メッセージ   2012年 2月5日
「小さな務めを大切に」 (マタイの福音書25章31〜40節)


『靴屋のマルチン』の主題にもなっているこの聖書の箇所は、困っている人を助けることはすなわち、イエス・キリストに対して行っているのと同じことであり、それは信仰のわざとして大変尊いものであることを私たちに教えている。

しかし、このことが神様の裁きの判断基準になるとすれば…少なくともこの箇所においてはそう記されている…イエス・キリストの十字架によって救われるという聖書の信仰とは相容れないことになってしまう。救われるために人は小さき者への良きわざを行なうことに力を注がなければならなくなる。それはそれで大切ではあるが、自分の救いのために人助けを積み重ねていく生き方はどうもしっくり来ない。

ここに登場する、主イエスにほめられた人々は「いつそんなことをしましたか…?」と自らの良き行いを覚えていないかのような答え方をしている。謙虚であり、少なくとも自分が救われるために困っている人を助けたという意識はまったく見られない。しかし、私たちはたとえ小さくても良き行いをしたなら、それなりに記憶しているだろう。そうするために多少なりとも自分が犠牲を払ったり、努力したりしていたならなおさらである。

その点において、私たちは神様からの期待に遠く及ばない。イエス・キリストの十字架による無条件の赦しが必要である。そこから始まる愛の行い…まずは身近にいる助けを必要としている方々とのつながりを大切にしたい。