メッセージ   2013年 11月3日

「人生回り道」
        
(出エジプト記14章1〜4節) 

エジプトの地を決死の覚悟で脱出したモーセ率いるイスラエル人であったが、神様は一旦途中まで引き返すことを命じられた。身に危険が迫るかもしれない状況を考えると、決して穏やかな話ではないが、これには神様の計画があった。荒野をさまよっていると見せかけ、エジプトの王パロにイスラエルを捕えようとさせ…その結果、エジプト人は紅海の水が分かれるという大きな奇跡、神様の栄光を見ることになった。イスラエルの人々も、これによって神様の大いなる力を目の当たりにし、後々にまで語り伝えていくことになる。しかし彼らはこの後も荒野をさ迷い歩くことになる。苦しみの中で、時に神様に叫び、涙する一方、喜びや感謝にあふれる40年を過ごした。

私たちも人生において、引き返すことになったり回り道をしたりすることがある。それ自体は決して喜ばしいことではない。しかし、そのようにスムーズに運ばない状況、すなわち困難を通して、私たちは訓練され、成長し、目指すべきところへと導かれていく。その意味において、引き返すことや回り道は無駄ではない。けれども、それ以上に私たちは、それらの困難を通して、時に泣き叫ぶように祈ることになる。また解決への道が見え始めると大きな感謝と喜びに満たされ祈る。実はそれこそが私たちの生きる意味であり目的なのである。すなわち神様に礼拝を捧げるということである。

「心を尽くして主を尋ね求める人々」の幸いを詩篇作者は語っている。また捕囚から帰還したイスラエル人は、新たな神殿の土台を見て、喜びにあふれた人々がいた一方、その小ささに大声を上げて泣いた人々もいたと言う。回り道ゆえの礼拝の姿である。神様は私たちに、深い関わりを期待しておられる。ゆえに私たちは、時に引き返すことや回り道を求められるのである。