半世紀振りの弓道再開

弓道春秋へジャーンプ。

昭和40年(1965)春、大学4年のまだ寒さも残る初春(確か卒業式後であったと思うが)の弓道部合宿は、伊勢神宮の道場で行われたと記憶している。その合宿に参加し終了後は、先輩譲りの肥後三郎に矢筒を括り付け、多分関西線から奈良線経由だと思うが、えらくのんびりとした車窓風景の中を、これまたえらく時間がかかる旅をしながら(鈊行に乗ったので、乗換えや急行等の待ち合わせ停車時間の長いこと長いこと)、幾ばくかの志と若干の緊張感を持って京都に来たことを今も鮮明に思い出すのである。 爾来時々弓に触ることがあったが、また京都に来て巻藁を購入し、下宿の軒先で弓を引いたこともあったが、本格的弓道再開には至らなかった。(*下関板が剥がれ、現在は使用できない状態にある。)

これは68才になり約46年振りに弓を再開した記録である。再開のきっかけは、長年勤めた大学や関連学会OBの小さな囲碁の会で、余りに”立派な老人振り”にショックを受けたことによるが、再開の動機は主に次である。

1)まだ若干早いと思うが、老境の嗜みとして、本格的な再開ができるか否か。”本格的”とはそれほど定かでないが、まあまあ本格的の意味とする。

2)10年来の上腕骨外上顆炎(俗にゴルフ肘、テニス肘というらしい。因みに小生はゴルフもテニスもしない)の改善なるか否か。

3)腹の出具合等全身体系(型)の改善なるか否か。

この他、大学生の頃、50年程前に手形を取って作ってもらった弽が、今なお健在で使用できたことも大きな要因である。

2)の説明:10年程前から外(庭)仕事等の腕の使い過ぎから、左肘(ひじ)外側が痛み、しばらく骨接ぎに通ったがなかなか治らず。上腕骨外上顆炎ということであった。痛みがなくなるとまた腕を使い、痛みがぶり返す(左肘外側の一点のみが痛む)の繰り返しであった。病院でのX線撮影により、骨、関節に異常はないことを確認したが、使わないこと以外に特に有効な治療法はないということであった。しかし、腕全体の関連する筋肉の衰えにより、最も弱い部分に過剰な負荷がかかることにより炎症を起こしているのであろうから、周りの関連筋肉を強化することによって、その負荷を分散すれば、結果として痛みも解消するであろうという目論みである。

3)の説明:10年程前から腹が出てきて、ズボンが次々に履けなくなるとともに血圧も高めになっているので、全身的体力の改善により、身体系(型)等が少しでも改善されればと目論んでいる。

以下は日を追っての簡単な記録である。

2011(H23),5/6(金)ほぼ唐突に弓を再開しようと思い立つ。
5/9(月) 思い立ったが吉日で、竹弓(17kg程度、長一郎と呼ぶ)衝動買い。
5/21(土)大津近辺の弓道場を見て回る。
5/22(日)巻藁購入
5/23(月) 大津市弓道協会、滋賀県弓道連盟入会
5/28(土)大津皇子山弓道場で、長一郎で巻藁練習。長一郎はかなり強い。
グラスファイバーやカーボンファイバー製の弓が多く、どうにも実感として解らないので、この頃、二人のA氏に、昨今の弓事情について相談し、アドバイスを受ける。

6/11(土) 袴、胴着購入、巻藁練習。衝動買いの長一郎では、2-3回は引けるが、それ以上は疲労感が出て引けないことが判明。猛反省。道場備付の弓(12-13kg、グラスファイバー製)で巻藁練習。
6/14(火) 道場の弓(12-13kg)で巻藁練習。
46年振りの再開で、昨今の弓道事情が解らず、正に今浦島の感強し。

6/18(土) 巻藁練習。しかし当初からどうしても弓手(左手)が十分伸びない。初めて的場に立つ(道場備えの適当な金属製矢を使う)。1/4的中
6/21(火) 巻藁、的場練習。2/8的中
6/24(金)大学時代に受けた弓道初段と弐段の認許状を、古い書類の中で見つけた。やや感動した。初段:昭和37年5月20日付、弐段:昭和37年11月18日付

6/25(土) 巻藁、的場練習。安土整備(正に半世紀ぶりに安土整備を手伝う)。カーボン矢(六つ矢購入)
7/8(金) 竹弓(14-15kg、長次郎と呼ぶ)購入
7/9(土) 長次郎で弓慣らし。巻き藁で10-15射引く。的場は道場の弓使用。
7/12(火) 長次郎で巻藁10-15射引く。的場は道場の弓使用。昨今の弓道事情にも少し慣れ、今浦島状態は脱却しつつあり。そろそろ長次郎で的場に立てるかと思っている。

7/15(金) 廃材で巻藁台作成
7/23(金)巻藁台設置(屋外に置くので屋根付き、雨濡れ対策有り)
7/24(土) 巻藁開き
午後、長次郎で初めて的場に立つ。的中なし。しかしその際、ある師匠から大三では入っている左肩が、引分けが進むにつれて逃げるとのありがたい指摘を受けた。弓の力に腕、肩の筋力が負けているのであろう。確かに弓手で押すよりも、馬手(右手)で引くとういう感じがある。これが当初からの弓手がまっすぐに伸びずに湾曲する原因であろう。今後の課題である。

弓を再開して1月半ほど経過したが、左手肘については、使うとまだ痛みを感じるが、かなり改善されているように思える。しかし一進一退か。また今まで履けなかったズボンが、気のせいか履けるようになってきた。しばらくこのまま進もう。

8/16(火) 本日の的中率2/10。長次郎の感覚がまだつかめていないようだ。
左ひじの痛みについては、まだ若干痛みが残るが、普段はそれほど感じなくなってきている。ほんの少しの痛みを感じることもあるが、タオルも普通に絞れるようになった。しばらくこのまま進もう。

8/27(土) 弓再開から実質ほぼ3か月が経過した。再開動機の内2)についてはだいぶ改善されている。左手をかなり使っても、当初の”左肘外側の一点のみが痛む”については、ほとんど痛みを感じなくなっている。しばらくこのまま進もう。

8/30(火) 安土整備。長次郎がかあるいは長次郎にか、いずれにしても大分馴染んできたようだ。当初より弓手も伸びてきているし、調子が良いのか的中率もほぼ4割前後になってきている。しばらくこのまま進もう

9/5(火) 最近坐射を心掛けている。50年前の事であり忘れているところもあり、また変わったところもあるが、基本は同じなので、周りの人の指導を受けながら、また本に学びながら何とかこなしている。ただまだ筋肉の準備ができていないので、ぎごちないところもあるであろうが、しばらくこのまま進もう。

9/10(土) 練習終了間際に、坐射体配における重心移動に付いて、ある師匠から注意を受けた。これも大変ありがたいことである。次の練習では早速この点を実践してみよう。

さて、”長一郎”の件だが、この夏中弦を張っておいたので、少しは弱くなっているだろう。確かに素引きをしてみると、何とか引けるかもしれないと思える程度になっている。ただその後しばらくは、両肩がかなり熱を帯びている感がする。この件に関しては、もう少し様子を見よう。

9/27(火) O師匠から馬手の引きが足りない、もう少し右手首の角度を丸みを持たせ、肘を下まで十分に引くように、という指摘を受けた。小生自身も写真を見て、馬手の引きが若干足りないかな、と気にしていたところだったので、早速巻藁での指導をお願いし、巻藁練習。その後十分ではないであろうが、五重十文字の一つ、馬手の親指の腹と弦の十文字、の堅持を心掛けながら的場へ立つ。見事四射四中、偶然も重なったのであろうが気持ちの良いものである。という訳で、とにかくしばらくこのまま進もう。

10/22(土) 初めて滋賀県立武道館で練習。若干道場の勝手が違い、思うような射ができなかったが、道場の雰囲気はつかめた。

11/3(木) 的づけをS師匠に見てもらって、左の矢摺籘が正しく的の中心線に向かっていることを確認した。確かに、手の内を十分利かし、左手の角見と右肘の張合いを利かせば、かなり的中する。よし、これで行こう。

11/20(日) 49年振りの昇段審査(於滋賀県立武道館):参段を受けたがあえ無くダウン。午前中の学科審査は多分OKだったであろうが、午後の実技は一手で的中なし。二射とも矢筋は的の中心線上であったが、甲矢は侯串上ぎりぎりではずれ、乙矢は少し的付けを下げ過ぎたのであろう、結果は掃矢。疲労感の残る一日であった。さらに風が非常に強かったので、そこを考慮する余裕がなかったのは、小生の未熟の致すところであったのであろう。今回は初めてだったので(いろいろ断片的に情報は聞いていたが)様子が解らなかったが、これで審査の時間的流れと会場の様子が理解できた。次からは若干でも計画的に行動できるであろう。弓道を再開して半年であり、体配が未習熟であることを痛感した。次の機会までに、基本体をもっとしっかり修練する必要があると実感した。
学科審査問題:1)会の構成の留意点について述べなさい。2)体配の重要性について述べなさい。

2012,04/23(月)竹弓(12kg程度、長三郎と呼ぶ)購入

2012,07/14(土) 暑い盛りに弓道場の大掃除。安土幕も新調され、総角(あげまき)結びも美しく、緑に映える皇子が丘弓道場的場

2012,07/29(日) 大学時代の弓道の師、大木賢三 範士八段の教えの一部、貴重な 手記が昔の仲間から送られてきた。

大三、引分け、会から離れに至るエッセンスである。弓道の作法、技術的事項は、時代、地域によって変遷があり異なる点もあるが、この大三から離れに至る事項はいつの時代も変わらぬであろう。大木先生が、当時我々に如何に弓道の真髄を教授されていたか、半世紀振りに弓道を再開した小生でも、この手記を観て解るのである。
正に半世紀を経て、師の教えを噛締めている次第である。

2012,11/11(日) 参段、三回目の審査、受審。合格。甲矢は外れ、乙矢は必ず中てようと思い打ち起す。しかし会から離れは、意識の外にあったようだ。意識せずに離れ、矢はほぼ的の中心部に、真直ぐに吸い込まれていった。実に50年(49年と359日)を経ての昇段である。
昭和37年(1962)11月18日 弐段認許
平成24年(2012)11月11日 参段認許
弓道を再開して、ほぼ1年半になるが、これでほぼ完全に復帰できたように思う。新しい仲間の指導を受けつつ、しばらくこのまま進もう。

2012,12/29(土)  弓の再開から1年半余となるので、当初の再開動機の達成度を検証しておこう。

1)本格的な再開ができるか否か:これはほぼ達成できたと思う。

2)10年来の上腕骨外上顆炎(俗にゴルフ肘、テニス肘)の改善なるか否か:この点も、左右どちらの肘が痛かったか忘れる程度に、ほぼ完全に改善できたようだ。

3)腹の出具合等全身体系(型)の改善なるか否か:この点は今一改善されていないようだ。

2013,1/19(土);冬になると弓が強くなる。いろいろ考えた末長三郎を使うことにした。12kgという弓なので握りが細いので、はがきでいわゆる”あんこ”をいくつか作り、自分の手に合わせて厚さを適当に調性し、自分の手に合った握りに変えた。この際握り皮は鹿皮だから毛並みに順と逆がある。手の内の捻りに合わせ逆順に巻く。この方が手の内を造る際摩擦が多く造り易い。このようにして、長三郎で的に立ったが、最初は殆ど的中はなっかった。しかしその内感覚がつかめ、そこそこ的中するようになった。

2013,5/21(火)暖かくなったので、長次郎に変更。

2013,7/28(日)弓道滋賀県大会出場(於:東近江市)。4射中3射的中、残念ながら惜しくも予選で敗退。

2013,9/19(木)永年使った弽(ゆがけ)の機能性に若干支障が出てきたこともあり、また大分傷んできたので、新しい弽(ゆがけ)を新調した。最初どのように引いていいか、離れの感覚が解らず苦労する。この為もあり、2013,9/26(木)から、弓を長三郎に変更する。

2週間ほどで、新しい弽(ゆがけ)に若干慣れてきたようだ。

2013,10,6(日)第37回近畿地域弓道大会出場(於:京都武道センター)。4射1中、敢え無く予選で敗退。

久しぶりの書き込み。

2015,2,20 長三郎より若干弱い弓(長四郎と呼ぶ)を購入。以後、長四郎を使用。

長一郎は若い弓友に譲る。

平成27(2015)年11月23日(月) 四段認許

参段から四段になるのに3年程かかった。 これも昔の射形を自分でなっ得しつつ、皇子が丘の弓友、先輩諸氏の指導を受けながら、離れ、会における右肘の位置等々、一つ一つ修正する為に必要な時間であったと自らなっ得している。以後はその修正された射を基本として、的中率を上げて行こう。

平成29(2017)年3月26日(日)五段認許

奈良県橿原公苑弓道場にて五段審査合格。甲矢、乙矢とも気持ちよく引けた。 幸い現時点で心身ともに健康なので、もうしばらく弓道を続けて行こう。

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左:長一郎、中:長次郎、右:長三郎    戻る

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屋外に巻藁設置、屋根、雨濡れ防止付き。2011,7/23    戻る

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長次郎で巻藁開き 青空の下での巻藁射 周りに生えているのは雑草とコスモス。2011,7/24      
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皇子が丘弓道場 2012,7/14    戻る

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