への変換。
 神の受肉(内在)と人間の神化(超越)。──これらは、いずれも「第三の管」(心的システムをもった管)のレベルでの出来事だ。すなわち、経験 的世界(=現実世界?)と超越的世界(=可能世界?)との媒介=変換、あるいは受肉による物質の更新(新生、創造)と神化による物質の廃棄。
 ここでの変換は、第二のレベルの管(弦、弓)のメカニズム(声の共鳴・合成と沈黙[=波動関数の収縮?])を介して遂行される。垂直的変換、あ るいは四次元的「深み」での出来事。物質から精神=歴史へ、あるいは精神=共同体から物質への、生命を媒介とした変換。
 しかし、ここでいう「物質-(生命)-精神」の変換プロセスは容易にその垂直性を喪失し、「物質-生命」の変換プロセスへと崩壊するだろう。と いうのも、受肉の思想は絶えざる緊張関係に支えられなければ、憑依の思想(というより憑衣感覚)や輪廻転生の思想へと推移する傾向にあるからだ。 とりわけ精神が、共同体意識に呪縛された霊性(≒生命)のレベルにとどまっている場合。
 ここで、第三の変換を考えることができるかもしれない。──精神を生命(≒霊性)のレベルではなく「意識」のレベルへと「高める」ことによっ て、物質と精神を媒介する変換。すなわち、「第一の管」(二つの穴をもつ管、あるいは多孔体)のレベルでの出来事。第三のレベルの管のメカニズム (たとえば、夢?)を介して遂行される変換。(しかしここでもまた、それがいったいどのような変換なのかいまだ思考途上ゆえ、いまはこれ以上書く ことができない。)》

 自分が書いたものなのに、ほとんど理解できない。判じ物のようだ。ただ、これらの文章を書いていた時の身体感覚(不可思議の実在の変幻極まりな い動きに今まさに触れているのだという確かな実感=妄想につきうごかされて、私がこれを書いているのか、そのものによって私が書かされているのか を区別することが「私には」もはやできない、といった)の余韻のようなものは甦ってくる。
 仮面的なものをめぐる三つの機能は、言葉の働きを、言葉による表現が生み出すものを指向している。じっさい、仮面考第4回のタイトルは「名=徴 を超えて」というものになる予定だった。それはまた、「仮面の記号論」という未完の(というより、未だ着手できていない)論考の仕上げへとつなが るものであった。(さらには、言葉が物質そのものを産み出していく不可思議な表現(変換)の世界へと向かうはずだった。いまの私はそれを、そのよ うな不可思議な事態をめぐる実証的考察のフィールドを、定家を極相とする歌論の世界に見いだしている。)

 ここまで思考をめぐらせたとき、『仮面の解釈学』が、もうとうの昔からそのはるか先に屹立していたことに思いあたった。迂闊なことだった。
 坂部恵の「仮面考」は、二重性の相のもとに造形されている。同じもの(同一と思われているもの)のうちにズレを生み出し、同時にこのズレを媒介 するはたらきが仮面である。「共存・あわい」という著作集第3巻の副題が、そのことを示している。とりわけ坂部によって “Betweenness-Encounter”と英訳された「あわい」という語が、ことの実相をもののみごとに言い表している。
 それはまた郡司ペギオ-幸夫が『生きていることの科学』で論じた「マテリアル」の概念そのものでもある。私が「仮面的なもの」のうちに見ようと した機能やその質量性そのものである。であるならば、何もつたない思索を重ねることはない。『仮面の解釈学』という書物に深く沈潜することでもっ て、言い換えれば、他者の言葉のうちに自らの思索を結実させてみること(あるいは他者の思索を幻聴の声として聞くこと?)で足りるではないか。こ うして、私の「仮面考」は中断し、今に至っている。

★3月12日(月):自己投入(合体)と自己分裂(分身)、体験された現象

 『坂部恵集4』を買って、いつものようにあとがきと月報を読んだ。月報には池上嘉彦、吉増剛造、両氏の文章が掲載されていた。どちらも面白かっ た。(肝腎の本文の方は、第1巻の「生成するカント像」をはじめから順を追って読み始めたものの、これに専念しているわけではないので、なかなか 先に進まない。)
 吉増文は、あの独特の記法と独特の感覚(触覚、筆触、声調…)で綴られていて、よく理解できないところが多かったけれど、この人の文は、理解す るとかしないとかを超えて、ダイレクトに声として届いてくる。「わたしちは、この〈メロディーをそえて創り出すこと〉を、氏の哲学(フィロロ ギー=文学)の芯のほとり or 辺りに、嗅ぎつけ、あたらしい、生の下草を摘みつづけて居ることは、ほぼ確実だと思われるところにまで、そんな柴折戸がかぜに揺れるところにまで、辿り着 いたようだ。」
 池上文「日本語の〈主観性〉と言語としての〈原初性〉」は、以前、木村敏でやったように、その全文を書きうつしておきたいくらいに刺激的だっ た。(永井均『西田幾多郎』の議論との接続線がたくさん引けた。)結局、ほとんど丸ごと抜書きしておく。

《〈認知言語学〉は〈話す主体〉の〈発話〉という営みに先行して行なう‘construal’(〈事態把握〉と訳されることが多い)という営みに 注目する。つまり、〈話す主体〉(sujet parlant,locutionary subject)としての〈ひと〉は、言語化の対象とする事態についてそのどの部分を言語化し、どの部分を言語化しないか、そしてそれらをどういう視点で 捉えるか、などを主体的に決める〈認知する主体〉(cognizing subject)として行動する(そして、その把握の仕方(construal)に沿って言語化の操作が進められる)という図式である。(ただし、その言 語化に際しては、把握された内容が把握された通りの形で細大もらさず言語に移し変えられるという保証はないというのも前提である。)
 日本語のように、とりわけ「こころ、ことばに余る」というのが常態であるような言語を扱う場合、このような図式が合うことは明らかであろうが、 それは今はさて措いて、一般に〈事態把握〉のレベルでは〈主観的把握〉と〈客観的把握〉と呼ばれる二つの類型のあることが認識されている。
 ここで言う〈主観的把握〉(subjective construal)とは、(日本語に翻案して言うと)〈主客合一〉の構図(つまり〈認知する主体〉が〈認知される客体〉の内に身を置くというスタンス) で事態把握が行なわれるという場合、〈客観的把握〉(objective construal)とは、〈主客対立〉の構図(つまり、〈認知する主体〉が〈認知される客体〉の外に身を置くというスタンス)で事態把握の行なわれる場 合である。例えば次に掲げる(1)は〈主観的把握〉に基づく言語化、(2)は〈客観的把握〉に基づく言語化である。
 (1)国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
 (2)The train came out of the long tunnel into the snow country.(直訳、汽車が長いトンネルから雪国へと出て来た。)
(1)(川端康成『雪国』の冒頭の文)は、主人公(ないしは、主人公に自らを同化させた語り手)が自らの体験を語る文──従って、独白のことばの ようにも読める文──である。主人公は自らの体験している状況の内に身を置いており、主人公を乗せて走る汽車は主人公の〈拡大エゴ〉となって、主 人公自身の知覚の対象として客体化されることなく、従って言語化されていない。これに対し、(2)(Edward Seidensticker による英語訳)では、語り手は汽車の外のどこかに身を置いて、トンネルを出て自分のほうへ向かってくる(‘came’という述語動詞を参照)汽車 を知覚の対象として客体化するという構図を採っているように読める。(この場合、語り手が汽車に乗っているということでも構わない。ただし、その 際には、語り手の分身が汽車から出て外のどこかに身を置き、そこから自らのもう一つの分身を乗せた汽車を知覚の対象として客体化しているという構 図になる。)
 文学作品にまで行かなくとも、この種の類型的対比は日常のことば遣いにも容易に(そして十分豊富に)認められる。例えば道に迷った時、日本語の 話し手なら「ここはどこだろう」、英語の話し手なら“Where am !?”(直訳、「私はどこにいますか」)と言う。日本語では自己は観察の原点としてゼロ化、周囲の見える景色についてのみ問われている。英語では自己を他 者として(つまり、“Where is she?”と言う場合と同じ感覚で)客体化する。
 過去における自己(あるいは他者)の体験を語るという場合にも、違った形でではあるが同じ類型的な対比が出てくる。日本語の話し手の場合は、現 在時における語り手が自己を過去時における自己と合体させ、後者がまさに体験している折のスタンスで(従って現在時に妥当するような言語化の仕方 で)語るということを比較的容易にする。(従って、いわゆる〈歴史的現在〉としては律することの出来ない程の現在形の混入が起こる。)英語の話し 手にとっては、過去の自己は現在時における自己とは対立する客体として自然に扱うということですむわけである。日本語の話し手にとっては〈主客合 一〉の構図を生む〈主観的把握〉が原型的な事態把握の型のようであり、そのためには時空の隔たりを越えての〈自己投入〉も辞さない。他方、英語 (そして多分、現在の西欧語一般)の話し手にとっては〈主客対立〉を演出する〈客観的把握〉が基調のようであり、そのためには時空の隔たりを創出 する〈自己分裂〉もためらわない。そして注目しておいてよいのは、〈主観的把握〉では〈認知する主体〉(従って〈話す主体〉も)が〈ゼロ〉として 言語化されるということである。日本語話者におけるいわゆる〈主語省略〉の原点も、実はこの〈主観的把握〉への強い傾斜に見出すことができるはず である。
 (因みに、伝統的な日本語文法で〈現象文〉(「火事だ」、「雨が降ってる」など)と呼ばれるものが特別に取りあげられることのあるのは興味深 い。この種の文は、実は〈体験された現象〉を述べているのであり、〈体験文〉とでも呼んだ方がその本質に近いであろう。この種の文にしばしば認め られる逆説的な性格は、実は高度に〈主観的〉な描写そのものでありながら、高度に〈客観的〉な描写の文とも読めるということである。(1)の『雪 国』の冒頭の文をも参照。)
 〈体験〉(つまり、身体を介しての直接の経験)を語るというのは、すぐれて〈主観的〉な営みであり、人間の言語使用のもっとも原初的な段階と想 像される。そこでは、言語はまだ人間の身体性と深く関わっていたわけである。そのような言語が次第に〈いま・ここ〉の制約から解き放たれていき、 同時に独話的な自己表出の機能を越えて対話を可能にするような間主観性を獲得し、一種の道具としての客観的な存在という地位に達する。この段階 で、言語と身体の乖離も完成する──このようなシナリオを考えてみると、日本語は人間言語の〈原初的〉な姿を比較的よく残しているように思えてな らない。》

※『坂部恵集』について⇒哲学系4「日本語で哲学するということ」

★3月13日(火):スコラスティック・レアリズム、トリニティ

 「中世哲学復興」の特集を組んだ『大航海』から、坂部恵×樺山紘一の対談「中世哲学のポリフォニー」と神崎繁×三浦雅士のインタビュー「翻訳が 創造したもの」、パースの「観察の新しいクラスについて」(三谷尚澄訳)と訳者解題「スコトゥス的実在論者としてのパース」を読んだ。
 いずれも面白かった。(とりわけインタビューでの神崎繁の発言が、途方もなく刺激的だった。読んでいて興奮した。あまりに強烈だったので、猛烈 な勢いで一気に読んだ。だから、後にほとんど何も残っていない。)タイトルだけ眺めた他の論考も、読まずに済ますわけにはいかないと思ったが、今 日のところは「記念」に、対談とインタビューから二つの箇所を抜き書きしておく。

《坂部 とことんまでスコラ哲学者たちが突き詰めて考えたというのは、これは西洋だけではなくて、たとえば仏教の伝統でいえば、原始仏教とか小乗 仏教よりむしろ、唯識とかを考えるようになった頃から、突き詰めてとことん考えるというやり方が出てきた。それから密教の伝統の中では、それこそ 八世紀の東ローマ世界なんかの霊性に匹敵するものが密教に出てきますね。たぶん東西で交流もあったと思う。そういうものが日本でも盛んだったの は、道元とか、明恵とか、だいたい鎌倉時代までです。こういうものに学ぶべき点が、私は確かにあると思うんです。網野さんのおっしゃる公界とかの 世界とはまた別の話しとして学ぶ必要がある。
 それからもうひとつだけ言わせていただくと、これは「大航海」の前々号で、三浦さんと伊藤邦武さんがパースについて対談していらして、パースが 現代人としては珍しく実在論に与したという話しがたくさん出てきます。あそこで言っている実在論、レアリズムとはスコラスティック・レアリズムと も言われるレアリズムです。われわれが考える社会主義レアリズムとか、観念論に対する実在論じゃないですね。要するに類が実在するという、一見わ れわれにとってはおとぎ話のようなものです。パースはドゥンス・スコトゥスの議論が好きで、その実在論に与したということはいったいどういう視点 がもとにあったのかは、いまだに私にはもうひとつ分からないところなんです。
 それと、おもしろいと思うのは、パースより時代はちょっと後ですけれどもベンヤミンは『シュルレアリスム論』で。シュルレアリストはレアリスト だと、スコラスティック・レアリストだと言っているんです。あまりその、前後説明がないものですからどういう意味で言っているのかよく分からない んだけれど、前から気になっています。
 このようなことを聞いていつも思うのは、芸術の世界でいえば中世の装飾と現代の抽象芸術には、一種の類縁性があるんじゃないかということです。 現代で抽象芸術を展開した人たちが直接中世から影響を受けたとかいうことが、どれくらいあるか知りませんけれども、ただ、現象としては、とことん ものを見て書くとかつくるとかをすると、やはり現代の抽象芸術みたいなものが出てくる。そういうところは案外と、それこそ地下水脈でつながってい るのかもしれませんね。》(73-74頁)

《三浦 プラトンやアリストテレスがもし生きていたなら、三位一体なんて馬鹿馬鹿しいということで終わったかもしれないけれど、その馬鹿馬鹿しさ を必至になって論証しようとしていたら、結局、人間存在の機微に触れることになってしまった。まさにそこからきわめて精密な人間存在論が生み出さ れることになった。
神崎 そうですよ。その三位一体説というのは、まさにヘーゲル、ラカン、パースじゃないけれども、何でそのトリアーデに……。
三浦 固執するんだろう。(笑)全員が三という数字にこだわるんですよね。
神崎 なぜ三という数に非常に強いものがあるのかということですね。それはもうある意味ではヨーロッパの思想史を決定してしまうわけですから。た とえばデュメジルが印欧祖語にまでその原型を探る「三機能仮説」とか、プラトンの「魂の三分説」とか。
三浦 ヨーロッパだけではないでしょうね。三という数字には超越論的なところがあって、人間の経験を超えている。情報の伝達は二で行なわれるわけ ですが、そこに三という逸脱が登場して、この逸脱が結局、中枢を形成してゆくわけですね。神経細胞においてそうですね。人間は、一度会った、二度 会った、三度会ったくらいまでは言うけれど、五回会ったとか九回会ったとかは言わない。何度もという言葉になってしまう。どんな言語においても三 が一種の分岐点になる。
神崎 言語構造からもそうかもしれませんね。「こそあど」じゃないけれど、私とあなたと誰それさんという三もあると思います。
三浦 おそらく何か発生上の問題があると考えたほうがいいのでしょうね。》(129頁)

     ※
 これは後から気づいたことだが、上に抜き書きした二つの箇所は、同じ日に読んだ中沢新一「映画としての宗教 第二回 映画はキリスト教である」 (『群像』3月号)の議論に関係してくる。で、これも「記念」に、さわりの一節を抜き書きする。

《イエスは神のエネルゲイアを人間の女性の身体で受けて、肉体的・物質的世界とのインターフェイス上にあらわれた現象です。これにたいして写真術 は、外界の光をフィルムの感光乳剤の上で受けて、それをイメージに定着させる印インターフェイス技術です。そう考えてみると、イエスの存在そのも のが、写真術を呼び寄せてしまうのかも知れません。処女マリアの身体から生まれた神の子として、イエスは超越的な神の本質を愛として理解したので す。そのとたんに、イエスのまわりには写真的・映画的概念にかかわるものごとが、いっせいに集まり寄ってくることになりました。イエスは写真術と アナロジカルな方法で地上にあらわれ、死しては聖骸布という神聖写真術の被写体となった方なのですから、キリスト教の思想じたいにどこか写真や映 画を思わせる特徴がひそんでいたとしても、不思議なことではないでしょう。
 人間の論理的に思考する能力は、過剰性や放射性や増殖性をはらんだものを理解しようとするときには、かならずと言っていいほどに「トリニティ= 三位一体」的なモデルを利用しようとします。木を木と言い、山を山と言い、水を水と言い、この世界のあるものを記号的な意味情報として伝えようと するときには、二元論のモデルで十分です。じっさい一切のものごとを情報化して記憶・計算・伝達するコンピューターは、0と1との二元論ですべて の情報処理をすませています。
 ところが、木がただの木ではなくなって、なにか詩的な意味を含蓄するようになるときには、それではすまなくなります。「意味」の平面から過剰し あふれ出してくる「価値」の問題が、発生するからです。意味平面を垂直的に横断していく第三の力を考えにいれなければ、価値の問題は思考不可能で す。そのために詩学は、言語学とは違って、増殖を本質とする価値なるものを理解に組み込むために、三元論のモデルを採用することになります。》 (221頁)

☆2008

★2月12日(火):注解という仕事

 ちくま学芸文庫から、坂部恵著『かたり 物語の文法』が出た。岩波の『坂部恵集』全5巻には収録されていない。
 原著あとがきの次の一文が、とても気に入った。

《注解という仕事は、今日では(あるいは、今日でも)、ともすれば一段低く見られがちだが、ときにペトルス・ロンバルドゥス命題集注解などという 一見さりげなく地味な形で、近世以降のなまじ〈独創的〉な著者たちなど及びもつかぬほどの最良質の創造性(とときに詩情さえも)を発揮することを 知っていた西欧中世の多くは無名の注釈者たちや、あるいは、フマニストとしての素養も充分にあり、詩心もあるわが国の中世連歌師たちのすぐれた古 歌注釈の仕事などを、むしろ至上の範ともし目標ともしたいとわたくしはかねてから考えてきた。》

 この『かたり』という本そのものが、冒頭に引かれた折口信夫の一文への長い注解ではないかと思う。といっても、まだ最後まで読んでいないので、 これは当てにならない。
 ここでふと、柄谷行人の仕事に、「注解という仕事」をめぐるものがあったことを想起する。ネットで検索していて、自分が書いた文章に出くわし た。(これはよくあることで、いかに自分が、同じところをぐるぐる徘徊しているかを実感する。)
 以前書いた『ヒューモアとしての唯物論』の書評のうち、その「さわり」を抜き書きしておく。

「本書でもっとも注目すべきものは、未完の「江戸思想論」もしくは「註釈学的世界」の一部をなす「伊藤仁斎論」ではないかと思う。柄谷氏によると 「註釈学」とは哲学批判の異名にほかならないのだが、私は「註釈」とは「単独性」としてあるものをめぐる「コミュニケーション」の異名ではない か、そしてそれは使徒的報道やベンヤミン的「翻訳」の問題ともつながってくるのではないかと考えている。

☆2009

★5月25日(月):双子のように響き合う文人哲学者

◎坂部恵『不在の歌──九鬼周造の世界』

 文人哲学者・九鬼周造という「異例の哲学者」(『九鬼周造エッセンス』「解説」での田中久文氏の評言)の度はずれたスケールとその深さまた高さ を、「註解」もしくは「註釈」という方法で凝縮した格好の入門書。入門書というよりは誘惑の書。坂部恵というもう一人の文人哲学者(もしくは、 『かたり』の文庫解説での野家啓一氏の評言を借りるならば、「詩人哲学者」)の音韻と音階が「双子」のように重ね合わされている。とりわけ「ポン ティニー講演」をめぐる叙述の濃度が高い。以下、その概略。

 第1章「天心の影──「根岸」と「或る夜の夢」」。
 「[実の父]隆一、母[波津]、[心の父・岡倉]天心と周造自身とからなる九鬼の四角形の宇宙ないし反─宇宙(お望みならば、一種「アンチ・エ ディプス」的な四角形の反─宇宙)」(21頁)が、「私は、はたして何者なのか」という「みずからの同一性の根底を揺るがす深い不安」(127 頁)を投げかけた。
 それらは後年の、周造の思考における「女性性」(フェミニテ)ないし「たをやめぶり」、また「両性具有」「分身」「双子」「二元性」「エロス」 等々のテーマへと関連していく(128-129頁)。

 第2章「いのち寂し──『巴里心景』と『「いき」の構造』」。
 九鬼の詩魂(とくに短歌)を一瞥した後、『「いき」の構造』が、異郷にあって二人の父と母を想う「周造の内面にはらまれた幾重にも重層的な二元 の邂逅の「緊張に支えられて、はじめて魅力あふれる作品たりえている所以」(104頁)が述べられる。

 第3章「わくら葉に──ポンティニー講演と『偶然性の問題』」。
 1928年、ブルゴーニュの小村シトー会の修道院で行われた二つの講演が語られる。日本人によって外国語で書かれた日本文化論として『茶の本』 『東洋の理想』『武士道』『代表的日本人』等に「匹敵する重みと問題性をもち」、また「周造の哲学的思索のもっとも深くかつ重要なモチーフを端的 に提示するもの」(109頁)。「九鬼の思索の営為全体におけるひとつの頂点を占める」(140頁)もの。
 第一の講演「東洋における時間の観念と時間の捉え返し(反復)」。「これだけ抽象度の高い形而上学的思弁を能くする力は、…空海、道元、梅園ら ごく少数の例外を別として、ほとんど見あたらない類のものである」(121頁)。
「そこには、おのずから、周造自身の時間に関する何らかの神秘体験、あるいは、すくなくともそうした神秘体験への想像力をもってする深い共感の裏 打ちがあったものと考えられる」(123頁)。「神なき時代の神秘体験について深く思いをいたしたジョルジュ・バタイユの精神的雰囲気からそれほ ど遠くないところにいなかったと想像しても、それは、それほど見当ちがいのこととはいえない」(124頁)。
 第二の講演「日本芸術におけ〈無限〉の表現」。「循環する時間」のテーマが「出会い」のテーマと密接な関連をもって述べられている(139 頁)。「いき」の概念装置の射程には入りえぬ類のもの、水墨画や蕉風の俳諧等を主たる考察の素材とするこの講演は、「多くの音域と音階を含む周造 の生と思索の宇宙にあって、ある意味で、[『「いき」の構造』と]対極的な互いに補い合う位置を占めるものである」(140-141頁)。
 続いて『偶然性の問題』。「自己の絶対的孤独と峻厳な宿命の同一性の底無しの深みと、自己と他者の二元的対立というふたつのテーマの重なり合う ところに生起してくるもの、すなわち、あえていいかえれば、無限の厚みをもった永遠の今を生きる一種の神秘体験の核をさらに一層掘り下げて行くと ころに生起してくるものこそ、〈偶然性〉の問題にほかならなかった」(150頁)。

 第4章「双子の微笑──「文学概論」と「日本詩の押韻」」。
 九鬼の「文学概論」は、「周造の生涯の思索の営為のひとつの頂点をなし、また集大成をなすものとして、周造の代表作の筆頭に数えられるべきもの である」(187頁)。また「たとえば、漱石の「文学論」とならんで、明治以後の日本の文学論のなかで、際立った思弁性と透徹した体系性という特 色をもって、孤立に甘んじ、今なおい孤高を持しているようにおもわれる」(188頁)。
 その「文学概論」の最後の結論。《我々は文学とは「存在の言語による表現自身」といふ主題に基いて、存在の領域を一々考察し、最後に存在と同意 義である時間の観念に到達して、時間の見地から文学を見た。そして文学とは「時間の言語的表現それ自身」といふ認識にたどり着いた。》
 最後に「日本詩の押韻」。論の末尾近く、「文化多元論的視点に加え、韻律に体現される垂直のエクスタシス、〈いのちのはずみ〉の実存的意味ない し局面」について述べた文章。《律と韻とは詩の音楽的様相である。音楽が心のおのづからな流れとして世界的の言葉であると同様の意味で、詩の形態 も世界的の言葉である。(略)しかし押韻によつて開かれる言語の音楽的宝庫は無尽蔵である。韻の世界は拘束の彼岸に夢のように美しく浮かんでゐる 偶然と自由の境地である。》

★5月26日(火):〈インメモリアル〉な時を求めて

  「かたるに落ちる」というけれど、「はなすに落ちる」とはいわない。
  だから、〈かたる〉は〈はなす〉よりひとつ上の世界にすまいしている。
  〈うたう〉や〈いのる〉、〈つげる〉や〈のる〉と〈はなす〉のはざまから、
  神と人の垂直の関係へ、はては〈しじま〉に向けて、〈かたり〉は転移し変容する。

  おなじ〈はなし〉はあるけれど、世にふたつとおなじ〈かたり〉は存在しない。
  語り手が〈巫祝の時制〉をもって「見てきたように」かたるのは、とおく過ぎ去った
  〈いにしへ〉の思い出ではなく、生きたままよみがえるいまは〈むかし〉の物語。
  〈インメモリアル〉な神話的過去のアウラを帯びた、出来事の一回性。

  「語る」は「騙る」──垂直の時間に参入した〈かたり〉の人称が多重化される。
  作家と読者、主人公、架空の語り手、仮想の受信者、そして〈巫女〉と〈もののけ〉。
  連なる仮面のようにペルソナが転移し、人称的なものの生きた味わいがたちあがる。

  幾重ものトランスポジション(比喩、化体)をはらんだ営みとしての〈かたり〉。
  多くのヴァージョンをもち自己増殖するポリフォニアとしての〈物語〉。
  歴史と伝説、実録と虚構、〈無限人称〉の科学と〈原人称〉の詩が一つになるところ。

[註]
 〈インメモリアル〉は、坂部恵著『かたり──物語の文法』(ちくま学芸文庫)のキーワード。
 言語行為、さらには言語行為をもその一環として含む〈ふるまい〉一般に関して、坂部氏は「はなし─かたり─うた」と「ふるまい─ふり─まい」の 二つの図式を示す。
 これらの図式において、左から右へと進むほど、俗なる水平の言語行為から聖なる垂直の言語行為へ、また日常的な水平のふるまいから儀礼化された 垂直のふるまいへと移行する。

《この進行につれて、一般に、行為の主体もまた二重化的超出ないし二重化的統合の度合いを高め、またその構造を顕在化させる。
 ひとは、この度合いの高まりないし構造の顕在化につれて、いわば日常目前の生活世界の時空への拘束からはなれて、そうした目前の利害・効用に直 結するいわば水平の時間・空間から、記憶や想像力や歴史の垂直の時間・空間の奥行のうちへと参入する。この垂直の時間・空間の次元は、すでに多少 見たように、その究極において、真に非日常的な〈ミュートス〉神話の空間、記憶を絶したその〈インメモリアル〉な時間にふれる。通常の記憶や想像 力の世界と〈ミュートス〉の世界をへだてる境界は、しかし、それほど明瞭なものではなく、ひとは、一旦、日常効用の水平の世界と直交する記憶や想 像力の垂直の次元に参入すれば、そこでは、すべての形象は、すでになにほどか神話的色合を帯び、反対に、遠い記憶の底に沈んだあれこれの神話的形 象や原型(archetype)は、日常の記憶や知覚の世界に還流する思いがけないほどに身近な直接の回路をわれわれの心性のうちにそなえている かもしれない。それは、一言でいって、プルーストやジョイスの記憶や想像力の〈かたり〉の世界であり、あるいは、ベルクソンの持続と純粋想起の世 界である。
 いずれにせよ、〈かたり〉や〈ふり〉、さらには〈うた〉や〈まい〉の場がひらかれるのは、こうした、日常効用の水平の時空と、記憶や想像力の垂 直の時空がたちまじるはざまにおいてにほかならない。》(52-53頁)

 この、水平と垂直の直交関係を基本図式として、その上に、坂部氏は、ハラルト・ヴァインリヒの『時制論』とロマーン・ヤーコブソンの詩的言語論 (「言語学と詩学」ほか)の「注解」ないしは「注釈」を通じて、時制、人称、様相といった〈かたり〉の文法をめぐる議論を重ね描いていく。
 たとえば、坂部氏は、ヴァインリヒの議論から抽出した「アオリスト」(古代ギリシャ語で悲劇をはじめとする文学作品の〈かたり〉において頻繁に 使用された時制、バンヴェニストはフランス語やスペイン語の単純過去をアオリストと呼ぶ)について、これを「神がかりした巫祝の〈かたり〉の時制 であった」と想定する。
 そして、古事記などに用いられる「き」を、(夢幻の世界から現実に立ち返った感慨をあらわす「けり」とは違って)、歴史的神話的過去に属するこ とを「見てきたように叙述する」語部の時制、アオリスト助辞ととらえた先達の議論(藤井貞和著『物語文学成立史』ほか)へと接続していく (78-84頁)。

《未完了過去や条件法で述べられる過去の出来事が、原理的に繰り返し可能で、別様でもありえ、時間を逆転して呼び返すことが可能であると見なされ るのにたいして、アオリストで述べられる〈むかし〉は、もはや二度と呼び返すすべのない既定性と、一種魂の故郷の味わいをもった神話的なアウラを 帯び、通常の記憶ないし思い出を絶してそれらとは別の秩序に属する〈インメモリアル〉な時の後光をなにほどかうけながら、集団や個人の心性のうち に生きたままよみがえるのである。(ベルクソンが、この種の記憶を〈純粋想起〉の名で呼んだことは、周知のとおり。)
 アオリストがときに〈語部の時制〉と呼ばれるのもむべなるかなということになろう。
〈かたり〉という発話態度は、おそらく、いまにいたるまで、通常の(無限定な)過去とは質的に区別された、神話的な過去との地下水脈による結び付 きの記憶を、かろうじてにもせよ、処々で保ちつづけているにちがいない。》(163-164頁)

 インメモリアルな時に属する出来事を「見てきたように語る」こととパラレルな、もう一つの〈かたり〉というものがあるのではないか。それは、異 なるペルソナに属する思考や感情を「我がことのように語る」こと、すなわち坂部氏自身が本書で実践した〈かたり〉のことなのではないか。

《注解という仕事は、今日では(あるいは今日でも)、ともすれば一段低く見られがちだが、ときにペトルス・ロンバルドゥス命題集注解などという一 見さりげなく地味な形で、近世以降のなまじ〈独創的〉な著者たちなど及びもつかぬほどの最良質の創造性(とときには詩情さえも)を発揮することを 知っていた西欧中世の多くは無名の注釈者たちや、あるいは、フマニストとしての素養も充分にあり、詩心もあるわが国の中世連歌師たちのすぐれた古 歌注釈の仕事などを、むしろ至上の範ともし目標ともしたいとわたくしはかねてから考えてきた。》(「あとがき」)

 坂部氏が実践した〈かたり〉、すなわち「注解」もしくは「注釈」の仕事(本歌取りならぬ「本家取り」とでも呼んでおこうか)の手際はまことに鮮 やかで、この、二つのあとがきと(野家啓一氏の)解説を含めて二百頁に満たない書物のうちに、(冒頭に「身毒丸」への附言が引用された折口信夫の 仕事についていわれるのと同じように)、まさに「坂部学」としか形容のしようのない、きわめて濃度の高い、詩と哲学が高次元で融合しあう「ポリ フォニックなトランスポジションの場」(「文庫版へのあとがき」)がひらかれている。

(私はここで、一人の文学者のことを想起している。「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。」(「無常という 事」)と書いた小林秀雄。「小林は『罪と罰』を書こうとしているのではないだろうか。…小林はあのドストエフスキイ作の、あの『罪と罰』を書こう としているのではないだろうか。」(山城むつみ「小林批評のクリティカル・ポイント」)と評された、あの小林秀雄のことを。)

☆2011

★8月6日(土):坂部恵の美学講義(1)

 別冊水声通信が創刊された。(「ムック形式で1テーマを掘り下げる新たな論集」)
 第一回が『坂部恵──精神史の水脈を汲む』。冒頭に、坂部恵の遺稿の一部が掲載されている。全二十一講からなる『美学講義──霊的美の系譜』 (仮題)の第一講。
 通読して、次の二つの断片を記憶することにした。

《リベラル・アーツという共通の根から、(ファイン・)アートもサイエンスも生まれた。》

《美学を含めた現代の人文諸学でも、レトリックの復権の動きが一九六○年代このかた、いちじるしい。ニュートン物理学を典型とする厳密学のモデル が相対化され、生きてはたらく言語や生活世界への関心が高まる機運と大幅に連動する動きである。》

 解題(黒崎政男)に、この美学講義は『ヨーロッパ精神史入門──カロリング・ルネサンスの残光』と対をなす仕事であると言える、とある。(個人 的述懐。私が坂部恵にいれこむきっかけになったのが、この『精神史入門』だった。)
 また、「論文体とアフォリズムの中間的表現」で書かれた本稿は、メルロ=ポンティの遺稿『見えるものと見えざるもの』を髣髴とさせる、とも。
 水声社から近刊予定とのこと。「世阿弥と日本中世の芸術論」や「武満徹の音楽論」などの話題もとりあげられているという。

★8月7日(日):不在の主体=主語──坂部恵の美学講義(2)

 美学講義・第一講に、2001年、幕張で開催されたアジア初の世界美学会大会での挿話が紹介されている。
「インドの女性美学者は、私たちは美術館に展示された芸術などという概念はもたない、といった。非西洋文化圏からの挑戦的な言辞である。」
 
 その大会に際して日本美学に関するシンポジウムが行われ、コーディネーターの求めに応じて坂部恵が発表原稿を書いている。
 英語で書かれた論考のタイトルは、「不在の主体/主語と批評の不在」(“Subject of the Absence and Absence of the Critique ”)。
 コーディネーターは佐々木健一氏で、求められたテーマは日本文化の「いま・ここ」的性格。
 以下は、その佐々木氏による要約。(『坂部恵──精神史の水脈を汲む』に収録された「民間語源でも何でも……」から)

《そこで、その概略を紹介することにしよう。──出発点は、日本語の命題の特徴である。すなわち、多くの場合主語が明示されず、述語だけで構成さ れる、という特徴である。その文は、不在の主語のところに、状況に応じて様々な主語を入れてみることが可能で(西田の「無の場所」)、日常言語が 既に隠喩的な構造をもっている(ここで言う「隠喩」とは、等価なものの重ねあわせ、というヤコブソン的な意味でのそれ)。これに対応する性格が伝 統的な日本文化のなかに見出される。まずは、主体=主語の欠如に対応して集団的な創造のかたちがあり(連歌)、そこでは個々の主体が消え、いわば 無名の大文字の主体が支配する。ついで「ミメーシス的」性格が指摘される。典型は折口の論じた「もどき」だが(『鏡のなかの日本語』に「〈もど き〉」が収録されている)、これと言語の構造との関係は語られていない。この性格は、能や特に狂言のような演藝に顕著だが、「ふるまい」(もちろ ん『〈ふるまい〉の詩学』の原点)や「まねび」という哲学的に枢要な概念に通じている。第三が隠喩的表現の優越で、短歌や俳句のような極端な短詩 が当然に帯びてくる性格で、かつ墨絵が彩色画以上に色彩的である、という事実のなかにも認められる。最後の特徴は閉鎖的な社会システムで、藝道に おける秘伝や相伝のかたちをとった藝の伝承、歌舞伎における襲名の事実が参照される。この主語(=主体)的に開き、述語的に閉じた制度は、よく機 能している場合には高度の創造性の土壌となりうる。》

★8月11日(木):批評の不在──坂部恵の美学講義(3)

 坂部恵の日本文化論「不在の主体/主語と批評の不在」の概略紹介の後段。昨日引用した佐々木健一氏の文章の続き。

《この文化の特徴は、批評(批判的活動)に対しても次のような影響を及ぼす。先ず、藝道の諸分野で、その初期には傑出した批評が生れる(定家、世 阿弥、心敬、芭蕉)。しかし、その教えは直に悪しき意味での collectivism に堕してしまう。また、これらの人びとが傑出した創作家でもありえたのは、ひとつの謎である。「ミメーシス的」性格では、当初強い批評的な力をもっていた 「もどき」も定型化してその力を喪い、国学も(まねびを通して)国粋主義へと退化する。また、例えば世阿弥の批評における「はな」や「幽玄」など の隠喩的なキー概念は、当初批判的な意味をもっていたが、直にステレオタイプ化し、批評自体も藝談に堕する。そして最後に、「述語的に閉じた社会 システム」のなかでは、公共の基準が成立しにくい、ということがあり、その状況は近代においても続いている。
 最後に、これらの考察に基づいて、坂部さんは日本における藝術創作と批評の可能性について「ペシミスティック」な見解を示したうえで、つぎのよ うな「マクシム」を以てこの発表もしくはエッセイを閉じている。すなわち、「怖れずに他の述語的場に侵入せよ、このプロセスにおいて空 (vacant)となることを怖れるな、自ら不在の主体となり、根を喪うことを怖れるな」。》

 最後の「マクシム」「教え」について、佐々木氏は「何やら哲学的遺言めいて聞こえる結びである」と書いている。