メッセージ   2012年 2月26日
「いったいこの方は…」 (マルコの福音書4章35〜41節)

 信仰は私たちに安心や平安をもたらせてくれる。しかしそれは災いや困難が減ったりなくなったりするということではない。災いや困難の中にさえ、時間はかかるかも知れないが意味を見出すことが出来るということである。

ガリラヤ湖で命の危険を感じるほどの嵐に遭遇した弟子たちは、眠り込んでいた主イエスに不満を込めた思いぶつけた。しかし、イエス様は悠然と構えて嵐を静め、逆に弟子たちの信仰のありようをたしなめられた。それを受けて弟子たちが口にした言葉が「いったいこの方はどういう方なのだろう」であった。

信仰においてこの問いかける姿勢は大切である。神様は私たちに様々な出来事を通して語りかけておられる。チャレンジを与えておられる。何を示し、気づかせようとされているのか。どう導こうとされているのか。そもそも私にとってイエス様はどういう方なのだろう。教会とは、礼拝とは、信仰とは…そのように絶えず問い続けることが信仰のあるべき姿だと言える。信仰に完成や完結はない。

ただ、その問いかけは神様への信頼を土台としたものでありたい。言い換えるなら神様は愛であることを前提とした問いかけであるように。そうであることによって私たちは平安のうちに、問い続ける=いきいきとした信仰生活を送ることが出来からである。