【2】 私たちの社会の四領域

 私たちの社会の骨格をかたちづくる(仮設的な)二本の線分。第一は、内省言語が流通する私的領域と社交言語が流通する公共的領域を区画する「主客分離」の線分である。第二は、私的領域と公共的領域とを横断しそれぞれにある深みをもたらし構造化する線分、すなわち語りえぬ領域(深層)と語りうる領域(表層)を区画する「表層区画」の線分である。

 私たちの社会の語りえぬ領域を示す言葉は存在する。それはメタ言語的なレトリカルな使用形態における言語である。このような言語の使用によって表現される構造物を「記号」と呼ぼう──記号は何かを象徴し(SYMBOL)もしくは指示し(INDEX)、何かと何かを類似の相において示し(ICON)あるいは異なるものの結合の相において示す(MASK)。

 二本の線分によって確定される私たちの社会の四つの領域。第一は、私たちの社会を構成する諸主体の意識の奥深くに息づき、経験に深みをもたらすとともに生命力あるいは欲望を供給する「無意識」の領域である。第二は、諸主体の意識の表層に位置づけられ、経験のリアリティが感得されるとともに社会的行為が企画され表出される「内省」の領域である。

 第三は、諸主体によるコミュニケーションが設営される公共的領域の表層、諸行為を通じて社会的事象が編成・解体・変換される「社交」の領域である。第四は、私たちの社会の深部にあって、社会過程を稼働させる力を供給するとともに社会的事象の生成・変換の過程を通じて歴史的記憶の集合的な沈殿としての語りえぬ構造物を産出する「記号」の領域である。


【3】 私たちの社会とこの私の世界

 私たちの社会において「この私の世界」はどのような位置にあるのか。ここで、五つの頂点がそれぞれ他のすべての頂点と等距離にあるような多面体を考えてみよう。すると、合同な五つの正四面体から構成される多面体(ペンタヘドロイド)が四次元空間の中に得られるだろう。三次元空間の正四面体が二次元空間の四つの合同な正三角形から構成されるように。

 しかし、このような多面体を図示する方法はない。三次元空間への投影図として得られる正四面体からは、ある不可視の頂点Xが消去されている。私たちの社会において「この私の世界」とは、ペンタヘドロイドから消去された頂点Xのようなものである。(ところで、不可視のXは三次元空間に投影されたペンタヘドロイドの「内部」に位置するのか「外部」に位置するのか。それとも内部・外部の範疇では指示できない場所に位置しているのか。)


【4】 私たちの社会の四作用

 私たちの社会の四作用。第一は、私たちの社会が稼働を開始する端緒、諸主体の意識の奥深くに息づく無意識の領域と内省の領域を連結する「表象」の作用である。第二は、私たちの社会のダイナミクスをつかさどる中核的作用、すなわち諸主体の内省に基づく諸行為の連鎖を通じて様々な社会過程を編纂する「模倣」の作用である。

 第三は、私たちの社会の表層において産出される様々な社会事象を深層の語りえぬ領域へと連結し、集合的・歴史的な構造物として沈殿させる「記憶」の作用である。第四は、無意識の領域へと記号を供給しその意味を解釈・充填することによって、無意識の領域に渦巻く語りえぬ欲望の表象を可能とする記号交換、記号「解釈」の作用である。

 二つのアポリア、あるいは疑似問題。第一は、私的な内省言語と公共的な社交言語の連結の問題である(ホッブス的秩序の問題、民主主義・根本規範の基礎づけの問題、自律倫理のパラドクスなど、私たちの社会の秩序を支える根拠(無根拠)をめぐる数多くのアポリア)。第二は、意識と無意識の、自由意思と決定論の、有限者と無限者(絶対者)の関係の問題である。

 第一のアポリアは模倣と解釈の作用に、第二のアポリアは表象と記憶の作用にそれぞれ関連づけることができる。そして、これらのパラドキシカルな諸問題の共有という事態の成立こそが、私たちの社会を生きたシステムとして稼働させる力の供給源なのである。アポリアが解決されるとき、私たちの社会は形骸化し、諸主体の経験のリアリティは失われるだろう。