メッセージ   2012年 8月 12日

 「信仰の分かれ道」   (民数記13章30〜31節)

 イスラエルの民が、約束の地であるカナンの地を前に動揺する様子が描かれている。

12人の偵察隊の内の10人はその地に入ることはできないと主張した。そこに住んでいる民が強いことを理由に挙げている。一方、カレブとヨシュアの二人は、ぜひとも上って行こう、必ずそれができるからと呼びかけた。同じように選ばれ、同じように偵察したにもかかわらず、この両者の違いはどこから来るのだろう。前者は現実の大きさにたじろいだ結果、そして後者は神様のみ心ならば、あるいは神様が共におられるのでという信仰の結果、という違いである。これまでの神様の導きや守りを振り返り、次の一歩を踏み出す勇気を持てるかどうかである。

これらの報告を受けて多くの人々はつぶやいた。そしてエジプトに帰ろうという者まで現れた。神様は悲しみと怒りの結果として、人々を滅ぼすことをモーセに告げた。そこでモーセは、とりなしの祈りを捧げた。神様の恵みによって許して欲しいと。結果として神様はすぐに裁きを下すことはやめて、長い時間の幅で義を貫くことをされたのである。神様の愛と忍耐を見る思いがするが、そこにはモーセの熱い祈りがあったことも忘れてはならない。ただし、カナンの地へ行くことに消極的だった10人には厳しい神の怒りがくだされた。

さて、これにて一件落着と思われたのだが、ある人々はモーセの制止を振り切って、山の方へと上っていった。彼らは「罪を犯したのだから…」とまるで悔い改めたような言葉を語りつつ、実のところは自分の思いを優先させてしまい、神様と反対の方向へと進んで敵に打たれてしまった。モーセの忠告に構わずに進んでいった彼らの間違った勇気は残念な結果を招いた。

信仰の歩みを分けるもの…それは目の前の現実に恐れることなく神様の恵みにより頼むこと、他者のためのとりなしの祈り、そして常に神様の御心に従おうとする姿勢である。失敗から学ぶものでありたい。