メッセージ   2012年 9月 2日
 

 「一緒に喜んでください」(ルカの福音書15章3〜10節)


人生は何のためにあるのか・・・。いろいろな答え方ができるし、答えは人それぞれで良いとも言えるが、やはり「楽しみ」とか「喜び」という表現は外せないだろう。喜びにも色々ある。笑うこと、あるいは感激・感動すること、楽しむことなどさまざまである。 

放蕩息子をはじめ三つのたとえ話が並ぶこの箇所で語られる天の喜びには二つないし三つのポイントがある。

まず、なくなっていた、失われていたものが見つかった…言い換えるなら回復の喜びである。神様の元に私たちが立ち帰ることであり、私たちの側から見るなら、悲しみから立ち直る、困難を乗り越える、問題が解決する…といったこと結びつく。悲しみや困難、喪失と言った喜びの正反対にある事柄の意味も浮かび上がってくる。

 次に一緒に喜ぶということが挙げられる。喜びを分かち合う、共有する…悲しみを共にすることで慰められ、悲しみを通して喜びが深まるという視点に気づかされる。

 三つ目…天の喜びへとつながる回復の喜びを先取りするものが主日礼拝だということである。み言葉の取次ぎのみならず、主日礼拝を構成する一つひとつの事柄…司会、聖餐式、集会後の報告やお菓子と交わり、奏楽、お花…そしてそれらを準備する=礼拝に備えるということは、キリスト者にとって、天国へとつながる回復の喜びを共に喜ぶことである。私たちにとっての生きる意味や目的をそこに見出したい。