メッセージ   2012年 7月 1日

「良きパリサイ人の話」   使徒の働き22章3節

福音書に登場するパリサイ人といえば、形式主義者としてイエス様に批判されることが多く、私たちは良いイメージを持っていない。「白く塗られた墓」「偽善者」など彼らに向けられた言葉は辛らつである。実際、イエス・キリストを十字架に追いやったのも彼らが訴えたからで「良きパリサイ人」という表現に違和感を覚えて当然である。


そもそもパリサイ人の起源は、旧約聖書に記述の見られないいわゆる「中間時代」にさかのぼる。律法の教えから離れて世俗化していく社会に対して「分離されたもの」として彼らは律法を大切にしようとした。新約聖書に彼らと並んで登場することがあるサドカイ人が世襲制の貴族で特権階級であったのに対し、パリサイ人は仕事を持ちながら学ぶ一般人であった。天幕職人だったサウロ(パウロ)はまさにそうである。彼らは旧約聖書、とりわけモーセ律法を大切にするための口伝律法を作り上げた。これがやがて人々の生活を形式的なものへと縛ることになり、イエス様からの厳しい言葉となっていくのである。


しかし、その一方で安息日を大切にし、会堂に集まり聖書を朗読するスタイルはイエス様も尊重され、初代教会から今日の私たちにまで受け継がれている。サドカイ人がAD70年のエルサレム陥落とともに姿を消したのとは対照的にパリサイ人の精神は現代に至るまでユダヤ教の中に息づいている。パリサイ人の教育を受けたパウロの存在を考えるとき、私たちは彼らを決して悪役としてだけとらえてはならない。ただ、彼らが反動としてのあり方のままであった点は残念である。