【1】「私」をめぐる言語の三類型

 この世界で「私」と発語できるのは「この私」だけである──と私がいう。しかし、このような言明は私たちの社会における特殊な、したがって一般化可能な私的経験の表明にすぎない。少なくとも「この私」の存在の単独性、あるいは根源性を表現しない。

 単独かつ根源的な存在者である「この私」の経験を語る言語(すなわち「この私の世界」を告知する啓示言語)は存在しない。なぜなら、「この私の世界」を語る言語は、「私たちの社会」における諸主体の私的な経験(内省とその結果得られる観念)を記述・表明する言語のうちに回収されるしかないから。

 間違えてはならない。「この私の世界」の言明不可能性はその存在不可能性を意味するわけではない。しかし、このような二重否定の言明のうちにその存在が主張される「この私の世界」とは何か。この謎めいた世界の実質を示すためには、まず「私たちの社会」の稼働原理を究明しておく必要があるだろう。