メッセージ   2012年 9月 9日

 「神がご存知だということ」 
               
(ヨハネの黙示録2章2節)

私たちは自分のことを知ってもらいたい、わかってもらいたいという気持ちを強く持っている。わかってもらえることで心が落ち着いたり安心できたりする。信頼関係が生まれ、心豊かにされる。たとえ苦しみや悲しみの中にあっても何とかやっていける希望が見えてくる。また喜びや幸せは共有しあうことでより大きなものとなっていく。そんな私たちに主イエスは「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。」と語りかけてくださる。

 私たちの人生には、不条理な現実がたくさんある。災害や病気、事故、事件、戦争…納得できない事態に陥ることもしばしばである。限られた存在である私たちには理解できないことの方が多いかも知れない。しかし、たとえ私たちが理解できなかったとしても、そこには何らかの意味があるということを期待を持って信じることができるなら幸いである。あるいは私たちにはわからなくても、わかって下さっている方がいると知るなら、理解し難い現実とも向き合うことができる。

 神様は「胎内にいるときからになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたが歳をとっても、私は同じようにする。あなたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」(イザヤ46:3〜4)と語りかけてくださる方である。

 生まれる前から私たちのことをご存知で、背負ってくださっている、運んでくださってる神様と今週も共に…。