メッセージ   2013年 2月 3日

 「私の家は祈りの家」
      (マルコの福音書11章15〜17節)

 イエス様は十字架にかかる直前、エルサレム神殿において「売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売るものたちの腰掛けを倒し」た。その時に発せられたのが上記の説教タイトルである。

イエス様のイメージとはおよそかけ離れた激しい行動であるが、神様の義や厳しさ、そして裁きの側面を考えるなら、当然の行動かも知れない。それにしても何がここまで怒らせたのだろうか。

神殿には祭りの際に大勢の人々が遠く外国からもやってきた。彼らの便宜を図るために、犠牲の動物が売り買いされていた。一方、傷のないものであるべきことから、持込の動物には祭司たちが注文をつけ、結局は神殿の庭で購入しなければならないような仕組みになっていた。そこで売られていたものは、市中価格の50倍とも言われ、商人たちは暴利をむさぼり、祭司たちはその恩恵にあずかっていた。

また、神殿に納めるべき人頭税も、日常流通していたローマ貨幣ではなく、ユダヤ貨幣に交換する必要があったため、そこでも両替を行う際の手数料名目で利益が発生していた。そのような神の名を利用して金儲けに走る祭司たちに対して、イエス様は怒りを発せられた。

ここで語られた言葉は旧約聖書からの引用である。主イエスは本来のあるべき姿へと戻そうとされた。神様の聖い怒りが信仰を回復し、また整えると言う一面を持つ。祈りの家…もちろんこれは今日の教会堂に対しても向けられる言葉であろう。教会堂はもちろん、私たちが生活する一つひとつの空間ももまた「祈りの家」でありたい。