メッセージ   2012年 1月29日
 「すべてはこの時のために」ローマ書8章28節

神がすべてのことを働かせて益としてくださる…益とは御心にかなうということ、働かせてとは助けとなるという意味である。苦難もまた信仰者にとって善となるとパウロは語っている。

かつて私は、人生を陸上競技にたとえて考えていた。ゴールをしっかり見定めて競技しなければならない。どこが、あるいは何がゴールかわからなければ、良い結果には結びつかない。百メートル、マラソン、高跳び、幅跳び…目指すべきところがわかっていなければ、人生はいくら努力しても無駄になってしまう…と。

スムーズに人生を歩んでいた頃はそんな考えだったが、いろいろなことを経て考え方が変わった。人生はそう単純ではない。人生には色々ある。目標やゴールにもいろいろある。目先の幸せや今の充実ということも結構大切である。また人生の目標に直接役立つかどうかだけを基準に行動するだけではいけない…と。一方で、わざわいや失敗は決してマイナスで終わらない。一つひとつは神様から与えられたものであり意味がある…ことにも気づかされた。

私たちの人生は折り返しを過ぎた。今さら大きな変化はないと考えるかも知れないが、一日一日を積み重ねる一年は、決して短いわけでもない。これまでの生き方、そして今の生き方が、これからの人生に少なからぬ影響をもたらせる。このときのためにこれまでの人生は…そう気づけるように過去を整理し、今を大切に生きたい。「もしかするとこの時のためであるかもしれない」(エステル記4:14)と考えたり「神は…あなた方より先に私を遣わしてくださったのです」(創世記45:5)とふり返ったりできるような生き方をしたい。

ヒトラーによってヨーロッパが侵略されつつあった1940年、イギリス首相に就任したチャーチルは、その夜ベッドの中で「過ぎ去った人生のすべては、ただこの時、この試練のための準備に過ぎなかったという気がした」と感慨にふけったと言う。時に65歳。私たちもこれまでの人生色々あったけれど、すべてはこの時の、あるいはこれからのための準備だった…と思えるなら幸いである。キリスト者にとってそれは、究極的には信仰を持って最期の時を迎えることだろう。