メッセージ   2013年 8月25日

 「わたしの名は不思議という」 
          (士師記13章18節
) 

 子どものなかったマノアの妻に「男の子が生まれる」と主の使いから知らせがあった。その後再び現われた主の使いにマノアが名前を尋ねると「わたしの名は不思議という」と答えられた。この二人から生まれたのがあのサムソンであったことを思うとき、まさに神様の働きは不思議としか言いようがない。

不思議…旧約聖書のあちらこちらで、神様は不思議な方として紹介され、また語られている。「だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行うことができましょうか。」(出エジプト15:10)「まことにあなたは大いなる方、奇しいわざを行なわれる方です。あなただけが神です。」(詩篇86:10)そもそも私たちが今ここに生かされているのは…元をたどればひとつの出会いがあり、そこに命が与えられたからである。その命と命が出会うことによってさらに新しい命を授かり…そのような不思議な出会いの繰り返しによって人の歴史は産み出されていく。かつて私たちと共に信仰生活を送って来られた、故依藤浩子姉のお孫さんが伝道者としての召しを受けて神学校で学んでおられることを、つい最近知ることとなった。まさに神様の不思議な導きに驚くばかりである。

さらに私たちは、不思議という名前を聞くと、イエス・キリストの誕生の預言を思い出す。「ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神…』と呼ばれる」(イザヤ9:6)主イエスは不思議と呼ばれる方として紹介されている。神様がそのひとり子であるイエス・キリストを遣わされ、十字架による救いを与えてくださったのは、私たちにとってまさに不思議なことであった。「そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。」(詩篇139:6