メッセージ   2013年 3月 3日

「信じること迷うこと」 
     
(ヨハネの黙示録3章15〜16節)

 ラオデキヤの教会は平和だった。良いことである…が、どうもそこに落とし穴があったようである。主イエスは「熱いか冷たいか」であってほしいと願われた。変わらず穏やかに…決して悪いことではないが、信仰においてそのような状態は、結果として祈りが少なくなったりチャレンジする姿勢が欠けてしまったり…信仰の深みから離れる危険が待ち構えている。困難や試練はない方が嬉しいのだが…。

学生時代に親しくしていた信仰の友…卒業後はキリスト教の雑誌に連載記事を載せたり信仰書を出版したりもしていた…が、深い一文をとある機関紙に投稿していた。自らの熱過ぎた過去を顧みながら、キリスト信仰から距離を置いた「離教者」の先達に共感を覚えつつ、福音主義の立場やキリスト教会の過去の過ちに関して問題提議するものであった。ずいぶん考えられた。

その一方で、「幸せなら手をたたこう」という馴染みの歌の歌詞が実は詩篇をもとにして作られたもので、フィリピンの地で戦争への贖罪の願いを込めて日本の若者がつくったものであることを新聞で知った。慰められ励まされた次第である。

一貫した熱い信仰は尊い。しかしそこには独善的という危険も伴う。謙虚に自らを振り返り、神様と向き合い、時には自分の立っている所やこだわりを冷静に見つめてみることも大切である。迷うことは実は信仰を健全に保つためのキーワードでもある。もちろん、すべての解決の源が創造主なる神様にあるという信仰の前提だけは崩さずに…。