恋歌と恋文、音の韻と字の韻 (2013.2)



★02月25日(月):恋歌と恋文、音の韻と字の韻(その1)

☆石川九楊『日本の文字──「無声の思考」の封印を解く』(ちくま新書)

 西洋の恋する男は女性が暮らす部屋の窓の下で歌を歌って求愛するが、東アジアの男は恋文を書いて思いを伝える(152頁)。西洋では声の美しい 男がもてて、東アジアでは美しい文字を書く男がもてる。
 それはなぜかというと、それぞれで使っている文字が違うからだ。西洋のアルファベットは母音子音の有声の単位で構成されるが、東アジアは無声の 点画(一字で一語の漢字を構成する符号)を文字の構成単位とする。西洋の言語は声をもつが、東アジアの言葉は声をもたない(126頁)。
 このことはまた中心となる芸術の違いをもたらす。有声の構成要素からなるアルファベット文明圏(話す文明)では発声つまり声を基盤とする音楽 が、無声の構成要素からなる漢字文明圏(書く文明)では書字を基盤とする書が表現の基本を形成する(129頁)。

《西洋文化圏における音楽の位置づけを象徴するのが交響楽である。多彩な楽器によるオーケストラ演奏に匹敵する音楽が、東アジアではついに生まれ てこなかった。日本にも太鼓を用いた迫力のある音楽が存在すると考える人もいるだろうが、交響曲のハーモニーに比べると、質的にまったく異なる音 楽である。日本の太鼓が西洋でも人気を博しているといっても、それはあくまでアジア的なエスニック音楽として受容されているだけのことである。
 逆に、日本のひらがなの書、あるいは中国の漢字の書の美しさの表現は、西洋にはまったく存在しないものである。西洋にも文字を外部に飾り立てる 花文字のようなカリグラフィがあるが、その表現は文字を内部で支える東アジアの書が到達した表現レベルの深みには比べるべくもない。
 西洋における音楽と比肩できるのは、東アジアにおいては書である。これは間違いがない。西洋が培ってきた音楽と同じ質を、東アジアでは書に培っ てきた。書という芸術は、音楽や劇などの要素を含みこんだ複雑な表現である。
 そして日本の音楽は、西洋におけるカリグラフィに相当する。カリグラフィとは文字を美しく飾り立てるものであり、東アジアの音楽もまた同じよう にその基底は、声を外部に飾り立てるものである。これは日本の伝統的な音楽に限った話ではなく、現在の日本の音楽にもあてはまる。日本の流行歌で 大切なのは、音曲性よりもむしろ歌詞。歌詞がどのような心情を歌っているかが重要なのであって、曲の方はさほど重要視されない。
 その事実が最も典型的にあらわれているのが、能の謡や詩吟である。》(149-150頁)

 文字の構成要素が声をもつ「音符」か声をもたない「形符」か。この違いが言葉、ひいては文明の違いをかたちづくる。

《日本語が現在のような音訓両用、[語彙的には漢語と和語に分裂し、構造的には漢語の詞を和語の辞が支える─引用者註]二重複線言語であり続けて いる理由は、漢字の性格に由来する。無声の構成要素から成り立っている無声の点画文字であるために、読み方を自由に当てはめることができる。この 漢字の特性によって、第一段階の有無を言わせぬ圧倒的な水圧の漢詩・漢文・漢語の流入(漢字)にとどまらず、第二段階でのこの訓読による翻訳(カ タカナ)、さらには第三段階の翻訳確定語(現地語・和語)の文[かきことば]化(ひらがな)という三文字、三文体言語の日本語の体系がつくられて いったのである。》(137-138頁)

 詩もまた文字の違いの影響下にある。詩とは韻律をともなった文であり、この点においては西洋も東洋も同じである。しかし西洋では韻律が「音の 韻」になるのに対して、東洋詩、とりわけ日本の和歌の場合、韻律が音にとどまらず「書く韻」「字の韻」になる(204頁)。
 以下、本書のハイライト(私にとって)をなす議論へと接続される。

★02月26日(火):恋歌と恋文、音の韻と字の韻(その2)

☆石川九楊『日本の文字──「無声の思考」の封印を解く』(ちくま新書)

 第五章「文字と文体」に、「ひらがなとともに生れた古今和歌」のレトリック、掛詞、縁語、見立、歌枕、等々は、「音による韻律ではなく、文字= 書字による韻律、書字詩」、すなわち「文字に触発された意味の上での韻、字韻」(215頁)の「当然の帰結である」(214頁)と書かれている。
(ここでいう「ひらがな」は、一音多字、清音表記を特徴とする「女手」のこと。著書によると「女手」の特徴にはもう一つあって、すぐあとで引く 「元永本古今和歌集」の小野小町の歌にある「花・色・我・身」のように、その書きぶりがひらがなの表記となじみあったものについては、漢字をも含 めて「女手」という。)

 たとえば、「梅の香を袖にうつしてとめたらば春は過ぐとも形見ならまし」の古今和歌を、寸松庵色紙は「むめのかをそてに/うつしてとめたら/は るはすくと/もかたみならま/し」のかたちに五行にちらして書く。従来の解釈では、第二行末と第三行冒頭のあいだの「は」は一次脱字だとされてき たが、石川氏はそこに、「梅の香を袖にうつしてとめたら‘は’」と「‘は’るはすくとも」というふうに、二重に読まれるべき「掛字[かけじ]」と いう「字韻」が駆使されているとみる(208頁)。
 そして、この掛字は、「さ」の最終筆と「ら」の第一筆を二重に書く、あるいは「ち」の最終回転部分と「と」の書き始めの第一筆とが二重化すると いった「掛筆[かけひつ]」の表現技法に根ざしているとする。「ひらがなの歌である和歌の最も代表的なレトリック」とされてきた枕詞は、掛字に支 えられ、その掛字は、掛筆に支えられている(209-210頁)。
 あるいは、古今集113番の「花の色はうつりにけりないたつらに我身よにふるなかめせしまに」で、「経る」と「振る」、「長雨」と「眺め」の二 重の意味にくわえ、「わかみ」は「若身」=「若い自分自身」とも読めるし、「いたつらに」の「つら」は「面」をもあらわすから、「自分の若い面」 が変わってほしくない、という意味にも解釈できると著者は記す。
 以下、縁語、見立、歌枕、と和歌のレトリックをめぐる話題がつづく。ついで、ひらがな歌(女手歌)とは異なる万葉歌(漢字歌)の表現世界の話 題、「無声文字の文化、つまり構成要素が声をもたず意味と形を中心とする文化において展開される、詩の性格」(230頁)をめぐる話題がつづく。

 本書にはそのほかにも記憶にとどめおきたい話題がふんだんにもりこまれている。第四章「点画の書法──東アジアの「アルファベット」」にでてく る「基本点画」の画像つき解説は見ているだけで楽しい。西洋における楽譜のアナリーゼに相当するものといえようか。いちいちとりあげていてはきり がないのであと一つだけ、四季と性愛の表現に長けた和歌の誕生と洗練をめぐる文章を抜き書きしておく。

《漢字で書かれている万葉集の歌は和歌とは呼ばない。宛字という意味で「仮字[かな]」とはよぶものの、万葉仮名は漢字にほかならないから女手= ひらがなのような「かな」歌ではなく、漢字歌である。これに対し、「古今和歌集」の歌は女手で書かれた、真正の和歌である。女手は語を単位とする 分かち書き化へと踏み出した文字であるから、なめらかに書かれる。なめらかに書くこと──書字自体の優位化、優先は、複雑で微少な差異をならし、 平準化を進める。母音の五母音への簡素化と、現在で言う清音、濁音の一体化つまり清音表記も進んでいった。
 また、清らか、なめらかに書くところから、掛筆が生れ、掛筆は掛字を、そしてそれは掛詞を生むことにもなった。声による韻律よりも、書字(掛 筆)に発する掛詞が清音表記によってさらに増幅され、表現の可能性が広がり、和歌の表現が洗練されていった。意味の韻、文字の韻、書くことから生 れる韻律によって成り立つ和歌が、女手の誕生とともに生れたのである。ここに東アジアの漢字の「詩」とは異なる「和歌」が誕生した。
 これらの掛詞や縁語を和歌のレトリックの技巧と考え、従来の国文学者のなかには、それをおもしろがる人たちと技巧的でありすぎると批判する学者 が存在した。和歌の技巧性に対する見解は相違しているが、両者は共通に、西洋の音韻律を存在基盤とする詩をモデルとしてこれらを和歌の技巧と捉え ている。だが、これらは、和歌のレトリックではなく、意味の韻律、字の韻律を基盤に成り立っている和歌という詩の構造から生じた表現なのではない だろうか。》(223-224頁)

★02月27日(水):恋歌と恋文、音の韻と字の韻・読後談(その1)

☆石川九楊『日本の文字──「無声の思考」の封印を解く』(ちくま新書)
☆『芸術新潮』2006年2月号[特集|古今和歌集1100年 ひらがなの謎を解く]
☆小松英雄『みそひと文字の抒情詩──古今和歌集の和歌表現を解きほぐす』(笠間書院)

 『日本の文字』の読後の余韻を愉しみかつ確かめるために、かつて愛読した『芸術新潮』2006年2月号の古今和歌集1100年特集「ひらがなの 謎を解く」(この特集の内容は後にとんぼの本から『ひらがなの美学』として刊行された)の図版を眺めてみた。
 伝紀貫之筆「寸松庵色紙」や「高野切」、伝藤原行成筆「升色紙」、「秋萩帖」の美しいこと。

《日本を代表する歌集は何かと尋ねられたなら、本居宣長や正岡子規であれば『万葉集』と答えるだろうが、ほんとうのところは『古今和歌集』に尽き る。書でいえば、さきほど言及した「寸松庵色紙」。これら平安時代中期につくられた作品が日本の美学を象徴しており、この頃が世界で日本が最も輝 きを放っていた時代である。》(『日本の文字』61-62頁)

 日本を代表する歌集は何かと尋ねられて本居宣長が万葉集と答えるとは思えない(新古今和歌集だろう)が、その点をのぞいて、日本の美学に関する 石川説は妥当なのではないかと思う。

     ※
 芸術新潮を読んでいたのとちょうど同じ頃、近所の図書館から再々小松英雄著『みそひと文字の抒情詩』を借りてきては、ためつすがめつ眺め拾い読 みをして古今和歌の世界に思いをはせていた。
 昨年、新装版が書店に並んでいるのを目にして以来、いつか常備本として買い求めたうえで、まだ読まずに手元においてある『古典和歌解読──和歌 表現はどのように深化したか』や『日本語の音韻』(日本語の世界7)とあわせて通読せねばと思っていた。

 とここまで書いてきて、ふと『日本の文字』とのつながりが深い『日本語の音韻』を手にとって見てみると、付録の月報に丸谷才一・大野晋の対談 「和歌は日本語で作る」が掲載されていた。
 もしやと思い『光る源氏の物語』上下とともにこれも読まずにおいてあった『日本語で一番大事なもの』をひっぱりだしてみると、やっぱりこれは 「日本語の世界」の月報の対談を集めたものだった。
 いくつかの本が芋づる式につながっている。

★02月28日(木):恋歌と恋文、音の韻と字の韻・読後談(その2)

☆石川九楊『日本の文字──「無声の思考」の封印を解く』(ちくま新書)
☆松木武彦『進化考古学の大冒険』(新潮選書)
☆養老孟司『身体の文学史』(新潮文庫)

 『日本の文字』の読後談をもう一つ。
 石川九楊氏は、「文字とは話し言葉を記すためのたんなる記号ではなく、ひとつの文、文体をつくり支えるもの」(10頁)と定義した。文体は「詩 体」(203頁)に通じ、集団、社会、国家、ひいては文明の「かたち」に通じていく。

 『日本の文字』に触発されて、松木武彦著『進化考古学の大冒険』の最終章「文字のビッグバン」を読み返してみた。実に面白い。
 文字がなぜ誕生したか。誕生した文字がヒトの心や行動、社会をどう変えたか。
 文字の使用には法典(制度、規範)と史書・叙事詩(集団のアイデンティティ)と教典(神の物語)の三領域があること。
 まぼろしに終わった「弥生文字」(銅鐸や土器の表面などに描かれた文様が記号化したもの、シカ=三日月形、龍=S字形、呪術者=I字形など)が あったこと。
 六世紀から七世紀前半にかけて、「文字にもとづく世界宗教としての仏教」(243頁)の経典の伝来とともに、日本列島の文字社会化が進行し、そ の結果、五世紀なかばすぎに頂点に達していた「古墳という民族モニュメント」(245頁)の衰退がもたらされたこと。
 この話題は「ヒトはなぜ巨大なモノを造るのか」の章にダイレクトでつながり、それはまた「狩猟革命と農耕革命」の章の話題につながり、そうこう しているうちに関心は「美が織りなす社会」の章の「ホモ・エステティクス」の話題に飛び火する。
 で、結局、全体をざっと再読することになった。実に面白い。

「モニュメントは、そこで行われる儀式などとともに、人びとの心の動きに直接訴えることを通じて、集団のまとまりを保つ「われわれ意識」を高揚さ せ、そのアイデンティティを強める機能をもっている。
 文字を用いた制度によって人びとのまとまりを保とうとする、いわゆる国家の段階になると、モニュメントはその役割を後退させ、小さく地味になっ て、やがては作られなくなる。」(『進化考古学の大冒険』180-181頁)

 この文章を読みながら、私はふと古今和歌集は無形の人工物で、その編纂は文字によるモニュメント建立の企てだったのではないかと思った。
 松木氏は、「形はなぜ変化するのか」の章で、物の形の三段階、「フォーム」(物理的な機能を担う)と「スタイル」(社会的な機能を体現する)と 「モード」(スタイルの形の規則をこわさない範囲での細部の形状やデザインの変化)の区分をたてていた。
 この議論を「詩体」とりわけ「歌体」の分類に応用するとどうなるか。

     ※
 世界は表現だといっていい。これは、養老孟司著『身体の文学史』の「表現とはなにか──あと書きにかえて」の書き出しの言葉。
 文学、絵画、音楽、法律、制度、都市、そして考古学が研究対象とする人工物、それらはすべて意識の表現である。それらは意識の外部への定着手段 であって、かならずしもたがいに排除するものではない。

「ただし、たとえば都市と文学はなぜか矛盾するらしい。秦の始皇帝は万里の長城を築くが、焚書坑儒を同時に行う。立派な建造物は必要だが、本はい らないというのである。始皇帝陵の発掘で知られる驚くべき規模の遺跡は、建築型の意識の定着法と、文字型の意識の定着法とが、たがいに抗争するこ とを示すように思われる。西方では、エジプト人のピラミッドと、ユダヤ人の旧訳聖書の差を思えばいいであろう。どちらを採るか、そこにはおそらく 無意識が関与しているに違いない。」(新潮文庫『身体の文学史』206頁)

 この議論は、そのまま進化考古学の話題につながっていく。