メッセージ   2013年 7月 7日

「感謝と祝福、注ぎだす祈り」
      
(Tサムエル1章9〜18節)

 子どもがいなかったハンナは、そのことのゆえに辛い日々をすごしていた。「彼女は主に祈って、激しく泣いた」と記されている。さらにその様子を見ていた祭司エリからの問いかけに「主の前に心を注ぎだしていた」と答えている。彼女の全存在をかけた祈りであった。

 結果として彼女の祈りは神様によってかなえられる。それは祈りの熱さによった…わけではない。神様のみ心にかなった祈りだったからである。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」(Tヨハネ5:14)その一方、「私たちはどのようにして祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」(ローマ8:26)ともある。私たちは、聖書の言葉を通して祈ることにより、神の御心にかなった祈りへと導かれるのである。とは言え、神様のみ心にかなうと確信して熱い祈りを捧げても、かなえられないこともある。御心ではなかった…と言ってしまえばそれまでだが、神様のご計画は深くて長い。私たちには計り知れないものである。

 祈り終わった彼女の表情は変わっていた。まだ祈りがかなえられたわけではなかったのに、「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」というエリの言葉によって「彼女の顔はもはや以前のようではなかった」のである。神様によって立てられた人からの祝福の言葉には力がある。祈りがかない、子どもが与えられた後も彼女の神様への思いは変わることがなかった。彼女は与えられた息子を、神様に約束した通り神様にお捧げするため祭司エリに託した。サムエル…彼はやがてイスラエル国家の歴史に大きな影響を及ぼす預言者となっていく。