メッセージ   2012年 3月11日
「それが何になりましょう」(ヨハネの福音書6章1〜14節)

五千人のパンの奇跡として知られるこの出来事だけが、主イエスの奇跡としては四つの福音書すべてに記されている。それだけ弟子たちには強烈なインパクトがあったのだろう。「大麦のパン五つと小さい魚二匹」「草が多かった」「十二のかごいっぱいに」といった具体的で細かい描写もそのことを裏付けている。

イエス様の人気ゆえに集まった五千人(男だけで)もの群集…彼らは空腹であった…を前に、弟子たちは困ってしまった。イエス様から食料の調達を打診されたからである。「二百デナリのパンでは足りません」…一万人近くいたとすれば、たとえ二百万円あっても一人当たりニ百数十円では足りない…というピリポの発言は見事なまでに現実的である。もちろん、そんなお金はない。手元にあったのは、少年が持っていたというわずかなパンと魚だけであった。「それが何になりましょう」…そのような現実を前にアンデレが発した言葉であった。

大勢の群集を前に絶望的な状況…アンデレが言うように、五つのパンとニ匹の魚は気休めにもならない「焼け石に水」であった。ところが…それがイエス様の手にあって祝福されると、大群衆の空腹を満たした上になおたくさんのパン切れが余ったと聖書は記している。

私たちは絶望的ともいえる厳しい現実に直面させられることがある。現実の大きさに比べて自分(たち)はあまりにもちっぽけで無力である…そう感じて立ち尽くす時、そこにイエス様が共にいてくださるならば、主イエスに信頼を置くならば、ちっぽけで無力としか思えない私が祝福のうちに豊かに用いられていく…。

それゆえに「それが何になりましょう」としか言えないような小さな手がかりしかなくても、私たちは神様に信頼を置き、祈りつつ希望をもって生きることができる。