「哲学」の問題



【81】「哲学」の問題(その1)

 新しい年のはじめに。──睦月もとうに過ぎた今頃になって使う言葉ではありませんが、今年取り組んでみたいと漠然と考えている事柄をめぐっていくつか、連句風にメモしてみます。(年末年始にかけて眺めた文章や買い求めたままの書物、いま読み進めつつあるものの片言隻句を素材として。)

●哲学史の二つのドグマ。西洋近代哲学の父デカルト。西洋形而上学の始祖プラトン。──前者について、加藤尚武氏の『20世紀の思想』(PHP新書)から。<私の考証によれば、デカルトが近代の源流とされたのは十九世紀になってからで、ドイツ観念論の自我中心主義が自分の立場を歴史的に反省して、デカルトこそが近代ヨーロッパ哲学の中心となるものだというデカルト解釈をつくり上げた。>(219頁)──そもそも「哲学史」というアイデアそのものが、ドイツ観念論の中から生まれてきた最大のドグマだったのかもしれない。

●『中央公論』(1998.2)に掲載された「「哲学」とは何であったか」の中で、木田元氏は次のように書いている。<デカルトの言う〈理性〉は、われわれ人間のうちにはあるが、なにか超自然的なもの、つまり神の理性の出張所とか派出所のようなもの>であり、<つまり、デカルトはキリスト教の世界創造論を前提にしてものを考えているのである。>──そして、このような<デカルトの思想と中世のスコラ哲学の連続性>は、<今世紀に入ってから、ジルソンとかハイデガーといったかなりの研究者たちが……強調している>。

●木田氏によれば、デカルトの理性概念の源流は、キリスト教神学にではなくプラトンのイデア論にある。<ニーチェの言うように(「キリスト教は民衆のためのプラトン主義である」)、キリスト教神学(キリスト教の信仰ではなく)の方がプラトン主義の一つのヴァリエーションだと考えた方が分かりがいい。……つまり、こういうことである。プラトンが、この自然の外にイデアという超自然的原理を設定し、それを参照しながら自然を見るという特異なものの考え方を、西洋文化圏にはじめて持ちこんだ。>

●木田氏はさらに、イデア・神・理性とその呼び名はさまざまに変わったものの、<自然の外に超自然的原理を設定してそれを参照しながら自然を見る>という<形而上学的(=超自然的)思考様式>は、<おそらく西洋以外の文化圏には生まれなかったものであろう>という。──ただし、この思考様式には始期と終期がある。ソクラテス以後、今世紀中葉まで。

●<〈ソクラテス以前の思想家〉と呼ばれるアナクシマンドロスとかヘラクレイトスとかいった思想家たちが活躍した古い時代には、ギリシア人たちにとってもやはり万物[タ・パンタ]は自然[フュシス]であり、すべてのものは生きておのずから生成[フュエスタイ]するものだと考えられていた。万事を〈葦牙の萌え騰るが如く成る〉と見ていた古代の日本人などと似たような自然観を、古い時代のギリシア人ももっていたらしい。

 そこにいきなりプラトンが(その由来については、今はふれないが)イデアといった超自然的原理をもちこんでくる。そうなると、すべての形成力はこの原理に吸い上げられ、自然はそれによって形成される無機的な材料・質料[ヒュレー]に貶められてしまうのである。自然はそれ自体では非存在であり、悪しきものであって、超自然的原理によって形成されることによってはじめて存在者になり、良きものになる。超自然的原理を設定し、それを参照しながら自然を見る形而上学的思考様式とは、自然から離脱しようとする反自然的なものの考え方、不自然なものの考え方なのである。

 〈質料[ヒュレー]〉というギリシア語がラテン語では〈マテーリア〉と訳され、これがたとえば英語の〈マテーリアル〉に承け継がれる。いわゆる物質的[マテーリアル]な自然観がこうして成立するのである。形而上学的思考様式と物質的自然観とは完全に連動していることになる。そして、近代的に更新されたこの思考様式と自然観を基盤に近代ヨーロッパ文化が形成された、と言っても言いすぎではあるまい。となると、〈哲学〉というのは、〈西洋〉と呼ばれる文化圏に成立したよくよく不自然なものの考え方であり、これが近代ヨーロッパ文化の形成原理として働いてきた、ということになりそうである。>(木田前掲論文)

●木田氏の文章を読んでいて、プラトン培養のソクラテス・ウイルスが二千五百年にわたって西洋人の脳髄を侵してきた様を想像してしまった。あるいは、ヒトの脳を宿主として棲息する「神」(超自然的原理)という「生命体」(観念)が、明治以後の日本人をも巻き込んで増殖してきた様を。

●瀬名秀明氏の『ブレイン・ヴァレー』(角川書店)に、印象的な記述がある。コンピュータの中の人工生命のプログラムに準えることができるものが本物の脳にもあるとすれば、それこそが「神」なのではないか。つまり<「神」とはヒトの脳の中で生まれるデジタル生命なのではないか?>(下巻333頁)というのだ。

 <そうだ、「神」をひとつの生命体であると仮定した場合、何が考えられる? これまで「リアルな生命体」は地球上で何十億年という時間をかけて試行錯誤を繰り返し、多様性を獲得し、進化してきた。その先端に、いま我々は立っている。進化の積み重ねによって我々は高度な演算能力と大きなメモリを有する「脳」を獲得した。そのハードウェアによって我々は「神」という概念を創り上げ、発展させてきた。おそらくヒト以外の動物は「神」という概念を持っていないだろう。すなわち「神」という概念は、脳の進化にあわせて作り上げられてきたものだ。「神」にとって、ヒトの脳とは己の棲息する環境であり、また己を保持しておく宿主に他ならない。/だが、「神」がもし生命体であるとするならば、「神」もまた増殖し、子孫を残すはずだ。「神」がコピーを増やすにはどうすればいい? それは何を意味する?/──信者を増やすことだ。>(同335-6頁)

 <我々ヒトが「神」を創り出した。常識的にはそう結論づけることができる。だが真実は逆であるとしたら? 「神」は己のリアルを獲得するため、リアルな「神」を考えることのできる優れた脳を欲した。そしてそれを世に出現させるべく、膨大な時間を費やして生物を進化させ、脳をアップグレードさせてきたのではないか? つまり、これまで生まれてきた全ての生物は、「神のリアル」を創るという大目的のために利用されてきた駒に過ぎないのではないか?/ヒトが「神」を必要としたのではない。「神」がヒトを必要としたのだ。/──「神」が生まれるためにヒトは創られた。>(同344-5頁)


【82】「哲学」の問題(その2)

●木田氏が叙述するものとはまったく異なるプラトン像が、藤沢令夫氏の『プラトンの哲学』(岩波新書)序章に示されている。──藤沢氏はまず次のように述べる。<海外の流行に敏感な日本の一般的な思想界・言論界にも、こうした風潮[ハイデガーやその影響を受けたデリダなどのプラトン論をさし、西洋形而上学・哲学の原点をプラトンに見てこれを全否定するもの]はいちはやく輸入されてきた。ただその中で、一度ならず、「プラトンのイデア論のもとでは、ソクラテス以前の生成としての生きた自然が、製作の単なる質料、つまり、形相によって形を与えられるべき、それ自体としては無機的・無構造的な素材になりさがってしまった。ギリシア語の「ヒューレー」=ラテン語の「マーテリア」=英語の「マテリアル」「マター」=「物質」であるから、ここで“物質的自然観”が成立したことになる」といった趣意の文章が目について、これにはさすがに驚いた。……プラトンのイデア論のもとで「物質的自然観」が成立するに至った、という発言には、この手のハイデガー流解釈の始祖ニーチェでさえ、仰天するのではなかろうか。>(13-4頁)

●藤沢氏によれば、<プラトンほど、「自然」を生命なき物質とみなしてはならないことを、生涯一貫して強く説きつづけた哲学者はいない>のであって、このことは最晩年の『法律』第十巻の無神論論駁の箇所を一読すればわかる。また、形相と質料という概念はアリストテレスが創始した独自の対概念であり、<プラトンの著作の中にただの一度も出てこないし、また原理上金輪際用いられえない>。むしろ<「形相」に対する「質料」(素材)というような概念を存在の最基本レベルにはもちこまないところが、アリストテレスとは決定的に異なる、まさにイデア論の積極的な特色にほかならないのである。>(15頁)──結局のところ、プラトン哲学に対する<根本的誤解>は、いずれもアリストテレス由来なのである。(ここで私は、アリストテレスをギリシアにおける唯一の近代的な意味での「哲学者」であるとし、これと対比させて、プラトンをギリシア的霊性・神秘的伝統を引き継いだ一人の神秘家として描いたシモーヌ・ヴェーユの評言を想起している。)

●それでは、アリストテレス由来の「形相」とは決定的に異なる「イデア」とは、そもそもいったい何なのだろうか。──実は、このような「Xとは何であるか」という(イデア論がはじめて表明された『饗宴』以前の前期対話編に見られる)問いのうちに含意されている事項そのものへと問題関心を集中させることこそが、イデア論がイデア論として成立するための機縁であったと藤沢氏は指摘している(前掲書第4章)。

 まず、「何であるか」というソクラテスの問いかけの意義は、アリストテレス流の定義を求めることにあるのではなくて(<「定義」を表わすギリシア語の「ホリスモス」はプラトンの全著作中にただの一度も出てこない>)、「何でないか」の同意と確認を積み重ねていくなかで「何であるか」の最終的な同定(知)へと前進していくプロセス──いいかえれば、「何でないか」の同意と確認を可能にする判断根拠である潜在的な知が、無知の自覚によって鍛え上げられていくプロセスそのものに意義があるのである。(ここで私は、ウィトゲンシュタインが『哲学探究』で展開した「規則に従うこと」のパラドクスをめぐる議論、正確にはクリプキによって敷衍された「懐疑論的パラドクス」とその「解消」をめぐる議論を想起している。)

 そして、そのような問いのうちに含意されているのは、次の四点である。「まさにXであるもの」こそがXについての真の知がめざすべきもの(問われている当のもの)であること。それは「Xである」と呼ばれる個々の特定の事例(行為や事象)とは厳格に区別されるべきこと。また、すべての「Xである」ものの中に「まさにXであるもの」が内在していること。したがって、「まさにXであるもの」とはある事例が「Xである」かどうかを判別する規準・手本(パラディグマ)であること。──『饗宴』以降の中期対話編では、これらの含意事項そのものに問題関心が向けられる。<……「Xとは何であるか」という問は、もはや前期に見られたような仕方では現れなくなり、代わって、そこで問われていた「相」[前期対話編で「何であるか」と問われている対象を指して使用されるイデア、エイドスに藤沢氏が与えた訳語]そのものの存在論的・認識論的なステイタス(身分、資格)に論述の重点が置かれるようになる。そしてそのことがとりもなおさず、イデア論の成立を意味するのである。>(83-4頁)

●藤沢氏はさらに、中期対話編の中でイデア論が拡大されていく過程をたどり、後期に属する対話編『パルメニデス』においてその不備を自ら示したプラトンが、最終的に「場」(コーラー)の概念の導入によってこれを克服したことを論述している。

 ここでいう不備とは、「個物xはイデアΦを分有することによってFである(Fという性質をもつ)」という記述方式によって、F(感覚される性質)とそれがあってこそFがあるところのΦ(思惟されるイデア)との区別が、x(個物)とF・Φ(性質・本性)との区別の陰に隠れて不明確になること──つまり、「xはFである」によって記述される常識のものの見方のしたたかさ(個物という観念のしたたかさ)によって、イデアが不要な余計物とみなされてしまうことである。

 そして、これに対するプラトンの解決方法は、「分有」に基づく記述を「似姿」もしくは「原範型」(パラディグマ)に基づくものに置き換え、「イデアΦの似姿が場のここ(Fの知覚像が現れている所)に受け入れられて、Fとして現れている」といった記述方法を採用することである。

●以上の論述は、いまひとつの重要な教説であるプシュケー論のそれとともに、プラトン哲学への入門者にすぎない私にとっては極めて興味深いものなのだが、ここではこれ以上深入りせず、イデア論とは決して超自然的な観念として外挿されたものではないこと、むしろ私たちの生活(言語生活)の中から立ち現れてきたもの、そういってよければ「人間的自然」に根ざした普遍的な、あるいは「文法」的なものであったこと(そのようなものとして藤沢氏がイデア論を叙述していること)を確認するにとどめておこう。───美を制作するためには、私たちはあらかじめ美を知っていなければならない。経験的にではなく、先験的に。

 少なくとも、藤沢氏の叙述に準拠するかぎり、<プラトンが、この自然の外にイデアという超自然的原理を設定し、それを参照しながら自然を見るという特異なものの考え方を、西洋文化圏にはじめて持ちこんだ>(木田前掲論文)といった記述は、かなり限定して読まれなければならないだろう。(ここで私は、イデアと「クオリア」との関係について、そしてまたイデアと「メディア」との関係について、とりとめもない思いをめぐらせている。──「赤の赤らしさ」を感覚させるもの。媒体、媒介、媒質、触媒。あるいは、イデア論がそこから生まれ出た「場」としての脳。書字技術によって培われた脳の新しいソフトウエア。)


【83】「哲学」の問題(その3)

●さて、藤沢氏がいうように(というより藤沢氏の著書から私が読み取ったように)、イデア論の起源が「Xとは何か」という問いそのもののうちにあり、したがってイデアとは自然言語の用法に根ざした構文法的なものであったにしても、しかし、ここでいう言語とは、論理学の命題に典型的な「書き言葉」にほかならないだろう。(それが表音文字なのか表意文字なのかはここでは問わない。)

 論語の素読や詩歌の暗唱を義務づけられて育たなかった者にとって、つまり「オラリティー」(声の文化)ではなく「リテラシー」(文字の文化)中心の教育制度の中で育ってきた私にとって、イデアとは<西洋に固有の…特殊な思考様式>に基づくものとは思えないし、少なくとも<決定的に分からないもの>ではない(木田前掲論文)。

●W−J・オングは『声の文化と文字の文化』(桜井直文他訳・藤原書店)の中で、ホメロスの詩に関するミルマン・パリーらの研究に準拠して「声の文化」に特有な記憶のはたらきについて述べた後で、次のように書いている。<手書き言葉と活字に慣れたひとびとは、ことばは本質的に音声であるのに、それを「記号」として考えることを当然だと思っている。「記号」は、視覚的に知覚されるものをまず第一に差し示しているからである。>(160頁)

 そして、ハヴロックの『プラトン序説』を踏まえて次のように書いている。<プラトンの認識論の全体は、プラトン自身はそれを意識していなかったとしても、実際においては、かつての、声としてのことばにもとづく生活世界の計画的な拒絶だった。つまり、働きにみちていて、あたたかな、人間どうしのやりとりがある、そうした声の文化の生活世界の拒絶だったのである。(そういう世界の代表者である詩人を、プラトンはかれの「国家」から追放した)。……プラトンのイデアは、声もなく、動きもなく、どんなあたたかみも、たがいに作用することもなく分離されており、人間の生活世界の一部ではまったくなくて、そうした世界のかなた、はるか上方に鎮座している。執拗につきまとう遅れた声の文化に対する文字に慣れた人間としてのプラトンのこうした反応、ないしは過剰反応を生み出したのが、かれのこころのなかで作動しているこうした無意識の力であるということに、プラトン自身はもちろんまったく気づいていなかった。>(170-171頁)

 <パリーとロードが、口承の叙事詩物語の声にもとづく性格に関して発見したものを、ハヴロックは、その『プラトン序説』(1963)で、古代ギリシアの声の文化全体に拡張し、書くことがもたらした思考の構造変化とギリシア哲学の開始とがいかにたがいに緊密に結びついていたか、ということを説得的なしかたで明らかにした。プラトンがかれの「国家」から詩人を排除したということは、ホメロスのなかにはくりかえしあらわれていた素朴で累積的、並列的な、声の文化にもとづくスタイルの思考を、プラトンがしりぞけたということである。かわりにプラトンが支持したのは、世界と思考そのもののするどい分析ないし解剖であり、そうしたことは、ギリシア人のこころにアルファベットが内面化されることによって可能になったのだった。>(66頁)

●エリック・A・ハヴロックの『プラトン序説』(村岡晋一訳・新書館)は実に刺激的な論考であって、上記のオングの文章では要約し尽くせない豊穰な可能性をもったものなのだが、ここでは、イデア論の誕生に深く関係すると思われる点(245-247頁)をメモしておこう。(ちなみに、巻末の解説によると、訳者に本書の翻訳の仕事を紹介したのは木田元氏である。)

 ハヴロックによれば、ソクラテスに特有なものとされる対話法とは、<詩的一体化の習慣に挑戦し、人びとをその習慣から引き離すための一般的な装置>であり<意識を夢の言語から目覚めさせ、抽象的な思考へと意識を鼓舞するための武器>であったという。

 まずハヴロックは、古代ギリシアにおいて<遠い昔から口誦という方法が集団的伝統の保存[記憶]を支配してきたのだとすれば、自己意識なるものはいったいどのようにしてつくりだされえたのか>と問いをたてる。そしてこれに対する解答は、コミュニケーション技術の変化にあるという。<聴覚による記録は感情的一体化によってしか確実に想起されなかったが、書かれた文字によって記憶が新たにされるようになると、読者はそうした感情的一体化のほとんどを必要としなくなった。これによって心的エネルギーは解放され、いまや書きとめられたものを、つまり、ただ聞き取られ感じ取られただけのものではなく、一つの対象として眼に見えるものを、再検討したり再配列したりするために使われるようになった。>

 紀元前五世紀のギリシアで対話法が使用されるようになったのは、<記憶されたものからのこうした分離>が原因である。「それはどういう意味ですか、もう一度言ってください」と問うことは、韻律と定型表現と物語の連続によって聴く者を催眠的な昏睡状態に置く記憶装置としての詩(叙事詩)を中断させ(話の腰を折り)、散文的な、計算的反省を伴うことばにかえてしまう。これが、<プラトンの対話篇にみられるような論理的な論証の連鎖というあの発達した形態>に先立つところの<もっとも単純な形態の原初的な装置[対話法]>である。

 ──こうした対話法を通して、意識が夢の言語から目覚め、同時にそのような(自己)意識による抽象的思考の対象としての客観が、ひいては「そのものそれ自体」としてのイデアが導き出される。ハヴロックによればイデアとは「概念」にほかならず、それは「イメージ」に対置される言葉である。<プラトンの思想とは実のところ、イメージ的な言説に替えて概念的な言説を採用しようという呼びかけだと言うのが正しい。>(307頁)──そして、ホメロス的なイメージ思考からプラトン的な概念的思考へ、叙事詩的言語から形式的・抽象的言語へのこの「革命」は、<ギリシア精神ばかりか、ヨーロッパ精神の発展におけるまったく新たな段階の到来を告げるもの>(315頁)であった。

●再び、W−J・オング『声の文化と文字の文化』から。<ハヴロックは、もっと新しい著作『西洋のリテラシーの起源』(1976)において、ギリシア人のあいだで分析的な思考が優勢である原因を、かれらがアルファベットに母音字を導入したことに帰している。セム人の手になる最初のアルファベットは、子音字といくつかの半母音字だけからなりたっていた。ギリシア人は、母音字を導入することで、音声というとらえどころのない世界を、抽象的で分析的な、それでいて視覚にうったえるかたちでコード化するという新しい段階に到達したのだった。この偉業は、かれらがのちに達成することになる抽象的で知的な偉業のまえぶれであり、それを成就させるための道具となったのである。>(65-66頁)


【84】「哲学」の問題(その4)

●木田氏は前掲論文で、哲学の勉強をはじめた頃、<なぜ〈日本哲学〉という言い方にこんなに違和感をおぼえるのかという疑念>を感じたと書いている。そして、インド哲学や中国哲学といった言葉が、<十七世紀以来植民地獲得に乗り出したヨーロッパ人、ことにイギリス人が、インドや中国にでかけていって、そこに自分たちが〈哲学〉と呼んでいるものに似た知識群のあることに気づき、それに与えた名称である>こと、<いわばヨーロッパ中華思想の産物>であることを述べ、次のように結論づけている。──<どうやら〈哲学〉というのは、〈西洋〉と呼ばれる文化圏に特有な知の様式だと考えた方がよさそうに思えてくる。〈哲学〉はどの文化圏にもどの時代にもある普遍的な知だとは考えない方がよさそうなのである。>

 このことは、ハイデガーをはじめとするニーチェ以降の欧米の思想家にあっても同様である。<彼らは、〈哲学〉を、どの文化圏にもある普遍知、しかも最高の知の様式などとは見ておらず、いつの日か乗り越えることが可能な特種な知の様式と見ているのである。したがって、彼らは自分たちの思想的営為を、もはや〈哲学〉とは呼ばない。>──「存在への回帰」(ハイデガー)、「反哲学」(メルロ=ポンティ)、「哲学の解体」(デリダ)など。

●私は、デカルトの理性やプラトンのイデアを西洋特有の反自然的なものの考え方だとする木田氏の議論に違和感をおぼえ疑念を感じ、このことをイデア論について駆け足で「検証」してみた。結論めいたことを述べるならば、読み書き能力(リテラシー)をすでに身につけてしまった者にとっては、つまり抽象的・概念的な思考の様式に後戻りしようもなく馴染んでじまった者には、理性であれイデアであれ、あるいは意識であれ、自律的な思考の対象を「そのものそれ自体」として措定する「媒体」(といっていいのかどうか)が確かに「実在」していることにはいささかの反自然性も感じられない。

 (ところで、ハヴロックがいうようにイデアとは概念の別名にほかならないのだとしたら、このイデア=概念そのものは思考の対象となるものなのだろうか。それとも、あくまで思考を成り立たせる「媒体」であって、それ自体としては思考の対象になりえないものなのだろうか。さらにいえば、木田氏がイデアとともに超自然的原理の名で一括りにした神や理性はどうなのだろうか。)

 だから、日本哲学という言葉にもし違和感が伴うとしても、それは日本人による哲学的な営為が、正確には多くの日本語で書かれた哲学的言説(抽象的・概念的言説)が事実としてもつ翻訳臭(外来性)によるものなのであって、いいかえれば日本語の語彙と構文法に基づくものにほかならないのであって、少なくとも哲学が西洋文化圏に特有な知の様式だからとは到底思えないのである。

 もっともこのような思いや、そういってよければ感覚そのもののうちに、実は西洋産の形而上学的思考様式によって私の脳髄がすでにして「汚染」されているという事実が示されているのかもしれない。そして、それはそうかもしれないと私は思う。しかし、だからといって、そこから身を剥がすこと、字義通りの抽象を敢行することは、その方法も足場も見出せない私にとって、いまのところ不可能な業なのだ。

 ただ、わずかばかりの手掛かりがあるとすれば、それは、誰がいいだしたことなのかは知らないが(ヘーゲル?)「哲学=普遍知」という見解が孕んでいる「歴史性」を開いてみること、そして、ハヴロックが『プラトン序説』のエピローグで粗述している、「ソクラテス以前」の思想家たちとプラトンとの連続性を実地に検証することなのではないか。(あるいは、日本語で書かれた哲学的言説に即して、その語彙と構文法に立ち入り細部を腑分けしつつ、はたして木田氏がいうような事態が生じているかどうかを実地に検証してみることなのではないか。)


【85】「哲学」の問題(その4・補遺)

●柄谷行人氏は「日本精神分析再考」(『文學界』1977.11所収)の中で、漢字・仮名・カタカナの三種の文字による<奇怪な書記法>のうちにこそ「日本的なもの」があると述べている。柄谷氏によれば、漢字仮名の交用という日本の書記法(エクリチュール)において、漢字は外部的で抽象的な概念を表記するものとして使用されてきた。そこにカタカナによる外来語の表示が加わることで、三種の文字を使って語の出自を区別するという日本独自の<奇怪な書記法>が成立し、しかもそれが千年以上も続いている。

 再び同氏によれば、フロイトは無意識を「象形文字」として捉えていた。ラカンはこれ踏まえて、無意識=象形文字を常に露出させている日本語のような文字の使い方をする者には精神分析は不要だと語っている。(ここでいわれている「無意識=象形文字」を「イデア」に置き換えることは可能か。それともそれは、文字の文化によって抑圧された声の文化の名残なのだろうか。──ただし、生きた人間による「生きた記憶」としてではなく、漢字という人工の身体に託されたグロテスクな声の記憶として。)

●書家の石川九楊氏は「新説・日本語はこうして作られた」(『中央公論』1998.3所収)の中で、次のように述べている。──なお、引用文で言及されている東アジアにおける紀元前二〇〇年頃の出来事とは、<秘儀的な古代宗教文字>(甲骨文字や金文)が<脱神話化され、字画によって書き表わすことのできる政治文字と化>すこと、すなわち<秦の始皇帝による線(字画)によって書き表わすことのできる文字(小篆体=現在の実印のような書体)による大陸統一>をさしている。

 <メソポタミアでもエジプトでも失敗に帰した(音写文字・アルファベットに敗北した)古代宗教文字の換骨奪胎による政治文字(真の文字)化が、東アジアでは紀元前二〇〇年頃に奇蹟的に達成された。これは東アジアに文字中心言語が残ることになるという世界史上最大の出来事である。東洋と西洋、あるいはアジアとヨーロッパという現在もなお現に存在する区別は、この秦の始皇帝時代に成立した。ちなみに、東アジアとは、文字中心言語地帯、ヨーロッパとは声中心言語地帯の別名である。秦始皇帝時代に始まる万里の長城は、この言葉のありようの違いに生じるアジアとヨーロッパの区別の誕生の象徴でもある。もしも大陸が古代宗教文字から政治文字の創製に失敗していたなら、アルファベットのような音写文字が生まれ、現在のような東アジア(文字中心言語)とヨーロッパ(声中心言語)というような文化の違いは生じず、東アジアもまたヨーロッパ的文化史を形成してきたはずである。>

●<日本語は、詩語、それも絵画化可能な具象語さらには擬声語・擬音語による動態表現に厚みをもち、逆に政治語や思想語・抽象語の貧弱な言語である。詩語にさらに磨きをかけることはもちろん、政治語や思想語や抽象語の語彙と文体の豊穰化をめざすことは、日本語教育、否、日本の政治にとって急務である。>(石川前掲論文)

●酒井直樹氏は「翻訳と主体」と副題が添えられた『日本思想という問題』(岩波書店)の中で、<一つのテクストを別のテクストに翻訳あるいは通訳しなければならないのは、二つの異なった言語の統一体があらかじめあるからではなく、翻訳の行為が言語を分節化し、その結果、翻訳の表象を通じて、あたかも翻訳する言語と翻訳される言語の自立的で閉じられた統一体が存在するかのように、それらの言語を措定することができるような制度が成立することになる>(4頁)と書いている。そして、同書の副題が表明するのは、<「主体」が翻訳としてあり、主体はいわば翻訳に折れ込んでいて、翻訳が主体という言葉の存在を規定しているという事態>(キ)であると述べている。

 ──声の文化から文字の文化への翻訳といった表現が許されるならば、プラトンによる<自律的なプシュケーの教説>(『プラトン序説』235頁)は、ホメロス的精神からプラトン的精神への「翻訳」のうちに折れ込んでいるのだろうか。(そして、「日本哲学」において西洋哲学の翻訳のうちに折れ込んでいるものとは、いったい何なのだろう。)


【86】「哲学」の問題(その5)

●ところで、木田氏がいうように、形而上学的思考様式としての哲学が、ソクラテス/プラトンからデカルトを経てニーチェにいたるまでの西洋に特有の思考様式であるとするならば、その最大の特徴は「天使」という観念にあるのではないか。

●モーティマ・J・アドラー『天使とわれら』(稲垣良典訳・講談社学術文庫)の表現を借りよう。<天使──肉体なき精神──はおどろくべき例外なのである。天使は単なる地球外の知性の形態ではない。それらは宇宙外の知性の形態である。>(20頁)

●同書から、プラトンとデカルトの「天使主義的虚偽」[angelistic fallacy]について。<天使主義的虚偽とは、純粋に霊的な実体──つまり肉体なき精神、なんらかの意味で自分のものといえるような肉体とは結びついていない精神──のみに属している属性ないし能力を、人間に帰属させることに存する。>(224頁)

 <プラトン派は人間の霊魂を、人間的身体となんらかの仕方で結びついた霊的な実体と見なす。デカルト派は人間の知性を、物質的な拡がりのある実体としての肉体と、なんらかの仕方で結びついた非物質的な思考する実体とみなす。この二つの見解は、ほとんど区別がつかない。一つの重要な違いについては、後で述べるつもりである>(241頁)

 <さきに私は、デカルトとプラトンとの間の一つの重要な違い──両者とも人間の理性的霊魂に関して同じ天使主義的虚偽を犯しているが──について論及すると約束した。
 一人は哲学者であると同時にキリスト教信者であった。もう一人はキリスト教信者ではない哲学者であった。それゆえに、プラトンは霊魂輪廻の教説──彼にとっては神話──を採り入れることができた。デカルトはできなかった。しかし、これが彼らの間の重要な哲学的相違点ではない。それはむしろ、プラトンとデカルトの観念についての理論の違いにあるといえる。
 プラトンにとって、人間の精神のうちの生得的観念は、人間的認識の対象ではない。それらは人間が知識を得るために使う心理学的道具である。そうして得られた知識は、人間の精神からはまったく独立に存在し、知られるべき根本的実在を構成するイデアの知識である。
 プラトンは、存在の領域と生成の領域とを区別する。前者のうちには、それ自体において実在を有する永遠なるイデアが、後者のうちには、絶えず変化し、ただ永遠なるイデアを分有するかぎりにおいて実在を有する物質的事物がある。それらは実在の影にすぎず、そのようなものとして、臆見の対象であって、知識の対象ではない。
 デカルトは反対の立場をとっている。生成の領域──絶えず変化する物理的事物の世界──は、彼にとっては実在である。ただし、神と天使の存在を肯定することによって、彼は実在の範囲を生成の領域よりももっと広げてはいるが。そこには変化しない、あるいは物質的な実体のような仕方では変化しない、実在的な存在が含まれている。
 したがって、ここにプラトンとデカルトの決定的な違いがある。プラトンにとっては、人間の精神のうちにある観念(小文字のiで始まる idea )は、人間精神あるいは理性的霊魂が、永遠なイデア(大文字のIで始まる Idea )の実在を知るための手段である。デカルトにとっては、人間の精神のうちにある観念は、それら自体が知られる対象である。デカルトおよびこの誤謬に関して彼に従う者のすべては、認識されるべき実在が、どのようにして知られるのかを説明することができない。
 プラトンは、人間の理性的霊魂を、次のような独立の存在をもつ霊的実体として捉えている。つまり、宗教的信仰にもとづいて天使がもっていると肯定され、また哲学的思考によって天使がもちうると考えられているような独立した存在である。
 デカルトの人間知性の概念についても同じことが言える。つまり、人間という複合物に入ってきた二つの実体のうちの一つとしての人間知性について、ここでも人間知性は、あたかも天使の知性のように見なされている。
 しかし、プラトンの概念における理性的霊魂は、デカルトの考えた人間知性よりももっと天使に似ている。プラトンの理論においては、天使と同じく理性的霊魂は、実在を知るために生得的な観念を使っている。デカルトによると、人間知性は、天使とは違って、それ自身の観念を知るのみである。>(245-247頁)

●プラトンとデカルトの間にあるもの──神の受肉。そして、三位一体論。(ところで、プシュケーと天使と精霊との関係は?)

●天使の言語活動について考えてみよ。肉体(発声器官)なき精神の言語、つまり「内的な言語」というものがありううるのか。──稲垣良典氏の『天使論序説』(講談社学術文庫)から。

 <われわれが何事かを理解しようと心のなかでさまざまな思いをめぐらすとき、そこでめざしているものに到達するまではわれわれの思いはゆれ動いていて、何ら明確な形をとることはない。しかし、ひとたび探究されていたものにたどりつくと、つまり理解に達すると、われわれの思いは、そこで理解されたもの、ないし認識されたものによっていわば形を与えられる。いいかえると、以前にはなかった何ものかが心のうちで生まれるのであり、この新しく生まれたもの(=懐胎されたもの conceptus )がふつう概念( conceptio )と呼ばれる。それは探究のみのりとして精神が自らのうちにはらむ言葉であり、それこそ精神のうちなる言葉、心の言葉にほかならない。そして発声される言葉はこうした内的な、心の言葉を表示しているのである。>(98-99頁)


【87】「哲学」の問題・補遺と余録(詩をめぐって)

●ハヴロック『プラトン序説』から。<ロマン主義は、詩人が現実についての比類ない視力と、はかない事物への比類ない洞察力をそなえた予言者であり、予見者であるという考え方を復活しようとした。しかしこれらの能力はホメロス的詩人が行使した能力とはまったく異質な意味で考えられていた。>(169頁)

 ハヴロックによれば、古代ギリシアにおける詩人の役割は「エンサイクロペディア編集者」であった。<詩は「文学」ではなく、政治的、社会的な必要性であった。詩は一つの芸術形式でもなければ、私的想像力の産物でもなく、「最良のギリシア国家」による協同の努力によって維持されるある種のエンサイクロペディアだったのである。>(151頁)

●藤縄謙三氏の『ホメロスの世界』(新潮社)によれば、古代ギリシアにおいて吟誦詩人は、卜師や医者や大工とともに「デーミオエルゴス」という身分に属し、この身分の名称は「共同体のために働く者」というような意味であったという。(39頁)

●<口誦の文化においては、記憶の法則にしたがって、教育と性的快楽のあいだに一つの親密な関係が打ち立てられた。>(『プラトン序説』186頁)

●詩とエロティシズムとの関係について、オクタビオ・パスは『二重の炎 愛とエロティシズム』(井上義一他訳・岩波書店)の中で次のように書いている。(ここに論じられている詩は、プラトンが『国家』で哲学と対立するものとして描いたそれとはまったく異なるものなのだろうか。)

 <エロティシズムとは肉体の詩であり、詩とは言語による性愛であるといっても過言ではない。この両者は対立しながらも、互いに補いあっている。意味を伝える音声であり、形のない観念を表す物質的描線である言語は、感覚というこの上もなく移ろいやすくとらえがたいものに名前を与えることができる。一方、エロティシズムというのは、たんなる動物的性愛ではなく、儀式、演技なのである。エロティシズムとは変容した性にほかならず、その意味では隠喩である。性的行為と詩的行為、この両者を付き動かしているのは想像力である。想像力には性を儀式と典礼に変え、言語をリズムと隠喩に変える力が備わっている。詩的イメージは対立する現実の抱擁であり、押韻は音声の交接である。詩ははたらきそのものにおいてすでにエロティシズムであり、それゆえ世界と言語をエロティックなものに変容させる。>(6頁)

 <詩と言語の関係は、エロティシズムと性愛の関係に似ている。言葉の結晶である詩においてもやはり、言語活動は本来の目的である伝達機能から逸脱している。……詩は何かを語ろうとするのではなく、何かになろうとする。エロティシズムが生殖をカッコでくくったように、詩もまた伝達の機能をカッコの中に入れてしまうのである。>(8頁)

 <……詩というのは〈もうひとつの〉声なのである。>(9頁)

●『菜の花の沖』文庫版第6巻のあとがきで、司馬遼太郎は次のように書いている。<人間の幸福の一つの型は、生涯一つの村落に棲み、先祖以来の幾枚かの田を耕し、気心の知れた人間関係のなかで、日常語のみをつかって生涯を送るということであろう。>

 しかし、商業や公事や外交に携わる者は、<日常語>だけで済ますわけにはいかない。彼らには人に事理を説くための<論理も修辞も比喩も必要だったし、首尾一貫した長い言葉で語らざるを>えなかった。

 それでは、貧農の倅でしかなかった高田屋嘉兵衛をそのような<非日常語>の使い手に仕上げ、日露外交交渉のキーパーソンにまで仕立てたものは何か。『菜の花の沖』の作者は、それは浄瑠璃だったという。嘉兵衛はどの航海にも浄瑠璃本を携えていた。この浄瑠璃に親しんだことが、彼の言動の型を培ったというのだ。

 <かれ[嘉兵衛]の時代、町人は浄瑠璃を聴き、武士階級は謡曲をたしなんだ、と私はおもっている。どちらも、言語を陶冶するという働きをもっており、江戸期の日本語の洗練のためにどれだけ大きな功があったかはかりしれない。/さらにはまた、自分自身の思考と行動に正義と美的体系をあたえるという倫理感覚まで浄瑠璃によってやしなわれた。>

 ハヴロックによれば、古代ギリシア人にとって、ホメロスの名で伝承された叙事詩は一つのエンサイクロペディアであった。ちょうどそれと同じ教育的意味を、江戸時代の浄瑠璃や謡曲はもっていたのだろう。


【88】「哲学」の問題・補遺と余録(記憶術をめぐって)

●ハヴロック『プラトン序説』から。<こうした[古代ギリシアにおける口誦的技術にもとづく]コミュニケーションの状態は、視覚芸術の領域に現われるある効果をもっていたのであり、その逆ではないと主張することができよう。絵画における原始幾何学的な様式は、毎日生きて耳を傾けるという仕事に必要な、あの音響パターンの厳しい訓練の心理的反映ではなかったか。『イリアス』に見られる一連のパターンは、その構成が口誦的だという規定とは逆に、視覚的な配列であるかのようにみなされ、次に、幾何学的な製陶術における視覚的配列と比較されてきた。しかし、『イリアス』のパターンは、反響の技術を記憶装置として利用するような、音響原理にもとづくパターンとみなすのがもっとも適切ではないか。造形芸術家の視覚的幾何学そのもののほうが、いまや視覚の領域に移された音響的本能の一つの反映であって、その逆ではないことになろう。>(154-155頁)

●フランセス・A・イエイツ『記憶術』(玉泉八州男監訳・水声社)から。<アリストテレスは、記憶術のスコラ哲学的かつ中世的形態のために欠くことのできぬ人物であり、一方、プラトンは、ルネサンスの記憶術にとってきわめて重要な人物であった。>(64頁)

 <ルネサンスにおける記憶術使用のもっともめざましい現れの一つが、ジュリオ・カミッロの〈記憶の劇場〉だが、彼は新古典主義様式の劇場内の要所要所に配置されたイメージを用いること──つまり、人為的記憶の技術を完全に正確に用いること──で、記憶体系を実在の祖型[アーキタイプ]に基づかせた(と信じている)のである。そしてこの祖型から自然と人間の全領域を網羅する二次的イメージが派生する。カミッロの記憶についての考えは、根本においてプラトン的といってもよい(その〈劇場〉には、ヘルメス主義的カバラの影響も同時に認められるが。)>(62-3頁)

●プラトンは『パイドロス』(藤沢令夫訳・岩波文庫)で、ソクラテスに次のように語らせている。(以下の文章はイエイツが『記憶術』で引用し、オングが『声の文化と文字の文化』で言及している。)

 <ぼくの聞いた話とは、次のようなものだ。──エジプトのナウクラティス地方に、この国の古い神々のなかのひとりの神が住んでいた。この神には、イビスと呼ばれる鳥が聖鳥として仕えていたが、神自身の名はテウトといった。この神様は、はじめて算術と計算、幾何学と天文学、さらに将棋と双六などを発明した神であるが、とくに注目すべきは文字の発明である。>──このテウト(トートあるいはヘルメス)がある日、当時のエジプトに君臨していた神々の王タモスのところにやって来てこう言う。

 <「王様、この文字というものを学べば、エジプト人たちの知恵はたかまり、もの覚えはよくなるでしょう。私の発見したのは、記憶と知恵の秘訣なのですから。」──しかし、タモスは答えて言った。
 「たぐいなき技術の主タウトよ、技術上の事柄を生み出す力をもった人と、生み出された技術がそれを使う人々にどのような害をあたえ、どのような益をもたらすかを判別する力をもった人とは、別のものなのだ。いまもあなたは、文字の生みの親として、愛情にほだされ、文字が実際にもっている効能と正反対のことを言われた。なぜなら、人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植えつけられることだろうから。彼らは、書いたものを信頼して、ものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなくて、想起の秘訣なのだ。……」>(274C-275A)


【89】「哲学」の問題・補遺と余録(二つの言語をめぐって)

●ハヴロック『プラトン序説』から。初期プラトン思想の核心をなす二つの学説上の目標について。<この二つの目標とは、「主観」つまり思考する自律的な人格の肯定と、「客観」つまりまったく抽象的な認識の領域の肯定とである。われわれはまた、プラトン思想のこの二つの目標のいずれもが、詩的経験との関係を断つことが必要だとするプラトンの認識によって直接的に条件づけられていることも主張してきた。それまでは詩的経験こそが中心的であり、一つの包括的な精神状態をなしていた。われわれはこの精神状態をホメロス的精神状態と呼ぼう。プラトンはこのホメロス的精神状態を別の精神状態、つまり、プラトン的精神状態と取り替えようと企てる。ホメロス的精神状態は、特定の構文法をもつ特定の言語で表現されていたが、プラトンは別種の言語と構文法を提案するのである。>(274頁)

●養老孟司氏は『日経サイエンス』(1988.3)に掲載された茂木健一郎氏との対談(脳の見方モノの見方11「心が宿る場所」)で、次のように語っている。

 <心理学では内省とよくいうんですが,確かに,内省的な言葉と脳を外から見た言葉との2つがあるんです。それが脳を見る場合の主観と客観に相当するんだけれども,普通の自然科学だと,客観というのは,脳でない外部の世界に対して言われますから,言葉の使い方が混乱しがちなんです。……/例えば,感情をどうみるかです。内部から捉えれば本人にとっては感情であっても,外から見れば,入力にバイアスをかけて出力されたものとみることができる。……/でも,意識はそれを感情として捉えているわけです。脳の働きは,いつもそういう二重の説明ができるんですね。それが,外部の世界を私たちが見るときに言っている主観と客観に非常に似ているわけです。ところが,感情というのは入力装置にかかっているバイアスだと説明すると,日本では「冷たい」と言われるんです。>

 これに対する茂木氏の発言。<それは,日本の社会には超越的なものに向かうというところがないからでもありますね。マクロにみると,近代社会というのはヨーロッパがつくってきたと言ってもいいと思うんですが,超越的なものをどうとらえるかというのが,その原点だったような気がするんです。神でも,真理でもいいんですが……。>

●ところで、脳は「哲学=普遍知」が成り立つ基体なのだろうか。そして、そこに言語システムがどのようにかかわってくるのだろうか。脳にとって言語とはたとえばOSのようなものなのだろうか。

●<膨大な事実から法則を引き出していくのが,英国人は非常にうまい。その理由のひとつは,どうも言葉ではないかと思うんです。/……私は事故を起こして書類を書いたことがあって,そのとき,英語では,自分に都合のいいように書こうとすると真っ赤なうそをつかなければならないと気づいた。日本語だと,そうしなくても,おれは間違ってないんだと書けるんですね。「語るに落ちる」という表現があるぐらいで,本人がどう思っているかというのが文面にきれいに出てくるんです。ところが,英語ではそれができなくて,都合よく言おうとすると,事実を曲げるしかないんです。/それで,英語圏で証拠や証言が重視される理由がわかったんです。真っ赤なうそなら,証拠で反証できる可能性がある。証言も同じで,うそがつきにくいから信頼性が高い。黙秘権というのも,真っ赤なうそをつかせてはならないという道徳的な要請から認められるようになったのでしょう。/逆に,日本語では,言ったことで話し手の気持ちがばれちゃうから自白主義なんです。だから,何かをきちんと言わせようとすると官僚答弁になる。つまり,何も言ってないのと同じになるんです。>(前掲対談での養老氏の発言)