メッセージ   2012年 9月 30日

「神の栄光をほめたたえる」
     (エペソ人への手紙1章3〜11節)

「神は私たちを世界の基が置かれる前からキリストのうちに選び・・・愛を持ってあらかじめ定め・・・」とパウロは語る。天地創造のときから、すでに私たちは神の救いの計画に入れられていたのだと言う。

込み入った話は置いておくとして、私たちは何十年も前にそれぞれさまざまな出会いを通して、教会に行くようになり、イエス・キリストと出会った。そこに至るまでには紆余曲折もあっただろうが、行くことも信じることも最終的には自らの意志によった。しかし、それらは神様の導きによるもので、遠大なご計画のうちにあったことだった。

もちろん私たちは神様のご計画を無視して、あるいはそれとは反対の方向へ生きることもできる。しかし、その一方で自分の意志や力ではどうしようもできない現実があるのも確かである。神様は私たちを愛するがゆえに・・・ただこの理由によってのみ・・・さまざまな機会を通してキリストの十字架の救いへと導いてくださっている。

それはひとえに「神がほめたたえられるため」だとこの箇所で三回も繰り返されている。私たちがキリストと出会ったのは・・・言い換えるなら人として生きているのは・・・感謝し、讃美し、祈る・・・礼拝するためなのである。それは日曜日にこうして集まることだけを意味するのではない。日々の生活の中で、神様を意識する瞬間、あるいはそれゆえに与えられたと受け止めている仕事や役割に向き合っている時間もまた礼拝である。その一瞬一瞬に生かされている喜びを感じ、神の栄光をほめたたえる者でありたい。