オリゲネスの遺産:序,ティマイオス,グノーシス



【143】オリゲネスの遺産・序の1

 湯浅泰雄氏の『ユングとキリスト教』(講談社学術文庫)は、久しぶりに「徹夜本」の面白さを与えてくれました。実際に夜を徹したわけではありませんが、何気なく本を手にして、読み終えるのが惜しいといった(初々しい)気持ちを覚えたのはずいぶんと久しぶりの体験だったのです。

 東方教会の側からみたキリスト教神学と西暦一世紀から四世紀頃までのヨーロッパの歴史と(澁澤龍彦経由の)西洋オカルティズムへの関心が私の中に長年にわたって潜在していて、これらをまとめて取り上げながらも理路整然と知的刺激に満ちた叙述を貫いた書物に接することで、眠っていた何かがむくむくと頭をもたげてきたといったところでしょうか。

 個人的な述懐にふれたついでに書いておくならば、いま述べた三つの関心事に井筒俊彦氏の著作によって論述されたイスラムやユダヤを始めとする東洋哲学をブレンドすることで、心や意識や魂の起源と構造と変容をめぐるなにがしかの考察をまとめあげるための素材を得ることができるのではないかと私はにらんでいます。この漠然とした思いに対しても、『ユングとキリスト教』はきわめて有益なヒントを投げかけてきました。

 たとえば湯浅氏は同書の「結び」で、西洋形而上学の伝統を表現する「メタ・フィジカ」が自然[フィシス]の彼岸[メタ]を目指すものであったのに対して、人間の内面的な魂[プシュケー]の根底を探究することを通じてその彼岸を目指す「メタ・プシキカ」(湯浅氏の造語)が、東洋思想における「形而上学」を適切に表現する言葉ではないかと書いています。

 そしてさらに、西洋精神史でも中世以前には、このような形而上学と深層心理学とを一体不可分にとらえるメタ・プシキカの流れが「ある形」で存在していたとみることができるのではないかと指摘しているのです。私をとらえている諸々の関心事は、まさにこの一点に集中していくように思います。

 さて、いずれ挑戦してみたい「心や意識や魂の起源と構造と変容をめぐるなにがしかの考察」のための準備作業の一つとして、今回私が取り上げたいのは、キリスト教最初にして最大の学者と称され、東方ギリシア教会と西方ラテン教会の双方に(とりわけその「霊性神学」によって多くの修道士たちに)多大な影響を与えながら、グノーシス的であるという理由で二度の異端宣告(543,553)を受けたアレキサンドリアのオリゲネス[185/6〜254/5]なのです。

 オリゲネスについて私が知っていることのすべては、『情報の歴史』(松岡正剛監修,NTT出版)に<九世紀のエリウゲナ主義から十九世紀の観念論まで、西欧哲学の大半はオリゲネスの遺産の修正史にすぎなかった>という注記があることと、ハンナ・アーレントが『過去と未来の間』で三度言及していることくらいでした。ところが『ユングとキリスト教』では、叙述の肝所で再々オリゲネスの名が出てきたのです。

*「霊性神学」という言葉は、小高毅氏の『オリゲネス』(清水書院)に出てきます。<オリゲネスの著作にみられる霊性神学は多くの修道士たちをひきつけることになる。考えてみれば、『出エジプト』のイスラエルをモデルにして砂漠での試練を経て完成に至るキリスト者の行程を明示するとともに、キリストに従う理想として殉教を掲げたオリゲネスは、砂漠で悪魔と戦い苦行に打ち込む、血を流さない殉教といわれる修道生活の方向づけと神学的基礎を提示することになった。このオリゲネスの思想に砂漠の隠修士たちがひかれない方がおかしいともいえよう。>(183頁)

*ハンナ・アーレントがオリゲネスに言及しているのは、『過去と未来の間』(引田隆也/斎藤純一訳,みすず書房)所収の「権威とは何か」第5節です。以下(その意味や意義についての十分な理解を欠いたまま)アウトラインを記しておきます。

 プラトンが一つの政治装置としての神をめぐって「神学」という新しい言葉を考案し、来世信仰のうちに莫大な政治的潜勢力が秘められていることに気づいてから約千年後、ローマの政治制度とギリシアの哲学観念が融合した西暦五世紀頃のこと。キリスト教会は、プラトンの政治的神話に照らして「来世の生」を解釈できるようになり、<この世では正当に報いられない善悪の行ないに対する精巧な褒賞と処罰の仕組み>を教義として確立することができるようになった。

 そしてこの時期になると、オリゲネスが説いた<すべての罪人はもとよりサタン自身でさえもその罪が贖われるとする初期の教説>や<地獄の苦しみとは良心の呵責にほかならないとする精神主義的解釈>は異端と宣言されるようになった。(175頁)

 なお、来世信仰の理解に関するプラトンとその先行者(オルフェウス教やピタゴラス教団)との違いは、<ちょうど、地獄、煉獄、天国に関するアウグスティヌスの精巧な教理と、オリゲネスやアレキサンドリアのクレメントの思弁との違いが、アウグスティヌス(かれ以前にはおそらくテルトゥリアヌス)は、これらの教理がどれだけ現世での脅しとして使えるかを理解し、それが来世の生に対してどれだけ思弁的価値をもつかをまったく度外視していた点にある>のと同様である。(178頁)


【144】オリゲネスの遺産・序の2

 湯浅氏は『ユングとキリスト教』の第二章で、ユングの『アイアオーン』に準拠しながらキリスト教とグノーシス主義との関係について論述しています。要約すれば、<グノーシス思想は、原始キリスト教時代からアウグスチヌスによる古代キリスト教神学の完成に至るまで、キリスト教思想の周辺にあって強い影響を及ぼし続けた思想の流れである>(208頁)という一言に尽きるのですが、このグノーシス思想の強い影響下にあって古代キリスト教の基本的教義を確立したのがオリゲネスその人でした。

 グノーシス主義の詳細についてはひとまずおくとして、ここではアウグスチヌスによって完成された「古代キリスト教の基本的教義」──善の欠如としての悪・無からの創造・三位一体──との関係をめぐって、オリゲネスとの関係も念頭におきながら湯浅氏の叙述を概観しておくことにします。

 まず「善の欠如としての悪」について。湯浅氏によれば、このような悪の定義はふつうオリゲネスに始まるものとされているけれども、実質的にこれに近い考え方はそれ以前からみられるとのこと。──グノーシス主義の思想では、世界は精神的・霊的次元(善)と物質的・感覚的次元(悪)との二領域(正確にはその中間に心魂[プシュケー]からなる世界を想定している)に分かたれており、物質界は悪神デミウルゴスの創造と支配の下にあるとされます。つまりグノーシス思想において、善と悪は互いに対抗しながら一体化して世界を動かしている二つの実体的な力であるとされるわけです。

 これに対してキリスト教の教義では「悪とは本来存在しないものである」とされます。というのもキリスト教において神は悪の要素を一切含まない純粋な善、すなわち「最高善 Summum Bonum」と定義されるからであり、したがって神の被造物としての世界(感覚的世界と霊的世界)の中に実体としての悪は存在しえないからです。

 しかしながら世界には現実に悪が存在している。この事実をどう解すればいいのか。この難問に対する教父たちの神学研究の成果が、悪を「善の欠如」と定義するものでした。神は悪の作者ではなく、また悪はそれ自身で存在するものではなく、単に善の欠如という消極的状態を意味するにすぎないというわけです。

 次に「無からの創造」について。湯浅氏によれば、「無からの創造」の教義が確立するのは紀元三世紀の教父テオフィロスやオリゲネス以後のこと。──この教義は「善の欠如」の教義と深く関係しています。グノーシス思想では、悪を含んだ物質界の創造主は純粋に善なる神とは異なる存在(悪神デミウルゴス)であるとされたのですが、古代の教父はこれに対抗して、世界に存在するものはすべて万能の神が生ぜしめたものでなければならないと主張しました。

 そしてこの反論を理論的に裏づけていく過程で「質料」が「無」に、「形成[デミウルゲオ]」が「創造」におきかえられていったわけです。問題は、神が創造した「世界に存在するものすべて」のうちに、存在の形相(形態)のみならず当時の人々によって「悪」と関係があると考えられていた質料(素材)もまた含まれている点です。つまり、神が質料を創造したとすれば神は悪をも造り出したのではないか、という問題がそこから惹起されたのです。

 湯浅氏は、この重大なジレンマに直面した教父哲学の大勢は、最高善としての神(神は一切の善きものの根拠であり原因でなければならない)という「倫理的要請」を犠牲にしても、万能の神(神は一切万物の存在の究極の根拠であり、第一原因でなければならない)という「理論的要請」を徹底させる方を選んだのであって、その結果「善は存在するが悪は存在しない」という、常識にとっては詭弁的に聞こえる「善の欠如」の教義が生まれてこざるを得なかったのだとしています。

 最後に「三位一体」について。──この教義は、コンスタンチヌス帝によるキリスト教公認直後のニケーア公会議(325)で採択された「ニケーア信条」において、その解釈基準(神の存在は父と子と聖霊の三つの位相[ペルソナ]において現われているが、その本質[ウシア]において同一である)が決定されたもので、後にアウグスチヌスによって完成されました(『三位一体論』416年)。

 湯浅氏は前掲書第三章で、ユングの講演『三位一体論の心理学的解釈』に準拠しながら、三位一体論に関係する哲学的諸観念はグノーシス的雰囲気の強い東方ギリシア語圏で生まれたものであったと書いています。そして三位一体の観念は既にオリゲネスにおいて採用されていたのだけれど、彼の見解(子は父に劣り聖霊はさらに劣るとする「御子従位説」)は後の正統派の教義とはかなり違ったものだったと指摘しています。

 グノーシス主義の宇宙観では、世界は霊的世界と物質的世界、その中間にある心魂的世界の三つの世界からなっていたわけですが、ミクロコスモスとしての人間界もこれに対応して、霊気的人間・心魂的人間・肉的人間の三つの秩序に分かれています。そしてこうした人間観にもとづいて、「人の子」として受肉したイエス(御子)は三つの存在様式をもつとされました。

 オリゲネスはこのグノーシス主義由来の「御子の三重身説」から影響を受けて、「子」はロゴスの身体(霊気的存在)でありプシュケーの身体(心魂的存在)であり処女マリアの子としての肉身(肉的存在)であるとし、第二・第三の身体をもつかぎり「子」は「父」に従位するとしたのです。

 このようなキリストの人間性を強調する御子従位説(そして御子の三重身説)は、三位一体やキリストの神性を人間の深層心理的宗教経験においてとらえようとするもので、われわれ人間が祈りや瞑想体験を通してキリストの体験を追体験し神に近づくことを可能にする考え方であると湯浅氏は指摘しています。

*オリゲネスの御子従位説は、東方教会(ギリシア正教)と西方教会(ローマ正教)の大分裂の思想的原因になっていきます。以下、湯浅氏の叙述から。

<三八一年、コンスタンティノポリス公会議で採択されたニケーア=コンスタンティノポリス信条は、聖霊の問題に重点をおき、聖霊を「父から流出した生命の賦与者たる主」とよんで、はっきりと、聖霊は実体的な「人格[ペルソナ]」であると定義した。それと共にこの会議では、聖霊の力は父からのみ発するのか、それとも父と子から共に発するのかという点が論争の主題となった。五八九年のトレド公会議においてこの問題がふたたび議論となり、正式に「聖霊は父および子から発す」Paracletus a Patre Filiopue procedens という言葉が明示されるに至った。これはアタナシウス派の同一本質説から出てきた論理的に必然的な結論であった。御子従位説をとる東方教会は、この「および子から」Filiopue という一句を承認することを拒否し、これが教義面からみた東西教会分裂の最後的原因となるのである。>(302-3頁)


【145】オリゲネスの遺産・序の3

 古代キリスト教基本教義の確立期において、グノーシス思想の影響のもとオリゲネスが中心的な役割を果たしたことを湯浅氏の『ユングとキリスト教』に沿って概観したわけですが、さて以上をいわば序論としてオリゲネスの思想の内実を、というよりオリゲネスの教義がどのような背景のもとに生まれ後世にどのような影響を与えていったのかを素描するに際して、留意すべき事柄が三点あるように思います。

 その一は、善の欠如にせよ無からの創造にせよ、古代の教父や哲学者たちの神学論争が近代的なものの考え方に馴れたわれわれに理解しにくいのはなぜかということです。湯浅氏によれば、その理由は二つあります。第一に、われわれにとって精神(心)と物質(身体)は互いに異質なものであるのに対して、古代の人間にとって精神と物質は相互に浸透し合っているものであったこと。

 第二に、古代の人間にとって神の存在は自明の真理であり、問題はただ神の存在の仕方をいかに規定していくか(神は単数か複数か、神と世界・神と善悪の関係をどう考えるかなど)にあったこと。このこととの関係でいえば、古代の思想界最大の哲学的課題は、宇宙の起源をいかに解釈するかという(プラトン『ティマイオス』の宇宙解釈論に由来する)問いであったこと。

 留意点の二つ目は、キリスト教初期の教父哲学がめざましく展開されたのはアレキサンドリアを中心とする東方の諸教会においてであったことです。オリゲネスが生まれ、キリスト教の教理問答学校の指導者となったのはアレキサンドリアでした。湯浅氏は、オリゲネスは東方教会の神学の確立者といってよい人物であったと述べています。そして、東方教会を中心とする初期キリスト教のあり方は西洋の精神史ではこれまで不当に軽視されてきたと指摘しています。

 留意点の第三は、上に述べた二つの事柄と密接に関係します。湯浅氏は、東方教会の初期教父哲学はグノーシス主義より後に生まれた思想であるというべきであり、オリゲネスの思想はグノーシス主義と批判的に対決していく過程で形成されたものといっても過言ではないと書いています。(ちなみにオリゲネスはその師アレキサンドリアのクレメンスとともに「キリスト教的グノーシス主義」と呼ばれ、本来の「異教的グノーシス主義」と区別されている。)

 さらに湯浅氏は、オリゲネスがプラトン哲学を学んだアンモニオス・サッカスが新プラトン主義の大成者プロティノス(205〜269頃)の師でもあったことを踏まえながら、新プラトン主義とグノーシス主義と東方教会の教父哲学の三者がともにプラトン哲学、とりわけ『ティマイオス』の神学思想に影響されながら、二世紀頃からアレキサンドリアで確立されたものであったと書いているのです(206-7頁)。──オリゲネスの遺産(教義)をめぐる素描の試みは、湯浅氏のこの指摘に導かれて始まります。

*湯浅前掲書から。古代における精神と物質の関係について。<精神(霊魂[プシュケー])はいわば一種の微細な物質、甚だ微妙で感覚されにくい物質だったのであり、逆に物質は(生物も無生物も含めて)すべてそれぞれに特有な霊魂をもつ存在だったのである。>(261頁)

*東方教会がキリスト教精神史に占める位置について。<たとえば教義史的にみると、東方教会はヨハネの思想から出発し、西方教会はパウロの思想から出発したと言われている。ところが、従来われわれがキリスト教史の常識として教えられてきたのは、パウロのローマ伝道によって古代キリスト教が確立したという見方であって、東方教会の神学が古代キリスト教の教義形成にどんな役割を果たしたのかということは、専門家以外にはほとんど知られていない。けれどもキリスト教の発生地は元来東方にあったばかりでなく、古代では教会や信徒数も西方よりはるかに多く、また神学の理論的水準も西方よりずっと高かった。たとえば「三位一体」とか「無からの創造」といった古代キリスト教の基本的教義は、いずれも東方教会の神学論争の中から出てきたものである。これらの問題を素通りしてキリスト教精神史を考えることはできない。>(203頁)


【146】オリゲネスの遺産・ティマイオスの1

 バチカン市国のサンピエトロ寺院にラファエロ作の壁画「アテナイの学堂」があります。その中央に描かれた二人の人物の向かって右がアリストテレスで、左手に『ニコマコス倫理学』を持ち右手で前方を示している。その左にいるのがプラトンで、右手で天の方向を示しこれもまた左手に書物を持っている。そしてその書物が『ティマイオス』なのです。

 さて前回、東方教会の神学と新プラトン主義の哲学が『ティマイオス』の宇宙創成神話を基にしたグノーシス主義の世界観と批判的に対決しながら発展してきたものであったとする湯浅氏の指摘を紹介しました。

 オリゲネスの遺産をめぐる素描は、西洋中世で最もよく読まれルネサンス期の自然観形成の原動力になったとされる──またヘーゲルが「それは純粋思想にすぎないとはいえ、そこには一切がふくまれている」(『哲学史講義』)と書き、ホワイトヘッドが霊感を受け(『過程と実在』)、ハイゼンベルグが素粒子の世界や量子論の論理に関して言及した(『全体と部分』)──この対話篇から始めなければならないでしょう。

 ここでは全体を概観する意味も兼ねて、岩波書店版プラトン全集第12巻の月報(昭和50年9月)に掲載された山田晶氏の「デミウルゴスについて」と題するエッセイを取り上げます。

 これは『ティマイオス』がなぜ西洋中世において大いに尊重されたのかをめぐって、そこに描かれた神(デミウルゴス)と旧約聖書の神との関係、あるいはプラトンとモーゼとの関係を軸にして論じたものです。そしてそれを通じて「無からの創造」の教義がもつ(空前絶後ともいえる)特異性を浮き彫りにしているのです。──以下このエッセイを私なりに再構成して紹介します。

 山田氏は『創世記』における創造の物語は当時すでに存在していた東方民族の神話(山田氏はこれを「ウル・ミュトス」と呼ぶ)をもとにして書かれたものであるという、今世紀初頭の旧約聖書学者ヘルマン・グンケルの研究を紹介しています。

 そして、『ティマイオス』も『創世記』もこの「ウル・ミュトス」を用いて世界の成り立ち(世界の創造)を説明したのだけれど、それぞれの意味あるいは意図は異なっていて、プラトンにあっては世界の論理的構造を明らかにすることが、モーゼ(あるいは『創世記』の作者)にあっては神の力の偉大さを示すことがそれぞれ眼目であったと指摘しています。

 まず『ティマイオス』では、世界の創造は二つの要素でもって説明されます。すなわち、デミウルゴスなる神が永遠の「イデア」の世界を範型として、たえず流動している「形なきもの」に形を与え世界を造ったとされるのです。(だからこの世界はイデアの世界との類似性をもちながらも、たえず変動しているわけです。)

 このデミウルゴスの世界創造は二段階に分かれていて、第一段階では、この世界が成り立つためには万物の根底に四元素(地・水・火・気)がなければならないとされます。──山田氏は、プラトンはこのような世界創造の神話に託して世界をロゴス的に構成しようとしているのだと指摘しています。

 つまり、なぜ四元素がなければならないのか、それぞれはいかなる性格をもつのか、なぜ四つでなければならないのかといった問いに対して一つ一つそのロゴス(理由)を与えることで、プラトンは世界が理性に適った仕方で論理的に構成されていることを明らかにしているというのです。(そこでは、デミウルゴスによる世界創造の神話はあくまで世界の論理的構造を明らかにするために持ち出されたのであって、プラトンの意図はデミウルゴスなるものの性格を追求することにあるのではない。)

 しかしこの四元素が究極的なものではなく相互に他に変化しうるものであることが明らかになるに及んで、創造論がやり直され、四元素よりさらに根底に、万物の形相を受容する「母胎」であるとともに万物がそこにおいて成立する「場所」が措定されます。

 山田氏によれば、それはもはやデミウルゴスのロゴスによっては構成することのできない──その意味で「非存在」というべき──ものであって、それ自体ロゴス的ではないにもかかわらず、世界のロゴス的構成のための前提として何らかの仕方(アナロギア)によってデミウルゴスと関係し、デミウルゴスの理性によってとらえられなければならないものです。

 あるいはそれは、デミウルゴスがそれからそしてそれにおいて世界を造る「素材」として、そのはたらきの前提とされているものであるということができるでしょう。この意味で、デミウルゴスは(キリスト教の神のような)世界を無から造る「創造者」ではなく、形なきものに形を与える「形成者」にすぎないと山田氏は書いているのです。

 ところで、このようなプラトンによる世界創造の神話の解釈をめぐって、一つの重大な問題が後世に残されました。山田氏によれば、それはデミウルゴスとイデアとの関係をいかに解すべきかという問題でした。たとえばアリストテレスは、形相を質料に内在化することよって両者を媒介する者としてのデミウルゴスの存在を抹消し、世界を根源的に動かしている第一動者たる神の理性としてこれを復活させることによってプラトンの創造論を脱神話化していきました。(右手で「前方」を指さすアリストテレス。)

 これに対してあくまでイデアの超越性を保持しようとする立場からは、デミウルゴスを神の理性としイデアを神の思惟内容とする解釈が提起されました。この立場からは、世界とは神の思惟内容の外的表現であると考えられることになります。このような解釈を徹底したのが新プラトン派のプロティノスの世界論でした。

 一方アレキサンドリアの教父たちは──デミウルゴスを『創世記』におけるイスラエルの神と、イデアをこの「父なる神」によって生み出されたロゴスと等置し、すべてのイデアを包含する「イデアの場所」としてのロゴスが世界を創造したとするフィロン(紀元前30年頃アレキサンドリアに生まれたユダヤ人)の解釈を、『ヨハネ伝』におけるロゴス=キリスト論と結合させて──キリスト教の神によるイデアの創造の論を唱えました。

 新プラトン派のようにイデアを神(デミウルゴス)の思惟内容としてとらえるならば、『ティマイオス』における創造論を構成する二つの要素のうち一方(範型としてのイデア)は神のうちに吸収されますが、他方(形なく流動するもの)は神による世界創造の前提として残されてしまいます。(世界の「形成者」としてのデミウルゴス。)これに対してフィロンや教父たちの解釈から出てくるのが「無からの創造」という思想にほかなりません。──このことに立ち入る前に、『ティマイオス』とともに「ウル・ミュトス」を用いて世界の成り立ちを説明した『創世記』の物語について見ておかなければならないでしょう。


【147】オリゲネスの遺産・ティマイオスの2

 『ティマイオス』において、世界の成り立ちに関するウル・ミュトスは、世界が理性に適った仕方で論理的に構成されていることを明らかにするために(いわば「方便」として)利用されたにすぎず、そこでは神(デミウルゴス)そのものが関心の対象となっているわけではなかったことを先に見ました。

(ここで私は、プラトンが神々[テオス]の物語[ロゴス]としての「神学」[テオロギー]という新しい言葉をつくったとき、それは「神のことば」の解釈としての神学ではなく多数者を支配する術を少数者に教える政治学の要をなすものであり、この新しい神学の神は一つの政治的装置だったのだという、『過去と未来の間』(訳書178-9頁)でのハンナ・アレントの指摘を想起しています。──ちなみに、同書でアレントが多数者向けの神話として念頭に置いているのは、『国家』に出てくるエルの物語、つまり来世の褒賞と処罰についての政治的教説です。)

 これに対して、同じ東方民族由来のウル・ミュトスを用いながら『創世記』の作者が意図したのは、神の力の偉大さを示すこと、すなわち神のロゴス(言葉)が直ちに事実となって実現するような──「神、《光あれ》と曰えば、光ありき」──神の無限に偉大な力を示すことであったと山田氏は指摘しています。こうした絶対無限の神の力を論理的に突き詰めていくと「無からの創造」の思想に行き着くことは、見やすい道理でしょう。

 山田氏によると、『創世記』の巻頭の言葉──「神は形なく、空しく、闇が淵のおもてをおおっていた」──には「無からの創造」の思想は明白にはあらわれておらず、むしろ神による世界創造以前に「やみ・ふち」(カオス)が存在していたという「ウル・ミュトス」そのものが語られているようにも解されるのであって、その意味ではアレキサンドリアのフィロンや教父の解釈は強引にすぎるともいえるわけです。

 しかし神の力が無限絶対であることを「論理的」に説明するためには、この「やみ・ふち」もまた神によって創造されたものであると解釈しなければならない。いいかえれば、カオスからの創造というウル・ミュトスを、ギリシア哲学におけるそれ(アリストテレス)とは全く別の意味において脱神話化しなければならない。そして「無からの創造」という、世界のどこを探しても絶対に見出すことのできない思想こそがまさにそれだったのです。

 もともと『ティマイオス』と『創世記』は全く異なる思想圏に属しており、同じロゴスであっても、一方(デミウルゴスのロゴス)は「論理性」であり、他方では神の意志の表現としての「ことば」を意味していました。この点においても、プラトンのデミウルゴスをイスラエルの神(旧約の神)と等置する教父たちは、かなり強引な解釈を加えていることになります。

 しかしギリシアとユダヤの二つの思想圏を強引に結びつけることによって、教父たちは、西洋中世の哲学者の思考を支配する新しい神の概念を生み出すことになりました。すなわち、ユダヤの神に「理性」を吹き込むとともにプラトンの神に「力と意志」を吹き込むことによって、「全能なる力と意志とを有する理性的なる神」という新しい神の概念が生まれ、これが中世以降の西洋の哲学者たちの形而上学の土俵をかたちづくったのです。

 ──以上が山田晶氏の「デミウルゴスについて」の概要です。『ティマイオス』についてはいま一つ取り上げたいことがあるのですが、その前に少し先走りをして、グノーシス主義者がこのプラトンの著書をどのように解釈したかについて、湯浅氏の『ユングとキリスト教』(214-5頁)をもとに簡単に紹介しておきます。

 前にもふれたように、グノーシス主義の宇宙観では世界は三つの秩序から成っていました。永遠の霊的生命に満ちた究極最高の聖なる世界(アイオーン界またはプレローマ界)と、その下方にあって心魂(プシュケー:その語源は「冷えたもの」[プシュコス])から成る中間界、そして肉(サルクス)あるいは物質(ソーマ)から成る物質界の三つです。

 グノーシス主義者は、この第三の世界の創造者を旧約の神と解し、新約の神を第一のアイオーン界の主宰者と解しました。そして、新約の神が新しい福音を告知し人間の魂の苦悩に救いをもたらす「愛の神」であるのに対して、旧約の神が人間の罪を告発し審く「怒る神」であり「妬む神」であることに着目して、物質界の創造者たる神を邪神・悪神と解し、さらにこれを『ティマイオス』にみえるデミウルゴスなる神と同一視したのです。

 湯浅氏は、このようなグノーシス主義の宇宙創成神話に対する批判として、神プラトン主義の「流出」[emanatio]の論理とキリスト教の(無からの)「創造」[creatio]の論理が両極的に分岐し、それぞれ汎神論的方向と一神論的方向へとその論理を徹底させていったと指摘しています。(同書219頁)

  *ここに出てきたいくつかの概念──カオスからの創造、形成(制作)、無からの創造そして流出──に加えて、創設や発生について考えることが有益かつ必要だと私は考えています。「創設」(一回かぎりの出来事)については、アレントが『過去と未来の間』で、ローマ的精神がもつ強靭さと持続性について述べた文章の中で言及しています。

<共和制の開始から実質的には帝制の終わりにいたるまでローマの政治の中心には、ひとたび何かが創設されるとそれは以後すべての世代を拘束するという意味で、創設の神聖さに対する確信が揺らぐことなく貫かれていた。政治に携わるということは、何よりもまず、ローマの都を保ち続けることを意味した。それゆえ、ローマ人は植民地に移り住むにあたって、ギリシア人のように自らの母市たるポリスをあらためてその地に創設できなかった。ローマ人が為しえたのは、起源の創設に付け加えることであり、こうしてイタリア全体、挙句の果ては西洋世界全体が、さながら全世界がローマの後背地以外の何物でもないかのように、ローマを中心として統一され治められた。>(163-4頁)

<このローマ的精神がもつ並外れた強靭さと持続性──あるいは政治体の創造にあたって創設の原理に寄せられたただならぬ信頼──は、ローマ帝国が衰退し、ローマの政治的・精神的遺産がキリスト教会に引き渡されたとき決定的な試練にさらされ、そして、その強靭さと持続性を身をもって示した。ローマの遺産の継承というおよそ現実的で世俗的な課題に直面することによって、教会はきわめて「ローマ的」となり、政治的事柄に関してすっかりローマ的思考に染まってしまったため、キリストの死と復活は一つの新しい創設の礎とされ、その上に途方もない耐久性をもつ新たな人間の制度が樹立されることになった。>(170頁)

 また、「発生」については、松浦寿輝氏が『折口信夫論』(太田出版)で次のように書いています。

<折口の「古代研究」とは、歴史の「外」、ないしその「前」をめぐる思考のことなのだ。「前」と言っても、歴史の内部における相対的な「前期」のことではなく、歴史そのものの手前に位置している何ものかのことなのである。折口の「古代」はかつて現実に存在した過去の一時代のことではないし、折口の「発生」は物事の起源に一度かぎり起こって無を有へと転ぜしめた歴史的な出来事のことではない。「発生」とは、あらゆる瞬間に絶えず発動され、現象を現勢化させつづける現在の力のことであり、「古代」とは、この力に瞳と字面とを唐突に密着したところに生起する無時間的な出来事の束のことにほかならない。>


【148】オリゲネスの遺産・ティマイオスの3

 『ティマイオス』における宇宙創成神話は、デミウルゴスなる(第一の)神と彼によってつくられた宇宙(第二の神としての「世界霊魂 anima mundi 」)との関係を、同じ善美のイデアの本質によってつらぬかれているものと見なしたのだが、このプラトンの論理では「第四者」の問題(質料的なるもの・自然における物質性・人間における身体性・悪の問題)が未解決のまま残されており、これが新プラトン派以後のプラトン解釈で重要な論争点になっていった。

 ──これは湯浅氏の『ユングとキリスト教』(298頁)からの引き写しです。でも、結論部分の紹介だけでは何のことだかよく分かりませんね。ここでは、湯浅氏が準拠しているユングの「三位一体の教義にたいする心理学的解釈の試み」(村本詔司訳『ユングコレクション3 心理学と宗教』人文書院所収)から、『ティマイオス』における「第四者」の問題に関係する記述のアウトラインをメモしておきます。

 まずユングによれば、『ティマイオス』はギリシア哲学における三位一体的表象の直接的な源泉(104頁)であり、神のイメージのために初めて哲学的な三・一性の定式を試みた作品(145頁)です。しかし、このプラトンの神秘的な著書の冒頭に出てくるソクラテス不吉な問い──「一人、二人、三人……おや、四人目の人は、ティマイオス、どこですか。」──には、実は三と四をめぐるジレンマが暗示されているのであって、それは「単に考えられただけのもの」(二次元的な思惟)と「現実あるいは実現」(三次元的な事実における思惟の実現)とのジレンマの問題にほかならない(106-7頁)。

 このように述べた後で、ユングは、『ティマイオス』における宇宙形成の叙述に即した興味深い議論を展開しているのですが、ここでは先を急いで、それらの議論が示唆するもの、すなわち四元性あるいは四位一体の問題を取り上げます。

 ユングは、神々とは無意識的な魂の活動から啓示されるものであり、したがって無意識の内容が人格化したもののことであると述べ、三位一体的な思惟もまたこれと同じ種類のものであると指摘しています(144頁)。そして、象徴の働きによって意識化される三つのものに対して、「第四のもの」は意識の下にせよ上にせよ無意識の領域にとどまっているものなのであって、ショーペンハウアーが根拠律(判断が完全であるための基準)には四重の根があることを証明したように、観念上の完全さを示す円・球を自然に分割した場合の最小のものは「四元性」であると述べているのです(147-8頁)。

 ユングがいう「第四のもの」とは、キリスト教との関係でいえば、悪(悪魔)でありエロスであり肉体性──これらを乱暴にひっくるめて、端的に「女性」といってもいいかもしれない──です。(ユングは、悪を善の欠如態ととらえるキリスト教的な三位一体的思惟を批判し、心理的経験の現実に反するものだとしています。)しかし、『ティマイオス』との関係を念頭におくならば、それは創造物すなわち「物質」としてとらえることができます。

 ユングは前掲書の「結論」で、次のように書いています。──三位一体の定式には物質は含まれておらず、このような事情のもとでは、物質は現実に存在して神の「純粋行為」に含まれるか、あるいは神の現実の外部にある単なる幻想であるかのいずれかの可能性しかもたない。しかし、後者の結論は神の受肉の出来事に矛盾する。したがって、創造された世界は現実に存在しており、悪(悪魔)もまた存在することになるのであって、このような事情から父と子と聖霊と悪魔[Diabolus]の四位一体が生じる。(176頁)

 ──さて、ユングの三位一体論は、実に豊かな内容と刺激と可能性に満ちているのですが、以上の「紹介」はその魅力をほとんど伝えられず、中途半端なものになってしまいまいました。その理由の一つは、ユングのグノーシス主義への言及に一切ふれなかったからだと思います。湯浅氏が、『ティマイオス』では「第四者」の問題が未解決のまま残されたと指摘しているとき、これに対する一つの解決が(ユングによって「発掘」された)グノーシス主義思想によって与えられているという読みがあったに違いないと思うのですが、しかしこのことの解明は次回以降の課題です。

*<事実ではないが、もしかりに、プラトンがキリスト教的な三位一体の概念を知っていて、そのために自分の三元性をあらゆるものの上に置いたとするなら、これはけっして全体性からの判断ではないという異議が唱えられるにちがいない。必然的なものとしての第四のものが欠落しているからである。あるいは、プラトンは三辺のものを美にして善なるものを象徴すると見なしており、これにあらゆる肯定的な属性を認めていたら、それに悪や不完全なるものが含まれていることを否定したであろう。だが、それならば、この悪や不完全なるものはどこに残ったのか。この問いに対してキリスト教的な見解は、悪は善の欠如態 privatio boni だと答える。この古典的な定式が悪から絶対的な存在を剥奪したために、悪はいわば影のようなものになってしまった。影は、光にのみ依存し、相対的な存在しか持たないからである。これに対して善には実在性と実体が認められている。しかし、心理的経験によれば、いわゆる道徳的判断は、それ自身としては人間の内に起源をもち、「善」と「悪」はその対立しあう両極である。判断というものは周知のように、内容的にいってその反対のものが同様に現実的であるときのみ、下すことができる。悪であるように見えるものは、善であるように見えるもののみが対抗し、実体のない悪はただ、同様に実体のない善からのみ区別されることができる。存在者はたしかに非存在者に対立するが、存在する善なるものが存在しない悪に対立することはけっしてない。というのは、後者は形容矛盾であり、存在する善にとって同じ基準で測れないものになるからである。存在しない(消極的な)悪は、存在しない善にしか対立することができない。それゆえ、悪が善の単なる欠如態だと主張されるなら、善と悪の対立はあっさりと否定されてしまうのである。しかし、「悪」が存在しないなら、どうしてそもそも「善」のことを云々できるのであろうか。どうして「暗闇」なしに「明るさ」が、「下」なしに「上」が語れるのか。善に実体を認めるならば、同じものを悪にも認めなければばらないという結論はもはや避けるわけにはいかない。悪に実体がないならば、善は影のようなものにとどまるであろう。というのは、善が自己を防衛しなければならない敵は、実在するものではなく、単なる善の欠如態としての影だからである。このような見解は観察できる現実には適合しない。>(ユング前掲訳書148-9頁)


【149】オリゲネスの遺産・ティマイオスの3(補遺)

*ヘーゲルはプラトンの自然哲学(『ティマイオス』)を紹介した文章の中で、次のように書いています。(『哲学史講義 中巻』長谷川宏訳,河出書房新社)

 まず「三」をめぐって。  <さて、つぎに問題となるのは、物体的実在の理念をどう定義するかということです。「世界は物体的なものであり、目に見え、手で触れられねばならない。そして、火がなければなにも見ることができず、かたいものや土がなければなにも触れることができないから、神ははじめに火と土をつくった。」これは子どもっぽい導入部です。「この二つは第三のものなしには結合されないから、その中間に二つを結ぶ紐がなければならない。(これはプラトンの純粋な表現の一つです。)が、紐のなかでもっとも美しいのは、紐自身と紐がむすびつけるものとを最高度に一体化する紐である。」これは深遠な思想で、そこには概念ないし理念がふくまれている。>(73頁)

<……具体的なものとしての神は、自分自身と一体化していく三項関係(三位一体の関係)なのです。だから、プラトンの哲学には最高のものがふくまれている。それは純粋思想にすぎないとはいえ、そこには一切がふくまれている。そして、すべての具体的な形式において、なにより重要なのは思想の内容です。この三項関係はプラトン以後二千年ものあいだそのままにほっておかれ、キリスト教のうちに思想としてとりこまれることはなかった。人びとはそれを不当にも外来の見解と見なし、この考えのうちに概念と自然と神がふくまれることを理解しはじめたのは、ようやく近代になってからのことです。>(74頁)

 次に「四」をめぐって。  <さて、プラトンはつづけます。目に見えるものの領域には、両極をなすものとして、土と火、かたいものと生物があった。「かたいものは二つの中間項を必要とし(これは重要な思想です。自然のなかには三つではなく四つの元素があって、中間項も二つとなるのです)、広さばかりでなく深さももつがゆえに(点が線および面を経て立体にまで合体されるとすると、自然は本来四次元となります)、神は火と土とのあいだに空気と水をおいた。(これも論理的に深遠な定義です。中間項が両極との関係において不均衡なため、内部で二つに分裂しなければならないのです。)そしてそこでの比例関係は、火と空気の比と空気と水の比と水と土の比がひとしくなる。」中項が分裂するのが見られ、ここに生じた四という数が自然のなかでは根本をなします。理性的な推論では三項の関係にすぎないものが、自然において四項となるのは、自然そのものに原因があるので、というのも、思想のうちでは直接に一つであるものが自然のなかでは二つに分岐するからです。中項に対立が生じて二重になる。思想においては、第一が父なる神、第二が媒介者たる子なる神、第三が聖霊で、中間項は一つですが、自然にあっては対立する中間項が二つにわかれ、全体として四という数字があらわれる。神を考える際にも四という数字が生じるので、神を世界に応用すると、中間項として自然と実在の神とが、──つまり、自然そのものと、自然が聖霊へとかえっていく途上にある実在の精神とが──あって、かえりつくと聖霊となる。この生命ある過程──区別と区別の統一の過程──が神の生きたすがたです。>(74-5頁)

*C・G・ユング「三位一体の教義にたいする心理学的解釈の試み」(村本詔司訳『ユングコレクション3 心理学と宗教』人文書院所収)から。

<わたしが本論で試みてきたように、三位一体を一つの過程として理解するならば、この過程は、第四のものが付け加わることによってさらに継続されて最終的には絶対的な全体性に至るであろう。しかし、聖霊が人間に干渉することによって、人間は神的な過程に引き入れられる。神に逆らう意志としてルシフェルに人格化されているところの、神に対抗する個別化と自律性の原理も神的な過程に統合されることになる。しかしルシフェルがいなかったなら、創造も、そしてまさに救済史も起こらなかったことであろう。影と対抗意志は、あらゆる現実化には避けられない条件である。場合によっては自らを創造した者に対しても逆らうことのできる自分固有の意志と属性をもたない対象は、倫理的な決断を下せるだけの独立した存在ではありえない。もしそれが機能するにしても、せいぜい創造者がネジを巻かねばならない時計細工にすぎない。したがって、ルシフェルは、世界創造を志向している神の意志をおそらく、もっともよく理解し、もっとも忠実に遂行してきたのであろう。彼は、神に逆らって自らを主張し、それによって、神に対して、異なって存在しようと意志する何者かとして対抗する被創造物原理となったからである。神はこのことを望んだからこそ、創世記の第三章に明らかなように、(神の意志に)逆らう意志力を人間の内に置いたのである。そうでなかったなら、彼は機械以外の何者をも造っていなかったであろう。そうなると、受肉や世界救済は、まったく問題にならなかったであろうし、三位一体もけっして啓示されることはなかったであろう。というのは、すべてが常にただの一者にとどまっているはずだからである。>(176-7頁)


【150】オリゲネスの遺産・グノーシスの1

 バタイユは、自ら編集長をつとめた雑誌『ドキュマン』(1929-1930)に「低俗唯物論とグノーシス主義」(ジョルジュ・バタイユ著作集第11巻『ドキュマン』片山正樹訳,二見書房所収)と題する短い文章を発表しています。今回はこのエッセイを「教材」として、歴史上のグノーシス、教義上のグノーシス、そして現代におけるグノーシスの意味をめぐるバタイユの叙述に即しつつ、グノーシス主義の「香り」を味わうことにします。

 その前にあらかじめ述べておきたいことは、このエッセイでバタイユが着目しているのは、「グノーシスの石」に現われた、古典的古代の正統主義[アカデミズム]と根本的に対立するグノーシス派独特の形態の形象化であったということです。バタイユは、この「愚劣さと比類なき混乱」に満ちた形態こそ、理想主義の束縛から知性が逃走することを可能にしたものであると述べ、この形態のうちに具体的に表現されたグノーシス派の思想における「心理的プロセス」と現代の「唯物論」(バタイユがいう意味での)との比較を行っているのです。

(訳書の巻頭には、バタイユが勤務していたフランス国立図書館賞牌部所蔵の「グノーシス派の沈み彫り」を刻印した石の図版が四葉掲載されています。あひるの頭をした執政官[アルコン]や自らの尾を噛む蛇の環の中にいる無頭[アセファル]の神など、いずれも異教的な「香り」が漂ういかにも古代的で奇怪な図象ばかりで、それらに薄気味悪さを感じる自分自身のこの感覚はいったいどこでどうやって培われたものなのだろうと、ふと考えてしまいました。──蛇足。もしかするとヘッセの『デミアン』には、グノーシスの神話が隠されていたのかもしれない。)

 さて、歴史上に現われたグノーシスについて。──バタイユはまず、ヘーゲル哲学が非常に古い形而上学的概念を出発点にしていること、それもキリスト教紀元の初期(形而上学が「奇怪きわまる二元論的宇宙発生論」と結合され「奇妙に低俗なもの」とされていた時代)において、とりわけグノーシス派の人々が発展させた概念を出発点にしているように思われると述べ、この「驢馬の頭[太陽の無頭の擬人化]を戴いた神」を信仰するグノーシス主義の思想は、今日でも非常に重要な価値をもつはずだと指摘しています。

 グノーシス派というものは──とバタイユは続けます──ギリシア・ローマの観念形態[イデオロギー]に不純きわまりない酵素を「獣的な」方法で導入し、エジプトの神話やペルシアの二元論、ユダヤ=オリエントの異教などから既成の知的秩序を借り受け、さらにその宗教上の儀式においてカルディア=アッシリアの妖術や占星術の低劣な形式まで取り込んだ、混乱に満ちた流動的性格をもつものである。

 ですから、彼らの不倶戴天の敵対者であったカトリック神父たちの中傷や文献の組織的な破棄によって悪名高いものとされたにもかかわらず、グノーシス派は原始キリスト教の一形態と見なすことも可能なのであって、実際バタイユは、グノーシスの教義はバジリデス、ヴァレンティヌス、バルデサネス、マルキオンといった偉大な宗教的人文主義者たちが練り上げた「一種の高尚なキリスト教」だったと書いているのです。

 それでは、宗教としてのグノーシス派の教義とはいったいどのようなものであったのか。──バタイユによれば、その中心思想[ライトモチーフ]は、自主的な永遠の存在をもつ積極的な原理としての「質料[マティエール]の概念」にほかなりません。この概念は「闇の概念」であり「悪の概念」でもあると、バタイユは書いています。(光の不在としての闇ではなく、その不在によって姿を現わす怪物的なものとしての闇。善の不在としての悪ではなく、むしろ創造的行為としての悪。)

 グノーシス派のこのような二元論は、質料と悪とを高次の原理が堕落したものと見なす傾向の強かった一元論的なギリシア精神と、真っ向から対立するものでした。もっとも、グノーシス派の内部には、ときにはイスラエルの神と同一視される呪われた忌まわしい創造神を、ギリシア的な至上神から「発現」したものとする教義もあったのですが、バタイユにいわせれば、それは一時凌ぎの必要に応えたものにすぎず、グノーシス派独特の形而上学的思弁と神話的悪夢において露呈しているのは、後世の黒魔術にもつながる「極悪非道な力についての激烈かつ獣的な固定観念」にほかならないのです。

 グノーシス教徒と(グノーシス主義の最後にして最大の宗教的形態ともいわれる)マニ教の信徒たちの精神活動の至上の目的は、絶えることなく「善と完成」であったとバタイユは書いています。しかし、ここでいう善は、もとより悪に対する高次の権威やギリシア的な高次の原理・聖性をいうものではありません。彼らの思考を決定づけうるのはただ「悪への不安な譲歩」だけであって、たとえ暗々裡であったにせよ彼らは理想主義的な観点とはきっぱりと縁を切っていたのであり、自らの生に悪の創造的行為の影響を見ていたのです。

 バタイユは最後に、グノーシス派の思想の現代的意味をめぐって次のように指摘しています。(これはこのエッセイの中で最も重要な位置をしめるものです。)──グノーシス派がもちだすこのような「心理的プロセス」は、現今の唯物論とさして異なるところはない。

 ただし、バタイユがいう唯物論は、存在と理性を(高次の原理にではなく)「低次の質料」に服従させるもの、すなわち「存在論を含まぬ唯物論」であり「質料を即自的事物とせぬ唯物論」のことです。また「低次の質料」とは、現存する私という存在とその存在を武装させる理性とに借りものの権威を与える高次の原理の埒外にあるもの、あるいは自我と観念の外に存在しているもの、いいかえれば「人間の理想的渇望の外部にあって無縁のもの」を意味しています。

 バタイユは続けて次のように書いています。──そのような低次のもの(どんな場合であっても何らかの権威の猿真似をし得ないもの・まさに質料と呼ぶべきもの)にこそ、私は全面的に服従しているのであって、もしこれとは逆に、私の理性が私の言明したことの限界になるとすれば、私の理性によって限定された質料は、たちどころに一つの高次の原理という価値を帯びてしまうだろう。そしてその原理とは、権威を笠に着て語るために、「奴隷的」理性が自らの上に喜んで据えるはずのものにほかならない。

*バタイユ「唯物論」(前掲訳書所収)から。<唯物論は、人為的に孤立させられた物理学の諸現象のような抽象的概念の上にではなく、心理学あるいは社会的諸事実の上に立脚しない限り、老いぼれの観念論と見なされてしまうだろう。従って物質についての認識を援用すべき相手は、──物故してすでに久しく、今日では問題にならぬ概念を提唱した、物理学者たちではなく──誰よりもまずフロイトなのである。>


【151】オリゲネスの遺産・グノーシスの2

 バタイユ特有の両義的で「あく」の強い文章によって、グノーシス思想はその「心理プロセス」において「低次(低俗)唯物論」と同等のものと規定されました。それでは、深層心理学の視点からグノーシス思想に焦点をあてたユングは、そこに何を見ていたのでしょうか。このことを「自己の象徴性についての考察」(野田倬訳『ユングコレクション4 アイオーン』第一部,人文書院。ちなみに第二部はフォン・フランツが執筆)で確認することにします。

 この論文のテーマは──その「結語」においてユング自身が述べているところによれば──「最も重要な元型、すなわち自己の元型」を明らかにすることにありました。ここでいう「自己[ゼルプスト]」とは、意識領域の中心となる「自我[イヒ]」を包摂する上位概念であって、意識(男性性)と無意識(女性性)とを統合し「心的全体性」を表わすもの(あるいは「対立の複合体 complexio oppositorum 」)にほかなりません。

 ユングは、グノーシス派が探究したのは、まさに元型としての「自己」を表わす適切な象徴表現だったと書いています。そしてグノーシス派の思想は、善の欠如の教義によって主張されたキリスト教の神の「非対照性」を補償するものでもあったのであり、このようなグノーシス派の補償作用は、世界観の定位喪失という危機に陥った現代において、その原因となった意識と無意識との間の亀裂に橋渡しをするため全体性のシンボルを作り上げようとする動きとよく似たものであったと指摘しているのです。(297-8頁)

 まずユングは、ヒポリュトスの『反証』にあらわれたバシレイデスの所論に言及しながら、神の子の身分をめぐるグノーシス派の「三分法」がもつ心理学的意味について論じています。(83-6頁)

 バシレイデスによれば、「子」には三つの身分(天上の父のもとにある第一の子・やや粗野な本性ゆえに低い領域にある第二の子・浄めを必要とする本性ゆえに奥底深く「無定形 amorphia 」の中へと下降する第三の子)があって、それらは神の三つの流出ないしは啓示の中に認められる三分法、すなわち「精神=霊魂=肉体」(プネウマティコン・プシュヒコン・サルキコン pneumatikon-psychikon-sarkikon )の三分法に対応する。

 この第三の身分における子(それがひそんでいるところの「無定形」は「無意識」と同じ意味であるとユングはいう)の肉体は重く暗く不浄で光を欠いているにもかかわらず、第一、第二の子たる身分と同様の神性の萌芽を内包しているのだが、しかしそれは無意識的でありまだ形はないのであって、この萌芽はイエスの受難によって(イエスの十字架上の四分割を手本として)目覚めさせられ浄化され上昇するのである。

 ユングは、バシレイデスによって肉体に神性の三分の一が宿っているとされたこと、すなわち物質が霊的神秘性[ヌミノジテート]をそなえたものとされたことは、中世における「哲学者の息子」や「大宇宙の息子」(それらは物質の中に眠っている「世界霊魂」を表わしている)にある程度似ており、やがて錬金術や自然科学において物質が「神秘的な」意義をもっていると想定されたことの先取りであったと指摘しています。

 ユングはさらに、心理学的な観点からより重要なのは、第三の子たる身分に照応するイエスの受難によって、イエスの中の対立物が区別され意識化されたがゆえに、イエスは手本であり目覚めさせる人であるとされたことだと述べています。つまり、第三の子たる身分は定まった形をもたず分化されない状態にあり、その中では対立物は意識されないままなのですが、このことが意味しているのは、「無意識な人間性の中にはイエスという手本に照応する潜在的な萌芽が宿っている」ということなのです。

 そして、天上のキリストから出てきた光がイエスの中の諸本性を類別したように、イエスから発せられた光が、この無意識的であった人間の中の萌芽を目覚めさせ、対立物を類別化するように仕向けるのであって、それは、意識の領域にではなく夢の中に「自己」の元型的イメージが姿を見せるという確固たる心理学的事実にぴったり照応するというのです。

 ユングがここで主張しているのは、「キリスト教の世界観においては、キリストはあきらかに自己[ゼルプスト]を表わしている」(82頁)という命題にほかなりません。そしてそのようなキリスト像(あるいは自己)こそ、まさにグノーシス派の「補償作用」によってもたらされたものだったのです。

*ユングは上記の「命題」に続けて、心理学的な「自己」と教理的なキリスト像に共通する「四一性」をめぐって、次のように書いています。(82-3頁)

<自己を個性のいわば最高形態として見る場合、この自己なるものには、一回的という属性と唯一のという属性が加わる。ところで心理学的な自己は超越的な概念で、意識的内容と無意識的内容との総和を表現しているので、二律背反の形でしか記述できない。[原注:それはちょうど光の超越的特性が、粒子および波長という二つ合わせたイメージによってしか表現できないのと同じである。]すなわち、上記の二属性はさらにそれぞれの対立物によって補足されなければならない。それによってはじめて超越的な事実内容の特徴を正しく言い表わすことができるのである。このためには、対立的四者一組の形で表わすのがいちばんてっとり早い(図1)。

        (図1)    一回的
                 ┃
                 ┃
         唯一の ━━━━╋━━━━ 普遍的
                 ┃
                 ┃
                永遠の

 この図式はたんに心理的な自己を表現しているだけではなく、教理的なキリスト像も表わしている。キリストは歴史上の人物としては一回的で唯一の存在であり、神としては普遍的で永遠の存在である。個体としての自己は一回的で唯一のものである。これに反し、元型的シンボルとしては自己は神の像であり、つまり普遍的で「永遠の」ものである。さて神学はキリストをもっぱら善であり霊的なものであるとしている。そうするとどうしてももう一方の側で、「悪い」・「冥府的な」・「自然のままの」ものが発生せざるをえない。それがまさに反キリストにほかならない。そこから対立的四者一組が出てくる。この一組は、自己がもっぱら「よい」・「霊的な」ものと見なされているのではないということによって、心理学的な面で統合される。加えて「よい」と「霊的な」のそれぞれの対立物は、もはや全体から切り離される必要はなくなる(図2)。

        (図2)    よ い
                 ┃
                 ┃
          霊的 ━━━━╋━━━━ 物質的または
                 ┃     地下的
                 ┃
                わるい

 この四一性は心理学的な自己の特徴をよく表わしている。というのは、全体性を表わすこの四一性は、言葉の意味するとおり明るい面と暗い面とを含んでいなければならない。それはちょうど自己が男性的なものと女性的なものとを包含するのと同じである。……このような理由から個性化とは「神秘的合一」にほかならず、自己は対立的半分同士の婚姻的統一として体験され、また患者たちの場合などに自発的に立ち現われるマンダラ群の中で統合的な全体性として描き出されるわけである。>


【152】オリゲネスの遺産・グノーシスの3

 そもそもグノーシス主義とは何か、そしてグノーシス主義はどのような時代のいかなる文明史的状況の中で展開されたものであったのかを、改めて「勉強」することにします。そのわけ(というほど大袈裟なものではありませんが)を以下に記します。

 バタイユとユング。この同時代の(といっていいでしょう)二人の思想家がグノーシス主義をどうとらえていたかを概観しました。バタイユは、当時の新しい造形芸術が孕んでいた「反本質主義」とでもいうべき形象化への動きにグノーシス主義の奇怪な形象を重ね合わせ、その心的プロセスにおける「低次の唯物論」を摘出し、ユングは、集合的無意識の領域における「原型」のうち影やアニムス・アニマよりも高次の「自己」の象徴的表現を、グノーシス派によって補償されたキリストのイメージに託して論じていました。

 いいかえれば、バタイユが叙述したグノーシス主義のイメージが異教的・非キリスト教的なものであったのに対して、ユングのそれはキリスト教の思想圏内における「異端」あるいは反キリストとしてのグノーシス派であったといえるでしょう。(ちなみにユングは、アニムス・アニマの段階には多神教が対応し、「自己」に見合うのは一神教であると述べています。)

 二人が描いたグノーシス主義のイメージは全く異なるもの、あるいは相反するもののように見えます。しかし、その外観上の決定的な相違にもかかわらず、私には、それぞれを通底する奥深い領域において、両者は謎めいた類似性の関係性を斬り結んでいるに違いないと思えるのです。それは、グノーシス主義の名で総称される多数の思考群を括る根源的かつ体験的な共通性がそこで蠢いているということなのでしょうが、そこのところがいまひとつ鮮明に了解できないのです。

 ユングとバタイユの所説に関して述べたのと同様の関係が、ユングの議論に準拠した湯浅泰雄氏のグノーシス観と、ハンス・ヨナスの研究に準拠した中沢新一氏のそれとの間にも成り立つように思います。

 湯浅氏の紹介するところによれば、ユングは──グノーシス主義を霊肉二元論の極端化と解釈するキリスト教神学者の古い見解とは異なって──原始キリスト教の人間観は霊肉一致を主張するものであり、グノーシス主義の人間観もこの流れをくんだものであると解釈しました。(『ユングとキリスト教』224-5頁)

 たしかにグノーシス主義は、その宇宙観において感覚界と心霊界の二元論(厳密にはその間に中間界を設定する三世界論)をとりました。しかし、そこには新プラトン主義につながる「流出」の考え方が強くあって、この流出論理からいえば、光が次第に闇へと移行するように霊的次元と物質的次元とはゆるやかに相互浸透し合っています。

 肉体の底に霊性が宿るというグノーシス主義の人間観は、このような宇宙観(物質観)と並行関係を結んでいます。そしてこの人間観は──キリスト教正統教義学が、超越的な神性と人間性を断絶させ、人間の身体を罪の源泉としての「肉」と見る「霊肉分離」的な人間観の方向に向かったのとは正反対に──「霊肉一致」の人間観へと流れていったのです。以上が、ユングの議論(に関する湯浅氏による解説)の概要です。

 一方、中沢氏の「思想の二十世紀、グノーシスの時代」(『リアルであること』メタローグ所収)を読むと、およそ次のような事柄が書いてありました。──グノーシスの思想は徹底した二元論を特徴とする。それは、偽物の神・悪の神が創造した「いまある世界」(物質世界)を拒絶し、現実の秩序・権力のなかには見いだすことのできない「隠された根源」としての真実の神を、叡知(グノーシス)をもって理解しなければならないとする「反宇宙」の思想であり、「自然に対するニヒリズム」に染め上げられた思想なのだ。

 思想における二十世紀はグノーシス主義の「復活」をもって開始されたと、中沢氏は書いています。──ヘーゲルであれマルクスであれハイデッガーであれ、二十世紀の人類にもっとも大きな影響を与えた思想の大半は、ドイツ・イデオロギーという「家族的遺伝形質」を母体にして生まれたものなのだが、その原型をつくった神秘主義者たち(エックハルトやベーメ)はいずれもグノーシス的だった。

 たとえばヘーゲルにとって、歴史とは「隠された神」である絶対的理性が自分を実現していこうとする自己運動だった。マルクスもまた『共産党宣言』で、いまある世界の創造原理である資本主義の黙示録を描き、その廃虚のなかから別の世界(無階級社会)が誕生してくるさまを神話的な力をもって語った。そしてハイデッガーの実存主義は、親しみのもてない世界に偶然投げ込まれていることを自覚し、「意味」が生まれでてくる「隠された根源」に向かって探究を続けよと語った。

 また、グノーシス主義が「自然に対するニヒリズム」であることに関して、中沢氏は次のように述べています。──古代のグノーシス思想家たちは、神の創造したこの物質的世界を(真実の神を隠し、彼らを恐怖させる)悪と見た。人間を慰め癒す自然など、そこでは考えられなかった。近代のグノーシス主義者パスカルも、人間のことばなどにまったく無関心な無限の宇宙に恐怖した。マルクス主義もまた、科学技術と結びつくことによって、自然に対して(「悪しき自然」の改造・開発による真実の理性的な人間社会の創造を唱えるという)別の意味でのグノーシス的態度をとり、グノーシスが地上の権力でもあるという信じ難い事態を招来したのである。

 このようにして二十世紀の人類の思想をリードしてきた新しい形態のグノーシスは、かつてキリスト教会によって激しく憎悪されたのと同じように、「自由主義」諸国から徹底的に憎悪されることとなったのですが、中沢氏は、地上のグノーシス帝国を滅ぼしたのはこれら自由主義諸国の包囲や戦略ではなく、実は「マリア的自然」──母性的な一体感とエコロジカルな幸福感をもたらすもの、あるいはたんなる物質的天体ではなくひとつの生命体である「地球」──だったのだと指摘しています。

 ここで中沢氏がマリアの名をもちだすとき、それは東方的ギリシア世界のソフィア(叡知)に対する西方的ラテン世界のマリアという対の関係(霊的姉妹)を踏まえてのことなのですが、この点はここではとり上げず、ただ「マリア的自然」なるものに中沢氏が一方的な肩入れをしているわけではないこと、むしろグノーシス的二元論の新たな「復活」を予感し希求しているに違いないことを書き止めておきます。(また私はここで、ユングが『ヨブへの答え』で聖母マリア被昇天の教義について取り上げていたことを想起しているのですが、この点についてもここでは取り上げず、備忘録がわりにメモしておくだけにとどめます。)

 話が拡散してきました。長すぎる前置きはこのくらいにして、それでは、グノーシスとはいったい何かをめぐる「勉強」を始めることにします。テキストは(中沢氏が上記エッセイで言及していた)ハンナ・ヨナスの『グノーシスの宗教』(秋山さと子/入江良平訳,人文書院)を使います。この浩瀚な書物から、まず「グノーシスの意味とグノーシス運動の広がり」(第二章)を取り上げ、次いでグノーシス思想の背景を扱った序論「ヘレニズムにおける東方と西方」(第一章)とその現代的意義を論じたエピローグ「グノーシス主義、実存主義、ニヒリズム」(第十三章)を概観します。

*中沢氏は「思想の二十世紀、グノーシスの時代」の最後を、次の文章で締めくくっています。──ちなみに、中沢氏は別のところで、<二十一世紀は、たぶん二元論の復活の時代となるだろう>と書いている。(「概念の復活」前掲書所収)

<思想の二十世紀は、グノーシス的な展望によって、世紀を開いた。そして、世紀末、ふたたびグノーシスは否定と忘却の大地の下に、埋葬されようとしている。マリア的自然の母性は、知性の自己増殖の危険を察知して、その力を押し止めることに、成功した。しかしそれとともに、思想の生産力も、抑圧された。人類が、グノーシスの限界を乗りこえ、新しいグノーシス思想を創造できるその日まで、この抑圧は続いていくにちがいない。>


【153】オリゲネスの遺産・グノーシスの4

 ハンス・ヨナスは『グノーシスの宗教』で、グノーシス思想を二つの型に分類しています。(151頁)始源における闇・質料の世界の存在を認めず、単一の神格の自己分割によって現実の二元性が導き出されたとする「シリア・エジプト(アレキサンドリア)型」と、源初から存在する二つの原理の対立から出発する「イラン型」の二類型がそれで、前者はヴァレンティノス[135〜160頃ローマで教説を広めた]とその流派において頂点に達し、後者はマニ[216〜276]の体系において頂点を究めたと指摘されています。

 この二つの型に属する思弁には、いまあるこの宇宙に対する否定的評価とグノーシス(「神の知識」:神性の根源的超越についての知識)によるそこからの救済の主張あるいは希求という「グノーシス的精神」がともに表現されているのですが、ハンス・ヨナスによれば、単一の神格から「中間的段階」を経て現在の二元的状況へと至る過程の体系的叙述という微妙かつ興味深い「推論的課題」を担うシリア・エジプト型の方が、イラン型の厳格な二元論よりも思弁の規模が大きく、また心理学的分化の程度も高く、より大きな理論的多様性を許容するのは明らかである。(183-4頁)

 ──およそ以上のような理論的枠組みのもと、『グノーシスの宗教』の第二部では、新約『使徒行伝』にあらわれた魔術師シモンから(バルカンのパスカルと呼ばれるシオランに影響を与えた)純正のキリスト教徒マルキオン、ヴァレンティノス派とマニ教、さらにはユダヤ・キリスト教圏外のヘルメス文書にまで及ぶ「グノーシス主義の諸体系」が詳細に論述されています。

 それらは──ハンス・ヨナスが「非同調主義」こそがグノーシス的精神の原理であると規定したように──広範かつ多様にわたっているのですが、ここではその細部には立ち入らず、それらを抽象して得られるグノーシス派の基本的神話もしくは基本的信条の輪郭を素描しておきます。(66-72頁)

[神学]グノーシス思想の根本的特徴は、神と世界(コスモス)とのラディカルな二元論である。神性は絶対的に超世界的・超越的であり、世界を創造せずまた支配することもない。神はあらゆる被造物から隠されており、それを知るためには超自然的な啓示と照明が必要であり、かつ神は否定的な言葉によらずしては表現できい。一方世界は闇の領域であり、下位の諸権力すなわちアルコーン(支配者)の所産である。そしてこの世界の発生は、グノーシス的思弁の中心主題のひとつである。

[宇宙論]アルコーンたちが支配する領域(宇宙)は広大な牢獄のごときものであって、彼らは人間の魂が世界を逃れて神のもとに帰還・上昇しようとするのを妨害する。彼らはまた世界の創造者でもある。その場合にはデミウルゴスの名で呼ばれ、しばしば旧約の神の歪曲された諸特徴をもって描写される。グノーシス主義の特徴は、このような「反宇宙的精神」にある。

[人間論]人間は肉体・魂・霊から構成されている。(<究極的原理にまで還元すれば人間は二重の起源をもつ──すなわち彼は世界のものであり同時に超世界的かつ外世界的である。>)アルコーンたちは、神的な「原人」の似姿にならって人間の肉体と魂(欲望と情念)を造り、その中に、世界へと転落した彼方の神的実質の一部分である霊(プネウマ:閃光とも呼ばれる)を閉じ込めた。魂と肉体のなかに埋没し麻痺し眠りこみ酩酊しているプネウマは「無知」であり、その覚醒と解放は「グノーシス」を通じてもたらされる。

[終末(最終的救済)論]ラディカルな二元論の結果として、超越的な神が「この世」と無縁(エーリアン)であるのと同様、そのただなかにある霊的自己もまたこの世とは無縁である。グノーシス的努力の目標は「内なる人」を世界の絆から解放し、彼の生まれ故郷である光の領域へと帰還させることにある。そのための必要条件が超越的な神と自己自身について知ること、すなわちグノーシス(神の知識)である。

 しかし神はこの世界のなかでは未知であって、世界から出発してそれを発見することはできない。それゆえ救済のためには、光の世界からの使者(超越的救済者)による啓示が必要となる。救済の知識(グノーシス)は「外部から」与えられる。この救済の過程は、神性が自らの全体性を回復する過程の一部をなすものである。

[道徳]グノーシスの所有者たちの道徳は、世界に対する敵意と一切の世界的絆への軽蔑によって規定される。そしてこの同じ原理から、世界による汚染を避けるため世界との接触を最小限にとどめるべきであるとする「禁欲主義」と、創造主による道徳律の軛から自由であり一切が許されているとする「放埒主義」の二つの結論が導き出される。(<この道徳廃棄論的な放埒主義は、グノーシスの非宇宙主義に内在するニヒリズム的要素を禁欲主義よりずっと強烈に示している。>)

*荒井献氏は『原始キリスト教とグノーシス主義』(岩波書店)で、グノーシス主義の本質的モチーフとして次の四点を指摘しています。──以下は、『ユングとキリスト教』(211-2頁)での湯浅泰雄氏の紹介の丸写し。

(1)反現実的(反宇宙的)二元論 anti-cosmic dualism すなわち、世界を物質的ないし感覚的次元と、それをこえた精神的ないし霊的次元の二領域に分つと共に、後者により高い価値をおく世界観。この定義だけでは、多くの宗教がこの中に含まれるであろうが、歴史的グノーシス主義では、この場合天上の霊的世界の主宰者として新約の光の神を配し、物質的世界の支配者として旧約の神を配する善悪二神説をとる。この点でグノーシス主義の宇宙観は、キリスト教に比べてはっきり二元的であるということができる。ただし──一言あらかじめ注意しておくと──宇宙観の二元性を直ちに人間観における霊肉二元論と同一視してはならない。後に言うように、人間観における霊肉二元論的傾向はむしろキリスト教の方がつよい。[引用者註:ここで指摘されている点は前回取り上げた。]従来の研究は、宇宙観と人間観の関連のしかたについて十分に考えていないように思われる。

(2)人間本来の自己性と至高者の同質性の認識。人間の肉的身体の根底には本来の自己性ともよぶべき霊的本性が存在しており、それは霊的世界の至高な存在と通ずるものである。歴史的グノーシス主義ではこの場合、人間は神秘的な「霊的認識[グノーシス]」によらなければ本来の自己性を認識することはできないという。なぜなら通常の状態では、自己性は肉的身体の底に隠れて眠っており、人間は霊的世界の存在を認識できない「無知」(アグノーシア)の状態にあるからである。

(3)至高者または彼によって遣わされた者による認識の啓示。本来の自己性と霊的体験の領域を発見し認識してゆく過程が、霊的認識としてのグノーシスすなわち原グノーシス的体験である。[引用者註:荒井献氏によれば、原グノーシスとは<歴史的因果関係なしに、いつでも、どこでも見出され得る宗教体験ないし宗教的世界観の形式>をいう。]したがってグノーシス体験とは、上からの霊的みちびきによって、見失われている本来の自己性との再統合へと進む自己認識の道である。歴史的グノーシス主義では、ここにキリスト教の救済者理念が取り入れられる。

(4)超歴史的文化神話。このような宇宙観と人間観を徹底すれば、感覚的世界における歴史的事象は軽視され、グノーシスによって開示される永遠な霊的世界の偏在が重視されるようになる。したがって歴史的グノーシス主義では、キリスト教教義の非歴史的ないし神話論的解釈が重んじられる。その神話はオリエント神話の影響をつよく受けていると共に、エロス的要素を重んじるところに特徴がある。


【154】オリゲネスの遺産・グノーシスの5

 ハンス・ヨナスは、グノーシス運動が多様に展開された時代の精神的風土に関して、次のように叙述しています。──キリスト紀元の始め頃から東地中海世界は深い精神的発酵のうちにあり、その発酵は次の二世紀の間も進行しつづけた。

 死海文書の発見は、キリスト教団の出現が決して孤立的な事件ではなく、当時のパレスティナにひしめいていた終末論的(最終的救済を求める)運動の一つであったことを裏づけたのだが、そのキリスト教の拡大のあとを追うように各地で出現したグノーシス宗派の思想のなかには、この時代の精神的危機がもっとも大胆かつ激烈に表現されていたのである。(53-4頁)

 紀元一世紀から三世紀にかけて東地中海世界に「深い精神的発酵」が進行していたことと、グノーシスが救済であるという主張こそがグノーシス宗教の中枢をなすものであったという指摘(183-4頁)とのあいだには、当然のことながら深いつながりがあります。何よりもまずグノーシス主義は、キリスト教とともに「東方」世界から発した新しい精神運動であり宗教運動だったのです。

 以下、このことの歴史的・文明史的背景について、『グノーシスの宗教』の序論「ヘレニズムにおける東方と西方」をもとに(専ら「東方」に関心を集中させながら)粗描しておきます。──なお、ここでいう「東方」とはアレクサンダー大王の東方征服[紀元前334-323]によってギリシア化された古代オリエント諸文明(アジア的東方)のことであり、「西方」とはエーゲ海を中心とするギリシア世界(ギリシア的西方)のことです。

[ヘレニズム以前]アレクサンダーの時代、西方ギリシア文化は、世界市民(コスモポリタン)的成熟の段階に達していた。そこでは、人がギリシア人であるのは生まれによるのではなく教育によるものであるとされ、ポリスならぬコスモス(世界)の良き市民であるための資格はロゴス(理性)の所有にのみ求められた。

 一方、東方世界では、数世紀に及ぶ専制的諸帝国の征服と支配による政治的無気力が蔓延し、また征服者による被征服民族(とりわけ指導者層)の強制的移住の慣習の結果として文化的停滞が進行していた。そして、被征服民族の土着文化の純粋に地域的な特殊性を弱体化させたこの「根こそぎ[uprooting]」政策は、二つの重要な結果をもたらした。

 その一は、文化内容を土地の制約から解放し、抽象化された教説という伝達可能な形式へと変容させることによって、これを世界市民的な思想交流の要素として利用しやすいものにしたこと。すなわちヘレニズムによるシンクレティズムを容易にしたことである。その二は、地域的な文化内容を観念形態(イデオロギー)へと変容させ、東方諸宗教の神学的抽象化を促したこと。具体的にはユダヤの超越的一神教、バビロニアの占星術的宿命論、イラン(ゾロアスター教)の二元論を生み出したことである。

 このような東西両世界の思想風土の上に、アレクサンダーの東方征服は成就した。そして、この「古代史の転換点」ともいうべき出来事によって作りだされた「東方」という空間的・文化的統一体──現実的にはアレクサンダーの後継者たち[ディアドコイ]の王国として、ローマの属州として、ビザンツ帝国すなわちギリシア教会として存在したところの統一体、ヘレニズムとオリエントの綜合の中で一つにまとめられた統一体──こそが、グノーシス主義という精神運動の背景をなしている。

[ヘレニズム前期]アレクサンダー東征からキリスト紀元(カエサル)まで。世俗的・ギリシア的ヘレニズムの時代。オリエントのギリシア化が進行し、世俗的ギリシア文化が普遍的な世界文明として確立された。そこでは、あらゆる知的表現の形式をギリシアが独占し、オリエント精神は土着の表現媒体を剥奪され自らの内容を擬装して表現すること、つまり一種のギリシア的擬態をとることを強いられた。

 しかし、それは同時に東方の解放でもあった。というのも、ギリシア人が発明したロゴス(抽象概念・理論的陳述方法・合理的体系)は人類の精神史における最大の発明の一つなのであって、この形式的道具を手に入れたことによって、感覚的イメージと古い象徴(神話と儀礼)に縛られ硬化していた非概念的な東方思想は、自らを縛る象徴体系の絆から解き放たれ、ロゴスの反映の中に自己を発見することが可能となったからである。(超越的一神教、占星術的宿命論、二元論が体系として明確に定式化されたのは、まさにギリシア的な概念化の助けによってであった。)

 ギリシア文化の隆盛が東方の内的生活にもたらしたいま一つの効果は、東方精神を表層の流れと表層下の流れ、公的伝統と秘密の伝統へと分裂させたことである。すなわち、東方精神のうちヘレニズム化可能なものは世界市民的世俗文化の明確な表層となり、根底的に異質で同化不能のもの──本質的に東方精神のもっとも真正にして独自な諸傾向──は「他者」として排除され地下に潜行し、公的なヘレニズム文明に敵対的な底層流を形成していったのである。

 結論的にいえば、ヘレニズム前期は、東方にとって再生のための準備期間、いわばインキュベートの時期であった。この潜伏期に深い変容の過程が進行し、それが紀元の転回期における東方の突然の噴出をもたらすことになったのである。

[ヘレニズム後期]キリスト紀元から西暦300年頃まで(革命的な精神運動の三世紀)。宗教的・オリエント的ヘレニズムの時代。キリスト教の始まりとほぼ同じ頃、東方の爆発ともいうべき新しい潮流が生じ、それがヘレニズム前期に見られたものとは逆の関係、すなわちギリシア世界のオリエント化をもたらした。しかし、ここで蘇ったものは「古い東方」ではなく、そこにはまったく独自な精神原理が見られるのである。

 オリエント文化の波は、たとえば次の現象となって姿を表わした。──ヘレニズム的ユダヤ教の普及(特にアレキサンドリアのユダヤ教哲学の成立)、バビロニアの占星術と魔術の普及(これは西方世界全般における運命論の普及と時を同じくしている)、ヘレニズム的ローマ世界への種々の東方密儀宗教の普及と精神的密儀宗教への発展、キリスト教の成立、グノーシス運動の活発化、そして新ピュタゴラス主義に始まり新プラトン主義において頂点に達した古代末期の超越哲学。

 これらの現象は、同一の思想風土を共有していた。このことは、この時代に最高潮に達したシンクレティズム──異質な要素の自在な組み合わせ、あるいは様々な伝統が鋳造した思想的通貨(所与の観念やイメージ)の混合──の外的様相によって、かえって見えにくいものになっているが、様々な伝統的諸要素がそのまわりに結晶化されるところの精神的中核、すなわち「グノーシス原理」とでもいうべき新しい精神原理によって導かれていた。

 この原理は東方起源の精神運動(宗教運動)のいたるところに現われるのだが、とりわけ「グノーシス的」という名で総称される精神運動──オリエントの神話群、占星術の教説、イランの神学、ユダヤ的伝統の様々な要素(聖書的であれ律法学的であれ秘教的であれ)、キリスト教の救済=終末論、プラトン主義の術語と概念などありとあらゆる要素を混ぜ合わせた運動──において、もっともラディカルに表出されたのである。

 ヘレニズム後期(古代末期)におけるこのような東方の再登場を通して、ギリシア的という語はその「敵対者」であるキリスト教やグノーシス主義から自らを区別するための語となり、またヘレニズムの世俗文化は、世界宗教が勃興しつつあったこの時代には、きわだって宗教的な性格をもつ異教文化へと変じていった。(ギリシア主義すなわち異教主義を掲げたプロティノス。)

 しかし、全古代文明が宗教へと方向転換したこの時代の闘争全体は、あくまでギリシア的な枠組みの中で、すなわち普遍的なギリシアの文化と言語という単一の宇宙の中で行われたのであって、それは、この闘争の最終的勝利者となった東方のキリスト教会がまさにギリシアの後継者であったということにも示されている。

[キリスト教以後]ローマ帝国の広大な版図のなかで、「東方」と「西方」は新たな意味をもってくる。すなわち、ローマ世界の「ギリシア的半分」としての東方と、その「ラテン的半分」としての西方である。それはテオドシウス帝以後のローマの東西分裂のなかに最終的な政治的表現を見出し、そしてギリシア教会とラテン教会へのキリスト教の分裂が、宗教的教義の分野における同一の文化的状況を反映していたのである。


【155】オリゲネスの遺産・グノーシスの5(補遺と余録)

*個人的な覚書(その一)。仮晶[pseudomorph]について。──以前、アドルノの『否定弁証法』(木田元他訳,作品社)を読んでいて、<芸術と哲学とがその共通点をもつのは、形式や形態化の手続きにおいてではなく、偽晶[プソイド・モルフォーゼ]を禁ずるような、そのふるまい方においてである。>(序論第7節)という文章に出くわしました。

 ここに出てくる「偽晶」なる耳慣れない言葉(訳語としては「仮晶」が一般的)に興味をひかれながらも調査を怠っていたのですが、『グノーシスの宗教』では、オリエント前期における東方思想のギリシア的「擬態」──たとえば占星術的宿命論と魔術が共感と宇宙的な法という教説をそなえたストア派の宇宙論の衣装をまとい、宗教的二元論がプラトン主義の衣装をまとうなど──を表現するために使用されていました。

 ハンス・ヨナスは、グノーシス主義を「キリスト教の急性のギリシア化」と規定し正統神学を「慢性のギリシア化」と規定したアドルフ・フォン・ハルナックの定式を紹介し、これはグノーシスという概念がまとっているギリシア的外観にまどわされた議論であって、グノーシス主義は「ギリシア化」とも「キリスト教」ともまったく異質な、それ以前には知られていなかった精神的実体をもつものなのだと述べた後で、次のように書いています。

<とはいえハルナックにも半分の真理はある。彼の説は、新しい東洋の知恵の運命にとってその元来の実体とほとんど同じくらい本質的な一つの事実を表現しているのである。つまりシュペングラーが[『西洋の没落』で]「仮晶」と呼んだ事実であ[る]。……崩壊した結晶体が地層のなかに残した空洞に別の結晶物質が入り込んだ場合、その結晶形態は空洞の形状によって定められてしまい、本来の形を取ることができない。そして観察者は化学分析によらなければ、これを以前その空洞にあった結晶と取り違えることがある。このような結晶形成を鉱物学では「仮晶」と呼ぶ。シュペングラーはこの分野のアマチュアにすぎなかったが、彼一流の鋭い直観で、われわれの扱っている時代にもこれと類似した状況があることを洞見し、その時代の発言を理解するにはつねにこのことをまず認識してかからねばならないと主張した。彼によれば、解体しつつあったギリシア思想が、このたとえの古い結晶に、東方思想がその鋳型に押し込まれた新しい実質に相当することになる。>(60頁)

 要するに「仮晶」はここで、その内部構造に応じた本来の外的形態をとらない(あるいは他の観念形態によって擬態した)思想や観念、概念の比喩として使用されているのです。(これは使える!)

*個人的な覚書(その二)。シンクレティズムについて。──ハンス・ヨナスは、思想の伝達と文化の融合に関して、次のように書いています。

<文化の融合がもっともよくなされうるのは、各々の思想が特定の地域的、社会的、民族的諸条件から解放されて、ある程度の一般的妥当性をもつようになり、それによって思想の伝達と交換が可能になったときである。そうなれば、思想はもはやアテネのポリスとかオリエントのカースト的社会といった特定の歴史的事実には拘束されない。それは抽象的原理という、より自由な形式へと移行する。抽象的原理は、全人類的な妥当性を主張できるし、人々はそれを学ぶことができる。議論によって支えられ、理性的討論の場で他のさまざまな思想と競うこともできるわけである。>(23頁)

 また、アレクサンダー東征前夜の東方世界で進行していた宗教的シンクレティズムと神学的抽象(すなわち地域的な文化内容の観念形態[イデオロギー]への変容)に関して、ユダヤの超越的一神教、バビロニアの占星術的宿命論、イラン(ゾロアスター教)の二元論に言及した後で、次のように書いています。

<これに類した過程は東方全体で起こっていたと考えてよい。それによって元来は民族的かつ地域的だった信仰が、国際的な思想交流の要素たりうるものに変わっていった。これらの過程は全体として教義化の方向を目指していた。すなわち、伝統の総体から原理が抽象され、整合的な教義へと展開されてゆく過程である。>(38頁)

 これらの文章を読んでいて、私はふと「情報神学」なる言葉を想起しました。誰がどこで使っていた言葉なのか、それとも私の勝手な造語なのか、それはよく分かりませんが、ここでは「神」の生産と流通と保存と消費の全プロセス(あるいは浮遊する無意識の感染と撃退と変容の全プロセス)を「情報過程」ととらえる学問、西洋思想に即していえば形而上学がもつメディアとしての機能を意識化する試み、といった事柄を想定しています。

 いま一つ思いつきを述べると、情報神学が集団的な思想や観念の存在と生成の様態を対象とするのに対して、個人的なそれを対象とするものは、たとえば「神経哲学」とでも名づけることができるのではないか。

*個人的な覚書(その三)。──グノーシス主義において人間が肉と魂と霊の合成物であるとされたことに関して、思うところが三つありました。そして、それらは密接に関係するように思えるのですが、ここでは深く追究せず、書き止めておくだけにしておきます。

 その一は、ヘーゲル『大論理学』の第一巻「有論」は「肉」を、第二巻「本質論」は「魂」を、第三巻「概念論」は「霊」をそれぞれ扱っていたのではないかということです。その二は、グノーシス主義において(というより古代末期において)「魂」とは、実は現代的な意味での「生命」にほかならなかったのではないかということです。

(「魂」が「生命」だとすると、さしずめ「肉」は「物質」に、「霊」は「エネルギー」──19世紀西洋流にいえば電気とか磁気──に相当することになるのでしょうか。あるいは、最近日本実業出版社から「ニューサイエンス」入門書として刊行された『新版パラダイム・ブック』の章建てに従うならば、肉=物質、魂=生命、霊=意識となるのでしょうか。)

 その三は、いわゆる唯物論と観念論はグノーシス主義において高次元で統合されているということです。人間は「肉」としては物質ですが「霊」においてこれを超越しており、そして物質世界で創造される「魂」という器官は同時に霊的次元へと至る通路でもあるのです。(もっともこの第三の点は、グノーシス主義の反宇宙的性格がもたらす印象だという方が正しいでしょう。蛇足を加える、グノーシス主義の反宇宙性は物質世界の実在を否認するといった趣旨のものではありません。)

*個人的な覚書(その四)。──気になる文章をいくつか。

 アレクサンダー東征以後の新しいギリシア植民地をめぐって。──<これは地中海沿岸に建設された古いギリシア植民地との重要な相違を示している。後者は、「夷狄」の住む広大な内陸部の辺縁に建設された純粋にギリシア的な植民地であって、植民者と原住民との融合がはかられることはなかった。アレクサンダーの行路にそってなされた植民はこれとは異なっている。この植民は明らかに東方のギリシア化ではあるとしても、その成功のためにはある種の相互性を必要とするような、植民者と原住民とのまったく新しいタイプの共生を──アレクサンダー自身のプログラムの一部として──最初から意図していた。この新たな地政学的領域においてギリシア的要素はもはや母国との地理的連続性にも、また一般に従来のギリシア世界にも執着することなく、ヘレニズム的帝国の内陸部深く拡大していった。>(25-6頁)

 アレクサンダー東征前夜のオリエントの文化的停滞をめぐって。それがとくにエジプトの場合に顕著であったことについて。──<われわれは活動性を偏愛するので文明の不動性を石化として貶めがちであるが、それはまたある生き方(a system of life)の到達した完成をしるしづけるものだとも考えることができる。そしてこの考察がエジプトの場合にもあてはまるかもしれないのである。>(34頁)

 シンクレティズムとアレゴリーをめぐって。──<だが厳密に言えばシンクレティズムとは宗教現象を指す述語である。その内容は、古い「テオクラシー」(theocrasy)という語がより適切に表現しているように、神々の混合ということだ。それはこの時期の核心をなす現象である。しかも他の点ではヘレニズムと同じようなさまざまの思想や文化的価値の交錯に馴染んだわれわれの時代経験のなかにも正確な等価物を見出せない現象である。まさにこの過程がたえず範囲を拡大し奥行きを深めてゆくことによって、第一の時期から第二の時期、つまり宗教的・オリエント的ヘレニズムの時期への移行が実現する。「テオクラシー」は神話のなかにも崇拝のなかにも見ることができる。そのもっとも重要な論理的道具の一つは、すでに哲学が宗教と神話を扱う方法として用いていたアレゴリー[引用者註:アレキサンドリアのフィロンやオリゲネスによる聖書の「比喩的解釈」の意か]であった。>(41-2頁)


【156】オリゲネスの遺産・グノーシスの6

 ハンス・ヨナスに導かれて、グノーシス主義の基本信条とその文明史的背景を概観してきました。要約すると、グノーシス主義とは神・宇宙に関する準合理的な思想体系(理論)と人間の本性に関する救済論的な知識概念(実践)とが結合した新たな精神原理であり、ヘレニズム後期(古代末期)の地中海世界において、キリスト教とともに反ギリシア的な「東方の爆発」をリードした精神運動(宗教運動)の代表でありました。

 今回は、グノーシス主義が現代においてもつ意義をめぐるハンス・ヨナスの議論を紹介するに先だって、『グノーシスの宗教』第三部前半の叙述に準拠しながら、理論的な宇宙論と実践的な人間論(道徳論)の二つの側面におけるその反ギリシア性を粗描しておくことにします。このことを通じて、グノーシス主義の現代性の輪郭がおぼろげに示されると同時に、プロティノスやオリゲネスがグノーシス主義とどのような関係にあったのかという私の当面の関心事に関する手がかりが得られるように思うからです。

[コスモスをめぐって]高貴な性質としての「秩序」一般を意味するコスモスは、ギリシア精神にとって最高の宗教的尊厳をもつ語であった。そこでは、秩序の感性的様相は美でありその内的原理は理性であったから、コスモスと呼ばれる有限な自然的宇宙は神的実体と見なされ、しばしば唯一の神とさえ考えられたのである。(たとえばストア派の一元論において、宇宙と神とは完全に同一視されるにいたった。)

 しかし、超世界的というより反世界的な神性の概念を抱くグノーシス主義者たちによって、秩序と法としてのコスモス(宇宙)と神との至高の統一は解体された。神的内容を抜きとられ人間の内的本質とは無縁なものとなった宇宙は、苛酷で敵意に満ちた秩序をもち暴虐にして邪悪な法に支配された、憎悪と戦慄と軽蔑の対象となったのである。

 このようなグノーシス思想を惹起したものは、宇宙における人間の孤独、大宇宙に対して自分がまったくの他者であることの苦痛に満ちた発見だった。そして、人間を本質的に世界とは別の領域(超世界的な神の領域)に帰属するものと考える、この二元論的な感性がグノーシス的態度全体の根底をなしている。

 グノーシス的な宇宙観は「内世界的悲観主義」に染め上げられている。しかし、そこでは神の領域は自然的宇宙の「彼方」に設定されているのであって、たとえ世界が悪であり人間を奴隷状態におくための牢獄だとしても、世界の外なる神の善性は存在し、人間は最終的に救済される。すなわちグノーシス的ビジョンは、全体として見れば悲観主義的でも楽観主義的でもなく、終末論的なのである。

 一方、グノーシス主義の「涜神的態度」に対するギリシア側の反駁は、たとえばプロティノスによって展開された。彼は、人間と全宇宙(コスモス)との本質的かつ根源的な類的共通性を主張し、グノーシス主義の反宇宙的傾向──宇宙の最高の要素たち、そして「われわれの魂の姉である世界霊魂」ですら、そこでは価値が否定される──を非難したのである。

(また、自らの非宇宙的傾向にもかかわらず、キリスト教の側からもグノーシス主義の過激な二元論への抗議が表明された。ただしそれは、宇宙に神が内在するというギリシア的観念からではなく、創造と神の世界支配に関する聖書の教義に基づくものであって、むしろキリスト教はグノーシス主義と同じ精神的土台を共有していたのである。)

 しかしながら、グノーシス主義の反宇宙的傾向が示しているのは根本的に新しい態度の正確な表現であり、われわれ現代人はその遠い後継者である。すなわち、グノーシス的態度が想定しているのは「存在における絶対的な差異」(人間と世界の分裂という内在的経験の次元における二元論とその論理的帰結としての神と世界のラディカルな二元論)であり「人間の新しい形式」なのであって、それは、プロティノスが立脚していたギリシア的な「価値における差異」(客観的世界の広大な階層構造におけるコスモスと人間との同族関係)の立場よりも「現代的」なのである。

 かくして、古代の汎神論的ないしは汎ロゴス主義的な「コスモスへの敬神」は、グノーシス主義のなかで粉微塵に砕けた。世界の非精神化[despiritualizing]と超越的な神の措定との深い連関のなかで、自然の一切の事物と共約不能なものとしての「自己」が発見されたからである。後にも先にも、人間と世界、生とその創造者との間にこれほどの深淵が開いたことはなく、宇宙(コスモス)における孤独と絶望、そして自己の超越的優越性の感情がこれほどまでに人間の意識をとらえたことはなかった。

(グノーシス主義の現代性に関する留意点。──グノーシス主義における宇宙は、人間を神と無縁なものにする力と意志を担う自律的かつ分離主義的な権力にほかならず、この点で、中性的かつ価値とは無縁な物理学的事実にすぎない現代の宇宙観のもとでのそれとは異なっている。)

[徳と魂をめぐって]グノーシス主義の反宇宙的傾向が倫理においてもつ意味は、プロティノスが指摘しているように、ギリシア的な意味での徳の理論をもたないということである。ギリシアの哲学者にとって「神に目をむける」とは、コスモス(全宇宙)を包む神性の内部における階層化された表現としてすべての存在を見ることを意味したが、グノーシス主義者にとってのそれは、神と自己のあいだに介在するすべての実在を一挙に飛び越えることだったのであり、したがって彼らは、一切の世俗的規範の外側に生きたのである。(それは、キリスト教を含む当時の新しい超越的宗教全体に共通する精神でもあった。)

 また、その根源的な宇宙への軽蔑は、魂(プシュケー)に対する軽蔑をも含むものであった。というのも、グノーシス主義的二元論にとっては、肉と魂と霊からなる人間を世界に帰属させる霊的器官としての「魂」──霊(プネウマ)の地上的外被であり、人間のなかにある世界の代表者である魂──は、身体に劣らず宇宙的諸権力の流出物であり、世界に沈みこんだ自己に対する彼ら(アルコーン)の支配の道具であるとされたからである。

 この霊と魂との内的二元性は、宇宙の本質についての深い悲観主義が救済論的な楽観主義によって補償されていたのと同様、魂の本質(宇宙の奴隷としての魂)についての深い悲観主義が「霊の自由」への圧倒的な信頼によって補填されるといった関係にあり、人間が自らの魂の殻を脱ぎ捨て絶対的な「自己」の神性を経験する可能性を約束するものであった。そしてそこから帰結されるグノーシス主義の「徳目」──道徳的ニヒリズムに基づく放埒主義と反世俗的な禁欲主義──は、徳に関するギリシア的な意味にラディカルな変更を加えたものであった。

 まず放埒主義は、人間はその本性によって救われていると主張する。ここでいう人間の本性とは「霊的人間」、すなわち人間は超世界的な神性の領域と直接結びついているということである。このような超越は、プラトン主義の「叡知界」やユダヤ教の世界の主とも異なって、感性的世界に対していささかの肯定的関係をももたないもっともラディカルなものである。放埒主義は、やがて世俗的道徳への無関心から積極的な背徳主義へと転化し、救済への道としての罪という転倒した神学的教説を経て中世の悪魔主義へとつながっていく。

 一方、マルキオンやマニに際立った例を見ることができる禁欲主義は、世界の腐食的な力による汚染の危険を真剣に受け止め、やがて非宇宙的な準拠枠によって規定された(世界への軽蔑・敵意と人間の自然的価値への軽視に基づく)新しい意味の「徳」を生み出すことになった。それは謙虚さであり、わけても自己放棄の徳である。しかしこれらは、人間が自己完成に達する能力を欠いているという認識の上に成り立つものであって、むしろギリシア的な徳(アレテーすなわち人間の自然的能力の発展によって到達しうる「卓越」)の否認なのである。

 グノーシス主義における放埒主義と禁欲主義は、前者が密教的傾向をもち後者が顕教的であるという違いがある。しかし両者はいずれも、自然への(したがって世俗的道徳への)忠誠の拒絶という同一の根本主張によって支えられていた。とりわけ、人間の内的自己が神的実在と直接的に結びついているとする、魂の本質をめぐるグノーシス主義の基本的観念は──もちろんそれは、ヘルメス文書に見られる「魂の上昇」(死後の魂が宇宙の諸天球を通過する過程で次々に衣服を脱ぎ捨てながら神的世界へと超越する)のような霊的変容のプロセスを必要とするものではあったが──徳の場合と同様、当時の一般的な宗教的潮流に属していたのである。

 神秘的なエクスタシー(有限なるものの中での無限なるものの体験)にきわまるこうした内的上昇の観念は、アレキサンドリアのフィロンによって先取りされ、プロティノスと彼に続く新プラトン学派によって概念的に組織化され、またオリゲネスによる理論的定礎に基づく東方キリスト教の神秘主義的修道士たちによって実践的課題として取り組まれた。

 結び。グノーシスとは神についての知識であった。しかしこの神は既知の一切のものに対して「他者」であり、原理的に知られざる神である。したがってグノーシスとは、認識不可能性についての知識にほかならない。そして、否定によってその属性を記述するしかないこの異邦の神のメッセージは、何世紀もの時を超えて現代に響きわたっているのである。(ちなみに『グノーシスの宗教』の副題は‘The Message of the Alien God and the Beginnings of Christianity ’である。)


【157】オリゲネスの遺産・グノーシスの7

 ハンス・ヨナスによれば、シュペングラーは『西洋の没落』で、キリスト紀元最初の数世紀におけるギリシア・ローマ世界と現代の二つの時代が「同時代的」であると書いているそうです。ハンス・ヨナスもまた、現代とグノーシスの時代との間に「広汎な類似」を見出しています。

 それはとりわけ、現代(当時)の実存主義の本質が一種の二元論であり、人間と世界の疎遠化という「宇宙的ニヒリズム」に根ざしていたのと同様の自然観の変化が、歴史上ただ一度、深い混乱のうちにあったキリスト紀元最初の三世紀において、わけてもグノーシス的な精神運動のうちに──近代の科学思想に似たいかなるものとの接触もなしに──もっともラディカルなかたちで体験された点に見ることができるものです。

 ハンス・ヨナスは『グノーシスと宗教』のエピローグ「グノーシス主義、実存主義、ニヒリズム」で、パスカルやニーチェを引用しつつ、ニヒリズムをキーワードとしてこれら二つの時代をめぐる実験的な比較論を展開しているのですが、ここでは、彼自身がそのもとで学んだハイデガーをめぐる叙述(ただしハンス・ヨナスは、「実存主義者」であった前期ハイデガーに限定して論じている)を「要約」します。

[その一]ハイデガーは『ヒューマニズム書簡』で、人間を「理性的動物」とする古典的定義を批判している。そこで重要なのは、一切の規定可能な人間の「本性」を拒否しようとする彼の態度である。いかなる本性ももたぬものはいかなる規範ももたないのであって、超-本質的で自由に自己を投企する実存というハイデガーの概念は、プネウマ(霊)の超-心理的否定性というグノーシス的概念と類似している。

「われわれが誰であり、何になったか。われわれはどこにいて、どこに投げ込まれたのか。われわれはどこに向かって急ぎ、どこから救済されるのか。生誕とは何か。再生とは何か。──これらについての知識がわれわれを自由にする。」──このヴァレンティノス派の公式に見られる「投げ込まれた」という言葉は、パスカルの「無限に広い空間に投げ込まれ[沈められ]」という文章やハイデガーの「被投性[Geworfenheit]」を想起させる。ハイデガーの「被投性」は元来グノーシス的なものである。

 また、ヴァレンティノス派の公式には過去と未来はあるが現在がない。現在とはグノーシス的瞬間そのものであり、終末論的な「いま」という究極的な危機における一方から他方への転換点であるにすぎない。グノーシスの公式において人間は時間のなかに「投げ込まれて」いるが、人間の起源と目的は「永遠性」のなかにある。──グノーシスの宇宙的ニヒリズムにはこのような形而上学的な背景があるのであって、この点が現代のニヒリズムとの決定的な違いである。

[その二]ハイデガーが『存在と時間』で試みている基礎的存在論は、自己が実存する様態を示す基礎的なカテゴリーである「実存態」にしたがって展開される。ここでいう実存態は、対象世界の実在構造(認識構造)を示すカントの客観的カテゴリーとは異なって、その実在化の構造──それによって「世界」が受け入れられ、自己が連続的事象として生成されるところの内的時間の能動的運動の機能的構造──を解明する内的(心的)時間のカテゴリーである。

 ハイデガーによるこの実存のカテゴリーは深く時間性に根ざした意味をもち、実存の真の次元である内的時間を時制において解明するものなのだが、過去・現在・未来の三項に実存態を分類してみると──驚くべきことに──少なくとも真正あるいは本来的な実存の様態に関するものは「現在」に含まれないのである。(ヴァレンティノス派の公式を想起せよ。)

 たとえば、事実性、必然性、既在性、負い目は過去の実存様態であり、死の予期、配慮、覚悟は未来の実存様態である。ところが現在に属するものは、自己放棄や降伏(Verfallenheit)といった非本来的な実存態でしかない。すなわち、現在とは真の実存が退廃し堕落したもの──派生的で「欠如的」な実存様態──でしかない。実存的に真正な現在とは、それ自身の権利における独立的次元ではなく、投企される未来が与えられた過去に反作用を及ぼすとき、いわば決意の光の中で閃く「瞬間」(Augenblick)なのである。

 またハイデガーは諸事物の現前について、それらはまずもって手元にある利用可能なものとして未来-過去の力動に含まれているが、一方でたんに「私の前に立っている」(フォアハンデン)無関係な対象ともなりうるものであって、この「フォアハンデンハイト」の様態は実存の側の虚偽の現在(フェアファレンハイト)に対する客観的な対応物なのだと述べている。

 この様態における諸事物(フォアハンデンなもの)は、いわば裸にされ物言わぬ事物性にまで疎外されたもの、すなわち「存在の欠如態」であり、このような自然の客観化に対応するのが「実存の欠如態」──配慮の未来性からたんなる傍観者的な好奇心の虚偽的現在への実存の転落──なのである。

 実存主義におけるこのような自然概念の降格は、自然科学が自然から一切の霊性を剥奪したことを反映している。実存主義ほど自然に無関心な哲学はかつてなかったのであり、それはグノーシス的な自然蔑視と相通じるものがある。古代人は観照(テオーリア)によって「それ自体としてある自然」すなわち「存在」を眺め、その対象の現前によって自らを現在のなかに安らわせていたのだが、もし「ただあるだけのもの」(実存主義やグノーシス主義における自然)しか残らないとすれば、観照はかつての高貴な地位を失うしかない。

 ところで、観照がかつて尊厳をもっていたのは、観照とは事物のかたちのなかの永遠的な対象──生成の透かし画を通して輝き出る不動の存在の超越──を眺めることであるというプラトン主義的な含意ゆえであった。不動の存在とは永遠の現在であり、したがって観照は時間的現在のつかのまの持続のなかでそれに参与することであった。このような観念と理想の世界の消滅、すなわち永遠性の(そしてまた真正の現在の)喪失こそ、ハイデガーがニーチェのいう「神は死せり」の真の意味だと考えていたものである。そしてハイデガーの実存図式のラディカルな時間性の根底にあるものが、ニヒリズムの根底にもある。

 現代のニヒリズムはグノーシス的ニヒリズムよりも深く、無限にラディカルで絶望的なものである。グノーシス主義における自然は反神的かつ反人間的な敵意あるものであり、人間はそこに「投げ込まれた」存在なのだが、しかしそこには永遠性への否定的超越という形而上学的背景があった。これに対して、現代のニヒリズムにおける自然はたんに「無関心」なものであって、人間はこれによって盲目的に「投げ上げられた」偶然的な存在にすぎず、そこでは実存はたえず未来にかかわるのだが、それは究極的には死に至る虚無から虚無への投企でしかないのである。

 現代のニヒリズムの「非形而上学的二元性」がもたらす孤立した自己性への凝視から逃れて、人は「一元論的自然主義」に乗り換えたくなるかもしれない。しかしそれは、人間と自然(実在の全体)との間の分裂というニヒリズムの根底にある深淵だけでなく、人間性の観念をも廃棄してしまうだろう。二元論的な裂け目を回避し、しかも人間の人間性を維持するに足るだけの二元論的洞察を救い出すような第三の道が開かれているかどうか、哲学はそれを見出さねばならない。


【158】オリゲネスの遺産・グノーシスの8

 死海文書の発見に先立つこと二年、1945年12月、アレキサンドリアから南方約千キロメートルのナイル河西岸の小さな町ナグ・ハマディで、十三冊のコプト語パピルス古写本が発見されました。この「ナグ・ハマディ文書」と名づけられた古写本の大半は、グノーシス主義の原資料に当たるものでした。

 今回取り上げる『トマス福音書』は、その第二写本に含まれていたものです。これは百十四のイエスの言葉を収録した「語録福音書」で、オリゲネスが『ルカ福音書講解説教』(232)で異端的福音書の一つに挙げたものです。(ちなみに、第一写本は、ある古代キリスト教史家からユングに誕生日のプレゼントとして贈られ、後にアレキサンドリアのコプト博物館に返却されるまで「ユング写本」と呼ばれていたそうです。)

 荒井献氏の『トマスによる福音書』(講談社学術文庫)によると、『トマス福音書』はほぼ次のような神話論を前提にして編集されています。──<はじめに「父」と「母」と「子」があった。人間は「子ら」として「父」(と「子」)の本質「光」を、あるいは「母」の本質「魂」を保有しているが、「神」(創造神)によって「天地」と「肉体」の中で支配されている。「子」なるイエスの啓示によってその本質を認識し、「単独者」となれば、終極において始源に復するであろう。>(55頁)

 荒井氏は、もしこのような復元が正しいとすれば、それは基本的にグノーシス神話の「原型」(*)に一致することになり、そうであるとすれば、『トマス福音書』のイエス語録はヴァレンティノス派その他のグノーシス神話の形成にその素材を提示したと見てよいのではないかと書いています。

 さて、グノーシス主義をめぐる最後の話題として、ここでは『トマス福音書』のキーワードの一つである「単独者」という表現に着目します。そうすることで、これまで取り上げることができなかったグノーシス主義の性的観念の「香り」に触れることができるのではないかと思うからです。

 荒井氏によれば、「単独者」には二つの意味が込められていて、その一は血縁的同族関係あるいはこれによって象徴される世俗からの自立者の意、その二は性別を超えた両性具有者もしくは統合者──男と女の二つに分裂している現実の性別を原初的な「男-女」の対へと一つにする、原初的統合の回復者──の象徴です。(この意味では、「単独者」は単性者もしくは単性生殖者というべきかもしれない。)

 ここでより深いのは第二の意味であって、それはたとえばイエスの次のような言葉のうちに表現されています。

「あなたがたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、あなたがたが、男と女を一人(単独者)にして、男を男でないように、女を女(でないよう)にするならば、あなたがたが、一つの目の代わりに目をつくり、一つの手の代わりに一つの手をつくり、一つの足の代わりに一つの足をつくり、一つの像の代わりに一つの像をつくるときに、そのときにあなたがたは、[御国に]入るであろう」(『トマス福音書』22)

「あなたがたがあなたがたの恥を取り去り、あなたがたの着物を脱ぎ、小さな子供たちのように、それらをあなたがたの足下に置き、それらを踏みつけるときに、そのときにあなたがたは、生ける者の子を[見るであろう]。そして、あなたがたは恐れることがないであろう」(同37)──なお、荒井氏は「恥」を「性」と、「着物」を「肉体」と解読している。

「もしあなたがたが二つのものを一つとするならば、あなたがたは人の子らとなるであろう。そして、あなたがたが、『山よ、移れ』と言うならば、山は移るであろう」(同106)

 この第二の意味での「単独者」は(論理必然的に)両性具有の「原人」神話を前提にしているはずであり、そうであれば、至高者の隠喩は「父にして母」でなければならないことになります。荒井氏によれば、この隠喩の名残りはイエスの次の言葉に見出すことができます。そこでイエスは、一方で肉親を否認し、他方で「真実の」父と母を是認しているのです。

「私のようにその父と母を憎まない者は、私の[弟子]であることができないであろう。そして、私のように[その父]とその母を愛する[ことのない]者は、私の[弟子]であることができないであろう。……[私の]真実の[母]は私に命を与えた」(同101)

*荒井氏によって「理念型」的に構成されたグノーシス神話の「原型」。──<はじめに上界に、至高者(「原父[プロパテール]」「父[パテール]」またが「霊[プネウマ]」)があった。彼は女性的属性(「思い[エンノイア]」「知恵[ソフィア]」または「魂[プシューケー]」)と対をなし、彼らの「子」と、いわば「三位一体」を形成していた(この三体は……「父」と男女二体の「子」から成り立っている場合もある)。/女性的属性は至高者(または男性の「子」)を離れて、上界から中間界へと脱落し、ここで「諸権威[エクスウーシアイ]」あるいは「支配者たち[アルコンテス]」を産む。彼ら──とりわけその長なるデーミウールゴス──は、至高者の存在を知らずに、「母」を陵辱し、下(地)界と人間を形成する。こうしてデーミウールゴスは「万物の主」たることを誇示し、中間界と下界をその支配下におく。しかし至高者は、女性的属性を通じて人間にその本質(霊)を確保しておく。デーミウールゴスの支配下にある人間は、自己の本質を知らずに、あるいはそれを忘却し、「無知」の虜となっている。人間は自力でこの本質を認識することができない。そこで至高者は、下界にその「子」を啓示者として遣わし、人間にその本質を啓示する。それによって人間は自己にめざめ、自己を認識して、「子」と共に上界へと帰昇する。中間界と下界(宇宙全体)は解体され、万物は上界の本質(霊)に帰一し、こうして「万物の更新」が成就する。>(103-4頁)

*荒井氏によるグノーシス主義の定義。──<それは、端的にいえば、人間の本来的自己と、宇宙を否定的に超えた究極的存在(至高者)とが、本質的に同一であるという「認識」(ギリシア語の「グノーシス」)を救済とみなす宗教思想のことである。>(102-3頁)

 また荒井氏は、グノーシス主義の「解釈原理」について次のように述べている。──グノーシス神話は、<「反宇宙的・本来的自己の認識」をいわば「解釈原理」として、既存の諸宗教に固有な神話、ないしはそれらの神話を内包するテキスト[引用者註:『旧約聖書』もこれに含まれる]を解釈し、それをグノーシス神話に変形することによって>(105頁)形成されたものであって、この意味で、グノーシス神話は本質的に「創作神話」なのである。(仮晶を本来の外的構造とする、あるいは仮晶形成力をもつパラサイトとしてのグノーシス原理?)