メッセージ   2012年 11月 25日

「ダビデに免じて」 (T列王記11章1〜13節)

 もちろんソロモンはすぐれた王であった。彼の外交や経済政策は国家に繁栄をもたらせた。イスラエル最大の功労者と言っても過言ではない。また神殿建設には神の大いなる祝福が注がれたことが記されているし、雅歌や伝道者の諸、箴言といった彼によって書かれたものが聖書として伝えられていることからも高く評価されて然るべきである。

 しかし、ソロモンは大きな罪の問題を抱えていた。外交の名の下に多くの外国人女性と関係を結びその女性たちの信仰を尊重した結果、神の最も嫌われる偶像礼拝をイスラエルに取り込んでしまった。それ故に神はイスラエル国家に裁きを下されることを宣告された。

 ただし…滅ぼされることは先延ばしとし、差しあたって国を二つに分裂させるにとどめられた。なぜか・・・それは「父ダビデに免じて・・・」であった。ダビデとて大きな罪を犯したことが聖書には記されている。しかし彼には明確な悔い改めがあった。それ故に神が寛容を示されたのかどうかは定かでないが、神様が許容してくださる方であることは確かである。そもそも王の存在も神殿建設も神が願われたことではなかったはずである。

 私たちは短絡的に神様の御心をとらえてはいけない。神殿同様、教会堂や牧師、礼拝の形など必要ではあるが絶対化してはいけない。常に神のみ心を求める柔軟な信仰の姿勢が大切である。時に判断を誤ったりピントを外したりする私たちではあるが、究極的にはイエス・キリストに免じて赦していただける・・・それに尽きる。