メッセージ   2012年 6月 17日
 

「信仰の柔軟性…」 (ローマ人への手紙12章2節)

「この世と調子を合わせてはいけません」このことばのゆえに、キリスト者は「孤高の人」とも言えるような生き方になってしまうことがある。聖書の信仰を貫き通すならば、時に人の和や時代の変化に逆らいながら生きることになる。しかし、たとえ私たちはそのように生きることができたとしても、福音を伝えると言う視点から考える時、そのような生き方を求めるならば、イエス・キリストを信じるのを躊躇してしまう人は多いだろう。

ところで「インクルージョン運動」なるものがある。信仰の対象をイエス・キリストとしながらも、それまで生きてきた宗教的枠組みにとどまることを容認する…そうすることで福音を受け入れやすくしていこうとするものである。日本と違い、イスラム圏などで聖書の信仰を持つことは、生きるか死ぬかの選択を迫られるようなものである。そんな中である程度の折り合いをつけることで福音を伝える働きが広がっていく…。当然このような流れには福音を変質させてしまうという危険性が伴う。

 命の危険までは冒される心配のないであろう現代の日本では、安易に取り入れるべきものではない。しかし、柔軟な、あるいは緩やかな信仰とでも表現できるこのようなあり方は魅力的ではある。

 この世と調子を合わせないために「心の一新によって自分を変えなさい」と聖書の言葉は続く。自分のがんばりにかかっているような印象を受けるが、本来は神様の力によって変えていただくという意味が込められている。力まず肩を張らず、また守ろうと必死になるのでもなく、神様と共に信仰の歩みを重ねながら、結果として福音を伝える働きが広がっていくならば幸いである。