ヒューム熱・草稿



【351】ヒューム熱(1)

 数年前にも一度微熱が続いたことがあった。ネットサーフィンという言葉がまだ新鮮に響いた頃の話で、私もしばらく凝ってすぐに飽きてしまったことを今となっては懐かしく思い出すのだけれど、ウェブAからウェブBへとリンクをたどってあてもない漂流を繰り返しているうち、あ、もしかしたらこの「事象Aから事象Bへ」の物語性の欠けた接続の経験、根拠や理由や必然性があったりなかったり単なる偶然のなせるわざだったりする継起の経験はD.ヒューム(David Hume,1711-1776)的とでも形容すべき世界での出来事なのではないか──電子メディア時代の知覚の束としての主体による想像力の飛翔!──と唐突に思い至り、早速インターネットで入手した‘ A Treatise of Human Nature ’全文をプリントアウトして読み始めてみたものの、何だったか今は思い出せない事柄に関心が移って、だからその時は数頁も進まないうちに熱は冷めてしまった。

 いまことさらD.ヒュームと書いたのには訳があって、それはT.E.ヒューム(Thomas Ernest Hulme,1883-1917)という片仮名で表記すると同じヒュームがいるからだ。数学を学んでいたケンブリッジで学生仲間と喧嘩騒ぎを起こし放校、ロンドン大学で生物学を学んだあと広大なカナダの地に渡り文学や哲学を志す。ロンドンへ戻り『ニュー・エイジ』誌の「ラジカル」な寄稿家として活躍し「哲学者」という評判を得たヒュームは、1908年、レストラン「エッフェル塔」に集い日本やヘブライの詩の形式を取り入れるなど英詩の革新を企てる前衛的な詩人たちのグループを立ち上げる(翌年四月にはエズラ・パウンドが参加)。1912年にはそのイメージの哲学に強い関心を寄せてきたベルクソンの推薦を得てケンブリッジへの復帰を果たすが、1917年にベルギー戦線で夭折。

 遺稿集『省察』(Speculations,1924)が友人の美術評論家ハーバート・リードによって編集され、T.S.エリオットらに影響を与えたほか「ニュークリティシズム」誕生を促す力の一つにもなったという。その後出版された『続・省察』(1955)も含め訳書が法政大学出版局から出ている。いずれも長谷川鑛平訳で邦訳名はそれぞれ『ヒュマニズムと芸術の哲学』『塹壕の思想』。T.E.ヒュームやエズラ・パウンドとともに「イマジスト」グループを組んでいた彫刻家ジェーコブ・エプスタインは『省察』の「はしがき」で、ヒュームのことを「プラトンやソクラテスのように、彼は自分のまわりに当時の知的な青年を引きつけた」と書いている。

 このもう一人のヒュームのことは「夭折の天才」として坂部恵著『ヨーロッパ精神史入門』(岩波書店)がC.S.パースを引き合いに出しながら簡単に紹介している。坂部氏によるとその反ヒューマニズム、反ロマン主義、反近代主義の姿勢は、ライプニッツやベルクソンの思考とともに九世紀カロリング朝ルネサンス以降の「ヨーロッパ世界の哲学」の精神的系譜に連なるものだという。いつか腰をすえて読んでみたいと思っている興味深い詩人・思想家なのだけれど、当面の話題とは直接の関係がないのでこれ以上は措く。

[補遺]
 法政大学出版局の図書目録で知ったのだが、P.ヒュームの『征服の修辞学』という書物も出ているらしい。これは余談というより蛇足。──蛇足ついでにT.E.ヒュームの文章を一つ『塹壕の思想』から抜き書きしておく。

《機械観を扱う第一の、そして最も単純な方法は、それを宇宙の本性[ありかた]の真の説明として率直に受け容れること、しかし同時に、このことは倫理的価値にはなんら影響を及ぼさないことを主張すること、である。(中略)一般に意識は、そして特に倫理的諸原理は、世界過程の単なる副産物にすぎないとされている。世界過程はこれらを偶然に生み出したのであり、やがては不可避的に滅ぼしてしまうであろう、と。けれどもわれわれは、これらの倫理的原理が絶対的価値をもっているかのごとくに行動しなければならぬ。世界に目的はない。われわれの倫理的価値は、実際問題として、究極的実在の本質のなかに、何か照応するものがあるのではない、にもかかわらず、われわれは、あるかのごとく行動すべきである。それがすべて何にもならないという事実は、人間の倫理的努力に一段と刺激を添えるゆえんであるとせられる。こういう考え方をする人人は、文字通りの意味で、ストア主義者と呼ぶことができる。(中略)それは長い歴史をもつ態度であり、それぞれの時代にいつも少数者を満足させてきた態度である。こういう形の〈あきらめ〉にはいつも或る魅力がまつわっていた。私の生まれつきにはどこか粗野なところのあるせいか、私はどうもそれをよいものと認めることができなかった。その主張には、私にはいつも、どこかおかしいところがあるように思われた。その理由というのがまさに、それが少しばかり〈オーヴァ〉だ、少しばかりハッタリだということなのである。どこかまずいところがある──どこか少しばかり見かけ倒しのところがあると、本能的に感じられるのである。》(「ベルグソン・覚え書」五)


【352】ヒューム熱(2)

 それでは当面の話題は何かというと、数年の時を経てヒューム熱が再発したという極く他愛のない個人的な話で、そういえば少し前から予兆はあった。今年の一月、G.ドゥルーズが二十二歳で書いた『経験論と主体性──ヒュームにおける人間的自然についての試論』の改訳版(木田元・財津理訳,河出書房新社)が出版され、買ったきりでほとんど読まないドゥルーズ関連の翻訳書コレクションが十一冊になって、翌月にはA.クレソンとの共著『ヒューム』(ちくま学芸文庫)が出て十二冊目。ドゥルーズ編集の「ヒューム抜粋集」や訳者の合田正人氏の長編解説「ドゥルーズによるヒューム」もあってとても重宝だし、手ごろな分量だったので少しずつ暇な時に読み始めたばかりのところ、久しぶりに届いた友人からのメールが第7回『哲学的腹ぺこ塾』[http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html]への誘いで、テキストはヒュームの『人性論』。

 シンクロニシティと呼ばれる現象があって時折私も経験するのだが、メールを受け取ったちょうどその日に読んでいたのが『ヨーロッパ精神史入門』の「中世のヒュームと現代の反カント」の章だったものだからこの符合にはちょっと驚いてしまった。会合には欠席したし今回もまた『人性論』を読み通すことはできなかったのだけれど、今だにヒューム熱は冷めない。──それにしてもヒューム菌に取りつかれたなどと書くよりもヒューム熱に冒されたと表現する方がぴったり来るのはなぜだろう。たとえば私はここ数年ベンヤミンという文人に強烈に惹かれ続けている。この場合は何か物質的なものが私の肉体に巣くっていて確実に繁殖しつつあるように実感しているし、それはまさにベンヤミン菌とでもいうべき実体なのだと思う。

[補遺]
 試しに「ヒューム」と「ベンヤミン」を組み合わせて検索したところ、『The 20th Century Matrix』[http://db3.ntticc.or.jp/g/]の「アーカイブ」に収められた「ボルヘス」の項[http://db3.ntticc.or.jp/g/archive/data/articles/T8c00740.htm]がヒットした。文章が途切れていて執筆者が不明(2000年3月9日現在)なのも何やら思わせぶりで面白かったけれど、もう一人のヒュームに関連する記述まで出てきてとても不思議な感覚に襲われたので、少し長くなるがその一部をペーストしておこう。

《ジョージ・スタイナーは『バベル以後』の中で,バベルにおいて失われた原初の単一言語を回復しようとするカバラ的精神が現代に現われた例として,ベンヤミン,カフカ,ボルヘス(アルゼンチン,1899−1986)の3人を挙げている.(中略)スタイナーはボルヘスに関して,特に『“ドン・キホーテ”の著者ピエール・メナール』(『伝奇集』)を取り上げ,「翻訳という仕事について書かれた最も鋭く最も凝縮された評釈」と称える.17世紀にセルバンデスによって書かれた『ドン・キホーテ』の一部を20世紀において一字一句違わずに書くというフランス人ピエール・メナールの奇怪で困難な試みを,スタイナーは細部に散見される普遍言語運動や翻訳への言及に留意しながら,原作と完璧に一致するという翻訳者にとって究極の,そして不可能な理想を達成しようとするものと解釈するのだ.こうした読みは興味深いしボルヘスにおけるカバラもきわめて重要だが,ここではやや違う角度からこの作品を考えてみたい.(中略)ここにあるのは,完全に同一のテクストに異なる複数の作者を帰属させることで異なる解釈を生み出すという態度,さらに抽象化して言えば,同一性に亀裂を入れて複数性,多様性へと散開させようとする態度とひとまず言えよう.しかしボルヘスの作品群全体を見渡すと,これと同じことを逆向きにした運動,つまり,多様なものを「一」なるものに凝縮しようという運動が顕著であり,カバラ性が目に付くのもこの点においてである.(中略)時間に関してこの「全」=「一」の原理を当てはめれば一瞬間こそすべてということになる….しかし瞬間は一個人の生を集約するのみならず,それを通じて多くの他者が同一化されるものでもある….ボルヘスは「新時間否認論」でこれを哲学的に論証しようとする.バークリーによる物質の否定,ヒュームによる自我の否定(それは心的状態の連続に過ぎない)を時間に適用すれば,時間とは個々の自律した瞬間に過ぎなくなり,もちろんその瞬間を体験する主体の差異も関係なくなる.こうした発想を瞬間の重視と非人称性の美学というふうに一般化すれば,ボルヘスをエズラ・パウンドやヴァージニア・ウルフらモダニズムの流れの中で捉えることができるだろう.彼が若いころ影響を受けたスペインのウルトライスモと呼ばれる文学運動が,瞬間におけるイメージの定着をめざしたパウンドらのイマジズムに似ていたというのもうなずける.いずれにせよ,一瞬間において差異,多様性が一挙に同一化されるという形式は,最初に触れた『ピエール・メナール』を再び思い起こさせる.そこでは異なる時代と異なる作者が同一のテクストにおいて結び付けられており,その結果,歴史的時間と作者=主体の差異が無効化されようとしているとも考えられるのだ. 》


【353】ヒューム熱(3)

 中世のヒュームとは十四世紀パリの「過激」な唯名論者オートゥルクールのニコラウスのことで、『ヨーロッパ精神史入門』ではその《あるものごとが認識されている、ということから、他のものごとがある、という判明な明証を、原理ないし第一原理の確証にもとづいて導くことはできない。》という文章が引用されている。また現代の反カントに準えられているのはミシェル・フーコーで、坂部氏は『言葉と物』の有名な文章──D.ヒュームによって独断論のまどろみから醒まされたという『プロレゴメナ』序文のカントの言葉を踏まえた《こうして、この〈折り目〉のなかで、哲学は、新しいまどろみに入る。もはや今度は〈独断論〉のまどろみではなく、〈人間学〉のまどろみに。》や《今日、ひとびとはもはや消滅した人間が残した空虚のなかでしか思考することはできない。》──を引用した後で《フーコーは、カントの第二の「人間学のまどろみ」を醒ますべき、第二のヒュームにみずからを擬しているようです》と書いている。

 ところで中世普遍論争には(三位一体もしくは三一論をめぐる古代の論争とともに)前々から関心があって、貨幣とは何か、魂とは何か、言語とは何か等々を考える上で避けて通ることはできない、というよりそもそもそういう事柄が問題とされる精神の領域のようなものを設定したのがレアリスムス(スコトゥス派)とノミナリスムス(オッカム派)の対立だったのではないかと考えてきたし、スコラ的実在論の立場に立つC.S.パースがこの論争の意義について独特の見解を示していたらしいことをある書物で読んで以来いつか調べておこうと思っていた。実は私はベンヤミン菌に侵されるずっと以前からパース病に罹っていて、だから『ヨーロッパ精神史入門』に出てきたパース「形而上学ノート」からの引用とこれに対する坂部氏の解説はまさに私が探し求めていた世界への格好の手引きだった。

[補遺1]
 『ヨーロッパ精神史入門』で引用されているパースの文章。《考え深い読者よ、政治的党派心のバイアスのかかったオッカム的な先入観──思考においても、存在においても、発達過程においても、「確定されないもの」(the indefinite)は、完全な確実性という最初の状態からの退化に由来する、という先入観を取り払いなさい。真実は、むしろ、スコラ的実在論者──「定まらないもの」(the unsettled)が最初の状態なのであり、「定まったもの」の両極としての、「確実性」と「決定性」は、概していえば、発達過程から見ても、認識論的にも、形而上学的にも、近似的なものを出ない、と考えるスコラ的実在論者の側にあるのである。》

 坂部氏の解説。スコトゥス派とオッカム派の対立は通常、個と普遍のプライオリティ如何という問題をめぐるものとされるが、パースはその論争点をずらした。対立はそれに先立って「確定されないもの」と「確定されたもの」のどちらを先なるものと見るかにあるのであって、《…むしろ、(パースはそこまで明言していませんが)、個的なものをどう捉え、ないしはどう規定するかにかかわるものである…。/すなわち、個的なものを、元来非確定で、したがって(ここが肝心のところですが)汲み尽くしえない豊かさをもち普遍者や存在をいわば分有するものと見なすか、それとも、まったく反対に、それを、いわば第一の直接与件として、しかも単純で確定された規定を帯びた、世界と思考のアトム的な構成要素と見なすか。/「実在論」と「唯名論」の対立の因ってくるところは、このような考え方のちがいにあるとおもわれます。》

[補遺2]
 私が『ヨーロッパ精神史入門』を読み始めたのはその副題「カロリング・ルネサンスの残光」に惹かれたためだ。それというのも「カロリング朝ルネサンスを代表するアイルランド出身の哲学者ヨハネス・エリウゲナ」への強烈な関心がここ一年ほどかけて徐々に醸成されていた(エリウゲナ症候群とでも名づけようか)からなのだが、そのエリウゲナの『ペリフュセオン』(自然について)の一節──《神はその卓越性のゆえに、いみじくも「無」(nihili)と呼ばれる。》──と先に転記したパースの文章──「無」(nihili)に通ずる「確定されないもの」(the indefinite)という語が出てきた──が並んで引用されている頁を書店での立ち読みの際たまたま目にしてただそれだけのことで衝動買いに走った。

 エリウゲナという筆名はW.ジェイムズが『宗教的経験の諸相』で「キリスト教神秘主義の源泉(fountainhead)」と性格づけた偽ディオニユシオス・アレオパギテースの(ネオ・プラトニズムの系譜に連なるプロクロスの哲学とキリスト教神学とを結合した)ギリシャ語の著書をラテン語訳した際に、アイルランドを意味する古代ケルト語と「…から(で)生まれたもの」を意味するラテン語の接尾語を組み合わせて自ら考案したもの。十七世紀以来「ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナ」と誤って呼ばれるようになったが、ここに出てくる「スコトゥス」とは「スコティア人」の意味で、スコティアは当時一般にアイルランド(スコットランドではない)を指す言葉だったというから、結局「アイルランド人のアイルランド人のヨハネス」という畳語になってしまう。──エリウゲナの「名」をめぐる話は『中世思想原典集成6』(平凡社)に収められた『ペリフュセオン』の訳者解説に書いてあった。私はそこにD.ヒュームとの微かなつながりを感じた(ケルトの地に生まれフランスと浅からぬ縁を結んだ二人の思想家!)のだが、これはやや強引だったかもしれない。

 坂部氏によると、古代地中海世界に対する「ヨーロッパ世界」が確立され「知性─理性─感覚、神学─哲学─自由学芸、という、以後数百年にわたってヨーロッパ世界を支配することになる思考と学問と教育制度との序列」の基礎が据えられたのが九世紀で、その代表的哲学者がエリウゲナ。以後、ノミナリズムによって神学と哲学との間に亀裂が入った十四世紀、次いで1770年から1820年にかけて第二の亀裂が哲学と自由学芸(個別科学)との間に入り、現在は1960年以降の第三の亀裂の時を迎えているというのだが、この間一貫して、エリウゲナの「理解を絶しアクセス不能な光の闇」や「神化」(テオーシス)の思想に発する精神の地下水脈が──ニコラウス・クザーヌスやライプニッツの「垂直の個体概念」からパースの哲学へ、そしてT.E.ヒュームによって受容されたベルクソンの「内包的多様体」やホワイトヘッドの形而上学、ボードレールの「万物照応」やヴァレリーの「錯綜体」、さらにデリダの「いまだ名づけえぬもの」等々へと──流れていた。

 かねてから坂部氏は「ライプニッツは千年単位の天才、カントは百年単位の天才」と主張しているのだが、もしかすると(坂部氏はそこまで明言していないが)わがD.ヒュームの思考もまた「イギリス経験論」対「大陸合理論」といった新カント派的な準拠枠では到底とらえることのできない垂直的な深みを湛えているのかもしれない。


【354】ヒューム熱(4)

 ヒューム熱にうなされて、うっかりしているとたちどころに名や出身地や軌跡をめぐる隣接と類似、因果関係ならぬ時空の連続を超えた思考の系譜に沿って連想と譫妄と錯乱に陥ってしまう。──いうまでもないことだけれどこの隣接・類似・因果性は『人性論』に出てくる「われわれの単純観念の統合ないし凝縮の原理」いわゆる観念連合の諸法則で、クレソン(『ヒューム』第二章)によるとD.ヒュームはデカルトが認めた三種類の実体のうち物質的実体の観念は空間的時間的な隣接によって、精神的実体の観念は過去の記憶と現在の知覚との類似によってそれぞれ連合された「哲学的亡霊」にすぎないとして、さらに神的実体の観念──というより「われわれの眼に永遠で必然的な真理と映るとともに神にさえも課せられるすべての公理」とりわけ因果性の原理もまた経験によって獲得された根深い習慣(モンテーニュなら慣習と呼びその後パスカルが古き慣習と名づけたもの)によって信じ込まされた観念連合にすぎないとして廃棄した。

  またドゥルーズ(『ヒューム』第四章、なおクレソンとドゥルーズの執筆分担は合田氏の仮説に基づく)は芸術・道徳・宗教という「一般的諸規則ないし文化の体系(システム)」について、道徳を近き者と遠き者との隣接に、芸術を情念と想像力との触発や反射・反映にかかわる類似に、宗教を因果性にそれぞれ主として関連づけ、それらを基軸としながら叙述しているように思えて(気のせいかもしれないが)それはそれでとても面白かったのだけれど、私はこれらの解説を読みながらパースの記号論(インデックス・イコン・シンボルという記号三分の説)をしきりと連想していてむしろそちらの方が気になった。

[補遺1]
 自分の文章を引用するのも変な感じがするけれども、隣接・類似・因果性をめぐるD.ヒュームとパースの「類似関係」についていちから書き始めるのも億劫なので、ほぼ十五年前パース病の初期症状を示し始めた頃の覚書を以下にペーストしておく。

《レヴィ=ストロ−ス(『野性の思考』)は美的創造と神話を生み出す創作行為との違いを、美術作品の場合は「一つの共通の構造を明らかにすることによってそれ[一ないし数個の事物と一ないし数個の出来事の集合]に全体性を付与する」行為から始まるのに対して、神話は逆の方向に──つまり構造の発見ではなく、ある構造から出発して「構造をもちいて、出来事の集合の様相を呈する絶対的事物を作り出す(なぜなら神話はつねに物語であるから)」方向に向かう行為によって生み出される点に求めている。/また科学と美術の違いについて、縮減模型の例を挙げて次のように指摘している。すなわち美術作品の大多数は縮減模型なのだが、その特性は「縮減模型では全体の認識が部分の認識に先立つ」こと、‘man made’であり「手づくり」であって「対象物の単なる投影、受動的相同体ではな」くそれが「対象物についての真の実験」であることの二点である。レヴィ=ストロ−スによれば「科学のやり方が換喩的であって、あるものを他のものによって、結果を原因によって置き換えるのに対し、美術のやり方は隠喩的である」。/ここで対比される換喩(metonymy)・隠喩(metaphor)という比喩の二つの型は、ヤ−コブソンが記号行動の二本の軸である「連辞 syntagme 」(ある発話の中で結合される語の横の連鎖にかかわる)と「範列 paradigme」(語形変化表に通じ、語の縦の選択にかかわる)にそれぞれ対応させて使用したことに依っている。ヤ−コブソンによれば換喩的な言説を支えるのは隣接関係であり、隠喩的な言説を支えるのは類似関係である。/ところで瀬戸賢一(『レトリックの宇宙』,海鳴社)はこのヤ−コブソンによる隣接性の用法が「倒錯的」であるとし、これを重層的な現実世界(仮想された世界を含む)の時間的・空間的な隣接関係に基づく転義と概念操作の領域である意味世界での「類−種」の包含関係に基づく転義とに分割し、前者を換喩、後者を提喩(synecdoche)と定義している。瀬戸は「提喩と換喩は、互いに異なった世界に属しているために、直接的な交渉を持つことができず、もし交渉を持つ可能性があるとすれば、隠喩を経由した間接的なものにならざるを得ないのではないか」とし、隠喩が意味世界と現実世界の境界上に存在し両世界の橋渡しをするものであることを指摘している。/ここで明らかにされたのが「言語表現およびその基礎となる私たちの認識を支える上でもっとも重要な役割を果たす三つ組を構成する」三種の比喩の位置関係(トライアド)であり、瀬戸はさらにパースの記号の三分法と組み合わせて「換喩=指標記号(index)=隣接関係」「提喩=象徴記号(symbol)=包含関係」「隠喩=類似記号(icon)=類似関係」という対応を導き出している。》

 瀬戸氏がいう包含関係がD.ヒュームの因果性と相同なものであるとすれば、ここに「物質的実体=換喩=インデックス=隣接関係(現実世界、仮想世界)=道徳」「神的実体(公理的世界)=提喩=シンボル=包含関係(意味世界、概念世界)=宗教」「精神的実体=隠喩=イコン=類似関係(現実世界と意味世界の媒介)=芸術」といった対応が成り立つことになるのかもしれない。

 私としてはぜひそこに第四の比喩形象として逆喩(oxymoron)かケネス・バーク由来のアイロニーを、第四の記号として仮面(mask)かベンヤミン由来のアレゴリーを導入して、瀬戸氏がいう現実世界と意味世界を媒介するもう一つの契機──超越論的なものではなく、その対極にある(トランスフォーメーショナルな? 物質貫通的な?)契機──を加えた四つ組(テトラド)を完成させたいと思ってきたし、そのための突破口が古代フィリオクエ論争や中世普遍論争やフェリックス・ガタリの『分裂分析的地図作成法』あたりにありそうだと睨んではいるのだがこれは見果てぬ夢かもしれない。さらには未知の項を導入して四次元世界でしか表示できない五つ組(ペンタド)を発見してもみたいと長年思いをめぐらせているのだけれど、もはやそれは火を吐く龍や翼の生えた馬のごとき譫妄・錯乱のなせる所業でしかない。

[補遺2]
 松野孝一郎氏は『生命記号論』(青土社)の「訳者あとがき」で著者ジェスパー・ホフマイヤーはパースの記号論が単に形而上学や哲学だけでなく物質世界にも通用することを新たに発見したと述べている。

《物質世界、あるいは経験世界に目を向けたとき、特に不都合がない限り、われわれは原因と結果でものごとを説明しようとする。ことを荒だてなければならない事態は何もないかに見える。そうではあるが、パースは原因−結果をそれとして見定めたのは一体誰なのかを問い質すという、思いもよらぬ破天荒なことをし始めた。これは言われてみれば、まことにもっともな問いかけであることがよく判る。原因−結果をそれとして見定めるのがわれわれ人間だけであるとすると、われわれが居なければ、物質、経験世界は動かないことになる。しかし、われわれがこの地球上に現れて来たのは極く最近の数十万年のことでしかない。だがわれわれの祖先の人類が出現するに至るまでの気の遠くなる程の間でも、やはり同じように原因−結果の連鎖を介してものごとが進化して来たとするならば、この原因−結果をそれとして受けとめてきたのはわれわれではない。われわれ以外の誰かである。その誰、とは一体誰なのか?》

 松野氏によれば原因−結果をそれとして見定めることが出来るものとは経験世界の内部に住み観測を行うことが出来るもの、すなわち「内部観測者」である。──私にはいまだにこの内部観測のアイデアが判然と理解できてはいないのだけれど、D.ヒュームが思考をめぐらせた文化システム(道徳・芸術・宗教)の内部に住み観測を行うことが出来るものとはいったい誰なのだろうと考えることはスリリングな経験をもたらしてくれるのではないかと漠然とながらそう思う。


【355】ヒューム熱(5)

 D.ヒュームの「思考の迷宮」(クレソン)の奥深く踏み込むこともなく近傍を漂流している。ヒューム熱はこのまま私の脳髄に浸潤していって体熱と分かち難く潜伏することになるだろう。このあたりでひとまず切り上げることとして、最後に「ドゥルーズによるヒューム」から印象に残った事柄をいくつか覚書程度に粗描して筆を擱く。──合田氏の文章はたとえば『レヴィナスを読む』もそうだったけれど、そして赤間啓之氏や郡司ペギオ−幸夫氏などの文章がもたらす印象ともどこか類似したところがあると思うのだが、細部に織り込まれた咀嚼しきれない大切な事どもがいつまでも原形のまま結像しない語彙群として頭の中に残って時折間歇的に私の思考を撹乱する。(これらとはかなり趣が異なるもののそれはドゥルーズ/ガタリの文章にも接続しうるところがあるように思う。高速道路を移動している時や大群衆が犇くスクリーンを眺めている時のような、剥き出しの構造か積分された時間とでも表現できるものを垣間見ている感覚。「情念化した想像力」=「重力化した光」がもたらす速度感覚!)──だから以下の未編集の断片はヒューム熱再発のあかつきに解かれるべき個人的なメッセージでしかない。

 その一、貨幣。《ヒュームの経済理論の本質的でほとんど唯一のテーマは、次のことを指摘するところにあるとあると言ってよい──通常は貨幣の量に由来するとみなされている諸結果は、実際には他のいくつかの原因に依存しているということである。そこにこそ、そうした[ヒュームの]経済学における具体的な理念、すなわち経済活動はひとつの質的な動機づけを折り込んでいるという理念がある。》(『経験論と主体性』第2章)──その二、超越論的経験論。虚構的な原因性。合田氏は書いている。《私たちは、課税体系に象徴されるような贈与と交換の日々を刻々生きている。》《ヒュームのいわゆる経験論の最大の逆説は、それが、経験的所与によっては認識は説明されないという点を明確に認めた点にある。(中略)ヒュームの経験論は、感性的経験の所与からのいわば超越を語る、そのような経験論である。》──その三、正義論。合田氏は「正義論の解体と構築」がドゥルーズの終生変わらぬ課題であったと自らの確信を語っている。《つまり、経験に先立つ超越論的な「正義・公正」の法則、それが「システム」の法則なのだ。》(『レヴィナスを読む』)──その四、グッド・ヒューモアの哲学者ヒューム。

 個人的な註記。グラムシはマルクスが『聖家族』でフランス語の「平等」はドイツ語の「自己意識」に置換可能だといった趣旨のことを述べたのを踏まえて、カントが神様の首を刎ねロベスピエールは国王の首を刎ねた云々と書いているらしい。ドイツ観念論の抽象的言語、フランス社会主義の直観的言語、イギリス経験論の…、(アソシエーショニズム=「可能なるコミュニズム」とヒュームの観念連合…)、そしてイタリアの…。こうして私のヒューム熱は──ベンヤミン菌が欠けた器の破片を接合しそしてまた解体する作業を永劫に反復するのに対して、またパース病がたとえば写真、映画を通じてベンヤミンとドゥルーズに転移していくのに対して──システムと関係と構造を経由して感染し拡散していく。

[補遺1]
 自殺について。《まず、認識の世界においては、奇蹟は、以下のように矯正に服する。すなわち、[奇蹟の]証言から引き出される明証性は、経験を後ろ楯にしており、だからこそ、計算可能な確率[見込み]へと生成する。つまり、その明証性は、引き算における二つの項の一方となり、それとは反対の明証性が、引き算における他方の項となるということだ。次に、文化においては、つまり道徳的世界においては、矯正規則のおかげで、例外は[本質と]混同されることはなく、そのかわりに、経験に関するひとつの理論がつくられて、例外はそれとして認められ、理解されるようになる。その理論においては、起こりうるすべての事例が理解可能性の規則に出会い、知性のステータスのもとで整理される。ヒュームは、『自殺論』のなかで、例外に関するその理論の一例を、次のように分析している。自殺は、《神》へのわたしたちの義務に対する侵犯ではなく、社会へのわたしたちの義務に対する侵犯でもない。自殺は、「家を建てる能力と同様に不敬虔ではなく」、例外的ないくつかの事情において利用すべき人間的能力である。例外は、《自然》の一目的へと生成する。》(『経験論と主体性』第4章)

 ウィトゲンシュタインは「草稿1914−1916」を次の言葉(1917年1月10日付)で締めくくっている。《自殺が許される場合は、全てが許される。/何かが許されない場合には、自殺は許されない。/このことは倫理の本質に光を投じている。というのも、自殺はいわば基本的な罪だからである。/そして人が自殺を研究するとすれば、それは、蒸気の本質をとらえるために水銀蒸気を研究するようなものであろう。/それとも自殺もまたそれ自身では善でも悪でもない、とでもいうのか!》(奥雅博訳,大修館書店)

[補遺2]
 奇蹟の証言について。富岡幸一郎氏は『使徒的人間──カール・バルト』で《預言者や使徒たちに始まる、この人間像[使徒的人間]こそ、むしろ、これからの時代の新しい人間像となり得るのではないか》と書いている。──《イエスについての知らせ、イエスの言動と奇跡、その十字架と死からのよみがえり、教会の存在と秩序についてのイエスの中で啓示された神の意志についての知識を、それら全てを最初に受け止めた人間の手から、忠実に、変えたり、減少させたりすることなく、次の人間の手へと、後代の者たちの手へと、順を追って伝えてゆくこと──自分のオリジナルな思想や自分の感情を語るのではなく、イエス・キリストにあって生起した出来事の本質だけを、後の者たちに宣べ伝えること──この使徒の奉仕の特徴を示す言葉として、新約聖書は「引き渡し」という用語を使う。使徒とは、まさにこの「引き渡し」を行なうために「空洞を露呈する人間」として、そこに立つ。この一点の活動において、歴史に関わる。》


【356】ヒューム熱(余録1)

 第一次世界大戦の本質はいまだ解明されていない。ある書物にそう書かれていた。桜井哲夫氏も『戦争の世紀』(平凡社新書)でこの戦争はヨーロッパ社会に根底的な変化をもたらし「精神の危機としての二◯世紀」を生み出したのであって、われわれを拘束し続ける今日の政治的問題へとつながる決定的な出来事であったにもかかわらずそもそも誰もが納得しうる戦争勃発の決定的要因ですら定まっていないのが実情だと書いている。《つまり、諸国間が織りなしている様々な関係の網の目が、いつしか機能不全となって切断されるに至ったのだ、と考えるほかはないということだろう。誰もがこれほどの惨劇が生み出されることなど、考えてもいなかった。そして、おそらく、この事態を生み出した要因の一つは、二◯世紀が生み出した「速度」だと見なすことも可能である。》

 桜井氏はまた機関銃の出現が生み出した塹壕戦こそが第一次世界大戦で姿をあらわした近代戦の姿であり、《塹壕体験は新たな共同体(戦士の共同体)体験となり、その一体感(崇高なる沈黙の共有)が戦後のファシスト運動の基盤となってゆくのである》と指摘し、ひとり、この戦争が何を失わせたのかを的確に論じた人物がいた、それはヴァルター・ベンヤミンその人であるとして──ジョルジュ・ソレルとベンヤミンという二人の思想家の出会いの意味を「二◯世紀の政治的にして神学的問題をめぐる二つの傾向の対決の先取り」であったと規定した今村仁司氏(『ベンヤミンの〈問い〉』第三章,講談社)の議論を念頭におきながら──1933年に書かれた「経験と貧困」を取り上げている。

《「経験」の崩壊は、世代間の断絶を生み、人と人との間の関係を変化させ、「経験」や「文化的遺産」から切り離された無機質な文化を生み出し始める。第一次世界大戦は、国民総動員の名のもとに、どこを切り取っても等質で、固有の経験や文化を喪失した「国民」、すなわち、オルテガ=イ=ガセットの言う「大衆」、ハイデガーの言う「ダス・マン(世の人)」を生み出した。/かくて第一次世界大戦は、それ以前の社会や文化から世界を切断してしまった。以後の世界を特徴づけるのは、「痕跡」を消した文化である。ベンヤミンは、バウハウスの建築や作家シューアバルトが描いた移動可能なガラス住宅は、人が住んだ痕跡を消してしまうことに注目する。人の住んだ歴史(痕跡)が、一切残らない住居。それこそは、二◯世紀という、無機質な科学技術文化を発展させ歴史意識(経験)を消し去ろうとしてきた時代の象徴とも言えるかもしれない。/なればこそ、ベンヤミンは、歴史のなかで打ち捨てられてきた廃物、屑を収集し、死者の叫びを共有化する道を歩むことになる。おそらく、彼はそこに、第一次世界大戦における膨大な死者たちの存在を意識していた。だが、彼は、ドリュ=ラ=ロシェルやマルセル・デアとは異なって、塹壕共同体の「死者への崇拝」から政治的崇高性(民族と祖国のために死ぬ)へと向かう回路を切断し、民族や国家を越える(「法を越えて」)、つまり近代国家を越える道を模索し続けることになるだろう。》

 私は第一次世界大戦の「本質」が問われ始めたのは坂部氏が「哲学にとって大きな変革期、あるいはすくなくとも大きな変革期をおもわせる予兆をすくなからずはらんだ時期」と規定した1960年代という時代だったのではないか、そしてそこで問われたのは正義の、というより普遍的な意味での経済システムの問題だったのではないかと考えているのだが、それにしても坂部氏が例に挙げている『野性の思考』『言葉の物』(フーコー=第二のヒューム説!)『エクリ』『エクリチュールと差異』『正義論』等々の書物、そしてまた合田氏がフッサール由来の超越論的経験論という「奇形学[テラトラジー]に属する」観念に関連して──ベンヤミンの「経験と貧困」に触れた後で──ドゥルーズとフーコーとデリダとロールズに言及している箇所を読むにつけ、そこにまぎれもないD.ヒュームの「セントバーナードのような丸く陽気な顔」(ディドロ)が見え隠れすることに驚いている。

 ちなみに合田氏は《ヒュームならびにドゥルーズのヒューム論が現代正義論の相異なる潮流をつなぐ「失われた環」たりうる可能性を否定することはできないだろう》と書いていた。付言すればD.ヒュームと自己組織化との関係への合田氏の言及──《…寄せ集めからシステムへという自己組織化の過程、すなわち「習慣」の成立は、経験の反復よりもむしろ、いまだ経験されざるものとの「類似」に司られているのであり…》──は来るべき「経済システム」への予兆を示していると思う。

[補遺]
 T.E.ヒュームの「塹壕日記」から。《砲撃の合間には楽しまなくてはならぬ、そして、情勢は他のどの場合にも劣らずよろしいと、ロマンチックに空想しなくてはならぬ。場景を、揺れている野菜を、白い町を、その他すべてのものを眺めてみると、それは一種仏教的に全く無時間のように思われる。そして、殺されようとしているにしても、すっかりあきらめがついて、そっくりそのままにして去ってゆくことができるように、感ぜられる。》(『塹壕の思想』)

 ウィトゲンシュタインの日記(1916年7月16日付)から。《昨日私は砲撃を受けた。私はおびえた! 私は死の恐怖でおびえた。いま私には生きようとする欲望がある。生を一度受けたら、それを放棄することは難しい。これがまさに〈罪〉であり、非理性的な生であり、間違った人生観だ。私は時折動物となる。このとき食べること、飲むこと、眠ること以外の何も考えない。恐ろしいことだ! それにこのとき私はまた動物のように、内的には救済の可能性がなく、苦しむ。このとき私は情欲と嫌悪に身を委ねている。このとき真の生を考えることができないのだ。》(レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン1』岡田雅勝訳,みすず書房)


【357】ヒューム熱(余録2)

 ジョルジュ・バタイユは『呪われた部分』(生田耕作訳,二見書房)第一部の「過剰エネルギーの破局的消費として見た戦争」の節で次のように書いている。《工業生産の余分が近代戦争の、特に第一次大戦の淵源にあるという見方はときおり否定される。しかしながら両次大戦がそれぞれ発汗したものはこの余分であり、それらに異常な熾烈さをもたらしたものはその夥しさである。》

 つまり戦争もまた経済学の、ただし「普遍経済学」のテーマであるということなのだが、ここで私が想起しているのは先に第一次世界大戦の本質云々で触れたある書物に総合的な「経済システム」はまだ誕生していないと書いてあったことだ。このある書物とは『ボランタリー経済の誕生』(実業之日本社)のことで、共著者の一人金子郁容氏は同書のキー・コンセプトである「ボランタリー・コモンズ」(自発する公共圏)について次のように述べている。

《ボランタリー・コモンズは、イメージでいえば、インターネット/ネットワークと伝統的地域共同体を重ね合せたものである。これらふたつは、一見するとまったく反対の方向性をもっているようで、情報についてはかなりの共通点がある。いずれの場合も、情報の伝わり方は、契約関係や上下関係によるものでも経済関係だけによるものでなく、基本的には自発的な情報が互いに誘発して伝わってゆくからである。また、情報は共有され、それが組織体の共同知として蓄積される。企業間の競争を基礎に置く市場経済システムにおいては、情報の独占が経済活動のエンジンであるから、システム全体としての共同知は形成されない。伝統的地域共同体における共同知は、いいつたえであったり、しきたりであったり、祭のやり方であったり、伝説、童謡、民話などといった形で残される。インターネットで試行錯誤的に作られてきた通信プロトコルのデファクト標準が共同知の典型例である。》(http://www.hotwired.co.jp/matrix/9709/3_2.html)

 ここに出てくる「共同知」は「黙契」にかかわるものだと私は考えていて、その意味するところは合田氏の次の文章に尽きている。──契約と隣接と換喩と指標記号、制度と因果性と提喩と象徴記号、黙契と類似と隠喩と類似記号。(そしてアイロニカルな第四の次元あるいは第四の言語ゲームとは?)

《ただ、人為的であるとはいえ、正義の起源はヒュームにとっては「約束」や「契約」ではない。もしそうなら、いつでもそれを解消することができるからだが、「正義」という「モラル・センス」(道徳感情)は、ボートを漕ぐ複数の人間が水の流れと格闘しながらおのずとそれぞれの漕ぎ方を掴み、それが相乗的な協働となる場合と同様に、「共通の利害に関する総対的センス」であって、それをヒュームは「黙契」(convention)と呼ぶ。ドゥルーズはいわゆる社会契約論とこの考えとの相違を強調し、『本能と制度』では、「有用性は制度を定義するのに十分か」「制度は本能によっては説明されない」という小見出しのもとにヒュームの言葉を引用している。/のみならず、サド的「契約」(contract)とマゾッホ的「制度」(institution)との対比のなかでも、「黙契」をめぐるヒュームの考え方が応用されているのだが、契約や約束をも支えるこの「黙契」それ自体がいかにして形成されるかという点については、ヒュームは「おのずから」としか答えていない。そこに、「前提なき帰結」(ブランシュヴィックがスピノザについて語った言葉)を看取し、それをドゥルーズの「帰結・効果の哲学」に結びつけることもできるだろうが、と同時に、「黙契」のいわば脱構築こそが私たちに課せられた最大の課題のひとつであるとも言える。そこに、根源的な意味での「信頼」の何たるかが掛かっているのだから。》

[補遺]
 合田氏の解説から。グラムシの弟子で経済学者のピエロ・スラッファはケインズとともにD.ヒュームの『人間本性概要』と題された匿名の小著を編集・出版し、アダム・スミス作とする定説を覆えしたのだが、ウィトゲンシュタインが『哲学探究』の序で「長年の間絶え間なくわたくしの思想について行なってくれた批判のおかげを蒙っている」と謝辞を捧げたのがこのスラッファであった。──こうしてD.ヒュームは(経済学者を介して)ウィトゲンシュタインへとつながっていく?