メッセージ   2012年 4月 22日

「愛し合う中におられる神」
(ヨハネの手紙第一 4章7〜21節)


私たちは神様を信じて生きている。私たちをつくってくださった神様が私たちを守り導いてくださっている、神様の期待に応えて…御心に沿って…生きることが幸せであると信じている。私たちはその神様をほめたたえる…礼拝する…ことが生きる土台であると信じている。それは神様が愛であると信じているからである。

信じるという表現をあえてゆるやかに、しかしわかりやすく表現するなら「感じる」となるだろうか。神様の存在を感じて生きる、神様の導きを感じる、御心に沿ってきることが幸せだと感じる、礼拝が大切であると感じる、神様の愛を感じる…もちろん信じるとは違うが、感じると表現した方がむしろしっくりくる場合がある。

とりわけ神様の愛は感じると言う表現の方がふさわしいように感じる。神の愛を最も強く感じるのは私たちの交わりにおいてである。イエス・キリストの十字架による身代わりの死、罪の赦し…無条件の神の愛を受けた者は互いに愛し合うことが求められている。愛し合う、支えあう、助け合う…教会の交わりのみならず、人と人との関係において、あるいは生きていく上においてこれは最も大切なことである。親子、夫婦、兄弟、時には職場においてさえも…。

聖書はそのように愛し合う関係の中に神様がおられると語る。愛のつながりの中に神様の確かな存在を感じることができるなら幸いである。神様の大きな愛を受けた私たち自身が、さまざまな人と人との関係において、愛のつながりを生み出す起点となるならば、そこは神様がおられるところとなる。そこから福音が広がっていくことになる。神の愛を感じつつ、神が共におられる愛の交わりを広げてくことが出来ますように。