メッセージ   2012年 7月 15日

「神によってなされたこと」 (ネヘミヤ記6章15〜16節)

エルサレムの城壁再建の使命を帯びたネヘミヤは、数々の困難を祈りによって乗り越え、その目的を果たした。そして「この工事が、私たちの神によってなされた」と告白している。

とは言え、城壁は再建されたものの、彼らの置かれている状況やエルサレムの荒廃といった問題が根本から解決したわけではない。しかし、困難を乗り越えさせていただいたという経験は、彼らの財産となり、神のみわざを見る信仰の目は大いに養われたことだろう。

私たちの教会では対外的に大きな集まりを続けて持った。福音を伝えたいと言う思いが導かれ、多くの方々に教会のことを知っていただくことができた。良き交わりと励ましが与えられ、神様の祝福にあずかることができた。「見よ。兄弟たちが一つとなって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」(詩篇133編)を実感させていただいた。これまでのことを振り返るとき、まさにそれらは「神によってなされたこと」であると告白せずにはおれない。

 もちろんこれらのことによって、私たちが教会として、あるいは個人として抱える問題が根本的に解決したわけではないだろう。しかし、困難にあっても希望を持ち続けるべきことを私たちは教えられた。それは、南王国ユダが捕囚の憂き目にあった時、絶望の中でエレミヤが「ダビデに一つの正しい若枝を起こす」(エレミヤ23章)という神のことばを希望として語ったこととも重なってくる。感謝。