メッセージ   2013年 1月 27日

 「うまくいくかもわからない」
       (伝道者の書11章1〜6節)

聖書の言葉としてはいささか頼りないと感じる表現である。「朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。」

早い話が、立ち止まって思案するよりとりあえずやってみなさい、ということである。文脈を踏まえてもう少していねいに言うなら…人が計画して行なうことには限界がある、人生には何が起こるかわからない、ただ神様のわざだけが確実になされていくのだから、躊躇して結局何もしないのではなく、神様に任せてやってみなさい・・・となる。    

真逆のたとえになるが、大祭司カヤパは、イエスが民衆の人気を集めている状況を前にうろたえる議会に対して、イエスひとりを葬り去ることによって自分たちをはじめ国民全体が助かると考え、発言した(ヨハネ伝11:49〜)。悪意のある発言ではあったが、皮肉なことにそれは神様の御心を預言する言葉となった。神様は私たちの善意を用いるのみならず、時には悪意をも包み込んで計画を進めてくださる。

それ故に、小さな私たちがあれこれ思い煩ったり手をこまねいたりすることはあまり意味がないのかも知れない。チャレンジする気持ちで委ねて歩んでいきたい。もちろん、なんでもかんでもやってみれば良い、発言すれば良いというものではない。神様の思いは、聖書全体からバランスよく学び取るべきである。