断想(2)──スピノザ式知性について・その他



【381】実験理性と文学知

▼デカルトが『省察』で試みた思考実験を念頭に置きながらのことに違いないと思うのだが、スピノザは『知性改善論』(79節)で「十分確実な事柄においてさえ我々を欺瞞する或る欺く神(aliquis Deus deceptor)が存在しているかも知れないという理由で真の観念を疑い得るのは、我々が神について何ら明瞭かつ判明な観念を持たない限りにおいてのみである」(畠中尚志訳)と書いている。

 このくだりを読みながら私は、もしかすると『知性改善論』とは実験の作法書もしくは文法書、たとえば『実験理性批判』とでも名づけうる書物なのではないかと思った。ここでいう実験とは思考実験のことであり(その意味では『(思考実験をめぐる)方法序説』というべきかもしれない)、より端的には生きること──実験的に生きること、あるいは「行くところまで行くこと」(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』)──そのものである。[*]

* 小泉義之氏は『ドゥルーズの哲学』(講談社現代新書)で、人格(人物)の同一性をめぐる論争(「記憶説」対「身体説」)を決するために現代思想が導入した方法とその結論を批判している。それは二人の人物、たとえば太郎と花子をめぐる記憶交換や身体交換といった思考実験への批判であり、現代思想が「私」の同一性を保証するものとしてそこから導き出す「思考不可能で表象不可能な外部の他者」への批判である。

《…このようにして現代思想は、同一性から出発して他者論に到達した。そして、他者性は同一性とは違うので、アイデンティティ・ゲームを突破した気持ちになれたし、他者性を礼拝しておけば、アイデンティティの政治を批判できる気持ちになれたのである。しかしこれでは、過去と未来の得体の知れぬ壁に挟まれて、「私」に閉塞するばかりである。外部の他者性は否定的に語られるばかりで、「私」は否定性の氾濫に溺れてしまう。こうして現代思想は、私が生物であり他人も生物であるという平明な現実を取り逃がしてしまう。そして結局は、私と他者の差異、「私」と他人の差異を認識し損なうのだ。

 出発点のSF的発想を批判しておこう。そもそも、太郎と花子を死なせないような仕方で、記憶や身体を交換することが、自然界において可能なのか。仮に不可能ならば、不可能なことの想定からは理論的に任意の結論を引き出せるから、論争に決着はつかないし、論争は無意味であるということになる。何でもアリになるから、何も分からないということになる。仮に可能ならば、分子生物学の知見から推しても、種々のウィルスや種々の化学物質や種々の機械装置を使用することになるから、交換を開始する時点で、太郎と花子は人間とは別の生命体に変容すると考えなければならない。そして、交換操作が記憶と身体に残す痕跡を消去することは原理的に不可能だから、交換を終了した時点で、人間のパーツを保持した新しい生命体に進化したと考えなければならない。もはや人間は存在しないのである。したがって、同一性に固執して「太郎」や「花子」と呼びかけたいと思うこと自体が、あまりにも人間的な因習なのである。同一性を墨守する思想はあまりに粗雑であり、同一性に拘泥するSFはあまりに稚拙である。ドゥルーズは『差異と反復』を「サイエンス・フィクション」と銘打っているが、そんな新しいSFが求められるのだ。》(14-5頁)

 ちなみに、中村桂子氏は日本経済新聞の読書欄(2000年9月3日付)で次のように述べている。《個別の技術に対して倫理という言葉で対処しようとしても、経済優先の何でもあり社会では空しく響くだけだ。科学の成果を人間解釈に直結せずに、従来の自然観、人間観と照合して新しい考え方を打ち出し、生命、人間を扱う技術の是非を判断する基準をもつ以外にない。ゲノム情報は、医療への応用と共に、いやむしろそれ以前に人間観、生命観形成に活用することが大事だ。》中村氏は続けて「幸い、日本の人文・社会学研究者の中に生命科学に関心を持ち、その成果をとり入れながら新しい思想を組み立てていこうという人たちが出ている」として、その一例に『ドゥルーズの哲学』を挙げている。

▼実験理性とは「文学知」の異称なのではないか。──人文科学的な知とでもいえばそれはそれまでのことなのだろうが、その輪郭はおぼろげなものでしかなく、その実質にいたっては夢幻のたぐいでしかない文学知なる造語を弄してまで私が表現したいものは、それではいったい何なのだろう。[*]

* ジョン・ホーガン著『続・科学の終焉』(竹内薫訳,徳間書房)のエピローグに、心の科学への「文学的アプローチ」の話題が出くる。──《ハワード・ガードナー[引用者註:ハーバード大学の心理学者で教育学の教授]やクリフォード・ギアーツ[プリンストン高等研究所の人類学者]たちは、心の科学を厳密に科学的な営みではなく、文学に近いものとして見ることを奨めた。》

 まず、その「お手本」であるオリバー・サックスがホーガンに語った言葉の紹介。《自分は、本というものは一般化されたものではなく「実例」からなるべきだ、というウィトゲンシュタインの格言に従うようにしているのさ》。次いで『妻を帽子とまちがえた男』からの引用。《われわれは事例を物語のレベルにまで深めなくてはならない》。そして「事例研究の大御所」フロイト――ギアーツが「実在の人たちについて、実在の場所について、実在の時間について、想像的に書くもの」と定義した「ファクション」そのものである「事例史」の大御所、あるいはガードナーがホーガンに語った言葉によれば「心の最も深い秘密を扱うことが要求される種類の文学的心理学の達人」(いずれも本書第2章「フロイトが死なない理由」から)――に言及した後で、ホーガンは次のように書いている。

《心の科学者の大半は、自分たちの結果を文学的な表現に置き換える才能に欠けている。もしかしたら、彼らは、自分たちのことをエンジニアだと割り切ったほうがいいのかもしれない。…エンジニアにとって大事なのは「究極の答え」ではない。絶対的で最終的で確固たる真実に用はない。…エンジニアは、究極の答えではなく、一つの答えを探すのである。身近な問題を解決したり状況を改善するのに役立つものなら何でもいい。》

 ここで、唐突に想起したのが──若きウィトゲンシュタインの工学知(?)への関心とともに──『知性改善論』(85節)に出てくる次の一文だった。《ただ彼ら〔古人〕は、私の知るところでは、ここでの我々とは違って、精神が一定の法則に従って活動しいわば一種の霊的自動機械〔ドゥルーズ『スピノザ──実践の哲学』の鈴木雅大訳では「精神的自動機械」〕であるということを決して考えていなかっただけである。》


【382】身体というモデル

▼文学知について考えるようになったのは、アラン・ソーカル/ジャック・ブリクモン著『「知」の欺瞞』(田崎晴明他訳,岩波書店)を読んでからのことだ。たとえば、精神とトポロジーには何の関係もないと著者たちは述べているのだが、もし精神とトポロジーとの関係を云々しうる立場があるとすれば、それは人文科学的な思索に脈打つ伝統、私の言葉でいえば文学的知性(実験理性の営み)のうちでしかないのではないか。[*]

 なにもラカンその他の「ポストモダンの思想家たち」を擁護したいわけではないし、そもそもここで述べたこと、あるいは素描しようとしている事柄はいずれも、ギリシャ的非理性とユダヤ・キリスト教的非理性によって培われた(?)西欧的知性の文脈でのみ意味があることなのかもしれないのだけれど、私は、スピノザの『エチカ』が幾何学的方法によって叙述され、フロイトの『人間モーゼと一神教』が当初『人間モーゼ──歴史小説』というタイトルのもと小説的な構想をもって書き始められたといった事実には、何かしら看過しがたいものがあるように思えてならないのである。(ここで述べたいのは想像知のことではない。それをいうなら、むしろ創造知だ。いや、表現知というべきか?)

* B.クズネツォフ著『アインシュタインとドストエフスキー』(小箕俊介訳,れんが書房新社)によれば、芸術家ドストエフスキーは「実験的リアリズム」あるいは「実験詩学」と著者が名づける方法でもって、神的調和への伝統的な「ユークリッド的」信仰から「非ユークリッド的」調和(イワン・カラマーゾフによって見出された個人の運命を無視する調和)へ、そしてさらにいっそうパラドキシカルな非ユークリッド的調和へと向かっていった。

 そしてそれは、スピノザの神を信じ、三十数年の熾烈な努力を統一場理論にかけたアインシュタインの軌跡と一致する。少なくとも「アインシュタインからドストエフスキーへの変換の不変部分」というべきものがあると著者はいう。──《現代科学は、巨視的概念の導入なしには、すなわち粒子の巨視的行動を定義することなしには、超微視的過程を現実のものとして扱うことはできない。道徳的調和の現代的概念は、個人的実存が、集団的運命にたいしてもつその重要性によって規定されるべきことを要求する。》(これははたんなるアナロジーにすぎないのだろうか?)

 ここで、唐突に想起したのが(かの「直観の天才」)ベルンハルト・リーマンのこと、具体的には1854年の就職講演「幾何学の基礎にある仮説について」だった。それはもちろん非ユークリッド幾何学という語彙からの連想にすぎないし、ついでに書いておくと、私の直観はスピノザとリーマンを結ぶ補助線を引き、その延長線上にフロイトとアインシュタインを、そしてベルクソンを──もちろんドストエフスキーを、さらに(もしかすると実験理性としての文学知の体現者、あるいはそのもっとも手強い批判者であったのかもしれない)小林秀雄を──位置づけるならば、実験理性批判の一つの系譜を抽出することができはしまいかなどと告げているのだが、それはさておき、ここではリワノワ著『リーマンとアインシュタインの世界』(松野武・山崎昇訳,東京図書株式会社)から、リーマン講演の一節を抜粋しておこう。

《自然を解明するにあたって、測れないほど大きい場合についての問題は価値がありません。けれども、測れないほど小さい場合についての問題は話が違います。現象どうしの因果関係に関するわれわれの知識は、ほとんど、われわれが現象を無限小において考察する際の正確さにかかわっております。……したがって、空間の無限小における計量的な関係に関する問題は、つまらない問題とは申せません。》

▼一つの仮説。文学知とは、すなわち実験理性の営みとは、神的知性への、すなわち認識と創造の一致(認識と対象の一致ではない)への肉薄である。(いや、認識と表現の一致というべきか?)

 たとえば『知性改善論』(13節)に次の一文が出てくる。《最高の善とはしかし、出来る限り、他の人々と共にこうした本性を享受するようになることである。ところで、この本性がどんな種類のものであるかは、適当な場所で示すであろうが、言うまでもなくそれは、精神と全自然との合一性の認識(cognitio unionis quam mens cum tota Natura habet)である。》──ここで決定的に重要なことは、そのような認識=実験が「身をもって」なされることだ。[*]

 仮説の系。文学知すなわち実験理性の営みとは、宇宙認識すなわち時空創造(というより生命体製造?)の試みである。(時空創造ではなく、時空表現もしくは時空感覚の変換というべきか?)──あるいは、進化の駆動力としての思考実験。地球外生命もしくは人間外知性体の生活様式をめぐる予言の書としての『知性改善論』。あるいは、異知性体=神への進化の予感に裏打ちされた『知性改善論』(とはすなわち『人間改造論』?)。そして「共通概念」(notions communes)──ドゥルーズによれば、それは数学的というより生物学的な概念(DNAのような?)であり、いわば自然の幾何学をかたちづくるものである(『スピノザ──実践の哲学』第四章)──の「発見」によるその「挫折」が『エチカ』の完成をもたらした。(私は何を言おうとしているのだろう?)

* スピノザが「身体が何をなしうるかをこれまでまだ誰も規定しなかった」(『エチカ』第三部定理二備考)と述べたことを踏まえ、ドゥルーズは『スピノザ──実践の哲学』第二章の「唯物論者スピノザ」を論じた個所で、「スピノザは哲学者たちに〈身体〉という新しいモデルを提案する」と書いている。ドゥルーズは続けて、スピノザの有名なテーゼ、一般に心身並行論の名で知られている理論的テーゼは、精神と身体の実在的な関係を否定するだけではなく、同時に両者の優劣関係を禁じているのだという。『エチカ』によれば、デカルト『情念論』における「心身の逆比例的相関の原理」とは反対に、「心における能動は必然的に身体においても能動であり、身体における受動は心においても必然的に受動」なのであって、「心身両系列のあいだには一方の他に対するいかなる優劣も存在しない」のである。「だとすれば、身体をモデルにとりたまえというスピノザは、それによって何を言おうとしているのだろう。」

《それは、身体は私たちがそれについてもつ認識を超えており、同時に思惟もまた私たちがそれについてもつ意識を超えているということだ。……いいかえれば身体というモデルは、スピノザによれば、なんら延長に対して思惟をおとしめるものではない。はるかに重要なことは、それによって意識が思惟に対してもつ価値が切り下げられることだ。無意識というものが、身体のもつ未知の部分と同じくらい深い思惟のもつ無意識の部分が、ここに発見されるのである。》


【383】文学知と超越論的構想力

▼文学知はカントの「構想力」(Einbildungskraft,imaginatio)とどのような関係にあるのだろうか。(そしてスピノザが「表象力」または「想像力」と呼ぶもの、あるいはまたヒュームのいう「想像の能力」と「構想力」とはいったいどのような関係にあるのだろう。それとも、それらは訳語の違いにすぎないのだろうか。)

 坂部恵氏は『ヨーロッパ精神史入門』(岩波書店)の第十二講「能動知性の凋落」で、14世紀の作者不詳の古写本からの一節を紹介し、そこに「一三世紀には一般に広く受け入れられていたアリストテレス風の知性から、いわば「能動知性」という頭を小気味よく切り落として、経験的素材をもとにしたロック風の「抽象」(ちなみに、一三世紀までの通常の用法では、「抽象」は、経験的素材をもとにそこから能動知性によって供給される「可能的形象」を純化し洗い出すことを意味していました)をこととする「可能知性」(受動知性)だけで足りるとする…思考法の根本的な転換」が示されているという。

 そして、それから400年あまり後のカントが「神の intellectus」という上部構造を切り落とし、「人間の有限な intellectus」すなわち悟性(Verstand)に切り縮めたとき、カロリング朝ルネサンス以来の「知性」(intellectus,nous)と「理性」(ratio,logos)の伝統的序列が最終的に逆転されたと述べ、また第十九講「構想力の論理」で、「零落した intellectus の退位後の空白」を埋めるためにカントがもちだした「生産的構想力」は、「カント自身意識していたかどうかは別として、「能動知性」とその「可能的形象」(species intelligibilis)による経験的認識の形成、という盛期中世の正統的実在論の認識思想をなぞるものであることは動かせないところです」と指摘している。[*]

 そういうことであるならば、構想力などといわず端的に「能動知性」といえばいいのではないか。──坂部氏はこの「アリストテレス風の知性」に関して、『霊魂論』第三巻の五章から「現実活動体(エネルゲイア)においてある知識は、その対象となるものと同一である」という一文を引用した後で、アリストテレスの議論を次のように概括している。《受動知性は、可能態にあり、すべてのものになる(受け入れうる)知性で、質料になぞらえられる。一方で、能動知性のほうは、すべてのものを作ることにおいて、作用原因に相当する。/能動知性は、光がもろもろの可能的色を現実的色に作る、ちょうどその光のように現実活動にあるひとつの状態である。》(第八講「個体と共通本性」)

 ちなみに、ハイデガーは『ニーチェ』の中で、プラトンによって存在者はデュナーミス(可能態)という特徴を帯びることになったのだが、アリストテレスはプラトンよりもいっそうギリシャ的に、存在をエネルゲイア(現実態)と、つまり制作の運動を完了して作品(エルゴン)の状態に身を置いて(エケイン)いる個物(本質存在に対する事実存在)と考えた、と書いていた。(木田元氏の著書からの請け売り。)──スピノザが磨くレンズの屈折率によって「抽象」されるものとは、それではいったい何だったのだろう。

* 黒崎政男氏は『カント『純粋理性批判』入門』(講談社選書メチエ)で、『純粋理性批判』第二版──悟性(自発性)にも感性(受動性)にも属さない「第三のもの」として構想力を位置づけた第一版を決定的に変更──から最晩年の『オプス・ポストゥムム』にいたるカントの道は「思想的退化」であったと書いている。

《『純粋理性批判』第一版で開かれた〈明るみ〉は、その後の進展のうちで再び閉ざされてしまった。なぜカントは、このような悟性(理性)一元論に走らなければならなかったのだろうか。/真理成立が、「感性と悟性の合一にあり〈経験〉が重視される」のと、「理性の体系のうちであらゆる真理は確定している」というのでは、確かに安定感は違う。理性一元論のほうが、実はきわめて安定しているのである。感性と悟性の合一という〈運動〉のうちに真理があるというのは、〈宙ぶらりん〉であり、その不安定さに耐えるパワーとエネルギーが必要である。思想のパワーとエネルギーに満ち満ちていたのが『純粋理性批判』なのである。しかし、人間は、常に〈強さ〉のうちに存在しているわけではない。そして、思想だとて同じことである。/そして、パワーとエネルギーが減退したときに襲ってくるもの。それは、カントの場合、〈根源的誤謬への恐れ〉といったものではなかったろうか。……もしも、カントが、経験の地平、つまり「純粋悟性の国」を転倒させ、カテゴリーを無化しかねないような〈根源的誤謬〉への危惧を抱いたとしたら、カントはこの危惧を打ち消すために、どのような態度をとるであろうか。……この危惧から逃れるためには、例えば、カテゴリーがこの世界をア・プリオリに、したがって、固定的に説明しつくせるものであること、すなわち、悟性の必然的な合法則性が世界をア・プリオリに汲みつくせるものであることを何とかして確証してみせる、というのも一つの方法である。そして、『純粋理性批判』から『オプス・ポストゥムム』にいたるカントはまさにそうであった、というのが私の結論である。/カントはこのことゆえに、『純粋理性批判』で開示した力動的(ダイナミック)な真理観の展開をとざし、再び、固定的な体系による真理観へと退歩していったのである。》

 黒崎氏は続けて、ニーチェの「真理とは、それなくしては特定の種類の生物が生きることができないような一種の誤謬である」(『権力への意志』)という文章に即して次のように書いている。

《ニーチェによれば、生物としての人間が安定した生を営むためには、世界は生成変化しているものであってはならず、固定的で堅固なものとして表象されなければならない。しかし、このように表象するのは、生にとって有益であるからであって、それそのものが「真理」だからではない。/ニーチェの表現は多分に生物学主義的ではあるけれども、カントがかいま見、そこから退避しなければならなかった〈新たな〉真理の本質を明確に表現しているように私には思われる。》

▼黒崎氏がいう「力動的な真理観」あるいは生物学主義的な「〈新たな〉真理の本質」はユダヤ的知性に、そしてまたスピノザ式知性(もしくはマラーノ的な「内在の思想」?)につながるものであった、などということができるのだろうか。[*]

 あるいはまた、「頭部なき身体」(『政治論』)のごときオランダ共和国に生きたスピノザの哲学が、デカルトの「松果腺」の矛盾を克服しようとするものであったとする解釈(岩崎武雄『西洋哲学史』)が正しいものであるとして、それを「東洋的」な思考(そう名づけうる実質があるとしての話だが)と結びつけて考えることに、何か意味があるのだろうか。

 ──ここではこれらの自問に自答せず、ただスピノザ式知性のアノマリー性(アントニオ・ネグリ)はヨーロッパという現象の例外性(中井久夫)と同時に考えなければならない、とだけ記しておこう。

* 饗庭孝男編『ユダヤ的〈知〉と現代』(東京書籍)の序で編者は、アイザック・ドイッチャーの言葉──《かれらの思考の様式は弁証法的である。なぜなら諸国家、諸宗教の限界線上に生きたかれらは、社会を流動のなかに捉えるからである。かれらは現実を静的にではなく、動的に理解している。》云々(『非ユダヤ的ユダヤ人』)──を踏まえて、ユダヤ的思考の様式とは何かをめぐって次のように書いている。

《このことは、特定の静的社会、秩序のなかにいる人間よりもはるかに物事が「見える」ことを意味しよう。習慣形成が思考をステレオタイプにしがちな世界とは異なった「見る」角度が存在する。弁証法的にダイナミックに、かつ実践を伴って「見える」のである。スピノザやマルクスが、思考とは認識ではなくて「実践」であり、「行動」であるとするのもその点とかかわってくる。私はこれを根源的に思考の力動性〔ディナミスム〕と呼びたい。》


【384】親殺しと奴隷の哲学

▼昨夜、久しぶりにジャズ喫茶(懐かしい響きをもった言葉だ)の薄暗がりの中で本を読んでいて、突然、活字の連なりが意味をなさなくなってしまった。気がつくとキース・ジャレットのソロピアノが流れていて、それは確かケルン・コンサートのもので、最後に聴いたのはもうかれこれ二十年近くも前のことだ。いったいこの音楽はどこから聞こえてくるのだろう、そもそも音は物の秩序・連結に属しているのか観念の秩序・連結に属しているのか、などとそのとき考えていたわけではないけれど、とにかく本はまるで読めなくなってしばらく聴き入っていたのだが、記憶の断片や情緒の残響が甦ってくるわけでは毛頭なくて、ただ何かしら知的なものの蠢きが確かに感じられるだけだった。

 外に出ると、雑踏の賑わいはずいぶん遠くに聞こえ、見慣れた風景はまるで実況放送中の立体映像のように見え、ああなるほど、音楽とはやはり紛いもなく空間造型の芸術だったのだ、抽象とは実はこういうことなのだ、などと説明のつかない直観が襲ってきて、それは以下、無限に続く。──《一言でいえば、その抽象運動に(高階)知覚される空間的無限が音楽の感動なのである。》(大森荘蔵「風情と感情」,『時間と自我』所収)

 さて、そこで私が読んでいたのは──『エチカ』でも、コペルニクスの「貨幣論」でもなく──中井久夫著『西欧精神医学背景史』(みすずライブラリー)で、これは随分と刺激に満ちた書物だった。たとえば、中井氏は「魔女狩りが中世の産物であるという通念はまったくの誤りである」という。もっとも、その根は深く中世に根ざしていたのであって、「一二世紀からのおよそ四世紀間、ヨーロッパがヨーロッパを成立させたその文化的恩人たち〔引用者註:ユダヤ人とアラビア人〕を次々に消滅させていった」という「育ての親殺し」の現象が先駆し、その連続線上に、古代に源泉をもつ「中世における女性文化」の存在があったのである。

《おそらく近代のヨーロッパはその誕生の時期にあたって、その試練に対し未来の予知による知的、全体的理解という統合主義 syntagmatism による幻想的対応を行なったのであり、これを取り消して現実原則にのっとった勤勉の倫理による応答に変化するためには、自らに代わって無垢なる少女が贖罪の山羊として燃やされねばならなかったのであろう。事実ヨーロッパの指導的知識人の中には、今なお「無垢なる少女の神話」ともいうべきものが残っている。特にドイツではそのような観念の伝統がある。ヨーロッパの青年たちはしばしばこの神話のために成熟した生年に達することができなかったり、通過儀礼のように少女を踏み台にして成年に達し、罪責感をもつ(森鴎外の『舞姫』)。これは魔女狩りの残映ではなかろうか。》[*]

 そして、ヨーロッパの他の地域より一世紀以上早く魔女狩りが終息したのがオランダであり、中井氏によると、それと同時に始まったのが臨床医学であった。──独身者スピノザ。魂の臨床医スピノザ?

* 中井氏によると、西欧における「無垢なる少女の神話」と対をなすのが、西欧によって「文化同化」された明治維新後の日本における「近代的自我の神話」である。

《この「近代的自我」の追求はおそらく二葉亭四迷にはじまり、小林秀雄あるいは中村光夫とその追随者たちにきわまる。しかし、奇妙なことに「近代的自我」なる語は西欧人のほとんど用いない稀語である。著者は、これを魔女狩りのあとに西欧に出現する「無垢なる少女の神話」と一種の対をなす神話、「近代的自我の神話」とみなす。すでに述べたように、西欧においてはシンタグマティズム(統合主義)の破産と「無垢なる少女」の犠牲においてのパラディグマティズム(範例主義)による出直しが西欧をつくったのである。》

 しかし、織田信長による「ネオプラトニズム的な幻想的問題解決の中心でありえたかもしれない比叡山」の焼き払いに始まり江戸幕府による「宗教の根こぎ」へといたる世俗化を通して、「わが国では、魔女狩りを経ての出直しではなく、はじめからパラディグマティズムによる近代化過程が発足しえた」のであり、また武士階級の城下町集中(土地からの根こぎ)と実際上の武力行使の禁圧は「深い去勢感情を彼らのあいだに生んだ」のである。《(畿内地方をおそらくは例外として)武士の精神的後継者である知識人の、西欧人に生得的で、しかるに自らは努力のはてについに持ちえないとする、近代的自我の追求は、彼らがこの去勢感情を引き継いだことを示唆している。》

▼魔女狩りをめぐる中井氏の文章を読んでいて、もしかすると実験理性の営みとは「臨床歴史学」のことではないか、文学知とは(一回性の)出来事の語りのうちに結実する歴史意識のことではないかと思った。──キリスト教の国教化へといたる古代ギリシャ・ローマ世界における精神治療の系譜を概観して、中井氏は「被支配層の治療が順次支配層の治療に転化していく」というテーゼを提示しているのだが、文学知(歴史意識としての)もまた被支配層から支配層へと転化していくものなのではないか。[*]

* ここで述べた事柄と関連するのかどうかはよくわからないけれど、中井氏はまた次のように書いている。──奴隷の哲学としての心身論?

《心身二元論が言葉の発生以来、あるいは意識の発生の時代にさかのぼるか否かは思弁の域を出ないにしても(私は心身二元を言語と密接な関係にあると考える)、その明確な出現はすでに述べたごとく奴隷制と密接な関係があるだろう。ある挿話を思い出す。アメリカ黒人の奴隷が大雨にあって帽子を身体でおおった。人がいぶかると、彼は答えたという。「身体はご主人様のものだが、帽子は俺のものだからね」。ゆくりなくも、これは二千年前、確実に奴隷出身であるエピクーロスの哲学に類比的である。以来心身二元論はヨーロッパ哲学に亡霊のごとくつきまとった。》


【385】物語と小説あるいは時間と空間をめぐる考察・その他

▼岡真理氏は『記憶/物語』(岩波書店)で、物語が話者に身体化された母語で語られるのに対して、小説の言語は学校教育で修得された書き言葉という「別の言語」なのであって、小説とは「言語を異にする読者」によって読まれるもの(翻訳可能なもの)であると述べている。

《小説は,小説という虚構の空間に〈世界〉を構築する.エドワード・サイードは,なぜ,イスラーム世界で「小説」という文学形式が誕生しなかったかと自問し,それについて自らこう答えている.イスラーム教徒にとって,世界の創造とは神のみに帰属する行為であり,被造物である人間が,神が創造した世界とは別の世界を創造/想像することは,「ビドゥア」(bid'a イスラームから外れた行い)と考えられたのだ,と.》

 岡氏は続けて、小説は近代によって可能となったのだが、同時に近代という時代それ自体が小説的な語りを要請したという。──身体に根ざす物語。物語(観念)の無意識(再現不可能なもの)を虚構の空間のうちに表現する(翻訳可能なものとする、というより翻訳「のみ」可能なものとする)小説の働き(自動翻訳機械もしくは時間製造機としての精神による、音楽にも似た働き?)。あるいは、奴隷の哲学によって開示されたもの(たとえば魂)をめぐる思想、端的いって植民地の思想としての歴史哲学?[*]

《植民地主義の侵略によって,祖国にいながらにして,自分たちが帰属するはずの大地から疎外されていくという不条理,近代という時代が,そこに生きる人間たちにもたらすトラウマ(精神的外傷)──その不条理さゆえに言葉で名づけ,「経験」として飼い慣らし,過去に放り込むことのできない〈出来事〉の暴力,そうした,言葉では語ることのできない体験,〈出来事〉を,物語として語るという時代の要請を,小説は自らの身に引き受けたのではないだろうか.言いかえれば,小説の語りには,そうした出来事の不条理な分有の可能性が賭けられているのではないだろうか.

 だが,それは,言葉では語りえないものが,小説であればにわかに,言葉で語ることができるようになるなどということではない.むしろ,ここでわたしが示唆したいのはそれとは反対のことである.〈出来事〉というものが本質的にはらみもっている再現することの不可能性,それをいかにしてか語ることによって,小説はそこに,言葉では再現することのできない〈現実〉があることを,言いかえれば〈出来事〉それ自体の在処を,指し示すのではないか.言葉によって,もし,すべてが説明されうるのなら,小説なるものが書かれなければならない致命的な必要もないだろう.》

* 茂木健一郎氏は「クオリアと志向性──「私」という物語ができるまで」(養老孟司編『脳と生命と心』所収)で、視覚心理学実験の被験者になった体験を踏まえて次のように述べている。──感性とクオリア、悟性と志向性、構想力と物語。力動的な真理観と物語のダイナミックス。あるいは、神による実験の被験者としての奴隷。精神的自動機械としての脳。エンジニアとしての物語作者。(作者とは?)

《脳の中には、そのような物語〔引用者註:運動残効の心理実験が被験者にもたらす「妄想のようなもの」〕を生み出す志向性のネットワークがある。このネットワークが、私たちの言語も生み出す。……一回性の出来事が意味を持つ人生という物語のダイナミックスは、私たちの脳の中の、外界からの刺激を様々なコンテクストの中に埋め込む、志向性のダイナミックスによって支えられている。……もちろん、どんな人生の物語も、それを支える体験や言語の一回性も、全ては、私たちの脳の中のニューロンの活動に担われている。クオリアや志向性といった心の表象は、私たちの人生という物語を支えるテクノロジーと見なすこともできる。》

▼事象Aと事象Bとが「同一」のもの(res)であるとき、この二つの事象を媒介する関係(連続性?)あるいは媒介作用そのものを「時間」と定義する。ここで、事象Aと事象Bのそれぞれが「単一」であるとすると、同一かつ単一の二事象という矛盾した関係(A=BかつA≠B)が発生する。この矛盾する二つの関係、すなわち「A=B」と「A≠B」を媒介する関係(離散性?)あるいは媒介作用そのものを「空間」と定義する。

 それでは、事象Aと事象Bとが「同一」かつ「多数」であるとき、この二つの事象を媒介する関係あるいは媒介作用としての「時間」は先に定義したそれと同一なのだろうか。また、事象Aと事象Bとが「同一」ではないとき、つまり「多様」であるとき、事象Aと事象Bとが「多様」かつ「単一」である場合、もしくは「多様」かつ「多数」である場合のそれぞれの場合において、これら二つの事象を媒介する関係あるいは媒介作用とはいったいどのようなものなのだろうか。[*]

 以上の「議論」に出てきた四つのケースを図示してみよう。図中の「α」と「β」は「時間」の二つの様相を示す記号であった。すなわち、「α」は「空間」による媒介作用を経ない「論理的時間」とでもいうべきものであり、「β」は「空間によって媒介された時間」もしくは「空間が重ね合わされた時間」である。

         単一
         │
       β │ γ
         │
  同一 ────┼──── 多様
         │
       α │ δ
         │
         多数

 それでは、「γ」や「δ」はどのような作用を示す記号なのだろう。たとえば「γ」は「論理的空間」であり、したがって、空間の相から見た場合、「β」は「時間によって媒介された空間」もしくは「時間が重ね合わされた空間」である、などと定義することができるのだろうか。あるいはまた、「δ」が示しているのは、同一性多様性、単一性や多数性をめぐる思考そのものが成り立つ場=世界(永遠の相において見た?)を設営する作用であり、そこから、より高次元の同一性や単一性等々をめぐる議論(思考実験)が切り開かれるダイナミックな場の所在を示している、などということができるのだろうか。(以上の議論は、エリウゲナが『ペリフュセオン』で展開した「自然」の四区分と何か関係があるのだろうか。)

* ここで私は、クロード・レヴィ=ストロースが『野性の思考』で「集合」という「概念装置」について述べた文章に出てくる二組の語彙の組み合わせ、すなわち「多数性と単一性」「同一性と多様性」を想起している。──ところで、そもそも事象Aと事象Bの「同一」性や「多様」性、「単一」性や「多数」性を認定するものはいったい何(誰?)なのだろう。

▼永井均氏は「世界宗教の外部へ──柄谷行人『探求』批判」(『〈魂〉に対する態度』所収)で、次のように述べている。──『〈私〉の存在の比類なさ』に収められた論文「他者」に出てくる「スピノザの神」と「デカルトの神」、あるいは「スピノザ的奇蹟」に関連する「可能世界」(例:この私が生まれなかった世界)と「デカルト的奇蹟」に関連する「別の世界」(例:この私以外の人間あるいはその他の存在が〈私〉であった世界)をめぐる議論とともに、そして「世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、その事実が神秘なのだ」(坂井秀寿訳)と記したウィトゲンシュタイン的神秘(?)とともに、以下の引用文の熟読を通じて、スピノザ式知性をめぐる次の考察が開始されるであろう。[*]

《柄谷は次のような区別を考え…、前者を「独我論的」といいかえる。

 ライプニッツ的 概念 … 一般性──特殊性  (共同体)
 ス ピ ノ ザ 的 観念 … 普遍性──単独性  (社 会)

しかしむしろ、これと並行的に次のような区別を考え、後者を「独我論的」と呼ぶべきである。

 カ ン ト 的 概念 … 「私」  ──この「私」
 デ カ ル ト 的 観念 … 〈私〉たち──〈私〉

柄谷は、それぞれの前者を「独我論的」と評する。しかし、私の見地からすれば、むしろ彼には独我論的(デカルト的)観点こそが欠けているのである。それゆえ「デカルト=スピノザによって出現したのは、この〔原文強調〕世界であり、この〔同〕私である」…という言い方は完全に混乱している、と言わざるをえない。「この私」の問題と「この世界」の問題とはまったく別である。デカルトをスピノザに回収することは不可能だからである。》

* これは上にメモしたこととはまったく関係がないけれど、「時間って、どういうの?」と五歳の男の子に質問された三十八歳の父親は 「時間っていうのもね、はじめは小さな種だったんだ」と答える。

《その小さい小さい種がだんだんだんだん大きくなって、そのうち中で地球やアンドロメダができて、ポルトガルやニューカレドニアができて、クイちゃんのおばあちゃんのおばあちゃんが生まれて、パパや美紗ちゃんが生まれて、はじめは赤ちゃんだったのが大きくなって、クイちゃんが生まれて、今のクイちゃんやパパや美紗ちゃんになって、これからもどんどんどんみんながこの中で大きくなっていく──っていう、これはそういうものなんだ。/これが、さっきクイちゃんがパパに訊いた時間なんだ。この中でクイちゃんの知ってるものがぜーんぶ生まれて、育って、大きくなっていくの。時間っていうのは、そういうものなんだよ》(保坂和志『季節の記憶』)