オリゲネスの遺産:間奏



【159】オリゲネスの遺産・間奏の1

 オリゲネスとプロティノスは、西方世界に刺さった東方の矢である。あるいは、オリゲネスとは、キリスト教精神世界に植えつけられたグノーシスの刺である。──命題風にまとめるならば、おそらく私がいま試みている作業のテーマはそのように表現できるでしょう。

 もとよりこの分野への初心者どころか入門希望者でしかない身ゆえ、あまり深入りすることなく表面的なところをざっと概観して、いくつかの素材の収集とそれらを大雑把に組み合わせた論述の「粗描」に止めておくつもりで始めたものの、そしてこれまで実際にやってきたことはまさにその程度のことでしかなかったとはいえ、ここにきて少しばかり行き詰まって(息詰まって)きました。

 私自身の「社会生活」がこのところ繁雑をきわめ、作業にあてる時間と体力が十分に確保できなくなったこともありますが、要するにテーマの広がりと深さに圧倒されて、先行きの見通しが混濁してきたわけです。いったん中断するのも一法ですが、体力と知力がダウンするとまず決断力が鈍ってくるものです。しばらく周辺的な(あるいは先走った)事柄を取り上げて、その間に建て直しをはかってみることにします。


*最近『リスク 神々への反逆』(ピーター・バーンスタイン/青山護訳,日本経済新聞社)という本を読んでいます。

 訳者あとがきによれば、著者はアメリカの投資社会で「賢人」と呼ばれる現役の投資顧問。まだ最初の二章を眺めただけですが、実に刺激的かつ深く濃い内容(へと至る手がかり)に満ちた書物──として記憶に止められることになるのではないかと予感させるものがありました。いくつか素材を拾っておきます。

 われわれが生きている現代と過去何千年もの歴史との一線を画する画期的アイデアは「リスク」の考え方に求められる、と著者は書いています。未来を現在の統制下におくこと、つまり将来何が生起しうるかを定義し、代替案の中からある行為を選択するリスク・マネジメントの能力が、現代社会の中核に存在するというのです。

<人類がこの境界を見出す以前には、未来は過去の鏡であり、漠然とした神のお告げとか予期しうる事態について独占的に知識を有する占師が濶歩する領域だった。>(13頁)

 著者によれば、本格的なリスクの研究が開始されたのはルネッサンスの頃なのですが、リスクの現代的な考え方のルーツは、ヒンズー-アラビア式の数字システムにあります。そしてこのことが、ルネッサンス以前になぜリスクの考え方が登場しなかったのかを説明してくれます。

<もしギリシャ人が、彼らの知的な子孫であるルネッサンス期の人々が何千年も後に発見する確率論のことを当時から予知していれば、今日の文明はさらに進化していたかもしれない。(略)最も重要なことは、ギリシャ人は自らの行動結果を記録することはできても、計算することができるような数の体系を持っていなかったことである。>(33頁)

 ヒンズー-アラビア式の数字システムの最大の貢献は、ゼロの概念の発見にあります。著者は、洗練された思考様式を採用する上でゼロの使用が必要になったとするホワイトヘッドの言葉を引用した後で、次のように書いています。

<ホワイトヘッドの「洗練された思考様式」という表現は、ゼロの概念が単に数を数えたり、計算する方法を拡張したという以上に、何かしらもっと深遠なものを解放したことを示唆している。(略)適切な計算体系を導入することで、数学は単に計測技術を進化させるのみならず、抽象を対象にした科学にまで発展していくことになる。ゼロは思考と進化の前に立ちはだかっていた垣根を取り払うことになった。(略)ゼロの導入で数の表記体系の全貌が目に見えるようになり、また明瞭になった。>(56頁)

 ところで、アラビア人の高度な数学知識をもってしても、確率論やリスク・マネジメントの議論にまでは踏み込めなかったのはなぜか。

<けだし、その答は彼らの人生観と関連している。(略)リスク・マネジメントの考えは、人々がある程度自由な振る舞いができると信じた時に芽生えてくる。ギリシャ人や初期のキリスト教徒と同様に、宿命を信じるイスラム教徒がその段階に到達するには未だ早すぎた。>(59頁)

<漠然とした蓋然性を系統的な確率概念に置き換えるというラジカルな考えを生み出したり、未来は予測可能だし、未来をある程度はコントロールできるという考え方を示唆したのは西洋人だけだった。しかし、その西洋人でさえアラビア数字だけではそのような考え方には到達できなかった。アラビア数字を超えて西洋人がラジカルな考え方に到達するには、人間は与えられた運命に対して全く無力というわけではなく、現世での宿命は常に神によって決められているわけではないことを悟らねばならなかった。/ルネッサンスと宗教改革がリスクの謎を解明する機会を与えた。>(38-9頁)

 だらだらと引用を重ねてしまいました。──私なりに要約しておきます。第一に、リスクの観念は、時間に対するある特異な意識の上に成り立つものであること。それは過去と未来が現在のうちに織り込まれているような(無時間的な)それではなくて、過去と未来が鋭く斬り結ぶ裂け目のうちに現在を位置づける時間意識でなければならないこと。

<「リスク(risk)」という言葉は、イタリア語の risicare という言葉に由来する。この言葉は「勇気を持って試みる」という意味を持っている。>(23頁)

 第二に、確率概念を基礎とした統計学的・計量的アプローチによるリスク・マネジメントは、徹底した抽象化の上に成り立つものであること。

 ピュタゴラス的な数秘術[numerology]やカバラのゲマトリアが、それぞれ幾何学的な形やヘブライ文字と結合した数の表記システムに固有の象徴的あるいは魔術的な解釈術(既知のもの=普遍的なものの「予言」ならぬ「遡言」術)として編み出されたものであるとするならば、ヒンズー-アラビア・システムが切り開いた世界は、簿記と予測(40頁)の二つの活動によってもたらされる脱神秘主義的な資本主義だったのです。

 ギリシアの古典古代とルネッサンス以後の近代との二千年余の間に、もしかしてリスクの観念が発達しえた時代があったとすれば、それは西暦一世紀から三世紀にかけて、まさにグノーシス主義が地中海世界に蔓延した時代だったのではないか。──そんなことを、私は漠然と考えています。


【160】オリゲネスの遺産・間奏の2

*フリードリッヒ・ヘーア『ヨーロッパ精神史』(小山宙也・小西邦雄訳,二玄社)の第一章「不安なはじまり・東方の優越(二世紀から五世紀まで)」から、オリゲネスに関する叙述の一部。

<マイスター・エックハルトとスピノザは、オリゲネスの近くにいる。バロックの陶酔、そして数学、ことに幾何学を手段として、神のうちに確実性に到達しようという彼の試みは、オリゲネスの切望したことを再生させるものである。(略)オリゲネスの著作の大部分は失われてしまっている。残っているものは、ほとんどラテン語(ルフィヌス訳)で伝承されているものでさえ、のちの正統派の考えで、乱暴に欠陥だらけに手が加えられてしまっている。しかも彼の思想の鋭さは、この最初のスンマの断片ともいうべき書物から、ききとることができる。(略)オリゲネスは極端な個人主義者である。彼は「教会」にも「国家」にも、「歴史的なキリスト」にも、一般民衆の「非精神的な」信仰にも、理解をもっていない。神は彼にとっては、プロティノスや他の新プラトン主義者の場合のように、純粋精神であり、非物体的なモナドである。オリゲネスが生涯の課題としたものは、旧約・新約両聖書を比喩の助けを借りて、霊的宗教的に解釈することであって、それが精神論として、もちろん少数者、教育ある者、グノーシス主義者にのみ、完全に通用し、理解されることをめざすのである。神はまったく超越的なものである。人間は完全に自由である。すなわち、人間はいつでも理性と禁欲によって、自己支配(autousion)に登ることができる。オリゲネスは世界が多数であることを教え、それらは時間の経過に従って、発生したり消滅したりする。世界史は、ロゴスが人間を神の認識へとつれてゆく教育課程であって、終局は万物の帰還、神がすべてにおいてすべてになることである。キリストは第二段階の神であって、まったく神性に従属している。彼は人類の模範的な教師、教育者、倫理家である。彼の福音は、あらゆる地上的な救済説のように古くなる。その福音は、使徒ペテロやパウロのように、全真理のほんの一部を捉えたにすぎない。そして将来永遠の福音のうちに止揚されるだろう。ユスティニアヌス皇帝は、第五回全教会公会議によって、五三三年オリゲネスを異端として断罪した。三世紀後期、四世紀におけるオリゲネスをめぐる激しい闘いののち、オリゲネス主義者は、六世紀にことにパレスティナにおいて、大きな成功をおさめてから、彼の急進的な同調者、精神主義的な僧侶は、ついに打ち負かされ、追放された。彼らはスペインに行ったのか、東方深く退いたのか、われわれは知らない。精神主義的な教会宗派、哲学的な流派としての、このようなオリゲネス主義の敗北からして、オリゲネスの勝利の世界史的な広がりを、誤解することは許されない。東方教会の指導的な神学者は、何らかの意味でオリゲネス主義者である。アリウス主義、ペラギウス主義は、オリゲネス主義に基づいている。西方においては、九世紀のエリウゲナの精神主義から、一九世紀の観念論者まで、この人物の遺産の一部にすぎないのである。>(12-3頁)

<オリゲネスとアリウスはギリシア精神、東方ヘレニズムの叡知とキリスト教とを和解させようと試みた。そのために、彼らはキリストを、プラトン的グノーシス的に理解された父神性に従属させ、彼をグノーシス的キリストに解体し、神性の多くの流出の一つ以外のものではないとし、肉体をそなえた歴史的キリストを、まったく第二義的なものとしたのである。>(14頁)

<オリゲネス的新プラトン主義の二元的世界秩序>(15頁)


【161】オリゲネスの遺産・間奏の3

*ゲルショム・ショーレム「無からの創造と神の自己限定」(市川裕訳,エラノス叢書第6巻『一なるものと多なるものI』平凡社所収)から。

 無からの創造の教義の再解釈によって、神は無(超存在)であるという表象──神に関する神秘的洞察の中でも最も逆説的な表現の一つ──が生まれるのだが、それはまず偽ディオニュシウス・アレオパギダの聖なる名についての書物によって第一歩が踏み出された。そして、中世の思弁と神秘主義の中にこの新解釈が現われるのが九世紀のことで、神についてのこの新しい表象は、イスラームの資料にもキリスト教の資料にも──偽ディオニュシウスの書物と同じく新プラトン主義の思想の適用を通して──等しく表現されている。(81-3頁)

<無の象徴に関する最古のアラビア語のテクストが生まれたその同じ時代に、西洋でもヨハネス・スコトゥス・エリウゲナ(870年頃)がキリスト教の思想世界で初めてこの象徴を追究した。しかも、彼の主著『自然の区分について』(ここでいう自然とは存在のことである)を読む人なら、今日でも驚きを覚えるほどの鋭さと徹底性をもって行ったのである。無からの創造に関するキリスト教の教義の中で、この著作の第三部に見られる斬新な解釈以上に人を魅了するものはない。彼は、新プラトン主義の神秘家の精神によってキリスト教の思想世界を再解釈するに際して、どんな逆説に出会ってもたじろかない。彼の教義は、この点においてユダヤ教のカバラー神秘主義の思惟、そしてイスラームのイスマーイール派の思惟と驚くべき対応関係を示しているのだが、十三世紀の初期に異端を宣告され、それ以後はもはや教会内で公然と主張されることはなくなった。>(86-7頁)

<スコトゥス・エリウゲナの教えによれば、あらゆる被造存在は、最終的には始原の因果(カウサエ・プリモルディアレス)の理念世界、すなわち全存在の始原に発するものである。この始原の世界はしかし、質料より造られた世界ではない。それは神の知恵そのものだからである。また、たとえ神の外から造られたものだとしても、やはり物質ではない。神の外にはなにものも存在しないからである。創造における無、そこから神がすべてを造っている無とは、むしろ神自身である。「なぜなら、人間や天使のどんな思考によっても認識できない神の属性の、その言葉に尽くしがたい透明さのことを、神秘神学の言葉では無と呼ぶからである。まことにその透明さは、あるがままに考察されるときには、現在にも過去にもそして未来にも存在しない」。この属性が言葉に尽くせない仕方で存在へと下降するとき、精神の眼には識別できても、それは捉えがたいものと考えられるがゆえに「含蓄を残した形で無と名づけられるのが妥当である」。万物の本来の始原とは、そこにおいて事物がその原型から展開されるところであるが、神が事物の本来の始原へと下降することは、神自身の本来の無、そこからすべてが出現する無へと下降することである。この原創造という行為、すなわち、神が自身の本来の深みへと下降することは、あるひとつの行為である。その行為は、この神の内部の活動性と活力を巨大な逆説的な姿で示している。無からの創造とは、簡潔に言えば、神が始原において自身を創造する過程である。>(87-8頁)

<無からの創造が神の超存在性そのものからの創造へと変遷を遂げたなかで、ひとつの問題が解決されないままに残される。ここに見られる思想の変化は、その中で無からの創造が根本的には発出という理念と同一化されることを示したが、…神の無から溢れ出た存在が、いったいどうしたら、いつのまにか神に対して他者となりそのまま存立するものとなりうるのだろうか。(略)
 さてここで、後期のカバラー神秘家の場合には、キリスト教神秘家の場合よりも急進的であったがために、ひとつの思惟が登場する。この思惟は、スコトゥス・エリウゲナの言う、神が神自身の中に下降したとする思惟にどこか類比すると言うことができよう。そうはいうものの、それはスコトゥス・エリウゲナの思惟の根本的な転換であると言えよう。スコトゥス・エリウゲナの場合には、神の神自身の中への下降とは、神そのものから知恵がとめどなく生成することを意味する。ところが神の自己収縮による創造というカバラー神秘家の思惟は、神の存在が持つ、よりいっそう深い層に関係しているのである。それゆえ、これとの関連で、さらに神の自己収縮について語らねばならない。
 神とはすべてが備わった完璧な存在であるとされるとき、その本性に従えば、自分以外のいかなる存在も許容しない。なにも存在しなければ、神はひとりで存在していることになる。そうなるとなおのこと、われわれはこう問わねばならない。神自身ではない事物はいかにして存在できようかと。この問いこそ、イツハーク・ルーリア──後期のカバラー神秘家のうち最大の人物──と彼の弟子たちが、ツィムツームの理念を導いた問いであった。ツィムツームはヘブライ語で字義通りには「収縮」を意味する。ここでは、その表現によって、神の本質の自己集中が意味されている。それは、すなわち神自身が深淵へと下降すること、神の本質の自己限定であり、神の本質は、この理解の仕方に従ってのみ、無からの創造が起こるときのその内容を描くことができる。神が「自分自身から自分自身へ」退くときにのみ(これは多くのカバラー神秘家によって使われた表現である)、神は、神の本質でも神の存在でもないものをもたらすことができる。したがって、この意味で、神が自分自身から──それが、いわば神の本質の一点からのみであるにせよ──なにかを収縮させる行為が存在する。もしも、神の存在におけるそのような「点」、この行為が関わっている「点」が存在するとすれば、それはすべての創造と宇宙の運行の真に神秘的な原空間ではなかろうか。ここでカバラー神秘家は、後世のユダヤ神秘家の思想史で中心的な役割を演じたこの新しい重大な象徴の中に、無からの創造とはこういう意味であると言いうるような内容を把握した。神が自分の最初の行為を外に向かって行わず、むしろ自分自身の内に向けて行った、かの神の本質の自己限定において、無が姿を現わすのである。ここにわれわれは、無が出現する行為を持つのである。>(102-4頁)


【162】オリゲネスの遺産・間奏の3(続)

*世界の名著15『プロティノス ポルピュリオス プロクロス』(中央公論社)の巻頭解説、水地宗明氏担当分から。

<プラトン的ないし新プラトン派的思想の伝達者として、また古代的思考法と中世的思考法との媒介者として、プロクロスの果たした役割は非常に大きい。その影響は、西欧とビザンティンのみならず、アラビア世界にまで達している。>(82-3頁)

 ちなみに、プロクロス[412〜485:ビザンティン生]の著作を──というより、プロクロスの哲学とキリスト教神学とをブレンドした偽ディオニュシウス・アレオパギダの著作をラテン語に訳したのがスコトゥス・エリウゲナ。

 その他、プロクロスからの影響を云々される人物として水地氏が掲げる人物。──アルベルトゥス・マグヌス、トマス・アクィナス、ダンテ、エックハルト、ニコラウス・クザーヌス、ミランドラのピコ、ブルーノ、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、そしてヘーゲル等々。

*スコトゥス・エリウゲナは九世紀の哲学者・神学者で、新プラトン主義的スコラ学の体系化に取り組んだ人物。──松浪新三郎氏の『哲学以前の哲学』(岩波新書)によれば、エリウゲナはその著書『自然の区分について』のなかで、自然を次の四つの段階に分け、これらを一つの循環体系として構成したとのこと。

 1.創造して、創造されない自然(万物の根源としての父なる神)
 2.創造して、創造される自然(子=イエス・キリスト)
 3.創造せずして、創造される自然(世界。人間をも含む)
 4.創造されず、創造しない自然(万物の目的としての神)

*エラノス会議について。『一なるものと多なるものI』に収められた井筒俊彦氏の文章から。──「エラノス」とは古典ギリシア語で、参加者が思い思いに持ち寄った食物を頒ち合う「会食」、あるいは参加者がそれぞれに所懐を述べ合う「響宴」を意味するとのこと。

<…エラノス会議の創始者の一人が、意識の深み構造に敢えて分け入ることを試みたユングであったことは、…意味深い。同じエラノスのもう一人の創立者が、インド系神秘主義の巨匠ルドルフ・オットーであったということもまた。ユング、オットーを中心として集まったエラノス会議の人々が、いずれも、それぞれ異なる分野において、内的・外的存在の深部に強い関心を抱く学者、思想家の一群であったことをわれわれは忘れてはならない。アンリ・コルバンが証言するとおり、最も広い意味でのグノーシス主義がエラノス運動の基調だったのだ。この純粋精神主義的運動は、世紀末的事態の煽りたてた不可視界にたいする暗い熱気いまだ醒めやらぬ一九三三年、今挙げた二人の巨匠たちを中心として、それのひとつの顕著な具体化として誕生したのである。しかも、このいわゆるエラノス的グノーシスの特徴は、それが従来のごとく、宗教家、宗教学者、形而上学者などの固有の思索フィールドにおいてのみ提起されたのではなく、それら前者と物理学、生物学、美学、数学などの第一級の学者たちの固有フィールドとに跨る共通の問題提起として提出されたということである。/そして今、二十一世紀の到来を目前にする現在、人々は再び、この深層体験を、同じ存在感覚をもって、同じ黄昏時の「仄暗さ」の中に繰り返そうとしている。>(14-5頁)

*井筒俊彦氏は『意識と本質』(岩波文庫)の後記で、1979年夏のエラノス会議でのD・ラウラ教授(チベット系タントラの大家)の言葉を紹介しています。──「我々西洋人は、今や、東洋の叡智を、内側から把握しなければならないんです。まったく新しい『知』への展開可能性がそこに秘められているんですからね」。

 ここでいわれる「内側から」の意義について井筒氏は、主体的実存的な了解、すなわち<西洋人としての主体性を失うことなく、しかも東洋思想の深部にまでもぐりこんで、それを内側から、つまり実存化した形で了解>することと規定しています。さらに、われわれ東洋人もまた、己れの哲学的伝統を内側から了解し直すこと──<東洋思想の諸伝統を我々自身の意識に内面化し、そこにおのずから成立する東洋哲学の磁場のなかから、新しい哲学を世界的コンテキストにおいて生み出していく>こと──が求められているのではないかと書いています。

 やや唐突ですが、この文章を読みながら私は、荒井献氏が『トマスによる福音書』でグノーシス主義の「解釈原理」について次のように述べていたことを想起しました。──グノーシス神話は、<「反宇宙的・本来的自己の認識」をいわば「解釈原理」として、既存の諸宗教に固有な神話、ないしはそれらの神話を内包するテキストを解釈し、それをグノーシス神話に変形することによって>形成されたものである。

 宗教であれ哲学であれ思想であれ、およそ精神にかかわる現象を比較したり相互の影響を云々する際、そこに「内側から」の「実存的了解」が伴わないかぎり、それは単なる抽象的・形式概念的遊戯にすぎないでしょう。

 純粋精神運動としてのグノーシスが宗教的シンクレティズムを遂行する際の「解釈原理」、すなわち「反宇宙的・本来的自己の認識」とは、超存在的なものと人間との直接的な合一の可能性(接近可能性)の認識にほかならず、このあらゆる神秘思想に通じる「解釈原理」が精神にかかわるものとしてのリアリティをもつかぎり、あらゆる時と場所においてグノーシスは復活し、生き存えるのだと私は考えます。

 そういえば、井筒氏が「意識と本質」で企てた「東洋哲学の共時的構造化」の試みも、本質と意識をめぐるリアリティ体験を一種の「解釈原理」として、様々な東洋的思惟に加えられた(シンクレティズム的な)変形作業だったのかもしれません。

*井筒俊彦は『イスラーム哲学の原像』(岩波新書)で、プラトンのいわゆる「ミュトポイオス」的機能[mythopoetic function]、すなわちミュトスをつくり出す機能あるいは「根源的イマージュ形成の機能」をめぐって、次のように書いています。

<このミュトスということばは「神話」とはっきり訳してしまいますとちょっと困るのですが、むしろ神話とするよりも、神話として物語的に発展する可能性をもったダイナミックな象徴的イマージュというふうに考えたほうがいいと思います。とにかくわれわれがふつうに考えるような、はっきりした一定の物語り的筋をもった神話だけではない。人間の意識がある特別の次元で──ユングならそれを集団的無意識というでしょうが──働き始め、ある特別の形で緊張しますと、それは根源的なイマージュを生み始めます。いわゆる象徴、シンボルとか、アーキタイプ(元型、範型)とか、そしてまた物語り的に展開した場合には神話とかがそこに顕現してきます。人間精神のある特殊な、そしてきわめて人間的な機能であります。>(38-9頁)


【163】オリゲネスの遺産・間奏の4

*中沢新一『はじまりのレーニン』(岩波書店)第五章「聖霊による資本論」から。

[プロテスタントの原理とヤコブ・ベーメ─内在的超越]
<彼[ヘーゲル]の考えにしたがえば、プロテスタントのもっとも純粋な精神は、神を彼岸に超越しているものとするのではなく、神を徹底的な「内在」としてとらえる思想なのだ。永遠の本質である神は、世界のうちに内在しながら、しかもそれを越え出ている。その内在的超越の神は、ひとりひとりの精神のなかに、生き、活動をつづけている。存在とロゴスは一体で、そのロゴスである神を、教会の組織のうちではなく、自己意識において発見しようとするのが、プロテスタントの原理だ。こう考えてみると、異教的な自然哲学の伝統をうけつぐ、ヤコブ・ベーメの神秘哲学こそ、プロテスタント原理そのものであり、「正真正銘のドイツ流」だ、というヘーゲルの言い方[『哲学史講義』]は、まったく正しい。>(125-6頁)

[ベーメの思想の三つの特徴]
<ベーメの思想には、三つの大きな特徴がある、と思う。ひとつはいま言った、ことばが現実に内在している、という思想だ。これは『ヨハネ福音書』のグノーシス的な思想から、直接にベーメのなかにそそぎこまれ、独自に発展していった思想だ。
 もうひとつは、神を「無」としてとらえる、否定神学的な考え方だ。ベーメ以前にはやはりドイツ人のマイスター・エックハルトが、こういう思想を展開して、ローマの僧侶たちからにらまれたことがある。ベーメはみずからの体験にねざしながら、西欧ではめずらしい、「無」としての神の概念を、臆することなく語ったのである。(略)
 神には根拠(Grund)、底がない、というのだ。どこまでおりていっても、神の本質をこれだといってとりだすことはできないし、その神自身が自分をささえている根拠をもたない。だから、それにははじまりもない。どこまでいっても、底にたどりつくことがなく、空間をこえた空間である。
 そういう無底である神が、人間の内部の中心にある。自己意識の中心に、そのような底なしがひろがっているのだ。この底なしのなかに、「底」が発生する。そして、この「底」を土台にして、すべての精神現象が生まれ出る。(略)
 こうして、底なしで、根拠のない神から、精神が現象しはじめるのだ。そこで、三番目の特徴として、ベーメは、無底に立つこのプロセスの全体が、じつは古くからキリスト教で言われてきた、父と子と聖霊(ガイスト)の三つのペルソナに対応しているのだ、と考えた。>(129-31頁)

[東方的三位一体論とベーメ]
<いっさいの生命は、この三位一体の形式をもつ。未発の力を内蔵した空間そのものである「父」から、光の発芽がおこる。「子」が生まれるのだ。そこには、最初の状態の統一を破る分割力が発生する(ベーメは、悪の起源を、この分割のうちにみいだしている)。しかし、それは「父」を貫流し、「子」をとおして出現する「聖霊」の力によって、ふたたび三つのペルソナによって一体であるという、より高められた統一を回復する。
 この三位一体の形式のなかでは、「聖霊」は、感覚や具体性をもった個体の世界に、直接あらわれる力をあらわしている。しかし、その力はもともとは、「父」という普遍的なものにねざし、「子」をとおして、個体のなかに感覚や愛となってあふれでる。具体的なものと抽象的なものが、おたがい陥入をおこし、普遍的なものは個体性をとおして、はじめてみずからをあらわにできる。
 抽象も普遍も、そのものだけとしては、存在できない。また、単純な本質などというものもないし、個体としての物質などというものもない。すべては、この複雑で、ダイナミックな、三位一体の形式のおこなう運動のなかに現象する。その三位一体が、わたしやあなたのような、すべての存在のなかで、瞬間瞬間、生きて働いているのだ──ヤコブ・ベーメは、このような思想をとおして、未来のヘーゲルを、そしてさらには『資本論』の出現をさえ、準備したのである。(略)
 ベーメ的三位一体論は、不思議なことに、東方教会(のちのギリシャ教会、ロシア教会など)が、深めてきた三位一体の考え方と、根本的な共通性をもっている。だが、この東方的な三位一体論は、一〇世紀ころからはげしくなり、長い間つづけられた「フィリオクエ論争」をとおして、ローマを中心とする西欧のキリスト教会によって、敬遠され、採用されなくなってしまった。>(137-8頁)

<だが、西欧では、いったん埋葬されたはずの、その東方的三位一体論が、こともあろうに、ドイツのプロテスタントの靴屋哲学者の思想に、よみがえりをはたしているのである。ヤコブ・ベーメは、自分の実存だけをとおして、神を探究した。その結果。彼が創造した新しいドイツ風の三位一体論では、本質の「底」を踏み破る無底としての神と、三つのペルソナの自立と、とりわけ、聖霊(ガイスト)の父と子からのみごとな自立が実現された。聖霊は、もはや本質からの特殊の流出ではなく、まさに聖霊として、自立をとげることができた。
 ドイツ的な三位一体論は、こうして、同時に「聖霊論(プネウマトロジー)」として、発達をとげるようになったのだ。このときから「ガイスト」というドイツ語は、特殊なドイツ的意味をもつようになった。しかし、このドイツの特殊現象とは、ほんとうは、地下水脈をとおした、ローマ化される以前の、キリスト教思想の原型のよみがえりでもあることを忘れてはならない。そののちに発達することになる、ドイツ観念論のもつ非西欧性ないし反西欧性の根源が、ここにある。>(145-6頁)


【164】オリゲネスの遺産・間奏の4(続)

*『はじまりのレーニン』第五章から。(承前)

[フィリオクエ論争─キリスト教のシステム化]
<父が本質なのでもなく、子が中心をなすのでもなく、また聖霊だけが万能なのでもない。おたがいがおたがいの内部に陥入しあう三位一体をとおしてのみ、神は存在する。あるいは、存在とは、このような三位一体による矛盾を本質としてできあがっている。神の本質には底がない。しかし、人間はこの三位一体としての神を手がかりにしながら、その底なしである神そのもののうちに、入り込んでいくことができる──ギリシャ教父たちは、このような複雑な弁証法によって、キリスト教の神を、とらえようとした。(略)
 そこに、有名なフィリオクエ論争(九世紀)がはじまったのだ。そのとき、東方的な三位一体論に不満をいだいていた、ローマ世界のクリスチャンたちは、正統キリスト教のカノンである「ニケア信条」の一文に、巧妙な改変をくわえたのである。「聖霊は父から発出し……」の一句に、「フィリオクエ(子とともに)」という短い文句をつけくわえて、「聖霊は父と子から発出し……」と変えた。
 「フィリオクエ」というわずか一句をつけくわえるだけで、どんな変化が生じるのか、彼らは直観的に知っていたのである。これがつけくわえられるだけで、東方的な三位一体論に、根本的な解体がおこってしまうのだ。もしも、改造された信条のように、聖霊が、父と子から発出するとすれば、聖霊は、「父と子」の結びつきに従属していくことになる。そして、この「父と子」が神の本質となり、聖霊はこの唯一である本質から流出する、個別性、多様性になる。そうなると、キリスト教の神の本質は、一と多様、普遍と個別、本質と特殊のような対立項がつくる、単純な形式論理でとらえることが可能になっていくのである。>(141-3頁)

<フィリオクエ──このわずか一句によって、もともと東方的なユダヤ思想として生まれて、非ギリシャ性、非ローマ性をもっていたイエスの宗教は、はじめてプラトン的な形而上学思考と結びつくことができるようになった。そして、このときを境にして、西のヨーロッパは、みずからのアイデンティティを獲得していくようになる。この論争からほどなくして、キリスト教の西と東の分裂は、決定的なものになった。  もちろん、こういうローマ的改変にたいして、コンスタンチノーブルを中心にする東方教会は、頑強な抵抗をおこなった。フィリオクエ化されたキリスト教では、神が本質につくりかえられることによって、はじめから「底」が形成されてしまい、もともと底なしで、無限である神というものが、とらえられなくなってしまう。それは、キリスト教を、形而上学にしてしまうだろう。そうなると、キリスト教の神は、個人的な実存をつうじて探究するものというよりも、アリストテレス論理学の場合のように、学問の対象になってしまうではないか。
 また、東方の教父たちの思想では、三位一体の神は、ひとりひとりの人間のなかに生きているものだ。父も子も聖霊も、すべては、この生きている具体的な個人を離れては、なんの意味ももたない。ところが、フィリオクエの改変をとおして、神の本質が、形式論理的に思考できるようになれば、重要なのは、個人の実存ではなく、普遍的(カソリック)な教会の権威が、それを「代表」するのだ、ということになってくる。しかし、こういう声は、しだいにヨーロッパの辺境でしか聞かれなくなる。東のローマ帝国は滅亡し、ギリシャとロシアの正教だけに、かろうじて東方の三位一体思想は伝えられ、残されるだけになってしまう。フィリオクエの一句は、キリスト教を西方において「システム化」することに成功し、そしてその成功は、いずれ世界的な規模に拡大していく。>(144-5頁)

*『はじまりのレーニン』第六章「グノーシスとしての党」から。

[グノーシスとドイツ観念論─ベーメ]
<彼ら[引用者註:グノーシスと実存主義の共通性に関するハンス・ヨナスの「発見」に刺激を受けたドイツの若い学者たち──Jacob Taubes,Eric Voglin など]は、古代グノーシスの「末裔」を、ハイデッガーの実存哲学にとどめておかなかった。
 彼らは探査の手を、近代思想の全域にまで拡大していった。その結果、彼らは驚くべき事実に出会うことになる。なんと、「ドイツ観念論」の全体が、グノーシスとしての特徴をもっていたのだ。
 ここでも、ベーメの思想に注目が集まった。無であり、無底である神から、自然と有限な精神が生まれでてくるプロセスを描くベーメの哲学が、あまりにも、ヴァレンティノス派の精神現象学に類似していたからだ。ヴァレンティノスは真実の神を、まったき充実(プレロマ)として表現した。そのプレロマの内部には、すでに矛盾が発生し、外性へのあこがれや苦悩が生まれ、それとともにしだいに、悪をはらんだ自然と精神があらわれてくる、複雑なプロセスが描かれたのである。
 ベーメはカバラーの文献を知っていたから、そこに流れ込んでいるヴァレンティノス思想について、なんらかの知識をもっていた可能性はある。しかし、それよりも重要なことは、自然や有限な精神であるコスモスの秩序からはあふれでてしまう、過剰したまったき充実である「無」の神からすべてを出発させる、ふたつの思想がたどることになった並行現象である。無であり、無底である神は、このコスモスの基体でありながら、コスモスの内部にはない。コスモスには「底」がある。その「底」は、無底である無の神の内部に発生し、「底」をもとにしてつくりあげられるコスモスの内部にいると、もうこの無の神はとらえられなくなってしまうからなのだ。>(192-3頁)


【165】オリゲネスの遺産・間奏の4(続々)

*『はじまりのレーニン』第六章から。(承前)

[グノーシスとドイツ観念論─ベーメからヘーゲルへ]
<彼[ベーメ]は熱心なルター派のキリスト者であるから、唯一の神しか認めない。しかし、その神は無底の神であり、「底」をもとにして形成される自然と精神現象には属していないのだ。そこで、ベーメもグノーシス主義者たちと同じように、その真実の神、無の神にたどりついていくために、ことばをとおした知が大切だ、と考えた。そしてその知の形態を、彼は「あるものの学(Wissenschaft des Etwas)」とよんだのである。
 この「あるものの学」の精神を受けついだのが、ヘーゲルだ。彼の有名な「論理の学(Wissenschaft der Logik)」は、あきらかにベーメの創出した、ドイツ的にユニークな「あるものの学」を背景にしている。彼は、「論理の学」とは、「自然と有限的精神とが創造される以前の、永遠の本質における神の叙述」である、と語っている。ヘーゲルは、創造に先立つ神の永遠の本質というものを、論理として、表現しようとしたわけだ。
 ヘーゲルの『エンチクロペディ』は、論理学、自然哲学、精神哲学の、三つの部分からなりたっている。このうち論理学は、創造にさきだって活動する、神の本質の記述だ、というのだ。そして、この論理学から、自然や有限の精神が発生する、ということは、ヘーゲルの「論理の学」は、創造されたコスモスの外で活動をつづける、まったき充実としての存在が、みずから語りだすことばである、ということになるだろう。ヘーゲルの体系は、ヴァレンティノスの哲学とよく似て、キリスト教としての一元論の体裁をたもちながらも、そのじつは二元論なのだ。>(194-5頁)

[グノーシスとドイツ観念論─ヘーゲルからマルクスへ]
<ヘーゲルはグノーシスである彼の「絶対知」によって、人間を運命づけている疎外態からの解放が表現される、と考えている。マルクスによる、ヘーゲルの唯物論的転倒は、まさにその点で、実行されたのである。マルクスは歴史のなかで疎外態を生きている、人間の本質について、ヘーゲルのこの終末論的グノーシスの視点を、ほとんどそっくり受けついでいる。しかし、疎外からの解放の実現という問題について、彼はヘーゲルの全体系を否定して、それを「唯物論的にひっくりかえした」のだ。
 ヘーゲルの「絶対知」は、まだ「客観」ではない、と考えたのだ。それは「底」をもっていて、ヘーゲルは案外その「底」を、浅いところに設定してしまったのである。そのために、現実のプロシャ国家が、その絶対知の実現だなどと、語ってしまうことになった。しかし、ドイツ観念論の偉大な「伝統」である、このグノーシス主義を徹底させるとき、ヘーゲルは唯物論的に転倒されなければならない。自然と人間の精神現象が「創造」されるのにさきだって活動をつづける、「プレロマ(まったき充実)」のまったく別の形態が存在する。それが「物質」だ。>(196-7頁)

[レーニン思想の三つの源泉]
<レーニンの「物質」は、デモクリトス的な徹底性をもっている。まずそれは底なしだ。どこまでいっても根拠にたどりつくことがない。無底の運動が、あらゆるものをつくる。そして、それは自己運動をおこなう。創造されたコスモスは、その「物質」の運動をもとにしてつくられてくるが、いったん構成されたコスモスは、自分にさきだって存在しているものを無視しようとする。ここには、創造の神はいない。だが、そこには弁証法的な「ロゴス」が活動している。その「物質」によって、レーニンは、西欧形而上学の破壊にのりだそうとするのだ。
 また、彼の思想は本質において、グノーシス的である。それは、人間のかかえる反コスモス的な本性を出発点にして、コスモスの秩序にいどみかかる、革命の思想となった。ヘーゲルとマルクスの思想をとおして、レーニンは自分のグノーシス的な思想原型に、明確な表現をあたえた。ヘーゲルとマルクスには、ドイツ・イデオロギーの遺伝体質であるグノーシス性が、かたちを変えながら、しっかりと伝達されていたからだ。
 レーニンの最大の独創は、革命を現実化するための「党」に、強力なグノーシス的性格をあたえたことにある。「党」は、職人的なテクネーをとおして、反コスモスの力を組織化しようとした。それは高い強度で灼熱する、純粋な流動体のようなもので、それがコスモスの支配を破壊していく。レーニンははじめて、グノーシス性に「実体性」をあたえることに成功した。しかし、その「党」は、レーニンの精神が衰弱すると同時に、たちまちにして変質をはじめ、硬直したさまざまな「党」からは、グノーシスのはなつ両義性の毒が流れ出すことになったのである。
 さらに、レーニンの思想のなかには、東方的な三位一体論が流れ込んでいる。彼は『資本論』の理解をとおして、現実を分析するための三位一体論的方法の深さを知っていたのだ。この東方的三位一体論は、ローマ的=西方的なそれとはちがって、過剰せる反コスモスを、内側からつきうごかしている原理に、直接的な表現をあたえようとするものだ。
 それは、ベーメによってドイツの思想的土壌に植えつけられ、ヘーゲルによって近代化され、マルクスが『資本論』のなかで、資本主義社会の本質を分析するために用いた。だが、それがレーニンによって使われると、ドストエフスキーがたたえた、あの思想のロシア性がそこによみがえってくるから、不思議だ。土くささを失っていない聖霊が、うごめきだすのである。マルクスの思想に潜在していた「聖霊論」的な本質が、レーニンの思想と人生において、実体化する。その「聖霊」の顔は、もとどおり、はっきりと東方をむいている。
 古代唯物論、グノーシス主義、東方的三位一体論。この三つの源泉をとおして、レーニンの思想は、西欧の思想の伝統のなかでは無視されつづけ、隠蔽され、抑圧されてきたすべてのものの流れに、結びついていくのである。彼の思想は、三重の意味で、西欧の外に触れているのだ。ロシアというものは、実体としては存在しない。それはヨーロッパと東方の境界面に発生する、現象のユニークさをさす言葉だ。同じように、レーニン思想も、実体としては存在しない。レーニンの共産主義思想は、西欧と西欧ならざるものの境界面に発生する、思想のユニークさにあたえられた名称なのである。>(200-2頁)


【166】オリゲネスの遺産・間奏の5

*落合仁司『〈神〉の証明』(講談社新書)から、東方キリスト教(あるいはユーラシア正教)に関する叙述を中心に。

[宗教─他者の内在と自己の超越]
<宗教それ自体の魅力は、〈神〉が多一的であったり、絶対超越的であったりする、その普遍性あるいは必然性にあると言うよりも、むしろ〈神〉が人と成ったり、人が〈神〉と成ったりする、可能性にある。宗教とは、この世界の他者がこの世界に内在し、この世界の自己がこの世界を超越する、その可能性を信じることなのである。>(12頁)

[否定神学─キリスト教の最も古い伝統]
<宗教は洋の東西を問わず、その関心の対象がこの世界の否定としてしか語りえないことを繰り返し表明してきた。たとえばキリスト教わけても東方キリスト教では、このことを否定神学(テオロギア・アポファティカ)と呼ぶ。この呼び方自体は五世紀のギリシア教父偽ディオニュシオスの創案によるものであるが、その考え方は、神はこの世界の者ではなくこの世界を絶対的に超越しており、この世界を認識する方法によっては決して把握しえない認識不能な者であること、すなわち神はこの世界には不在であり不可知であること、このことはたとえば存在とか認識といったこの世界の何事かを否定することによってしか表現しえないこと、というキリスト教の最も古い伝統に根差したものである。この世界の他者とこの世界の否定とは同一の事態なのである。>(20-1頁)

[東方キリスト教とイスラーム─他者内在かつ自己超越型]
<西方キリスト教が神の受肉にその中心を定め、仏教が人間の成仏にその焦点を当てていることは事実である。ただ東方キリスト教とイスラームのみが、神の受肉あるいは預言と人間の神化のいずれにもほぼ等しく重心を置いている。両宗教にとって、他者の内在あるいは自己の超越のいずれの契機が欠けても、自らの宗教の核心が失われるのである。この意味において、西方キリスト教を他者内在型、仏教を自己超越型、東方キリスト教とイスラームを両類型の複合型に分類することは許されよう。この分類は、従来よく言われる他者内在型(預言型)と自己超越型(神秘型)の他に、他者内在かつ自己超越型という複合型を区別したところが新しい。>(25頁)

[三一論─東方的三位一体論]
<ところで父と子と聖霊は同一本質[ミア・ウーシア]でありかつ異なる三実存[トレイス・ヒュポスタセイス]であると言う場合、この三実存はどのように異なっているのか。すなわち父と子と聖霊はどのように差異化されるのか。カッパドキアの三教父[バシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオス、ニュッサのグレゴリオス]は、父と子と聖霊を区別する特徴は、子は父から「生まれた者」、聖霊は父から「発した者」、父は「生まれざる者」(かつ「発出されざる者」)であることの他にはありえないと考えた。これ以外の点において父と子と聖霊は同一である。この考え方は、三一論の完成者カッパドキアの三教父の権威と共に、ギリシア教父の正統となった。>(45-6頁)

<しかし西方教会わけてもアウグスティヌスの三位一体論からすれば、フィリオクエの付加はほとんど必然であったとも言えよう。アウグスティヌスの三位一体論はカッパドキアの三教父の三一論とは異なり、聖霊を父と子の愛の果実、結合の絆、抽象的に(実体ではなく)関係として把握する。(略)
 東方から見れば西方の行き方は、聖霊の実存を関係と見なすことによって、聖霊の実存を貶価する、さらには実存の多元性それ自体を等閑視する危険を冒している。東方正教は……聖霊に対してキリストのそれに優るとも劣らない重大な意味を見出している。聖霊はキリストと同格の実存であらねばならないのである。さらに東方教会は、神の実存それ自体の多元性にこだわらざるをえない。そもそも三一論とは、その本質において一なる神がその実存において三なる神である、すなわち神は一かつ三であるという命題である。三一論においては、神の本質における一元性と実存における多元性、一神論と多神論が同時に引き受けられているのである。なるほど三と多は違う。しかしたとえば聖霊は、一つの実存とされているが、一人一人の人間に対して個別に臨在するのであって、この一人一人の人間に対して個別に臨在する聖霊の臨在の仕方をその実存としてそれぞれに区別すれば、聖霊の実存はそれが臨在する人間の数だけ多数となろう。三一神論は容易に多一神論に拡張しうるのである。大胆に言うならば、キリスト教わけても東方正教は、一神教と多神教を同時に引き受ける多一神教に他ならない。>(47-8頁)

[霊性─人が神に成るという事態]
<そもそも神が人に成ることと人が神に成ることは、ほとんど同じ程度に非合理的、神秘的なのであって、人が神に成ることのみを神秘主義と言うのははなはだ不適切である。
 東方正教では、この人が神に成るという事実を、人間の神化(テオーシス)と呼ぶ。四世紀のギリシア教父アタナシオスが言うように「神が人に成ったのは、人が神に成るためである」。東方正教にとって、神の受肉の目的は人間の神化なのである。すなわち東方正教にとって、キリスト教とは、人間の神化、この世界に生きる人間がこの世界の他者と一致することを目的とする宗教に他ならない。このように神の受肉と共に人間の神化にも等しく重心を置くこと、それが東方正教を西方のカトリックやプロテスタントから区別する最大の特徴である。東方正教とは、人間が「神の本性に与かる者」と成るというキリストの約束を、真っ直ぐに受け止める宗教なのである。
 東方正教のみならずカトリックやプロテスタントをも含めたキリスト教全体では、この人が神に成るという事態を、霊的生活あるいは霊性と呼ぶこともある。(略)
 キリスト教の文脈において、この霊的生活あるいは霊性が、神の第三の実存である聖霊と密接に関わっていることは想像に難くない。(略)聖霊は、この世界に生きる人間一人一人に臨在し、それぞれの人間に相応しく何らかの神性を分与する。そのことによって人間は神化されるのである。ただしこの聖霊の分与する何らかの神性は、必ずしも神それ自体、神の本質ではない。もとより聖霊は神と同一本質なのであるから、この聖霊の分与する何らかの神性と聖霊それ自体とは区別されることになる。この聖霊の分与する何らかの神性こそ、一四世紀のギリシア教父グレゴリオス・パラマスの言う神のエネルゲイア、神の活動に他ならない。人間は聖霊によって分与される神のエネルゲイア、神の活動と一致することによって神化されるのである。>(60-3頁)


【167】オリゲネスの遺産・間奏の5(続)

*落合仁司『〈神〉の証明』から。(承前)

[ユーラシア正教─成功した宗教]
<西欧の世俗化は、西欧のキリスト教が人間の自己超越性を拒絶し、神の内在の直接性を喪失したことの帰結であり、東亜の世俗化は、東亜の仏教が仏の絶対他者性を閑却し、仏の超越の絶対性を剥奪したことの帰結であった。いずれの世俗化も、神の直接的な内在あるいは仏の絶対的な超越が否定されることによって、この世界の他者の超越あるいは内在の一方のみが強調されたことの結果である。この世界の他者の超越と内在の平衡を失った宗教は、世俗化の怒涛の中に解体されて行く他はないのである。
 これに対して欧亜、ユーラシアの世界宗教は、神の直接的な内在と絶対的な超越の平衡をよく保っている。欧亜における世界宗教とは言うまでもなく正教とイスラームであるが、少なくとも正教は……三一論すなわち神の多一性とパラミズム[グレゴリオス・パラマスの神学]すなわち神の自己超越性を、その神学の両輪とすることによって、神の直接的な内在と絶対的な超越の平衡を見事に保持している。神の多一性と自己超越性という、この世界の他者の普遍的な構造を保持していることが、この世界の他者の超越と内在の平衡を維持するための決定的な要因となっているのである。
 (略)しかし、他者内在型かつ自己超越型の宗教であることは、神の超越と内在をめぐる緊張をいやが上にも高めるのであって、その神学にかなり困難な弁明を課すことになる。東方キリスト教においてカッパドキアの三教父やグレゴリオス・パラマスが果たさなければならなかった弁明である。>(167-9頁)

[ユーラシア正教─神の多一性の神学]
<人間一人一人が自己超越の果てに神と一致しうるとき、神はそれぞれの人間の「首の血管よりその人に近く」臨在せねばならないが、この場合、神はその個別的な臨在の仕方において多である。この内在する多なる神が同時に超越する一なる神でなければ、人は神と一致したことにはならない。この内在する多なる神が同時に超越する一なる神と同一であることを弁明する神学、それが、東方キリスト教の場合、三一論すなわち神の多一性の神学であった。イスラームの場合、神の多一性を弁明したのは、イブン・アラビーの「存在一性論」であると考えられる。イブン・アラビーの「存在一性論」は、この世界の一切の存在者に臨在するところの多なる神は同時にこの世界を絶対的に超越する一なる神である、という神の多一性論あるいは汎一性論と解釈することが出来る。>(169頁)

[ユーラシア正教─神の自己超越性の神学]
<また人間が自己超越の果てに神と一致しうるとしても、神は自らに一致した人間、すなわち自己自身をも超越せねばならない。神の絶対的な超越とは、人間には決して到達不能な永遠の闇を神が潜在させているということである。したがって人が一致する神、人間に直接的に内在する神と、人が決して触れえない神、人間を絶対的に超越する神との差異が弁明されねばならない。東方キリスト教の場合、この弁明はパラミズムすなわち神の自己超越性の神学によって果たされた。[神はその本質において接近不能であるが、そのエネルゲイア、活動において接近可能である。]イスラームの場合、神の自己超越性を弁明したのは、スフラワルディーの「東方照明論」であろう。スフラワルディーはこの世界の一切の存在者の本質は光であり、神の本質は光の光であると考える。その上で人間と神との一致を、人間の光がこの世界と神の本質との中間に位置する天使の光と一つになることと見做すのである。天使の光を神の活動の光と言ってしまえば、スフラワルディーの神学はパラマスのそれとほとんど同型となる。>(170頁)

*中沢新一『東方的』(せりか書房)から。

<Boctok(ボストーク)──東の方。人間を乗せた最初の宇宙船の名前でもある。それを宇宙空間に打ち上げたのは、ソフィアの霊感だった。彼女はそのとき、人間の前に「超空間」への通路を開こうとしていたのだ。人間の意識とパワーがおよんでいく空間領域を拡張していくための、「開発(エクスプロイテーション)」ではない。そのような開発が、この惑星上ではほどなく意味を失ってしまうだろうということを、彼女は人間たちに告げたかったのだ。人間から空間的フロンティアは失われていくだろう。それとともに、情報を物質化するシステムをつくりだすことによって、あたえられたこの空間の内部で、ひたすら意味とパワーの自己拡張をとげようとしてきた意識は、まもなく限界にたどりついていくだろう。妹思いのソフィアは、西方に向かったマリアに、彼女にせまっている危機を告げ知らせようとしていたのだ。世界中が、マリアのものになるとき、そのときこそが、彼女の真実の危機のときなのである。>(12-3頁)

*山田晶氏は『アウグスティヌス講話』(新地書房)の第四話「創造と悪」で、アウグスティヌスと道元には非常に共通しているところがあると書いています。

 まず、善なる神によって創られた世界になぜ悪が存在するかを問うた若きアウグスティヌスと、山川草木悉皆成仏、つまりすべてのものが既に仏に成っているならば、なぜ三世の諸仏は修行しなければならなかったかを問うた若き道元は、その最初の問題設定において共通している。──神はなぜこの世界に「内在」しないのか。なぜ成仏=「超越」を求めて修行しなければならないのか。(西欧と東亜における二つの問い。)

 そして、アウグスティヌスが、神がこの世界を善く創りたもうたのは、善くあるべき世界の創造の中に自分自身が参与していることであり、世界を「創られて既に在った」ものとしてではなく「創られつつ、在りつつある」ものとして受け取ることによって問題を解決したように、道元もまた、山川草木悉皆成仏とは、自分の外にある客観的自然の世界がそのまま既に仏であることではなくて、それは自分自身を含んでいるのであり、この世界を成仏させることは自分自身がそれをしてゆかなければならないのだと悟ることによって問題を解決をした点でも共通している、というのです。

<……悉皆成仏とか、神によって善きものとして創られた世界とかいわれているものが、自分にとって対象的にみられる世界のことをいっているのではなくて、じつは、われわれがその中で善く生きることによって、善くし成仏させてゆくべき課題としての世界の在り方を示していると理解し、それを実行してゆくこと、この点に両者の共通点が認められると思います。>(141頁)

 なお、山田氏は両者の非類似性──道元には「創造」という思想も「キリスト」も「教会」の思想もない──を指摘したあとで、しかしながら別の観点から見ると、道元の思想の中にキリスト教的なもの(少なくともキリスト教につながりうるもの)を見出すことができるのではないかと書いています。<私たちは彼を、日本キリスト教の先蹤(少なくともその一人)と呼ぶことができると思います。>(149頁)


【168】オリゲネスの遺産・間奏の6

*新装版キリスト教史第一巻『初代教会』(J・ダニエル/上智大学中世思想研究所編訳,講談社)から、フィロンに関する叙述の一部。

<アレクサンドリアのユダヤ教とキリスト教との間には連続性がある。フィロンはアレクサンドリアに生まれ、説教し、教えた。彼の資質は典型的にアレクサンドリアのものである。クレメンスはこの資質をキリスト教の伝統のなかに移し入れた。クレメンス以前のキリスト教の聖書釈義学は、パレスチナのユダヤ教の聖書釈義学の延長線上にあった。それは預言的、黙示的、類型論的聖書釈義学で、旧約聖書の諸事実と新約の諸事実とのあいだに照応関係を見出そうとするものであった。(略)
 フィロンの著作の中には全く別のものが見出される。キリストと同時代のヘレニズムは、ホメロスやヘシオドスの解釈学を練り上げており、それは神話の物語に象徴的な意味作用を付与するものであった。神々の物語のなかに自然の力を、あるいは魂の能力を、あるいは形而上学の秘義を見出したものであった。紀元一世紀にストア派のコルヌトゥスの書いた『ギリシア神学』がいまも残っている。ティルスのマクシモスもこの比喩を豊富に用いた。フィロンも同じ手法を『モーシュ五書』のテキストに適用した。その理由は前者と同じで、時代おくれの律法とか、人をつまずかせる恐れのある単純素朴な物語などのかもし出す物議を吹き払うためであった。
 (略)フィロン流の比喩を用いて聖書を道徳教化的に解釈することになるのはオリゲネスである。
 (略)フィロンの意図したのは、世俗的文化、すなわち、「エンキュクリス・パイデイア」の総体を聖書の理解のために用いることであった。彼はその『教養のための交わり』の中で、聖書の学問的研究への準備として世俗文化が必要であるという原則を定めた。そして事実、彼が聖書釈義学に用いたのは、ヘレニズム文化圏の学校で教えられるさまざまな学問であったのである。それはまず文法にはじまり、語源研究が重視される。ついで修辞学でいう敷衍作文が用いられる。その後で弁証法的な推論が思考を明白に浮かび上がらせるために駆使される。さまざまな学問、たとえば算術、音楽、物理学、天文学などがしばしば利用され、とくに数の象徴論が利用される。
 フィロンのこうした試みは、クレメンスによって踏襲された。クレメンスに先鞭をつけたのはパンタイノスであったらしい。オリゲネスがその『ディダスカリア』の中で、この試みを引き継ぐことになる。>(269-72頁)

註:エウセビオスは『教会史』で、「オリゲネスが信仰教育の塾(ディダスカレイオン)の校長となったのは一八歳のときだった」と記している。(小高毅『オリゲネス』)

*『初代教会』から、オリゲネスに関する叙述の一部。

<この[アンモニオス・サッカスのもとでの]哲学研鑽のおかげで、オリゲネスは彼以前にあった計画、つまりパンタイノスとクレメンスの計画であった、あらゆる人文科学が神の「御言葉」のより高い知性のために奉仕する一種の大学、すなわち「ディダスカリア」を作る計画を抱くことができたのである。彼は二一二年から二三一年にかけてここで教鞭をとる。この時期はまた、彼がその神学と聖書釈義学の講義から生まれた最初の諸作品を書く時期でもある。>(376頁)

<神学と聖書釈義学への彼の貢献は重大であるばかりか、異論の余地のないものである。神学者の彼は、継承したあらゆる聖伝を合流させ、卓抜した方法で天才的な体系を作りあげた。その中核をなすものは教会の聖伝である共通信仰である。しかしオリゲネスはこの共通信仰に、主としてユダヤ人の世界に起原をもつ聖なる時間と聖なる空間、天上の諸民族とあいついで継承される地上世界の諸神秘への思弁である〈グノーシス〉=覚知を重ね合せるのである。そしてオリゲネスは、セム語族の世界では依然として幻想的な性格を保っているこれらの範疇を、観念論においてはプラトン主義の、思想の発展的性格においてはストア主義の影響下で厳密に体系化したのである。H・ヨナスは、内的結合の緊密さが真理の判別基準となっているこの体系の性格が、オリゲネスをして彼以前のウァレンティノスに結びつけ、彼以後のプロティノスに結びつける、と指摘した。オリゲネスはこの人たちとともに思想史に一時期を画するのである。
 オリゲネスの体系には、グノーシス説の体系のように二つの面が認められる。上位世界には超越的で理解不可能な神、〈ホ・テオス〉つまり〈聖父〉がいる。〈聖父〉は同時に一であり多であり、同時に理解不可能で理解可能な、〈聖父〉の下位の姿である〈聖子〉を永遠にもうける。そして第三に、最初はすべて平等で「御言葉」をともにする霊的被造物、〈ロギコイ〉つまり霊的存在が来る。第二の段階ではこの霊的存在はすべてそのもつ愛を冷やし、その罪によって堕落してしまう。それで結果として、神によって多かれ少なかれ重量ある肉体に、結合させられているのである。霊的存在は最も下等な悪魔から最も高等な天使までを含む世界を作るが、その世界の中では人間が悪魔と天使の中間に位置しているのである。第三の段階では、神の「御言葉」が教育的指導によって自由を保っているあらゆる被造物を神へ回心させ、霊的存在のもともとの状態に回復させるのである。
 オリゲネスは見事な才能を発揮し、この総合のなかにすばらしい思想の断片をかみ合わせるのである。彼は三位一体論を大いに発展させた。彼の救済論の基礎は囚われびとたる人間のサタンからの解放にある。彼はキリストの霊魂の実在性を強調する。これから後の神学者は彼に負うところ大である。彼は原初的な創造の復活に歴史的なキリストの行為を還元することによって、キリスト教の決定的な性格である真の史実性を排除し、その結果、キリストの行為を一種の宇宙的な過程にしてしまう、と指摘するエンドレ・フォン・イヴァンカのいうことを、われわれは最終的には認めざるをえない。まさにこれがために彼の作品は生前からきわめて強い反動を生み、その体系説は非難されることになるのである。
 彼の聖書釈義学も同様の問題を提起する。その聖書釈義学には彼以前の類型論、ユスティノス、メリトなどから借用した見事な断片があり、これを彼は感嘆すべき方法で展開させている。旧約聖書から新約聖書への救済史の進展を彼ほど巧みに示した人はいない。彼は、類型論はキリスト教の霊魂に合法的に適用されると指摘し、類型論の霊的な内容を明確に示したのである。しかし一方では、救済史の証拠としての聖書概念に代わり、すべての語句が神秘な意味を託されている巨大な比喩としての聖書概念を置くのである。プラトン学派の哲学者たちによるホメロスの釈義学の影響が認められるこの文学的な概念は、歴史的な意義を否定するのではなく、歴史的な意義に代えてグノーシス的比喩を置こうとし、歴史的な意義に関心を寄せようとはしないのである。>(380-2頁)