「私」がいっぱい



【186】「私哲学」について

 私小説があるなら「私哲学」があってもいい。あるいは、自伝文学があるなら「自伝哲学」というジャンルがあっていいんじゃないか。最近、たて続けに中島義道氏の著書に読みふけりながら、そんなことを考えています。

 昨年の暮、ずいぶんと大げさないい方ですが、ふと生き方のスタイルや人生に対する態度を変更したくなって、思いきって『孤独について』(文春新書)を読んでみました。それ以来、すっかり中島氏の文章の「ファン」になってしまったのです。

 いま、思いきってと書いたのは、「生きるのが困難な人々へ」というサブタイトルに抵抗があって、昨年十月に刊行された時から気になっていながら、すぐには手が出せなかったからです。

 このあたりの心の葛藤をもう少し詳しく書くならば、できあいの人生論や悩める人向けの生き方のノウハウ本などを必要とするほど、私は弱い人間でも神経が参っているわけでもなくて、社会や他人や自分にちゃんと適応して「明るく」生きているのだけれど、ただちょっと思うところがあって「孤独」をめぐる高尚な哲学談義に触れ人生の深みを味わいたいだけなのに、「生きるのが困難な人々へ」などと表紙に書かれていては、その動機が誤解され痛くもない腹を探られる不本意な事態にさらされ困惑する、といったところでしょうか。

 ──ついでに書いておくと、以前『ソフィーの世界』が評判になっていた頃、『哲学の教科書』(講談社)が書店に平積みにされていたときも、昨年六月、その続編ともいえる『哲学の道場』(ちくま新書)が刊行されたときも、傍目で気にしながら、あまりに生々しいもの(密かに遂行されるべきもの)が露骨に表現されているように思えて、なぜか手に取るのがためらわれたことを思い出します。(それにしても私は、なにゆえに身構え、いったい誰に対して体裁を繕っていたのでしょう。)

 さて、はじめて接した中島氏の文章は、その臆面と仮借と「品」のなさ、そして(まるで太宰治と坂口安吾が束になって書いたかと思わせる)尋常ならざる表現力で、私を圧倒しました。ふつう「真っ当な」神経の持ち主ならば、自らのぶざまな生涯の悲惨と恥辱と「栄光」をあからさまにぬけぬけと細部にたちいって書き連ねたあげく、書けば書くほど憂鬱になり多くの人を傷つけざるをえないことを熟知しているとまで述べたあとで、次のような大見えを切った文章は書けないでしょう。

<にもかかわらず、なぜ書くのだろうか? 自分を救うため? それのみではない。たぶん、生きるのが困難な多くの人々に──綺麗ごとではなく──私の「血の言葉」でメッセージを送りたいからなのだ。>(あとがき)

 私は、中島氏の「血の言葉」にすっかり魅了されてしまいました。そこには「哲学病」におかされ、逃げ出すことも治癒すること(哲学することをやめること、あるいは哲学の問題に対する最終解答を見いだすこと)もかなわぬと自覚した人間が、<「たったひとりで私はこの広大な宇宙の中に生まれてきて、たったひとりで私はこの広大な宇宙の中で死ぬのだ」ということを骨の髄まで自覚しながら死にたい>(195頁)という思い一点にすべてを凝集させるに至った「潔さ」が、名状し難い迫力で表現されていたのです。

 そして、もしかして「私哲学」や「自伝哲学」といったジャンルがありうるとすれば、つまり、日常生活や他者との関係や社会的実践といった事柄の総体である「私の人生」そのものから切り離すことのできない哲学の文章がありうるとすれば、それはたぶんこういったかたちのものになっていくのではないか、と思いついたわけなのです。

 考えてみれば、そもそも(病気にもたとえられる、というより病気そのものである)哲学の営みは、「私」の感覚や生きる態度と切り離すことはできないものでしょう。そして、文章を書くということが公共的な表現の営みであるかぎり、哲学の文章は、「私の人生」(「私の孤独」というべきか)そのもののうちに問題と素材を見いだしこれを公共的な哲学的対話の場へと繰り出していくこと、すなわち「私哲学」にかぎりなく近づいていくものだといっていいでしょう。実際、中島氏も次のように書いていました。

<非常に簡略化して言いますと、哲学とはあくまでも自分固有の人生に対する実感に忠実に、しかもあたかもそこに普遍性が成り立ちうるかのように、精確な言語によるコミュニケーションを求め続ける営み、と言えましょう。>(『哲学の教科書』118頁)

 その後、中島氏の著書を手あたりしだいに読んでみて、この「ひらめき」への確信が深まっていきます。たとえば氏には、日本文化(日本人)批判論とでもいうべき一連のエッセイがあるのですが、それもまた、哲学的問題と格闘することは人生に対する態度の変更・決定の試みにほかならないという、「私哲学」の表現形態の一つであろうと思うのです。

<あらゆるヨーロッパ文化研究者は、ヨーロッパ文化(およびヨーロッパ人)と日本文化(および日本人)とのはなはだしい隔たりを無視してはならないと思う。自分の専門が自分の日常生活と隔絶していることに真剣に悩むべきだと思う。

 だが、同僚の中にはこうした態度の者は稀である。ドイツ語を教えながら、ドイツ文学や哲学を研究しながら、日本の現状になんの疑問も覚えない者、彼の地に滞在してもヨーロッパ人の身体にしみ込んだヨーロッパ中心主義に抗議しない者がほとんどである。会議の場では日本的自己保存をきめこみ、けっして「無謀な」発言をしない者。こんな御仁が、ドイツ文学や哲学の「専門家」なのだからあきれはてる。

 私はそうなりたくないと願った。ヨーロッパと日本との絶望的なほどの差異をいつも問題にしてゆこうと思った。この問題で、徹底的に苦しみ抜こうと念願した。それが、ドイツ語や西洋哲学等、社会的有用性のない安易な職業についてメシを食っている者のせめてもの「罪滅ぼし」である、と信じているからである。>(『〈対話〉のない社会』あとがき,PHP新書)


【187】哲学する「私」

 哲学は人生論ではない。社会や世界のあり方を解明するもの(思想)でもない。要するに、哲学は役に立たない。──たとえば、東浩紀氏は『PLAYBOY』(1999.2)誌のインタビューで、『存在論的、郵便的』(新潮社)をめぐって次のように述べています。

<現在、哲学と称されるもののほとんどは人生哲学か社会批評です。つまりは何かの役に立つ哲学であって、こういうことを知れば世界を解釈するのに役立つという意味で、浅田さんの『構造と力』も例外ではありません。僕がめざしたのは、考えることそのものが快楽としてある商品、著者の思考のルートに寄り添って読むこと自体が快楽であるようなテクストです。>

<ただ僕は社会に関係することを言い訳にしないと成立しない今の哲学に対し、むしろプロテストしたい。カルチュラル・スタディーズの類が現代思想と見なされ、理論的な作業がマイナーな位置に貶められる現状にうんざりしているのは僕だけではないはずです。社会性が剥脱されていても、それ自体、高密でビット数の高い音楽のような哲学。かつてはあったそんなジャンルを忘れていいのか。考えること自体があるんだということを、まず復興させねばなりません。>

 音楽のような純粋思考の書。(「数学のような」ではない点が、私にとっては実に新鮮)──中島義道氏がいう「血の言葉」で叙述された書物とはずいぶんかけ離れたもののようですが(「純粋小説」と「私小説」?)、私はそのいずれにも強く惹かれるし、それぞれが実は同じところに根ざしているものだと思うのです。

 念のために書いておくと、私は中島氏の「哲学」が人生論や社会批評にすぎないといいたいのではありません。確かに『孤独について』や『人生を〈半分〉降りる』は人生論の書ですし、『〈対話〉のない社会』や『うるさい日本の私』は社会批評の書であるといえます。そもそもそれらは、常識的には哲学書の範疇に入らないでしょう。

 しかし、そこでは人生「一般」が論じられているわけではないし、日本社会のあり方への「一般的な」批判が展開されているわけでもありません。あるいは逆に、著者の個人的な体験や感受性のあり方に即した「特殊な」意見や感情が吐露されているだけでもないのです。

 そこで試みられているのは、中島義道という固有名詞をもった「私」が、つまり誰もこの「私」の死を死ぬことはできないという特別なあり方で存在している孤独者が、<あくまでも自分固有の人生に対する実感に忠実に、しかもあたかもそこに普遍性が成り立ちうるかのように、精確な言語によるコミュニケーションを求め続ける営み>にほかなりません。

 それこそ、中島氏自身が定義する「哲学」そのものです。それはもとより人生論ではないし、社会や世界のあり方を解明するものでもない。そして、私が「私哲学」という言葉で考えようとしているのが、まさにそのような営みのことなのです。

 ところで、「私」が自分固有の実感に忠実でありながら、そこに普遍性が成り立ちうる「かのように」言語によるコミュニケーションを求めるというとき、そこには明らかな飛躍があります。ヘーゲルの論理学を持ち出すまでもなく、個別的なものと一般的なものとがつながるためには、特殊性という媒介がなければなりません。にもかかわらず、それらが無媒介的につながりうる「かのように」言語によるコミュニケーションを求め続けるのは、それこそ「超越論的な」態度というものです。

 柄谷行人氏は、現在『群像』に連載中の「トランスクリティーク」で、カントが、一般の通念とは逆に、共同体(国家)の一員としての個人による理性の使用を「私的」と規定し、公共体(世界市民的社会)の一員としてのそれを「公的」と規定したこと(『啓蒙とは何か』)──柄谷氏はこれを「カント的転回」と呼ぶ──を踏まえて、理性の私的使用にかかわる「一般性─個別性」の被媒介的な回路と、理性の公的使用にかかわる「普遍性─単独性」の無媒介(直接)的な回路との区別を提唱しています。

<しばしばそれらは言葉の上で同一視されている。だが、カントの言葉でいえば、一般性─個別性は経験的であり、普遍性─単独性は超越論的である。前者における綜合[ロマン派によって強調された特殊性、たとえば言語、民族、有機体(生命)による綜合──引用者註]が想像物にすぎないことを明るみに出すのは、後者の超越論的批判である。>(第一部3・3「単独性と社会性」,『群像』1998.11)

 柄谷氏はさらに、「一般性─個別性」が同一の規則をもったシステム(共同体)間の交換=コミュニケーションにかかわるものであるのに対して、「普遍性─単独性」は異なるシステム(共同体)間のそれにかかわる社会的なものだと述べています。

<単独性は、デカルトのコギトがそうであるように、「社会的な空間」と切り離せないのだ。それはたんに私的あるいは内的なものではない。くりかえしていうと、「社会性」という言葉で、マルクスは異なるシステムあるいは共同体に属する諸個人が、交換という行為によって意識せずに互いに結びつけられているような存在形態を指し示している。それはカントが「世界市民的社会」と呼んだものと同じである。>(同)

 ここに出てくる「単独性」を存在様式とするもの、つまり超越論的批判を生きるしかないものこそが、人生を「半分」降りた「孤独」な哲学者、すなわち「私哲学」者その人です。

 「私」は理性を、というより言語を、カントがいう意味で「私的」に使用するわけではありません。いいかえると、同一の規則をもった共同体において「内的」に言語を使用するものにとって、「私」はすでに「他者」なのです。(柄谷氏の語彙を使ってより精確に述べれば、「私」は、理性を「私的」に使用するものと「公的」に使用するものとの「視差」を生きているのです。あるいは、そのような「視差」が生じる「社会的な空間」を──そして「社会的な時間」を──生きるしかないものが「私」なのです。)

 このような意味での「私」は、哲学するしかない。というより、実はそのような「私」の生の営みこそが哲学だったというべきでしょう。「私」は人生や共同体を全面的に「降りて」(超越して)いるわけではありません。「半分」だけ降りているのです。いいかえると、「私」の孤独は超越的なものではなく、超越論的なあり方をしている。だから、「私」は「半分」だけ所属している共同体に向かって、人生論や社会(共同体)批判の言説を投げつけることができるのです。

 ただし、それは「一般的な」議論ではなく「普遍的な」ものである「かのように」、精確な言語によるコミュニケーションを求め続ける営みであるほかはありません。このような「私哲学」的な営みを純粋な思考の営みとして取り出すならば、つまり人生や共同体を「半分」降りた側から原理的に叙述するならば、そこには<それ自体、高密でビット数の高い音楽のような哲学>が出現しているのではないか、と私は考えているのですが、これはやや強引すぎたようです。


【188】自叙伝を書く「私」

 最近、「森岡正博の生命学ホームページ」[http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/]の“異例”ともいえる充実ぶりを発見して、以来、折にふれて再々訪問するようになりました。その「生命学ライブラリ」で「哲学者としての私」というタイトルのもとに収められた文章群のなかから、今回は「ある哲学者の内面構造−語りの中の重層性」(山折哲雄編『日本人の思想の重層性−<私>の視座から考える』所収,筑摩書房)を取り上げます。

 著者はこのエッセイについて、<1995年に書いた私の自叙伝! あのオウム事件以前に書いたもので、『宗教なき時代を生きるために』のひとつの触媒となった>ものと紹介しています。実際これは、哲学し続けることでしか生き延びられない「私」(哲学する「私」)の手になった「自伝哲学」(「私」はいかに生きてきたか=哲学してきたか)の叙述の試みにほかなりません。

 著者自身はこのことを、「内面のストーリー」を語ること――あるいは、内面のストーリーを様々な思索や動機によって語る、その重層的な行為(語りの重層性)の中ではじめて立ち現われるところの内面の重層性(私の中の重層性)を語ること――と規定しています。

 たとえば、そのストーリーの一つ(「私」はいかにして哲学者になったか)を見てみると、著者は小学生の高学年か中学生のとき、突如として「私の死」という観念を発見し、同時に独我論の非言語的意味とそれがもたらす問い――<私と世界は存在していなくてもよかったのに、どうして偶然にもいま存在しているのかという形而上学・存在論の根本問題と、この世界に存在する「他者」たちとはいったい何なのかという他者問題>――に襲われ、パニックに陥ります。

 そして、<自分の中でどうしようもなく大きくなってくるセックスへの衝動とそれへの嫌悪と、そしてかたときも脳裏を去らない「私の死」の観念にさいなまれた、憂鬱で、ぴりぴりするいやな思い出にまみれている私の中学時代>――<数学と小説と音楽が、私の精神生活のすべてであった>時代――を経て、高校生の著者が出会ったのがパスカルでした。

<…私は、死の恐怖におびえる少年であった。/『パンセ』は、その少年のこころをわしづかみにして、彼をむりやり哲学の道へと導いていった。「私の死」を発見し、それから目をそむけ、しかしながら再びそれを直視しようとし、耐えがたい恐怖に襲われる。そして、私は一生「私の死」という観念から逃れられないだろうと決意したとき、私は哲学者になったのだと思う。私がいまでも学問を続けている究極の根拠は、ここにある。>

 こうして「哲学者」になった著者は、『論理哲学論考』後半部分の断章がもたらした衝撃――<私がこだわっていた問題を、今世紀はじめに、こんなにまで明晰に考え抜いて記述していた人間がいたことを知ったときの衝撃>――を経て、大学卒業論文と修士論文をウィトゲンシュタインの研究でクリアーすることになるのです。

 話は続きますが、このあたりでいったん中断。さて、以上のストーリー(実は、著者による叙述を時間的に逆転させたもの)は、いま一つのストーリー、つまり「実社会」で活躍する著者の内面のストーリーと不即不離の関係を結んでいきます。また、そうでなければ、上に引用した哲学する「私」の内面のストーリーは、どう読んでも「一般的な」あるいは「特殊な」思いの吐露としか見えてきません。(と、ここでは書いておきます。)

 いうまでもないことですが、著者は「生命学」を自らのライフワークとする研究者です。(<いままでのところ、私が行なったもっとも重要な学問的な提案は、「生命学」という議論枠組みを提唱したことである、と私は思っている。>)しかし、「哲学者としての私」と生命学者としての著者の二つの内面のストーリーが、それはそれ、これはこれと画然区別されてしまうならば、「私」の「単独性」は柄谷氏がいう「普遍性」への回路(東浩紀氏がいう「クラインの管」?)をくぐることはないでしょう。

 森岡氏のこのエッセイは、次の一文ゆえに「哲学者としての私」の自叙伝たりえているのだ、と私は思います。<私という「いのち」の生と死を捨象したところでは、「生命学」は成立しない。私の生死を捨象したところで成立する「客観科学」「自然科学」とは別種の学的可能性として、私は「生命学」を考えているのだ。>

 ついでにもう一文、ホームページ掲載時(1998年3月)に書かれた「付記」から引用しておきます。<哲学してゆくとは、世界や他者や学問とかかわりながら、この自分の内側にある「語られざる自己」に向かって、無限に降りてゆく血みどろの試みのことなのかもしれない。>――これを読んで私が想起したのが、かの中島義道氏の「血の言葉」云々でした。実は、このエッセイには一度だけ中島氏の名が出てきます。

 その後の「哲学者としての私」の内面のストーリーを駆け足で抜き書きしておきます。まず、著者は<二〇歳代半ばから、「人称的世界の哲学」という原稿を、一日に何枚というノルマを決めて、出版するあてもないままに書きためていった>こと。このころ永井均氏と知り合い、その直後に出版された『<私>のメタフィジックス』というきわめて独創的な「独我論」を展開した哲学書(<この本は、日本哲学史に残る傑作である。>)を読んで大きな衝撃を受けたこと。そして、<どうも永井は、私が当時言語化できなかったことまでをも言語化できているらしい>ことが明確になり、<すでに二〇〇枚ほど書きためていた自分の原稿を根本から再考せざるを得ないところまで追いこまれてしまった>こと。

 ところがその後、著者は「人称的世界の哲学」と「生命学」が実は通底していると気づき、<永井の独我論をどうやって克服し、生命学へと結びつけていったらよいか>という見通しを考えている途中で、<永井の独我論がかかえている一種の誤謬>に気付き、それを批判する論文「この宇宙の中にひとりだけ特殊な形で存在することの意味」を、ほかならぬ永井氏自身が編集した論文集に入れさせてもらったこと。そして、<この永井−森岡論争には、中島義道らが言及するようになっているが(『哲学の教科書』講談社、一九九五)、みんなでさらに詰めて考えていかねばならない>こと。筆者としては、<いずれ、眠っていた二〇〇枚を再検討し、生命学の一部として書き直す作業もしなければならない>と考えていること。

 ──話が佳境に入ってきました。


【189】自叙伝を書く「私」(余録)

 「私哲学」と「自伝哲学」の違いについてここで簡単にふれておこう。といってもそれらは私が勝手にそう名づけただけのことであって、そこにはいかなる権威も有用性もない。自問自答式にあれこれ考えているうち、ひょっとして何かしら便利な「概念」のようなものが生まれ出てきはしまいかと淡い期待を寄せてのこと。

 そもそも「私哲学」と「哲学」とはどう違うのか。「私」の感覚や実感に即して「問題」を立て、かつそれに取り組むというのであれば一般の(?)哲学だとて同じことだ。強いていえば、人類社会や時代潮流などとはかかわりをもたず、「私」の卑近な体験を素材として議論を展開するところが「私哲学」の特質だろう。精確にいうと、たまたま「私」がそこに生まれ現に生きている俗臭にまみれたこの世界を切り捨てることなく、あるいは切り捨てることができずにいるそのあり方に即して、かつそこから「半分降りた」状態で哲学すること(生きること)が「私哲学」の特質である。

 再説。「私」は無時間的な場所(あるいはどこでもない空間を規制する時間)を生きているわけではなく、ある特定の時空を生きている。しかし、ある特定の時空を生きていながら、「私」はそもそもそこが「ある特定の時空」であることを規制する枠組み(基底)を超え出たところ、つまり無時間的な場所(あるいは「無空間的な時間」?)にも属している。精確にいうと、そういう特異な時空の存在を現に実感しているのが「私」のあり方なのであって、そういう「私」が生きることがすなわち「私哲学」をすることなのである。

 補足。それでは「私哲学」をではなく一般の(?)哲学をする者がいる場所はどこかといえば、その一つは異様な時空へ行ってこの世界に帰ってきた者がいる場所、いまひ一つは行ったきりの者がいる場所(たとえば精神病棟)。もっとも、行ったきりである「かのように」振る舞う者がいるかもしれないが、それはそこから帰ってきた「かのように」振る舞う者がいるのと大同小異だろう。

 要約。「私哲学」者とは要するに自分の容貌や声、容姿や社会的地位を気にする俗物なのであり、世の人々の言動が気に入らず一言弄しては物議を醸し場を白けさせる厄介な存在である。結局のところ、自分の孤独にしか関心がないエゴイストなのであって、だから間違っても私とは何かと考えたり自分探しに時間を費やしたりなどはしない。これが世の人々から見た「私哲学」者の如実の姿だ。

 それでは「自伝哲学」とは何か。それは、この世界における「私」の生の奇跡を、俗世の人生から半分降りたところにいる「私」が物語る「本当にあった話」である。私はいつ「私」になったのか、「私」は何を考え何と出会い何をやってきたのかといった「内面のストーリー」群そのもの──ではなく、それらを「語る私」について書くことが「自伝哲学」者の特質である。

 結局のところ、「私哲学」と「自伝哲学」との決定的な違いは、それが「物語」としての結構と実質と方法を備えているかどうにある。あるいは、「私哲学」とは知覚された世界とそこでの行為に即した営みであり、「自伝哲学」とは思考された世界とその語りに即した営みである。

 「自伝哲学」書の実例。ニーチェ『この人を見よ』。あるいは、ポール・オースター『孤独の発明』の後半部「記憶の書」。──以下、後者からの任意の抜粋。

<ひとつの言葉はもうひとつの言葉になり、ひとつの物がもうひとつの物になる。考えてみれば記憶と同じはたらき方である。彼は自分の内部に巨大なバベルの塔を思い描く。そこにはひとつのテクストがあり、それがみずからを無数の言語に翻訳する。思考の速度でもってセンテンスが彼のなかからあふれ出る。一つひとつの単語がそれぞれ別の言語から放出される。彼のなかでけたたましく騒ぎたてる千もの言葉。それらの言語の喧騒が、無数の部屋や廊下や階段からなる数百階建ての迷路に響きわたる。もう一度言おう。記憶の空間のなかでは、すべてがそれ自身であると同時にほかの何ものかなのだ。>(柴田元幸訳,新潮文庫224頁)

<…物語は他者の存在を前提としているのであり、聞き手は物語を通してその他者たちとふれ合うことができる…>(同250頁)

<部屋に座って記憶の書を書きながらAは理解する。自分もまた自分の物語を語るために、自分自身を他者として語っているのだと。自分をそこに見出すために、彼はまず自分を不在の身にしなければならない。だから彼は、私は、と言わんとしながら、Aは、と書く。なぜなら記憶の物語とは見ることの物語だからだ。たとえ見られるべきものはもはやそこになくても、それはやはり見ることの物語なのだ。ゆえに声は語りつづける。>(同255頁)

<言葉同士が韻を踏む。現実的なつながりは何はなくても、彼はそれらを一緒に考えずにはいられない。部屋[ルーム]と墓[トゥーム]、墓[トゥーム]と子宮[ウーム]、子宮[ウーム]と部屋[ルーム]。息[ブレス]と死[デス]。あるいは「生きる」(live)という言葉を組み替えれば「悪」(evil)になるという事実。…

 …それぞれの言葉の核に、種々の韻や、類音や、重なりあう意味などの織りなす網がある。それらの網目の一つひとつが、世界のなかの、たがいに反対で対照的な要素を結びつける橋渡しとして機能するのだ。だとすれば、言語とは単に個々の事物のリストではない。それらを足してあわせれば世界に等しい和が生じる、というものではない。…[モナドとしての言葉。ライプニッツの引用]

 …だが同じように、世界もまた、そのなかにある事物の総計ではない。世界とはそれらの事物のあいだに存在する、無限に錯綜した結びつきの総体にほかならない。言葉の意味と同じく、事物もまた相互の関係においてのみ意味を帯びる。……[耳にとっての韻、目にとっての韻。パスカルの引用]……Aはこの発想をさらにもう一歩推し進め、人生における出来事同士が韻を踏むこともありうるのだ、と考える。一人の若者がパリで部屋を借り、父親も戦争中にその部屋に隠れていたことを知る。これらの出来事を別々に見るなら、どちらについても言うべきことはほとんどあるまい。両者を同時に眺めたときに生じる韻が、それぞれの現実を変革するのである。それはちょうど、二つの物体を近接させると、そこから電磁力が生じ、それぞれの物体の分子構造はむろん、両者のあいだの空間にまで影響を及ぼして、環境全体を変えてしまうのに似ている。二つ、もしくはそれ以上の出来事が韻を踏むことによって、世界のなかに新たな結びつきが生み出され、経験の充満せる巨大な空間を循環すべきもうひとつのシナプスがつけ加えられるのだ。

 …世界のなかに韻をかいま見るごくまれな瞬間にのみ、精神はそれ自身から飛び出し、時空を超えて事物の橋渡し役を努め、見ることと記憶とを結びつける。だがそこでは単なる韻以上のものが介在する。存在の文法にも、言語の文法に備わる要素はすべて備わっている。…[過去は事物のなかにかくされていること。プルーストの引用]…[精神はそれ自身以上のものを包含していること。アウグスティヌスの引用]>(同263〜268頁)

 補遺。「語り」について、森岡正博「ある哲学者の内面構造」から。

<さて、こうやって私の内面について書いてみて、はっきりと分かったことがある。  私は、自分の内面について何通りかのストーリーを語った。それぞれのストーリーは、今の時点から記憶をさかのぼって、若いときの経験や出来事を思い出し、それらに意味を与えてから再び現在へと戻ってくる旅であった。私が語った何本かのストーリーは、あるときには一貫性を保ち、あるときにはお互いに矛盾するような側面を持っていた。ある箇所は、いまでもありありと覚えている感覚の忠実な複写であるが、ある箇所は現在の私による完全な意味付与である。
 私の内面の記憶は、その切り取り方に応じて、様々な断面を見せる。それら様々な断面は、まったく異なった文脈のもとで自らを表わし、虚構の世界を作り上げる。
 「私の中の重層性」は、私のこころの中で、慎重に積み重ねられた地層として存在しているのではない。そうではなくて、「私の中の重層性」は、私の内面のストーリーを様々に語るという、その重層的な語りの行為の中において、はじめて立ち現われるのだ。様々な思惑と動機によって語られた、その「語りの重層性」こそが、「私の中の重層性」なのである。
 私は、私について重層的に語ることによってはじめて、私の中の重層性に到達できる。そしてこれが、「重層性」のひとつの重要な意味なのである。>


【190】「私」がいっぱい(その1)

 永井均氏の『〈私〉のメタフィジックス』[1986]が出版される少し前のこと、京都で関西哲学会(だったと思う)の会合が一般公開のかたちで開催されると知って、当時、哲学への関心と哲学者(というより「哲学研究者」)への根拠のない不審感を募らせつつあった私は、哲学者とはそもそもどういう種類の人間で、彼・彼女らはいったいどのような議論をしているのか、覗きに出かけたことがあります。

 確か「超越論哲学と分析哲学」といったテーマのもと、シンポジウム形式で議論が展開されていて、そこに永井氏がゲストパネリストとして招かれていました。私の記憶では、「永井の〈私〉」対「超越論的主観その他」の論争軸に沿って、関東からの論客を迎え撃つ関西の論客たちがよってたかって(私の印象)永井氏の所論を吟味するといった趣で進行していたように思います。

 その時やりとりされていた議論の内容はほとんど思い出せませんが、若き永井氏の端正な容貌とスマートでどこか「素人」っぽい(私の印象)語り口はいまでもありありと覚えています。そして、こういう議論をする人が日本にもいたのだと、それこそ目から鱗を何枚も落として、永井氏の著書の刊行を心待ちにしたものでした。

 さて、こうして『〈私〉のメタフィジックス』にめぐりあった私は、以来、繰り返し読み直しては、何度も何度もこの著書によって初めて言語的に表現された(と私は思う)「哲学的問題」へと立ち返ることになりました。少なくとも、そこにおいて永井氏の思索が決定的な深化を遂げた(と私は思う)論文「他者」[1990]が発表されるまでは。

 ふつう、再読に耐える古典的名著は、読み返すたびに新しい発見をもたらすことをもってその名に値するものとされるのが一般的ではないかと思います。しかし、こと永井氏の著書に関しては事情がやや異なっていて、読み返すごと新たにもたらされるものは実は同じ事柄の発見である──というより、最初に読んだときの「驚き」がまったく同じ感覚を伴って再び出現するといった「問題感覚」あるいは「哲学的不安」(いずれも永井氏の言葉)の再現なのです。

(それは、現在の知覚体験のなかに過去の想起体験が重ね合わされる「既視感」とちょうど正反対の感覚、つまり過去の想起体験のうちに現在の知覚体験がリアルに重ね合わされる「永遠回帰感」とでも表現できそうな体験です。永遠回帰感?)

 このような読書(再読)体験のよってきたるおおもとは、永井氏によって言語的に表現された「問題」そのものがもつ構造にあります。──ある問題を「哲学的問題」として言語的に定式化したとたん、言語がもつ指示機能や意味作用の働きによって問題が一般化・概念化され、そのことによって実は問題が問題でなくなってしまう(問題が隠蔽されてしまう)という、私や他者をめぐる「哲学的問題」がもつある構造。

 たとえば、永井氏は「他者」のなかで、フッサールの『デカルト的省察』とメルロ=ポンティの『知覚の現象学』からそれぞれ他者の問題を扱った文章(いずれの主語も「私」)を引用したあとで、次のように書いています。

<この種の文章に登場する「私」とは、いったい誰を指しているのだろうか。もしかりに、彼らがそれぞれ自分自身だけを念頭においてその文を書いたとしても、読者は(フッサールやメルロ=ポンティの書いた私小説を読むつもりでないならば)各自の「私」のこととしてそれを読み換えるはずである。そして実は、著者たちはその読者の立場を先取りしつつその文を書いたのである。読み換えはいつもすでに始まっているのだ。ここでの「私」は、だからすでに、みんなの「私」なのである。論じられている問題は、それを論じる文の内で、あらかじめ暗黙の内に解決されているのである。>(『〈私〉の存在の比類なさ』勁草書房,22-3頁)

 柄谷行人氏は、「私」に妥当することが万人に妥当するといった事態をめぐる思考を「独我論」と呼んでいましたが、このような意味での独我論(永井氏自身はこれを「残骸としての独我論」と呼ぶ)による一般化・等質化を超えた「私」のことを、永井氏は「〈私〉」と表記し「独在性のわたし」と名づけているのです。

 <すでに何度も語ってきたところだが、〈私〉という表記(今後それを「独在性のわたし」と読むことにしたい)には、二重の否定が込められている。第一に、それは一般概念としての「私」を意味するのではなく、第二に、それは「私」と発話する当の人物を指示するのではない。(その意味で山括弧(〈 〉)とは抹消記号(×)の変形なのである。)>(「独在性の意味」[1992],前掲書134頁)

 一般概念としての「私」でも発話主体としての「私」でもない「独在性のわたし」とは、それにしても把握し難い存在ですし、それを把握し続けるのはもっと困難なことです。私はこれまで、永井氏の文章に接するごとに〈私〉をめぐる「問題感覚」を(再)発見し、しばらく経つと見失うことの繰り返しでした。問題を問題として感じ続ける緊張に耐えられず、要するに、などと概念化を企てようものなら、「問題」はたちどころに雲散霧消し、あとに残るのは白々とした自己意識だけ。

 ──森岡正博氏の「ある哲学者の内面構造」を読んで、ここしばらく遠ざかっていた永井ワールドのことを思い出しました。そこでふれられていた「永井−森岡論争」をきっかけにして、「他者」以降の永井氏の議論の展開を早足で追跡してみることにします。


【191】「私」がいっぱい(その2)

 まず、インターネット経由で入手した森岡正博氏の「この宇宙の中にひとりだけ特殊な形で存在することの意味 −「独在性」哲学批判序説」[1993]を要約しておきます。そのまえに、森岡氏のホームページに掲げられていた自己紹介の文章から。

<いまや現代日本哲学が生み出した最高の達成である永井均の<私>論だが、それとがっぷり4つに組んで、その意義をクリアーにして、かつ永井が語らなかった方向へと一歩を踏み出した論文。<私>論を、ここまでクリアーに誤解なしに解明し、かつ永井の決定的な誤謬を指摘したものはないと思う。>

 結論めいたことをあらかじめ述べるならば、私は、森岡氏の論文が永井氏の〈私〉論を「クリアー」に整理した点はいくつかあると思うものの、「永井の決定的な誤謬を指摘したもの」であるとか「永井が語らなかった方向へと一歩を踏み出した」ものだとは到底思えないのです。

(むしろ、「ブラフマン」や「アートマン」といった言葉が出てくるあたりで、森岡氏の議論は永井氏が設営した議論のフィールドから一気に踏み外してしまうのではないか、と私は見ています。もっとも、森岡氏が「踏み出した」方向には、それはそれで私としても関心があるのですが、しかしそれはまた別の「問題」です。)

 さて、森岡氏の論文は、二つの部分から構成されています。その一は「永井の独在論」についての森岡氏による要約と批判で、その二はこれを踏まえた「森岡の独在論」の提示です。以下、要点のみ抜粋します。

 なお、森岡氏が主として取り上げているのは、永井「独在性の意味(二)」[1993]の後半、入不二基義氏の「単独性」論と永井氏の「独在性」論との異同について論じられた部分です。入不二氏の議論については(できれば)後でふれます。

●永井の独在論(森岡による要約)
 「永井−入不二論争」を経て炙り出された「私」の四類型。

私1:任意の発話者がその言葉を発した身体を指差して「私」と言ったときの「私」。このレベルの「私」は単に発話主体を指し示すだけの働きしかしていない。
私2:自己意識をもって身体の内側から生きている自分自身を指し示すようなレベルの「私」。私2はいままさにことばを発しながら生きている自己意識主体を再帰的に指し示す。
私3:私1や私2がこの私であれ他人であれ誰もが自分のことを指して同じ意味で使用できるという「等質性」をもっているのに対して、自分のことを「この私」と呼んでその唯一無二の例外性をどうしても強調したいときに使われる「私」。入不二がいう「単独性」の「私」(永井の表記によれば《私》)。
私4:永井がいう「独在性」の〈私〉。

 私3と私4との違いについての森岡の見解。
<永井の入不二批判の要点は、次の一点につきる。入不二は「唯一無二の例外的な非−等質性」をもった「この私」を「私3」として概念化しているが、そのように概念化した瞬間に、その「この私」は、誰でもが自分自身の唯一無二性を語りたいときに使用できる「みんなのための道具」にまで転落してしまい、そこに当初はこめられていたはずの真の「唯一無二性」が蒸発してしまう、という点である。>

 独在性についての永井の到達点として、森岡が引用している文章。
<独在性の〈私〉は、まさにそのような[入不二の単独性のような:森岡註]個体性・形式性としての「私」の中に擦り込まれてしまうことの否定としてのみ、在る。独在性を指示する「ずれの運動」は、変質という動きの中に常に既に読み込まれてしまうほかはないものからの、絶えざる離反・逸脱の方向性こそを、指示している。〈私〉とは、「私」の用法をめぐる議論において生起するあらゆる問題からの違背を示す記法なのである。そして、それがなぜそのような否定によってしか示されえない場所にあるのかは、究極的には謎であるし、謎でしかありえない。それを説明しうるいかなる議論もないし、ないのでなければならない。>(「独在性の意味(二)」,『〈私〉の存在の比類なさ』196-7頁)

●永井の独在論(森岡による批判)
 第一の批判。「世界の中で唯一ひとりだけ特殊なあり方をしている唯一無二の存在のことを、究極まで突き詰めて考えたときに発見されるもののこと」を永井は〈私〉ということばで呼んだが、森岡によれば、この表記はきわめて不適切でありミスリーディングである。森岡は〈私〉に代えて「独在的存在者」ということばを導入し、独在的存在者の存在のあり方や性質のことを「独在性」と呼ぶ。

<「私」という概念は、「私ではないもの=他者」という概念とセットになって成立する。「他者」を予想しないような「私」は、あり得ない。ところが、独在性のレヴェルとは、「他」なるものが原理的に存在し得ないようなレヴェルのことである。独在的存在者とは、存在の唯一無二性を究極まで突き詰めたときに発見されるもののことであるから、独在的存在者に関しては、「他の独在的存在者」などというものは理論的に存在しない。その独在的存在者を指し示すときに、「他者」を予想することを宿命付けられた「私」という単語を使うのは、完全におかしい。>

 第二の批判(ただし「批判」として明示的に論じられてはいない)。森岡によれば、永井の〈私〉は「それについて語ることを絶えず否定してゆく運動によってしか示されえないもの」(森岡のいう独在性のレヴェル)にまで高まっている。しかし、「この唯一無二の存在とはいったい何か」という問いと「唯一無二の存在について語るとはどういうことか」という問いを区別しておかなければならない。

 森岡の結論は、第一の問いを把握するのはそれほど難しくないが、第二の問いを明確にするのはたいへん難しい、というもの。ここで「独在的存在者」という概念と「独在性」という概念を区別しておくことが重要になる。

<世界の中で唯一ひとりだけ特殊なあり方をしている唯一無二の存在のことを、究極まで突き詰めて考えたときに発見されるもののこと、すなわち「独在的存在者」は、永井の言うとおり、きわめてパラドキシカルな存在者である。結論から言えば、それが何であるかは、つねに「発見的に把握する」しかない。したがって、それはかくかくしかじかの存在のことであるというふうな定義的説明はできない。>

<「独在性」については、事情がまったく異なる。「独在性」とは、独在的存在者がもっている性質やそのあり方のことである。我々は、独在的存在者の性質や、そのあり方について、明示的に語ることができる。そして、その内容について公共的な議論を行ない、論理性や妥当性について吟味することができる。この論文で森岡が行なおうとしているのは、すべて「独在性」の内容についての議論である。>

●森岡の独在論
 独在的存在者に関して、森岡が掲げる原則(独在性の4原則・拡張版)。

原則1「独在的存在者とは誰のことであるかを、固有名詞によって指示することはできない。ただし、<独在的存在者とは、世界の中で唯一ひとりだけ特殊なあり方をしているこの私を一意的に指し示している>と言うことはできる。」
原則2「独在的存在者とは何であるかを、明示的に語ることはできない。」
原則3「独在的存在者が何であるかを把握することはできる。しかし、それを把握できる人はひとりだけでなければならない。かつ、そのひとりの人が誰であるかを、固有名詞によって指示することはできない。ただし、<独在的存在者が何であるかを把握しているひとりの人とは、世界の中で唯一ひとりだけ特殊なあり方をしているこの私である>と言うことはできる。」
原則4「独在性とは何であるかを、明示的に語ることはできる」

<独在性を把握していると主張するAさんとBさんが、独在性について議論している。このとき、Aさんが「独在的存在者とはAのことである」と言ったとする。するとBさんはそれが誤った主張であることを指摘し、Aさんも同意するであろう。
 しかしこんどはBさんが、「独在的存在者とはこの私のことである」と言ったとする。このとき、Aさんはどう対応すればよいか。もし、「この私」ということばが単独性(私3)を意味しており、その文章が「独在的存在者」と「この私」との一意的な指示関係を意味していることが明白ならば、Aさんはその文章それ自体の内容を肯定せざるをえないのである。かりにBさんが「独在的存在者とは、あなたではなくて、この私のことである」と言ったとしても、やはりAさんはその文章の内容を肯定せざるをえないのである。(もちろん「独在的存在者とはBのことである」と言ったのならば、それは否定しなければならない。また、「この私」ということばがその文章の発語者のことだけを意味しているならば(私1)、その文章は否定されなければならない。)
 ここに、独在性をめぐる大きな秘密がある。
 これを拡張すると、たとえば、百人の集団がいて、皆が「独在的存在者とはこの私のことである」と主張して、かつ皆が全員のその主張を認め合って、肯定しているケースもあり得ることになる。(かりに前者を「ブラフマン」後者を「アートマン」と呼んだとするとどうなるか。)>

●森岡の独在論(永井の独在論との違い)

<森岡の独在論においては、「他者」は他の<私>として登場するのではなく、独在性のレヴェルについての議論を可能にするこの世界の公共的な性質という形に変質して、登場するのである。そしてそれは、人称的世界に関するもうひとつの性格、すなわち人称の「共同性」という性格として措定されることになる。「共同性」と「独在性」とは互いに独立変数であり、この二者がセットになることによって、人称的世界の基本構造が形成されるのだと森岡は考えている。独在性は、人称的世界を構成する一断面にすぎない。>


【192】「私」がいっぱい(その3)

 「森岡の独在論」の根幹は、永井氏の「〈私〉」(独在性のわたし)について、その含意を肯定しつつその表記を否定し、これを「独在的存在者」に置き換えることにありました。このことを通じて森岡氏は「永井が語らなかった方向へと一歩を踏み出した」というのですが、私の見るところでは、それは「踏み外し」以外のなにものでもない。

 もっとも、永井氏が設営した議論のフィールドにとどまるべき責務を負ういわれはなく、自らの実感と関心と論理に即して思索をどういった方向へ展開させようが勝手なのですから、森岡氏の議論が間違っているといいたいわけではありません。そして、これは私自身がこれから先、いくつかの思いつきを書きつける(だろう)ことへの予防線でもあります。

 少し脱線をします。──森岡氏の議論をつきつめていくと、もしかすると井筒俊彦氏が『意識と本質』で試みたようなこと、たとえば生命や独在的存在者をめぐる諸思索の「共時的構造化」の試みといった方向へと進んでいくのかもしれないと私は考えています。

 ことのついでに書き記しておくならば、井筒氏は同書で、イスラーム哲学があらゆる存在者に二つの本質あるいはリアリティーを認めていることを紹介しています。その一つは具体的個別的な本質・リアリティ(フウィーヤ)で、いま一つは普遍的な本質・リアリティ(マーヒーヤ)。「単独性の《私》」対「独在性の〈私〉」の関係、そして「〈私〉」対「独在的存在者」の関係を、それぞれ「フウィーヤ」対「マーヒーヤ」の関係との類比で考えることができるのではないか。

 さて、森岡氏による「独在的存在者」という表記の採用(新たな概念の提示ではない)には、二つの理由がありました。その第一は、永井氏が抹消記号(×)の変形としての山括弧(〈 〉)の中にくるんだ「私」という単語は、「他者」とセットになったものなのであって、原理的に他なるものが存在しない独在的存在者を指し示す語としては不適切だというものです。

 私は、もし他なるものの存在を含意しない記法を採用したいのであれば、むしろ、中島義道氏が『哲学の教科書』で「永井−森岡論争」を紹介した際に(肯定的な意味合で)示唆していた〈0〉または〈!〉――あるいは入不二氏が(否定的な意味合で)示唆する〈φ〉――の方がすぐれていると思います。「独在的存在者」でも、「複在的」存在者や「共在的」存在者などを連想させるのだから、いっそ意味内容をもたない純粋な記号を採用する方が、森岡氏の批判の趣旨を徹底させるのではないかということです。(あるいは「>X<」や「>私<」といった表記も可能ではないかと思うのですが、これはいまのところ単なる思いつきの域を出ません。)

 しかし、そういった議論とは別に、私は、そもそも「独在性の〈私〉」から他者性を排除してしまうことに根本的な疑問を抱いています。むしろ、不可避的に他者をめぐる議論(精確にいうと、他者の「存在」をめぐる議論)へと向かわざるをえないこと、つまり他者性への契機を排除しえないことを視覚的にも示している点で、永井氏の表記の方がすぐれているのではないかと思うのです。

 いま「視覚的にも」といったのは、いうまでもなく二重否定を含意する山括弧を念頭においてのことで、この点は次に述べる第二の論点に関係します。また森岡氏は、「永井は、<私>という表記のほかに、<魂>という表記をも行なっているが、この後者のほうがより適切であると森岡は思う」と書いていましたが、私の見るところでは、〈魂〉とはむしろ森岡氏がいう「独在性」の議論に属する「概念」なのであって、かろうじて(東浩紀氏がいう「否定神学システム」を迂回しつつ?)〈神〉といわないところがミソなのだと思うのですが、これもまた第二の論点に関係します。

 ここでは、永井氏の文章を二つ引用しておきます。──最初の引用文の後段に関する註。森岡氏は、「独在的存在者とはこの私である」といったいい方が矛盾なく成立する「奇蹟」について述べた際、この文章の構造について、それは「独在的存在者」と「この私」というそれぞれの言葉の意味を等号で結ぶものではなく、ただ前者が後者を指示していることを示したものであると注釈しています。(認識論的・意味論的な指示関係ではなく、存在論的な指示関係。)

<〈私〉の存在。そこから出発するのでなければ、他者の問題の深みに達することはできない、と私は信じている。ここで一言断っておかねばならないことは、〈私〉という表記には、本来、語の指示作用に関する意味論的な主張のような何かをあらわしているのではない、ということである。それはいわば、世界の構造に関する存在論的な主張のために導入されたのであって…。>(「他者」,『〈私〉の存在の比類なさ』25頁)

<誤解を恐れずにいえば、哲学をすることは、ある点でやはり、祈ることに似ているだろう。ひとは、ふだん神の存在を信じていようといまいと、祈らざるをえないときには祈らざるをえない(祈るとは、その行為の内に神の存在を信じることだろう)。同じように、哲学せざるをえない人は、哲学せざるをえない。だから、たとえその内容が無神論的あろうと、哲学をする人は、その行為の内で自分の神の存在を信じるのではないだろうか。
 もしそうだとすると、神が死ぬ(神を殺す)とは、その哲学を公表して公共的な問題に仕立て上げることにあたるだろう。だからぼくは、とりわけこの本を書くことで、ぼくの神を殺してしまったかもしれない。>(『〈子ども〉のための哲学』講談社現代新書,216頁)


【193】「私」がいっぱい(その4)

 「森岡の独在論」について(承前)。

 森岡氏が〈私〉という表記を否定し「独在的存在者」を導入した第二の理由は、同時に導入した「独在性」(の概念)と区別することによって、独在性をめぐる公共的で開かれた議論の可能性を担保するためでした。つまり、「独在的存在者」とは何かについて明示的な定義を与えかつ教えることは不可能である――独在的存在者について明示的に語ろうとする試みは、つねに単独性へと読み換えられる――が、「独在性」とは何であるかを明示的に語りかつ公共的にその論理性や妥当性を吟味することは可能である、というわけです。

 なぜ森岡氏が「独在性」をめぐる(他者との)公共的な議論の可能性にこだわるのかというと、それは次の一文に明確に表現されているような、永井氏の〈私〉論のとらえ方に起因するものです。(あるいは、うがった見方をすれば、「哲学者としての私」から「生命学」者としての森岡正博への帰還のためであるとも思えます。)

<世界の中で唯一ひとりだけ特殊なあり方をしている唯一無二の存在のことを、究極まで突き詰めて考えたときに発見されるもののことを、永井は<私>ということばで呼んだ。そしてそれは、それについて語ろうとすることの否定によってしか示されえないと考えた。>

 しかし、「語ることの否定によってしか示されえない」という表現と「独在的存在者について明示的に語ろうとする試みは、つねに単独性へと読み換えられる」という表現は、決定的に異なります。なによりも──と書きかけたところで、入不二基義氏のホームページ[http://www.sv.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~irifuji/index.j.html]から入手した論文「独我論の語り方―永井均氏の「独在性の意味(二)」後半への応答」[1994]の、次の文章を思い出しました。

<「否定による純化」あるいは「純化された否定」という永井のラディカリズムは、魅力的な「永久革命」説であろうが、やはり、事柄の半面であると思われる。なぜならば、独在性がかろうじて示されるのは、低次のレベルとの重なりかつその重なりの否定という、変質・遡行の緊張関係=中間的な二重性においてのみだからである。変質と遡行という<対>関係が本質的なのであり、一方のみを純化することは不可能である。私4や<私>という表記法も、私3と同様、純化の試みとその挫折の両方を示しており、同時にその両方であってしまうことは、無限に捨て続けられるべき不純物ではない。もし仮に「純化」を進行させるならば、<私>という表記は、<φ>や「独在的存在者」のような表記に帰着せざるをえないだろう。しかし、そのような「純化」された表記は、今度は、力動的でパラドクシカルな緊張関係を失うという、大きな損失を抱え込むことになると思われる。そして、独在性は別の形で実体化されたり、超越論的な形式として誤解されてしまう可能性がある。>

 私はいま、カントールの対角線論法を想起しています。──適当なルールを決めてすべての実数に番号をふっていく。そうやってできた実数一覧表を「斜め」に見ていくと、そこに新しい実数がたち現われてくる。この時点ですべての実数に自然数の番号を割り振ることなどできないことが判明したわけだが、さらに新たにたち現われてきた実数を取り込んだ「すべての実数2」に同じ作業をほどこすと「新たな実数2」がたち現われてきて……以下、無限に続く。

 きわめて雑な粗描ですが、私はここで、「私4」がたち現われるたびに「私3」へと繰り込まれていく「力動的でパラドクシカルな緊張関係」を想起しているのです。そして、森岡氏のいう「独在性」をめぐる公共的な議論とは、結局のところ「すべての実数」を(〈ω〉として?)実体化したうえでの「退屈」な議論でしかないのではないか、と思うのです。(それは、たとえば『意識と本質』の「退屈」さに通じるものではないか。もっとも、私はその「退屈」さがとても好きです。)

 以上、「森岡の独在論」をめぐる私の異和感について大雑把に述べてきました。別のいい方で整理し直します。森岡氏は要するに「もう一つの〈私〉=他者」というグロテスクな存在を否定し、これを独在性について公共的に語り合う「議論」共同体(公共体?)の構成員として回収したのです。

 しかし〈私〉と対になる「他者」とは〈あなた〉なのであって、これを「私たち」へと回収したとたんそこには「彼ら」(‘es’ならぬ‘sie’?)というもう一つの不可思議な存在がたち現われてきて──と書きかけたところで、これは永井氏の「人称の秘密」[1998]からの(うろ覚えの)剽窃だと気づきました。

 最後に、永井氏自身による森岡氏への「反論」を簡単に見ておきます。「独在論と他者」[1995](『〈私〉の存在の比類なさ』所収)の末尾で、永井氏は、<他者とは別の独在者である。だが、このことが承認された瞬間、他者はあいならぶ単独者となる>と書いています。そしてこのセンテンスに付した註のなかで、森岡正博「この宇宙の中にひとりだけ特殊な形で存在することの意味」による永井氏の他者論への批判に言及した上で、<[森岡の]理解と批判が、私の議論の真意を捉えているか否かは、読者の判定に委ねたい>と記しています。


【194】「私」がいっぱい(その5)

 さて「永井−森岡論争」から炙り出されてきた論点は、まず「〈私〉とは何か」(論点A)と「〈私〉について語るとはどういうことか」(論点B)の二点。そしてこの二つの論点の関係をいかに考えるのか、さらにそのそれぞれに「他者」の問題がどうからまってくるのかが新たな問題として浮上してきました。

 もう少し精確に書いておきます。――〈私〉の存在をいかに認識するか(私的な感覚に基づくものであれ、公共的な議論を通じてのものであれ)ではなくて、「そもそも〈私〉とはいかなる存在なのか」(論点A)と「〈私〉の存在を言語で語るとはいかなる営みなのか」(論点B)の二つがまず問題となる。

 そしてこの二つの論点がどのような関係にあるのか──〈私〉が存在するという奇蹟への驚きからそれについて語る時空が切り拓かれてくるのか、あるいはそれについて語ることによって(もしくはそれについて語りえないことのうちに)のみ〈私〉は示されるものなのか等々──、さらにこれらの論点とは原理的に異なる「他者」の存在の問題(「他我」の認識の問題ではない)がそのそれぞれにどのように関係してくるのかが問題となる。

 この複雑に構成された論点群に関して、森岡氏はまず「永井−入不二論争」の分析を通じて、論点Aと論点Bを明確に区別すべきことの必要性を導き出していました。次いで他者の問題は後者においてのみ意味をもつものであるとした上で、以下もっぱら論点Bをめぐって「森岡の独在論」を展開したわけです。

 このような森岡氏の議論は永井氏の議論と似て非なるものである、という私の「感想」についてはすでに述べました。(ただし論点Aと論点Bを峻別したところまでは、永井氏の議論の懐深くまでくいこんでいたと思う。)それでは「永井の独在論」とはどのようなものだったのか。ここであらかじめ見通しをつけておきます。

 まず「森岡の独在論」との決定的な違いが、その他者問題のとらえ方にあることはいうまでもありません。永井氏は最初に〈私〉論を提示したときから一貫して、一対多の対立を超えた唯一性をもつ例外的な〈私〉の存在との関係のなかで、そしてそこにおいてのみ「他者」の問題を考えてきました。これを逆にいうと、そのような決して到達できない「他者」の存在の問題(「他我」の認識の問題ではない)が問題と感じられるかぎりにおいてのみ、神秘的な〈私〉の存在をめぐる問題が問題として立てられていたのです。

 森岡氏がいうような他者は、永井氏の議論では、現実世界を構成する「私たち」のうちにある「私」であり「人」であるほかはありません。少なくとも『〈私〉のメタフィジックス』や「他者」の段階では。そしてそこでは、論点Aと論点Bの関係は必ずしもそれとして掘り下げて論じられてはいなかったように思います。その理由は、永井氏が「私」と表記した「概念としての私」(永井氏がそう読んでいるわけではない)のそれこそ概念内容がいまひとつ明確でなかったからではないかと私は考えています。

 永井氏はかつて『〈私〉のメタフィジックス』のあとがきで、同書は当初の構想では四部構成となるはずであったと書いていました。超越(論)的存在者たる〈私〉をめぐる第1部「独我論─〈私〉の形而上学」、自己の特殊性=独自性についての自己知とこれにもとづく自己利益の主体である『私』(複数性をもった『人』として生きる〈私〉)をめぐる第2部「利己性─『私』の倫理学」、生物としての「人間」をめぐる第3部「自己愛─“私”の人間学」。この第1部と第2部のあいだに「自己中心性─「私」の論理学」という部が設けられるはずだったというのです。

 ここに出てくる「私」という表記は、<「私」の独我論[永井によれば「諸主観離在論」:引用者註]の真理性は〈私〉の独我論[永井がいう「本来の独我論」:引用者註]の真理性を隠す>(9頁)や<誰もがそれぞれ「私」なのであり、この私もその一例であるにすぎない>(27頁)といった使用例、あるいは次の引用文から明らかなように、「私たち」の現実世界を構成する同格の主体、つまり文法的−論理的な概念(言語ゲームのプレイヤー)を示すものにほかなりません。

<「私」たちの現実世界には、〈私〉の存在が認められる余地はなく、私もまた〈私〉として存在してはいない。〈私〉を語ろうとすることが不可避的に「私」の本質やある特定の現実の人間を語ることに帰着するという言葉の強制力は、私のこの現実世界におけるありかたを規定する強制力と確実に符合している。>(94頁)

 このような「私」をめぐる論理学を書き上げるためには、〈私〉とも『私』とも異なる「私」の独自の内実が示されなければなりません。結論を先にいえば、それこそが入不二氏のいう「単独性」の私(永井氏はこれを《私》と表記する)だったのだと思います。

 永井氏が書かなかった「自己中心性─「私」の論理学」ならぬ「単独性─《私》の論理学」こそが、〈私〉の独我論の語り方の問題、つまり論点Aと論点Bとのこみいった関係をテーマとする論考であるはずだった、そしてそれが「その後」の(「他者」以降の)永井氏の議論の中核をなすものであるはずだ、というのが私の「仮説」です。

 《私》の論理学。──それは、《私》たちが共在する現実世界(言語ゲームが行われる場あるいは「人称世界」)の成り立ちと稼働原理を解明する「論理学」であると同時に、単独性の《私》と独在性の〈私〉とのダイナミックでパラドキシカルな関係をも視野に入れつつ、一対多の対立を超えた〈私〉の複数性が成り立つ不可思議の世界(仮想現実)の存在構造を明らかにする「論理学」でもある。

 仮に森岡氏がいう「いのち」のようにすべての《私》が、そして《私》と〈私〉がつながっているのだとしても、そのつながり方の構造(類比的な「連鎖の環」等々)を立ち入って解明するのでなければ、つまり「論理学」あるいは文法学がそこに介在していなければ、それは単なる神秘主義的なつぶやきでしかないものでしょう。

 私の「仮説」のとりあえずの論証。──永井氏は『〈私〉の存在の比類なさ』の「はじめに」で、「他者」と「独在性と他者」とのあいだには明らかな断絶と深化があると書いています。そしてその理由は、入不二氏の議論を検討することによって明らかに考えが進展したからだと書いていました。

 また、「From De Se to De Me」における入不二氏の所論について論じた「独在性の意味(二)」の後半の註のなかで、<私の観点から見た入不二の議論は、『〈私〉のメタフィジックス』の第I部と第II部の間に存在すべきであった「《私》の論理学」の構想に非常に近いものである>という、科学哲学会のワークショップでの自らの発言を引用しています。


【195】「私」がいっぱい(その6)

 それでは「他者」と「独在性と他者」のあいだにある(と永井氏自身がいう)断絶と深化を、実地に確認しておきましょう。まず「他者」から。

 私がこの論文を読むのは、確実に思い出せるかぎりで五度目です。そしてそのたびに、最初に接したときほどではないにしても、「神秘感の伴わない神秘体験」とでも形容するしかない独特の感覚におそわれました。それこそ、永井氏が叙述するところの他者(他の〈私〉)の他者性がもたらす眩暈であり、それと同時に〈私〉の存在という奇蹟的な出来事がもたらす痙攣でもあるのだろうと私は考えています。

 しかしよくよく考えてみれば、そのような感覚を味わうこと自体、実に不思議な出来事です。思い違いをしているのでなければ、私は永井氏が語る〈私〉や他の〈私〉の存在についての議論を理解し同意し、かつ──この私にしか知りえない(しかしほとんどいつも忘れている)「私の世界」の構造をどうしてこの私ではない永井氏がここまで精確に叙述できたのかと──驚嘆さえしているのですから。

 さらにつけ加えるならば、永井氏が「他者」で展開している議論は、要するに「〈私〉の独我論は、それにしたがえば本来存在しえないはずの他の〈私〉の存在を暗に措定したときにのみ、まさに独我論という論として語りうるものになる」(『〈私〉の存在の比類なさ』56頁)こと、逆にいうと「私にとっての〈私〉とは何かは、他者への伝達という問題を視野の外において語られる(考察される)ものであるにもかかわらず、それは逆説的なかたちで伝達され、しかもそこで伝達されるものの内で、そしてそこにおいてのみ、他者というものの存在の様式(他者の他者性)が開示される」(同26頁)ことの論証である──などと要約し、かつそのような要約ではこの論文の魅力はとても表現し尽くせない──などと評言を繰り出すことさえできるのですから。

 私にとっての〈私〉は、永井氏にとっての〈私〉とは異質の存在であるはずです。そうであるにもかかわらず、私はどうして永井氏の論文がこの私にとっての〈私〉の存在様式を見事に解明していると驚嘆できたのでしょうか。(お前は間違って理解してしまったのだといわれても、私が理解していると思っているあいだは、誰も、永井氏でさえもけっして私が理解していないものとすることはできないだろう。)

 あるいはまた、永井氏が暗に措定した「他の〈私〉」が私にとっての〈私〉であるとはいえないし(というのも永井氏はこの私を知らないし、永井氏にとっての〈私〉がこの私にとっての〈私〉を知っていることなど原理的にありえないから)、仮に永井氏の議論が私に伝達されたのだとしても、私に伝達されたものの内で開示されたのはこの私にとっての〈私〉の存在様式なのであって、永井氏がいう「他者の他者性」であるはずはありません。そうであるにもかかわらず……。

 そして以上に記したすべての文章や議論が、〈私〉という表記とそれが示す奇蹟的な出来事への驚き、さらには「私にとっての〈私〉」といった表現も含めて、永井氏が永井氏にとっての〈私〉について語った文章や議論からの請け売りにほかなりません。しかし、そうであるにもかかわらず……。(ところで、ピタゴラスの法則が普遍的に成り立つことと、永井氏の議論が普遍的にすべての「私」に妥当してしまうこととの根本的な差異はどこにあるのでしょうか。──念のために付言すると、これは反語的な疑問文ではない。)

 いずれにしても、ここには尋常ならざるコミュニケーションが成り立っているというほかはありません。(それは小説の作者と登場人物とのあいだの「コミュニケーション」に近いのかもしれない。あるいは、そもそも一般にコミュニケーションの成立そのものが尋常ならざる出来事だというべきなのかもしれない。)──念のために付言すると、それは森岡氏の次の文章に出てくる「コミュニケーション」とはまったく異なる種類のものだろうと思います。

<ほんとうは不特定多数に向かってしゃべっているのに、あたかもこの私だけに向かってしゃべってくれたように感じるコミュニケーションのことを、社会学では「パラ・ソーシャル・インターラクション」と呼ぶが、尾崎[豊]のステージはその典型であろう。/この私だけに向かって語ってくれているのだと思えるとき、そのことばは、私のこころの奥深くまで届く。それは、私がこころの底でかかえていた、不安や恐れという感情にまで届くのである。そしてそれらをやさしく包んでくれる。>(『宗教なき時代を生きるために』法蔵館,157頁)

 私が永井氏の議論を理解してしまうこと。それも「不可避的に」そうしてしまうこと。ここにある論理的−文法的な構造は、「他者」のなかで(示唆されてはいるものの)それ自体として主題的には取り上げられていません。「独我論の本質」というサブタイトルをもつ「独在性と他者」が論じているのは、まさにこの「構造」についてです。


【196】「私」がいっぱい(その7)

 永井氏が「独在性と他者」で論じている事柄の要点を記しておきます。(いうまでもないことでしょうが、この論文は以下の「要約」では汲み尽くせない深さと広がりをもっていますし、またその議論の全体が、その細部や叙述の展開それ自体を含めて、終わりのない「独在化の運動」そのものを示すといった、メタレベルとオブジェクトレベルとの反転常なきパラドキシカルな力動的構造を内在させています。)

 まず独在性こそが独我論の本質であること。しかし独在性の〈私〉は成就した瞬間に単独性の《私》に読み換えられ、かつ独在的水準における「他者」(すなわち別の独在者)は垣間見られたとたんに同格的に存在する複数の単独者の一つに転落してしまうこと。しかもこのような〈私〉の等質化・平準化あるいは独在者の複数化の思考の消滅は「不可避的」なものであること。そうであるにもかかわらず、独在性はそのような単独性を媒介として「他者」(すなわち別の単独者)に伝達されるものであること。

 「他者」論文との決定的な違いが、入不二氏の議論を踏まえた「単独性の《私》」の導入にあることは見やすいでしょう。そしてこの単独性水準の設定を通じて、「独在性と他者」は「他者」論文を二つの点で深化させているのだと私は見ています。

 その二点はいずれも、独我論や他者問題を語るときに炙り出される「ある(論理的)構造」に関係しています。第一のそれは〈私〉や「他者」の存在認識に関する「論理−神経哲学的」構造、第二のそれは〈私〉や「他者」の存在そのものに関する「論理−情報神学的」構造と、それぞれ名づけておきたいと思うのですが、このことについて述べるまえに、単独性という概念について一言。

 私は残念ながら永井氏が言及している入不二氏の諸論文を入手できなかったので、単独性をめぐるオリジナルな議論を実は知りません。ですから、これまで(そしてこれからも)私が述べてきたのは、あくまで永井氏が理解したかぎりでの単独性の概念であって、それは次のように定義されています。

<ここで新たにつけ加えたい点は、[『省察』第二・第三段落中に出てくる]デカルトの「私」を(たまたまデカルト自身によって言及された)デカルトという人物と解することも、誰にとってもの自分自身と解することも、ともに拒否しえたとしても、そういうやり方で独在性の〈私〉に到達できるわけではない、という点である。なぜなら、どの人物を取り上げても、(たまたまその人物自身によって言及された)その人物のことでもなく、誰にとってもの自分自身のことでもない、唯一の自己が考えられるからである。このような自己を、入不二基義に倣って単独性と呼び、単独性の自己をかりに《私》と表記しておこう。>(『〈私〉の存在の比類なさ』72頁)

 私なりに整理すれば、単独性の《私》とは、固有名(あるいは代名詞その他適当な記号)によって同定され、しばしば人格的もしくは身体的な同一性が想定される個体化された「私1」や、自己言及性という再帰的な形式によって限定され、しばしば記憶や自己意識を伴う精神過程を内蔵した自我と同一視される「私2」とはまったく異なる存在です。

 「人格個体」(私1)や「一般的自己意識」(私2)の等質性をもっては表現できない唯一性や類例のなさによって特徴づけられる(しかしそこで強調される唯一性や類例のなさは常に一般化され複数化されるしかない)「私3」、同格者として並びたつ公共的な言語ゲームのプレーヤーこそが《私》、すなわち単独者としての「私3」であるということでしょう。

 そして、その存在は奇蹟であり特定の人物との結合は原始偶然であるというほかはない〈私〉、すなわち独在者としての「私4」は、決して「私3」と一致しないにもかかわらず、その奇蹟性と偶然性の主張は、言語ゲーム的合理性のなかで不可避的に単独性の主張に読み換えられ、かつそのことによってのみ他者に伝達されるというわけです。

(永井氏自身は、「奇蹟的・偶然的」な存在者たる〈私〉との対比において、《私》とは「私」に関する言語ゲームのあり方から必然的にその存在が要求される「合理的・必然的」な存在者であると規定している。)

 それでは、そのような単独性水準の導入によって「他者」論文はどのように深められたのか。以下、上述した二つの構造について、順次見ていくことにします。


【197】「私」がいっぱい(その8)

 永井均「独在性と他者」をめぐって(承前)。

 第一の構造(「論理−神経哲学的」構造)について。永井氏は「他者」論文で、<哲学的他者問題において使用される「私」あるいは「自分」という表現には、ほとんどの場合、二重の意味が込められている>と書いていました。

 たとえば「自分と他人は違う」という文章に登場する「自分」は、この文章の筆者であると同時にすべての人にとっての自分自身を意味しており、このような二義性は「私と他人は違う」といいかえても基本的に異ならない。つまりここでいわれる「私」とは、すでにみんなの「私」(等質化された「私」)なのであって、そこでは「私」にとっての他者問題がすでに万人にとっての他者問題に変質しているというわけです。

 「独在性と他者」では、こうした哲学的他者問題(の表現)をめぐる「ある構造」は、独我論を公共的に理解可能な「論」として立てることの本質的な困難として──すなわち、複数の主体が同格的に存在する我々の言語ゲームの中にあって、誰もが独我論的な世界のとらえ方をする「私」でありうることによる挫折・変質として──より一般化されたかたちで指摘されています。そして「他者」論文と違って、ここでは「ある構造」の二つの類型が明示的に区別されているのです。

 その第一の型はたとえば次のようなもので、永井氏によれば、ここに出てくる類の誤解や混同は注意すれば避けられるものにすぎず、真に「不可避的」なものではない。

<かつて私は、〈私〉が永井均であることは〈偶然〉であり、したがってそうでないことが〈可能〉である、と主張した。この主張は、まずは自我の人格からの離脱(と他人格への転移)の可能性の主張と誤解された。まさにその誤解の構造こそを主題化するために書かれた文章が、ある意味ではまさに注文通りに誤解されたわけである。>(『〈私〉の存在の比類なさ』76頁)

 ここで述べられているのは、私4と私1の関係を私2と私1の関係と混同する「かなりレベルが低い」誤解についてです。永井氏は、私4の残骸としての私2(あるいは私1+2)をめぐる独我論的な議論を「残骸としての独我論」と名づけ、たとえば他我認識の可能性に関する懐疑論的・不可知論的主張から帰結する認識論的独我論(自己意識に特別な地位を与える西洋近代哲学の基本構図がその上に成立する)をその最悪の形態と指摘していました。

 この認識論的独我論をめぐってちょっと面白い議論が展開されているので、そのエッセンス(と思われる箇所)を引用しておきます。──永井氏によると、独我論の本質たる独在性の意味を理解するためには、心理的・現象学的考察よりも、むしろ反独我論的とされる唯物論的・物理主義的見地に徹するほうがはるかに有効である。

<今、そういう見地に立ってみよう。銀河系があり、太陽があり、地球があり、そこに何種かの生物が棲息しており、人間はその一種である。その人間に意識や自己意識という現象が起こるが、それらはすべて脳および神経系という物理的対象の機能である。今、問題はこのような見地が哲学的に承認できるか否かにあるのではない。それが──たとえ独我論的気分とは矛盾するとしても──独我論の本質である独在性の見地とは矛盾しないという点が重要なのだ。[中略]重要なことはただ一つ、その自己意識たちの内の一つが(なに故か)この私であり、他は(なに故か)そうではないということ、そして、それがこの私であることは、それが永井均であることと無関係であること、それだけである。>(68頁)

 独我論の挫折・変質をめぐる第二の型は、いうまでもなく私4(独在者)と私3(単独者)の混同であって、永井氏によれば、それは真に「不可避的」であるがゆえにもはや誤解とさえいえない種類の誤解によるものです。

 ちなみに、この「不可避的」な取り違えによって私4の痕跡としての私3を語る独我論を、永井氏は「痕跡としての独我論」と名づけ、たとえば存在論的独我論(体験に関する諸主観共在論的立場や規範に関する基準論的立場)をその例としてあげていました。

 さて、哲学的他者問題をめぐる「ある構造」の第二の型は、私4と私3が切り拓く「世界」の構造、すなわち単独性水準の導入によって「独在性と他者」論文が切り拓く第二の論理的構造へと直接的につながっていくのですが、話題を転じる前にここで余談を一つ。テーマは「独在性の痕跡は脳および神経系という物理的対象の機能であるかどうか」。

 永井氏は『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書,57-8頁)で、次のように書いていました。──ある特定の大脳状態が自己意識や自我のある特定の状態をつくりだしている、ということが発見されることはありえても、大脳状態であれなんであれある特定の物理的性質やそれがもたらす精神的性質が、ただひとつの事例しかなく同じ種類の他のものが存在しない〈私〉をつくりだしている、ということが発見されることはありえない。

 これに対して池田清彦氏は、次のように「反論」しています。(私は、以下の引用文中の最後の文章を除いて、池田氏の議論は正しいと思う。ただ、「〈ぼく〉や〈私〉に不思議がっている心の状態」と「脳および神経系という物理的対象」の活動との対応関係が発見されることはありえても、それは〈私〉の存在の奇蹟性や偶然性への「驚き」そのものが科学的に説明できたことにはなりえないだろう。)

<永井氏的な意味での〈ぼく〉や〈私〉は完全ユニークなものであり、いかなる客観とも対応できないものであるから、科学では説明できないのは全くその通りである。しかし、そういう永井の話がわかる人がいるということは、そういうふうに考える心の状態には共通性があるということでもある。そうであれば、〈ぼく〉や〈私〉に不思議がっている心の状態は、脳の活動と対応できるかも知れない。対応関係の彼岸にある存在はどのみち説明はできないのである。だから、〈ぼく〉や〈私〉それ自体が科学的に説明できないのは、「神」それ自体が科学的に説明できないのと、それほど違わないと私は思う。しかし、「神」の存在は疑えても、〈ぼく〉や〈私〉の存在を疑うことはむずかしい。>(『科学とオカルト』PHP新書,132頁)


【198】「私」がいっぱい(その9)

 永井均「独在性と他者」をめぐって(承前)。

 第二の構造(「論理−情報神学的」構造)について。永井氏は「他者」論文で、「ある特定の人物が現実の両親とは別の両親から生まれることが出来たかどうか」という問題を立てこれを否定したクリプキの議論を紹介していました。

<ある一人の人物が彼の実際の起源とは異なる精子と卵子から生まれて来た可能性はない、という私の先の見解は、暗にデカルト的な見方の拒絶を示唆している。独立に存続する精神的実体としての魂や心という観念が、われわれにはっきり理解できるとすれば、どうしてそれは特定の精子や卵子といった特定の物質的対象と必然的に結びつかねばならないことがあろうか。…私が私の実際の起源とは異なる精子と卵子から生まれてくることを想像するのは難しいという事実は、われわれが魂や自己という概念をそれほど明確には理解していないことを示しているように思われる。>(『名指しと必然性』産業図書,232頁)

 「デカルト的な見方」を擁護する立場に立つ永井氏は、当然クリプキのこの主張を認めません。

<クリプキこのような見解の根底には、一種の神学的な前提が潜んでいるように思われる。すなわち彼は、世界を創造する神の視点から、それもこの現実世界を時間的な順序に従って物理的に創造していく神の視点から、世界を見ているのである。[略]もちろん私は、クリプキのこの主張をまったく認めない。われわれは「起源」を[ある個体をその個体たらしめている:引用者註]本質的性質とみなすクリプキの見解を正しいものと仮定したのだから、エリザベス二世や永井均やクリプキが彼らの実際の起源とは異なる精子や卵子から生まれてきた可能性は否定している。しかし、〈私〉が彼らと運命をともにすべき理由はまったくないのである。>(『〈私〉の存在の比類なさ』36-7頁)

 神といえば、「他者」論文ではこれ以外に、特定の諸性質をもった人間を生み出すスピノザ的な「神あるいは自然」と、〈私〉の創造者でありかつ〈私〉を識別できる唯一の他者であるデカルトの神の名があげられていました。ここでいわれるクリプキの神とスピノザの自然とはほぼ同義で、生命や神経システムを含む物質的世界の、すなわち宇宙の創造者のことを意味しているのだと思います。

(これに対して、デカルトの神が創造するのは〈私〉や〈時間〉といった〈情報〉にほかならないと私は考えているのですが、自分でもちゃんと定義できない概念をもちだしてみても議論は始まりませんので、ここでは永井氏の論文のフォローに徹することにします。)

 さて「独在性と他者」では、スピノザ(=クリプキ)的な神とデカルトの神は合成され、現実世界はこれらの神がそれぞれもたらす二種の奇蹟──世界がこのように存在しこの私が現にかくあるものとして存在すること(スピノザ的奇蹟)と、この世界にあってこの私が〈私〉でないことも〈可能〉であったにもかかわらず現に〈私〉であること(デカルト的奇蹟)──が折り重なってできた複合態として把握されています。

 このような複合的な「世界」のとらえ方は、実は「他者」論文でも示されていたように思うのですが、単独性水準の導入を介してこそ、より鮮明にかつ深く叙述することが可能になったのではないかと私は見ています。

 たとえば永井氏は、上述の二種の奇蹟に関連づけて、二つの仮想現実──その一つは「スピノザ的奇蹟」に関連する「可能世界」(例:この私が生まれなかった世界)で、いま一つは「デカルト的奇蹟」に関連する「別の世界」(例:この私以外の人間あるいはその他の存在が〈私〉であった世界)──を思い描いています。

 そして、前者の「可能世界」をめぐる思考が現実世界とは異なる時空をもった世界(宇宙)の存在を帰結するのに対して、後者の「〈私〉に関する別の世界」の思考にあっては、現実世界(この私が〈私〉である世界)と同時に同じ場所に、相互に重なり合いながらも無限の距離によって隔てられた「他者の世界」(別の〈私〉の世界)が帰結されるのです。

<だが、この独在者の複数化の思考は、成就した瞬間に消滅を余儀なくされる。独在するはずの〈私〉が、複数の《私》のうちの一つに転落するからである。矛盾的・逆説的な仕方で複数個存在しうる〈私〉を、〈魂〉と表記するならば、〈魂〉は垣間見られたとたんに「魂」に転落するのである。他者とは別の独在者である。だが、このことが承認された瞬間、他者はあいならぶ単独者となるのだ。>(81頁)

 ──こうして議論は振り出しにもどりました。そして、「その後」の永井氏の〈私〉論をめぐるサーベイ(というより永井氏の議論をサカナにした「独自」の探究への序説的試み)はここでいったん中断します。

 当初の目論見ではこの後、入不二基義氏のホームページに掲載されていた論文(いずれも「永井−入不二」論争以後に発表されたもので、「無主体論の可能性」「独我論の語り方」「「ない」よりもっと「ない」こと」の三篇)を取り上げ、永井氏の議論と比較しながら《私》の論理学をめぐる(独自の)考察を深めた上で、さらに「その後」の永井氏の宇宙選択問題や人称世界論へと進んでいく予定でした。

 そしてその途上で、ポール・オースターの「ニューヨーク三部作」を分析してみたり、東浩紀氏が『存在論的、郵便的』で提示した「郵便的思考」すなわち確率的複数性をめぐる思考──あるいはフェリックス・ガタリが『分裂分析的地図作成法』で示した複数的な超越論的世界──と永井氏の「独在者の複数化の思考」を比較したりしてみたいと考えていました。(とりわけガタリが上掲書で、経験的世界と超越論的世界の両面において「可能的」な区域を設定していたことは、永井氏が思い描いた二つの仮想現実との関係で実に刺激的。)

 しかし、このような純粋思考的な世界(「論理−情報神学的」世界?)へと一直線につき進むまえに、いましばらく「私哲学」的もしくは「自伝哲学」的な世界(「論理−神経哲学的」世界あるいは森岡正博氏がいう「煩悩哲学」的世界?)に踏みとどまっていたい、いや踏みとどまるべきだと思ったのです。(実際のところは、純粋思考的世界が強いる緊張を持続することがちょっと面倒になったのが本音。)

 そういうわけで、「私がいっぱい」パート1をここで終えます。パート2は、たとえば「物質と時間」といったタイトルで近いうちに再開したいと考えているのですが、これも実際のところどうなるかはわかりません。(「物質と時間」というタイトルは、ベルクソンの『物質と記憶』とハイデガーの『存在と時間』を重ね合わせて造りました。といっても、格別の深い意味があっての命名ではありません。)


【199】「私」がいっぱい(雑録の1)

●独我論は、他者が皆ロボットかもしれないと思うよりも、私こそが実はロボットかもしれないと思うときの方が「凄み」がある。ロボット、あるいは「こころ」を抜き取られた「ヒト」としての私。(このことは、永井氏も『〈私〉のメタフィジックス』16頁以下で論じていた。)

●「精神」と「こころ」の区別、「能力」と「具現」の区別について。──岩田誠氏は『中央公論』(1991.1)掲載のエッセイ「脳と「こころ」はどう違う」のなかで、“Brain & Mind”を「脳とこころ」と訳するのは誤訳であると述べている。「こころ」に対応する語は soul なのだから、正しくは「脳と精神」と翻訳すべきであったというのだ。

<それでは、「精神」と「こころ」とはどこが違うのだろうか。私自身は、「精神」という言葉を、ヒトという種に固有の精神活動を意味するものと解釈している。それは、ヒトの脳に存在する神経回路網によって営まれる神経活動に対応した、ヒトという種の生物に普遍的な現象であり、神経回路網によって実現され得る能力(competence)を意味する言葉である。これに対し「こころ」は、そのような精神活動のさまざまな組み合わせによって生まれてくる個体に特異的な現象であり、神経回路網による活動の実際の具現(performance)である。わかりやすく言うならば、ヒトの精神活動として、「何が出来るか」を論じるときには「精神」という語を用い、「何をしたか」を論じるときには「こころ」という語を使うべきではないか、と思うのである。>

●ここに出てくる「ヒトという種にとっての固有性」「ヒトという種の生物にとっての普遍性」「個体にとっての特異性」という三つの概念を使い分けるとき、岩田氏はいったいどういう場所に立っているのだろう。

 そもそも「〜にとって」という限定詞が繰り出される場所はどこにあるのだろうか。たとえば永井氏の思考実験に出てくる「この私にとっての私の同一性」「他人(隣人)にとっての私の同一性」「神にとっての私の同一性」。(「〜として」や「〜のように」等々についても同様)

●「私」にとっての「他者」とは、実は「死後の私」なのではないかと思う。ここで死後の私というとき、それは(魂であれ魄であれ)肉体をもたない非物質的な天使的存在であってもいいし、異なる時代と場所に転生・再生・復元・蘇生・遡生した生身の人間(あるいは、同じ両親のもと同じ時代と場所に「永遠回帰」的に生まれてきた「私」)であってもかまわない。そして、そのいずれの場合にあっても、記憶や身体の連続性は本質的な問題ではない。(後代において物語られ理解される歴史。新しい脳によって包摂された古い脳。)

 このような意味での他者は、基本的に「未来」を住処としている。というのも、それは「死後の私」なのだから。そうであるとすれば、結局のところ他者問題とは、現在と未来という異なる時間の存在様態の関係を問う「問題」であるということになるのだろうか。

●中島義道氏は、「心身問題」とは現在と過去の関係の問題だという。

<いきなり宣誓しますが、私は知覚ではなくむしろ想起こそ「心身問題」のモデルだと思っております。それをみな知覚の場面で論ずるから、答えられないことになる。心身問題の原型は想起、すなわち「刻印」というブラック・ボックスにおける現在と過去との関係なのですが、知覚をモデルにしたとたんに心身問題を引き起こす張本人である「時間」は消去されてしまい、大脳の〈ウチ〉に想起の「場所」を求めるというあたかも空間論のようなかたちをとってしまうのです。>(『時間を哲学する』講談社現代新書,101-2頁)

●中島氏よれば、人間とは〈今ここ〉から離脱しつつ〈今ここ〉にとどまっている二重存在なのであり、眼前の知覚風景を見るとき、いつも「見えないもの」としての想起風景との関連で見ているのであって、したがって現在と過去の二元論を「克服」することはけっしてできない。そして、過去はどこへ「行った」のでもなく、「もはやない」ものとして〈今ここ〉にある。

<つまり、現在と過去との両立不可能な関係を必死に「解決」しようとするのではなく、むしろこの矛盾的関係こそ、「ここから」すべての現象が説明されるような根源的関係なのではないか、と思われます。大脳のある状態Gを過去の痕跡とみなす関係は、ほかのところからは説明不可能な根源的関係なのです。[略]
「心身問題」のモデルが過去と現在との時間関係であり、具体的には過去の出来事を現在想起することであるという私の見解の根拠はここにあります。「痕跡」というブラック・ボックスの中を探っても現在と過去との関係を示すような証拠物件は何も出てこないでしょう。すべて順序が逆だからです。われわれは現在と過去との根源的関係から出発して、それを適用して大脳の中に「痕跡」というものを読みこんだのですから。>(同168頁)

●未来の痕跡──「痕跡としての独我論」における〈私〉。あるいは根源的忘却(=未来?)の痕跡──「忘却としての独我論」における〈私〉。

●大森荘蔵氏との対談での中島氏の発言。

<もう少しがんばりますと、大森さんの過去論に対する反論としてはもうひとつあります。現実性と可能性、アリストテレスの顕在性と潜在性、あるいは起きているときと眠っているとき、こういう言葉を使うほうが過去のとらえ方に合っているのではないかと思うんです。つまり普通われわれが想起するものそのものが過去であるというよりは、想起にはすでに忘れるということ自身が入っていますので、われわれは想起し得るものを過去ととらえます。
 あるいはベルグソンに沿って言いますと、眠っているものをたたき起こして想起するというように、想起ということの中には現にしたこと以上の外延が広がっていて、その中の潜在的なものを選択的に顕在化させるという意味のほうが言葉に沿っているし、われわれの日常的な語り方に近いような気がするんです。これを使いますと、超越的な過去があるという議論にまでいかない、途中の、想起可能な過去の存在というところでとどまりませんか。想起可能性のところで過去の存在を確保できませんか。>(『哲学者のいない国』洋泉社,177頁)

●予言と祈りについて。──大澤真幸氏は『戦後の思考空間』(ちくま新書)で、予言とは他者による先験的選択であると指摘している。また同氏は「祈りの時間性」で、祈りとは過去にむけられたときにこそ真に切実なものになると指摘している。

<…過去への祈りの切実さや唇をかみしめるほどの悔恨の深さの方から翻ってみた場合には、願望や祈りについて、次のようにすら言えるかもしれない。すなわち、それらは、未来にむけられた形態ではなく、過去にむけられた形態をこそ、むしろ原型としているのではないか、と。祈りや願望は、たとえ未来に向けられている場合にも、きたるべき出来事を未来完了形の相において、つまりそれが過去であるかのようにかかわることにおいて、結晶するからである。>(『群像』1999.2,464頁)

●小泉義之氏の「言葉の停止の問題」から。

<記憶は言葉以上でも言葉以下でもない。「記憶しえないもの」「忘却」「語りえないもの」という言葉をいくら積み重ねようと、記憶が言葉以上のものになるわけではない。記憶の言葉の無際限性を真剣に受け止めるなら、どこかに境界があって、その外部を何らかの逆説的な言葉で指示できるなどと考えるわけにはいかない。また言葉の限りない進行のその先の彼方をマークするかのように見える言葉によって、言葉の限りない進行を断ち切れるなどと考えることはできない。そして当然にも、彼方をマークする言葉を掲げることによって、言葉の戦争で優位に立てるとか言葉の戦争に決着を付けられるなどと考えることもできない。このように記憶の無限性を言葉の無際限性に転移することによってアウグスティヌスは、何か異例に見える言葉にすがって回心したと書き付ける道を自ら断ち切ったのである。>(『批評空間』II-9,111-2頁)


【200】「私」がいっぱい(雑録の2)

●神経システムが伝達するのは情報の要素であって、情報そのものではない。──ここでいう「要素」とは、要素を総合したものが情報であるとか情報を分析すると要素に還元できるなどとはいえないような、そのような様態において存在するものである。

 それは、認識しつつ存在するもの──存在するとは行為すること(たとえば創造)であり、かつ行為することが認識であるような、そのような様態において存在するもの──との結合によって、はじめて情報となる。

 たとえば「文字」を考えてみよう。──文字は情報(=意味?)の媒質であり要素である、といえるかどうか。(文字の天使的存在性。たとえば電磁場のような。──幾何学の公理でいう「幅のない線」で書かれた文字はない。現実の文字は、幅だけではなく色や「かすれ」その他様々な物質的な様態において存在している。)

●人称と時制、法[mood]との関係。──たとえば一人称は過去であり、二人称は現在であり、三人称は未来である、などということができるのか。その場合、単複をどのように考えればいいのか。あるいは接続法過去がもつ意味(祈りや予言等々との関係)を考えること。

●無意識とは「他者」へ至る通路である。(フロイトの「転移」が遂行される通路?)あるいは、無意識は「他者」の媒介によって顕在化され、それと同時に潜在化(=実体化?)される。──「〈私〉が永井均であることは〈偶然〉であり、したがってそうでないことが〈可能〉である」という永井氏の主張が、自我の人格からの離脱と他人格への転移の可能性の主張と誤解されたこと。

●他者問題と心身論と時間論の関係。──小浜逸郎氏は『無意識はどこにあるのか』(洋泉社)で、<無意識とは、現在の実存の断面における、意識性を越えたすべての自己関係性のあり方に対する一般的な命名と考えるべきなのである>(184頁)とし、この自己関係性のあり方を条件づけるものとして──そして無意識を構成する条件として(224頁)──「他者性」「身体性」「時間性」の三つの概念を抽出している。

●私1から私4までの相互の「位置」関係を図示すれば、次のようになるのだろうか。──下図は本来四次元であって、私1と私2が一つの平面を形成し、私3はそこから垂直方向に(「精神−人格」の軸上やや「人格」よりに)位置し、私4は不可視の方向に(「身体−生命」の軸上やや「生命」よりに)位置する。

            精神
            │    【私2】
            │
     身体 ────┼──── 生命  【私4】
            │
    【私1】    │
          (法的)人格

           【私3】

●たとえば下の四つの空欄に、私1から私4までをはめ込むことはできるだろうか。──なお下図については、ガタリ『分裂分析的地図作成法』訳書50頁と東浩紀氏『存在論的、郵便的』200頁の図と比較のこと。

           ┌──――──┬─――───┐
           │ 知覚世界 │ 想起世界 │
    ┌─――───┼――────┼─――───┤
    │ 可能世界 │      │      │
    ├――────┼──――──┼─――───┤
    │ 現実世界 │      │      │
    └──――──┴─――───┴───――─┘