存在しないものの美学・その他 (2008.7)
★7月5日(土):存在しないものの美学──「新古今集」珍解
終日、新潮社の『決定版三島由紀夫全集』31巻を眺めていた。
『豊穣の海』を書き終えたら、藤原定家をモデルにした小説を書きたい。三島由紀夫はそう語っていたらしい。その三島由紀夫が定家や新古今集につ
いて書いた文章を探していて、「存在しないものの美学──「新古今集」珍解」を見つけた。
短いものなので、全文を書き写しておく。(引用文中の“ ”は、原文では傍点で強調。)
※
たとへば定家の一首、
み渡せば花ももみぢもなかりけり
浦の苫屋[とまや]の秋の夕ぐれ
の歌は何で“もつて”ゐるかと考へるのに「なかりけり」であるところの花や紅葉[もみぢ]のおかげで“もつて”ゐるとしか考へやうがない。これ
を上の句と下の句の対照の美だと考へるのは浅墓な解釈だろう。むしろどちらが重点かといへば上の句である。「花ももみぢもなかりけり」といふのは
純粋に言語の魔法であつて、現実の風景にはまさに荒涼たる灰色しかないのに、言語は存在しないものの表象にすらやはり存在を前提とするから、この
荒涼たるべき歌に、否応なしに絢爛[けんらん]たる花や紅葉が出現してしまふのである。新古今集の醍醐味[だいごみ]がかかる言語のイロニイにあ
ることを、定家ほどよく体現してゐた歌人はあるまい。万葉集の枕詞[まくらことば]の燦爛[さんらん]たる観念聯合[れんがふ]と、ちょっと似て
ゐるやうで、正に正反対なのが新古今集である。ここには喪失が荘厳[しやうごん]され、喪失が純粋言語の力によつてのみ蘇生せしめられ、回復され
る。
同じ定家の、
駒とめて袖打ちはらふかげもなし
さののわたりの雪の夕暮
も同じ美学の別のヴァリアシォン。
帰るさの物と人の詠[なが]むらん
待つ夜ながらの有明の月
の一首では、喪失が逆の形であらはれて、空しい期待と希望、つまり何事も獲得しない状態が、言語の魔術をよびおこす。ここでも定家の手法は妙に
シンメトリカルである。シンメトリカルであるけれども、それにとらはれてはならない。
ここには二ヶの月がある。二ヶの有明の月である。一方の月は、「待つ夜ながら」に眺められてゐる。もう一方の月は「帰るさ」に眺められてゐる。
前者の月は現実の月のやうであり、後者の月は空想上観念上仮定上の月のやうに思はれる。しかし、実は後者の月こそ現実の月であつて、前者の月は、
正に目の前に見えてはゐるが、ありうべからざる異様な怪奇な月であり、信じようにも信じることのできぬ怖ろしい月、正にそれ故に、歌に歌はれねば
ならない月なのである。なぜならその月は喪失の歴然たる証拠物件として出現してゐるからだ。
定家はどうしても月を、有明の月を、ここまで持つて来なければ承知しない。さうしなければ、言語表現の切実な要求に到達しないからである。そこ
まで来なければ、言語の純粋な能力が働き出さないのだ。
その上、この歌は、気味のわるい二重構造を持つてゐる。これはかうも読まれる筈だ。「きぬぎぬの別れののちに、帰るさの人たちが、いかにも身に
ふさはしいものとして、この有明の月を眺めてゐることであらう。事後の疲労と、虚しさと、世界の空白に直面した思ひで、人々はこの白つぽい月をな
がめるのだ。“そこへ行くと私は幸福だ”。何もせずに、絶望も虚無感もなしに、ただ充実した待つことの感情のまま、この月を眺めることができるの
だからなあ」
新古今風の代表的な叙景歌二首。
夕月夜潮みちくらし難波江[なにはえ]の
あしの若葉をこゆるしらなみ(藤原秀能)
霞立つすゑの松山ほのぼのと
浪にはなるるよこ雲の空(藤原家隆)
これは二首とも、自然の事物の定かならぬ動きをとらえたサイレント・フィルムだ。しかしこんなに人工的に精密に模様化された風景は、実はわれわ
れの内部の心象風景と大してちがひのないものになる。新古今の叙景歌には、風景といふ「物」は何もない。確乎とした手にふれる対象は何もない。言
語は必ず、対象を滅却させるやうに、外部世界を融解させるやうに「現実」を腐蝕するやうにしか働かないのである。それなら、心理や感情がよく描か
れてゐるかといふと、そんなものを描くことは目的の外にあつたし、そんなものの科学的に正確な叙述などには詩の使命はなかつた。それならこれらの
叙景歌はどこに位置するか。それは人間の内部世界と外部世界の堺目のところに、あやふく浮遊し漂つてゐるといふほかはない。それは心象を映す鏡と
しての風景であり、風景を映す鏡としての心象ではあるけれど、何ら風景自体、心象自体ではないのである。それならさういふ異様に冷たい美的構図の
本質は何だらうかと云へば、言葉でしかない。但し、抽象能力も捨て、肉感的な叫びも捨てたその言葉、これらの純粋言語の中には、人間の魂の一等明
晰な形式があらはれてゐると、彼らは信じてゐたにちがひない。
存在しないものの美学──「新古今集」珍解〈初出〉国文学 解釈と緩衝・昭和36年4月
〈初刊〉「美の襲撃」・講談社・昭和36年11月
★7月6日(日):文章読本──抜き書き・三島由紀夫全集31巻
昨日につづいて、『決定版三島由紀夫全集』31巻を眺めた。
口絵に、映画「からっ風野郎」(昭和35年、増村保造監督、大映)でヤクザの名門朝比奈一家の二代目に扮した三島由紀夫と、情婦役の若尾文子と
のツーショット写真が使われている。
(この映画は未見だったので、さっそくDVDをレンタルして観た。三島由紀夫の、いかにも運動神経のなさそうな猫背のアクションと科白回しが、
チープで頭の悪いちんぴらヤクザの役と見事にマッチし、可憐で気丈でしたたかな若尾文子とのからみもよくできていて、なかなかいい作品だった。)
その若尾文子のことについて、「スタアといふものは、たださへ人工的な美しさで飾り立てられて、プラスチックみたいにピカピカしてきて、生活感
も実在感もない人形になりがちだが、若尾さんはちやんと自分のいのちの息吹を生れたままの自然さで呼吸してゐる。だから若尾さんの演ずる役には、
リアルな生活感が失はれない。」(「若尾文子さん──表紙の女性」、421頁)と讃えている。
そのほか、印象に残った箇所を抜き書きしておく。以下は、いずれも「文章読本」(昭和34年)から。
※
純粋な日本語とは“かな”であります。平がなのくにやくにやした形から、われわれはあまり男性的な敢然としたものを感ずることはできません。実
際平がなで綴[つづ]られた平安朝の文学は、ほとんど女流の手になつたものでありました。日本の純粋のクラシックは、このやうな女流の手に綴られ
た、いかにも女性的な文学によつて代表され、その伝統はいまも長く尾を曳[ひ]いて、“日本文学の特質は一言をもつてこれを覆へば、女性的文学と
言つてもよいかもしれません”。(19-20頁)
…“日本人は奇妙なことに男性的特質、論理的および理知の特質をすべて外来の思想にまつたのであります”。(略)日本の男性的文化はほとんどす
べて外から来たものであり、まだ外来文化に浴さないうちの日本の男性は、「古事記」時代のやうな原始的男性の素朴さを持ち、まだ感情を発見するこ
となくひたすら素朴な官能に生きてゐました。男性が感情を発見する前に、女性が感情を発見したのであります。(21-22頁)
…日本の文学はといふよりも、“日本の根生(ねおひ)の文学は、抽象概念の欠如からはじまつた”と言っていいのであります。そこで日本文学には
抽象概念の有効な作用である構成力だとか、登場人物の精神的な形成とか、さういふものに対する配慮が長らく見失はれてゐました。男性的な世界、つ
まり男性独特の理知と論理と抽象概念との精神的世界は、長らく見捨てられて来たのであります。平安朝がすぎて戦記物語の時代になりますと、そこで
は叙事詩的な語りものの文学、「平家物語」とか「太平記」が生まれましたが、そこで描写される男性は、まつたくただ行動的な戦士、人を斬つたり斬
られたり、馬に乗つて疾駆したり、敵陣にをどり込んだり、扇の的を矢で射たりするやうな、ただ行動的な男性の一面が伝へられるにすぎませんでし
た。
一方、平安朝の女流作家が開拓した男性描写、それはいはば女性の感情と情念から見た男性の姿であります。男性はひたすら恋愛にのみ献身し、男性
の関心はすべて女性を愛することに向けられました。そこでは男性すらが女性的理念に犯されて、すべて男女の情念の世界に生き、光源氏のやうな、絶
妙な美男子ではあるが、ただ女から女へと渡つて行く官能的人間を、理想的な姿として描いてゐます。これはまた戦記物の行動的な男子と同様、男子の
一面を描写するにすぎません。(略)志賀直哉氏の「暗夜行路」の主人公時任[ときたふ]謙作は、彼が行動的人間であると同時に、異常な官能的人間
であることで、西洋の近代小説から劃然[くわくぜん]と離れてをります。そこにはおそらく日本の文学者が作つてきた男性像のひとつの極限が見られ
るので、彼には抽象概念がまつたく欠けてゐるが、行動と恋愛においてだけ、感覚と官能においてだけ、男性であるのであります。
われわれは日本語のかうした特質を、いつも目の前に見てゐなければなりません。多くの作家がかういふ特質から逃れようとしてさまざまな試みをし
ましたが、根本的には日本人が日本語を使ふ以上、長い伝統と日本語独特の特質から逃れることはできないのであります。日本文学はよかれあしかれ、
女性的理念、感情と情念の理念においては世界に冠絶してゐると言つてもよろしいでありませう。(22-24頁)
…散文の物語は和歌の詞書[ことばがき]から発達したものと言はれてをります。つまり詩の前に附された散文の注釈がだんだん発展して日記になり
物語になつてきたといふのが、文学史の等しく言ふところであります。平安朝文学は「色好みの家」の伝統から生れたと言はれ、恋愛感情の交換にほか
ならぬ和歌の応酬によつて、情念の専門家が形づくられてゆき、その情念の専門家たちは、単なる和歌の形式には満足しなくなつて、抒情詩の注釈を拡
張したのであります。そしてこの抒情詩の注釈の拡張が、日本の散文の発生をなしたといふ事情は、ギリシアの散文が歴史家の如き学者の文章や、ギリ
シアで多く行はれたアポロギア(弁明)などの演説から発展して行つたのとは、まつたく事情を異にするものであります。日本の散文は韻文とさう遠く
ない抒情的基盤から発生して、情念を解説し、情念を描写し、情念を構成しつつ発展しました。(27-28頁)
私も根本的に言つて、日本では散文と韻文とを、それほど区別する必要はないと思つてゐます。…日本語にはなほかつ長い散文・韻文の混淆の歴史が
日本語の特質の背後に深く横たはつてゐるのであります。これはあのやうな革命的変化であつた口語文の発達によつても、なほ、どこかしらに拭はれぬ
ものを残してゐます。現代文学でも泉鏡花のなかにはまぎれもない韻文的文体の伝統がありますし、現代このやうな文体をはつきりと提示してゐるのは
石川淳氏でありませう。谷崎潤一郎氏の散文にも語りもの的な、洋々たるリズミカルな文体の流れが顔を出してゐます。(28-29頁)
…“日本では雑誌ジャーナリズムの影響もあつて、短篇小説といふものは一種独特な芸術的な質(クオリティー)をもつた文学形式と考へられてゐま
した”。日本人は短いものにたいへん芸術的に高度な性質を与へる国民であつて、短歌、俳句は言はずもがな、近代文学にいたつても短篇小説といふ恰
好[かつかう]な形式を見出して、それに最も高度の芸術的欲求を働かし、かつ高度な文学的内容の要求を寄せたのであります。その結果、短篇小説が
西欧における詩のやうな地位に近づいたことは当然であります。日本のやうに韻律を欠いた国において、詩人的才能をもつた作家が、現代口語文による
近代詩に満足を見出すことができず、小説家となつて短篇小説に詩的結晶を実現した例も少なくありません。それが外国で紹介される場合は、ただノ
ヴェリストと言つて紹介されるよりも、ポエットと言つて紹介された方が適当な人も多々あります。川端康成氏、堀辰雄氏、梶井基次郎氏は、この代表
といふことができませう。
川端氏のものでは「反橋[そりばし]」「しぐれ」「住吉」など連作の三篇は、純然たる一個の詩であつて、中世風な詩情の中にかすかに物語が織り
込まれてゐます。その作品を読むときのわれわれの感じは、小説を読むといふよりも詩を読むのに近いのであります。(53頁)
★7月7日(月):川端康成氏再説ほか──抜き書き・三島由紀夫全集31巻
「川端康成氏再説」(昭和34年)という文章から、その一部(といっても、マクラの部分を除いただけで、ほぼ全文)を抜き書きする。
あわせて、若干の補遺を加える。
※
氏の「雪国」や「千羽鶴」が外国で歓び迎へられたのには理由があると思ふ。たとへば西洋では、どんなデカダンでも、どんなニヒリストでも、「人
間的情熱」といふやうな言葉を先験的に信じてゐるとことがある。西洋では、多分キリスト教の影響だらうと思ふが、善悪の二元論をはじめとして、あ
らゆる反価値は価値の裏返しにすぎぬ。無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱
の裏返しにすぎぬ。近ごろはやりの反小説も、小説の裏返しにすぎぬ。
私は大体、十九世紀の観念論哲学の完成と共に、西欧の人間的諸価値の範疇[はんちゅう]が出揃つたものと考へる。それ以後の人間は、どうころん
だって、この範疇の外に出られないのである。たとへば情熱、たとへば理想、たとへば知性、……何でもかまはないが、人間によつて価値づけられたも
ののかういふ体系を、誰も抜け出すことができない。逆を行けば裏返しになるだけのことだ。
日本の十九世紀も、かういふ人間によつて定立された価値概念をのこらず輸入した。その網羅的体系が、かりに人間主義と呼ばれるところのものであ
る。しかし日本では、それらの価値概念は粗い網目のやうなもので、そのあひだに、ポカリ、ポカリと、黒い暗黒の穴があいてゐる。網目に指をつつこ
んでも、ヒヤリとする夜気[やき]にふれるだけで、そこには何もない。
さて川端さんの小説は、かういふ暗黒の穴だけで綴[つづ]られた美麗な錦のやうなものである。西洋人はこれをよんでびつくりし、こんな穴に自分
たちが落ち込んだらどうしようと心配し、且つさういふ穴の中に平気で住んでゐる日本人に驚嘆したのである。
たとへば西洋では、ずいぶん珍奇な小説の珍奇な主人公もゐるけれど、「雪国」の島村のやうに、感覚だけを信じて、情熱などといふものを先験的に
知らない人間は、その存在すら像することがむづかしいだらう。彼らは時には島村を、キリスト教の見地から、地上最大の悪人とみとめるだらう。とこ
ろが大まちがひで、島村は、心やさしいとは云へないが、感覚とその抑制とを十分に心得た、ものしづかな耽美[たんび]的享楽家なのである。
私は大体、川端氏の文学を、明治文化の根本的批評だと考へてゐる。明治の文豪が多かれ少なかれ信じ、大正の文人が趣味的にそれに追随した、あの
西欧からの輸入による人間的諸価値の概念を、全く信じてゐない文学。……しかも江戸の遊蕩[いうたう]文学の流れは少しも汲まず、戯作者の伝統か
らは全く外れ、多分中世の僧坊文学に直結する文学。……これは全くユニークなものであると同時に、現代文化の一つの典型的表現であり、同じ「文学
による批評」であつても、永井荷風氏の“西欧的”批評とは、全く対蹠的な批評を成就した文学。……私はそんな風に氏の小説を読んでゐるのである。
(231-233頁)
※
◎一人の俳優の中で、美とナルシシスムと悪がいかに結びつき、いかに関はりあふか、それはおそらく俳優の天分と価値とを決定する基本的な条件であ
る。美は存在の力である。客観性の保証である。悪は魅惑する力である。佯[いつ]はりの、人工と巧智の限りをつくして、人を魅し、憑[つ]き、天
外へ拉[らつ]し去る力である。そしてナルシシスムは、彼自身のなかで、美と悪とを強引に化合させる力である。すなはち、彼自体であるところのも
のと、彼自体ではないもの、すなはちあらゆる外界を、他人を、他人の感動と情緒とを、一つの肉体の中に塗り込めて維持する力である。かうしてはじ
めて俳優は、一時代の個性になり、魂になる。私は六世歌右衛門にこの三つの要素の、間然するとことのない複合体を見るのである。(「六世中村歌右
衛門序説」昭和34年、259頁)
◎映画の世界で行動的なのは、監督だけだ。その意味では、映画監督は小説家に似てゐる。
俳優といふものは、さうではない。いちばん行動から遠いものだ。
たとへば、人が庭を右から左へ駈けて行く。なぜ駈けて行くのだらうと、誰でも考へる。忘れものをしたので駈けてゐるのだらう。だから、まつすぐ
駈けるのだらうといふことになる。さういふ姿の限りにおいては、一つのアクションだが、芝居や映画の場合、庭を駈けるといふ行為は、人に命じられ
てゐる行為であつて、なにか忘れものをした人の演技をやつてゐるわけだから、自分の意志の問題ではない。
ぼくは、そういふ自分の意志を他人にとられてしまつたやうな、ニセモノの行動に、非常な魅力があつて、それで俳優になりたいのだ。(略)
ニセモノの行動が、なるたけ行動らしく見え、本モノらしく見える、ニセモノ性の強烈なのは、舞台より、なんといつても映画である。
いちばん行動らしくみえて、いちばん行動から遠いもの、それが映画俳優の演技と考へ、ぼくはその原理に魅力を感じた。
言葉をかへて言へば、映画俳優は極度にオブジェである。
ぼくは、演技に自信があるとかいつて、世間に吹聴してはゐるけれども、実はそんなものはあるわけではない。ぼくは極端にいつて、映画俳優には演
技など邪魔だとさへ思つてゐる。
ぼくはなるたけオブジェとして扱はれる方が面白い。これは普通の言葉でいへば、柄とか、キャラクターとかで扱はれることで、つまりモノとして扱
はれ、モノの味、モノの魅力が出てくれたら成功だと思ふ。(「ぼくはオブジェになりたい」昭和34年、296-297頁)
◎本学の法科学生であつたころ、私が殊に興味を持つたのは刑事訴訟法であつた。(略)
半ばは私の性格により、半ばは戦争中から戦後にかけての、論理が無効になつたやうな、あらゆる論理がくつがへされたやうな時代の影響によつて、
私の興味を惹[ひ]くものは、それとは全く逆の、独立した純粋な抽象的構造、それに内在する論理によつてのみ動く抽象的構造であつた。当時の私に
とつて、刑事訴訟法とはさういふものであり、かつそれが民事訴訟法などとはちがつて、人間性の「悪」に直接つながる学問であることも魅力の一つで
あつたらう。しかも、その悪は、決してなまなましい具体性を以て表にあらはれることがなく、一般化、抽象化の過程を必ずとほつて、呈示されるのみ
ならず、刑事訴訟法はさらにその追求の手続法なのであるから、現実の悪とは、二重に隔てられてゐるわけである。しかし、刑務所の鉄格子がわれわれ
の脳裏で、罪と罰の観念を却[かへ]つてなまなましく代表してゐるやうに、この無味乾燥な手続の進行が、却つて、人間性の本源的な「悪」の匂ひ
を、とりすました辞句の裏から、強烈に放つてゐるやうに思はれた。これも刑訴の魅力の一つであつて、「悪」といふやうなドロドロした、原始的な不
定形な不気味なものと、刑訴法の整然たる冷たい論理構成との、あまりに際立つたコントラストが、私を魅してやまなかつた。
また一面、文学、殊に私の携はる小説や戯曲の制作上、その技術的な側面で、刑事訴訟法は好個のお手本であるやうに思はれた。何故なら、刑訴にお
ける「証拠」を、小説や戯曲における「主題」と置きかへさへすれば、極限すれば、あとは技術的に全く同一であるべきだと思はれた。
ここから私の、文学における古典主義的傾向が生まれたのだが、小説も戯曲も、仮借なき論理の一本槍で、不可見の主題を追求し、つひにその主題を
把握したところで完結すべきだと考へられた。(「法律と文学」昭和36年、684-685頁)