メッセージ   2013年 6月23日

「コロサイ書拾い読み」 
   (コロサイ人への手紙3章12〜17節)


 コロサイ地方の伝道や教会設立はパウロの愛する兄弟エパフラスによって進められた(1:7)。パウロは実際には足を運んでいないようであるが「いつもあなたがたのために祈り求めています」(1:3)と語っている。

 さて、聖書の信仰は、万物は神によって創造されたという所に立つ。そしキリストもまた万物の源であり、万物に先立って存在し、それらを支配する権威のかしらであるとパウロは語る(1:15〜17、2:10)。この点において、神を自然の中に、自然な存在として、人の視点からとらえようとする日本人の感覚と相容れず、聖書の信仰が広がりにくいゆえんでもある。

 また、神様に愛されている者として、私たちは互いに愛し合うこと、赦されている者として互いに赦しあうことが求められている。そのために私たちはキリストの言葉を心の内にたくわえておくことが大切である。(3:12〜17)そして、それらを教会の交わりの中で、家族とのつながりの中で、遣わされている地域や職場において、具体的に実践していくことが求められている。

 ところでパウロがいつもコロサイの人々のために祈っていたのと同様に、「エパフラスが…いつも…あなたがたのために祈りに励んで」いることも記されている。どれほど相手を励まし勇気付ける言葉であろう。私たちにとって祈りとは単なる社交辞令ではなく、生きて働いてくださる神様の力そのものに直結する。小野教会のことをいつも祈りに覚えてくださっている方々がいる。主イエスも私たちのために祈り、そして聖霊は私たちのうめきをとりなして下さっている。私たちもまた、お互いのために、他の教会の方々のために、そして家族や地域、職場の方々のために祈る者でありたい。