オリゲネスの遺産:オリゲネス,プロティノス周辺



【169】オリゲネスの遺産・オリゲネスの1

 有賀鐡太郎著『オリゲネス研究』(全國書房版)の「序論」を眺めていて、ちょっと面白い記述を見つけたので、そのまま(ただし漢字は現代表記で)引用します。──ちなみに、「はしがき」によると本書の原稿が完成したのは昭和十六年、長崎書房から刊行された初版が同十八年で、私が手にしているのは同二一年刊の再版です。(現在は、創文社版の著作集第一巻に収められているとのこと。)

<その上また一般にかの時代と今の時代とは或る共通の性格を有つてゐる。即ち其が平和と繁栄の時代の後に来た経済的不振と政治的混乱の時代であると云ふことである。所謂帝政初期に於けるローマ帝国は資本主義的繁栄の時代であつて、治安は比較的よく保たれ、経済的活動は自由且つ活発に行はれてゐた。然るに第二世紀に於てトラヤヌス帝のダキア遠征は政府にとつて多大の負担となつたのであり、又その他の経済的原因も加はつて、マルクス・アウレリウス帝の時代(一六一─一八〇)にはアウグスツスの下に三五銭の価値を有してゐたデナリが二一・五銭の価に低下した(トラヤヌスの遠征の結果、それは既に二四銭にまで下つてゐた)。それからは益々下り坂を辿り、二〇〇年頃には一二・五銭となり、二九〇年頃には僅かに一銭となつた。
 一八五年に生れ二五三、四年に世を去つたオリゲネスが如何なる時代に住んでゐたかは之を見ただけでも略察せられる。其はローマ帝国の一大危機であつた。>(9頁)

 いま一つ、引用しておきます。

<無論第三世紀と第二十世紀とは時代的にもかけ離れて居り、わが国とローマ帝国とは国柄から云つても全く異つてゐる。けれどもギリシア・ローマの古代文化とその宗教を有つ国家及び社会に対してキリストの福音を迫害と困難とに耐へつゝ弁証しなければならなかつた事情は、古代東洋の豊富な文化的遺産を承継ぐ日本に於ける基督者の事情と相似たものがある。殊に、ヘレニズムの宗教意識は印度的汎神論的宗教意識と同じ類型に属するものである事を想へば、此処に於ける対立と彼処に於ける対立とが共通の性格を持ち得るものである事は怪しむに足りない。本質的に非人格的な実在との合一を目的とする宗教とヘブル的聖書的人格神を信ずる啓示の宗教とは互に領会し合うことは困難である。
 特にまたオリゲネス自らそのギリシア・ローマ的(ヘレニスト的)文化の中に生ひ立つた者として、しかも基督者として、この文化に基督教の福音を弁証しようとしたことは、日本に於ける基督者が、日本人として日本人に、東洋人として東洋人に、福音の証を立てようとする努力と頗る相似たものがある。それは既に基督教的に色づけられた文化の中に育つた宣教師が道を伝へるときの事情とは余程異つてゐる。この意味に於てオリゲネスと云はず一般に初代教会に於ける基督教弁証家の立場と苦心とは、欧米の学者よりも日本の基督者に更に親しく感ぜられるのであるが、とりわけ彼の如く徹底的にギリシア的であり而も徹底的に基督者としての熱誠を示した人の気持は欧米の学者には理解しにくいらしい。その事は此の書の結論に於て論評しようとする諸家のオリゲネス論に徴しても悟り得られるのである。それ故に私は日本人としてオリゲネスを読み直すことに特殊の意義を感じたのである。>(7-8頁)

 それでは、本書の「結論」で著者はいかに論評しているのか。このことにふれる前に、『オリゲネス研究』の目的と方法と構成を概観しておきましょう。


【170】オリゲネスの遺産・オリゲネスの1(続)

 著者は冒頭で、「神学的解釈学」の立場からオリゲネスを研究することが本書の目的であると宣言し、「オリゲネスの基督者的人格の在り方」を明らかにすることが本研究の目的であると述べています。

 それが意味しているところを大雑把に整理しておくと、著者はまず、信ずる者の立場に立つことを非科学的であると排斥した近代的な自由神学の論述するキリスト教本質論が、特定の人間文化の制約と前提との下につくられた歴史像にすぎず、<せいぜい基督教の外面的特質を捉へ得たに過ぎなかった>ことへの不満を表明します。

 その一方で、聖書を単なる歴史資料と見るのではなく、その文字の背後に神の言を聴きとることを提唱したカール・バルトの解釈学的神学が、信ずる者の立場に立った点において正しいものであったにもかかわらず、<其が超自然主義である限り於て、其は教理主義的旧神学への逆転の傾向を強く示してゐる>と批判したあとで、筆者は、次のように書いています。

<如何に信ずる者の立場に立つも人間は人間であり、理性は理性である限りに於て、神の言を直接にその探究の対象とすることは出来ない。其は漸く「信ずる人間」を直接の対象とし得るのみである。即ち、神の言自体ではなく、神の言を体験する人間を直接には理解し得るのみである。固より其が神の言の体験である限り、その体験を検討することによつて神の言の実存的性格を能ふ限りに於て把握し得るのであるが、体験の研究を飛び超えて直ちに其の超越的なるものの認識に向ふことは人間には許されてゐない。>(4頁)

 著者がいう神学的解釈学とは、その著作等において表現された「信ずる人間」の人格自体のあり方を「共感的理解」の方法によって、すなわち人格が人格を以心伝心的に直観することによって突き止めることにほかなりません。

 しかし、厳正な史学的操作を経ていなければ、それは結局のところ想像力による創作に終わってしまうし、逆に、共感的理解なき科学的研究では深みある歴史像は浮かび上がってこない。とりわけその対象が宗教的人間であり体験である場合、これらの困難は大きくなるのですが、そうであればなおさら、この分野での解釈学的研究の意義も深いのだと、著者は述べています。

 それでは、人間の人格とは何か。人格を理解するとはどのような営みなのか。

<惟ふに人間の人格は文化及び歴史と関はりを有つことは勿論であるが、それは又測り知れぬ深淵の上に立ち、また無限に高い天を仰ぐ存在である。エペソ書[パウロ]の表現を用ひるなら「廣さ・長さ・深さ・高さ」の四つの次元を持つ存在である。文化的歴史的関はりの面即ち人間の廣さと長さとは合理的に理解し得るのであるが、その人がその足下に横はる底知れぬ深みに、又その仰ぐところの測り知れぬ高みに如何なる関はりを有つてゐるかは他人の観察の網目から逃れ易い面である。けれども人間の在り方はその凡ての次元について計られなければ真に理解されたとは云へない。殊にオリゲネスの如き宗教的人格に於ては然りである。>(19頁)

 ここで、少しだけ先回りして「結論」での叙述を引用しておきます。

<私の方法は環境との横の連関、また思想史的(教理史的、哲学史的)乃至は敬虔史的縦の連関を従とし、それよりも体験とそれの表現との奥行的深みの関係を主として研究する意味に於て立体的であると云ふことが出来る。>(457頁)

 著者がいう人格の四次元をオリゲネスにあてはめるならば、ヘレニズム後期のアレクサンドリアで知識階級に属するギリシア人の子として生まれた文化的環境が「廣さ」(横)に、グノーシス主義が隆盛を極め、ネオ・プラトニムズへと展開しつつあったギリシア的哲学思想と初期キリスト教思想の巨大な潮流が渦巻いていた思想史的状況が「長さ」(縦)に相当するのでしょう。

 キリスト者としてのオリゲネスの「深さ」と「高さ」については、著者自身が次のように述べています。

<彼は「祈祷論」なる書を著してゐる。又「殉教のすゝめ」を書いてゐる。前者に於ては彼が神に対して如何なる関はりを有つてゐたか、即ち祈りの問題について如何なる態度を採り見解を抱いたかを示してゐる。後者に於ては基督者の現実の闘ひ即ち罪と悪の勢力との闘ひに於て如何なる見解と態度を示したかをよく物語つてゐる。惟ふに基督者としての存在は此の二つの次元について最も明かに決定せられる。基督者は神を仰ぐ存在であることは無論だが、また悪の現実を、その底知れぬ深みを認識して之と実践的に戦ふ存在である。彼の神が思想上の観念ではなく、祈りの対象たる生ける神である如く、彼の悪魔も亦単に思想的に解決し得らるべき悪の問題として在るのではなく、現実に戦はるべき力として体験されるのである。固よりその何れの認識も聖書の或はむしろキリストの媒介に因つて得られたものであるところに、その基督者的性格が決定せられる筈である。>(19-20頁)

 こうして本書は、第一章「祈祷の問題」で祈りの人・オリゲネスを、第二章「殉教者の道」で神への愛としての殉教を説き悪魔的現実と戦う神の戦士・オリゲネスを叙述し、第三章「文化の問題」で学問(特に哲学)に対するオリゲネスの態度を考究し、第四章「神と摂理」でその神論と人間論を、第五章「完全への進程」で完全性への進程としてのオリゲネスの救済論を論述し、そしてキリスト者・オリゲネスの人格のあり方を総括する「結論」へと至る探究の旅を開始します。

 そのそれぞれの記述を細部に立ち入って検討する(というか、とにかくじっくりと読む)ことで得られるものは大きいと思うのですが、いまは先を急ぐ身ゆえ、ここでは一足飛びに「結論」へと向かいます。


【171】オリゲネスの遺産・オリゲネスの1(続々)

 さて「結論」。ここでは二つの事柄をとりあげます。──その一。キリスト者・オリゲネスの人格のあり方を子細に探究した結果、著者が見出したのは、常に緊張を孕んだその姿でありました。

 オリゲネスの存在は一面極めて逆説的であり、その逆説的緊張においてこそ彼の存在の特質(偉大さと悲劇性)が認められるべきである。そのように述べたあとで、筆者は八項目にわたって、オリゲネスがいかなる緊張と矛盾のうちにあったかを例示しています。本論を丹念に読んだ者にしかその含蓄を味わうことはできないのでしょうが、以下に要約しておきます。

[1]古代教会において、オリゲネスほど聖書的・使徒的・教会的伝統の地盤の上に立ったキリスト者は他になく、オリゲネスほど真剣に哲学的・論理的に聖書の真理を究明しようと努めた人物は他になかった。伝統と自由、信仰と理性の緊張の中にこそオリゲネスの生命は存した。

[2]聖書の解説に当たって、オリゲネスは「比喩的解釈法」を用いて、聖書の文字にとらわれずその中に隠された永遠の宝を発見しようとしたが、それはその文字の文法的意味の正確を期した堅固な基礎の上に立論されたものであった。オリゲネスこそは、キリスト教会における原典批評学の最初の偉大な試みを企てた人物である。

[3]オリゲネスは、比類なき論理的一貫性と理論的強靭さをもちながら、言葉や論理では表現しえない神秘の境の消息を知っていた。合理主義と神秘主義、理論的追究と神秘的体験を併せ生かしえた点に彼の偉大さがある。

[4]神秘的観想に酔うグノーシスとこの世にあって福音のために奮闘する愛の実践との矛盾を感じつつも、これらを共に生かしえたところにオリゲネスの独特のあり方が存した。

[5]無限の完全性と弱き人間の罪の現実との間に、オリゲネスの思いは緊張を感ぜざるをえなかった。彼は伝統的終末思想を一応否認したが、これを現在刻々の経験において──すなわち創造者と被造者、永遠と時間、神の愛と人の罪の対立・緊張において──生かしたのである。

[6]オリゲネスはこの世の文化に対して諾否両様の態度をとったが、文化の保持者たる国家に対する態度にも同様の緊張が認められる。彼はキリスト教徒はその祈りによって国家に奉仕できると主張したが、国家が異教の神を祀りキリスト教徒を迫害するとき、これとの妥協を拒んだ。

[7]オリゲネスの神学体系は、万有が一者なる神から出て一者なる神に帰る間の戯曲として宇宙と人類の歴史を展開している(ハルナック)。しかし、彼は単なる平面的な論理的体系にのみ生きる思想家ではなく、現実の相の下において、遂には神に帰すべきものではあれ、悪魔の実在を如実に感じたのであって、その一元的体系の中に神と悪魔との経験を立体的に生かしえたのであった。

<まさにその事に於て彼の思想の基督教的リアリズムが認められなければならない。従つて彼の体系は著しき緊張を孕んだ体系と云はなければならない。>

[8]オリゲネスは六千冊の著書を残したとされるが(エピファニオス)、決してこれを好んでなしたのではない。多くの書を作ることは神の命に背くものとさえ考えていた。しかし、その弟子にして後援者のアンプロシオスの「強要」に従って、一なる真理を弁証するために多くの書を著すときには、これはもはや多くの書ではなく、それがいくつあっても常にただ一書をなすのみであるとの結論をえ、人々に福音の真理を示し多くの異端書の感化から同信の兄弟たちを護るため、その口述を続けたのである。

<一者なる神が多なる世界を創造し、やがて之を再び一に帰せしめ給ふとの彼の神学体系の中に現れた一と多との緊張は、かくして彼自身の生活に於ける緊張として体験せられたのであつた。>


【172】オリゲネスの遺産・オリゲネスの1(承前)

 その二。筆者は、フェルケルなる学者が著した書物[Das Vollkommenheitsideal des Origenes,1931]の検討を通じて、オリゲネスの人格の中心を純粋の神秘主義に見る立場を批判しています。

<…彼の結論は要するにオリゲネスの敬虔の本質が純粋な神秘主義であり、しかもその神秘経験の極致は個性的人格が全く消失して神と融合する恍惚状態に在ると云ふのである。かゝる神秘家としてのオリゲネスは、アレオパギタのディオニュシオスからエリゲナやエックハルト、スーソを経てスペイン神秘主義(所謂静寂主義 Quietismus )に至る一連の基督教神秘主義の偉大なる先達であり、従つてまた修道主義的敬虔の基礎を据ゑた者である。而してフェルケルが斯の如き結論に達し得た最も重要な手懸りは「民数紀略講解」の第二七講である。そこにオリゲネスはイスラエル人がエジプトから出て広野の諸所に営を張りつゝ遂にヨルダンのほとりに辿りついたとの民数紀略三三・一 - 四九の記事を解説してゐるが、その夫々の駐在地(mansiones)の名前を比喩的に解することによつて、此の世から神に向かふ霊魂の進程を説いてゐる。フェルケルはこゝにオリゲネスの神秘主義の Stufensystem を見出すのである。勿論それは後世のスペイン神秘主義が説いた様な厳密な意味での段階的神秘経験ではないが、よほど其に近いものであつて、オリゲネスを正しく理解する為には其との類似を絶えず念頭に置くことが必要である。而して此の様な眼を以て見れば、オリゲネスは神秘的幻想(ヴィジョン)の何者であるかを知り、且つその目標を恍惚経験に置く神秘家として現れて来るのであり、斯く見ることが真に彼の人格の深みを把握することであろうとフェルケルは主張する。>(446-7頁)

 これに対する著者の反論は、三点に及びます。第一は、「民数紀略講解第二七講」の解釈をめぐるものです。──実をいうと、ここでの議論の意味が私にはよく理解できなかったのですが、オリゲネスの原理や方法を端的に要約した箇所が含まれているので、その前後を引用しておきます。

<勿論それは霊魂が神に向つて上昇する道程として解釈されてはゐるのであるが、その一々の点は全く夫々の地名によつて示唆されたものである。従つて其を直ちに神秘的体験の心理的段階と見ることは許されない。霊魂は漸次に潔められてその救の完全性へと昇り行くべきものであるとのオリゲネスの原則と、聖書には如何なる場所にも隠れたる真理が潜んでゐるとする彼の解釈法とを併せ考へるなら、彼が民数紀略三三章のイスラエル人の旅を、又その地名の一々を、彼が解した如くに解することは極めて自然である。それ故、この講解によつて直ちにオリゲネスの体験をイエスの聖テレザや十字架のヨハンネスのそれと結びつけて考へると云ふ様な事は、あまりにも多くを読み込み過ぎることである。>(448-9頁)

 第二は、エクスタシス(恍惚)をめぐるものです。著者は、アレクサンドリアのフィロンによる四分類──狂乱・精神昏迷・意識喪失としてのエクスタシス、予期せざる出来事への驚愕としてのエクスタシス、眠りを含む精神の休息としてのエクスタシス、神の霊(プネウマ)に心を占拠され自我の意識が駆逐された、預言を可能にする(真の)エクスタシス──を掲げ、オリゲネスがフィロンのいう第四類の意味でのエクスタシスを説いた証拠はないとしています。

<而して神との完全な合一は、神が凡てに於て凡となり給ふ終末に於てのみ可能であると考へられてゐたとすれば、オリゲネスの神秘主義は寧ろ終末的神秘主義とも呼ぶべきものである。(略)かゝる終末に於ける窮極的合一を考へることと、現在の経験としての恍惚的合一経験とは判然と区別せらるべきである。一は基督教的人格神論の範囲内に於ても可能であり、他は寧ろ哲学的汎神論をその思想的根拠としてゐる。オリゲネスがフィロンを始め新プラトン主義へと発展する哲学的敬虔の影響を受けてゐる事を否むことは出来ないが、彼が全く後者に属してゐると解せしめる様なフェルケルの解釈は、其が如何に魅力のあるものにせよ、茲に採用することは出来ない。>(452-3頁)

 第三は、オリゲネスの祈祷観をめぐるものです。著者によると、フェルケルはオリゲネスの祈祷観について、有言の祈りは無言の祈りへ、無言の祈りは観想へ、そして観想は神秘的恍惚へと没し去り、完全な合一経験にまで発展するものと解しているのですが、それはオリゲネスを神秘主義者と解する彼の立場に由来するものであり妥当ではない。


【173】オリゲネスの遺産・オリゲネスの1(補遺)

*オリゲネスと東方教会との関係等について。

<彼は最初の偉大なる聖書学者であり、最初の偉大なる教理学者であり、最初の偉大なる弁証学者であつたが、それらの活動の背後には、かの緊張に満ちた基督者的人格が立つてゐた。而してその人格の中心は、神の永遠なる実在を永遠のロゴスに導かれて観想する事にあつた。かく永遠なるものの前に立ち、且つ之に導かれ之に憧れる魂として此の世に生き、永遠の相の下に此世界の意味を把握し、永遠から堕落せるこの世の罪悪と戦ひ、「永遠の福音」によつて人間を神に導くことが彼の生涯の課題であつた。
 この様にしてオリゲネスは我々の眼を永遠なるものに向はしめる。
   移りゆくもの一切は
   比喩[たとえ]に過ぎず
 このゲーテの言葉はそのまゝオリゲネスの音信でもある。彼は我々に象徴の意義を悟らしめる。世界の象徴的意味を学ばしめ、福音の象徴的意味に気づかしめる。彼はそこに永遠への窓の開かれてゐる事を今も尚教えてゐる。
 かゝる意味に於て、彼は東方教会の象徴主義的経験の最大最高の代表であつたのみならず、今日の我々にも深き示唆を与えるものである。主として西欧及び北米を経て日本に伝へられた基督教思想はラテン的ゲルマン的類型に属してゐた。それは、法律的審判思想を中心として展開された教理的基督教であつた。アダムの堕落と人類の罪、キリストの十字架による赦しと潔め、それが西方基督教の理解する福音であつた。従つて西方思想の範囲内に於ては、その教理主義が超自然的合理主義となつて現れるか、さなくば全然教理主義を放棄して合理主義又は文化主義に転ずるか、何れかの道しか無いのである。然しながら東方の智慧は今一つの道を示唆する。それは象徴の道である。時の中に在つて永遠なるものを仰がしめる永遠の福音である。西方教会の典型的キリスト像が荊の冠を戴いて血に染む苦難の御姿を現したヴェロニカ像である如く、東方教会の典型的キリスト像は荘厳な偉容を具へた王者としてのエデッサ像である。恰もそのごとくオリゲネスの指し示すキリストの御姿も、この歴史の中に贖罪の業を成したまうた受難の救主と云ふよりも、「昨日も今日も永遠までも変り給ふことな」き永遠のキリスト・ロゴスである。而してそのロゴスは我々を更に永遠の神に導くのである。>(459-60頁)

*オリゲネス(初期ギリシア教父の神学)とプロティノス(新プラトン主義)との関係について。

<アンモニオス・サツカス(175─242頃)が如何なる人であつたか之を詳かにし得ないのであるが、オリゲネスは彼を師として哲学を学んだのであり、後者より約二十年遅れてプロティノス(204─269)は同じ師に就くことによつて其までの宗教的プラトニズムを神秘主義的に深め体系的に完成した。従つて彼とオリゲネスとは恐らく直接の交渉はなかつたにも拘らず、殆んど凡ての点に於て傾向を同じうしてゐる。両者ともに一から多が生ずる下向的過程を説き、また多から一に帰るべき向上の道を教えた。プロティノスは固よりそれを流出説を以て説明した。一者から理性(ヌース)出て、理性から霊魂(プスュケー)が生じ、其は質料によつて此の現象界を現ずる。之を可能にするところのもの即ち現象に形相を与えるところのものは理性の模像とも云ふべきロゴイ(ロゴスの複数)である。さて霊魂は、もと世界霊魂として存在するが、其はその中に多くの個的霊魂を包摂するのであり、此等は総て自由意思を有してゐる。その或者は理性に向つて進み、或者は質料の方向に沈み、或者はその中間にさ迷ふのである。其等が具へる体はその状態に応じて粗密の度を異にし、従つて人間なり禽獣なりが今の体を有つてゐることは夫々の霊魂の自由意思の結果であり、従つてその当然の刑罰であり、又訓練の機会を供するものである。自覚せる霊魂は此の肉体に住ふことを恥ぢ理性の世界に帰らなければならない。何故なら霊魂の中には一者なる神に帰らなければ止まない愛慕(エロース)が宿つてゐる。之に導かれて其は次第に向上し、遂には神に似たるものとなり、神を直接に観想し、全く神となり、否、神であることを悟るのである。だが此の瞬間忽ちにして個性は全く一者の中に溶け込み、既に唯だ一者のみが存在する。霊魂は稀には此の肉体の中に在る間に既にその合一を一時的ながら体験することが出来る。即ちそれが恍惚(エクスタシス)の経験である。
 かく叙して来れば此の哲学的宗教とオリゲネスが説いた基督教的哲学との間に何れだけの相違と対立とが有り得たかと思はれるであらう。けれども事実に於て新プラトン主義は必ずしも基督教の友ではなかつた。むしろ有力な敵手でさへあつたのである。(略)そこに一つの大きな思想的宗教的格闘が為されつゝあつた事を知るのである。それは教父たちが彼等に味方してエピクロス主義及び懐疑論と戦つた戦ひよりも、又中期プラトニストも教父たちも協力してストア哲学に対抗したその思想戦よりも、遥かに根本的な戦ひであつた。其はギリシア的観想の宗教が優位を保つべきか、聖書的ヘブル的人格神が勝利を獲得すべきか、と云ふ人類文化の将来に甚大な意義をもつ歴史的対陣であつた。>(15-7頁)


【174】オリゲネスの遺産・オリゲネスの2

 有賀鐡太郎『オリゲネス研究』に続いて、H.チャドウィク『初期キリスト教とギリシア思想』(中村担・井谷嘉男訳,日本基督教団出版局)にざっと目を通してみました。原題は‘Early Christian Thought and Classical Tradition. Studies in Justin,Clement,and Origen’(1966) で、副題にもあるように、ユスティノス[100頃-165頃]、クレメンス[150頃-215以前]、オリゲネス[185頃-253/254]という護教家として高名な三人の初期ギリシア教父たちが、いかに「古典的伝統」と格闘しその教理のうちに生かしていったかを論じたものです。

 ──ここで「教父 Fathers of Church 」の区分について一言しておきます。それは一般に使徒以後八世紀頃までの古代キリスト教思想家の呼称で、まず使徒時代とその直後に生きた「使徒教父」、次いで迫害に抗してキリスト教信仰を弁証した「護教家(弁証家)教父」、そしてニケア公会議[325]からカルケドン公会議[451]までが教父たちの黄金時代といわれています。また、教父たちが使用した言語によって、ギリシア教父、ラテン教父、シリア教父の区分があるとのこと。(『中世思想原典集成I』平凡社での小高毅氏の「総序」から)

 さて今回は、チャドウィクの著作から学んだ成果をノートしておこうと考えていたのですが、これがどうもうまくいきません。端的にいって、面白くなかったのです。実は、『オリゲネス研究』も刺激的な読書体験からはほど遠い結果しか与えてくれませんでした。(もちろんそれは、肝心の本論を速読よろしく斜め読みで済ませた「中抜き」あるいは「手抜き」ゆえではありますが。)なんと表現すればいいのか、たとえば隔靴掻痒の感が拭えなかったといえば、近いでしょうか。

 もっとも、『オリゲネス研究』で主題的に取り扱われていた試み(著者はそれを「神学的解釈学」と名づけている)には、大いに食指をそそられました。とりわけ、立体的ならぬ四次元的に構成されたオリゲネスの人格(「信ずる人間」の人格)を、そのテクスト読解を通じて「復元」するという企ては、うかうかと見過ごしてしまうと単なる「ロマンティック」な批評方法にしか思えないものの、なかなかどうして深いもの(あるいは高いもの=超越的なものへの鋭い意識)があるように思えたのです。

 私自身の好みでいえば、人格の(あるいは歴史の)「四次元」的構造をラディカルに(かつ数学的に)究明した論考であれば文句なしに最高だったのですが、これはまた別の機会に取り上げるべき論題でしょう。

 余談。つい先ほど(「感動した」という息子の感想が気になって)読み終えたばかりの鈴木光司著『ループ』で、高次世界とこれに包摂される下位世界、リアル・ワールドとヴァーチャル・ワールドとのカテゴリー違反的な交錯が描かれていたのには、「神学的」と形容してもいい興趣を味わいました。

 ──ディジタル化された情報世界(人口世界あるいは物語世界)から生身の身体でもって経験される物質世界(現実世界)への超越すなわち「神化」と、後者から前者への内在すなわち「受肉」。

 そして、このような「交流」を可能にするものは、一つは電話という古典的技術であり、いま一つはNSCS(ニュートリノ・スキャニング・キャプチャー・システム:ニュートリノ振動を応用して脳の活動状態から心の状態・記憶も含めた生体の全分子構造をたちどころに把握する装置のこと)なる二一世紀の技術なのですが、このあたり、人格の復元をめぐる「科学的」根拠が示されていてとても面白かった。

 ──情報(DNAとか神話とか福音とか)による物質の生成あるいは物質の情報への変換による世界創造(「情報神学」もしくは言語[ロゴス]=物質論?)と、電流現象としての意識あるいは電子的自己による世界認識(「神経哲学」もしくは独我論的自由意思論?)。

 余談ついでに悪乗りすると、『ループ』には、無文字の北米インディアン社会において口承民話が果たす機能への意味ありげな言及──「人格」の保存と伝達と再生(すなわち輪廻転生?)のための究極のソフトウエアとしての「物語」──とか、現実世界がさらなる高次世界(可能世界)に包摂されていることの示唆──その意味では、『リング』『らせん』『ループ』の三部作を完結させる作品は『リープ LEAP 』なのかも知れない──とか、まだまだ発掘すべき(「遊ぶ」べき)要素がふんだんにちりばめられています。

 閑話休題。そもそも私がオリゲネスに惹かれ、少しつっこんで「研究」の真似事をしてみたいと思った動機は、彼の思索と言動(自主的な去勢と殉教へのあこがれと拷問の後の死など)に接することで、かの時代における「受肉」や「復活」や「救済」といった知解不能な出来事、そして認識不可能な神の観念をめぐる「ひりひり」するような感覚への「共感的理解」が得られるのではないかと直観したからです。

 また、ギリシア的思惟に寄生して育ち純粋な観念的パラサイトとして時代を超えて浮遊する(かのように思える)グノーシス主義やスリリングな思想の極北をきわめた(かのように思われる)ネオプラトニズムと格闘したオリゲネスの神学的思索のうちに、何かしらいまだに解明されずに残されたメッセージが秘められているように予感したからにほかなりません。

 しかし、『オリゲネス研究』や『初期キリスト教とギリシア思想』からは、期待していた刺激が得られなかったのです。──脱線続きのあげく、真摯な研究書を相手に的外れな感想を述べてしまいました。(オリゲネスに出会いたかったらオリゲネスを読め!)


【175】オリゲネスの遺産・オリゲネスの2(補遺)

*改めて読み直してみると、『初期キリスト教とギリシア思想』は小冊子ながら実に手際よくオリゲネスとその時代の思想状況を整理した研究書だということが、門外漢にもうっすらと判ってきました。オリゲネスの著作に十分親しんでから再読すれば、おそらく深いものを味わえるのではないかと思います。──そのことの確認は今後の宿題として、以下、記憶に残った箇所を二つ(いずれもオリゲネスの思想そのものとは直接の関係がない周辺的事柄ですが)記録しておきます。

[哲学─悪魔から出た異端の母]
<キリスト教の福音とヘレニズム世界の諸思想との最初の総合(synthesis)は、まず宗教と神秘主義の次元で起こった。この事実は、異教の土壌におけるキリスト教の宣教が、実際上その当初からグノーシス主義につきまとわれていたことを意味する。コリントとコロサイに宛てたパウロの書簡は、二元論的グノーシス主義の原下の発展形態を垣間見せている。この黎明期においてさえ、単純な信仰のレベルで把握される諸真理に対置して、より深遠な諸真理のより高度な超理性的(nonrational)認識という、グノーシス主義的な主張が見いだされる。しかも「コロサイ人への手紙」から確認されることは、使徒の論敵であった異端の教師たちが、自分たちの主張を正当化するために哲学に訴えていたことである。「あなたがたは、哲学やむなしいだましごとで人のとりこにされないように、気をつけなさい」と彼は応答している。
 グノーシス主義が教会内部にもたらした危機の当座の効用は、教会員がなんでも理知的なものに対して鋭く防御的になったことである。異端者が哲学に訴えるのであれば、それならば哲学は当然まやかしものであり、啓示された真理どころか人間的な思弁であるにちがいない[というわけである]。この種の否定的態度の影響は長期にわたって執拗に尾をひき(それは四世紀にサラミスのエピファニオスによって急激な興隆をみた)、アレクサンドリアのクレーメンスが取り組む重要な課題となった。われわれが、結果から判断するという有利さと客観的距離をもって、現在から二世紀を振りかえってみると、グノーシス主義の喧伝に接して、哲学が悪魔から出たものにちがいないと結論することは、当時のキリスト教徒にとっていかにも当然至極のことであったろうと、首肯しるのである。たとえグノーシスの主張になにほどかの真理があったとしても、哲学は「異端の母」なのである。>(19-20頁)

[オリゲネスとオリゲネス主義─異端と正統]
<オーリゲーネスの思想体系を全体的に判断しようとする場合には、次のことを銘記することが肝要である。すなわち、いわゆる「オーリゲーネス主義」に最も特徴的と思われるいくつかの点は、彼個人の創作によるものではなくて、彼の背後にあるクレーメンスやフィローンに遡及するということである。魂は飽満の結果として神的領域から堕落したという、六世紀には非難の的となった思想や、物質界は順序として霊の後にくるとする考えは、いずれもフィローンのなかにすでに見いだせるものである。次のことを銘記することもまた重要である。すなわち、ユスティニアーヌスの時代の論争で、オーリゲーネスの名に結びつけられている諸概念は──これらによって彼は五五三年の公会議で異端として断罪されたのだが──、オーリゲーネス自身の著作に帰因するというよりは、むしろ四世紀のエウァグリオスの手に成る、オーリゲーネスの思弁的・神秘的側面の展開に帰因するということである。>(169頁)

<かつてエラスムスは、自分はアウグスティーヌスの一〇頁からよりもオーリゲーネスの一頁から、キリスト教哲学についてより多くのものを学んだ、と書いた。エラスムスには、オーリゲーネスのなかに彼自身の人文主義者としての顔を映しみる傾向があった。オーリゲーネスの学問と哲学的気質に人文主義的性格があるのは否定しがたいし、また否定する必要もないであろう。それと同時に、彼のなかにはそれ以上に、非妥協的で現世否定的で禁欲主義的なものがあることを言明しなければ、彼を正しく評価したことにはならない。キリスト教思想において、もし彼が永久に謎につつまれた、人を困惑させるような人物であり続けるとすれば、おそらくそれは、われわれがオーリゲーネス研究を彼の正統性いかんを問うことから始める傾向をもつためであり、またその研究の過程で、知らずもがなに、〈正統の本質とは何か〉という、もっとそれ以前の根本的な問題にいつも押し戻されてしまっているためである。>(173頁)

[付記]
 引用しなかった箇所(98-101頁)で著者は、二つのオリゲネス「伝説」の真憑性に疑義を表明しています。一つは、エウセビオスが『教会史』第六巻に記している、オリゲネスが女性の洗礼志願者の指導に心おきなく専念できるように自ら去勢したという話。いま一つは、ポルピュリオスが『プロティノスの一生と彼の著作の順序について』に記している、オリゲネスがプロティノスと同じく秘儀伝授的・折衷的プラトン主義者アンモニオス・サッカスの門下生であったという話。(著者は、キリスト教徒と新プラトン主義者の二人のオリゲネスの存在を示唆している。)


【176】オリゲネスの遺産・オリゲネスの3

 注文していたオリゲネス『諸原理について』(小高毅訳,創文社)が昨日ようやく届いたので、さっそく取り組んでいます。ところがこれが想定していた以上に「本格的」な作品で、ざっと概観して肝所を押さえるなどといった芸当がたやすくできる代物でないことは、いともたやすく喝破することができました。

 オリゲネス、オリゲネスと一人勝手に騒いでおきながら(実はもうすでに熱が冷めつつある)、その著書に少しも接しないままで終息するのは癪なので、せめてこの一冊くらいは読み通しておきたいと思っているのですが、しかしそれにはかなり時間がかかりそうです。何か、たとえばオリゲネスの神学的思索の「香り」のようなものでも報告できるようになるまで(もしかしたら何も書けないかもしれない)、いま少し寄り道をします。

 「参考書」として、田川建三著『書物としての新約聖書』(勁草書房)を概観しました。こういう書物にもっと早く接しておくべきだったと悔やみもしたし、今後、あらゆる学問の分野でこの種の「情報」が必要なのではないかと思わせる創意がありました。賞賛すべきは、内容や素材の前にまず目次や索引、結構にこだわらぬ叙述のスタイルや語り口といったその「形態」です。

 序文で著者が「努力目標」として掲げた三点──「入門書とは水準において最高のものでなければならない」「通読して面白い書物である必要がある」「辞書的に利用しうるということは、この種の概論にとっては必須のことである」──は、七百頁の分量と本体八千円の価格を充分に「弁証」する達成を示していると思いました。

 一点だけ、引用しておきます。(オリゲネスに関する記述も散見されるのですが、新約聖書成立史におけるその位置づけいかんといった観点からの叙述が重きをなしているため、ここでは割愛。)

[キリスト教─都市の宗教]
<…初期キリスト教はギリシャ語の宗教であった。そしてそのことは、ヘレニズム都市の宗教であることを意味する。それも主として大都市の宗教であった。(略)  ヘレニズム都市というのは帝国支配の機構の要をなす部分である。従って、その基本性格において都市の宗教であったということは、とりもなおさず、この世界においては、典型的に帝国主義の宗教であった、ということを意味する。この場合、帝国主義の宗教というのは、帝国支配のイデオロギーを代表する宗教という意味ではなく、むしろ、帝国支配が作り出した状況に直接根ざした宗教ということである。その状況から生み出され、その状況に生きる人々の心情に適合し、その状況を支える文化的姿勢を涵養する。>(269頁)

<…ヘレニズム的諸都市のキリスト教は、「十二使徒」やパウロが伝えたのではなくて、彼らが到着する前からすでにそこにはキリスト教が根づいていて、使徒たちはただそのことを発見するにすぎないのである。つまり、特定の教団指導層の意図に応じてキリスト教が広められたのではなく、ほとんど自然発生的とでも言うべき仕方で、各地の都市にキリスト教が出現している。すなわち、ヘレニズム的都市の状況がおのずとキリスト教を引き寄せていったのである。もちろん前者、つまり教団の指導的宣教者が意図した部分もないわけではない。しかし、彼らの意図をはるかに超えて、あるいは、彼らの意図に関わりなしに、初期キリスト教は、ほとんど自然発生的と言ってもいいくらいに、地中海世界のヘレニズム的都市に広まっていったのである。そのくらいに、ローマ帝国支配下のヘレニズム都市の生活状況にうまく適合した宗教が誕生した、ということだろう。>(270-1頁)

<キリスト教は、ローマ帝国支配下の大都市の生活状況にふさわしい宗教として、アレクサンドリアのようなユダヤ教の勢力の強い町でも、順調かつ急速に成長したのである。そして、まさにアレクサンドリアの町こそ、ローマ帝国支配下の地中海世界において、ギリシャ語文化の最大の中心地であった。だから、ギリシャ語キリスト教を形成する最大の中心地の一つとなりえたのである。>(282-3頁)

*上記の内容とは関係しませんが、田川氏が「聖書をめぐる障壁」(『現代思想』1998.4 所収)で、グノーシス主義についてちょっと気になる発言をされているので、記録しておきます。

<…ヨハネ福音書について一言。(略)私はまだ不勉強のせいもあって、この奇妙な文書については、ともかくわからないことだらけである。一つ確かに言えることは(これをあまり確かに言い切らない学者も多いが)、ヨハネ福音書というのはグノーシス思想の流れの中の文書である、ということである。いや実は、ナグ・ハマディ文書の発見のせいで、近ごろグノーシス研究が盛んになったが、私はいまだに、かなり有力な学者の一人が主張しているところの、グノーシス主義などというものは現代の学者たちの仮構であって、古代にそんなものは存在していなかった、という説明が一番説得力があるように思える。つまり相互に似たような思想が多く並存していただけなので、その全体に現代の学者が便宜上「グノーシス」という名前をつけた、というにすぎないという。しかしまあ、グノーシスについては私はあまり知らないので、他の学者たちにおまかせしておくことにしよう。>


【177】オリゲネスの遺産・オリゲネスの4

 たったいま『諸原理について』を読み終えたところです。途中、退屈さのあまり何度も放り投げたくなるのをなんとか堪えながら、一行一頁(一字一句ではない)を律儀にたどっていくうち、どう表現すればいいのか、鋭い知的刺激をもたらしたり心を高揚させるところは一切なく、叙述も洗練されてはいないのだけれど、たとえていえば「プリミティブ」で「初々しい」議論が反復的に展開される淡々として温かい、しかし強靭な語り口にしだいに慣れ、後半は一気に読み切ってしまうところまで引き込まれてしまいました。

 様々な事柄が述べられていました。それらが雑然と整理されないまま、私の脳髄にひたひたと浸み込んでいきます。──三位一体論やキリスト論(受肉論)、終末論や救済論(一なる始原への帰環の思想)はもちろんのこと、理性的被造物の自由意志による多様性の創出や至高の段階からの倦怠ゆえの没落、善の欠如としての悪や無からの創造を思わせる記述、聖書の霊的解釈をめぐる議論もありました。

 異端的・グノーシス的な思考と反グノーシス的思考、異教的・ネオプラトニズム的な思考と反「哲学」的思考がウロボロスのようにからまりあい、語りえず認識しえないものへの敬虔あるいは否定神学的な峻厳と、万象のうちに神の働き(教育)を語り神の愛を認識する神秘主義的な態度とが渾然一体となったその叙述は、紛れもない「ヘレニズム末期」の思考のかたちを示しその内実あるいは「香り」のようなものを保存しているのだと私に確信させます。(このあたり、かなり言葉が踊っています。)

 この混沌を無理に区画することなく(というより私にはその力量がないので)、以下、印象に残ったいくつかの断片のうち三位一体論とキリスト論に関する部分だけ記録しておきます。

[神とキリストと聖霊について]
<したがって、「神ひとりのほかによい者はない」という言葉[引用者註:マルコ福音書]が、キリストや聖霊が善であることを否定するものと考えて、それを冒涜とみなしてはならない。むしろ、すでに述べたように、父なる神のうちに根源的善があると理解すべきであって、そこから生まれた子と、そこから発出した聖霊とは、疑いもなく、父なる神の善性(bonitatis natura)を自らのうちに表現するのであり、この[父なる神の善性]こそ、泉として父のうちにあり、そこから子が生まれ、聖霊が発出するのである。
 そこで、父と子と聖霊以外に聖書の中で善と言われているものがあれば、それが天使であれ、人間であれ、下僕であれ、宝であれ、良い心であれ、良い木であれ、これらすべては厳密な表現ではない。というのは、これらのものは、実体的善(substantialis bonitas)を自分のうちに有しているのではなく、付帯的善を有しているからである。>(75-6頁)

<思うに、父と子の働きは、聖なる人々も罪人をも含む理性的な人々にも、もの言わぬ動物にも及ぼされ、それだけではなく、魂を持たぬものにも、つまり存在するすべてのものにも及ぼされる。しかし、聖霊の働きは、魂を持たぬものや、生ける物ではあるがもの言わぬものに及ぼされることは決してなく、それのみならず、理性的な存在ではあるが悪に身を投じ、改心しようとはしない者にも及ぼされてはいない。聖霊の働きは、既に改心した者、イエスス・キリストの道を歩む者、即ち善業をなし、神のうちに留まる者にのみ及ぼされていると私は思う。>(80頁)

<もちろん、聖霊は聖なる人々のみに与えられるが、父と子の寵愛と働きは善人にも悪人にも、正しい者にも正しくない者にも及ぶと、私が言ったからとて、私が、聖霊を父と子より秀でているものとしたり、あるいは聖霊の品位を[父と子のそれより]すぐれたものとしたと思ってはならない。そう思うことは全く不条理なことである。事実、私は以上で聖霊の恵みと働きの独自性を説明したにすぎない。確かに、三位のうちに優劣を論ずる余地はない。>(83頁)

<父なる神はすべてのものに存在を与える。ロゴスとしてのキリストの参与によって、それらの存在は理性的なものとなる。ここから当然の帰結として、それらは称賛か非難に値するものであることになる。というのも、それらは善業並びに悪業を行いうるからである。そういうわけであるから、正しく、聖霊の恵みもこれらの[理性的な]ものを助けるために与えられるのである。それは、実体的に聖なるものでないそれらのものを、自らの参与によって聖なるものとするためである。したがって、それらのものはまず第一に、父なる神から存在を受け、第二に、ロゴスから理性的であることを受け、第三に、聖霊から聖であることを受けるのである。>(84頁)

*『諸原理について』第一巻の序で、九項目にわたる教会的・使徒的伝承が示されているので──小高毅著『オリゲネス』(清水書院,54-5頁)における要約に基づいて──転記しておきます。(なお小高氏によれば、自由意志の強調と聖書の隠された意味に関する項目が、アレクサンドリア教会の特徴として指摘されるとのこと。)

(1) 唯一の神が存在すること。この神が万物を造り、秩序づけたこと。何も存在しなかった時、全宇宙が存在するようにされたこと。
(2) イエス=キリストは、全被造物に先立って生まれたこと。彼は、万物の創造に際して、父に仕え、万物は彼を通して成ったこと。彼は終わりの時に、己を空しくして人となったが、神であり続けた。その身体は我々の身体と同じであり、ただ処女と聖霊から誕生したという点で異なっている。彼は見せ掛けではなく、真に生まれ、真に苦み、真に死に、真に死者の中から復活し、弟子たちに現れ、天にあげられたこと。
(3) 聖霊は栄光と威光の点で父と子に一致している。この聖霊が預言者と使徒たちに霊感を与えたこと。
(4) 魂は固有の実体と生命を有しており、この世を去った後、己が功罪に応じて報いを受け、永遠の生命と至福、あるいは永遠の火の罰を受ける。
(5) 死者の復活の時、朽ちない体に甦ること。
(6) 理性的な魂は自由意志と決断力を有していること。
(7) 悪魔とその使い、逆らう霊どもが存在すること。また、神の使い(天使)と善い霊たちが存在すること、彼らは人々の救いの完成のために仕えるものであること。
(8) この世は造られたものであり、あるとき存在し始めたのであり、その腐敗のゆえにいつか消え去るであろうこと。
(9) 聖書は神の霊によって書かれたものであり、一読して分かる意味だけでなく、隠された意味をも有していること。


【178】オリゲネスの遺産・オリゲネスの4(続)

[キリストの受肉について]
<まさに、彼によってなされた不思議な、偉大な[みわざ]の中でも、人間がいかに驚嘆しようとも驚嘆し尽くせないこと、もろい死すべき[人間]にとって理解し難いことは、これ程偉大な神的力、即ち父のロゴスそのもの、彼において「万物、見えるものも見えないものも造られた」神の知恵が、ユダヤに現われた一人の人間の輪郭のうちに存在したということであり、それのみならず、神の知恵が女の胎に入り、乳児として生まれ、乳児らの泣くのと同じく泣き声を発したということであり、更に、主自ら「私は悲しみのあまり死ぬほどである」と言われたように、死の際には狼狽され、三日目によみがえられたとはいえ、人々の間で最も恥ずべきとされている死に方をさせられたということである。したがって、主のうちに、死すべき者に共通な無力さと少しもたがわぬ人間的な面と、神性の卓越した名状し難い本性にしか当てはまらぬ神的な面とを我々は見るので、これ程の驚異に唖然とし圧倒された人間の貧しい知性は、どこに心を向け、どのように考え、どこに向かったらよいのかわからない状態に置かれているのである。「主は神である」と考察している時には、主が死に屈する者であることが目に浮かび、「主は人間である」と考察している時には、主が死の国を打ち砕き、戦利品を携えて死者のもとからもどってこられた姿が目に浮かぶ。この故に、ひとりの同じかたのうちに両者の本性が真に存在することを明示するには、その名状し難い神的実体について不適当なことを考えないようにする一方、主の行ないを偽りの幻想と思わぬように、全き畏敬と恭謙をもって熟考せねばならないのである。>(152-3頁)

<キリストの魂の本性が、他のすべての魂と同じであったことは疑い得ない。真に魂でなかったとしたら、魂とは言うことができないのである。そもそも、すべての魂は善悪を選択する能力を持っているが、このキリストの魂は、無限な愛によって不変かつ分かち難く、義に一致するほどに、「義を愛する」ことを選んだ。こうして決意の強さ、愛の深さ、消し難い愛の熱があらゆる変化の思いを除外してしまった。このように、自由な決意によって(in arbitrio)選ばれたことが、長い習慣によって本性と化してしまったのである。このように、キリストのうちに人間的・理性的魂が存在したと考えるべきであり、更にその魂が罪の思いも可能性も一切有していなかったと考えるべきである。
 さて、このことを一層明解にするために比喩を用いても条理を逸したこととはみなされまい。もちろん、これ程難解な事柄にふさわしい例を用いるのは容易ならぬことである。さて、このことを念頭に置いて、例をあげてみよう。
 鉄という金属は、熱くも冷たくもなることができる。そこで、鉄の固まりをずっと火の中に置いておくと、すべての気孔、すべての脈に火を受けて、全く火と化してしまう。火をその鉄から遠ざけなければ、あるいはその鉄を火から遠ざけなければ、火の中に置かれ、不断に燃えたっているこの鉄の固まりの本性が、いつか冷気を受けうると言えるだろうか。それよりもむしろ、鉄が炉の中で焼かれている時にたびたび見られるように、その鉄は全く火と化していると言ったほうがよいだろう。その鉄には、火のほかには何も見分けられないからである。また、捉え、手に取ってみようと試みても、鉄の効力ではなく、火の効力を感じるのである。
 これと同様に、火の中の鉄のように、常にロゴスのうちに、常に知恵のうちに、常に神のうちに置かれていたキリストの魂の行動と思考と理解のすべては、神に集中している。そしてその故に、この魂は神のロゴスとの一致によって不断に燃焼しているものとして、不変性を所有しているので、可変的なものとは言えないのである。>(155-6頁)

*『諸原理について』を読んだ「記念」として鉛筆で印をつけておいた箇所を駆け足で眺めているうち、ちょっとした妄想が浮かんできたので、その素材となった断片を書き止めておきます。──妄想の中味については(まだうまく文章化できないので)ここでは触れません。自分自身のための備忘録としてキーワードだけ羅列しておくと、小説の作者と作品世界(作中人物)と読者の関係、文字と声と意味の関係、神的文法と「個」の析出、あるいはコンピュータのディスプレイ上に「復活」した電子的人格と身体のイメージ等々。

 素材1。オリゲネスは、神は「一」であり「単一性」であり「精神」であると述べています。神は<ことごとく精神であるこの純一なる本性>(56頁)にのっとって活動を続けるのですが、<精神は場所を必要としない>(57頁)。つまり神は空間的・時間的制約のもとにある物体ではなく──<非物体的生命は、ただ三位のみの特権と考えるのが正しい>(123頁)──、だから至福の終極状態において理性的被造物(人間)の魂は<「霊的」と呼ばれている崇高で清浄な物質>(126頁)をまとい、かくして身体は復活して霊的身体となる(272頁)といわれているのです。

 素材2。オリゲネスは、理性的被造物(人間)は死すべき・朽ちるべき物体的な感覚とともに不可死的・非物体的な「神的感覚」をあわせもつ(61頁)のであって、それゆえ人間は<神とのある種の近親関係(consanguinitas)を有している>(324頁)のだと述べています。(小高氏が付した「解説の注」によると、オリゲネスの霊的感覚に関する教説はキリスト教神秘思想に大きな影響を及ぼしたとのこと。)

 素材3。オリゲネスは、<人間が身体と魂と霊によって構成されていると言われるように、人間の救いのために神の賜物として与えられた聖書も[同様に構成されているのである]>(289頁)と述べています。ここで「聖書のからだ」とは聖書に記載された出来事の歴史上の意味のことであり、「聖書の霊」すなわち隠された秘義としての神の知恵(霊的意味)をおおう「文字の衣」のことです。

<しかしながら、このような衣、即ち歴史的記述と律法の話の隅々にまで統一性が守られ、秩序が固持されていたとすれば、我々は淀みのない[描写の]流れに目を奪われ、表面上述べられていること以外の何かが、聖書の内部に含まれているのに気がつかなかったであろう。このためにこそ、神の知恵は、不可能なことや辻褄の合わないことに関する話を途中に挿入して、文字通りの理解(intellegentia histrialis)の上で、妨げあるいは中断ともなるものを[聖書に]挿入した。それは、叙述の中断が、障害物のように、読者の行く手をさえぎるためである。この障害物は、通俗的な理解の道を進むのをはばみ、[この道を進むのを]拒絶され引き返すのを余儀なくされた我々を、別の道の入口に呼びもどし、こうして狭い小径の入口を潜り抜け、一層高度な卓抜した道を通って神的知識の測り難い広がりへと導くためである。>(294-5頁)


【179】オリゲネスの遺産・オリゲネスの5

 『諸原理について』にはまだまだ汲み取るべき多くの事柄が(「概念」へと研磨すべき)原石のようにちりばめられているように思うのですが、わが身の浅学に思いをいたし未練を断ち切って、「オリゲネス以後」へと急ぐことにします。まずはアウグスティヌス。

 湯浅泰雄氏は『ユングとキリスト教』第三章で、有賀鐡太郎の『オリゲネス研究』に準拠しつつ、オリゲネスが「祈り」は御子にではなく父なる神にのみ捧ぐべきものであるとしたこと、そして御子が父を知るように人間の魂も父なる神と合一するのであって、父なる神を「唯一の神」とよぶなら御子は「神」であり人間は「神々」となると述べたことを踏まえ、次のように書いています。

<オリゲネスのこのような主張は、グノーシス主義の場合と同じく、三位一体やキリストの神性を、人間の深層心理的宗教経験においてとらえようとするものと解し得る。言いかえればわれわれは、人間としてのわれわれ自身の祈りや瞑想体験を通して人間キリストの体験を追体験できると共に、キリストが神に近づいたと同じように、われわれ自身もみずからの体験を通じて神に近づくことができるのである。>(302頁)

 ここでいわれる「人間の深層心理的宗教経験」の要をなすものが聖霊の働きです。湯浅氏は、<それは処女マリアに下った神のはたらきであると共に、父=子一体の神からわれわれ人間の魂にはたらきかけてくるみえざる霊的作用を意味する>(285頁)と二重に規定しています。

 そして、キリストが肉の身体をもつ人間であることが強調されると、父と子の関係と父=子一体の神と人間の関係が重なり、聖霊のみちびきによる人間の神化、ひいては信仰と実践による自力救済的傾向が生まれ、それとは逆に(ニケーア公会議の決定のように)キリストに先在する神性が強調されると、父 - 子の関係と神 - 人間の関係は異質のものとなり、人間の救済はただ神の恩寵にのみよるものとされる他力救済的傾向が生まれてくると指摘しているのです。(324-5頁)

 さて、以上を前振りとして、古代キリスト教最大の教父アウグスティヌスの思想を概観します。湯浅氏は最初に、アウグスティヌスは東方教会の神学から大きな影響を受けていることを強調し、その思想の中にはグノーシス主義や新プラトン主義につながる要素が認められることを指摘します。

<オリゲネスの御子従位論やプロティノスの流出論理、すなわち人間の「魂[プシュケー]」はその肉体の中に究極の「一者」から流出した神性の種子を有するとする考え方は、グノーシス主義の三重身の説を批判的に吸収することによって生まれてきたものである。そこに共通してみられるのは、神性と人間性を連続的に理解することが可能であるという人間観である。その可能性は外なる自然に関する論理的思索や知的論証によって与えられるものではない。それは祈りや瞑想のような内面的経験を通じて、心の眼を自己自身の内側に向けてゆくところからひらけてくるのである。「外に行くな。汝の内に還れ。汝の内にこそ真理は宿る」(『真の宗教について』三九・七二)という言葉はアウグスチヌスの思索態度の基本的特徴を示すものであるが、そういう姿勢は、東方のプラトン主義的雰囲気と接触することによってつちかわれたものである。>(332頁)

 湯浅氏は、人間性の深層心理学的考察の観点からアウグスティヌス『三位一体論』を取り上げた後で、次のように総括しています。

<精神史的にみて重要なことは、アウグスチヌスの場合、「父」と「子」の関係が「神性」と「人間性」の関係におきかえられていることである。人間の魂の深層には神性の次元に通ずる奥深い場所が隠されており、それを見出すときにわれわれの知は日常的経験知とは異なる直観知となり、人間は御子に類似したもの、神に似るものになってゆく、と彼は言う。この言い方は、オリゲネスが、祈りと瞑想を通じてわれわれ人間の魂は、子なる「神[テオス]」に似た「神々[テオイ]」になってゆくといった言葉を思い出させる。グノーシス主義から発し、東方教会の神学を通って西方世界に流入したプラトン主義の流れは、ここで新たな花をひらいた。東方の教父哲学が形成した「無からの創造」の教義は、被造物に対する神の絶対的超越性を主張するものであり、そのかぎりにおいて神性と人間性を断絶する方向に向う論理であった。これに対抗した新プラトン主義の流出論理は神性と人間性の連続を主張するものであったが、アウグスチヌスはこの論理を批判的に吸収することによって、神性と人間性の断絶の論理をやわらげたのである。西方教会によって確立された正統教義は、父と子の同一本質を主張することによってわれわれ人間とキリストの絶対的差異を強調しようとしたが、アウグスチヌスはふたたび人間性とキリストとを結ぶ内なる道を見出したのである。そこに精神史の興味深い弁証法が見出される。>(343頁)

*湯浅氏は、アウグスチヌスの神学体系には深層心理的な宗教体験を基盤にしているところが見受けられるとし、その例証として、ユングが「元型」という語を採用する気になったのはアウグスティヌスの「根元的イデア」という言葉にふれたからであるという説を紹介しています。

<根元的イデアとはある典型的形態、換言すれば一定不変のものの諸原理である。これらの原理はそれ自体がつくられるということはなく、それ故永遠で常に同一でありつづけるところのもの、神の認識に含まれるところのものである。これらの根元的イデア自身は滅びない。……だが人間の精神は、それが原理的でなければ、これらのイデアを目にすることはできない。>(アウグスティヌス『さまざまな問題についての書』,湯浅前掲書330頁に訳出)


【180】オリゲネスの遺産・オリゲネスの6

 前回取り上げた『ユングとキリスト教』第三章のタイトルは「正統と異端」でした。湯浅氏は、教父哲学がグノーシス主義に対して全面的勝利を収め、教会のみが救済と恩寵に至る唯一普遍の機関であるとする「正統」とグノーシス的な自力救済的傾向のつきまとう「異端」との明確な区別にもとづく西洋精神史の新しい局面が展開されることになった直接の理由は、<ローマ帝権によるキリスト教の公認以後、救済や恩寵の問題が哲学論争の次元から世俗的教会制度の問題に移行してしまった点にある>(273頁)としています。

 また、四世紀から六世紀にかけて数回に及ぶ公会議で議論され、最終的に十一世紀初めの東西教会の大分裂へと至った激しい神学論争について、<この問題[父と子の関係や聖霊の問題、キリストの神性と人性の問題]はもはや神学論争というべきものではなく、教会政治的イデオロギーの手段になてしまったといわなければなるまい。いずれにせよ、教義論争が世俗政治の動向とのつながりを深めてゆくにつれて、神学理論と個人の宗教体験のギャップは次第に拡大して行ったのである>(303頁)と指摘しているのです。

 ところが、坂口ふみ氏の『〈個〉の誕生─キリスト教教理をつくった人びと』(岩波書店)を読むと、これとは相当ニュアンスの異なる見解が示されていました。たとえば、次の文章。<純粋な個としての個、かけがえのない、一回かぎりの個の尊厳、そういったものが思想的・概念的に確立したのは、近代よりはるか以前のことだったと思われる。遅くとも紀元五、六世紀の、あのローマ帝国末期の教義論争のなかで、それははっきりとした独自の顔をあらわし出している。中世を通して生き続けたその顔を、近代はふたたび新たなかたちでとりあげたのである。>(27頁)

 坂口氏は、ローマ末期=ビザンツ初期において、ニカイア(325年)、コンスタンチノポリス(381年・553年)、カルケドン(451年)の四つの大きな公会議で議論されたすべての争いは、「イエス・キリストとはなにものか」というただ一つの問いをめぐっている(55頁)としています。

<四世紀から六世紀にかけてローマ帝国をゆるがせたキリスト教の教義論争を、私は思想的に大変重大な事件だったと考える。しかしこれらは、近代以降の啓蒙的思想や哲学からは、ひどく愚かしくて蒙昧なものとみなされてきている。(略)
 教義の問題は西欧の思想史のいわば鬼子であり、継子である。そのようなものとして、カトリック教義史以外の一般の西欧の思想史や哲学史では疎外されてきた。それはこれが、一方に福音・信仰・宗教と、他方に理性・哲学という、ふたつの思想範疇のどちらにもはいりきらなかったからである。しかし私たちのようなニュートラルな部外者から見れば、それゆえにこそ教義論争は重要である。つまり信の理論化、理論体系のキリスト教化というヨーロッパ思想史上もっとも重要な仕事が、ここでなされているのだから。ところがまさにそのために、教義論争は、純粋に信仰を守ろうとする初期キリスト教以来のさまざまな思想家からも、純粋に理性の事業を守ろうとする哲学者からも(近代では両者はしばしば同一人において重なり合う)、汚染・逸脱とみなされてしまう。しかし、ヨーロッパ思想史において、この黙過され、無視されてきた数百年の思想努力ほど画期的であざやかで重大なものはなかったのではあるまいか。それはまさに人間の新しい希求に、新しい概念的説明を与え、ギリシアの基本的存在論・形而上学をその新しい希求と価値に沿って堀りくずし、組み替え、新たな等価な体系の基礎を置いた大事業であったと思われる。それはつまり、古典古代の価値観の反映である古典古代的存在論にかわるべき、キリスト教的価値観の表現としてのキリスト教的存在論の創設であった。十二、三世紀のスコラの大きな体系は、この基礎の上に立ってはじめて可能であったし、そのことは六世紀の、教義論争末期の思想家ボエチウスや偽ディオニュシウス・アレオパギダの著作に深く思いを潜めたトマス・アクィナス自身が、またその他の十二、三世紀の思想家たち自身が、きわめてよく意識していたことであった。さらに、近代の始祖のように言われるデカルトの純粋な個我が、アウグスチヌスの自己の内面に絶対的なものの影を見る視線と、カルケドン公会議で明確な姿を現わした「カテゴリーを超える個存在」との直系の子孫であることも疑いえない。>(29-31頁)

 長々と「予告篇」を引用してしまいました。──実をいうと私は、オリゲネスの『諸原理について』と同時並行的に坂口氏のこの(濃密に圧縮された内容とその代償かとも思われるどこか吃音めいた叙述のスタイルをもった)著書を読み進めていて、何か底知れない豊かな鉱脈を堀りあてた思いに興奮さえ覚えていたのですが、しかし巨大なフラスコを使った壮大な化学実験の現場に立ち合った盲人のごとく、矢継早に繰り出される、匂いをかいだことすらない化学物質(教父)の名や手にしたことのない化学器具(概念)の操作音に翻弄され、すっかり方向を見失いとても実験結果を(たとえ速報であれ)レポートできる状態にはないのです。

 ですから、<カルケドン公会議で明確な姿を現わした「カテゴリーを超える個存在」>といった、ほとんど本書のさわりに相当する記述がもつ衝撃的といってもいい内実について、ただそれは<純粋な個としての個、かけがえのない、一回かぎりの個の尊厳>といった語り口がはらんでしまう「近代的」な(「現代的」なというべきか)響きとはおそらく微妙に異なるものである(したがって無限にかけ離れていくものである)としかいえず、ましてやいま「化学実験」の比喩で表現しようとした神性(超越性)と人性のアマルガム、ギリシャ語のヒュポスタシス(沈殿)とラテン語のペルソナ(仮面)との「概念のポリフォニー」をめぐる著者の屈折した叙述を腑分けすることなど到底できそうにもありません。

 ──終息に向かいつつある「オリゲネスの遺産」をめぐる序説的作業に、もし続編があるとしたら、イスラム、ユダヤの神秘思想のうちに結実したネオプラトニズムの潮流への目配りとともに、四世紀から六世紀にかけて培われた、カテゴリー的なもの・本性的なもの・本質的なものに鋭く対立する「ビザンツ的インパクト」(277頁)をめぐるこの書物の再読から始まることでしょう。


【181】オリゲネスの遺産・オリゲネス余録の1

*小室直樹『世紀末・戦争の構造』(徳間文庫)から。

<それにしてもなぜ、キリスト教が戦争、国際法、国際政治、国際経済の基礎となり得たのか。イスラム教、ユダヤ教、仏教、儒教などとは違った役割を演じ得たのか。/初めに、キリスト教の理解を徹底しておきたい。/キリスト教の本質は何か。/カルケドン信条である。/カルケドン信条とは何か。/イエス・キリストは神であるという信条である。すなわち、「イエスは完全な人間であり、完全な神である」という信条である。>(8-9頁)

<神としての人間イエスを共有することによって、ヨーロッパは一体化した。共同体としての普遍世界、キリスト教共同体(corpus christianum)がつくられたのであった。/カルケドン信条を根本教義[ドグマ]とするという意味でのキリスト教共同体は、宗教改革によっても微動だにしなかった。ルター、カルヴァンをはじめとする宗教改革の指導者たちはすべて、カルケドン信条を信奉していた。三位一体説と「人間イエスは神である」ことを信じていたのである。これを根本教義とする点においては、カトリックもプロテスタントもギリシャ正教(ロシア正教)も同じである。>(15頁)

<人間イエスは神である。ゆえに、その言動を記した『福音書』(Gospel)は最高の啓典である。(略)/この福音書であるが、戒律、法律、規範については全くふれられていない。外面的行動(overt behavior)に関する命令、禁止は一言も述べられていないのである。(略)/つまり、ユダヤ教やイスラム教の啓典とはちがって、福音書は法源(法律の根本)とはなり得ないのである。新約聖書の福音書以外の部分も、やはり、法源とはなり得ない。それだけでなく、社会の根本規範[グルント・ノルム]も戒律も生まないのである。/これが、キリスト教の特徴である。/この特徴があるゆえに、キリスト教共同体[コルプス・クリスティアヌム]から、近代法、近代政治(とくにデモクラシー)、近代経済(資本主義 moderner Kapitalismus)が生まれてきて、近代国際社会を形成し、その諸原則がヨーロッパの外にも波及してゆくことになったのであった。>(16-8頁)

*O.シュペングラー『西洋の没落第二巻』(村松正俊訳,五月書房)第三章「アラビヤ文化の諸問題」から。──ちなみに本章第一節のタイトルは「歴史的仮晶」。

<宗教史に関するいかなる書を見ても教えられるように、「キリスト教」は大なる思想運動の二つの時代を経験したのである。一つは東方における〇──五〇〇年、一つは西方における一〇〇〇年──一五〇〇年である。しかしこれは二個の文化の二個の初期時代である。そうしてそれらはその有するところの、しかもキリスト教でない形態の宗教発展をもふくんでいる。>(214-5頁)

<知らないうちに、神の世界は、世紀から世紀を重ねるごとに永久機関に似るようになった。そうして同様にまったく知られないうちに、ますます実験と技術的経験とで熟練した眼で自然を見、そうしてゴートの神が影のようになった時、ガリレイ以来、修道士的な作業仮説の概念からかの近代自然科学の批判に浄化された numina が生じた。すなわち衝力と遠隔作用、重力、光源の速度、ついに「電気」(この「電気」は、われわれの電気力学的世界像のなかで、ほかのエネルギー形態を自己のなかに合併して一種の物理的一神論に到達した)が生じたのである。それは概念であって公式の下におかれ、それらに神話的直観性を与えるのである。>(249頁)

*宮本久雄・山本巍・大貫隆『聖書の言語を超えて』(東京大学出版会)第三章「ないないづくしの神─古代における三つの否定神学」(大貫氏執筆)から。

<人間をまるごと受容する神──イエスとパウロのこのメッセージは、後一世紀の末から三、四世紀にかけての正統主義教会のなかでは、残念ながら忘却されていった。一方ではマニ教を含めて勢いを増すグノーシス主義の「異端」の脅威に直面して、他方ではローマ帝国による弾圧から国教化への動きのなかで、正統主義教会はさまざまな内部論争をへながら、何よりも教義と制度の整備を進めなければならなかったのである。使徒信条の原型が成立し、三二五年にニケーアで開かれた公会議で信条文が採択されたのもそのためである。個々の教会では、監督、長老団、執事という三層構造での職制の分化が進み、地域的にはローマ、ビザンチウム、アンティオキア、エルサレム、アレキサンドリアなどの大都市の教会が周辺地域の諸教会を傘下におさめて指導する体制が確立されていった。
 それは同時に教会が倫理主義化の姿勢を強めてゆくプロセスでもあった。(略)
 そこに見られる倫理は、一言でいえば、過度の禁欲と放埒のいずれをも排した市民的な倫理であり、異端の脅威とローマ帝国の弾圧のはざまで市民社会のなかに何とか生き延びようとする教会の意図を反映している。そのために個々の教会の指導者は信徒の私生活の全域にまで──実際にどこまでそれが可能であったかは別として──監督の目を光らせる必要に迫られたのである。
 その神学的な表現が、個々の信徒の私生活はもちろん、心の奥底までも絶えず透視する神のイメージである。(略)この神は、譬えていえば、団地の住人がベランダにやってくる鳩を追い払うために置く、大きな目玉の描かれたビニール製のバルーンのような神である。ただし、神の目玉は外にではなく、家庭のなかに向けられている。しかも、より正確にいえば、その目玉は家庭のなか、個々人の心の中で起きるすべてのことを見ているが、自らは人間の目には見えない神なのである。つまり、神は今や一種の倫理的な強迫観念になってゆく。>(281-3頁)

<三つの[否定神学の]類型を支える基本的な態度についていえば、アルキノス[『プラトン哲学要綱』:中期プラトン主義の教科書]が代表する第一の類型は、冒頭の否定神学が示唆する超理知的あるいは非理性の立場を裏切って、終始理知の立場に留まりつづける。アリスティデス[『弁証論』:初期カトリシズム文書]が代表する第三の類型は、冒頭の否定神学の超理知の視点を早々に放棄して、倫理主義的な「理知の放棄」を断行する。ひとり『ヨハネのアポクリュフォン』[グノーシス文書]の第二の類型だけが、冒頭の否定神学が喚起するイメージどおり、理知を超えた全体性をめざしている。しかし、その全体性とは「他者」を失って無限膨張する「自己」の全体性である。
 基本的態度のこの違いに応じて、それぞれが語る言語も、思弁的・形而上学的言語(アルキノス)、神話的・詩的言語(AJ[ヨハネのアポクリュフォン])、弁明・弁論の言語(アリスティデス)という違いを生みだしている。[原注:言語をこのように三区分することについては、P.リクール『生きた隠喩』(久米博訳、岩波書店、一九八四年)、五ページを参照。]三つの類型は否定神学という共通の部分言語を語りながらも、それをそれぞれ異なった全体言語のなかに挿入しているわけである。>(287頁)


【182】オリゲネスの遺産・オリゲネス余録の2

*高橋保行『ギリシャ正教』(講談社学術文庫)から。

<ギリシャ正教では、これまでに述べてきた唯一の神の二つの概念[不可知性と可知性]をまとめてそれぞれを否定神学、肯定神学とよぶ。表裏一体のこの二つの神学は、知ることができないながらも知ることができ、知り始めると底知れぬ深さをみいだすという信仰体験に根ざしている。二つのうち、ギリシャ正教の思想を代表するものとしてよく紹介されるのは、肯定神学のほうである。否定神学は、瞑想と深く結びつき、論理的要素が少ないからである。
 肯定神学の中で神を考えるときに前提とされるのは、知ることのできる神の存在と生態を分けて考えるということである。ここでいう神の存在に関する考えをティオロギアとよび、神の生態に関する考えをエコノミアとよぶ。ここでいう神の存在とは、神の生命、性質、性格などもふくむもので、生態は、生活、行動、働き、力などをふくむ。これら神の存在と生活に関する考え方は、肯定神学の二つの支柱となっている。>(242-3頁)

<……ギリシャ正教の思想の中心になっている神の概念は、活動的で行動的な神による天地と人の創造と、救いという歴史的に人が体験できる事項を基盤にしている。したがって、教会の中における神聖神[かみせいしん:聖霊]の存在を無視して、哲学的に神を思索するということは、ギリシャ正教の思想家にとって考えられないことである。
 知ることのできぬ神は、永遠に知ることができないながらも、父と子と聖神の存在によって知ることのできる神、人と交わりをもつ神となる。ここで、知ることのできぬ神の存在は、父と子と聖神の生態をとおして考察することができるようになる。この考察をすでに紹介したテオロギアという言葉でよぶ。ギリシャ正教の世界では、エコノミアの中に招かれ、テオロギアに進んでいくとき、人は言葉に表現しえない神の絶大なる生命のふところに招き入れられはじめ、神の面[おもて]を見ることができるようになるのである。>(287頁)

*中沢新一『イコノソフィア』(河出文庫)から。

<キリスト教世界のイコンは、眼に見えない、物質的感覚を超えた経験領域のことを、壁のしっくいや板きれのうえに絵具をつかって絵画表現をしようとする人々に反対しつづけたイコノクラストの運動[イコン破壊運動]を押しのけながら、しだいにできあがったものです。ですから、もともとイコンには、不可視の意識領域の出来事を、色彩とかたちのつくりなす物質的なオブジェのなかに「受胎」させることにつきまとう、とうてい調和点を見つけられそうにない矛盾がつきまとっていたわけです。イコンが「無限」にかかわる絵画だったからだ、といいかえることができるかもしれません。イコンの発達とともに、ほんらいは言語表現すら超絶した「無限」にかかわっていたものが、物語性のつくりだす観念的なイデオロギーによって、すっかり狭苦しいものにつくり変えられてしまった。そのイデオロギーはけっして物質のなかからたち現われてくるものではなく、むしろ物質性や流動的な感覚・欲望をおさえつけながら、「観念」の力をふるったのです。ルネサンスにはじまるイコンの変化や解体は、こんなふうにしてイコンが落ちこんでしまった「有限」の狭苦しい枠のなかから、イコンを救いだそうとする行為だったのではないでしょうか。いまや「有限」なのは(かつてのイコノクラスト時代とちがって)、物質ではなく観念なのです。「無限」は、いまや観念とか精神とかのなかにではなく、物質と感覚のなかにある。観念のつくりあげた世界に、流動的な欲望や物質的感覚を解き放つ。そうやって、もう一度聖画のなかに(そうなると、もはやそれは聖画と呼ばれることはなくなりましたが)、「無限」をとりもどす。なんという奇妙な出来事なのでしょう。遠い昔、東方キリスト教に起こったイコン破壊運動と、近代を生み出すイコンの「唯物論的変化」とは、まるで合わせ鏡のようにむかいあっているではありませんか。一方は精神の領域に「無限」を見いだそうとしてイコンに反対し(彼らには物質は根源的な悪だととらえられていました)、もう一方はイコンにふたたび失われた「無限」をとりもどそうとして、物質と物質的感覚にむかった、こういう外見のちがいにもかかわらず、ふたつの運動は一枚の鏡面を境にして、たがいに相手を照らしだしています。そして、その鏡面には、「不可視の、言語表現も物質的感覚も超絶した経験領域を、色彩とかたちによる表現のうちに受胎させる」こと、いいかえれば「無限」を絵画表現に受胎させようという、そもそもの矛盾をはらんだイコンの企てがおかれています。>(197-8頁)

*塩野七生『コンスタンティノープルの陥落』(新潮文庫)から。

<ビザンチン文明とは、滅んだ古代ギリシア文明とローマ文明から吸収したすべての要素と、オリエントから受けた影響との総和を、さらに上まわるなにものかなのだ。それはそれ自身でひとつの完全体なのであって、単にさまざまな文明の要素の、色とりどりな混合からできた合成体ではない。(略)
 古代ギリシアの影響を受け、古代ローマ世界を母胎とする西欧の人々が、ビザンチン帝国とそこに住む人々を、不可解と思い、無意識にしても嫌うのも、理由がないわけではない。われわれビザンチンのギリシア人は、純粋には西欧人ではないのだからね。
 ビザンチン帝国の宿命的な創建から今日までの千百年の間、ギリシアは、アジアとヨーロッパとアフリカにまたがった巨大な蛸の一部分だった。そして、西ローマ帝国の滅亡後、西欧が暗黒の時代を通過しつつあった頃、コンスタンティノープルはその異国風の花を咲きほこらせ、彼らの思考方式に合った、新しい文明を築きあげていたのだ。地中海世界の長子としてのその気質は、実際的なことよりも、宗教と芸術の精神にとくにいちじるしく発揮された。そしてその政治上の特色も、けっして分離することのない、また事実上分離しえない、教会と国家、宗教と政治との統一態を守る信念にあったのだ。これが、ギリシア正教会の基本的な制度と指導理念に結実する。>(84-5頁)


【183】オリゲネスの遺産・プロティノス周辺の1

 ある思索家なり文筆家に興味を覚え、それが(たとえばオリゲネスのように)想像を絶する場所と時代を生きた人物である場合、その生涯や時代情況や思想内容や作品について書かれた書物をあらかじめ何冊か拾い読みして、おおよその「予断」を身にまとったうえでおもむろにその作品に取り組む、というのが私の悪い癖です。

 そしてたいがいの場合、こうした準備作業を全うすることなく関心が他所へと移ってしまうか、周辺的な事柄をあれこれ採集しているうち、当該「固有名詞」(たとえばオリゲネス)に対する当初の新鮮な感覚を見失ってしまう、というのが私の常です。

 プロティノスへの強烈な関心を大切に育んでいくためには、何をおいてもまず『エネアデス』五十四篇に直に接してみるべきなのでしょうが、しかしながらここでもまた件の迂回癖にとりつかれ、参考書漁りのあげくたどりついたのが井筒俊彦著『神秘哲学』で、これにはもうすっかり陶酔させられてしまったのです。

 私がいま手にしているのは、中央公論社版の著作集第一巻。その冒頭に収録された人文書院版の前書きによると、初版(光の書房版)の刊行が昭和二十四年で、実際に執筆準備に取りかかったのはさらに十年も前のこととありますから、著者[1914-93]二十歳代後半から三十歳代前半にかけての作品になります。

 これはほとんど散文詩といっていい華麗な美文で、歌うように叙述されたギリシャ的神秘主義へのオマージュです。たとえば、任意に開いた頁に出てきた次の文章。<ディオニソス! 人々この恐るべき神の名を喚べば、森林の樹々はざわめき、深山は妖しい法悦にうち震う。秘妙な忘我の風が全地を覆い、人も野獣も木も草も、あらゆるものは陰惨な陶酔の暗夜に没入し、野性の情熱が凄じく荒れ狂う。全ては激熱、全ては狂騰、全ては灼熱の歓喜。>(102頁)

 知的緊張と抒情的高揚のみなぎるその特異な文体は、もちろん著者本来の詩魂のなせる業ではあるのでしょうが、なによりも本書が扱う題材に、すなわちギリシア的形而上学的思惟の根源に伏在する密儀宗教的な神秘主義的実在体験そのものに由来するものです。このあたりの経緯は、次の文章に如実に表現されているように思います。

<イオニアの自然学に始まりアレキサンドリアの新プラトン主義に至るギリシャ形而上学形成の根基には常に超越的「一者」体験の深淵が存在している。この神秘主義的体験は個人的人間の意識現象ではなく、知性の極限に於いて知性が知性自らをも超えた絶空のうちに、忽然として顕現する絶対的超越者の自覚なのである。人がもしこのギリシア的神秘体験を識得しようと欲するなら、先ず自ら経験界の彼岸に翻転し、自然神秘主義の主体とならなければならぬ。「似たものは似たものによって、等しいものは等しいものによってのみ」認知されるという考え方は、たんにプラトン認識論の原則であるのみならず、古い昔からギリシア人のあいだにひろく行われていた特徴ある思想であるが、この原則は背後に一種の超越的直観を予想するとき、はじめて最も充実した意味を発揮する。>(24頁)

 つまり、著者の基本的な命題は、ミレトス学派からプラトン、アリストテレス、そしてプロティノスへと至るギリシャ哲学は、ソクラテス以前期の神秘主義的・超越的体験(パトス)を思想的に再現し形而上学的思索(ロゴス)として展開した「神秘哲学」であるというものなのですが、このギリシャ的神秘主義の何たるかを叙述するに際しては、その文体そのものがおのずから叙述対象と「似たもの」になるほかはない、ということなのでしょう。(方法としての文体。)

 本書は、第一部「自然神秘主義とギリシア」でギリシア思想のパトス面を、第二部「神秘主義のギリシア哲学的展開」でそのロゴス面を扱っており、著者の文体も題材に即して微妙に変化していきます。私は、第一部の叙事詩的高揚感をこよなく愛する者ですが、いつまでも余韻に浸ることなく、本来のテーマであるプロティノスへの道を急ぐことにします。

*第一部のタイトルに出てきた「自然神秘主義」[Naturmystik]という言葉が本書のキーワードになります。著者の定義によれば、自然神秘主義的体験とは有限相対な存在者としての人間の体験ではなく、無限絶対な存在者としての「自然」の体験を意味します。<人間が自然を体験するのではなく自然が体験するのである。自然が主体なのである。>(22頁)

 また、「自然」[フュシス]とはミレトス学派の自然学に由来する用語で、ギリシア的な神、すなわちパルメニデスによって「存在」[エオン]として把握された超越的最高領域を意味するものにほかなりません。──ここで、パルメニデスが「思惟することと思惟の対象とは同一である」と説いたことに関して、ぜひ引用しておきたい文章があります。

<パルメニデスの言おうとするところは畢竟、存在はノエマ的性格をもつということであるが、それは日常的感性的多者界に於いて、存在するものは思惟されたもの、あるいは、思惟されるものだけが存在するというような単純な意味ではない。存在といい思惟といっても、それは去来転変して止むことのない生成の世界の事態を指すのではなく、感性的世界を離絶した超越的形而上的存在領域の自体的渾一について語られているのである。[略]パルメニデスの原思考は自同律も矛盾律も触れることのできない超越的世界に展開しているのである。元来、存在者の自己同一性(A=A)が、その反面に矛盾的否定的側面(A≠nonA)を予想しなければならないということは、その存在者が窮極のものでないことを示す。パルメニデスの存在は A≠nonA を予想しない絶対の A=A であり、より正しくは A=A ですらなくて、ただ端的なる A! なのである。そしてこの端的な A! こそ、自己自らを了々と自覚する無時無空の窮極的存在、すなわち、思索[ノエマ]と存在[エオン]との絶対同一そのものである。>(167頁)

<パルメニデスの「思惟と存在の一致」は、こうして真理それ自体、つまり相対的世界に肯定される相対的真理ではなくて、逆に全ての相対的真理を絶対的に上から保証するところの生きた真理そのものの定立となるのである。こういう立場から見れば、デカルトの Cogito ergo sum は、ただその本源的本来的領域に於いてのみ、真に全き充実味をもって主張されるべきものである。個物的存在としての相対的個人意識の地平に跼蹐するかぎり、デカルト的「思惟即存在」は要するに相対的真理の定立にすぎず、人はいかなる方向に進んでも、結局、自我の盲壁に衝突して蹉跌せざるを得ないであろう。客観性の真の根拠は主観性の内部にではなく、主観性を絶対的に踏越したところ、存在の超越的絶頂にのみ見出されるのである。「我れ在り」Sum と語ることのできるのはただ独り神のみである、とエックハルトが断じているが、いずれにしても絶対窮極の密度に於ける存在性を自らに認め得る者だけが、はじめて同時にまた絶対窮極の意味に於いて「我れ思う」Cogito と言い得るのである。相離れ相距って二つの独立した原理をなす Cogito と Sum が、存在位層の上昇にともなって、次第に緊迫度を加えつつ相接近し、この緊張の極、存在位層の尖端に至ってついに一致重合するところ、そこに燦爛として生きた真理そのものの閃耀がひらめく。Cogito ergo sum は人間の意識ではなくて、神の意識である。>(227-8頁)

 なお、「存在」を「自然」と呼ぶミレトス学派の慣わしは、たとえばエリウゲナの『自然分類論』に受け継がれ(155頁)、また西洋神秘思想史上、ミレトス学派に次ぐ自然神秘主義の第二期であるルネサンス時代において、ミレトス自然学がもつ「汎生命的神秘主義」はより鮮明な形をとって現われて来る(209頁)、とのこと。


【184】オリゲネスの遺産・プロティノス周辺の2

 『神秘哲学』の白眉をなす第二部第四章「プロティノスの神秘哲学」を取り上げる前に、この最終章へ至るまでの叙述から浮かび上がってくる、ギリシャ的神秘主義とそのロゴス化(神秘哲学)の「系譜」めいたものを図式的に概観しておきます。抒情詩の要約を試みるがごとく味気なく鼻白む思いですが、プロティノスがギリシャ思想史に占める位置を見定めるうえで欠かすことのできない(そして井筒氏の神憑り的文体がもたらす陶酔と緊縛からわが身を解き放つための)基礎作業だと考えて。

 ギリシャ最初の自然哲学がイオニア植民地の母都ミレトスに誕生した紀元前六世紀は、その前後一世紀とあわせて、社会的にも精神的にも動乱と混乱が渦巻く「宇宙的痙攣」(ロマン・ロラン)の三百年のただ中にありました。とりわけ前七世紀から六世紀にかけて隆盛の絶頂を極めたディオニュソス信仰は、都市から都市へと伝染し、ホメロス・ヘシオドス的国民宗教の凋落をもたらしていったのです。

<ディオニソス的危機はギリシア精神にとって重大な危機であり、恐るべき悪疫ではあったが、それはまた深刻な宗教的体験だったのである。この宗教的体験の洗礼を受けることなしにはギリシア民族は、彼らが世界に誇る哲学をもアテナイの悲劇文学をも生み出すことがなかったであろう。>(111頁)

 超越的「全即一」の汎生命体験と忘我神憑の「聖なる狂乱」に彩られたディオニュソス的宗教体験は、二つの途を通ってギリシャ精神の内部に織り込まれていきます。その一は、未開野蛮な集団的シャマニズムがもたらす全一体験をそのまま直ちに知性化・精神化し、超越的全一体験へと飛躍転換させる自然神秘主義(イオニア自然学)の途。その二は、先史時代にまで溯る農業祭祀としての密儀宗教[ミュステリオン]のうちにディオニソス宗教を摂取し、さらにオルフェウス・ピュタゴラス秘儀教団の公式教義として彫琢していく途。

<かくてギリシア哲学の発生は二つの相異なる方向から考察されなければならないことが、ほぼ明らかになったと思う。その第一は、さきに述べた直接的自然神秘主義の方向であって、この系統に属する哲学思想は汎生命的、汎神論的で、著しい超越的性格を示し、結果においてはきわめて論理的形而上学的であるに反し、第二の密儀宗教、秘儀教団を通る間接の途に生れた思想は、最後まで彼岸宗教としての色彩を失わず、個人霊魂の行方を追うことを中心課題とし、かつ全体の印象が情緒的であり具体的である。また第一の系統から来る思想が窮極する処は詩味索漠たる抽象的弁証となるのに反して、第二の系統にあっては最も抽象的な存在論的思想すら常にミュトスの形をとって表現されることも両者の特徴と見なされるべきであろう。>(148-9頁)

 イオニアの自然神秘主義に端を発しクセノファネスを経てエレア派のパルメニデスへと至る非ミュトス的思惟(抽象的弁証)と、オルフェウス・ピュタゴラスの密儀宗教に根ざしヘラクレイトスへと至るミュトス的思惟(動的形而上学)。この全ギリシャ哲学史を支配する二大思想潮流は、一応プラトンに至って融和調停されることとなりますが、その後また分裂し最後まで対立は跡を絶つことはありませんでした。

(そもそも両者の対立は、一刀両断的に截然と分別できるものではなかったのです。現に、著しくエレア派的パルメニデス的であったプラトンは、一方で密儀宗教的な要素を濃厚にもち、きわめてヘラクレイトス的であることを特徴とするアリストテレスは、一方で自然神秘主義的な「神秘家」でもあったのです。)

 こうして、かのイオニアのミレトスに哲学的思想が興って以来、ギリシャ哲学の主流は常に神秘主義的原体験を基礎として、超越的体験をロゴス面に写しつつ形而上学的思索を展開してきました。そして、アレキサンドリアの新プラトン主義に至って、ギリシャ哲学七百年の伝統はその最終的な表現を与えられることになります。

<かくてプロティノスの神秘哲学は本質的にプラトニズムであり、いわばプラトン的神秘主義の自己展開でありながら、かの宇宙的規模を有するアリストテレス形而上学を通過することによって、おのずから全宇宙にわたる雄大な存在論体系を形成するのである。この意味に於いて新プラトン主義は、少くともその代表的思想家について見るとき、けっして先行諸説の雑然たる混淆でも折衷でもなくて、むしろ全ギリシア思想史の創造的綜合であり、総決算であったと見るべきであろう。>(381頁)

*ずいぶんと多くの大切な論点を置き去りにしてしまいました。たとえば、クセノファネスがギリシャ形而上学にもたらした「一」と「全」の関係をめぐる複雑な問題性や、プラトンとアリストテレスの神秘哲学の実質等々。ここでは、いま思いつくかぎりで三点、メモしておきます。

[超越的体験―あるいは神化]
<超越者を体験するとは、超越者が超越者を体験することでなければならぬ。もし人が絶対者を直証するというならば、それはすでに人ではなく、体験の主体は絶対者である。人の意識が杳然と消滅して跡もとどめぬ絶対空無の超越的境位に於いて、絶対者が縹渺と露現することを超越的体験と仮に名付けるだけである。さきに一言したスコトス・エリウゲナのいわゆる「神化」deificatio とは、このような超時超空の絶対者の渺々たる自己露顕を指す。神化とは相対有限な人間が直接向上的に絶対無限な神に転成するということではなく、現実的人間が徹底的に無化され、人間的意識の光があますところなく消拭されて点埃をも残さぬ暗黒の極所、赫奕たる絶対者が顕現すること、すなわち人間意識が消滅するところに絶対者の超越意識が生じることなのである。>(164-5頁)

[神充と脱自―あるいは人神と神人]
<……原ディオニソス体験は、血腥い集団的狂騰惑乱を通じて、人間が個人的自我を完全に喪失して恍惚たる忘我無意識の波に呑まれ、一種の超越的全体感のなかにあますところなく消融還没することであるが、この狂熱的自我忘逸は、一面に於いていわゆる「エントゥシアスモス」(神に充たされること[enthousiasmos])であるとともに、他面に於いて「エクスタシス」として把握された。エクスタシス ekstasis とは「外に出ること」すなわち人間の内なる霊魂が肉体の外に脱却して、真の太源に帰没することを意味する。ディオニソス神崇拝の信徒達にとっては、この忘我奪魂が直ちに人間の神化なのであった。狂乱神憑の陶酔状態にある信徒は自ら神と冥合し神になり、その証左として神の聖名バッコスを称することを許される。このシャマニズム的狂躁の形態の下に、原ディオニソス体験は二つの注目すべき帰結を匿していた。すなわち、その一つはエントゥシアスモスの系統をひく全一観、ならびにそれに基づく汎神論的一神観であり、その二はエクスタシスに由来する霊魂神聖観とそれに基づく輪廻転生説である。>(177-8頁)

[向外的超越と向自的自己沈潜―あるいはメタ・フィジカとメタ・プシキカ]
<クセノファネスからパルメニデスに至るエレア派の学統が、向外的超越的な途によって、この窮極的実在を「自然[フュシス]の彼岸に」、すなわち metaphysisches Wessen として把握したのに反し、ヘラクレイトスは向自的自己沈潜の途によって、これを「霊魂[プシューケー]の彼岸に」、すなわち、いわば metapsychisches Wessen として証得したのであった。パルメニデスの「真実在」が蕭条として形而上的冷気をすら感じさせるのにたいして、ヘラクレイトスの「一者」が異様な実存的緊迫感に満ちているのはこの故である。>(219頁)


【185】オリゲネスの遺産・プロティノス周辺の3

 プロティノスの神秘哲学をめぐる叙述から、私の脳髄に強く刻印された文章をいくつか抜き書きすることにします。というのも、井筒氏自身、本書の最終章を(それ以前の叙述のスタイルとはやや趣を変えて)プロティノスの著作からの多くの引用で構成しているからです。おそらく言語化不能の対象を語る窮極の表現(ロゴス)をそこに見出したからでしょう。ましてやいまだ自然神秘主義的原体験を知らぬ私が、神秘道の通暁者の文章を「要約」するなど身の程知らずというものです。

[プロティノス―ギリシャ精神の綜合者]
<こうして我々はギリシア哲学史上に於けるプロティノスの歴史的位置をほぼ正確に決定することができるであろう。それはプラトンとアリストテレスをつなぐギリシア哲学主流の線上に、両者の思想が脱自的観照生活の一点を通じて相交叉するところに存在する。しかしプラトン的観照とアリストテレス的観照の交叉交流とは、かのミレトスの自然学以来連綿として陰に陽に、あるいは対立しあるいは協力しつつギリシア思想の底流をなして来たイオニア的自然神秘主義と、密儀宗教的霊魂神秘主義との最後の綜合でなくて何であろう。外面に向かって限りなく流亡しようとする肉眼を閉じて「他の眼」を開き、黙々として自己に還ることを要求し、「汝自身に還向せよ、そして観よ」と教えるプロティノスの神秘主義は、その著しい内観性に於いてプラトン的であり密儀宗教的であるが、それと同時に、魂が自己自身の内奥に向って次第に深く沈潜して行くその内観の一歩一歩が、たんに個人霊魂の解脱救済への一歩一歩としてではなく、遙かに大きな宇宙的射程に於いて把握され、その存在論的意義が闡明されて行く点に於いて著しく自然神秘主義的でありアリストテレス的である。プロティノスの立場が徹底した観照主義でありながら、それが同時に雄大な存在論体系として展開する所以はここにある。>(382-3頁)

[プロティノスの霊魂観]
<プロティノス哲学の枢軸をなす「形而上学的世界の彷徨者」としての魂は、紀元前六世紀以来ギリシア思想史を通じて並行して来た「二つの霊魂観」――密儀宗教的内在的霊魂観とイオニア的汎霊魂主義――との最後の合流点であり、従ってこれら二つの霊魂観を担う二つの精神史的伝統によって彼の哲学は裏から支えられているのである。>(386頁)

[プロティノスと東方思潮]
<……もし人が真にプラトンやアリストテレスを哲学以前のその根元的体験の地平に於いて理解するならば、彼はプロティノスの観照的ヌース論が、非ギリシア的な外来要素であるどころか、むしろかえってプラトン・アリストテレス的知性主義の正統的発展であり、純ギリシア的「合理主義」の極致であることを見出すであろう。
 同様に、プロティノスの絶対超越的「一者」のうちに、プラトニズムでは全然説明することのできぬ外来的要素を認め、それを一種のヘブライズムとして(具体的に言えばアレクサンドリアのユダヤ人フィロンの超越的神観の影響として)解釈しようとする人があれば、これもまたプラトンのイデア論をただ外面的にのみ理解して、その基底に在る根源的体験を内面的に把握せぬ哲学史家の通弊に陥ったものと言わざるを得ないのである。[略]
 滔々たる時流にたいしていかに超然たる矜持の態度を守り続けたとはいえ、当時のローマ帝国的世界一般の雰囲気から見て、また彼の門下生達の出身系統から見て、さらにはまた彼自身の青年時代ペルシアおよびインドの思想にたいして示した情熱的関心の事実から見て、プロティノスにたいする東方思潮の影響をまったく否定することはもちろん正しくないであろう。ただ私が言いたいのは、「東方的なもの」の第二義的影響にもかかわらず、プロティノスの哲学の本質的第一義的な中心部は、プラトン・アリストテレス的哲学の展開として立派に説明できるということである。プラトンを真に理解する者だけがアリストテレスを深く理解することができる。そしてプラトンとアリストテレスとをともに生きた観照体験によって理解する者だけがよくプロティノスを理解することができるのである。>(391頁)

[プロティノスの存在論体系と宇宙的観照主義]
<かつてプラトンは「線分の譬喩」なるものを案出し、魂の脱自的超越的上昇過程、およびそれに伴って開け行く諸存在領域の位相的構造を一本の直線によって具象化したのであったが、我々はプロティノスの発出論体系をも同じく一本の直線によって次のように表示することができるであろう。

 「一者」――「叡知」――「霊魂」――「自然」――「質料」

 この場合、プラトンの線分の譬喩とは違って、直線の両側に認識主体の秩序と認識対象の秩序とを区別する必要がないことに先ず注意が向けられなければならない。さきに説明した通り、一者については言うまでもなく、それ以下の叡知にしても霊魂にしても、それだけでそれぞれにすでに一つの形而上学的世界、すなわち一つの存在領域なのであるから。認識といえば直ちに何か外在的な対象を考える普通の意味の認識論的立場はここでは全然通用しない。この世界でももちろん、一者以下の基体については認識の主体と客体とが区別されるのであるが、しかしその場合、客体とは、それを認識する主体それ自身以外の何ものでもないのである。[略]しかも、霊魂が認識する自己自身も、叡知が認識する自己自身も、畢竟するにまったく同じ「一者」なのである。[略]叡知や霊魂のような上位基体のみならず、自然についても、いや、最下底の質料についてすら、きわめて微弱な程度においてではあるが、同じく一者への趣向ということが認められる。また、そうであるからこそ、前に述べたように、「一切万物は観照する」というプロティノス独特の宇宙的観照主義が成立するのである。>(392頁)

[知性の密儀宗教―プロティノス哲学の秘教的性格]
<こうして、プロティノスの哲学は著しい秘教的性格を帯びて来る。というより、むしろそれはすでにまぎれもない知性の密儀宗教である。まだかの totum simul[一切同時現成]を識らぬ人々にたいしてはこの哲学は固く門扉を閉ざして開かない。[略]
 この点に於いてプロティノスはプラトン精神のまぎれもない継承者と言うべきであろう。ただしプラトンは、彼の哲学のこの側面を、文字通り門外不出の秘教として絶対に書き残さなかったのに反して、プロティノスはむしろこの側面ばかりを書き残したところが違うだけである。[略]
 ……プロティノスの最大の、そして唯一の関心事は、まさにプラトンが公開の著述に於いては固く口を緘して語らなかった「善者」に凝集していた。しかも幸いにして彼はそれにかんする自己の思索を赤裸々に述べて後世に伝えた。こういう奇しきめぐりあわせによって、今日我々は、プラトンが「神」について親しい門弟達に何を教え何を語ったか、その秘教の内容を、プラトン自身の著作からではなくむしろプロティノスの著作から、ほぼ推察することができるのである。プロティノスが自己の教説の絶対者を呼ぶのに「一者」(to hen)「第一者」(to proton)などの名をもってしただけでなく、特に好んで「善者」(to agathon)の名を用いたのはけっしてかりそめの思い付きではないであろう。プロティノスの「一者」はまさしくプラトンの秘教的「善者」なのである。>(402-3頁頁)

 ――以下「一者」「流出」「神への思慕」と、プロティノスの存在論体系をめぐって井筒氏の叙述と引用は続くのですが、これ以上の抜き書きはもう止めます。<神を観ようとする人は先ず自ら神の如くならねばならない。>(427頁)こんな窮極の言葉をつきつけられると、ともに神を観た二人の人物が時代と場所を異にして相対峙し格闘する緊迫したドラマを、単なる知的好奇心で追いかけることが虚しくなってしまいました。

 そして、「オリゲネスの遺産」をめぐる探究への準備作業も、このあたりで中断します。プロティノスの著作は読みかけだし、アウグスティヌスの著作にもまだ接していないし、しだいに関心が集中しつつあるエリウゲナの存在が気になるし、イスラームの神秘哲学についても掘り下げてみたい。これら諸々の事柄についてはまた別の機会に譲り、気力の充実をまつことにします。