メッセージ   2013年 7月28日

「神様の時」 (証し) (伝道者の書 3章1〜8節) 

 全国大会の事務局より、教会の近況報告と祈りの課題を紹介してほしいという依頼があった。祈りの課題として@新しい方がつながるように A牧師の説教準備のために B離れて行った百数十名の方々のために という三つを挙げた。

 Aに関して、現在勤務している学校では、年々立場や役割が重くなっている。神様から与えられた働きとして受け止めているので、それはそれでやりがいはある。証しの機会もあり、そのつながりの中で教会に来てくださった方も何人かあるので、忙しいこともそれほど苦にならない。しかし、一方で牧師として、特に説教準備に十分時間が取れていないのは事実である。近いうちに、と考えていた大阪聖書学院での働きも逆に遠のいてしまっている。自分なりに「神様の時」が来れば…と祈ってきたが、何れにせよ御言を語るための備えはしっかりしたい。

 Bに関しては、この数年、かつてつながっていた方々が主日礼拝に出席されたり、個人的に再会を果たしたり、といったことが増えている。小野を離れて他の教会につながっている方もおられるが、そうではない方々も多い。どうなっていくことが良いのか簡単には語れないし、それぞれに「神様の時」が備えられていることだろう。私たちの教会が神様によって残されている意味のひとつとして、@の使命と共に、私たち自身が祈り続けたい。

 「神様の時」とは、与えられたチャンスを生かすという意味ではなく、神様が備えて下さっている時、差し出されている導きの御手に気づき、そこに委ねて歩むという信仰者のあり方を示している。時に私たちは、それに気づかず通り過ぎてしまうこともあるが…「神様の時」はそれで終了してしまうものではない。