魂脳論



【326】哲学の終焉?

 西暦二千年一月三日付け読売新聞の第一面に掲載されていた利根川進氏との対談で、「もし脳が神経細胞の集まりにすぎないとしたら、哲学や宗教の役割はどうなるのでしょうか」との記者の質問に対して、フランシス・クリック氏は次のように答えています。

クリック──二つに分けて考えましょう。まず、哲学者が一般の人々に与えた影響はそれほど大きくない。大半の哲学者は何を議論しているかをわかりやすく一般人に説明することができなかった。一方、宗教の影響は非常に大きい。だから、まず哲学のことは忘れ去るべきでしょう。
利根川──公平を期せば、自然科学も哲学から生まれた。ただ、クリック博士の言う通り、宗教は別の問題でしょう。
クリック──宗教について言えるのは、(脳の解明が)何らかの影響を与えるだろうということだけです。それが何かは、科学が結論を出すまでいえない。ただ、大半の宗教はこれまで、宇宙の規模や年齢について間違っていました。

 クリック博士の回答も利根川博士の発言も、そもそも質問それ自体からして、趣旨はなんとなくわかるような気がするのだけれど、よくよく考えてみると結局何がいわれているのか私には理解できなくなった。

 限られた紙面に圧縮された文章では、発言のニュアンスも広がりも深さも、対談の場に立ちこめていたはずの了解事項も消去されているには違いないでしょうし、もしかしたら何か読み違えをしているのかもしれませんが、それにしてもちょっと乱暴な議論なのではないかと思います。

(あるいは、哲学や宗教と自然科学との関係をめぐって、とりわけ人間の心や意識をめぐる自然科学的探究との関係をめぐって、私などの想像を絶した西欧固有の歴史的経緯や現実的な事情が、クリック博士の発言の背景にあるのかもしれません。)

 そもそも、脳科学が人間の心や意識の「謎」を解明できたとしても──それはそれで凄いことで、私などはその日がいつかくることを胸踊らせながら確信しているのですが──、だからといってなぜ哲学や宗教の「役割」がどうこうといった議論が出てくるのかが理解できないのです。

 私などはむしろ、人間の心や意識の「謎」が科学的に解明されてこそはじめて、純粋な意味での哲学の問題が鮮明に浮かび上がってくるのではないかと考えています。

(宗教の問題はここではひとまず措きます。ただ、「大半の宗教はこれまで、宇宙の規模や年齢について間違っていました」とクリック博士がいうとき、間違ったかどうか、そもそもどういう種類の間違いだったかをいかなる土俵で判定するのかがまず問題で、土俵のとりかたしだいでは、科学だってこれまで間違ってきたといえるのではないか、とだけ述べておきます。)

 たとえば、講談社の『本』(1999.5)に掲載されていた「エーコとドゥルーズをくぐり抜けて」という文章で、篠原資明氏は、ベルクソンが唱えた「実証的形而上学」にふれながら、形而上学の原義は「自然学を踏まえる」という意味も含んでいるのであって、解釈と実証が相伴わなければ哲学の名には値しない、つまり、自然学が変われば形而上学も変わらなければならない、と書いていました。

 その意味では、西欧古代から中世にかけての膨大な形而上学的思索、とりわけ新プラトン主義を源流とする神学思想には、これからの脳科学がブレイクスルーを起こすための重大なヒントが隠されているのかもしれません。なにしろアインシュタイン級の天才たちが一生を費やして神あるいは無限をめぐる思弁にふけっていたわけですから。

(ちなみに、寺田虎彦は「ルクレチウスと科学」で、人間精神の本性を論じた『物の本質について』第三巻をめぐって、「今から百年二百年後の精神物理学者が今の私のような立場でこの巻を読めばあるいは、この巻において最も興味ある発見に出会うかもわからない」と書いています。)

 人間の心や意識の「謎」が科学的に解明されるということが、そのような哲学者たちの思考の実相をもまた明らかにすることであるのだとすれば、そして、だからこそ哲学の「役割」を云々する意味があるのだとすれば、人間の心や意識の「謎」を解明する科学的探究や科学者たちの思考そのものの実相もまた解明されるわけであって、そうすると科学もまたその「役割」を云々されなければならないでしょう。

 クリック博士の議論は、何やら空手形を思わせるところがあって、養老孟司氏の言葉を借りるならば、考えているのは自分の脳なのだということを忘れた議論なのではないかと私は思います。

 補遺。「純粋な意味での哲学の問題」の一例──いや、唯一の例かもしれません──を、永井均著『〈子ども〉のための哲学』から引用しておきます。

 永井氏は、反省意識のはたらき方に眼を凝らすことによって発見できるものは、他の人がその人自身の反省意識のはたらき方に眼を凝らしたときに発見できるものとたいていはまったく同じものだと述べ、そのような自己意識や自我といった問題とは別の特別な意味での「ぼく」を〈ぼく〉と表記している。

<ぼくがぼくであるという特別な意味でのぼくが、この世にいない場合でも、かれらはみなそれぞれ「ぼく」である。そのときいないものこそが、ほんとうの意味でのぼくなのだ。>(51頁)

<それでは〈ぼく〉とは何か。それは説明不可能なものであるにちがいない。各人が持っている自己意識とか自我とかいったものについてなら、現在でも心理学や何かが説明を与えているだろうし、近い将来、大脳生理学か何かが、すべてを解き明かしてくれるかもしれない。でも、どんな学問も〈ぼく〉についての解明を与えることは絶対に不可能だ。なぜなら、そこには法則性というものがないのだから。

 たとえば、ある特定の大脳状態がある特定の意識状態をつくりだしている、ということが発見されることは、おおいにありうることだし、現に発見されてもいるだろう。でも、ある特定の性質の集まり(大脳状態であろうと何であろうと)が〈ぼく〉をつくりだしているということが発見されることは、絶対にありえない。ある人間がかくかくの物理的性質を持っていれば、その人間はしかじかの精神的性質を持つ、ということ(が発見されるということ)はありうるだろう。でも、ある人間がかくかくの性質(物理的であろうと精神的であろうと)を持っていれば、その人間は〈ぼく〉になる、ということ(が発見されるということ)はありえないのだ。なぜなら、〈ぼく〉にはただひとつの事例しかなく、同じ種類の他のものが存在しないからである。[中略]〈ぼく〉の存在はひとつの〈奇蹟〉なのだ!>(57-58頁)


【327】「魂脳問題」序説

 心身問題と心脳問題とは、もちろん密接な関係があるのだけれど、実は微妙かつ決定的に異なる種類の問題なのではないか、というテーマをめぐってしばらく考えてみます。(といっても、私の場合、ラドクリフ=ブラウンをもじっていえば「考えるから書くのではなく、書くから考える」のであって、だから何か成算があっての試みではありません。)

 身体は身[み]と体[からだ]の合成語であるが、これらの概念上の区別について『岩波古語辞典』(大野晋他編)の説明をみてみると、「生命のこもった肉体」を「み」といい、「生命のこもらない形態としての身体」を「からだ」という。──これは鎌田東二著『身体の宇宙誌』(講談社学術文庫)の「まえがき」からの請売です。

 鎌田氏は続けて、「からだ」というときの「から」は「殻・枯」などと同語源であるとされるが、そうすると「生命のこもらない形態としての身体」とは屍体のことだろうかと述べ、さらに、実は「生命」という語もやっかいな言葉なのであって、「セイメイ」と音読みする場合は生物学的な生きているものを意味するが、「いのち」と訓読みした場合は「息[い]の霊[ち]・血[ち]・乳[ち]・風[ち]」として魂の要素を含意している、と書いています。

 これらをヒントにして、私が思いついた「命題」は次のとおりです。まず、心身問題とは実は「身」と「体」の関係をめぐるもの、つまり生命現象に関する問題であり、より具体的にいえば、生物の「かたち」をめぐる情報処理過程とその「はたらき」をめぐる運動の問題である。あるいは、人間社会における心身問題とは屍体処理(埋葬)の問題である。

 これに対して、心脳問題とは「いのち」と「セイメイ」の関係をめぐるもの、つまり生命過程を超過する意識に関する問題であり、より具体的にいえば、心=脳がつくりだす「現実」世界や言語世界などの時空構造の問題である。あるいは、人間社会における心脳問題とは死者の「魂」の問題もしくは「祈り」の問題である。

 もっとも、これらは私の勝手な言葉の使い方と問題意識(あるいはその欠如)によるものにすぎず、まったく汎用性はありません。たとえば、いま述べた意味での心身問題とは、生命現象を伴う物質過程はいかなる法則のもとに稼働するか、あるいは精神的現象はいかなる生物学的・生理学的な機序のもとに身体と相関するかを問うものであって、これは純粋な科学の問題です。

 ひとつ補足しておくと、まだそう断言するだけの自信はありませんが、私は、自然科学者が取り組んでいる「心脳問題」(精神現象悉皆即脳神経細胞網過程随伴説の実証?)はほぼこの範疇に入るものではないかと思っています。(ちなみに、この領域でいま私がもっとも関心を寄せているのは、胎児の記憶や出生記憶、細胞や身体に宿る生命記憶、といった事柄です。)

 結局、私には哲学上の心身問題の意味がよく解っていない、というよりそれは(いまのところ)私の問題ではないということなのだろうと思います。たとえば、金沢創氏は『他者の心は存在するか』(金子書房)で、「心身問題の謎とは、物理的世界の中になぜゆえあるものに心が存在し、また別のものは単なる物質であるのか、ということ」だと規定しています。

 そして、このような心身問題はニセの問題である、というのも、生命体の形式から発想していくならば、まず心(感覚情報)があって物質とはモデルにすぎない(「唯心論」ならぬ「唯感覚情報論」)のだから、なぜ物質から心(感覚情報)が生み出されてくるのかという問いは実は転倒しているのだ、と書いています。

 私は(いまのところ、ほぼ完全に)金沢氏が展開した議論に説得されています。というより、それはそういうことになるだろうと、もともと漠然と(言語化するまでの差し迫った必要は感じずに)そう思っていたから、金沢氏の切れ味のいい叙述に接して得心したというのが本当で、そもそも物理的世界になぜ心が存在するのか云々といった事柄にはなんら「問題」(不可思議)を感じていなかったというのが実態です。(むしろ「心」よりも「物質」の存在が、私にははるかに不思議です。たとえそれがモデルであったにしても。)

 これと比べると、先に自己流に定義した意味での心脳問題、端的にいえば「魂」の問題の方が私には不可思議、つまり私の思考の限界点(あるいは臨界点)を指し示すものなのです。

 最近、旧著が三冊、相次いで文庫化された「戦う哲学者」中島義道氏が、心身問題は時間問題である、といっています。心身問題のモデルは過去と現在との時間関係であり、具体的には過去の出来事を現在想起することである、というのです(『「時間」を哲学する』講談社現代新書)。こういうことなら、私にも納得がいきます。そして、中島氏のいう時間問題こそ、私が考えるべき心脳問題と相同であると合点がいきます。

 最後に、魂の問題をなぜ心脳問題というかに関して、池田晶子氏の文章を二つ引用しておきます。

《唯脳論は、唯心論を唯物論的に語るための方法である。心が先なのでも物質が先なのでもない。「脳」ということでお話しを始めれば、それはどちらの側からも語られ得るということを示す方法である。あれは唯脳法である。どうも皆そのへんをよくわかってない。あれは、脳という物[ブツ]を唯一であるとする唯物論か、あるいは科学になりそこねた唯心論だと思っている。》(『メタフィジカル・パンチ』文藝春秋)

《解剖学者の養老孟司氏はずるいから、物[ぶつ]で語れる強みがあるから、…「人によって実在感が違うのは、その人の脳の癖である」というふうな言い方をなさる。実在感を求めるのは、我々の脳の癖なのであると。
 しかし、私はお尋ねしたい。「癖」という言い方をするからには、偏倚のない模範的な脳が想定されていなければならない。しかし、脳とは本来そのような癖をもって脳であるなら、「癖のない脳」とは、そも不可能なはずだろう。したがって、「脳の癖」という言い方は、畳語でしかないだろう。それなら、人によって実在感が違うそのような癖をもっているのは、脳でなければ何なのか、「唯脳論」としては、どのようにお答えになられるのか。「脳の癖なのである」というあの言い方が氏によって為されるとき、ははーん、また養老氏の癖が出た、と私は思う。あれは、脳味噌に実在感を覚える養老氏、その〈魂〉の癖なのである。私は氏が「脳」と言うとき、常に半分は〈魂〉の意で、聞いている。》(『魂を考える』法藏館)


【328】書物と墓

 晩年の講演録『ボルヘス、オラル』(木村榮一訳、水声社)に収められた「書物」の冒頭で、ホルヘ・ルイス・ボルヘスは「書物は人間の作り出したさまざまな道具類の中でももっとも驚くべきものである」と述べています。望遠鏡や顕微鏡、電話、剣その他の道具がそれぞれ眼、声、腕といった人間の体の一部を拡大したものでしかないのに比べると、書物は「記憶と想像力」が拡大延長されたものである点でこれらとはまったく性質を異にしているというのです。

 ボルヘスは続けて、シュペングラーの『西洋の没落』に準拠しつつ書物の歴史を概観しています。驚くべきことに(とボルヘスは形容している)ピタゴラス、プラトンなど古代の人々は書物を口頭で言われた言葉の単なる代替物と見なし、現代人のようにこれを崇拝することはなかったのだけれど、やがて古典古代人にはまったくなじみのない新しい概念が東方から持ち込まれることになった。

 すなわち、聖霊によって書かれた書物(「書物の民」の場合)や天地創造以前に書かれた母なる書物(イスラム教の場合)という概念である。しかし、こうした「神聖な書物」への崇拝の念もやがて弱まり始め、それに代わるさまざまな信念が生まれてくるようになった。時代的に新しいものとしては「個々の国は一冊の書物によって、もしくはひとりの作家によって代表される」という考えがそれである。

 ここまで読み進めてきて私は、以前読んだ二冊の書物に出てくる印象的な叙述を想起していました。まず池田晶子氏は『魂を考える』(法藏館)に収められた「〈魂〉の感じ方」の中で、小林秀雄の「様々なる意匠」から「或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだ」云々という文章を引用して、ここで小林が論じている唯一の「真実」とは〈魂〉のこと、すなわち「ある人を他の人ではなくその人たらしめている当のもの」にほかならないと指摘しています。そして「作家もしくは作品とは、とりも直さず、〈魂〉である」と述べているのです。

 この池田氏の文章とボルヘスが「書物」の最後で述べた言葉(「古い書物を読むということは、それが書かれた日から現在までに経過したすべての時間を読むようなものである」)を組み合わせるならば、「書物とは魂の異名である」とでもいうべき命題を導くことができるのではないかと私は思い至りました。

 もっとも、池田氏がいう〈魂〉とは個別かつ物体としての肉体や非物体かつ非人称の精神とは異質な存在なのであって、神聖な書物や一国を代表する書物のうちに拡大延長された集合的な「記憶と想像力」はこれとは異なるものではないかと思われるかもしれません。しかし、ボルヘスが「一冊の書物の中でもっとも重要なのは、その作者の声、われわれに届く作者の声なのである」というとき、あるいは次のように述べるとき、そこで語られている「書物」とはまさに池田氏がいう〈魂〉そのものだと私は考えています。

《一冊の書物を取り上げてそれをひもとく、その行為のうちには、芸術的行為の可能性が秘められている。書物の中に眠っている言葉とは何か? 死んだ象徴とは何か? それらは何ものでもない。書物は、それを開かない限り書物ではないのだ。紙と皮でできた、間に頁のある箱型の直方体でしかない。だが、それをひもとくと、意外なことが起こる。わたしの考えでは、書物はその度に変化するのである。》

 次に養老孟司氏の『身体の文学史』(新潮社)。著者はここで「世界は表現だ」と述べています。表現を創り出すのはいうまでもなく意識です。意識ははかないもので、そのはかない意識を保存するものこそ、意識が外部に創り出す表現なのだというのです。文学、絵画、音楽、法律、制度、都市、それらはすべて意識の表現であって、意識が自らを外部に定着させる手段である。

《意識のそうした定着手段、それはかならずしもたがいに排除するものではない。ただし、たとえば都市と文学はなぜか矛盾するらしい。秦の始皇帝は万里の長城を築くが、焚書坑儒を同時に行う。立派な建造物は必要だが、本はいらないというのである。始皇帝陵の発掘で知られる驚くべき規模の遺跡は、建築型の意識の定着法と、文字型の意識の定着法とが、たがいに抗争することを示すように思われる。西方では、エジプト人のピラミッドと、ユダヤ人の旧訳聖書の差を思えばいいであろう。どちらを採るか、そこにはおそらく無意識が関与しているに違いない。》

 意識の表現としての都市と文学、意識の定着法としての建築型と文字型──視覚型と聴覚型、というより知覚(パーセプション)型と想起(コンセプション)型──の抗争。私はそこに記憶の媒体にして異界・他界・超越的世界との媒介者たる建造物、とりわけ「墓」(ピラミッドがまさにそうであった)と「書物」との対応を見ることができるように思いました。そしてこれら二項の分岐に関与する無意識とは、実は「死」の存在と認識をめぐるものだったのではないかと。


【329】壷葬論

 さて、先に引用した箇所に続けてボルヘスは次のように述べています。《これはまだ誰も指摘していないと思うが、一国を代表する作家を選ぶ場合、どの国も奇妙なことに自国の典型的な人物を選び出していないようである。》

 たとえば、ものごとを控え目に言うことが模範とされている英国では隠喩を誇張して用いるきらいのあったシェイクスピアが、たちまち狂信的になるドイツではおよそ狂信とは縁遠い寛容な人物、すなわちゲーテがそれぞれの国を代表する作家と目されている。

 ボルヘスが見出した法則に従うならば、夏目漱石こそ(近現代の)日本を代表する作家にふさわしい人物だといえるでしょう。その漱石の作品のうちここでは『三四郎』から二つの場面を取り出して、これに「後の考察」のための素材を若干付け加えておくことにします。

 その一(第十章)。病気見舞いに訪れた三四郎の退屈を慮って広田先生は一冊の書物を貸し与え、友人との談話を続けます。《現代人は事実を好むが、事実に伴う情操は切棄る習慣である。(略)新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。ただ事実の報道として読むだけである。自分の取る新聞などは、死人十何人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書く事がある。簡潔明瞭の極である。》

 広田先生が語る「事実」と「情操」は『文学論』の有名な「F+f」の公式を思わせる興味深いものだし、広田宅を辞した三四郎が子供の葬式に遭遇して「美しい葬だ」と思い「夭折の憐れを、三尺の外に感じた」と叙述するあたりの漱石の筆の運びも気になるところなのですが、ここでは三四郎が往来の中で一節を読んだとある書物に注目します。その題名は「ハイドリオタフヒア」。十七世紀英国の医師サー・トマス・ブラウンが著した「壷葬論 Urn Burial or Hydriotaphia」のことで、以下は『三四郎』に引用されたその末節です。

《朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願なり。この願のかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法より視れば、この願もこの満足も無きが如くにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願にもあらず、望にもあらず、気高き信者の見たる明白なる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるは猶埃及の砂中に埋まるが如し。常住の吾身を観じ悦べば、六尺の狭きもアドリエーナス[ハドリアヌス]の大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ》

 養老孟司、斎藤磐根両氏の共著『脳と墓I』(弘文堂)は、諸民族に見られる埋葬法を分類して肉体保存、肉体消滅、自然回帰の三つの型に大別しています。ミイラ、火葬、土葬がそれぞれの代表例です。ここで面白いのは、肉体保存型はいつの日か魂が肉体に戻る「復活」、肉体消滅型は別の形もしくは来世で生まれ変わる「再生」への願望に基づいているとの指摘です。

《「復活」願望は形にこだわる。復活するのは、元の身体でなければならない。別の魂が入り込んでは困る。本人とはいえないからである。これに対して再生願望の方は、形にはこだわらない。再生する場所も元のところである必要はない。父祖の国であるか、この世であるか、極楽であるか、いずれにしても彼らが定めたところである。》

 またヒトはなぜ埋葬するのかとの問いに答えていわく、死者の交換のためであって、それは人間社会が脳内の交換システムを具現化して貨幣と女性と言語の交換系として作り出されたのと同断である。

《死者も交換される。どこの誰と交換されるのだろうか。それは彼岸の彼方とか、あの世とか、呼び方はいろいろあるが、この世から見た「あちら側」のまだ見ぬ世界の、そしてまだ見ぬ「存在」と交換することである。(略)死んでしまえば、単なる骨と蛋白と、脂肪の塊にすぎない死体は、交換されることで、それ自体価値をもつことになる。だから大事にする。その価値を後に、「魂」と呼ぶようになる。》

 それでは墓とは何か。死というのは実に奇妙なものだと著者たちはいいます。他人の死は具体的だが、自己の死は抽象的である。だから、ヒトの進化の過程で最初に起こった抽象化(シンボル化)はこのような具体と抽象をつなぐ性質を「具体的」に備えた死に関するものだったのではないか、そして墓はシンボルの中ではもっとも早期に出現したものではないかと。《ネアンデルタール人は、「埋葬」と「墓」で人間になったのである。》


【330】森の女

 その二(第十一章)。三四郎が「ハイドリオタフヒア」を返しに訪れると、昼寝から覚めた広田先生が夢の中で再会した女性の話を始めます。大きな森の中を歩いていると、生涯にたった一遍逢っただけの十二三の女が二十年前見たときと少しも変わらぬ顔と服装と髪でじっと立っていた。

《そうその時は何でも、むずかしい事を考えていた。凡て宇宙の法則は変らないが、法則に支配される凡て宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物の外に存在していなくてはならない。──覚めて見るとつまらないが夢の中だから真面目にそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に逢った。(略)僕がその女に、あなたは少しも変らないというと、その女は僕に大変年を御取りなすったと云う。次に僕が、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日が一番好きだから、こうしていると云う。それは何時の事かと聞くと、二十年前、あなたに御目にかかった時だという。それなら僕は何故こう年を取ったんだろうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しい方へ方へと御移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時僕が女に、あなたは画だと云うと、女が僕に、あなたは詩だと云った》

 広田先生が一種の臨死体験を、というより死者もしくは〈魂〉あるいは純粋記憶もしくは「再の我」との「再会」を果たした森は、深層意識のシンボルであり死者の霊魂が息づく場所であると相場が決まっています。ですから俗流夢分析は程々にしておいて、ここでは『ボルヘス、オラル』に収められた「不死性」から関連すると思われる素材をいくつか蒐集しておきます。

 ボルヘスは「死ぬ時は完全に死にたい、つまり肉体だけでなく魂も死にたいと考えている」と語っています。自我などは取るに足らぬもの、あらゆる人間のうちに内在する共有物である。だから「個人的」な不死性(「地上の出来事を記憶していて、他界にいても地上のことを懐かしく思いだす魂」)ではないもうひとつの「一般的、全体的」な不死性こそが必要なのであり、私は宇宙の不死性を信じていると。

《たとえば、ある人が自分の敵を愛したとする。その時、キリストの不死性が立ち現れてくる。つまり、その瞬間、その人はキリストになるのである。われわれがダンテ、あるいはシェイクスピアの詩を読みかえしたとする、その時われわれはなんらかの形でそれらの詩を書いた瞬間のシェイクスピア、あるいはダンテになるのである。ひと言でいえば、不死性というのは、他人の記憶のなか、あるいはわれわれの残した作品のなかに存続しつづけるのである。(略)重要なのは不死性である。その不死性は作品のなかで、人が他者のなかに残した思い出のなかで、達成されるものである。(略)音楽や言語に関しても、それと同じことが言える。言語活動というのは創造的行為であり、一種の不死性になるものである。わたしはスペイン語を使っているが、そのわたしのうちには無数のスペイン語を用いた人々が生きている。(略)われわれはこれからも不死でありつづけるだろう。肉体の詩を迎えた後もわれわれの記憶は残り、われわれの記憶を越えてわれわれの行為、行動、態度といった歴史のもっとも輝かしい部分は残ることだろう。われわれはそれを知ることができないが、おそらくはそのほうがいいのだ。》

 この最後の言葉を口にするまでにボルヘスは霊魂と肉体、不死性をめぐる哲学の歴史を手短に振り返っていて、そのなかでインドの「前生」の思想を取り上げています。われわれの生が前生に依存しているとすればその前生はもうひとつ前の生に依存しており、以下無限に過去へと遡行してゆくことになるけれど、時間がもし無限であるとすれば無限にあるもののひとつがどうして現在にまで辿りつけたのか説明できない。

 このパラドクスに対してボルヘスが与えた回答は、無限の空間に関してパスカルが述べたと同様のものでした。すなわち、時間が無限ならばその無限の時間はすべての現在を含むはずであり、したがってわれわれはいかなる瞬間においても時間の中心にいることになる。

《…今この瞬間は背後に無限の過去を、無限の昨日をひきずっており、その過去もまた今この現在を通り過ぎていると考えられる。空間と時間が無限であるとすれば、いついかなる瞬間にあっても、われわれは無限の線の上の中心に位置しているはずであり、無限の中心のどこにいようとも、空間の中心にいるはずである。》


【331】『三四郎』余録

 それにしても『三四郎』は興味尽きない作品です。広田先生の夢に出てきた「画」と「詩」をめぐる会話ひとつとってみても「パーセプション」と「コンセプション」の関係に準えて、あるいは小説の最後に出てくる文字通りの「画」とそのタイトル(「森の女」とマタイ伝由来の「迷羊(ストレイシープ)」)をめぐっていくらでも妄想をたくましくすることができそうです。

 そもそも題名からしてあれこれ深読みが許されるのではないかと(半ば本気で)私は思いを巡らせています。たとえばここに出てくる「三」と「四」は中沢新一氏が『バルセロナ、秘数3』(中公文庫)で述べた西欧思想史の二つの流れ、すなわちプラトン、デカルト、ニュートン、アインシュタインなどの「3の信棒者(トリニタリアン)」とピタゴラスやカント、ゲーテ、ショーペンハウアーといった「4の信棒者(クォータナリアン)」との「ねじれ」た関係を反映しているのではないか。

(そして、富士山をめぐる広田先生の議論や三四郎を取り巻く三つの世界、野々宮君の「光の圧力測定実験」等々の数々のエピソードは、都市と自然、西洋と東洋の関係、物理的リアリティと身体の関係といった問題群を示唆していたのではないか?)

《トリニタリアン的思考は「否定」の機能を(+、−)の対立として、考えようとする。つまり対立を、極性―対立(polar opposites)としてとらえ、論理表現化しようとするのだ。これにたいしてクォータナリアン的思考は、論理における否定の機能を相補的対立(complementary opposites)と考える。運動量(p)と位置(q)のふたつを同時に確定することができないように、おたがいが相手を内包しながら否定しあっているような関係である。
 「否定」の機能(これは最終的には、言語の象徴機能の問題である)には、はっきりとふたつのタイプが存在して、思想におけるふたつの流れをつくりだしてきたのだ。古典科学やその方法をバックアップしたデカルト的合理論は、その表現のなかに(+、−)タイプの対立だけを認めようとした。これにたいして、量子力学は別のタイプの「量子論理」にしたがって、物理的リアリティを表現しようとしてきた。(略)
 量子論理(Quantum Logic)は、通常の(+、−)論理に比較すると、おそろしく複雑な構造をもっている。これは量子論理が、アリストテレス的論理学の因果律(Causality)にしたがうことなく、たがいに内包しあう否定機能にもとづく「縁」の関係にあるリアリティを論理化しようとこころみていることに関係がある。その意味でも、これは東方的な超論理学(中観仏教、聖グレゴリオ・パラマスによって大成されたギリシャ正教神学、イスラムの天使学など)と、深い内在的関係をもっているのである。》

 明快な図式化はかえって物事の精妙な実相を見えなくする危険を伴いますが、中沢氏の議論は少なくとも漱石が考えていた科学と文学の問題を解くための有効な切り口になるものだと思います。

 ついでに付言すると、これも『身体の宇宙誌』「まえがき」で仕入れた知識ですが、出口王仁三郎は「ひ」(一、日、火、霊)が増殖・成長して「ふ」(二、増、殖)となり「み」(三、身)となり「実」をみのらせ「よ」(四、世、節)を形成すると語ったそうです。

 そうすると『三四郎』の「三」は「身」に「四」は「世」に通ずることになりそうですし、さらに悪乗りを重ねるならば「三」は「産」に「四」は「死」に通じ、いずれも「父母未生以前本来の面目」の問題(『門』)あるいは「生命記憶」の問題につながる?


【332】魂の存在様式

 本題にもどって、このあたりで(中間総括的に)整理をしておかなければならないことがあります。それは「魂」という言葉の意義です。これまでに三つの定義なり用法が出てきました。

 「ある人を他の人ではなくその人たらしめている当のもの」としての魂(池田)、あるいは「あちら側」の世界との交換において死体がもつ価値の呼び名としての魂(養老・齋藤)、そして「個人的」なものとしては死にゆき「一般的、全体的」なものとして(作品や思い出として)記憶される不死なる魂(ボルヘス)。さらに、キリスト教的文脈における無限(永遠)の時間の中心に位置すると思われる「再の我」としての魂(ブラウン)を加えてもいいでしょう。

 細かいニュアンスの差や本質的な論点の違いはさておいて、私はこれらすべてを包摂し一括するものとして「魂」をとらえることにします。これはもちろん随分と乱暴な議論です。個別と普遍、此岸と彼岸その他何重にも折り畳まれた細部に立ち入って慎重な腑分け作業を積み重ねていかなければ、到底そのような断定はできないでしょう。

(たとえばヘーゲルの論理学とはまさにそうした魂をめぐる思索を最後まで貫徹した異常なまでに強靱な作品であると私は常々考えているのですが、この「最後まで」という点が実は曲者で、そのように受け止めてしまってはヘーゲルの叙述の魅力は皆無に帰してしまいます。これはこれ以上展開できない、私の力量を超えた余談でした。)

 しかし魂の定義論は素通りして、先を急ぎます。魂のことなら実は誰でも知っている。もちろんそれは自我や自己意識などとは別の次元の話であって、僕はなぜ僕で君ではないのだろうと不思議に思ったり、文学作品に接して何かを感じたり、墓に向かって死者の名を呼び祈りの言葉を捧げた経験のある人ならみんな魂の存在を経験的に知っているからです。私はそう考えます。

 ひとつ補強しておきましょう。大澤真幸氏は「責任論」(『論座』2000年1月号)で、ドイツの戦争責任を論じたヤスパースが責任とセットになる罪をめぐって刑法上、政治的、道徳上の罪に加え、これらが前提とする積極的もしくは消極的選択とは無縁に成立しうる形而上の罪(たとえば戦争に居合わせて、他者が殺された今なお私が生きながらえている場合、私がまだ生きているということが私の罪=責任)の存在を指摘したことにふれ、現在なお責任の概念に意味を見出しうるのだとすれば、それはこうした観点での責任を視野に含めることでしか果たされえないだろうと述べています。

 大澤氏によれば、形而上的責任は固有名や日付が指示しているような「根源的偶有性」ゆえに現れます。ソール・クリプキが『名指しと必然性』で展開した議論に拠ると、『三四郎』を書かなかったとしても漱石は「夏目漱石」なのであって、「名」は性質の記述(「夏目漱石」は『三四郎』の作者である云々)に還元されない個体の同一性を、いいかえれば他でもあり得たという「偶有性 contingency 」――「必然性と不可能性の双方の否定によって定義できる様相(可能だが必然ではない)」――を帯びている。

 大澤氏はこのような意味での〈同一性〉と一体となった偶有性を「根源的偶有性」と呼び、たとえば先の阪神・淡路大震災で夫を亡くした女性の重い苦しみ(形而上的罪の感覚)を「この私こそが死者だったかもしれない」「あの日でなければ…」という根源的偶有性ゆえのものだと説明しているのです。

 大澤氏はさらにこのアイデアを人格の同一性をめぐる議論に適用しています。

《名前の伝達においては、積極的な記述は個体の〈同一性〉を逸しており、ただ、[他者による:引用者註]変更可能性が常に必然的に(同一的に)保たれているということだけが、個体の〈同一性〉を指示することができた。これと同様に、人格においても、個々の心理的連結に随伴する偶有性だけが、多様な心理状態を貫いており、人格に〈同一性〉の外観を与えているのである。もしそれを記述しようとすれば無であるほかない。名前が記述に置き換えられないように。しかしそれでも、この「無」が機能するのだ。》

 ここでいわれている事態、すなわち他者とのコミュニケーションにおいて固有名が指示する「根源的偶有性」や人格の同一性における「何もなさ」の次元こそ、私が考えている意味での「魂」の存在様式にほかなりません。


【333】魂の法則

 いまひとつ補強もしくは補足を加えておきます。赤間啓之氏は『分裂する現実』(日本放送出版協会)でストア派の転生なき輪廻思想を紹介しつつ、「われわれの世界観にコペルニクス的転回を導入する」平行宇宙の観念を論じています。

《彼らストア派の思想家たちは、自分たちの世界が「エクピュローシス」という「大火」によっていったんすべて消尽し、しかもその後、記憶も何も残らない形で、また正確に同じ別の世界が反復する、と考えた。宇宙は不壊であるが、そのもとで、世界は分裂する。(略)ストア派にとって関心があるのは、「別のもの」が「同じところにある」ということ――同一性への統合の論理――ではなく、「同じもの」が「別のところにある」ということ――分身化、あるいはテレポーテーションの論理――の方[である:引用者による加工]。ストア派の考えでは、輪廻によって転生はしない。厳密に同一な存在が別の世界で正確に反復するのである。》

 ここで興味深いのはストア派の死生観です。そこでは身体の廃滅後も魂は残存するのですが、その後に到来する「大火」によって結局は「リセット」されてしまうのです。このような「限定された不滅性」しかもたない魂では復活した世界において特定の人間の同一性を指示する論理は成り立ちません。

 赤間氏は、ストア派の思想にあっては「同一性の根拠は、複数の世界どうしの関係のうちにその在処を移している。複数の現実があって、同一人物なる存在が考えられているのであって、その逆ではない」と述べ、「同じ者が、違うところにいる」ストア的平行宇宙と「違う者が、同じところにいる」クリプキ的可能世界との決定的な違いを(前者のうちに「現実の分裂」に対する処方箋を見出しつつ)重ねて指摘しています。

《…「大火」は、世界の全面破壊に見えて、じつはけっしてそうではない。「大火」は、魂(言葉)が新しい世界への糧となって消滅する直前に、その物質的肯定性を輝かす、すぐれて建設的な契機なのである。これは、たしかにステレオタイプな神話かもしれないが、少なくとも「繊細さ」だけは失ってはいないだろう。いやむしろ、今日の世界において、深いアクチュアリティを獲得しうるものなのである。》

 ここにまた新しい魂の定義が出てきました。いわく、魂とは言葉である。書物は魂の異名だとか墓は最初のシンボルだといった規定と、これは同根のものです。魂が言葉であったなら、誰もが皆魂を知っているわけです。

 ここまで来れば、いっそ魂とは脳のことだったのだと言い切ってもいいでしょう。池田晶子氏が前出のエッセイで「養老氏が「脳」と言うとき、常に半分は〈魂〉の意で、聞いている」と書いていたように、「魂=脳」という公式を「常に半分は」正しいものとして受け止めていいでしょう。

 赤間氏の先の文章には、心脳問題あらため「魂脳問題」の数あるテーマの少なくとも一つ、それも最高度に難解なものが示されていました。平行世界の時空構造の問題です。それは「常に半分は」科学の問題であり、広田先生が夢の中で考えていた「物の外にある法則」(魂の法則?)をめぐる問題でもあります。

 こういった問題をめぐって(科学者ならぬ者が)考えていく上で『脳と墓I』に出てきた「復活」と「再生」の対概念は興味深いし、これに「創設」と「発生」の対概念を加えてみるともっと面白くなるのではないかと私は予想しています。

 一回かぎりの出来事である「創設」については、アレントのたとえば『過去と未来の間』(引田隆也・斎藤純一訳,みすず書房)に出てきます。

《共和制の開始から実質的には帝制の終わりにいたるまでローマの政治の中心には、ひとたび何かが創設されるとそれは以後すべての世代を拘束するという意味で、創設の神聖さに対する確信が揺らぐことなく貫かれていた。政治に携わるということは、何よりもまず、ローマの都を保ち続けることを意味した。それゆえ、ローマ人は植民地に移り住むにあたって、ギリシア人のように自らの母市たるポリスをあらためてその地に創設できなかった。ローマ人が為しえたのは、起源の創設に付け加えることであり、こうしてイタリア全体、挙句の果ては西洋世界全体が、さながら全世界がローマの後背地以外の何物でもないかのように、ローマを中心として統一され治められた。(略)このローマ的精神がもつ並外れた強靭さと持続性──あるいは政治体の創造にあたって創設の原理に寄せられたただならぬ信頼──は、ローマ帝国が衰退し、ローマの政治的・精神的遺産がキリスト教会に引き渡されたとき決定的な試練にさらされ、そして、その強靭さと持続性を身をもって示した。ローマの遺産の継承というおよそ現実的で世俗的な課題に直面することによって、教会はきわめて「ローマ的」となり、政治的事柄に関してすっかりローマ的思考に染まってしまったため、キリストの死と復活は一つの新しい創設の礎とされ、その上に途方もない耐久性をもつ新たな人間の制度が樹立されることになった。》

 また「発生」については、松浦寿輝氏が『折口信夫論』(太田出版)で次のように書いています。

《折口の「古代研究」とは、歴史の「外」、ないしその「前」をめぐる思考のことなのだ。「前」と言っても、歴史の内部における相対的な「前期」のことではなく、歴史そのものの手前に位置している何ものかのことなのである。折口の「古代」はかつて現実に存在した過去の一時代のことではないし、折口の「発生」は物事の起源に一度かぎり起こって無を有へと転ぜしめた歴史的な出来事のことではない。「発生」とは、あらゆる瞬間に絶えず発動され、現象を現勢化させつづける現在の力のことであり、「古代」とは、この力に瞳と字面とを唐突に密着したところに生起する無時間的な出来事の束のことにほかならない。》

 あるいは松浦氏が同書で引用している折口自身の次の文章。

《一度発生した原因は、ある状態の発生した後も、終熄するものではない。発生は、あるものを発生させるを目的としてゐるのではなく、自ら一つの傾向を保って、唯進んで行くのだから、ある状態の発生したことが、其力の休止或は移動といふことにはならぬ訣である。だから、其力は発生させたものを、その発生した形において、更なる発生を促すと共に、ある発生をさせたと同じ方向に、やはり動いて居る。だから、発生の終えた後にも、同じ原因は存してゐて、既に或る状態をも、相変らず起し、促してゐる訣なのだ。》

(『日本文学の発生 序説』)  以上の素材に加えて「画」と「詩」(あるいは「知覚」と「想起」)の対概念を、さらに木村重信氏が『はじめにイメージありき』(岩波新書)で展開した原始美術の話題を、ついでボルヘスが『ボルヘス、オラル』の最後の講演「時間」で語った時間に関するゼノンの逆理その他の議論等々を絡めていくことによって、独自の「クォータナリアン的思考」を展開できそうだと私は直観(もしくは願望)しているのですが、これはもはやこの「序説」的覚書(もしくは素材集)の守備範囲を超えているので「後の考察」に委ねます。