【15】 探究する精神

 儀礼のクライマックスにおいて個々の振舞いはあたかも象形文字と化して一冊の書物を編纂し、また天空からあるいは神話的太古から聴く者をして恍惚と畏怖の念を覚えさせずにはおかない神々しい声が響いてくる。これらのきれぎれの断片、解読不能の体験をめぐる解釈と言説編制の過程、精神としての言語が自らを対象とする探究の過程が、言説過程である。

 精神の運動(あるいは脳内過程)の四つの展開。第一は、精神が自ら産出した事象の意味を問うこと、すなわち主観としての精神が客観としての事象の成り立ちを探究することである。このような探究は、諸事象相互の関係を因果の鎖によって説明することをもって開始されるだろう。(儀礼過程の稼働原理であった目的─役割体系を結果─原因という時間的連鎖のうちに翻訳することで、精神は客観世界の中に因果関係という法則を「発見」するわけである。)

 第二は、精神が事象にかかわっていくこと、客観を客観として確定することそれ自体を探究の対象とすることである。その端緒は、客観的事象が生起する場の根底に名状しがたい深みを見出すこと、さらには精神そのものが内蔵する深層(無意識)との構造的同型性や相互変換可能性といった論理関係を見出すことに求められるだろう。

 第三は、探究する精神のそもそもの成り立ちを問い、その探究過程そのものを探究の対象とすることである。その結果、精神が自らを一個の客体として、いわば意味探究の欲望の力によって稼働する機械として観念し、自らの存在の意味を探究不能な上位の法則のうちに委ねるか、あるいは世界を成り立たせる階層を順次上昇し、究極的には高次の精神(より大きな脳)によって包摂され理解されるという不可思議な回路を経て救済される(自らの存在の意味が解明される)と見るか──世界に対する異なる二つの態度、しかしいずれにせよ超越的な次元の仮構において共通する態度がもたらされるだろう。

 第四は、以上の探究の展開によって獲得された高次の精神を、他者を媒介として個別の精神としての自らのうちに回収することである。他者(異なる脳)は客観世界の単なる一事象ではなく、探究する精神がその探究の光を到達させることのできない特異点である。このような他者との関係は、問題の共同仮構と議論の絶えざる継続によって維持される。問題の共有とこれをめぐる果てしない議論によって形成される共同体(議論共同体)が、探究する精神たちが相互の理解を通じて実践性への契機を不断に自己の内部に繰り込む場なのである。


【16】 言説の四類型

 言説の四類型。第一は、説得の言説である。諸事象間の因果関係を時間軸に沿って説明することで、主体としての発語者が客体としての言説受領者に対して諸事象の関係性を「事実」として、科学的な真実性とともに強制することである。

 第二は、論証の言説である。表層における諸事象の多様性をカテゴライズし深層の構造を抽出すること、そして諸事象の「関係の関係」を深層構造のうちに写像することによって構造間の「論理」的関係を解明すること──このような論証の言説を通じて、私たちの社会における深層の諸構造が相互の同型性や変換可能性といった形式のうちに関係付けられ、管理可能なものとして顕在化されるのである。

 しかし、論証の言説によっては表現できない事柄がある。それは深層構造の存在の意味であり、ひいては諸事象が社会的に生成しあるいは産出されることのうちに孕まれている意味である。このことを言説そのもののかたちにおいて明示するのが(具体的には、臨機応変の比喩や言葉の響き、あるいは発語者の身体に根差した力の発動を通じて感得させるのが)、言説の第三の類型、すなわち教えの言説である。

 教えの言説が諸事象や諸構造の意味を最終的に解明する至高の場を示す特異な言説として流通するためには、なんらかの聖痕をそれ自体のうちに含んでいなければならない。また、教えの言説が語りえぬ領域への言及という私たちの社会における言語の限界を超えた営みを遂行しようとするものである限り、そこには個々の精神たちによる推論を介しての意味の補填、あるいは理解という作業が不可避的に伴わざるを得ないのである。

 教えの言説を他の言説から判然と区別する聖痕の所在を共通の問題として受容し、絶えざる議論を通して教えの言説が示すものの意味内容を補填し理解すること──このような「他者」たちによる共同作業の中心となるのが、言説の第四の類型、すなわち誘惑の言説である。

 誘惑の言説は、教えの言説をその形態において、技術において徹底的に模倣する。また、教えの言説が切り開いた語りえぬ領域をめぐる議論を継続させるとともに、このことを通じて私たちの社会に何らかの価値を注入しようとする。そして誘惑それ自体が目的となったとき、誘惑の言説は、問題の共有という原理の上に成立している共同体を価値の共有という異なる原理に立脚するもの(理解共同体)へと変質させ、実体化させる契機となるのである。


【17】 推論の四類型

 言説の四類型は、推論の四類型に対応している。第一に、説得の言説に対応するのは帰納 である。帰納において、A⇒Bという定式が諸事象間の因果関係を表現していることはいうまでもない。第二に、論証の言説に対応するのは「演繹」である。そこでは、A⇒Bという定式は論理的同型性あるいは同値関係を表現している。

 第三に、教えの言説に対応するのは「洞察」である。そこでは、A⇒Bという定式はその形式自体において意味関係を示している。第四に、誘惑の言説に対応するのは「生産」である。そこでは、A⇒Bという定式は価値を媒介とした理解関係を表現している。

 ここで重要なのは、第三の類型である。というのも、あたかも水晶球に映じた陰影を運命の痕跡として解読するように、珠玉の言説のうちに示されている叡知を私たちの社会の具体的な状況に即して読み取ること──このような洞察の推論を通じて、私たちの社会を超越する存在の可能性が示唆され、これに依拠することで私たちの社会における諸価値の生産が開始されることになるからである。