メッセージ   2013年 8月18日

「一概には言えない…という深さ」 
       (ルカの福音書6章1〜5節) 

安息日を守る…神様を覚え礼拝する日とする、身体を休める日とする…それゆえにその日は仕事をしてはならない。これは社会的に弱い立場の人々を守るためにも必要な律法=規定であった。しかし、規定が一人歩きしてしまうと、それを守ることが優先されてしまい、物事の本質を見失ってしまうことにもつながる。主イエスは安息日の規定は人の必要に応じて柔軟に対応すべきであるとした。とは言え、柔軟さはいい加減さと紙一重である。判断や見究めは時に大変難しい。

自殺は罪である…長らくキリスト教会はそのような立場をとってきた。財産を没収する、教会では葬儀をしない…といった規定もあった。その厳しさには自殺を未然に防ぐという意味も込められていた。しかし、歴史の流れの中で自殺に対する考え方もずいぶん変わってきた。たとえば、自死を選んだ人には悔い改めの機会がない…という考え方に対して、それは人間が判断することではない=本人にしかわからない=神様にお任せすることである…と。イエス様を裏切って自殺したユダとて決して聖書自身は永遠の滅びへと断罪しているわけではない。

教育や子育てに関して、基本的には、一般的には…といったとらえ方は大切だが、人それぞれという面も忘れてはならない。個々の状況に応じて判断する必要がある…決して一概には言えないし、本人にしかわからないことがたくさんある。そこに土足で立ち入るような関わりは決してあってはならない。たとえ何か問題が起きたとしても、いわゆる「犯人探し」をしたところで当事者の悩みに寄り添うことにはならないし、解決にもつながらない。

では私たちはどうすれば良いのか…もちろん一概には言えないのだが…まずは「安息日の主」とおっしゃられる主イエスのお心を第一にする…そこから始めたい。