ルネ・青白い肌の少年(2023.06-07)
それはまだ世にあらわれていない書物の話である。──昔書いた文章を整理していて、『ルネ・青白い肌の少年 あるいは
「死せるデカルト」の生涯と思索をめぐるセブン・ストーリーズ』という本(ボルヘスやカフカやチェーホフや足穂や龍彦のテイストで綴られた短編小
説集!)の企画書を“発掘”した。若干手入れをしてみる。
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第1話「真空をめぐる対話」
1947年9月23日とその翌日、定住先のオランダからフランスに一時帰国したデカルトはパスカルを訪ねた。そのとき「真空」のことが話題に
なったと後の書簡にしたためている。
デカルトは真空の存在を認めない。物質とは延長すなわち空間であり、物質は無限に分割される。そのような(物質と一体の)ものとして神は幾何学
的空間を創造した(永遠真理創造説)。一方、パスカルは実験によって真空の存在を検証したとされるが、その「厳密な科学実験」はいずれも文学的作
品であり思考実験であった(小柳公代『パスカルの隠し絵』)。
「その早熟な自我によってパスカルは、思考が空虚[真空]すなわち容器のえぐりとられた部分を包みこむということを経験したように思われる。」
(ディディエ・アンジュー「パスカルにおける真空の概念の誕生」)
デカルトとパスカルの二日間の対話は「真空」をめぐる実験の話題に始まり、幼年期のこと(母親から空咳と青白い肌を受けついだデカルト、母親の
身籠もった腹に空虚化への恐怖を募らせたパスカル)、そして二人が死んだ後の世界のことにまで及ぶ。
死者たちの世界(四人称の世界)に住まう二人の対話は、生きている者たちの世界における物質を介して、すなわちそれぞれが書き残した書物を通じ
て交わされることになるだろう。
第2話「朝寝をする少年」
デカルトは若死を宣告された少年だった。「ヨーロッパで最も有名な学校の一つ」ラ・フレーシュ学院でも、病弱なデカルトは特別に個室を与えられ
朝寝を許された。この朝寝の習慣は晩年まで、スウェーデン宮殿で朝5時からの進講を余儀なくされるまで続いた。朝の光にくるまれた眠りの中で、少
年デカルトはどんな夢を見ていたのだろうか。
失われた手記『オリンピカ』のなかでデカルトは、「私は一六一九年十一月十日、霊感に満たされ、驚くべき学問の基礎をみいだしつつあったとき」
に一晩で三つの夢をみたと記している。最初の夢では亡霊に脅かされ、渦巻きに巻き込まれた。次の夢では電光の一撃に打たれ、我に返ると部屋は閃光
に満ちていた。第三の夢には辞書(百科全書)が現われ、ローマの詩人アウソニウスの詩句が登場したという。
肺炎で亡くなった1650年2月11日、デカルトが最期に見た夢は?
第3話「書簡#61」
「非物体的な魂がいかにして身体を動かしうるのか」。エリザベト王女のこの問いかけからデカルトとの文通が始まった。二人の往復書簡で現存する
ものは60通である。もしデカルトからエリザベトに宛てた61番目の書簡が残存していたとしたら? しかもそれは死せるデカルト、つまり情念から
解き放たれた精神によって書かれたもの(身体なき者のための情念論)であったとしたら?
心身合一は「原始的概念」である。それは形而上学的概念や科学的概念によって知性的に理解できるものではなく、その合体を「身をもって」体得す
るほかはない(小林道夫『デカルト入門』184頁)。デカルトはそう主張した。そうだとすると、身体なき者(死者)にとっての心身合一とは?
第4話「新年の贈り物」
成年に達したデカルト(生来の空咳と青白い顔色は直っていた)は「世界という大きな書物」に眼を転じ、志願兵として軍事学校に入った。その年、
自然学者イサーク・ベークマンと知り合う。彼は「ほとんど独力で自然学と数学とを結合しようという企てを行っていた」(小林道夫『デカルト入門』
31頁)。このベークマンにデカルトは、新年の贈り物として『音楽提要』を捧げた。
音楽の目的は快である。われわれのうちにさまざまな情念をひきおこすことである。後の『情念論』につながるこの若書きの書物のうちに、デカルト
が仕掛けたものとは? 究極のデカルト・マシン(プレジャー・マシン)の製造法? 暗号で語られる神の言葉の解読装置?
第5話「真理の探究」
デカルトの未完の著作に『真理の探究』がある。おそらくスウェーデン移住後のもので、デカルトにはめずらしく対話形式で書かれていた。この「私
の本質規定」(私は考えるものである)のところで終わった著作の構想は「遠大なもの」であったという(小林道夫『デカルト入門』88頁)。
この著作が密かに完成されていたとしたら? 死後のデカルトによって完成させられていたとしたら? デカルト以前以後を問わずだれも到達できな
かった思考の高みと深みに達していたとしたら(なにしろそれは死者による思考なのだから)?
デカルトの『世界論』は死後に出版された。ガリレオ裁判の結果を知り、生前の刊行を断念したからであるという。生前書かれた書物の死後における
出版ではなく、字義通りの死後出版、すなわち死者によって書かれた書物が出版されたとしたら(死者からの電話のように)?
第6話「剣術の稽古」
「修行と冒険と諸国遍歴の時期」(『デカルト入門』12頁)にあったデカルトに二つの武勇伝がある。追いはぎを屈服させたこと。「真理の美に匹
敵する美はまったくみあたらない」デュ・ロゼー婦人をめぐる恋敵との決闘。おそらくこの時期、デカルトは後に散逸する論考『剣術』を書いたという
(58頁)。その後オランダに隠棲し、「新哲学」思索と著作にふけっていたあいだも剣術の訓練はつづけていた(184頁)。兵士デカルト(小泉義
之)ならぬ剣士デカルト。「死を恐れず生を愛すること。」
第7話「第七省察」
六日間におよぶ「一生に一度」の大事業をなし終えて、デカルトも休息の七日目を迎えたのだろうか。いや『省察』は安息日から始まっている。「幸
いにも今日、私はあらゆる気遣いから心を解き放ち、穏やかな余暇を得てひとり隠れ住んでいるので…」(第一省察)。神の天地創造に対して、デカル
トの六日間をなんと名づけるべきだろう。身体の復活? 死からの再生? 臨死体験者の(対外離脱からの)帰還?
いままた死者となり、永遠に休らうデカルトによってなされた(第四人称による)最後の省察。欺く神、悪霊の立場から「私は無い」という命題にい
たる逆しまの万物創造? 精神(魂)の不死ならぬ不在の証明(無からの創造の逆コース)? 祈り(信仰)から呪い(呪術)へ?
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このほか「永遠真理創造説」や「渦動説」等々を素材にしたものをいくつか考えていたが、それらは続編(『デカルト あるいは死の歓び』)の題材に
とっておこう。