実験をめぐって



【60】実験をめぐって

 組織論と美学には親和性がある。──以前から漠然とそう感じていました。この二つの分野に共通する論点は、人間集団と個人の「弁証法」と創造・創発(霊性やイデア、アウラの生成)との関係性といったところでしょうか。先日、旅先の車中で亀山郁夫氏の『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波新書)を読んでいて、組織論と美学(詩学、俳優術)をめぐる次の文章を見つけました。

<マヤコフスキーは、ソビエトや党の「一枚岩」的な組織に反対し、つねに衝突しあい、自己批判を重ねあう生成の場としての弾力ある組織体を模索していた。それはまさにアヴァンギャルドの詩学そのものの実践であったと考えてよい。>(90頁)

<[メイエルホリドは]芸術の本質とは、つねに素材を組織するということであるとして、N=A1+A2の公式を呈示する。すなわち、俳優(N)は、構想をたて指示を与えるもの(A1)と、素材としての身体、すなわち構想者の指示を実行に移すもの(A2)から成り立つ。俳優は、外部から与えられた課題に即座に応じられるよう、みずからの身体(素材)を鍛練しなければならない。そしてその課題は、迅速かつ正確に行わなければならない。そのために奨励されるのが、テイラー主義のシステムである。>(118頁)

 引用文に出てくるテイラーとは、「科学的管理の父」と呼ばれるアメリカの経営学者。ここから、ロシア・アヴァンギャルドを特徴づける二つのキーワードを抽出することができるでしょう。すなわち、労働と科学。亀山氏は、ロシア革命に先立つ芸術革命を担った天才たちの間に二つの対立する路線があったこと、それは<四次元的、超越的感覚こそアヴァンギャルドの本領と見るべきか、あるいは身体運動のダイナミズムこそが芸術革命の本道であるべきか>(79頁)というものであったことを指摘しています。ここで、四次元感覚は当時の最新の科学理論であったアインシュタインの相対性理論に、身体運動のダイナミズムは労働に、それぞれ関係するわけです。また、1917年の革命は<労働と科学の勝利>(97頁)であったと亀山氏は書いている。

 やや強引ですが、私は「労働と科学」がかつて人々に与え続けたに違いない新鮮な感覚の由来を、「実験」という語彙でもって考えてみたい。労働の美学化としての(空想)社会主義(とはすなわち、生産・消費共同体を構想するユートピア思想)。労働の科学化としてのテイラー・システム。そして、これらの融合の上に立つ20世紀の組織論と美学を特徴づけるキーワードが「実験」です。というのも、ロシア革命によって実現された共産主義は人類史における壮大な「実験」であった、といった類の言説が常套句として流通している語彙用法上の現実があるからであり、なによりもそれは(ファシズムと同様)組織論と美学の婚姻のうちに展開されたものであったと思うからです。

 実験が営まれるための条件は、自然であれ社会であれ現実を管理可能な孤立した系として再現する場の存在です。はやい話が実験室ですね。(ハンナ・アレントは『人間の条件』第四章の注(13)で、ある論者のエッセイを引用して次のように書いています。──地球大に広がった実験室で遂行される核実験はもはや「実験」ではない。<なぜなら、実験は、それが行なわれる空間が厳密に限定され、周囲の世界から孤立しているということを特徴としていたからである。>(志水速雄訳))

 また、実験室における現実の再現を可能とし、実験結果を現実と連結するものは、抽象です。いいかえれば、現実を純粋に形式的に把握し、これを要素間の相互関係へと変換する能力(あるいはそのような知的操作を可能とする態度の変更)が不可欠なのです。

 たとえば、シャルル・フーリエは、人間がもつ八百十の情念(欲望)を代表する男女のカップル千六百二十人による農業生活協同組合「ファランジェ」と、その成員が共同で生活する四階建ての宿舎「ファランステール」を構想しました。このファランステールこそ労働を快楽に変えるユートピアの実験室であり、そのような実験を可能にする論拠は、物質的・有機的・動物的・社会的という四つの運動間に成り立つアナロジー、あるいは物質の変容と人間の諸情念の数学的理論(情念引力)との間のアナロジーを透視するフーリエの「抽象力」にあったのです。

(フーリエの夢想の元は、多くの商店が回廊沿いに軒を並べるパレ・ロワイヤル庭園にあったようです。ベンヤミンが『パサージュ論』でフーリエを取り上げているように、外気に触れず自由に往来できる屋根付街路(パサージュ)こそが、情念を自在に表現し交換できるユートピアとしてのファランステールの原型・雛型だったわけです。)

 土屋恵一郎氏は、確か『社会のレトリック』に収録されたエッセイの中で、前世紀末から今世紀初頭にかけて西洋の学問・芸術の各分野で「純粋」がキーワードになったと指摘していました。いま手元に文献がないので私なりに例を挙げるならば、フッサールの純粋論理学、ワルラスの純粋経済学、バレリーの純粋詩、もちろんロシア・アヴァンギャルド芸術(マレーヴィチの提唱したシュプレマティズム、無対象絵画など)や抽象絵画、フォルマリズムの文芸理論、さらにはソシュールのアナグラムやウィトゲンシュタインの建築にまで純粋性の刻印を見てとることができるように思います。

 文脈は異なるものの、小説の世界では、『実験医学序説』のクロード・ベルナールに触発されたエミール・ゾラが『実験小説論』で自然主義文学の方法論を提唱し、『ルーゴン=マッカール叢書』二十巻を書き上げています。文学による社会改革。これは一見、いま挙げた純粋への志向とは異なるようですが、私はそこに繋がりがあるように思うのです。このことを考えるには、亀山氏が前掲書の末尾で、ロシア・アヴァンギャルドとスターリン主義、社会主義リアリズムとの関係について述べた文章が参考になる。

 亀山氏は、ロシア・アヴァンギャルドが1930年代の粛正によってその可能性を抹殺されたという「説話」を各分野ごとに慎重に検討し、<結局、最後に残るのは、スターリン主義及び社会主義リアリズムがロシア・アヴァンギャルドを非合法のもとに置き、その普及をきびしく禁じたという事実だけである>(226-7頁)と結論づけたそのすぐ後で次のように付け加えています。

<ただ、一つだけここで言い添えておきたい。ロシア・アヴァンギャルドをとらえた〈世界変革のための手段としての芸術〉という理念は、じつは二〇世紀初頭の象徴主義運動をもとらえた理念であったということ、その意味において、社会主義リアリズムも含めた二〇世紀ロシアの芸術運動はすべて「世界変革」という固定観念に呪縛された運動であった。今私たちは、それらの運動の全プロセスを一個の有機体、すなわち芸術そのものの自律的な変容として大きくとらえ直す文化史的視座が要求されている。>(227頁)

 純粋と実験。理論と実践。現実の錯綜の中に埋没している領域をその純粋なかたちで掬い取る。そこに稼働している自律的な法則を「実験」によって確定し、「実験」によってそのあるべき姿へと変革させる。そのことを通して現実もまた本来のかたちへ、あるいはアナザー・ワールドとしてのユートピアへと躍動していく。──このような思惟にとって、労働とは「実験」の質料であり実践であり、科学とは「実験」の形相であり理論であった。そして組織論とは美しい協同社会の科学であり、美学とは個人の欲望と人間集団の「霊性」とを繋ぐ労働の技法であった。


【61】祭儀としての実験(あるいはロシア革命の神話学)

 以前、W.F.オットーの所説に準拠して、祭儀を成り立たせる要素は非言語的な身体の動静としての「身振り」と言葉でもって語られる「神話」であると書きました。前回述べた実験と労働と科学は、それぞれ祭儀・身振り・神話に重ね合わせて考えることができるのではないかと思います。もしそうであれば、たとえばロシア革命を一種の祭儀としてとらえ、その構造とダイナミズムを解き明かすことができるのではないか。

 そんなことを夢想していたとき、まさに古代祭儀的な心性を踏まえたロシア革命論に巡り会ったのです。荒俣宏責任編集の『20世紀の妖怪の正体』(角川書店)に掲載された鼎談「愛しの共産主義」での中沢新一氏の発言がそれです。

 中沢氏の議論を要約すると、まず初期のロシア革命は母性原理と「白痴」的レーニンが深く結びついたエロス的社会主義の性格をもつものであった。ここでいう白痴は、ロシア知識人の苦悩が宗教的白痴性に真理を見いだしてきた伝統を踏まえている。(トルストイの『イワンの馬鹿』ですね。)しかし一方で、西欧型の社会主義の本性は、十八世紀の啓蒙主義以来の男性同盟(秘密結社)的な、ロゴス的社会主義であった。それは科学といってもいいし、大地母神のもつ始源性に対抗して文化と歴史を形成する原理といってもいいし、あるいはトロツキーの「悪魔」性、つまり大地性を否定するユダヤ的知性といいかえてもいい。

 ロシア革命はこの二つの要素、理知性と大地性の両方をはらみながら進行したのであって、そこに介在したのがレーニン(白痴)であり、スターリンであった。すなわち、<ユダヤ的知性がそれを領導してマッチョな方向へもっていって、“白痴”と母性が結合したエロス的共産主義を抑圧し始めたとき、東洋的専制主義、アジア的マッチョがそこへドッキングし、今度はユダヤ的共産主義を撲滅した>というわけです。中沢氏らしい明快な図式で、できすぎているのではないかと無理にでも疑いを呈したくなるほどですが、やはりここには真理があると思う。

 山口昌男氏は、1973年に書かれた「神話的始源児トロツキー」(『トロツキーの神話学』所収、立風書房)というエッセイで、スターリンによるトロツキー攻撃を「ハタモノ選び」の図式でもって解明しています。トロツキーを打ち負かしたものはスターリンやその時々の協力者ではなく、神話であると山口氏は指摘しています。神話は太古の遺物でも虚構の物語でもなく、われわれの意識の表象を決定するエピステーメの膜のようなものである。そして、内戦・経済の荒廃・飢餓に悩んでいたロシア社会は、<強力な悪魔=誘惑者=地獄の死者という象徴>を必要としていた。

<政治、社会、経済的不安、大変動のあとの秩序の喪失、宇宙の中心たるレーニンの死、悪魔としての貴族、メンシェヴィキのイメージの希薄化、こうした事情が、新しい「はたもの」の創出の必要を感じさせていた。政治的世界は、それぞれが大衆の非合理的基礎に根を降している限り「秘儀」による神話的秩序の保証なくして存続しえないことを直覚的に見抜いたのは、少なくともトロツキーではなかった。ギリシャ正教の伝統とツァーリズムへの埋没が徹底していたスターリンは、レーニン廟の建設が新しい神(秩序)の喚起という神話的パターンを導き出しうることを知り抜いていたはずである。>

 この文章で興味深いのは、山口氏がトロツキーに<政治的かけひきにおける「聖なる白痴」ともまごう無垢な無能さ>を見ている点です。<トロツキーは、その知性、行為において二十世紀の政治的世界でもっとも華麗なバロック的政治家だったといえるのだ。というのは、彼が、見方によれば、佐々木道誉にも信長にもジル・ド・レにも重なるということにもなる。…世界を撹乱することによって活気づけ、この世界を死の影から解放するために、絶えず秩序と混沌との狭間に自らの立場を見出す、こういうタイプの思想家であった。>──そして、このようなトロツキーの全人格ににじみ出るものを説明するために、山口氏は神話学者ケレーニーの「始源児」の概念を導入しているのです。

(ここに出てきたトロツキーの「白痴」性は、中沢氏がレーニンにあてはめたそれとどういう関係をもつのでしょうか。ロゴス的・悪魔的白痴性とエロス的・天使的白痴性。シンボリカルな記号とアレゴリカルな記号。あるいは、金属内に取り込まれた電子と金属を通り抜ける宇宙線。それとも、それらは単なる言葉の遊びにすぎないのか。)

 話題の核心からはそれるかもしれませんが、私は中沢氏の議論に接して、あるギリシア神話を想起しました。それは、川村二郎氏の『アレゴリーの織物』(講談社)に紹介されていた「タウリケのイピゲネイア」の物語です。

 ギリシア軍の総大将としてトロイア攻めに出征したミューケナイ王アガメムノンは、航海の無事を祈念して、長女イピゲネイアを人身御供として神に捧げた。しかし、イピゲネイアは女神アルテミスに救われ、タウリケ(現クリミア半島)のアルテミス神殿の祭司を務めることとなった。トロイア戦争から凱旋したアガメムノンは、妻クリュタイメストラの手によって殺害され、父の仇を討ったオレステスは復讐の女神たちに追われて放浪の旅を続けることとなる。エウリピデスの古代悲壮劇『タウリケのイピゲネイア』では、オレステスはやがて姉イピゲネイアと再会し、ともにタウリケの地から逃れようとするが、タウリケの王に阻止され、ここに現われた「機械仕掛けの神」アテナによって救われる。

 川村氏によれば、アイスキュロスの『オレステイア』では、クリュタイメストラが夫を殺したのは「この私の腹を痛めた何よりも可愛い子」イピゲネイアを犠牲に捧げた恨みからとされており、このことは、<アガメムノンはただ娘を死の手に委ねたのではなく、また娘とともにその母(の心)を死なせたというにとどまらず、息子オレステス同様[彼もまた母を殺した]、大地母神に対する冒涜をあえてしたのだということになる>。すなわち、神話的思惟の中ではイピゲネイア=クリュタイメストラ(=大地母神)が成り立つのであり、また、アルテミスの慈悲によるかと思われる振る舞いも、イピゲネイア=アルテミス──<女祭司と彼女が斎く女神>との同一性──から見れば自然だということになる。

 結局この神話が描いているのは、古代的母権制(バッハオーフェン)と理性的男性原理、野蛮と文明との闘いなのだということになるでしょう。(ちなみに、ギリシア神話中ただひとり男の側についた女神がアテナであると川村氏は指摘している。)いうまでもないことですが、先に出てきた西欧における男性同盟(秘密結社)的伝統の源流はここにあります。とすると、この古代ギリシア発祥の男性秘密結社的伝統とトロツキーに(とりあえずは)代表されるユダヤ的知性との関係はどう考えればいいのでしょうか。そして、スターリンが体現する<アジア的マッチョ>はどのように位置づけられるのか。──中沢氏の図式は明快ですが、それだけに深追いすると訳がわからなくなってくる。

 今回は、いまとなってはやや懐かしい理論をもちだして、世紀の「実験」といわれるロシア共産主義が孕んでいた「祭儀」的構造について考えてみました。


【62】社会という実験室

 言葉遊びから始めます。前に、実験が成り立つためには現実を純粋化し形式的に把握する抽象化の能力が必要なのではないかといった趣旨のことを書きました。ここで無造作に使った「純粋化」と「抽象化(形式化)」の意義と用法を、独自に定義してみようと思うのです。そしてそのことを通して、人類の壮大な実験であったとされる共産主義(社会主義)について考える糸口を得たいと思うのです。

 まず「純粋化」を定義すれば、あらかじめ内部にあるもの(あるいは内なる他者性)の想起・精練・救出といったところでしょうか。たとえばソクラテスの耳に響いた声、プラトンの想起説は、いずれもこのような純粋な内部の実在にかかわっているように思えますし、あるいはグノーシス的な二元論(世俗の闇と悪の汚辱にまみれた善にして聖なる魂の救済の思想)や霊肉二元思想も、純粋化の系列に属するものと考えることができるように思うのです。

 ところで、一般に聖は俗と対立するものとされていますが、白川静氏の「狂字論」(『文字遊心』所収、平凡社)によれば、中国の古い文献に聖と対峙する語を狂とする用例があるそうです。そこでは理性的に思惟するものが聖、それを失うもの(非理性)が狂とされており、両者は相関的な関係にある。

 白川氏はこのことを踏まえて、中国の知識社会の伝統のなかで狂気の世界は折々に火山のようなはげしい爆発をみせたが、<それは、狂気が理性に内在し、その理性を自己疎外的に支えるごときものとしての狂に、すなわち自らを精神史的な意味を荷なう狂にまで高めることによって起るのである>とし、さらにフーコーの『狂気の歴史』の表現を借りて、聖と狂とは一つの円環の上にあると書いています。

 聖・俗・狂のトリアーデは民俗学でいうハレ・ケ・ケガレを思わせますが、それはともかくとして、ここで述べておきたいのは、聖(理性)に内在する狂(非理性)、あるいは一つの円環の上にある聖と狂が、いま上に述べた純粋化の操作と大いに関係しているのではないかということです。前回取り上げた鼎談の中で、中沢新一氏がレーニンに見ていた「白痴」性がここでいう狂に近いもののように思えますが、それはむしろ非−理性というより無−理性的な存在、あるいは聖狂二元に先立つ存在をいっていると見る方が面白い。

 つぎに「抽象化(形式化)」を定義すれば、アナザーワールド(あるいは外部性の視点を導入する他者)との邂逅やその夢想・仮構によってもたらされるものといえるでしょうか。純粋化によって見出される規範が自然法であるとすれば、抽象化によってもたらされる規範は国際法である。ある集団の内部で規範として通用している事態(神聖なる王)も、これを異なる集団に属するものから見れば単なる事実(生身の人間)にすぎないといった意味です。

 再び白川氏の文章を引用します。「文字と説文字」や「漢字の思考」(ともに前掲書所収)によれば、古代において文字が生まれるためには二つの条件が必要であった。一つは文字が奉仕すべき強大な王権の確立。いま一つはそれを支える聖職者集団の存在で、文字はこの集団の中から生まれた。たとえばヒエログリフは死者(冥界)や神との交通の手段(宗教的な秘儀性の表現媒体)として、楔形文字はより実際的な統治の手段(神殿経済における伝票、法典公布の手段)として、それぞれ古代の神権政治を支えたわけです。

 この最初の文字はいずれも表意文字であったのですが、中国を例外として、それが表音文字(アルファベット)へと推移していったのはなぜか。<それは文字が成立した神話的な世界を、その古代王朝がどこまで持続することができたか、という問題です。古代王朝が滅びて、代って他の民族が支配し、他の民族のことばが入ってきたりして、文字はその表記のために転用され、アルファベットになってしまう。カナのように音だけを表すものになってしまう。>(「漢字の思考」)

 この表意文字から表音文字への推移に、抽象化(形式化)の一つの雛型があるのではないかと私は考えています。そこに他民族という「外部」が介在している点が決定的に重要であることは、いうまでもないでしょう。前回引用した文章の中で、山口昌男氏がトロツキーを「聖なる白痴」といい始源児と表現していたのは、おそらくトロツキーがロシア革命で果たした役割にトリックスターとしての類型性を見ようとの趣旨からだと思いますが、この創造者=破壊者としてのトリックスターとは、内なる非−理性的存在とは別の次元に、つまり異界(外部)との境界上に生息しこれを往還する超−理性的存在であるといえるのではないでしょうか。

 純粋化と抽象化。これらはシンボルとアレゴリーに置き換えて考えることもできます。ゲーテは『箴言と省察』に収められた文章(ベンヤミンが『ドイツ悲劇の根源』に引用したもの)の中で、特殊を生き生きと捉えることのうちに普遍を見るものがシンボルで、特殊を普遍の一例にすぎないと見るものがアレゴリーであるといった趣旨のことを述べていました。純粋化=自然法=表意文字=シンボルと抽象化=国際法=表音文字=アレゴリーという(いささか強引な)図式が、ここに成り立つのかもしれません。

 あるいは「発見」と「発明」という対になる語彙を使って、純粋化と抽象化を比較することができるかもしれない。──私が想起しているのは、エンゲルスの書いた次の文章です。<この手段[生産方法と交換形態の変化がもたらす社会秩序と経済的条件との不適合を除去する手段]もまた、頭で発明されるべきものではなくて、生産という与えられた物質的事実のなかに、頭を使って発見されるべきものである>。(大内兵衛訳『空想より科学へ』、岩波文庫)

 ここで発明が「空想」に、発見が「科学」に重ね合わされていることはいうまでもありません。つまり、ユートピアンたちがどこにもないアナザー・ワールドを勝手に妄想してきたのに対して、科学的社会主義者は、マルクスに負うところの<唯物史観と、剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露[=発見]>の上に立つのだというわけです。ここに純粋化=発見=科学的社会主義と抽象化=発明=空想的社会主義という図式が成り立ちそうですが、私にはこの図式は(自分で勝手にもちだしておきながら)いまひとつしっくりとこない。

 関廣野氏は、トマス・モアからフランス革命に至るまでの原社会主義思想は、大航海時代の西欧社会が、異質な統治原理のもとに「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」社会経済システムを実現していたインカ帝国と出会うことによって誕生したと指摘しています(「ユートピア思想の生成からプロパガンダ政治文化の崩壊へ」、『朝日ジャーナル』1990年 6月20日号掲載)。もちろんギリシャ以来の思想的伝統のうちに社会主義へ向かう観念の種子は用意されていたにせよ、それがまとまった言説として結実するためには、実在する外の世界というモデルが必要だったというのです。

 エンゲルスが『空想より科学へ』で主として論じているのは、フランス革命以後に活躍したユートピ思想家たち──サン・シモン(1760-1825)、ロバート・オーウェン(1771-1858)、シャルル・フーリエ(1772-1837)──なのであって、かれらはインカ帝国の「発見」やフランス革命という「実験」を歴史的事実として(ただし後者については同時代的事件として)経験しているわけです。

 してみると、かれらはこれらの事件がもたらした凄惨な出来事とその背後にうごめく人間の(というより人間集団の)闇を見透かしていたはずなのです。つまり、ようやく西欧の歴史に登場した「社会」を稼働させる欲望の法則を「発見」していたはずだと私は思うのです。これに対していわゆるマルクス主義は──と書きはじめてみたところで、いまの私には陳腐ないいまわししか思い浮かびません。

 ただ一つだけいえることは、アドルノがどこかでヘーゲルのいう精神とは社会のことだといっているそうですが(残念ながらその出典を知りません)、ヘーゲル哲学の巨大な流産(エンゲルス)の上に立ついわゆる科学的社会主義とは、社会を巨大な実験室として見る思想だったのではないかということです。それを、実験室としての社会の発見であった(純粋化)というか、社会という実験室を発明した(抽象化)というかは、言葉遊びにすぎないでしょう。


【63】共同性と公共性(社会という実験室・続)

 純粋化と抽象化の差異について、もう少し考えてみます。前回、シンボルとアレゴリーを使って両者を区別する図式を提示してみましたが、これには不満が残りました。いまひとつ面白くないし、そこからどう発展させられるのか見通しが立たない。それは、二元論的なものの捉え方がともすればそこへ陥ってしまう平板さに由来しているようです。現実の成り立ちや思惟の稼働の仕方は(超弦理論ほどではないにせよ)はるかに高次元なもののはずです。

 ここで一つのモデルを考えてみます。──まず第一に、何かがあるとして、その何かをAと名づける。このAは具体物でもいいし、空想の産物でもいい。何かがあるという考えそのものをAといってもいい。第二に、このAは必ずA(1)とA(2)の区分を導き出します。ここでA=A(1)、¬A=A(2)と考えてもいいし、A(1)⇒A(2)(=A)あるいはその逆、A(1)⊂A(2)(=A)あるいはその逆、さらには「A(1)⇒A(2)」そのもがAである、「A(1)⊂A(2)」そのものがAである、その他どのように両者の関係を構築してもいい。(「⇒」という論理詞は「〜ならば〜」を表現していると見てもいいし、「〜から〜へ」あるいは「〜が〜へと推移・生成・展開・発展・創発・進化・止揚…する」と解してもいい。)

 第三に、A(1)から見たA(これをA(3)と名づける)と、A(2)から見たA(これをA(4)と名づける)が登場する。(これらは「発見」されるといってもいいし、「発明」されるといってもいい。)そしてここに勢揃いしたもの、つまりA(1)からA(4)までのすべての項の関係の総体がAである。この最後に再び登場するAは当初のAと実は同一であるが、しかしながらそこにおいて初めてA(1)からA(4)までの各項の「比較」が成り立つところの枠組みでもある。──以上の結果を簡単に図示しておきます。

           A(3)
         /  │
       /    │
    A(1)━━━━┿━━━━A(2) ⇔  A
            │    /
            │  /
           A(4)

 こうして、高次元のAについて考えるための(あるいはAが稼働するための)少なくとも四つの象限をもったマトリックスが得られたわけです。そしてさらに、最後に得られたA(3)とA(4)をそれぞれ再びA(1)とA(2)に「代入」し、以下同様の操作を重ねていけば、上記のプロセスが立体化され高次元化されていきます。

 ここで純粋化をA(1)、抽象化をA(2)とそれぞれ考えてみましょう。Aは、当面の関心事である「社会」と考えてください。そうすると、A(3)とA(4)は何に相当するのか。私の語感が示唆するのは、それぞれに「共同性」「公共性」というラベルを貼ることができるのではないかというものです。

 ある社会をこれに内属するものの立場から「純粋」に観察すれば、そこに伝統であれ歴史であれ規範であれ文化であれ、「共同性」をリアルなものと感得させるものが見えてくる。また社会を外側から観察すれば、共同性は単なる(最終的な根拠のない)事実にすぎないものとなり、そこに稼働する「抽象」的な機制が見えてくる。そして、これ(異なる社会)との間に成り立つ「公共性」のルールを制作する立場がそこに出現する。──やや強引なところもありますが、およそ以上が私の「語感」の説明です。

(外部との接触が純粋化の操作を促したり、内部への沈潜が外部を透視する抽象化の能力をもたらすなど、現実はもちろん単純なものではありません。だから上に述べたことは、それ自体が一つの純粋化であり抽象化であるわけです。)

 さて次に、いま得られた共同性をA(1)、公共性をA(2)に「代入」します。そして、共同性の観点から見られた社会、公共性から見られた社会を表現する概念として、それぞれ「私性」「個人性」を採用したいと思うのです。この語彙の選択については、実は加藤典洋氏の「語り口の問題」(『中央公論』1997年2月号に掲載。『敗戦後論』に所収、講談社)から大きなヒントを得ています。というより、ほぼ全面的に(共同性や公共性について語る際の問題意識も含めて)依拠しています。

 ここでは、「ある種の共同性をどうすれば解体できるか」を論題としたこの刺激的かつポレミカルな論文の内容を紹介することはしません。また、その是非についても論じません。ただ加藤氏が、『イェルサレムのアイヒマン』をめぐるショーレムとアレントとの論争について論じたあとで、<ショーレムに代表される共同性の思想を打破するには、これに個人性を対峙させても、公共性を対置させてもダメなのだ。…共同性を殺すには共同性の単位である「私」の立場から、裏の裏である私となって語るしかない>と指摘していることと、ショーレムによって「同胞への同情がない」と批判されたアレントの「語り口」が、<私性が個人という公共性の洗礼を受けないまま、共同性の外に抜ける、一つの可能性>を示しているのではないかと書いていることを(まだ十分に自分なりに論理化できないものの、共感を込めて)記録しておきます。

 加藤氏がいわれていることを私の図式で考えると、下図中の「δ」は「α」を批判する立場ではありえず、これを批判するには「β」の領域に立つしかないのだが、それは本来語り得ない立場、すなわち<口にされれば──主義として語られれば──そこで消えるもの>でしかないのだから、「語り口」において示されるしかないのだ、となるでしょうか。(そうすると、「γ」とはいったいどのような立場なのかが気になるのですが、この「問題」については性急な回答を与えず、今後の宿題として残しておくことにします。)

           私 性
         /  │
       /  α │ β
     共同性━━━━┿━━━━公共性  ⇔  社会
          γ │ δ  /
            │  /
           個人性

 今回は、いったん二元論の術中にはまると何もかもがその枠組みに重ね合わされてしまう、その危うさと退屈から抜け出すための「思考の道具づくり」を──西部邁氏の『知性の構造』(角川春樹事務所)ほどの徹底はありませんが──試みました。


【64】「私」をめぐる思考実験(その1)

 茂木健一郎氏の『脳とクオリア』(日経サイエンス社)は、心と脳の問題への優れた導きの書であると同時に、おそらく今後この問題について思索をめぐらせようとする者が避けては通れない論点を体系的かつ明晰に提示した著作だろうと思います。この書物から学ぶべき事柄を整理し理解を深めた上で、いつか本格的に心と脳の問題について論じてみたいと考えています。ここでは、その準備の意味も込めて、本書の第9章「生と死と私」で展開されている思考実験をとりあげてみます。

 茂木氏が示している思考実験は、次の三つです。
 その一。ある人物Aの人格要素(嗜好、記憶、性格、思考パターンなど)を少しずつ別の人物Bのそれと入れ替える。変化は緩慢なものなので、Aはこのことに気づかない。Aの人格要素がすっかりBのそれと入れ替わったとき(久しぶりに会った知人から見ると、AはすっかりBのようになっている)、Aの主観から見れば「私」は「私」だといえるか。
 その二。Aが睡眠中に死亡し、一〇億年後、眠りに入る直前のAとそっくりのニューロンの結合様式と発火パターンを持ったαが出現したとする。Aにとってαは「私」なのだろうか。
 その三。「私」とまったく同じニューロンの結合・発火パターンをもつコピー人間ができたとする。この「私」のコピー人間は「私」なのだろうか。

 それぞれの設問に対する茂木氏の回答を紹介する前に、「実験」の基本的な条件を確認しておきます。茂木氏の議論の大前提となるのは、「私」の意識は脳の中のニューロンのネットワークの性質によってのみ特徴づけられていること、それも発火している(アクション・ポテンシャルを生じさせている)ニューロンだけが「私」の意識に関与しているということであり、茂木氏はこの考え方を認識のニューロン原理として次のように定式化しています。

<認識のニューロン原理=私たちの認識は、脳の中のニューロンの発火によって直接生じる。認識に関する限り、発火していないニューロンは、存在していないのと同じである。私たちの認識の特性は、脳のニューロンの発火の特性によって、そしてそれによってのみ説明されなければならない。>

 この原理から帰結されることの一つは、夢を見ることのできるレム睡眠中は別として、少なくとも深い眠りにある間は──大脳皮質中のニューロンは発火しておらず、<発火していないニューロンは、存在していないのと同じである>から──意識はなく、「私」はそこにいないというものです。したがって、私たちにとって常識であるところの睡眠の前と後での「私」の連続性については、次のようにいわざるを得ない。<睡眠の前後の「私」の意識、人格の同一性は、睡眠中の発火していないニューロンという、不存在を「飛び越えて」持続されている。>

 以上の前提をもとに、茂木氏は上述の思考実験に対して次のような回答を与えます。(もちろん前提を疑うことは可能なのですが、本書の前半で展開されている茂木氏の論証を読むかぎり、私はこの前提は無条件に受け入れるべき公理のようなものではなく、極めて強い説得力をもった客観的事実に関する科学的仮説であると思います。)

 第一の思考実験に対する茂木氏の回答は、「私」を構成するすべての人格要素がすっかり入れ替わっても「私」は「私」であり続ける、そしてそれは、弟子が師匠に感服して師匠に似てきたりあるいは洗脳されても、その人(弟子、洗脳された人)の主観から見れば「私」は「私」であるといった私たちの常識的理解とも符合する、というものです。

(茂木氏は続けて、古代ギリシャ人はこのような人格の変化をメタモルフォーゼと呼び、百合の花になってもナルシスはナルシスであるといった事柄について深く考えていたと書いています。このあたりの議論がもう少し展開され、茂木氏にとっての古代ギリシャという<驚くべき時代>の実質がより詳しく示されていたら、もっと刺激的な文章になっていたでしょう。)

 私自身の「感想」は後で述べることとして、第二の思考実験に対する茂木氏の回答を紹介します。Aの死後一〇億年経って出現した、Aとそっくりのニューロンの結合様式と発火パターンを持ったαは、Aと同じ「私」である。それは、睡眠の前後で「私」が同一であることと同じである。──これが回答です。茂木氏はさらに、ここから導かれる結論として「人間は原理的には決して死ぬことはない」という命題を示し、次のように書いています。<ニーチェなら歓喜して叫ぶことだろう。ついに人間は超人になった! 人間は、決して死ぬことはないのだ! と。>

 先に進みましょう。第三の思考実験に対して茂木氏は、第三者の視点から見れば「私」のコピー人間は「私」そのものであるが、「私」の視点から見れば「私」のコピー人間は「私」とは赤の他人であると結論づけています。このことから茂木氏は、「私」という意識の本質を考える上で、第三者から見るか「私」から見るかという視点の問題を抜きにはできないこと、そしてそこには次のような重要なカギが隠されていると指摘しています。

<最も重要な点は、「私」の視点から見て、「私」の意識とは、単なる「ソフトウエア」に尽きるものではないということだ。「私」とコピー人間は、ニューロンの間の結合様式というソフトウエアの点からみれば同じであるかもしれない。しかし「私」の意識から見れば、まったく別のものなのである。コピー人間は、同じソフトウエアを持っているにもかかわらず、赤の他人なのだ。>

 ところで、「私」と同じソフトウエア(ニューロンの間の結合様式)をもった「私」のコピー人間が(「私」の視点から見るかぎり)「私」とは赤の他人であるとしたら、第二の思考実験でいうαもまたAのコピー人間であって、Aの視点から見れば赤の他人なのではないか。予想されるこのような反論に対して茂木氏は、コピー人間の思考実験では「私」と「私」のコピー人間は同時に存在していたが、第二の思考実験(「転生の思考実験」と呼ぶことにしよう)ではそうではないことを論拠にして、先の結論を維持しています。

 このことは、認識のニューロン原理をいいかえた次の二つの定式を熟読することで了解されるでしょう。(引用文中に出てくる「ある瞬間」とは、最小単位をもつにもかかわらず連続的であるような心理的時間における最小時間の単位(現在)のことで、隣り合う心理的瞬間は相互に重なりがある!──これでは何をいっているのか判りませんね。この点は、いずれ改めて。)

<ある瞬間における「私」の意識の内容は、私の脳内においてその瞬間において発火しているニューロンによって、またそれによってのみ決定される。>
<ニューロンは、意識の問題を考える際には、それが発火している時にのみ存在しているのであって、それが発火していない時には、この世界に存在していないのと同じである。>

 さて、以上で茂木氏の思考実験の紹介を終えます。ここには「私」の意識を考える際に欠かすことができない論点が、(若干の疑問が伴うものの)いくつか示されていました。たとえば、第三者の視点と「私」の視点の区別。(Aの主観にとってαは「私」であるかという問いの立て方と、「私」にとって「私」のコピー人間は「私」かという問いの立て方は微妙に異なるように思える。)

 あるいは、「私」はニューロンの結合様式と発火パターンという脳内のソフトウエアに尽きるものではないという指摘。(第一の思考実験は端的に、このような意味での「ソフトウエア入れ替えの思考実験」として構成してもよかった。)
 第二の思考実験で、同一のソフトウエアをもつAとαの属する時空、つまり<相対論的に因果的な相互作用が伝えられる時空>が同一か否かによって結論が異なってくるという指摘。(茂木氏は、<この極めて興味のある問題には深入りしないことにする>とされるが、この問題に深入りしないと「転生の思考実験」の凄味が出てこないのではないか。また、「コピー人間の思考実験」との違いが明確にならないのではないか。──この点も、いずれ改めて考えてみたい。)

 また、今回取り上げた「生と死と私」の章は、『脳とクオリア』全体の中でも特異な位置をしめているように思います。そう思う論拠は、茂木氏がこの章で「記憶」のクオリアや「私」のクオリアといった表現を(おそらくは意図的に)避けていることにあります。(ちなみに、次章では「現在性」のクオリアという表現がさりげなく出てくる。)

 赤の赤らしさを赤のクオリア(質感)と呼ぶのであれば、「私」の記憶や「私」の「私」らしさ、あるいは他者の他者らしさをそれぞれクオリアという術語で表現できたはずです。私の推測が正しいとすれば、茂木氏がそのような表現を避けた理由は、「私」のクオリアと「この私」のクオリア(「他者」のクオリアと「この他者」のクオリア)との違いが十全に表現されないことにあったのでないでしょうか。(ここまでくると、永井均氏の「思考実験」に触れずに済ますわけにはいかないでしょう。以下、次回。)


【65】「私」をめぐる思考実験(その2)

 前回紹介した茂木氏の三つの思考実験で、私が疑問に思ったのは次の点です。(以下の議論は、茂木氏の議論を私なりに再構成したものなので、もしこの再構成に誤りがあるとすれば、それはその時点で茂木氏の議論ではなく私の議論になっています。)

 まず、第一の「ソフトウエア入れ替えの思考実験」では、異なるソフトウエア(ニューロンの結合様式と発火パターン)をインストールされても「私」は「私」であることが確認されました。ところが、第二の「転生の思考実験」では、Aの死後に出現したαはAと同じソフトウエアを有するがゆえにAと同一の「私」であるとされたのです。これでは論理が一貫しないのではないでしょうか。

 あるいは、第一の実験では同じハードウエア(身体)が使われ、第二の実験では二つのハードウエア(物質的には同一の素粒子から構成されたものかも知れないが、少なくとも存在する時間を異にしており、物質としての存在に連続性がない二つの身体)が使われる点で、決定的に異なるというのでしょうか。

 第三の「コピー人間の思考実験」では、同じソフトウエアをもつ二つの(しかし物質的にはおそらく同一の)ハードウエアについて、第三者の視点からから見ればそれらは同一の「私」だが、オリジナルな「私」から見れば決定的に異なるという結論が示されました。そして、同じソフトウエアをインストールされた二つのハードウエアが同時に存在する点で、第三の実験との結論の違いが論証されたわけです。

 ここで興味深いのは、第二の実験ではAとαを同時に観察する第三者が不在だという点(なにしろ茂木氏はAの死後一〇億年という時間を設定しているわけですから)であり、第三の実験ではAの主観から見たαは「私」かという問いが可能であるのに対して、第二の実験ではそのような問いの立て方ができないという点でしょう。そもそも、第二の実験においてAとαが同一の「私」であると確定するのは誰なのでしょうか。

 問題はますます謎めいてきました。「私」が「私」であるという独特の(そしておそらくは唯一の)感覚のことを「(この)私」のクオリアと名づけるとしたら、それはいったい何に基づくものなのでしょうか。ソフトウエアでしょうか、ハードウエアでしょうか、それともそれらを超えた何か、たとえば魂とか霊魂といわれるものなのでしょうか。

 問題は絞られました。茂木氏の第三の思考実験において「私」のコピー人間が「私」ではないとされた根拠は何か、あるいは第一の思考実験で異なるソフトウエアをインストールされても「私」は「私」であるとされた根拠は何か。──いよいよ永井氏の議論に言及する舞台が整ったようです。

 永井均氏は『現代哲学の冒険4 エロス』(岩波書店)に収められた論文「他者」で、「私」をめぐるいくつかの刺激的な思考実験を展開しています。ここではまず、「人」の人格の同一性をめぐる身体説(物理的連続性説)と記憶説(心理的連続性説)の妥当性を検証した実験──そして、第三の学説である霊魂説(精神的連続性説)が、ある仕方で援護できるものであることを示した実験──を紹介しましょう。

(永井氏の議論は、語られている間だけ「問題」が示されていて、語り終えるとともに「問題」が消滅してしまうといった独特の文法をもつものであって、逆にいえば繰り返し反復的に読まれるたびにそこに「問題」が一回性をもって存在する類の、あたかも「私」の意識そのもののあり方と同型であるような文章であり、したがって中途半端な要約を許さないものです。だから、以下に記す要約は私が読み得たかぎりでのものにすぎません。)

 最初に、永井氏が採用した表記法について。──「A(A)」において、「A」は体を、「(A)」は心をそれぞれ表現するものとします。たとえば「A(B)」は、<Aの身体にBの脳(情報)を移植されて成立した人物>を表現するわけです。

 第一の思考実験。A(A)とB(B)の二人の人物が、それぞれA(B)とB(A)に交換移植されたとする。永井氏の回答。A(B)は当人にとってはBであるが、周囲からみればAであろう。──ここでは「人」の同一性について、当人は記憶説を、周囲は身体説を(暗黙の内に)支持していることになります。

 第二の思考実験。A(A)とB(A)が同時に存在しているとする。あるいは、B(B)とB(A)が同時に存在しているとする。永井氏の回答。前者の場合、当人も周囲もB(A)は頭がおかしくなったBとみなすだろう。後者の場合、当人も周囲もB(A)は身体に異変を起こしたAとみなすだろう。──永井氏によれば、ここから学ぶことができるのは、<記憶説も身体説も、当人を取り巻く外的状況と無関係に正当化できるものではない>ということです。

 第三の思考実験は、第一の思考実験に一つの条件を付します。それは、交換移植の後、A(B)とB(A)のどちらか一方に賞金が与えられ、他方に拷問が加えられるというものです。この場合、交換移植前のA(A)は、A(B)とB(A)のいずれに賞金が与えられることを望むか。永井氏の回答。A(A)は、A(B)に拷問が加えられ、B(A)に賞金が与えられることを望むだろう。──<ここからわかることは、われわれの利己的関心は自分の身体に関する利己的関心ではない、ということである。>

 第四の思考実験。狂人科学者に拉致されたB(B)は、拷問にかけられることになった。狂人科学者が順次約束する次の五つの処置のうち、どの段階にまで至ればB(B)の恐怖はやわらぐだろうか。第一は「B(B)→B( )」。つまりB(B)の記憶を消去するというもの。第二は「B(B)→B(x)」。たとえばナポレオンの記憶を移植する。第三は「B(B)→B(A)」。つまり現存するA(A)の記憶を移植するというもの。ただしA(A)には何の処置も施さない。第四、第五の処置も「B(B)→B(A)」と表記できるものだが、第四の場合は「A(A)→A( )」が伴い、第五の場合はさらに「A(A)→A(B)」が伴う。

 永井氏の回答は、いずれの段階の処置を約束されてもB(B)の恐怖はやわらぐことがない、というものです。(この結論に至るプロセス、特に第三段階以降は必ずしもわかりやすいものではないのですが、永井氏の論拠は、第三の処置の段階でB(B)はB(A)を自己と認めたのであるから、それ以後の変更はA(A)という他人に起こる出来事にすぎず、B(B)には関係がないというものです。)──そして、B(B)は第三の思考実験ではA(B)を自己とみなしたのに、第四の思考実験ではあくまでもB(A)にこだわったことの違いを踏まえて、永井氏は次のように述べています。

<引き出されるべき結論は、たとえばBにとって未来のB(A)とA(B)のどちらが自分であるかは、一義的には決定できないということである。…将来の自分とは、彼の身体を持った人物でもなければ、彼の記憶をもった人物でもなく、まさにそのとき彼である人物なのである。そして、この意味で彼であるという事実は、そのとき彼である人物が持つであろういかなる性質とも独立に成り立つ事実なのである。>

 それでは、<彼である事実>の根拠、身体でも記憶でもない根拠は何か。永井氏は、問題はもはや「人」の同一性の問題ではなく、固有名でもって語ることのできない「私」の同一性の問題であると述べ、その回答として「霊魂」を提示しています。

 しかし、物質的連続性(身体)も心理的連続性(記憶)も超えた霊魂とは、そもそも想像不可能なものであり、たとえば「魂交換」の思考実験を考えてみれば明らかなように無意味な帰結しかもたらさないものでしかありません。(当人たちさえ気づかないうちにAとBの魂が入れ替わったとしても、それは無意味である。)

<…これほど無意味な帰結をもたらす学説が、現代にいたるまで一つの有力な学説であり続けてこられたのはなぜであろうか。霊魂説は、実は〈私〉について語ろうとしていたのだと私は思う。いまたまたまBが〈私〉であったとしよう。AがBであり、BがAであるという反事実的状況を思い描くことは無意味(想像不可能)だが、Aが〈私〉であり、Bは〈私〉の世界の中の一登場人物にすぎない、という反事実的状況を思い描くことは有意味(想像可能)である。しかし、これは〈私〉がBの諸性質をもったままAの立場に「身を置いてみる」こととは全然違う。それは、Aがそこから世界が開けている唯一の原点であるような、一つの世界を想像することなのである。>

 この意味での霊魂は、複数ではありえません。それは、<本性上の唯一者、本質的に複数性が問題になり得ない存在者、すなわち「最も重要な意味において隣人を持たない」もの>であるほかはない。

 私は、以上に紹介した永井氏の議論に全面的に賛同します。(もっとも、それは永井氏の表記でいうところの〈私〉の立場からの賛同ではありえないのでしょうが。)そして、永井氏がそこからさらに「他者の他者性」へと思索を深めていくプロセスに、戦慄をさえ覚えます。この「他者の他者性」の意味が解明されたとき、茂木氏の思考実験のうちの第二のもの、すなわち「転生の思考実験」がもつ問題点が明らかになり、茂木氏が封印した論点である時空構造の問題が大きく浮上してくるように思うのです。


【66】「私」をめぐる思考実験(その3)

 永井均氏の論文「他者」から、前回とは別の思考実験を紹介します。(といっても、それはもはや「実」地の体「験」を超えた世界を叙述するものであって、思考実験というよりむしろ「論」というべきでしょう。)ここでは下手な要約はひかえて、永井氏の「語り」をできるかぎり忠実にたどることにします。(永井氏の「論」を真にスリリングに味わうためには、永井氏が論文の随所に配した卓抜な図を閲覧する必要があります。)

 さて、本生上の唯一者であり「最も重要な意味において隣人をもたない」もの、すなわち(永井氏の表記法にしたがえば)〈私〉あるいは〈魂〉の世界には、他者は登場しません。<なぜならば、他者は物や人(人格・人物)のような世界内の一対象ではなく、世界を開くもうひとつの原点、いやむしろ、もうひとつの〈世界〉そのものだからである。>したがって、<〈私〉と他の〈私〉とは、いかなる世界のなかでもけっして共存することはできない>のです。しかし、このような〈私〉のあり方が語られるとき、<つまり、独我論が語られるとき、その語りのうちで、そしてそこでのみ、ポジティブには語ることのできない〈私〉の隣人たちが、つまり他者たちの〈魂〉が、おのずと示されるのである>。

 <それゆえ、他者に対する態度が、すなわち他の〈魂〉に対する態度がもし可能だとすれば、それはいわば独我論的な態度でなければならないことになる。それは、けっして出会うことができないものに対する、〈私〉の世界の中にはけっして登場してこないものに対する、つまりはそれに向かって態度をとることができないものに対する、愛や同情や理解を越えた態度でなければならないのだ。なぜならば、〈私〉の独我論は、それにしたがえば本来存在しえないはずの〈私〉、他の〈魂〉の存在を暗に措定したときにのみ、まさに独我論という論として語りうるものとなるのであり、他の〈私〉、他の〈魂〉を暗に措定することなしには、〈私〉を主題化することはできないからである。それゆえ、他者の他者性は、〈私〉を、もっぱら〈私〉だけを、指示しようとする意志のなかで、その意志が生み出す意味作用の不可避的な副産物として、ただ非主題的にのみかいま見られるのである。>

 ここに描かれている世界、すなわち〈私〉の世界と〈私〉がけっして到達しえないもうひとつの(あるいは多数の)世界──この〈魂〉ではない別の〈魂〉が存在する根本的に異質な世界──を初めて提示したのは、デカルトです。そして、このデカルトが発見した〈私〉の唯一性を否定し、<すべてを同等なるものの複数性において語ろうとする志向>によって切り開かれたものが、近代的な等質空間であったと永井氏は指摘しているのです。

 そのデカルトは、神が〈私〉の創造者であるとし、神による〈私〉の連続的創造説を唱えています。──私の人生の全時間を無数の部分に分割するならば、各部分は他の部分にまったく依存していないのだから、私が少し前に存在したということからいま私が存在しなければならないことを帰結することはできない。そのためには、なんらかの原因が私をこの瞬間にもう一度創造する(保存する)ということが必要である。

 永井氏は、デカルトが、いかなる物理的・心理的諸性質によっても規定されない〈私〉が〈私〉であり続けるという奇蹟を説明するために、連続的創造説を打ちだしたことは理の当然のことであったと述べています。ただし、人間はこのような鳥瞰的な観点、つまり神の観点に立つことはできません。<それゆえ、たとえばフッサールのように「すべての人間は、一個の超越論的自我を自己のうちに担っている」…などと語ることもできないのである。>

 以上で永井氏の議論の紹介を終え、ふたたび茂木氏の思考実験を取り上げることにしますしょう。私は先に、茂木氏の第二の思考実験(私が「転生の思考実験」と名づけたもの)の結論には問題があると書きました。そのことについて、永井氏の議論を参考にしつつ考えてみます。

 転生の思考実験。Aが睡眠中に死亡し、一〇億年後、眠りに入る直前のAとそっくりのニューロンの結合様式と発火パターンを持ったαが出現したとする。Aにとってαは「私」なのだろうか。これに対する茂木氏の回答。Aの死後一〇億年経って出現した、Aとそっくりのニューロンの結合様式と発火パターンを持ったαは、Aと同じ「私」である。それは、睡眠の前後で「私」が同一であることと同じである。なお、第三の思考実験において「私」のコピー人間が「私」ではないとされたこととの違いは、「私」と「私」のコピー人間が同じ時間に存在していたのに対して、Aとαは異なる時間に存在している点にある。

 私が問題だと思うのは、次の二点です。第一は、「私」が「私」であることの根拠が、茂木氏のいわれる意味でのソフトウエア(ニューロンの結合様式と発火パターン)にあるわけではないにもかかわらず(このことは「コピー人間の思考実験」で確認されている)、Aとαが同一の「私」であるとされる根拠がソフトウエアの同一性に求められている点。

 第二は、Aとαの属する時空の存在様式が(一〇億年の隔たりが想定されているにもかかわらず、いや、そのような想定を抜きにしても)無条件に同一のものと仮定されている点。──補足説明。私がいいたいのは、それは永井氏がいうところの〈私〉の世界での出来事なのか、他の〈私〉の世界での出来事なのか、ということです。もっと簡明にいえば、Aとαにおける〈私〉の同一性を語ることのできる者は誰なのか。(そもそも、睡眠の前後で「私」が同一であるという常識的な見方は、何を根拠にしているものだったのでしょうか。)

 この二つの問題点は、結局一つに集約されるでしょう。それは、やや飛躍したいい方になりますが、〈私〉の同一性はそれが属する時空=世界(正確にいえば、それが開く世界)の存在様式について語ることを抜きにしては語りえないこと、したがってAやαについての「私」の同一性という問題は、そもそもポジティブな問いとしては成り立たないものなのではないかということです。(ここで私が「時空=世界の存在様式」というとき、たとえば永井氏の「独我論的な態度」によって見られた世界のあり方を想定している。)

 難解な表現になってしまいました。最後に、もう一つの思考実験を紹介します。永井氏は『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社)で、ニーチェの永遠回帰概念の不整合性を示すために、次のような思考実験を展開しているのです。

 まず、同じものが永遠に回帰すると考えるかわりに、時間を空間化して考えてみる。つまり、<この世界と同じ世界が空間的に無限に存在する>と考えてみるわけです。そうすると、この世界には無数の「私」が存在することになる。
 もし、ある一つの「私」(これを〈私〉と呼ぶ)を除いて他の「私」が〈私〉の全性質を同じくするにすぎないのだとしたら、それらは〈私〉ではないのだから、「同じ」世界が無限に存在していることにはならない。(これはまさに「コピー人間の思考実験」ですね。)
 もし、すべての「私」が〈私〉だとしたら、<今度は、空間的には異なる場所だが性質的にはまったく同じ複数個の世界、ということの実質が失われてしまいます>。つまり、複数の〈私〉はただ一つの〈私〉(この〈私〉)に収斂して、実質的には一つの世界しか存在しえないことになる。

 つぎに、時間化して(「同じことが永遠に回帰する」と)考えてみる。つまり、<この世界と同じ世界が時間的に無数に存在する>と考える。そうすると、<何から何までこの今とそっくりの世界状態がかつて無限に存在>したことになるし、これからも無限に存在しうるということになりますね。
 もし、<それらの時点が今と同じということが、単に世界の全状態がこの今と同じである状態ということにすぎないなら、それらはこの今ではありませんから、この今にいるこの僕には何の関係もありません>。というのも、〈私〉を〈私〉たらしめるのはいかなる物質的・心理的性質でもありえないからです。そうすると、やはりこの今だけが特別の今であることになって、同じ世界が時間的に無数に存在することにはならない。
 もし、すべての世界にこの今があるのだとしたら、つまり時間的に無数に存在するすべての世界に〈私〉がいるのだとしたら、<今度は、性質的にはまったく同じ状態の時間的な回帰ということの実質が失われます>。つまり、複数の今はただ一つの今(この今)に収斂して、実質的には一つの世界しか存在しえないことになる。

 永井氏は以上の思考実験を経て、ニーチェの永遠回帰の概念は、<この時間の中で何かが繰り返すってことではなくて、この時間そのものが回帰するメタ時間みたいなものを考えるってことに、どうしてもならざるをえないんじゃないか>と述べています。<そうすると、これはもう時間空間の中での話ではありませんから、同じものが回帰するってときの「同じ」の意味に関しても、性質的な同一性と個数的な同一性が、もう区別できないことになります。>

 ここに出てきた「メタ時間」は、いったいどこに存在しているのでしょう。「時間空間の中での話ではない」としたら、それはどこで語られるものなのでしょう。そもそも「最も重要な意味において隣人をもたない」ものである〈私〉のあり方が語られるとき、おのずと示される〈私〉の隣人たちの世界は、どのような「時空構造」をもっているのでしょう。そして、デカルトのいう神が見ているのはどのような「世界」なのでしょう。「私」をめぐるすべての「問題」は、ここに帰着する。

 ──私は多くの大切な論点を見落としているかもしれません。「哲学の問題」を考える際に最も大切な、論証過程における論理の一貫性を欠いているかもしれない。だから、「私」をめぐる問題が世界の存在様式=時空構造の問題に着着するという結論は間違っているかもしれません。いずれにしても(この結論が正しいにせよ間違っているにせよ)、いまの私にはこれ以上の議論を展開する力がないのも事実ですから、この話題は一応ここで終えます。


【67】実験をめぐる補遺と余録

●数学者の上野健爾氏は「実験数学」をめぐって、次のように述べている。(鼎談「二〇世紀の数学」・『現代思想』1997.8 所収における上野氏の発言)

 <有限離散数学というのは確かに解けてみないと、その問題が易しいのか難しいのか分らない。非常に具体的でとっつきやすいので、即、実験数学として簡単にできるんだけれども、しかし、それを一般の人がやろうとすると非常に難しくなる。私は、離散的なものは今の数学では十分に扱えなくて、結局、いつでも無限にもっていって連続的なもので離散的なものを近似しているのではないかと思います。>

 <…リーマンは、有名な講師資格講演「幾何学の基礎をなす仮説について」の中で、連続的な空間では距離を人為的に入れることができ、それが現実の物理的な空間と一致するか否かは実験によらなければならないとのべる一方で、離散的なものはそれ自身で構造を持っていて連続的なものとは違うとのべています。おそらく素数のことが念頭にあったのだろうと思うのですが、離散数学の難しさは、構造が隠されていて見えないということだと思います。>

 ここに出てくる二つの「実験」の(存在論的な)違いに注意せよ。たとえば、離散数学にかかわる実験はかぎりなく「分類」に近づく、といえるだろうか。

●茂木健一郎氏は『脳とクオリア』第6章で、非生命との境界線に議論がある生命の概念に比べて、意識は少なくとも近似的には「ある」か「ない」かがはっきりしている、そして意識の有無を決定する上では脳の中のニューロンの発火が必要にして十分な現象であるが、ニューロンは発火するか発火しないかという二者択一の離散的な現象である、と書いている。

 そうすると、意識は離散的なものであって、そこには隠された(数学的)構造があるということになるのだろうか。(たとえば、ラカンの黄金数。)──それとも、意識の要素と意識の時空(茂木氏のいう「認識」の要素と時空を模して)というものがあって、前者が離散、後者が連続の性質をもつ、などということができるのだろうか。

●茂木氏はまた、従来考えられてきた自然法則は、<脳の中のニューロンが、物質としてどのように振る舞うか[どのような時間的・空間的なパターンで発火するか]を記述するに過ぎない>ものであるが、<一方、クオリアの先験的決定の原理[認識の要素に対応する相互作用連結なニューロンの発火のパターンとクオリア、すなわち質感との間の対応関係がア・プリオリに決定されており、同じパターンを持つ相互作用連結なニューロンの発火には同じクオリアが対応するという仮説]が示唆する自然法則は、脳の中のすべてのニューロンの発火パターンが完全に与えられた時点、そこから始まる>と書いている。つまり、それは<従来の自然法則が終わった時点から始まる>わけである。(前掲書第5章)

 ここに示唆されている第二の自然法則は、離散的なもの(一対一対応的なもの)に関係しているように思う。そして、この第二の法則に関して私たちにできることは「分類」でしかないようにも思える。実際、茂木氏は次のように書いている。

 <「認識要素=相互作用連結なニューロンの発火のパターン」に、どのようなクオリアが対応するかという問題については、その数学的表現をすることが可能かもしれない。私たちは、一つ一つのクオリアに、ゲーデル数のような「登録番号」を与えることさえできるかもしれない(ソーク研究所の田森佳秀のアイデアによる)。しかし、依然として残る問題は、そのようなクオリアが、どのようにして「私」の心の中に表象として現われるかという問題だ。>

●多重人格をめぐる思考実験。一つの身体・脳に共棲する複数の人格は、そのそれぞれが「私」なのだろうか。──もっとも、最近では多重人格障害[multiple personality disorder]とはいわず、解離性同一性障害[dissociative identity disorder]というらしい(米国精神医学界での話)。

 茂木氏は、<並列的な脳内のプロセスを統合する枠組みが、意識に他ならない>(前掲書159頁)と指摘している。アソシエイションならぬディソシエイション(解離)、すなわち離散がここにも顔を出している。

●ある思考実験。なぜ人は人を殺してはいけないのか。──再現不能な「私」を消滅させることになるから。なぜ人は人の死を弔うのだろうか。──「私」が復元されることのないように。

●ロジャー・ペンローズは『皇帝の新しい心』(林一訳、みすず書房)で、テレポテーション・マシンを使った思考実験を行っている(訳書31頁〜、305頁参照)。

 ある人の身体と脳のあらゆる原子や電子の正確な位置と完全な記述を記録し、遠隔の惑星に向けて電磁記号として放射する。情報はかの惑星で集められ、ある人を完全に復元し組み立てる。さて、以上のことが可能であったとして、地球に残った原物を「安心して」壊すことができるだろうか。

 ロジャー・ペンローズの回答。ある人の意識はそのような方法では復元できない。なぜなら、そもそも電子のスピン状態は測定できないからであり、したがって元の状態を損なうことなしにそれをコピーすることは不可能だからである。<元の状態を破壊することなしに、「意識」のコピーを作ることは、量子論によって禁じられている>。

●チューリング・テストは、ロボット(人工知能)に心が認められるかどうかをめぐる思考実験から生まれた(?)。──面白いことに、それは秘密結社へのイニシエーション儀礼として見ることできる。すなわち、「私たち」の仲間として認知できるかどうかのテスト(試練)。

●「笑う実験物理学者」レオン・レーダーマンは、理論家と実験家との関係を次のように説明している。農夫(理論家)が豚(実験家)にトリュフ(発見)を探させ、豚がトリュフを食べようとすると農夫がさっと横取りする。(高橋健次訳『神がつくった究極の素粒子』草思社参照)

 物理学の書物であれ数学書であれ哲学や思想をめぐる書物であれ、「理論家」の書く文章はほとんど面白くない。面白いのは結果(理論)ではなく、むしろ過程(分類や実験や仮説立案)なのである。

●姜尚中氏は、丸山真男の問題意識の中に欠落していたものは、植民地という近代日本の実験場であったと述べている(1997.8.11付朝日新聞大阪版夕刊「戦後思想の運命5」)。──もしかすると、二〇世紀とは実験の世紀だったのかもしれない。そうであれば、そのような近代を超克するということは何を意味していたのだろうか。たとえば「満州国」を思想の問題として考えてみること。

●私たちは「実験理性批判」と名づけられるべき書物をもたなければならない。


【68】実験をめぐる補遺と余録(有島武郎の実験:序説)

 小説は言語によって書かれた作品、すなわち仮構である。有島武郎は、小説の仮構性を思想性としてとらえた。それは、出来合いの思想を小説によって表現したという意味ではない。また、小説を書くことを通じて新しい思想を生み出したという意味でもない。そうではなくて、思想が生まれる現場を小説の中に実験的に仮構することで、いわば思想の不可能性を表現しようとしたのである。

 このような意味で、有島の小説は実験小説であり思想小説である。彼の文学がリアリズム文学であるといえるのは、その叙述の技法や素材の選択といった様式のゆえではなく、自然や身体や社会あるいは他者との関係性のうちに、思想の生成と挫折──思想の「生まれ出づる悩み」──の現場をリアルに描写しようとした仮構性のゆえなのである。

 たとえば、『或る女』を前近代的な社会の中で自我の解放を求めた女性、早月葉子の悲劇的な挫折の物語として読むのは間違っている。少なくとも、そのような見方は皮相である。

 もっとも、この作品が自我の解放、あるいは女性の自立という思想そのものを、主人公の生き方に即して描いたものだと思わせる叙述はある。一例をあげれば、葉子が婚約者木村の待つ米国への航海途上、絵島丸の事務長である倉地と、なかば犯されるようにして関係を結んだ後、混乱した心の状態で過去を追想する場面がある。

<葉子はとにかく恐ろしい崖のきわまで来てしまったことを、そしてほとんど無反省で、本能に引きずられるようにして、その中に飛び込んだことを思わないわけにはいかなかった。親類縁者にうながされて、心にもない渡米を余儀なくされた時に自分で選んだ道──ともかく木村といっしょになろう。そして生まれ代わったつもりで米国の社会にはいりこんで、自分がみつけあぐねていた自分というものを、探り出してみよう。女というものが日本とは違って考えられているらしい米国で、女としての自分がどんな位置にすわることができるか試してみよう。自分はどうしても生まれるべきでない時代に、生まれるべきでないところに生まれて来たのだ。自分の生まれるべき時代とところとはどこか別にある。>

 ここには確かに、<時代の不思議な目覚め>を経験した葉子が、<日清戦争が起こったころから葉子ぐらいの年配の女が等しく感じだした一種の不安、一種の幻滅>を激しく感じて、<謀反人>のようにただ思うままに振る舞うしかなかった過去の屈託が表現されている。(『或る女』は1901年9月から翌年にかけての物語であり、葉子の年齢は25才とされている。)そして、この屈託は、古い良心をもって葉子の<本能>を調教しようとする世間と、女を<奴隷の境界>に沈めようとする男との間での確執がもたらしたものだ。

 しかし、一方で葉子の嘗めた経験は、葉子を<男というものなしには一刻も過ごされないもの>にさせていたのだった。

<砒石の用法を謬った患者が、その毒の恐ろしさを知りぬきながら、その力を借りなければ生きて行けないように、葉子は生の喜びの源を、まかり違えば、生そのものを蝕むべき男というものに、求めずにはいられないディレンマに陥ってしまったのだ。
 肉欲の牙を鳴らして集まって来る男たちに対して、(そういう男たちが集まって来るのは本当は葉子自身がふり撒く香のためだとは気づいていて)葉子は冷笑しながら蜘蛛のように網を張った。近づくものは一人残らずその美しい四手網にからめ取っ た。葉子の心は知らず知らず残忍になっていた。ただあの妖力ある女郎蜘蛛のよう に、生きていたい要求から毎日その美しい網を四つ手に張った。そしてそれに近づきもし得ないで罵り騒ぐ人たちを、自分の生活とは関係のない木か石かででもあるように冷然と尻目にかけた。>

 葉子は、決して女性や自我の解放という思想を生きたわけではない。かといって、<生の喜び>を男の肉体に求めずにはいられない「女」として生きたわけでもない。『或る女』の文体を際立たせる特異な身体表現によって仮構されるのは、肉の喜びや性的一体化による愛の実体的基盤としての身体などではなく、外部とのかかわりをおいては実現しえない欲望そのもの、<生きていたい要求>そのものが、<タクト>をもって外部との関係性を取り結ぶ場としての身体なのである。<妖力ある女郎蜘蛛>が四つ手に張った網とは、生の欲望の表象やその構造ではない。それは、欲望そのものが外部に対して仕掛けたわななのだ。

 思想とは、このようなわなを仕掛けたりわなに近づくことの中から生まれるものなのであって、逆ではない。<生きていたい要求>、すなわち有島のいう本能としての愛が、自然や身体や社会あるいは他者といった外部とのかかわりにおいて「惜しみなく奪う」ことを通じて、いいかえると外部との関係の不可能性の経験を通じて、思想は生まれる。

 このことを見誤ると、葉子の「挫折」を思想の挫折と取り違え、女性の身体性や経済的自立をめぐる論議、あるいは自我の心理的次元において霊肉二元の克服を云々する不毛な言説が、『或る女』の読解を通じて生み出されることになってしまうのである。

<しかし葉子はとうとう今朝の出来事に打っ突かってしまった。葉子は恐ろしい崖のきわからめちゃくちゃに飛び込んでしまった。葉子の眼の前で今まで住んでいた世界はがらっと変わってしまった。木村がどうした。米国がどうした。養って行かなければならない妹や定子がどうした。今まで葉子を襲い続けていた不安はどうした。人に犯されまいと身構えていたその自尊心はどうした。そんなものは木葉微塵になくなってしまっていた。倉地を得たらばどんなことでもする。どんな屈辱でも蜜と思おう。倉地を自分ひとりに得さえすれば…。今まで知らなかった、捕虜の受くる蜜より甘い屈辱!>

 ここで、葉子の<屈辱>を心理的次元においてとらえるべきでないことは、いうまでもないだろう。身心の錯綜をめぐる自意識の葛藤のドラマとして『或る女』を読むことは、ミスリーディンクなのである。

 ──私は、有島武郎の作品をその思想性において論じてみたいと思う。しかし、既に述べたように、それは有島が作品を通じて表現しようとした思想の内実を問うのではなく、思想が生まれる現場が小説の仮構性のうちにいかに描かれたかを見ようとするものだ。

 思想とは、自然や身体、あるいは他者や社会といった、自己を取り巻く外部との関係性のうちに見出された「問題」をめぐって、自己の深奥に根差した欲望を契機として紡ぎ出される言説のことである。有島武郎にとっての「問題」とは、利己主義ならぬ<愛己主義>の本能的欲望に従って、惜しみなく他を奪い、他を自己のうちに同化し、あるいは他の中に自己を投入することによって、<そこにおのずから美しい生活の紋様を織りなして行く>ことがいかに可能かを問うものであった。(『惜みなく愛は奪う』)

 しかし、有島自身が認めているように、そのような霊肉一元の<本能的生活>を表現する言葉はない。言葉は経験と反省の、霊肉二元の<智的生活>においてもっともその力を発揮するものであるからだ。

 有島が探究した思想は、語りえぬものなのであった。それは、あらかじめ挫折が予定された、不可能な「関係」をめぐる思想であった。このような思想は、言語によって書かれる小説の仮構性をもってしても表現できないものだ。たとえば、『或る女』に描かれたのは、葉子の挫折でも葉子に託された有島の思想の挫折でもない。強いていうならば、それは言語の挫折の物語である。彼は言語の限界を克明に描くことによって、いいかえれば思想の生まれ出づる現場をリアルに仮構することによって、言語の外に──あるいは小説の外部に──不可能な思想を結像させようとした。

 言語の限界線上に、小説の仮構性をもって、言語表現を超えた思想、あるいは不可能な「関係」をめぐる思想の生まれ出づる場をリアルに描き出す。私はいずれ、このような有島武郎の方法を、『或る女』という作品に即して実地に見ていきたいと考えている。だが、その前に、思想の生成と言語の関係、あるいは小説の仮構性をめぐる考察を──『惜みなく愛は奪う』の読解を踏まえて──行っておくべきだろうと思う。