デカルト的二元論(2023.07)



デカルト関連の古い書付がどんどんみつかる。かつて(短い期間だったが)デカルトに浸っていた頃の熱量がよみがえる。 きっかけは『省察』を読み込み、デカルトが“大人”の議論をしていると知ったことだった。それまで不遜にも「我思うゆえに我あり」など子供の議論 だと勘違いしていた。
『男はつらいよ』の第16作「葛飾立志篇」で寅さんが唐突に学問を志す。その「学問」とは「己を知る」ことで、小林秀雄が「宣長の源氏観」(『小 林秀雄講演』第5巻)で語った「学問」に通じている。「今の学問はサイエンス、科学だが、宣長さんのころの学問は違う、「道」です、人の「道」を 研究したのです」
デカルトがしていたのも実はこれと同じ「学問」だった。(渡仲幸利氏は『新しいデカルト』で『うひ山ぶみ』の一節「…すべて思ひくづをるゝは、學 問に大にきらふ事ぞかし」云々を引き、「宣長のこのことばは、「持って生まれた分別のみを用いる人びと」のために『方法序説』を書いたデカルトの ものでもあると、わたしはいいたい」(133頁)と書いている。)
このことを知ってから、デカルトによる精神と物質の二元論が近代の諸悪の根源だったとかいう利いた風な言辞が目(鼻)につくようになった。「デカ ルト的二元論・批判」狩りがはじまった。当時、企画書『ルネ・青白い肌の少年』の少し後に書いたものに手を入れてみた。

   ※

【1】「これは誰のわたしなのか。」──加藤幹郎氏が『『ブレードランナー』論序説』(13-7-1「超時間的存在」)に書きつけたこの言葉は、 それが使われた前後の文脈を抜きに単独でとりだしてみると、ずいぶん「使い勝手」がいいものになる。デカルトが『省察』の二日目に書いた「私は在 る、私は存在する」の「私」はそもそもいったい誰の「私」のことなのか、といったぐあいに。おなじく加藤氏の言葉を借りるなら、デカルトのそれ以 後の省察は、この問いを傍目にみながら進められる「形而上学的探偵物語」である。
 ところが同書(13-7-2「宇宙的孤独と宇宙的拡張」)にちょっと困った文章がでてくる。

「少なからぬ批評家たちが[映画]冒頭の謎の瞳をロイ以外の人物(ホールデンやレオンやデッカードやタイレルなど)に帰してきたが、それはこの映 画がどっちつかずの複数の意味を許容しているということではない。そうした複数の別解がありうるのは、この映画が観客を迂路に導く迷宮テクストだ からだというよりも、そもそも『ブレードランナー』が自己同一性(単一解答の存在根拠)という概念そのものを疑義にふす映画だからである。さらに この形而上学的探偵物語において、一個の存在者はひとつの時間にひとつの場所にしか存在しないというアリバイ原理そのものが破棄される。(略)古 典的ハリウッド映画が登場人物の心理的、時空間的同一性を保守するシステムだとすれば、…たしかに『ブレードランナー』はみずから古典的たること にひびを入れている。この映画がポストモダン映画たるとすれば、それはただこの亀裂の瞬間たるをおいてほかにない(「近代」の端緒が意識の表象た る「我思う」主体と客体とのデカルト的二元論にあるとすれば、この映画のポストモダンたるゆえんは、こうした二元論の終焉にある)。」 (162-163頁)

 加藤氏の文章を読んで“困った”のは、最後にでてくる「デカルト的二元論」をめぐる議論、とりわけ「意識の表象たる「我思う」(=コギト)」に 関する部分である。(「意識の表象たる」が「客体」をも形容しているのだとすれば、それはそれでまた別の問題を提起するが。)
 「私は在る、私は存在する」の「私」が「意識の表象」にほかならないものであって、そこから心身、主客の二元論が生まれ、あまつさえ近代が始 まったなどという“まことしやか” な議論は、まさにそのような「お話」をでっちあげるのが近代という時代の正体なのだというアイロニーとしてしか受けとることができない。
 実地に『省察』を読んだことがある人だったらそんなことは言えないと思う。(「デカルト的」二元論であって「デカルトの」二元論ではないという 救いはあるにしても、ではなぜそれが「デカルト的」なのか。主体・客体の二元論などどう考えても「反デカルト的」ではないか。)
 こういう文章をみつけたとたん、『『ブレードランナー』論序説』の全体が(ほんとうは出色の映画論の書物なのに)児戯に等しい底の浅い、括弧付 きで「ポストモダン」な議論を延々と繰り出すどうしようもない書物としか思えなくなってしまう。
「これは誰のわたしなのか」やこの問いをめぐる「形而上学的探偵物語」でさえ(実に深く刺激的な論考なのに)単なる駄洒落や言葉遊びの類に転落し てしまいかねない。──これ(「デカルト的二元論・批判」狩り)は最近の私の悪い癖だ。

【2】そもそも『省察』を(腰を入れて)読み返すきっかけになったのは、河野哲也著『〈心〉はからだの外にある』のデカルト批判に躓いたからだ。
 そこでいわれていること、たとえば「「私はある」という命題は発話されなければならず、したがって、その「私」は話す者でなければならない」 (48頁)や、「デカルトのコギトは、発話できるという条件、すなわち、発話能力と言語の獲得に依存していた」、そしてデカルトのいう「自己意識 の概念のなかには、ある言語を話すことをもって自分たちと同種と見なすという特定の社会的・政治的スタンスが込められている」(61頁)といった 指摘は、それはそれで別の面白い問題を提起するものだと思う。
 しかし、デカルト的自己すなわち「知る自己の働きは環境のなかに書き込まれているのであり、透明な幽霊のような心的機能などありえない」(60 頁)や、「デカルト的な発想、すなわち、身体的行動やふるまいとは独立の「内的意識」なるもの」(117頁)といったところに顔をだすデカルト批 判への違和感はどうしてもぬぐえない。
 それどころか、「デカルト的発想を覆す」とカバー裏に謳い文句が印刷されている本書の内容全体(「知る自己」に対する「エコロジカルな私」の概 念の提唱)を、「デカルト的発想」そのものから導き出すことがきるのではないかと思う。

 「知る」ことと「考える」こととは違う。「知る」ことつまり認識することは「歩く」ことと同じ次元の話で、それは身体の領分──河野氏が「我思 う、ゆえに我あり」に対抗する原理として提示した「私は死ぬ」の領分──にかかわることだ。
 それに対してデカルトが「私とはただ考えるもの res cogitans でしかない。言いかえれば精神、すなわち魂、すなわち知性、すなわち理性である」(第二省察、山田弘明訳)というときの「精神」は、心身の二分とはいささ かの関係も持たない。
 まさしく「透明な幽霊のような心的機能などありえない」のであって、デカルトの「精神」は「心的機能」(それはデカルト的発想では身体の領分、 というより心身合一という「原始的概念」の領分に属する)のことではない。それ、すなわち「透明な幽霊のような」ものとは死者(死体ではない)の ようなもの、あるいは「死者のようなもの」という言葉のうちにその存在の住処が示されているもののことだ。
 なにかの書物、たとえば『聖書』を読んで、それがほんとうにあった出来事かどうかは別として言葉で伝えられた「お話」としてこれを受けとるの と、そこに書かれた言葉のうちにある根源的な経験が立ち上がっていて、それを読むことが「いまここで」その経験のうちに身も心もまきこまれていく ことであるものとして受けとるのとではまるで体験の質が違う。
 デカルトの「精神」は、つまり「考える」ということはそのような「透明な幽霊のような」ものとなって「物語」を生きることなのだ。そもそもそう した意味での言葉が立ち上がる現場に「精神」は住まいしているのだ。

   ※

古い書付はまだ続くがここで切り上げる。(最後に書いた事柄は、今なら、「考える」ことや「精神」はアクチュアルな次元に属していて、リアルな 「心」「自己意識」や「知る」こととは似て非なるものだ、と書き加えたいところ。)
「デカルト的二元論・批判」狩りの起点となったのは柄谷行人『探究Ⅱ』の次の文章だった。
「われわれは、デカルトと、彼とともにはじまるといわれる近代哲学の構え(精神と身体、主観と客観)に対する各種の批判を幾度もきいている。しか し、そのほとんどはデカルトと無縁である。たとえば、精神と身体の二元論などは、デカルト以前からあるだけでなく、日常の思考(言語表現)にあ る。それをデカルトのせいにするのは的はずれである。というのは、デカルトにとって、その種の二元論を拒否することにこそ「精神」があるから だ。」
この一節に刺激を受けて昔(前世紀の最後の10年の後半頃)「デカルトが始めたこと」という文章を書いた。同じことを10年単位の周期で繰り返し ている。デカルトが始めたことは何度でも最初から反復される。