色彩としての神



【79】色彩としての神

 子供の頃不思議に思ったことの一つは、「神様は本当にいるのでしょうか」という問いかけがもつ奇妙さでした。先程までそこにいたけれども今はもういないといった「所在」や「表象」をではなく、あるかないかという「存在」そのものを考えることの困難さ。そしてその存在が問題になっている対象を表現する語彙がちゃんと用意されていることの不思議さ。

 たとえば神の概念(あるいは「神」という語彙がもつ語感)のうちにあらかじめその存在が含意されているとすれば──つまりそもそも神とは、私たちがその存在を認識できるかどうかにはいささかも関係なく、常に既に存在しかつ存在し続けるものだとすれば、それが「ある」とか「ない」と言明したところで何も語ったことにはならない。だから、神の存在を議論することは一種の文法違反であり無意味なのだ。

 いや、神の概念のうちにあらかじめその存在が含意されているなどと賢しらに「定義」をすることが間違いなのであって、私たちは「神」という語彙でもって表現されるところの諸々の人間的経験や錯綜する社会的事象の実相を冷静に観察し、見定めていくべきなのだ。だから、その問いかけがどのような社会的・歴史的・思想的な文脈の中で提示されたものであるかを離れて、純粋に神の存在を議論することは不毛であり無意味なのだ。

 そうではない。もし私たちが「神」と呼ばれる根源的なものの存在に対して生き生きとしたリアリティを感じていないならば──つまり「神はある」という言明が賛辞や祈りや恭順の表現であり、「神はない」という言明が絶望や驚愕や不信の表現でありうることを実感として理解できないのであれば、神の存在を議論すべきではないのである。

 いや、そうではなくて....。(あなたが神はいると考えれば神は存在し、神はいないと考えれば神は存在しなくなる。この宇宙はそういう具合にできている。あるいは神の存在を問うとき、神はあなたの心の中にいるのです。云々)

 最近、クオリア[qualia:質感]という言葉を知って、D.H.ロレンスが古代ギリシャ人のいうテオス(神)について述べた言葉を思い出しました。(『現代人は愛しうるか』福田恆存訳,中公文庫)

 ロレンスは、<ある瞬間、なにかがこころを打ってきたとする、そうすればそれがなんでも神となるのだ>と書いています。たとえば咽の渇きそれ自身が神であり、<水に咽をうるおし、甘美な、なんともいえぬ快感に渇きが医されたならば、今度はそれが神となる>。そして<水に触れてそのつめたい感触にめざめたとするなら、その時こそまた別の神が、《つめたいもの》としてそこに現象する>というのです。

 <だが、これは決して単なる質ではない、厳存する実体であり、殆ど生きものと言ってもいい。それこそたしかに一箇のテオス、つめたいものなのである。が、つぎの瞬間、乾いた唇のうえにふとたゆたうものがある。それは《しめり》だ、それもまた神である。初期の科学者や哲学者にとっては、この《つめたいもの》《しめったもの》《あたたかいもの》《かわいたもの》などはすべてそれ自身充分な実在物であり、したがって神々であり、テオイ[神々]であった。>

 私の勘違いでなければロレンスがいうテオス(神)とはクオリア(質感)のことであり、そうであるならば、たとえば赤の赤らしさが赤のクオリアと表現されるように、色彩とは神の存在様式なのではないか。

 唐突に私の脳髄に宿ったこのアイデアは、一気に「神=色彩」説にまで飛躍します。(多彩な神々が躍動する多神教の世界、その究極としての極彩色の無神論的宗教の世界、そして光と闇の弁証法が貫徹する一神教の世界。それでは汎神論の世界の色彩は?)──そこまでいかずとも、色彩について考えることは神の存在を語ることの奇妙さを解き明かすきっかけにはなりそうです。


【80】雑記(色彩と形態、イメージその他)

●色彩とは「動き」を表現する言語なのだ。誰がどこで発表したものだったか、そのような趣旨の文章を読んだ記憶がある。(赤の躍動、緑の沈潜。)また、胎児の眼に最初に映ずるのが青だという記述に触れたこともある。──音や匂いではなく色によって甦る記憶というものがもしあるとしたら、それは純粋に形式的な概念そのものなのではないか。

●ゲーテは『色彩論』序で次のように書いている。<色彩は光の行為である。行為であり、受苦である。>(高橋義人編訳『自然と象徴』冨山房,48頁)──<光と精神。自然界における光と、人間界における精神は、ともに至高にして細分化しえないエネルギーである。>(『箴言と省察』,同書253頁)──<人間は普通色彩を見ると大きな喜びを感じる。>(『色彩論』教示編,同書254頁)──<われわれが物体の表面に認める色彩は、眼という感覚と全く無縁な、いわば眼にスタンプを押すような体のものなどではない。まさに眼は、つねに自分から色彩を生み出そうと待機しているのだ。>(『色彩論』教示編,同書255頁)

●ゲーテの『色彩論』を読んだウィトゲンシュタインは、前立腺癌の治療薬の副作用に苦しみながら、二十の文章からなる覚書を書き残している。その十六番目の断章。<(たとえばゲーテがやろうとした)現象学的分析は一つの概念分析なのであり、それが物理学と一致したり矛盾したりすることはありえない。>(中村昇他訳『色彩について』新書館,57頁)──色彩の論理学。色彩という現象は心理学の対象ではなく、論理学の対象なのである。あるいはロゴスに先立つものとしての色彩現象。

●ベンヤミンは『ドイツ悲劇の根源』の冒頭に、ゲーテ『色彩論』歴史編からの引用を掲げている。<…芸術がつねに個々の芸術作品のなかに自己を完全に表出するように、学問もまたその扱う個々の対象のなかに、そのつど、完全に表出されるべきものだろう。>(野村修訳『ベンヤミンの仕事1』岩波文庫)──ベンヤミンの「根源」とゲーテの「根本現象」。ゲーテは次のように語っている。<すでに『色彩論』を書いていたときから、根本現象というものがあることに気がついていました。>(『ゲーテ対話録』,前掲書83頁)

●色彩論と形態学。ゲーテ自然学の骨格をなす二つの学。──私たちの視覚的思考の根本にあるもの、ロゴスに先立つところのイメージ(木村重信)とは、色彩なのか形態なのか。あるいは、色彩と形態を併せもつ現実的対象を超越する観念的対象がそこにおいて表現されるところの空間そのものなのか。

●木村重信氏は『はじめにイメージありき』(岩波新書)の末尾で、次のように書いている。<…我々は、原始美術をオブジェからシンボルへの展開として考察したのであるが、しかしその目的は、それらの歴史的な変遷を辿ることではなく、イメージの機能と意識の発達との関連を明らかにすることにあった。つまり、先史人や未開人の造形活動が外的世界と内的世界に関する人間の実存的な意識化を明らかにしていることを証明することであった。…思想に先立ち、それに生気を吹きこむイメージは、永遠にながらえ、時代と民族をこえて受け入れられる。…このように「文化を《開かれたまま》にしておくものは、イメージとシンボルの現存であり」、「超歴史的世界への《入口》を構築するイメージのおかげで、異なった《歴史》が互いに伝達可能となるのである」(エリアーデ)。/このような意味において我々は、初めにロゴスがあったのではなく、初めにイメージがあったというのである>(210-1頁)

●岩田誠『見る脳・描く脳』(東京大学出版会)から。──ホモ・ロケンス(喋る人)ならぬホモ・ピクトル(描くヒト)について。<およそこの地上において、ヒト以外のいかなる存在も、描くという行為を自発的に営んできたことはない。なぜヒトだけが自発的に描くようになったのか。これは、ヒトのみが喋ることができる、ということと同じほど不思議であり、かつ重大な意味をもつ問題である。>(7頁)

 <…西洋絵画における絵画を作成するアルゴリズムにあたる描画法は、心象絵画の描画法から始まり、ついで網膜絵画から脳の絵画へと進化してきた。脳の絵画の最初の段階は、視覚認知にかかわるモジュール性を意識した絵画であったが、やがてそこから視覚的記憶や文脈的再構築のプロセスにかかわる描画法が生まれ、そして視覚情報以外の感覚情報を取り込んだ描画法へと発展してくる。このような歴史的展開を見ると、網膜絵画以後の描画法の進化が、網膜に始まる視覚情報の流れをほぼ忠実に追う形で発展してきたことに驚かされる。網膜にはじまり、視覚関連皮質によってモジュール別に処理された視覚情報は、視覚的な記憶に関連する側頭葉内側部皮質に送られ、また前頭連合野の働きによって文脈的に処理される。そしてまた、これには体性感覚野から由来する触角や運動覚の情報が加わってくることによって、ヒトは外界を認識していくわけであるが、描画法の進化がこの外界の認識にかかわる神経回路の道筋と平行しているのは、たんなる偶然というだけでは片づけられないように思われる。絵画表現の方法を追求する直感が、画家たちをしてこのような道筋を辿らせたのは、視覚を通じて外界を認識するというプロセスを考えていく上での当然の結果だったのであろうか?>(167-8頁)

 <描画法の歴史的展開をたどると、新しい描画法を築き、これを実践していった画家たちは、その後長い年月を経て、神経科学の研究者たちがやっと探し当てることになる視覚生理学の原理を直観的に予感し、その原理をキャンパス上にはっきりと示していたことに驚かされる。網膜における光受容性の特徴を、あれほどまでに的確に再現したレンブラントの時代は、デカルトの時代と重なっている。デカルトにとって、見るということは、眼球を通った光が松果体に達することであり、網膜の光感受特性に思いを馳せることは想像だにできなかった。これと同様に、一九世紀から今世紀初頭にかけ、多くの独創的な画家たちが脳の絵画を形造っていたころ、脳における視覚情報処理過程がモジュール構造を有するということは、科学者たちには夢想だにできるものではなかった。まして、視覚的記憶の文脈構造や、視覚と体性感覚の結合などという問題に、神経科学の研究者たちが本格的に乗出してきたのはたかだか、ここ一〇年ほどのことである。このような事実を目の前にすると、見ること、描くことというヒトのもっともヒトらしい特性を追い求めるにおいて、画家たちはつねに神経科学者たちに先んじていたことを実感する。>(184-5頁)

●考える人と描く人。──ところで、オブジェからシンボルへと展開された原始美術が生み出したものこそ言語であり、書字技術であった。そして、ここから語る人(ホメロス)と書く人(プラトン)との分岐が始まった。