メッセージ   2012年 8月 26日

 「信仰に生かされる」 (ヘブル書11章30節)


エリコの城壁という大きな困難を前にたじろぐイスラエル人に神様は不思議な解決の方法…ただ黙って一日一回城壁の周りを回る、そして七日目だけは七周する…を示された。ただし先頭を歩くのは神の箱をかついだ祭司たちであった。神が共にいてくださる、神が私たちの先頭に立ってくださる…この確信に立って彼らは行動したのである。

結果として城壁は崩れ、イスラエル人たちはエリコの町を陥れることができた。彼らは自分たちの力ではなく、神様がこのことをしてくださったのだと深く心に刻んだことだろう。ヘブル書はこの出来事を彼らは「信仰によって」行動したと語っている。

私たちの人生にもエリコの城壁のような困難が大きく立ちはだかることがある。そんな時に、神様が共にいて助けてくださる、問題を解決してくださると信じて歩むことが信仰に生かされるという生き方である。さらに言うなら、私たちの人生の根本的な問題である罪の許しにおいて、信仰に生かされることを神様は期待しておられる。

パウロはローマ書において(今月の聖書の言葉参照)、信仰による救いを示された神様の素晴らしさをたたえている。その一方で行いによる義を求めた自らの過去や同胞たちのあり方に心を痛めている。

信仰によって救われる=行いは問われない…これは福音信仰の本質であると同時に、何をしても、あるいは何もしなくても救われるのか? といった問いを生み出してきた。そしてまさにその通りなのである。自分の力やがんばりが救いを左右するわけではない。ゆえに自己を正当化し、他人のあり方を批判的にとらえる必要もない。あとは神様の期待に沿って、信仰者としてあるいは人間としてどのように生きるのかという良心の問題だと言える。