メッセージ   2013年 5月26日

「聖霊によって生きる」
     
(テモテへの手紙第2 3章16節)  

 神のことばである聖書…もちろん「人」の手によって書かれたものが集められてひとつの形となったのだが、その過程において神様がさまざまな方法で働いてくださった。

 この箇所でパウロは「聖書はすべて、神の霊感によるもので…」と語っている。直訳すると「神のいぶきによる」となり、聖書のことばとは神の命が吹き込まれたものだと言える。もっともここでは旧約聖書をさしているが、初代教会において、キリスト者たちは使徒たちを中心に語り継がれていった主イエスの言葉によって生かされていたこと(使徒20:32〜35)や、パウロの手紙が次第に旧約聖書と並ぶようになっていった(Uペテロ3:16)ことを考えてもわかるように、私たちが今日手にしている聖書はまさに神のいぶきが込められたものなのである。

 ところで、ペンテコステにおいて聖霊が降り、教会が誕生した。その後も聖霊は具体的に働き、使徒たちを、そして初代教会を支えたことは使徒の働きに記されている。やがて新約聖書が誕生すると共に、聖霊の働きは聖書の言葉を通して示されるようになっていった。そこに神の命が込められているからである。つまり、私たちが聖霊の導きに委ねる、あるいは働きに期待するとは、聖書の言葉に委ねる、言葉の力に信頼を置くということを意味する。日々の生活において神さまを信じて生きるとは、聖書の言葉と共に生きることに他ならない。

 祈るときはもちろん、一日を始めるときにも、あるいは何か困難に直面した時にも、そして福音を伝えようとする時にも、何より聖書の言葉を心に留めることから始めたい。それがペンテコステから始まった教会の、そして私たちキリスト者のエネルギーの源である。